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「ずっと一緒にいよう」

 頼太(ライタ)はそう言ったから、私はそのまま、静かにうんと頷いた。たった一言でなんでこんなに世界が暖かくなるんだろう。冬だってことも忘れてしまうくらい。学校近くの人気のないビルの外階段は私と頼太の秘密の場所だった。外階段はコンクリート造りで雪がチラついている今日はものすごく冷えていた。だけど、頼太はこれを使えよと言って、自分のマフラーを階段にひいてくれた。

 階段の踊り場からは灰色の街が見える。低くて冷たい灰色の雲から、無数のふわっとした雪が容赦なく降っている。

「積もるかもな」

 頼太はそう言いながら、左手に持っていたセブンスターのボックスから一本取り出して、それを咥え、手慣れたようにライターで火をつけた。制服の上にコートを着ているけど、頼太の顔つきは幼くて、やっぱり高校生にしか見えない。

 頼太とここでタバコを吸うようになったのは夏の始まりの時からだった。頼太が昼休みに体育館の隅で、タバコを吸っているのを見たからだ。私もどうしても吸いたくなって、昼休み、ブロック塀と体育館の間のこの場所ならいけるかなと思って、行ってみたら先客がいた。

「あ、先に吸ってずるい」

 私も、慌ててバッグから赤ラークの1ミリを取り出し、ボックスから、一本取り出して、咥えた。そして、ラークを咥えたまま、頼太の方に顔を近づけると、頼太はライターで火をつけてくれた。軽く吸い込むと、冬の新鮮で冷たい空気と、香りが一緒に広がった。そして、右手の人差し指と、中指で挟んだラークをそっと口元から離し、小さく息を吐くと、白い煙が踊り場いっぱいに広がった。

「悪い子だね。優璃(ゆり)」
「お互いだよ」

 私がそう言い終わるのと合わせて、頭頂部に温かさを感じた。頼太の方を見ると、私は頼太にわしゃわしゃと頭を撫でられた。私は頼太にされるがままに頼太を見つめていた。横から見る頼太もシュッとしている。小ぶりだけど、筋が通っていて、存在感ある鼻から、小ぶりな唇、顎の輪郭まで全てが絶妙なバランスで、いつも見惚れてしまう。

 昼休み、たびたび頼太と一緒にタバコを吸うことになり、いつの間にか一緒に帰るようになった。そして、私がいつも学校帰りに使っていたこのビルの階段で頼太も一緒にタバコを吸うようになった。それが習慣になっただけだ。

 頭から、熱がすっと離れる。頼太はクールに目尻に皺を作りながら微笑んだ。右手でセブンスターを口元から離して、すっと長く息を吐いた。綺麗に几帳面に白い線がゆっくり唇の先から舞い上がった。そして、踊り場に置いていたアルミのポケット灰皿に灰を落とした。

「こないだの歌もよかったよ」
「ありがとう」
「すぐにバズったね」
「あぁ。みんなあんな感じの曲が好きなんだよ」

 頼太はそう言うと、また口元にセブンスターを持っていき、ゆっくり吸った。頼太の才能が羨ましかった。TikTokで有名になった彼の曲はどこか寂しくて、切ないメロディだった。地声で歌わず、高めの鼻に少しだけかかったミックスボイスが曲のセンチメンタルな感じをより引き立てていた。

「なあ。優璃」
「なに?」

 そう返事をしたあと、ラークを弱く吸い込み、すっと吐いた。そして、頼太の方を向くと頼太は真っ直ぐ前を見たまま、口元から離したセブンスターの先端を見つめているように見えた。頼太から次の言葉はまだなかった。だけど、何か言いたげな表情に見えたから、私は少しだけ次の言葉を待つことにした。 

「――もうすぐ、この街から出なくちゃならなくなった」
「そうなんだ」

 別に不自然な話じゃない。私たちはあと数ヶ月もしないうちに高校生が終わるんだから、どこかに出ていくことなんて普通だ。だから、別にそんなことで言葉に詰まる意味がいまいちわからなかった。

