丹華はそのまま禁城の地下牢へ囚われた。
辺りにはひとつの明かりもなく、石床は氷のように冷たい。寒さが腹の赤子に影響しないかが気がかりで、丹華はできるだけ身体を冷やさないよう小さくうずくまって一夜を過ごした。
(この件には間違いなく皇太后さまが関与してる……。でも隆然の目の前でわたしを捕らえた以上、正式な手続きなく断罪することはできないはずよ)
握りしめた宝玉は、いまだ希望の色を宿して輝いていた。
事態は丹華の予想よりも早く動いた。翌朝に牢を出された丹華は、両手に枷をはめられた状態で禁城を連行される。たどり着いたのは正殿の謁見の間であった。
四方をぐるりと兵が固めた空間の最奥に、隆然が座っている。その出で立ちは昨日とは異なり十二旒の冕冠を被った正装。玉座の横にもうひとつ椅子が置かれており――そこに座すのが皇太后である。
さらにその脇に控える文官は大三司と称される司法官庁の長官たちだが、しっかりと顔を確認する前に丹華はその場に膝をつかされた。
後方から鎧甲の音がして、新たに誰かが連れてこられる。
「詩詩!」
兵に左右を挟まれるかたちで現れたのは詩詩だった。他にも何人かが兵に伴われて臨場し、その中には丹華と共謀したとされる李侍郎も含まれていた。
こうして、丹華を弾劾する場が整った。
「丹華長公主は工部侍郎の李氏と通じ、陛下の暗殺計画を企てておりました。こちらがその証拠――李氏の邸で見つかった長公主の文です」
官憲が証拠として提出したのは三通の文。大三司、皇太后と回覧され、最後に手にした隆然はかなりの時間をかけて検分した。
「これは間違いなく姉上の手跡なのか?」
「はい。六局の書工の調査により、すべて長公主の真筆だと認定されました」
「そんな……わたしにも確認させてください!」
隆然の権限で丹華にも閲覧が認められる。手枷をはめられたまま文を手に取った丹華は、一読するなりあまりの衝撃で立ち竦んだ。なぜならその文は、どれも間違いなく丹華が李侍郎へ送ったものだったから。
「これらはたしかにわたしが書いたものです……。――ですがそれは前半の部分だけで、後半は私の書ではありません!」
そう。文自体はたしかに丹華のもの。しかし余白だったはずの部分に覚えのない文章が書き加えられていたのだ。
――皇姉として生まれたこの身を恨みます。
――今すぐあなたの腕に抱かれたいのに、禁城の掟がそれを許さない。
――わたしを閉じ込める悪徒たちを消し去ってほしい。
思わずめまいを覚えるほどの情熱的な言葉の数々は、丹華の字をそっくり真似て書かれていた。暗殺について具体的な言及はないものの、後宮や皇帝に強い不満があったと取られかねない内容だ。
「わたしの文に、誰かが後から書き足しています!」
「そ、そんな!」
丹華の訴えに動揺したのは李侍郎だ。丹華と同じく手枷で拘束された両手を、がちゃがちゃと上下に揺さぶる。
「では、あの恋文は……私への愛と後宮への恨みを切々と綴っておられたあの文章は、丹華さまのものではないと!?」
ええ、と頷くと李侍郎は生気が抜けたようにへたり込んでしまった。
「わたしはいつも、書き上がった文は侍女の詩詩に預けていました」
丹華は詩詩をちらりと見やった。文は丹華の手を離れてから李侍郎が受け取るまでの間に細工されたはずだ。彼女を疑ってはいないが、順を追って文の行方を確認する必要がある。
「私は丹華さまから文を預かった後、そのまま心付けとともに後宮の門兵へ渡しております! 中を見たことすらありません!」
詩詩はよく通る声で「この人です!」と隣に立つ男を指さす。
「お、俺だってそのまま李侍郎へ渡したぞ!」
「それはおかしい! 私はいつも尚宮局を通じて文を受け取っていました!」
あわてて続けた門兵の証言を、今度は李侍郎が否定する。これでは堂々巡りだ。だが、ここではじめて「尚宮局」という後宮六局の名が飛び出した。
「尚宮局を取り仕切っているのは……母上、あなたです」
隆然が水を向けると、皇太后は余裕の表情で「ほほほ」と団扇を扇いだ。
「長公主の私的な文に尚宮局は関与せぬ。ただ、以前から丹華と李侍郎が密かにやり取りをしているという報告は上がっておった。それゆえ注視しておったが……まさか国家転覆を企てるとはのう」
おお恐ろしい、と眉をひそめて丹華を見下ろす。しかし団扇から覗く紅色の唇は微かに端が持ち上がっていた。
「先日、李侍郎と丹華長公主は大蓮池で長時間に渡ってなんらかの相談をしておりました。ふたりの親密な様子を何人もの女官や門兵が目撃しております」
