────どうしてこうなったのか。

 割れた窓から吹き込む風で砂が舞う、埃っぽい床。
 こちらを取り囲むのは、ニヤニヤと下卑た嗤いを浮かべる顔、顔、顔……。
「やだっやめ────!」
 悲痛な訴えも、顔はいっそう口の端を吊り上げ、笑みを深めただけ。
 そして四方八方から伸ばされる、手……。
「やめっ……触るな! 触るな────!」
 必死の抵抗すら、嬲ろうとするヤツらには楽しみのスパイスでしか無いらしい。

 ────何でこんなことになったんだろう……。
 回らない頭で考えて、不意に過ったのは……“アイツ”。

“アイツ”のせいだ。
“アイツ”のせいだ……!
 ぶちっ。噛み締めて、切れた唇。鉄の味は、口に入った砂埃か、口内で広がった血の味か。
 目の前が、湧き上がり過ぎた怒りに歪み、眩む。

 あのとき。
 関わりさえしなければ────!



 ・・・・・・



 都内のとある公園が、朝から賑わっている。ただし、爽やかさや長閑さからは程遠い賑わいだった。
 緊迫する公園内は黄色いテープが張られ、所属する課で異なる装いの制服警官が行ったり来たりを繰り返す。
「お早うございまーす」
 青年が一人、黄色いテープの前ですでに集まっている報道陣や野次馬を掻き分け、群衆に立ち塞がる警察官へ声を掛け中に入ろうとする。

「あ、ちょっと……!」
 制止しようとした警察官に足を止め、青年が何かに気付いて振り返った。
「ああ、すみません」
 青年はスーツのポケットから何か取り出すと、警察官へ見せる。

 警察手帳だ。青年の警察手帳を目にした途端、警察官は改まって敬礼した。
「し、失礼致しましたっ!」
 警察官の態度に、報道陣も野次馬も不満そうな表情や懐疑的な視線を和らげる。警察手帳が見えなかった者も、青年が私服警官で、それなりの階級であることがわかったのだろう。……もっとも。

「いえいえ、どーも。ご苦労様です」
 のんびりとした口調と、のほほんとした笑顔は、警察官が畏まる程の人物には見えないが。

「……遅いぞ、昏木(くらき)
 ビニールシートに囲まれた中心、作業を一通り終えて鑑識が去った現場では、担当の刑事たちが雁首揃えて周囲を見回していた。
 この内の一人、青年へ叱咤を飛ばした男へ「お早うございます、沙汰(さた)さん」青年、昏木は挨拶する。
「直行なら、現場には早く来いって言ったろ」
「すみません。早く家は出たんですけど……報道の人や車で、どこもかしこも渋滞が起きていたので……」
 昏木が笑んで遅刻の理由を述べると、沙汰と呼ばれた男は「はぁ……」深く深く嘆息した。

「マスコミも、お早いこった」
「でしょうねぇ」
 昏木は自分の頭上を仰ぎ見た。

「……何せもう三件ですから」
 昏木の目線を沙汰も追う。
 二人の注視する先には、木の枝から血が滴っていた。



 ここ一箇月程、都内では凄惨な事件が起きていた。
 一件目は住宅街の一角。空き家に挟まれた、本当に人目に付かない空き地だった。
 ジョギング中の男性が、空き地を通り掛かった際に異様な臭いを嗅ぐ。住宅街にそぐわない臭いに違和感を覚えた男性は、侵入を阻む柵から中を覗き、異常に周辺へ血や肉片が飛び散った遺体を発見する。

 最早死因も判別不可能なくらいに損壊された遺体は、凄腕の鑑識が血眼で探し残らず掻き集めても、臓器が一つ足らなかった。
 野犬にでも食い荒らされたか────しかし獣の歯あるいは爪で付いた損傷の可能性は限りなく低いとは、監察医の言だ。
 刃物で切り裂いて手で引き千切ったと言うほうが、形状としては近いのだとか。

 犯行は想像するだに恐ろしく、到底正常な人間のする所業では無い。警察は効率の悪さも鑑みて、物取りの線は殆ど棄て、異常者の快楽殺人や怨恨の線で捜査を開始した。

 そうして捜査する間に、二件目の事件が発生する。
 二件目は繁華街の、解体中の廃ビルだった。一階の剥き出しになった壁や鉄骨が、赤くぬらぬらと染まっていた。

 食い散らかされたみたいな同じ手口に、足りない臓器。

 以上のことから、事件はこう呼ばれている。

『悪食事件』、と。