花乙女は愛に咲く【他サイトでジャンル別ランキング1位!】

「……驚いたな……。……僕の心は、本当は生きていたのか……?」

どういう、ことだろう? 
でも彼が呆けている様子だったから、聞かない方が良いのかと思って黙っていた。
少し黙っていると、彼がふっ、と息を漏らした。

「君と話をしていると、僕の心にも血が通っていたのではないかという気持ちになるな……。不思議だよ、君という存在が……」

彼の言う気持ちが、リンファスにも少しわかる。

ウエルトの村では気持ちを無にして働いていた。売り上げが少なくてファトマルにぶたれたことも、食事を摂らせてもらえなかったことも、村人から冷たい言葉を掛けられた時も、彼らに何かを思うのではなく、自分に非があるからと、それ以上考えないようにして来た。
非があってもリンファスに改善する手立てがなかったからだ。ひたすら働いて何も考えずに毎日を過ごしていた。

インタルに来て、リンファスは自分に対する感情や、寄せられる思いを知った。
それはウエルトの村に居る時よりもリンファスの心をあたたかくして、リンファスは初めて人に対して感情を持った。彼も同じなのかもしれない、と思った。

「あの……、差し出がましいことを申し上げたらすみません……。
私の友人が……『人と話さなければ、自分のことを分かってももらえない』と言っていました。
私は……、インタルに来るまで心の底から人と話したことがありませんでした……。彼女は私と話をしたことで、私に『友情』の花をくれたんです。
だから……、今、貴方と少しお話をしたことで……、貴方が私に花を咲かせてくれたのなら……、それは……、私が貴方に示せる貴方の感情として、喜んでいただけることなのではないでしょうか……」

花は贈り主の感情の表れだから……、リンファスがプルネルに贈ってもらったような感情が溢れた結果この花が咲いたのなら、プルネルが喜んでくれたように、彼も喜んではくれないだろうか……。

彼はリンファスに最初にくれた花を『憐み』だと言っていたから、リンファスのことを厭っていて、そのリンファスに花が咲いても嬉しくないかもしれない。
おどおどしながら彼に自分なりの考えを述べてみると、彼はやはり闇の空気を震わせるようにふっと笑った。
「……成程……。僕は君という『鏡』を通して自らを見ていることになるのか……。
だとしたら僕は認めざるを得ないのだろうな、僕が君にこの花を咲かせた理由を」

もしかして、認めたくなかったのだろうか。
確かにリンファスは他の花乙女と違ってやせぎすでみっともないし、器量よしという訳でもない。不本意を感じる彼の気持ちも分かる。

「あ……、わ、私が、貴方がこの花を贈るに相応しくない人間だということは、私が一番よく知っています。
ご不快になられるようでしたら、もう二度と貴方の前に姿を現しません」

そう言って握られていた手を引こうとした。しかし、彼は逆にリンファスの手をぎゅっと握った。

「すまない……、そう言うことではないんだ。
ただ僕は……、……八歳の時から時が止まっていた。……見るもの聞くもの、全てに裏を探して見つけていた。君のように……、裏表がない人に出会ったのは初めてだったんだ……」

ぱちり、と。今度はリンファスが瞬きをする番だった。
じゃあ……、彼はリンファスのことを厭っていたのでは、……ない?

「人に……、裏表があるとお思いだったから、ルドヴィックが私を裏切ると思われたのですか……?」

「端的に言うと、そうだ」

なんだ、そうだったのか。そう分かれば断言できることがある。

「そうだったんですか……。貴方もやさしい方なのですね……、プルネルと同じように」

「人の言動に、裏を探すような人間が、やさしいだって……?」

「……はい、おやさしいと思います。ルドヴィックの事、私を、心配してくださったのですよね?」

この人は、悪い人ではない。そう感じたリンファスが、口許に笑みを浮かべながら述べた言葉に、彼は黙りこくってしまった。
なにか見当違いのことを言ってしまっただろうか。そう思っていると、ひどく言いにくそうに彼は口を覆った。

「……いや、違う……。……僕は、あの男を妬ましく思ったんだ……。明かりの元で君と踊れる、あの男を……。だから彼を卑下するようなことを言った。君が言うような、綺麗な感情からではない」

「……ねたましい……?」

どういうことだろう。リンファスが首を傾げていると、分からないなら分からなくても良い、と言われた。

「実は僕にも何故そんなことを思ったのかが分からないんだ。だから君だけが知ることには少し抵抗がある」

「そうなのですね、では私も考えません」

安心した。難しいことを考えるのは苦手だからだ。
働くことは明快に答えが出て好きだが、人と話すことはまだ慣れていないこともあって、彼が言う裏表だって分かっていない。ほっと胸を撫で下ろしたリンファスに、彼は仕事のことを問うてきた。
「君は、今でも宿舎の雑務をしているみたいだね」