「それは――!」
それは例の事件のことだ。官憲の発言に丹華はあわてて口を挟もうとしたが、兵に肩を押さえつけられ阻まれる。
「しかし、話し合いは決裂したとみられます。丹華長公主は怒りのあまり李氏を痛めつけて逃亡し、以降は香華宮に閉じこもったまま誰とも会おうとしないとのこと」
「李侍郎が手駒として不足であったから切り捨てたのかえ? ここ最近表に姿を見せなかったのは、おおかた新たな企てをしていたのであろう」
事実は巧妙に歪められ、丹華に不利に脚色されてゆく。状況証拠だけで断罪されかねない流れに丹華は焦りを感じた。壇上の隆然はやや考え込むようなそぶりを見せる。
「姉上、あなたが李侍郎と文を交わし、面会したのは事実なのですね?」
「はい……。ですがそれは、文にあるようにわたしの育てた麦を市井で増やせないかという相談のためです。主上を害そうなどと、そんな大それた企てはしていません!」
「しかし姉上。麦には――“麦秀の嘆”という符丁がある」
麦秀の嘆。それは「麦秀歌」という古い詩から生まれた成句だ。
古代、悪政を敷いた暴君がいた。その王朝は滅び、残った土地に茂る麦を詠んだ詩が麦秀歌だ。そこから「麦秀の嘆」とは、亡国と暗君を非難する意味を持つ。
「それは勘繰りすぎというものです! 麦はただの麦、何も裏の意味などありません!」
「ですが……。あなたの無実を証明する方法がない」
隆然も丹華を罪人と決めつけてはいない。しかし、この場の全員に丹華の無実を納得させるだけの手札がなかった。裁定者たる皇帝が黙り込んだので、しん、と空気が静まり返る。
そのうちしびれを切らしたのが皇太后だった。
「その歳まで後宮でぬくぬくと養われた恩を忘れ、皇帝を害そうなど言語道断! 鳳凰神もさぞやお怒りであろう。今すぐ首をはねよ!」
「わたしは罪なんて――きゃあっ!」
立ち上がろうとした丹華を左右から兵がねじ伏せた。床に押し付けられそうになって丹華はとっさに腹を庇う。そして、その時。
――誰が誰に怒っていると?
突然、丹華の身がまばゆく輝いた。いや、丹華の懐にしまわれていた赤い宝玉が輝いた。宝玉は光の塊となって頭上に浮かび、謁見の間を隅まで照らした。その鮮烈さに誰もが目を灼かれ――やがて光はひとりの男の姿を取る。
燦爛たる緋の衣。虹色の裳。金の髪を尾のように揺らめかす、鳳凰神・煌炎に。
「わが名を用いて私の番を貶めるなど、女――身の程を知れ」
宙に浮かぶ煌炎が、見た者すべてを戦慄させるほどの冷酷な瞳で皇太后を見下ろしていた。兵たちがあわてて槍を構えようとしたが、煌炎が片手をわずかに動かした途端、彼に刃を向けた者は一斉に足元から崩れ落ち昏倒してしまう。
「あ、あなた様は一体……」
「翺翔瑞君・煌炎。かつてお前の祖に導きを与えた鳳凰だ」
隆然の問いに静かな答え。光り輝く偉容、この場に満ちる圧倒的な神気。彼が神であることを疑う者はなかった。
全員が畏れのあまり金縛りのように固まったのを後目に、煌炎はふわりと優雅に地に降り立つ。彼が丹華の手を取ると、枷は光となって粉々に砕けた。
「待たせたね、丹華。私の愛しい番」
螺鈿の瞳が微笑む。それだけで丹華の不安や恐怖はいっぺんに吹き飛んだ。
お前に会えない一日が千年の苦厄のようだった――以前そう言った煌炎の気持ちが、今ならわかる。万感の思いで緋色の胸に飛び込んだ。
「煌炎さま、お会いしたかった……! 今まで一体どちらに?」
「この国の現状を隅から隅まで見てきたのだ。丹華――お前が主張したように、この国が生かす価値のあるものなのかどうかを見極めるために」
そうだった。煌炎の心証次第で緋祥国は灰塵にされてしまうかもしれないのだ。丹華は思わず固唾を呑む。
恐る恐る「それで、いかがでしたか……?」と問うと、偉大な鳳凰神はふにゃりと子供のように眉根を下げた。
「うん……まあ、やはり直接顔を見ると情が湧くものだね。寒さに耐える姿が忍びなくて、少し恵みを分け与えてきた」
だからこの冬も問題なく越すことができるだろう。
そう告げられて丹華の胸はいっぱいになった。ああ、やはりこの神は誰よりも愛情深いのだ――と。
「この国を見捨てないでくださってありがとうございます。きっと民も――」
「だが、この者らは別だ」
声の持つ温度が急激に下がった。丹華がハッとして彼の視線の先をうかがうと、煌炎はまっすぐ壇上の隆然たちを見ていた。
「民をないがしろにし放蕩を重ね、さらに私の番を傷付けた。――燃やす」
淡々とした口調の中に彼の本気を感じ取って丹華はあわてた。
