私が10歳の時の幼馴染みの男の子の思い出です。
 私は引っ越したばかりで学校にも馴染めず、寂しい毎日を過ごしていました。
 友達がいない私を心配した母は、よく近くの海辺まで、幼い私を散歩に連れ出してくれました。今まで住んでいた場所には海がなく、初めて目にする広い海原と潮の香りは、とても新鮮でした。
 そんなある日、私が母と砂のお城を作って遊んでいると、男の子が二人、浜辺を歩いてきました。母が話しかけると、二人は兄弟で弟は私より歳下。兄は12歳でした。

「娘と友達になって?」

 母が頼むと兄の真也くんは「はい」と、ニッコリ笑ってくれました。弟は憮然として面白くなさそうな顔でしたが、兄弟のいない私は、お兄さんができたみたいで、「恥ずかしいな。でも、何だかうれしいな!」と、母の背中に隠れていました。

「お家はどこ?」と尋ねたら、「あそこ!」と真也くんは海辺の大きな建物を指さします。
 真也くんたちと砂でお城を作ったり貝殻を拾って遊んでいると、あっという間に陽が暮れてきました。

「いつでも、ここにいるから」と、手を振って浜辺で私たちを見送ってくれた真也くん。
 その日の海辺の夕陽は、いつもよりとても美しく感じました。
 翌日は日曜でした。私は真也くんに会いたくて張り切って一人で、朝からいつもの海辺に行きました。しかし、約束もしていないので、もちろん真也くんはいません。
 淋しくなって防波堤に腰掛けて海を眺めていると、「おーい!おーい!」と、遠くで誰かが私の名前を呼んでいます。
 キョロキョロしながら声のした方向に歩いて行くと、私の頭上から、「ここだよ!ここ!ここ!」と、真也くんが一生懸命建物の窓から手を振っています。昨日見た時には、遠くてよく分からなかったのですが、この建物が真也くんのお家でした。
何階建てもある、とても背の高い洒落たお家をびっくりして見上げていたら、弟も顔を出して、「バーカ!バーカ!」と笑っていました。
 真也くんの弟は、何かと私に意地悪をして喜んでいましたが、今考えると私に大切な兄を取られたような嫉妬心があったのかもしれません。
「お友達かい?上がってもらいなさい」
その時、大人の男の人も同じ窓から顔を出しました。真也くん達のお父さんでした。
「今、降りて行くね!」
 どうしようか、迷っていると、真也くんが階段を凄い勢いで駆け降りてきて、玄関まで私を迎えに来てくれました。遠慮がちに中に入るとたくさんのお部屋があり、最上階に真也くん達は住んでいました。
 お父さんも真也くんみたいにとても優しく、「ゆっくりしていってね!」と、とても大きな冷蔵庫からケーキや大瓶入りのミルクを出して、歓迎してくれました。  真也くんが「こっちで遊ぼう!」というので子供部屋に入ると、広い室内に洒落た絨毯が敷き詰めてあり、その上にお部屋一杯に機関車のジオラマが展開していました。
 初めて見た精巧なジオラマにびっくりしていると、「ここに座って」と、真也くんがニコニコしながら自分の隣を指さしていました。
 私が興味津々で機関車を見ていると、「こうやって動かすんだよ」と、ラジコンを手元で操作し始めました。
 黒光りする機関車が煙突から白煙を吹き上げレールを走る精巧な模型に、私は大興奮しました。その日はお昼まで真也くんの家で遊び、「お昼ご飯も食べていきなさい」と、お父さんが勧めてくれましたが、母に遅くなると言っていなかったので、遠慮して帰りました。真也くん兄弟とは、その後もよく遊びました。
 そんなある日、真也くんが私を自転車で迎えに来てくれました。真也くんの後ろに乗り、「しっかり掴まっててね!」と、言われて私は自転車から落ちないように、真也くんの体に両手を回して、掴まりました。
 自転車は風を切ってグングン走り、初めて真也くんと二人乗りした私は、嬉しくて仕方ありません。
 なのに突然、「真也の奴、女なんかと自転車に乗ってやがる!恥ずかしい!」とはやし立てる声が近づいてきました。
「こいつら、同じクラスの奴らだ」
 真也くんのドスの効いた低い声に、私は怖くなりました。
 走る自転車から周囲を見回すと、自転車に乗った4人組の男子が、私たちを追いかけてきます。
「女なんか乗せやがって真也のバーカ!」
「女と二人乗りなんかして、良いと思ってんのか!?」
 ゲラゲラ笑いながら追いかけてくる4人組が怖くてたまらない。それ以上に私のせいで真也くんが馬鹿にされているのが堪らなく嫌でした。