「あ、はい。何故ご存じなのですか?」

「僕たちの宿舎は隣の敷地にあるだろう。二階の窓からは壁に邪魔されない範囲で、廊下の様子が見てとれる。君が窓を拭いたりモップで床を磨いたりしているのを知っているよ」

そうなのか。ではバタバタと落ち着かない様子も見られていたりするのか。
リンファスが恥じ入っていると、夜も仕事なの? と聞かれた。

「夜は皆さんがお食事をなさった後に、食堂の片づけと掃除をしています。食器は、最近ケイトさんが洗ってくださって……」

「もともとはケイトの仕事だろう? 夜だし、休むことは出来ない?」

休むとケイトの仕事が増えてしまう。そう思うと毎日じゃないさ、と彼は言った。

「たまになら良いだろう? ケイトには僕からも手紙を書いておく。君、王都の野外音楽堂には行ったことはある?」

「な……、ない、です……」

「いいね。
君、舞踏会に慣れていないようだから、見世物として音楽とダンスを楽しめそうな場所に行ってみないかい? 
施設が野外でね、楽団と劇団が入って音楽と華やかなショーダンスを踊る。雰囲気も開放的だから、君に合うと思うよ」

えっ、急に何を言うのだろう……。
大体リンファスは仕事をしていないと落ち着かないし、誘われて行って失礼をしたら大変だ。
それに、口調や仕草からこの人はリンファスのような粗末な村の人間ではないと分かる。そんな人がリンファスを連れて行って、何が楽しいのだろう。

彼の口調が砕けてきていることに、リンファスは気づけなかった。

「わ……っ、私、……れ、礼儀も良く知りませんし、あの……」

「此処に来るより、よっぽど礼儀なんて必要ないよ」

「で、でも、私をお連れになって、私が貴方を楽しませられる自信がありません……」

不安でそう言うと彼は、ははっと今度は明るく笑った。

「僕を楽しませようなんてこと、考えなくて良いんだよ。
僕は単純に、君が僕に与えてくれる変化を知りたいんだ。
君が僕に示してくれる僕の感情の証として君の身に何が起こるのか、それが気になるのさ」

……分かるような、分からないような……。リンファスが困っていると、彼はリンファスを呼んだ。

「リンファス、……だったね、君の名は。名乗っていなかったが、僕はロレシオだ。
リンファス。今夜僕は、君のおかげで二度目の誕生の日を迎えたみたいに清々しいんだ。どうか、この誘いを断らないで欲しい」

握られたままの手が、更にぎゅっと握られる。伝わるぬくもりに嫌と言えなくて、最終的にリンファスはこくりと頷いた。



その夜、リンファスはケイトに呼ばれて寮母室へ行った。
ケイトは椅子に座っていて、テーブルには手紙が二通乗せられていた。そのうち一通は開封されており、ケイトの目の前に広げられていた。
ケイトは部屋に入ってきたリンファスを向かいの席に促すと、手紙について教えてくれた。

「今日、あたしとあんたに届いた手紙だ。
あたしにはあんたを今度の土曜日の夜に誘いたいから仕事を休ませてやって欲しいと言ってきている。
あんたがやってくれている仕事はもともとあたしの仕事だし、あんたが人と交流を持つのは良いことだと思ってるから、あんたが嫌じゃなきゃ行っといで」

そう言ってケイトはリンファス宛だという手紙を手渡してきた。しかし、リンファスはお金の勘定は出来るが文字は読めない。

「ケイトさん……、私、字が読めないんです。良かったら、読んで頂けませんか?」

リンファスとがそう言うと、ケイトはそう言うことなら、とリンファスの目の前で封を開けた。

「じゃあ、読むよ。
『リンファス、この前の約束を覚えているだろうか。今度の土曜日の夜六時に、角の楡の木の所で待っている。R.』
……『R』ってのは名前かね? リンファス、心当たりあるかい?」

さっきも言ったが、リンファスには文字が読めない。アルファベットも知らないのだ。

「『R』は、舌を上の歯のつけ根にくっつけた状態で、声を出す名前の頭の文字だ。
『Ra』、『Ri』、『Ry』、『Re』、『Ru』、『Ro』、とかの発音だね」

ケイトが発音してくれたおかげで、差出人は確認できた。ロレシオだ。

「手紙をくださった方に心当たりがあります。ケイトさん、出掛けても良いでしょうか?」

「いいよ、行っといで。一人で出掛けさせるのだったら考えたけど、一緒の人が居るなら安心だ。
間違っていたら謝るけど、……差出人はイヴラかい?」

驚いたリンファスはケイトに、分かるんですか? と問うた。

「此処は花乙女だけの館だ。男性は立ち入れない。
面会するにはこうやって手紙で事前に約束をする決まりがある。父親や兄弟だという人が来るね。
でも大体、館で面会して終わる。此処で用事が済むからだ。
乙女には衣食住困らないよう手配がされているし、それでも館から連れ出そうって言うんだったら、乙女に花を咲かせたいイヴラの可能性が高いって言うだけさ」