「待って、待ってください! 民を顧みなかった罪はわたしにもあります! それならば私も裁かれなければなりません!」
「では、お前を陥れ傷付けた罪はどう償わせる?」
「わたしを陥れたのは誰なのか……それを知るためにはまず、わたしの身の潔白を証明する必要があります」
丹華は煌炎の腕の中から離れ、ぐるりと周囲を見渡した。
「この中の誰かが嘘をついています。誰かが真実を捻じ曲げようとしているのです」
「ならば私が愚か者を炙り出してやろう」
煌炎が右腕を前にかざした。天井に向け手のひらを開くと、その手の内に輝く炎が生まれる。
「この場で証言した者は、もう一度同じことを私の前で、私の手を取って述べてみせろ。――ただし。嘘をついた者は鳳凰神の炎に身を焼かれる」
かたちの良い口がにやりと持ち上がる。煌炎の手の中で燃える炎は、彼の瞳と同じ幻想的な色彩で揺らめいていた。
「わっ、私は怖くありません! さっきから本当のことしか言ってませんからね!」
皆が畏怖に言葉を失う中、ただひとり詩詩だけが勇敢だった。煌炎の前へ進み出て、迷わず己の左手を炎の上に乗せる。
「私は丹華さまが幼い頃からお仕えし、ずっと丹華さまのお幸せを願ってきました」
詩詩の声は堂々としていて、神の審判を待つまでもなく真実を述べているのだと丹華にはわかった。
「私は丹華さまからお預かりした文を、毎回必ずそこの門兵へ渡していました。いくばくかの駄賃を渡し、直接李氏に届けるよう念押しして」
炎は詩詩の手首までを包んでいたが、ただ静かに輝くだけで燃え広がる気配はない。熱すら持ってないようだった。詩詩は宣言通り、はじめから真実だけを述べていたのだ。
詩詩の様子を見て覚悟が決まったのか、次に前へ飛び出してきたのは李侍郎だった。両手を枷ごと煌炎の手に乗せる。
「私は……っ、いつも尚宮局の女官から丹華さまの文を受け取っていました! 丹華さまが切々と恋情を訴える文に心動かされ、い、いつしか邪な想いを抱くようになり……!」
煌炎が塵くずを見るような目で李侍郎を見た。李侍郎は恐怖に顔を引きつらせ、それでも懸命にすべてを吐露する。
「あの時は心の底から、丹華さまをお救いするためにはああするしかないと信じていたのです! いつも手紙を橋渡ししてくれていた女官が、私の恋慕を憐れんで媚薬を融通してくれて……。あ、も、もちろん皇帝陛下の暗殺など考えたことも計画したこともございません!」
ふひゅー、ふひゅーと荒い呼吸をする李侍郎に対し、煌炎の炎は最後まで沈黙を守った。――つまり、一連の行動の善悪はともかく彼は嘘をついていない。
煌炎が「この男、燃やしてもいいか?」と言いたげな顔で丹華を見てきたので、丹華はぶんぶんと首を左右に振った。
「彼のことは、許せません……。それでも罰するなら人間の手で、法の判断に委ねたいのです」
「丹華さま……!」
思わぬ温情をかけられ、李侍郎はまるで仙女を崇めるような目で丹華を見た。だが次の瞬間、ドムッと鈍い音がして煌炎の足が太鼓腹のみぞおちにめり込む。
「手が滑った」
李侍郎が泡を吹いてその場に倒れた。しれっと私刑を加えた神に対し、「いえそれは足です」とは誰もつっこまなかった。
「さて。次はお前か?」
詩詩と李侍郎のふたりは真実を話していた。なら、嘘をついているのは――。
煌炎が燃える右手を差し出したのは、詩詩から文を預かっていたという門兵の男だった。男はしばらく拳を握ったままうつむいていたが――ある瞬間、がばりと地に伏せたかと思うと涙ながらに叫び出す。
「ゆっ、許してくれぇっ! 俺は尚宮局から命じられていただけなんだ! 丹華長公主から手紙を預かったら渡せって! 理由なんか知らねえ!」
男は床に額を擦りつけ、お助けください、お助けくださいと繰り返した。
「でしたら、わたしの手紙は尚宮局から李侍郎の手に渡る間に細工されていたということだわ!」
皆の視線が一斉に、六局の主である皇太后に集まった。
「ふん、馬鹿馬鹿しい! 近ごろ後宮内で風紀の乱れが目立つゆえ、外へ出る文を抜き打ちで検閲しておっただけ! だいたいそなたの文が後から書き加えられたという証拠は! どこからどう見ても、最初から最後まで同じ者の手で書かれておろうが!」
「……たしかに、手跡からは複数の者が書いたとは判別できません」
隆然が努めて冷静につぶやいた。たとえ神の前であっても忖度しない義弟の姿勢に、丹華は素直に感心した。しかしこのままでは丹華の疑いは晴れないまま。
(どうしよう……どうすればいいの……?)