 私のせいだ!私が真くんの自転車の後ろに乗ったりしたから!

「あたし、降りる!!」

 私は向かい風に負けないくらいの大声で、真也くんに叫びました。
 しかし、真くんは絶対に自転車を止めようとしません。さらに力を込めてペダルを漕ぎます。それでも、追いかけてくる4人組を振り切ることができません。

 もう一度私が叫ぼうとしたその時。

「降りないで。バカの言うことは気にしないで」

 真也くんの今までに聞いたことのない静かな声に、私は彼の真剣な決意のようなものを感じました。
 4人組は相変わらずしつこく真也くんに罵詈雑言を浴びせてきます。
 私は目をつぶると、ぎゅっと両手に力を込めて真也くんにしがみつきました。真也くんのお腹の柔らかさと背中の熱さを、私は体一杯に受け止めて、怖かったけど、とても安心できました。
 4人組は真也くんのお家の前まで追いかけてきましたが、騒ぎを聞きつけてお父さんが来たため逃げて行きました。
 それから数日間は、私は真也くんのお家に遊びに行きませんでした。なんとなく自分のせいで真也くんがひどい目にあった気がして会いに行けませんでした。

 そんな時。

「真也くんが引っ越したんだってよ」と、母が言いました。
「え!嘘!何で!?」
「もうすぐ、中学生だからねえ。お母さんと真也くん達子供だけが引っ越して、お父さんはここに残るって、聞いたのよ」
「でも、何で!?」「お家の仕事がモーテルだから、子供の教育に悪いって、思ったみたいよ」
 母はそれだけ言うと、それ以上詳しい理由を話してくれませんでした。
 私は意味が分からずその日はショックで一日中泣いていました。さよならも言えないまま、真也くんとは離れ離れになってしまいました。
 それから数か月が過ぎました。私は母に連れられて少し離れた隣街に買い物に行きました。

 その時。

「おばちゃん!」
 元気いっぱいな声が雑踏の中からしました。
 私は嬉しくてうつむいていた顔を上げると、人混みの中から母を見つけた真也くんが人波をかき分けて走ってきました。
「この街に引っ越したんだ!」
 真也くんは初めて出会った時と同じようにニコニコ笑っていました。
 母が先を急いでいたので、私は真也くんとゆっくり話す時間がありません。
「これが住所だから手紙書いてね!」
 真也くんはカバンから取り出したメモ帳に素早く連絡先を書くと、私にメモをくれました。
 真也くんは人波の中を歩いて行きます。私は母に手を繋がれて歩きながら、何度となく後ろを振り返って、真也くんの姿を見つめていました。私はメモをなくすといけないので、母のバッグに入れてもらいました。
「これでもう大丈夫だ。いつでも真也くんにお手紙が出せるもん!」
 私がまるで真也くんが帰ってきたみたいな気持ちになって嬉しくてたまりませんでした。  
 それから数日後、私はメモを見せてと母に言いました。
 すると、「捨てた。あんたが見ようとしないから」と母は平然と言い放ちます。
 私が泣いて怒っても、「忘れていたあんたが悪い」と、取り合おうとしません。
 もう真也くんの住所はわかりません。彼のお父さんに尋ねれば容易にわかったのに、幼かった当時の私は思いつきませんでした。
 そして真也くんにはそれから二度と会えませんでした。
 真也くんのお父さんもそれから間もなく引っ越しして、モーテルの経営者も代わりました。
 数十年経った今でも、私の心に残る苦い初恋の思い出です。