「どこかの大学、推薦出してたの?」
「いや、違うよ」

 頼太は私の方を向き、穏やかに微笑んだ。なんで、そんな表情しているの? って言いたくなったけど、水を差すことになりそうだから、やめておいた。

「会社から、声かかった」
「会社?」

 私は会社という言葉が予想外でよくわからなかった。

「え、就職?」
「バカだな。優璃は。レコード会社と契約することになった」

 思わず、右手に持っているラークを落としそうになった。ってことは――。

「メジャーデビューだってさ。それで上京することにした」
「えー、すごいね! おめでとう」

 私はラークを一気に吸い込んだあと、自分のポケット灰皿に吸い終わったラークを入れたあと、頼太に抱きついた。

「バカ。いきなり抱きつかれたら、灰、落ちるだろ」

 頼太はそう言い終わったあと、セブンスターを灰皿に入れ、私の背中に両手を回した。そして、お互いにくっついたまま、本降りになり始めた雪を眺めた。通りすぎる車の音や、遠くで鳴っている救急車のサイレン、子どもたちの騒いでいる声をバックサウンドにしてしばらくの間、こうしていた。時間は無限に思えた。

「ねぇ、私のこと好き?」

 私はしばらく経ったあと、頼太に聞いた。 

「そんなの当たり前でしょ」

 頼太はそう言ったあと、セブンスターを口に咥え、火をつけた。そして、大きく吸いこんだあと、白く吐き出した。
2
 だけど、その約束は1年半くらいで終わった。

 高校を卒業したあと、頼太と私はそれぞれ別の街に住み、遠く離れることになった。頼太は上京し、私は北の果てにある大学に進学した。

 私は私なりに必死に過ごしたし、頼太にできるだけ連絡するようにした。そして、アルバイトをして、東京に居る頼太に会いに行くためにお金を貯めた。

 きっと、頼太は頼太なりに過ごしていたんだと思う。だから、連絡はすれ違い、連絡は途切れ、やがて関係性に意味を見出すことができなくなった。それは次の飛来地に行くことを諦め、留まることにした白鳥と飛んでいった白鳥との違いだと思う。頼太は私が想像できないようなメジャーな世界でとんでもない数の人たちに音楽を届けるように頑張っているのが簡単にわかった。

 たまに来る頼太からのメッセージは頼太のまま変わらなかった。高校生の時からタバコと酒を覚えて遊んでいる頼太、そのままだった。だけど、彼は着実に成功して行っているように見えた。テレビをつけたら、頼太の曲が流れていたり、スーパーやコンビニの有線でも彼の曲は流れている。

 そして、熱愛報道も簡単に知ることになった――。


3
 私はまだ、あの時の約束が無効になったことから立ち直れず、毎日、胸が痛んでいた。

 頼太に会うために始めたコンビニのアルバイトも今ではただ、惰性でやっているだけに過ぎなかった。そして、レジに立っているときに、彼の曲が店内に流れると、なんで私、こんなことしているんだろうと虚しさで嫌になった。そして、彼の切ない声と、失恋の内容の歌詞にものすごくムカついた。

 こんなに応援してたのに。落ち着いたら一緒にいたいって、ただ、思ってただけなのに。

 私はそんなモヤモヤした気持ちを晴らすこともできないまま、大学で身近な彼らと知り合い、身近な彼らと打ち解けようとした。だけど、すべて上手くいかなかった。

 頼太のように親密になりたいと思えるような人なんていなかったし、私は頼太に置いていかれたという苦い事実を受け入れることができなかった。

 私はこうして大学を卒業し、新卒で事務職に就いた。

4
 iPhoneを片手で操作しながら、駅から一人暮らしのアパートへ帰っている。毎日働いて、色んな人と話して、ひどく疲れる毎日だった。何年も同じことをして、気が休まらない休日を過ごし、あるはずもない出会いに淡い期待をした。就職をきっかけに始めた東京での一人暮らしはきつかった。仕事をする代わりに何かを失ったような気がした。

 夜の淵にローソンの牛乳瓶が白く濁っていた。

 ふと、あの日、あの灰色の階段に一緒に座った頼太のことを思い出した。残業が終わって、ヘトヘトな状態で家まで歩いる中でなんで頼太のことなんか思い出したんだろう。パンプスの裏は痛く、歩くのすら面倒だ。LINEを起動し、の友達リストから、頼太のアイコンを見つけ出した。

 頼太のアイコンはすでに知らない乳児の顔になっていた。

 思わず、私は立ち止まってしまった。急に私が立ち止まったからか、何人かの視線を感じた。去年、そういえば結婚報道があったのを思い出した。画面を見たまま、すっと息を吐いた。そのあとすぐにiPhoneがバイブレーションし、一番嬉しい人の名前の通知が表示された。

《24日、ご飯食べに行こう。大事な話したい》

 なにか揺れたような気がしたけど、電柱も車も道路もなにも揺れていなかった。ただ、もうなにもかも、永遠に戻らないなって思った。