丹華は必死に考えた。何か自分と他人の筆の違いを明らかにする方法はないか。この文を書いた時のことを一から順に思い出し――。
「そ、そうよ墨……墨だわ!」
見えたのはひとつの光明。丹華は手を打った。
「皇太后さまは、墨の原料が何かをご存じですか?」
皇太后は答えない。代わりに隆然が口を開いた。
「――煤と、膠です」
「ええ、そうです。墨は油を燃やした煤と、膠を練って作るんですって。お恥ずかしながら、香華宮はいつも墨不足で……。だから文を書く際はその、自分で墨に煤と水を足して嵩増ししていたのです」
「墨? 各宮に毎年十分な量が支給されているはずでは?」
隆然は知らないのだ。皇太后の差し金で、香華宮にはろくな支給品すら回ってこないことを。
「煤は掃除をしていたら出てくるでしょう? だからわたしはいつもそれを墨に……ね? 詩詩」
「はい。丹華さまは自ら竈の掃除をなさり、集めた煤を墨に混ぜ……ううっ、思い出すとおいたわしくて涙が」
「ですから、わたしの真筆と後から書き足された部分では用いられている墨の質が異なるはずなのです」
丹華の証言を受け、隆然は文のひとつにまじまじと顔を近付けた。
「墨の色や濃さが違うようには見えませんが……」
「でも……ほら!」
丹華は手にした一通を広げ、天にかざした。
「私の墨は嵩増しした分、膠の比率が少ないのよ! だから光にかざすと輝きが違うわ!」
隆然は瞠目した。たしかにこうやって光に当てると、丹華の筆のほとんどはただの漆黒なのに対し、後半の数行だけ明らかに墨色に艶がある。良質な膠を多く含んでいる証拠だった。
「母上……説明していただけますか?」
「妾は知らぬ! お、おおかた尚宮局の者が勝手に―――ぎゃああああああああ!!」
突然、炎が上がった。皇太后の全身をほとばしる光焔が包んだ。
「熱い、熱い! 燃えてしまう!」
「言っただろう。嘘をついた者は焼かれると」
煌炎の声は恐ろしく冷たかった。皇太后は椅子から転げ落ち灼熱の責め苦にのたうち回る。その炎は床も服も焦がすことなくただ皇太后の悪意だけを焼き尽くし、彼女の叫びが途切れたころに、霞となって消えた。
「母上、なぜこのようなことを……」
「何を言う……、隆然、すべてはそなたのためぞ……! 近ごろ民が騒がしいのを黙らせる必要がある。長公主を吊るし上げ、すべての贅沢はこの者のせいにしてしまえばいい!」
床に倒れ髪を乱し、それでもなお怨嗟をまき散らす母親を隆然は悲しみの目で見た。
「そんなことをしても、民の不満の矛先を逸らすことはできません」
「母を愚弄するか! 妾がこれまで、そなたを帝位につけるためにどれほどの犠牲を払ってきたか……、なぜわからぬ、妾の――子を想う母の愛が!」
「わからないわ!」
叫んだのは丹華だった。
丹華は泣いていた。両の目から、ぼろぼろと珠のような涙を零して。
「わからないわ、誰かの犠牲の上に成り立つ愛なんて。でも……でも!」
己の腹に手を当て、ぐっとまなじりに力を込める。
「子を想う母の気持ちがどれほど深く大きいのか、少しだけ知ったのです。だから、もしあなたがわが子を想う気持ちが本物なら――」
――これ以上、隆然が民から暗愚と蔑まれるような真似をしないでほしい。
皇太后の目がハッと見開かれた。その瞬間、憑き物が落ちたように彼女の毒心が瓦解してゆくのが見えた。
「皇太后・呉慧蝶。――あなたを冷宮へ幽閉する」
隆然が粛として告げた。倒れたままの兵の代わりに、大三司が彼女を立たせ、連れてゆく。丹華はその後ろ姿を、抱きしめる煌炎の腕の中から見ていた。
少しの沈黙の後、隆然は玉座を離れた。そのまま丹華たちの前まで下りてきて、煌炎の前に跪く。
「鳳凰神。この国の窮状は、すべて皇帝である僕の不始末によるもの。もしも罰を下すのなら、僕ひとりが受けます」
「そうだな。お前は罰を受けるべきだ」
煌炎はあっさりと隆然の言葉を肯定する。丹華がその顔を見上げると――彼の表情は、柔らかな慈愛に満ちていた。
「お前の罰は、これから死ぬまで私心を捨てて民に尽くすこと。お前がこの約束を違えぬかどうか、私が見ていてやろう」
隆然は目元を潤ませながらも、凛々しい顔でしかと頷く。
こうして、緋祥国と鳳凰の間に新たな誓約が交わされたのだった。
辺りにはひとつの明かりもなく、石床は氷のように冷たい。寒さが腹の赤子に影響しないかが気がかりで、丹華はできるだけ身体を冷やさないよう小さくうずくまって一夜を過ごした。
