次の日の朝、まだ頭はふらふらするけど、これ以上休めばお母さん達に何かを言われるかもしれないから、必死に体を起こした。
──お腹は痛くない。
あるのはふらつき。貧血気味。
まだ、マシ……。

洗面台で身なりを整えていると、珍しくお兄ちゃんが学校の制服を着ていた。
それを見て、どうして壱成さんと同じ高校なのか分からなかった事に気づく。
お兄ちゃんはズボンの制服を着ているものの、上は白色のパーカーと学校の制服を着ていなかった。
思い返せば、お兄ちゃんは指定の制服を着ていない。パーカーやTシャツと普通の私服を着ている。
だけどお兄ちゃんとは違い壱成さんはカッターシャツや、学ランと指定の制服を着ていた。──だから同じ高校だと気づかなかったのかもしれない。


「大丈夫か?」

「うん、学校行くの?」

「壱成ってやつ、見つけてくる」


私のために、学校へ行くらしい。


「…ごめんなさい」

「伝言、もう会えないでいいのか?」

「うん」

「…分かった」

「…ごめんなさい……」


家を出て、学校へ行くまでの間、壱成さんと合うことは無かった。学校の中ではまだマシなものの、やっぱりふらふらと目眩がした。
それでもまだ歩けるから、授業を受けて──帰りも自分ひとりで帰ることが出来て。

4時半頃に帰ってくるお母さんはいない家は、とても気分的に楽だった。そんなリビングにいると、家に帰ってきていたらしいまだ制服姿のお兄ちゃんが2階から降りてきて。


「探してみた。壱成って名前のやつ、1人しか居なかったわ」


1人?
と、いうことは、お兄ちゃんが知っている壱成さんだったらしい。
お兄ちゃん曰く、〝怖い人〟。
〝優しい〟ではなく、〝怖い人〟。


「その人に、お前のこと、聞いてみた」


聞いてみた──……


「私を知ってるかって?」

「ああ、普通に。兄貴ですけどって」

「うん」

「つか、お前スマホは? 電源入ってないって言われたんだけど」

「お母さんが持ってる。もう番号も変えるらしいからこれから繋がらないと思う」

「は?」

「……壱成さん、なんて?」

「…やっぱ、佳乃のこと知ってた。だから会えないって、言っといた」


──会えない。


「そっか、」

「壱成さん、お前のこと体調が悪いのかって、」

「なんて答えたの?」

「答えてない」

「壱成さん、怒ってた…?」

「いや、怒ってはなかった、怖かったけど」


怖かった……。


「私、壱成さんとの約束破ったの。親しくなりたいって言われて、うん、って、言ったのに…。私がもっと壱成さんと会話をしたいって言ったんだよ」

「……」

「お兄ちゃん、壱成さんは優しいよ」

「……」

「だって約束をやぶれば、普通は怒るはずだもの」

「……いつから、」

「え?」

「いつから知りあいなんだ?」


いつから────


「この前の、雨が降った日から知り合いだよ」

「雨?」

「壱成さんがね、忘れ物をした私を走って追いかけてくれたんだ」

「……」

「優しいの……何度も助けてくれたの」

「好きなのか?」


お兄ちゃんの言葉に、心が動き。
唇を噛みしめそうになったのを堪えた。
それでも頑張って、笑った顔を作る。
作り笑い。
本当に泣きそうで。
唇を噛みしめると、泣き出してしまいそうで。

好き、
好き、

この会いたいという気持ちが、恋愛感情から来るのならば、お兄ちゃんの質問の返事は1つしかない。
いつから?と聞かれても分からない。
気がつけば好きになっていた。
本で読んだことがある。
恋というのは、いつのまにか起こっているものだと。


「……言わないよ、だってもう、言っても無駄でしょう」

「……」

「もう会わないんだから。──着替えてくるね」


お兄ちゃんに笑った顔を向けて、私はリビングから出た。何かを言いたげなお兄ちゃんを無視して、自室に篭もる。
自室の机の引き出しを開ければ、そこには壱成さんがプレゼントしてくれた花柄の紙の袋があって。
泣きそうになりながら、その袋をあけ、壱成さんからの手紙を見つめる。
壱成さんの字は、角張っているというか、達筆というか、汚くはない男性特有の字だった。


〝佳乃へ
お菓子美味しかった、ありがとう〟


その文字を指でなぞる。
なんでなの。
なんで私だけ、こうなの。
どうして私は壱成さんと会ってはいけないの。
どうして。
なんで。
どうして。
どうして私は────
必死に涙を堪えた。
これ以上手紙を見ると泣きそうだったから、引き出しの中に手紙とプレゼントを閉じ込めた。


必死に我慢した。
我慢、したのに。


──その日から2日後の夜、お父さんから見せられたその紙の束に、涙を堪えるのができなかった。
〝報告書〟と表紙には書かれている。
きっと、お父さんが探偵か興信所に調べさせたのだろう。──壱成さんのことを。


「見なさい、佳乃。佳乃に関わってきたやつはとんでもない男だ。人様に迷惑をかける……佳乃とは住む世界が違う男だ」


どうやって調べたの……。
スマホの番号から?


「アイツと同じ学校で……、まさかアイツが仲を取り持ったんじゃないだろうな?」

「違うよお兄ちゃんじゃない……、お兄ちゃんは何も知らない」

「本当のことを言うんだ」

「お兄ちゃんは知らない……同じ高校なのは偶然だよ」

「佳乃、いいか? この男は暴走族に入ってる。しかもその中の総長という位置にいる。この事がどれだけの問題か分かるか?」


暴走族……総長……。
私は知らない。
何も知らない。
私が知っているのは、優しい壱成さんだけだもの。
どうしてこんなものを調べるの……。壱成さんに対して失礼だとは思わないの……?
私はもう会わないって決めたのに。


「この報告書は全部じゃない。この3日間の報告書だけでこれだけの悪事が書かれている。佳乃がしたことは分かるか?毎晩電話なんか、……──分かるかと聞いているんだ!!!」


お父さんの怒鳴り声と共に、お父さんが机の殴ったせいで、とても大きな音がして。


「もう関わらないよ…、」


そう言った私の声も震えてる。


「佳乃は同意だったのか?付きまとわれていたのか?」

「……同意、だよ。もう関わらない、……ごめんなさい……」

「同意?誑かされたか?やっぱり圭加か?」

「お兄ちゃんは知らない……、誑かされたりもしてない……」

「──佳乃ッ!!!」


お父さんが、また怒鳴り声を出して、報告書を私に向け、1ページ捲った。
そこには壱成さんの個人情報がたくさん書かれてあった。年齢も、高校名も、──私の知らない壱成さんが、書かれている。


「自分の口で読みなさい、1字1句間違えず。1行目の〝立花たちばな壱成についての報告書〟から」


読めるわけない──
読めるはずない。
何も言わない私に向かって、お父さんの手が振り上げられるのが分かった。
──頬に鋭い衝撃が走り、痛みが広がっていく。


「……ほんとに、関わらないから……」

「読みなさい」

「読め、ません」

「読みなさい」

「ごめんなさい……もうしない、もうしないから……ごめんなさい……」

「佳乃、これは佳乃の将来のためなんだ」

「読めません……ごめんなさい……」

「佳乃」

「もうしません……しませんから……」


ぽたぽたと、悲しみと悔しみで涙を流している最中、「これは佳乃のためなんだ」という声が聞こたような気がした。