(この件には間違いなく皇太后さまが関与してる……。でも隆然の目の前でわたしを捕らえた以上、正式な手続きなく断罪することはできないはずよ)
握りしめた宝玉は、いまだ希望の色を宿して輝いていた。
事態は丹華の予想よりも早く動いた。翌朝に牢を出された丹華は、両手に枷をはめられた状態で禁城を連行される。たどり着いたのは正殿の謁見の間であった。
四方をぐるりと兵が固めた空間の最奥に、隆然が座っている。その出で立ちは昨日とは異なり十二旒の冕冠を被った正装。玉座の横にもうひとつ椅子が置かれており――そこに座すのが皇太后である。
さらにその脇に控える文官は大三司と称される司法官庁の長官たちだが、しっかりと顔を確認する前に丹華はその場に膝をつかされた。
後方から鎧甲の音がして、新たに誰かが連れてこられる。
「詩詩!」
兵に左右を挟まれるかたちで現れたのは詩詩だった。他にも何人かが兵に伴われて臨場し、その中には丹華と共謀したとされる李侍郎も含まれていた。
こうして、丹華を弾劾する場が整った。
「丹華長公主は工部侍郎の李氏と通じ、陛下の暗殺計画を企てておりました。こちらがその証拠――李氏の邸で見つかった長公主の文です」
官憲が証拠として提出したのは三通の文。大三司、皇太后と回覧され、最後に手にした隆然はかなりの時間をかけて検分した。
「これは間違いなく姉上の手跡なのか?」
「はい。六局の書工の調査により、すべて長公主の真筆だと認定されました」
「そんな……わたしにも確認させてください!」
隆然の権限で丹華にも閲覧が認められる。手枷をはめられたまま文を手に取った丹華は、一読するなりあまりの衝撃で立ち竦んだ。なぜならその文は、どれも間違いなく丹華が李侍郎へ送ったものだったから。
「これらはたしかにわたしが書いたものです……。――ですがそれは前半の部分だけで、後半は私の書ではありません!」
そう。文自体はたしかに丹華のもの。しかし余白だったはずの部分に覚えのない文章が書き加えられていたのだ。
――皇姉として生まれたこの身を恨みます。
――今すぐあなたの腕に抱かれたいのに、禁城の掟がそれを許さない。
――わたしを閉じ込める悪徒たちを消し去ってほしい。
思わずめまいを覚えるほどの情熱的な言葉の数々は、丹華の字をそっくり真似て書かれていた。暗殺について具体的な言及はないものの、後宮や皇帝に強い不満があったと取られかねない内容だ。
「わたしの文に、誰かが後から書き足しています!」
「そ、そんな!」
丹華の訴えに動揺したのは李侍郎だ。丹華と同じく手枷で拘束された両手を、がちゃがちゃと上下に揺さぶる。
「では、あの恋文は……私への愛と後宮への恨みを切々と綴っておられたあの文章は、丹華さまのものではないと!?」
ええ、と頷くと李侍郎は生気が抜けたようにへたり込んでしまった。
「わたしはいつも、書き上がった文は侍女の詩詩に預けていました」
丹華は詩詩をちらりと見やった。文は丹華の手を離れてから李侍郎が受け取るまでの間に細工されたはずだ。彼女を疑ってはいないが、順を追って文の行方を確認する必要がある。
「私は丹華さまから文を預かった後、そのまま心付けとともに後宮の門兵へ渡しております! 中を見たことすらありません!」
詩詩はよく通る声で「この人です!」と隣に立つ男を指さす。
「お、俺だってそのまま李侍郎へ渡したぞ!」
「それはおかしい! 私はいつも尚宮局を通じて文を受け取っていました!」
あわてて続けた門兵の証言を、今度は李侍郎が否定する。これでは堂々巡りだ。だが、ここではじめて「尚宮局」という後宮六局の名が飛び出した。
「尚宮局を取り仕切っているのは……母上、あなたです」
隆然が水を向けると、皇太后は余裕の表情で「ほほほ」と団扇を扇いだ。
「長公主の私的な文に尚宮局は関与せぬ。ただ、以前から丹華と李侍郎が密かにやり取りをしているという報告は上がっておった。それゆえ注視しておったが……まさか国家転覆を企てるとはのう」
おお恐ろしい、と眉をひそめて丹華を見下ろす。しかし団扇から覗く紅色の唇は微かに端が持ち上がっていた。
「先日、李侍郎と丹華長公主は大蓮池で長時間に渡ってなんらかの相談をしておりました。ふたりの親密な様子を何人もの女官や門兵が目撃しております」
「それは――!」
それは例の事件のことだ。官憲の発言に丹華はあわてて口を挟もうとしたが、兵に肩を押さえつけられ阻まれる。
「しかし、話し合いは決裂したとみられます。丹華長公主は怒りのあまり李氏を痛めつけて逃亡し、以降は香華宮に閉じこもったまま誰とも会おうとしないとのこと」
「李侍郎が手駒として不足であったから切り捨てたのかえ? ここ最近表に姿を見せなかったのは、おおかた新たな企てをしていたのであろう」
事実は巧妙に歪められ、丹華に不利に脚色されてゆく。状況証拠だけで断罪されかねない流れに丹華は焦りを感じた。壇上の隆然はやや考え込むようなそぶりを見せる。
「姉上、あなたが李侍郎と文を交わし、面会したのは事実なのですね?」
「はい……。ですがそれは、文にあるようにわたしの育てた麦を市井で増やせないかという相談のためです。主上を害そうなどと、そんな大それた企てはしていません!」
「しかし姉上。麦には――“麦秀の嘆”という符丁がある」
麦秀の嘆。それは「麦秀歌」という古い詩から生まれた成句だ。
古代、悪政を敷いた暴君がいた。その王朝は滅び、残った土地に茂る麦を詠んだ詩が麦秀歌だ。そこから「麦秀の嘆」とは、亡国と暗君を非難する意味を持つ。
「それは勘繰りすぎというものです! 麦はただの麦、何も裏の意味などありません!」
「ですが……。あなたの無実を証明する方法がない」
隆然も丹華を罪人と決めつけてはいない。しかし、この場の全員に丹華の無実を納得させるだけの手札がなかった。裁定者たる皇帝が黙り込んだので、しん、と空気が静まり返る。
そのうちしびれを切らしたのが皇太后だった。
「その歳まで後宮でぬくぬくと養われた恩を忘れ、皇帝を害そうなど言語道断! 鳳凰神もさぞやお怒りであろう。今すぐ首をはねよ!」
「わたしは罪なんて――きゃあっ!」
立ち上がろうとした丹華を左右から兵がねじ伏せた。床に押し付けられそうになって丹華はとっさに腹を庇う。そして、その時。
――誰が誰に怒っていると?
突然、丹華の身がまばゆく輝いた。いや、丹華の懐にしまわれていた赤い宝玉が輝いた。宝玉は光の塊となって頭上に浮かび、謁見の間を隅まで照らした。その鮮烈さに誰もが目を灼かれ――やがて光はひとりの男の姿を取る。
燦爛たる緋の衣。虹色の裳。金の髪を尾のように揺らめかす、鳳凰神・煌炎に。
「わが名を用いて私の番を貶めるなど、女――身の程を知れ」
宙に浮かぶ煌炎が、見た者すべてを戦慄させるほどの冷酷な瞳で皇太后を見下ろしていた。兵たちがあわてて槍を構えようとしたが、煌炎が片手をわずかに動かした途端、彼に刃を向けた者は一斉に足元から崩れ落ち昏倒してしまう。
「あ、あなた様は一体……」
「翺翔瑞君・煌炎。かつてお前の祖に導きを与えた鳳凰だ」
隆然の問いに静かな答え。光り輝く偉容、この場に満ちる圧倒的な神気。彼が神であることを疑う者はなかった。
全員が畏れのあまり金縛りのように固まったのを後目に、煌炎はふわりと優雅に地に降り立つ。彼が丹華の手を取ると、枷は光となって粉々に砕けた。
「待たせたね、丹華。私の愛しい番」
螺鈿の瞳が微笑む。それだけで丹華の不安や恐怖はいっぺんに吹き飛んだ。
お前に会えない一日が千年の苦厄のようだった――以前そう言った煌炎の気持ちが、今ならわかる。万感の思いで緋色の胸に飛び込んだ。
「煌炎さま、お会いしたかった……! 今まで一体どちらに?」
「この国の現状を隅から隅まで見てきたのだ。丹華――お前が主張したように、この国が生かす価値のあるものなのかどうかを見極めるために」
そうだった。煌炎の心証次第で緋祥国は灰塵にされてしまうかもしれないのだ。丹華は思わず固唾を呑む。
恐る恐る「それで、いかがでしたか……?」と問うと、偉大な鳳凰神はふにゃりと子供のように眉根を下げた。
「うん……まあ、やはり直接顔を見ると情が湧くものだね。寒さに耐える姿が忍びなくて、少し恵みを分け与えてきた」
だからこの冬も問題なく越すことができるだろう。
そう告げられて丹華の胸はいっぱいになった。ああ、やはりこの神は誰よりも愛情深いのだ――と。
「この国を見捨てないでくださってありがとうございます。きっと民も――」
「だが、この者らは別だ」
声の持つ温度が急激に下がった。丹華がハッとして彼の視線の先をうかがうと、煌炎はまっすぐ壇上の隆然たちを見ていた。
「民をないがしろにし放蕩を重ね、さらに私の番を傷付けた。――燃やす」
淡々とした口調の中に彼の本気を感じ取って丹華はあわてた。
「待って、待ってください! 民を顧みなかった罪はわたしにもあります! それならば私も裁かれなければなりません!」
「では、お前を陥れ傷付けた罪はどう償わせる?」
「わたしを陥れたのは誰なのか……それを知るためにはまず、わたしの身の潔白を証明する必要があります」
丹華は煌炎の腕の中から離れ、ぐるりと周囲を見渡した。
「この中の誰かが嘘をついています。誰かが真実を捻じ曲げようとしているのです」
「ならば私が愚か者を炙り出してやろう」
煌炎が右腕を前にかざした。天井に向け手のひらを開くと、その手の内に輝く炎が生まれる。
「この場で証言した者は、もう一度同じことを私の前で、私の手を取って述べてみせろ。――ただし。嘘をついた者は鳳凰神の炎に身を焼かれる」
かたちの良い口がにやりと持ち上がる。煌炎の手の中で燃える炎は、彼の瞳と同じ幻想的な色彩で揺らめいていた。
「わっ、私は怖くありません! さっきから本当のことしか言ってませんからね!」
皆が畏怖に言葉を失う中、ただひとり詩詩だけが勇敢だった。煌炎の前へ進み出て、迷わず己の左手を炎の上に乗せる。
「私は丹華さまが幼い頃からお仕えし、ずっと丹華さまのお幸せを願ってきました」
詩詩の声は堂々としていて、神の審判を待つまでもなく真実を述べているのだと丹華にはわかった。
「私は丹華さまからお預かりした文を、毎回必ずそこの門兵へ渡していました。いくばくかの駄賃を渡し、直接李氏に届けるよう念押しして」
炎は詩詩の手首までを包んでいたが、ただ静かに輝くだけで燃え広がる気配はない。熱すら持ってないようだった。詩詩は宣言通り、はじめから真実だけを述べていたのだ。
詩詩の様子を見て覚悟が決まったのか、次に前へ飛び出してきたのは李侍郎だった。両手を枷ごと煌炎の手に乗せる。
「私は……っ、いつも尚宮局の女官から丹華さまの文を受け取っていました! 丹華さまが切々と恋情を訴える文に心動かされ、い、いつしか邪な想いを抱くようになり……!」
煌炎が塵くずを見るような目で李侍郎を見た。李侍郎は恐怖に顔を引きつらせ、それでも懸命にすべてを吐露する。
「あの時は心の底から、丹華さまをお救いするためにはああするしかないと信じていたのです! いつも手紙を橋渡ししてくれていた女官が、私の恋慕を憐れんで媚薬を融通してくれて……。あ、も、もちろん皇帝陛下の暗殺など考えたことも計画したこともございません!」
ふひゅー、ふひゅーと荒い呼吸をする李侍郎に対し、煌炎の炎は最後まで沈黙を守った。――つまり、一連の行動の善悪はともかく彼は嘘をついていない。
煌炎が「この男、燃やしてもいいか?」と言いたげな顔で丹華を見てきたので、丹華はぶんぶんと首を左右に振った。
「彼のことは、許せません……。それでも罰するなら人間の手で、法の判断に委ねたいのです」
「丹華さま……!」
思わぬ温情をかけられ、李侍郎はまるで仙女を崇めるような目で丹華を見た。だが次の瞬間、ドムッと鈍い音がして煌炎の足が太鼓腹のみぞおちにめり込む。
「手が滑った」
李侍郎が泡を吹いてその場に倒れた。しれっと私刑を加えた神に対し、「いえそれは足です」とは誰もつっこまなかった。
「さて。次はお前か?」
詩詩と李侍郎のふたりは真実を話していた。なら、嘘をついているのは――。
煌炎が燃える右手を差し出したのは、詩詩から文を預かっていたという門兵の男だった。男はしばらく拳を握ったままうつむいていたが――ある瞬間、がばりと地に伏せたかと思うと涙ながらに叫び出す。
「ゆっ、許してくれぇっ! 俺は尚宮局から命じられていただけなんだ! 丹華長公主から手紙を預かったら渡せって! 理由なんか知らねえ!」
男は床に額を擦りつけ、お助けください、お助けくださいと繰り返した。
「でしたら、わたしの手紙は尚宮局から李侍郎の手に渡る間に細工されていたということだわ!」
皆の視線が一斉に、六局の主である皇太后に集まった。
「ふん、馬鹿馬鹿しい! 近ごろ後宮内で風紀の乱れが目立つゆえ、外へ出る文を抜き打ちで検閲しておっただけ! だいたいそなたの文が後から書き加えられたという証拠は! どこからどう見ても、最初から最後まで同じ者の手で書かれておろうが!」
「……たしかに、手跡からは複数の者が書いたとは判別できません」
隆然が努めて冷静につぶやいた。たとえ神の前であっても忖度しない義弟の姿勢に、丹華は素直に感心した。しかしこのままでは丹華の疑いは晴れないまま。
(どうしよう……どうすればいいの……?)
丹華は必死に考えた。何か自分と他人の筆の違いを明らかにする方法はないか。この文を書いた時のことを一から順に思い出し――。
「そ、そうよ墨……墨だわ!」
見えたのはひとつの光明。丹華は手を打った。
「皇太后さまは、墨の原料が何かをご存じですか?」
皇太后は答えない。代わりに隆然が口を開いた。
「――煤と、膠です」
「ええ、そうです。墨は油を燃やした煤と、膠を練って作るんですって。お恥ずかしながら、香華宮はいつも墨不足で……。だから文を書く際はその、自分で墨に煤と水を足して嵩増ししていたのです」
「墨? 各宮に毎年十分な量が支給されているはずでは?」
隆然は知らないのだ。皇太后の差し金で、香華宮にはろくな支給品すら回ってこないことを。
「煤は掃除をしていたら出てくるでしょう? だからわたしはいつもそれを墨に……ね? 詩詩」
「はい。丹華さまは自ら竈の掃除をなさり、集めた煤を墨に混ぜ……ううっ、思い出すとおいたわしくて涙が」
「ですから、わたしの真筆と後から書き足された部分では用いられている墨の質が異なるはずなのです」
丹華の証言を受け、隆然は文のひとつにまじまじと顔を近付けた。
「墨の色や濃さが違うようには見えませんが……」
「でも……ほら!」
丹華は手にした一通を広げ、天にかざした。
「私の墨は嵩増しした分、膠の比率が少ないのよ! だから光にかざすと輝きが違うわ!」
隆然は瞠目した。たしかにこうやって光に当てると、丹華の筆のほとんどはただの漆黒なのに対し、後半の数行だけ明らかに墨色に艶がある。良質な膠を多く含んでいる証拠だった。
「母上……説明していただけますか?」
「妾は知らぬ! お、おおかた尚宮局の者が勝手に―――ぎゃああああああああ!!」
突然、炎が上がった。皇太后の全身をほとばしる光焔が包んだ。
「熱い、熱い! 燃えてしまう!」
「言っただろう。嘘をついた者は焼かれると」
煌炎の声は恐ろしく冷たかった。皇太后は椅子から転げ落ち灼熱の責め苦にのたうち回る。その炎は床も服も焦がすことなくただ皇太后の悪意だけを焼き尽くし、彼女の叫びが途切れたころに、霞となって消えた。
「母上、なぜこのようなことを……」
「何を言う……、隆然、すべてはそなたのためぞ……! 近ごろ民が騒がしいのを黙らせる必要がある。長公主を吊るし上げ、すべての贅沢はこの者のせいにしてしまえばいい!」
床に倒れ髪を乱し、それでもなお怨嗟をまき散らす母親を隆然は悲しみの目で見た。
「そんなことをしても、民の不満の矛先を逸らすことはできません」
「母を愚弄するか! 妾がこれまで、そなたを帝位につけるためにどれほどの犠牲を払ってきたか……、なぜわからぬ、妾の――子を想う母の愛が!」
「わからないわ!」
叫んだのは丹華だった。
丹華は泣いていた。両の目から、ぼろぼろと珠のような涙を零して。
「わからないわ、誰かの犠牲の上に成り立つ愛なんて。でも……でも!」
己の腹に手を当て、ぐっとまなじりに力を込める。
「子を想う母の気持ちがどれほど深く大きいのか、少しだけ知ったのです。だから、もしあなたがわが子を想う気持ちが本物なら――」
――これ以上、隆然が民から暗愚と蔑まれるような真似をしないでほしい。
皇太后の目がハッと見開かれた。その瞬間、憑き物が落ちたように彼女の毒心が瓦解してゆくのが見えた。
「皇太后・呉慧蝶。――あなたを冷宮へ幽閉する」
隆然が粛として告げた。倒れたままの兵の代わりに、大三司が彼女を立たせ、連れてゆく。丹華はその後ろ姿を、抱きしめる煌炎の腕の中から見ていた。
少しの沈黙の後、隆然は玉座を離れた。そのまま丹華たちの前まで下りてきて、煌炎の前に跪く。
「鳳凰神。この国の窮状は、すべて皇帝である僕の不始末によるもの。もしも罰を下すのなら、僕ひとりが受けます」
「そうだな。お前は罰を受けるべきだ」
煌炎はあっさりと隆然の言葉を肯定する。丹華がその顔を見上げると――彼の表情は、柔らかな慈愛に満ちていた。
「お前の罰は、これから死ぬまで私心を捨てて民に尽くすこと。お前がこの約束を違えぬかどうか、私が見ていてやろう」
隆然は目元を潤ませながらも、凛々しい顔でしかと頷く。
こうして、緋祥国と鳳凰の間に新たな誓約が交わされたのだった。