リンファスは目の前で手品を見せられたかのようにぽかんとした。そう言うものなんだ……。

「別に今回が特別なわけじゃない。
より親密になりたいイヴラは乙女と約束をして出かけているよ。あんただけを特別扱いしたわけじゃないから、堂々と行っといで」

その言葉を聞いて安心した。リンファスは、ありがとうございます、とケイトに礼を言って、渡された手紙をもって部屋を出た。
――『君が僕に示してくれる僕の感情の証として君の身に何が起こるのか、それが気になるのさ』

ロレシオの感情の証としてリンファスの身に起きる変化と言ったら花の事だろうか? 

ロレシオはリンファスに自分の花が咲けばいいと思っているのだろうか? 
だとしたら、何故? 
リンファスは館に居る花乙女の中でも格段に見目良くないと思う。それはファトマルが常々言っていたから分かっている。
だから、アキムやルドヴィックの花が咲いた時もちょっと驚いた。
でもアキムやルドヴィックは乙女やイヴラが集まるときだけ会うだけで、こんな風に決められた会合以外で会おうとは言ってこなかった。

この前新しくリンファスに着いたロレシオの花は『友情』の花だし、『友情』の花はロレシオの目の前で咲いたのだから、これ以上花が咲くとは思えない。

いや、今度会って何か失敗をしたら、今身に着けているロレシオの『友情』の花も咲かなくなってしまうかもしれない。
一番最初に咲いた花は、空腹に耐えられずにリンファスが食べてしまった後咲かなかった。
だから今でも、食事で花を食べて、朝食後には全ての花をアスナイヌトの為に摘み取った後にも新しい花が着くかどうかは分からないのだ。

リンファスの場合、新しく着かない可能性の方が高い。だって、リンファスにそんなに気持ちを傾けてくれる人が居るとは思えないからだ。
そのリンファスに咲く花を確認して、ロレシオはどうしようと言うのだろう?

(……もしくは、別の理由、とか……?)

でも、だったらもっと器量よしの乙女を連れて歩いた方が、男性は気分が良いのではないだろうか。
サラティアナは華やかな顔立ちだし、プルネルはやさしくて安心できる雰囲気を醸し出している。
他にも、乙女だったらいくらでも居ると思うのに、何故リンファスなんだろう?

(駄目だわ、やっぱり考えても分からない……)

ロレシオの意図が分からない。
ただ、悪意があるわけではないと、あの時の会話で分かる。
彼の意図が分からなくても誘いを受け、ケイトに確認されても行くと決断した理由はそれだった。

――『人とお会いしないと、好いてももらえないし、人と話さなければ、自分のことを分かってもいただけないし、愛してもいただけないのよ』

何度も思い出している、プルネルの言葉だ。

リンファスの意識を変えたあの言葉。あの言葉をよりどころにするのであれば、リンファスはアキムやルドヴィック、そしてロレシオと会うことを重ね、話し、自分のことを分かってもらうことが必要だ。
その先の、『愛される』ということ自体については分かっていないからどうなるかは分からないが、花乙女としての役割を果たすのであれば、今リンファスを知ってくれたあの三人と話すことを恐れてはいけない。そう思ったのだ。

だからロレシオに会う。そして話をして、出来れば自分のことを分かってもらえたら良いなと思うのだ。
だから、土曜日が少しでもそういう機会になれば良い。……でも。

(……なんだか、緊張してきたわ……)

思えば二人だけで出掛けるなんて、世界樹へ花を運ぶためにハラントと一緒に荷馬車に乗るか、プルネルと行き来した舞踏会への道すがらくらいだ。

ハラントとプルネルは多少人となりを知っているから安心していたが、ロレシオはインタルへの道すがらと、一度街へ行ってはもらった、その二回くらいで、どちらの時もとても気安く話し掛けられるような雰囲気ではなかったから、この前の彼の様子の方が嘘のようだったし、そもそも彼のことを全然知らない。

(私……、大丈夫かしら……)

そしてなにが、とも分からず漠然とした不安を持ったまま、リンファスは土曜日を迎えた。

この日リンファスはプルネルにあのリボンを頭に結んでもらった。
今までイヴラに会いに宿舎を出るときにはいつも一緒だったプルネルが居ないことの不安を解消してくれる気がしたのだ。
プルネルは穏やかな顔で楽しんで来てね、と言ってリンファスを送り出してくれた。

時間に余裕をもって楡の木を訪れると、果たしてロレシオは既に其処に居た。
通りのガス灯に背を向け、何時も通りフードマントを被って微動だにしないでその場に立っている。
どう声を掛けたものかと思っていると、ふとロレシオが懐から何かを取り出してそれを見た後、此方を見た。

「やあ、リンファス。少し早いね」

ロレシオはパチン、と手の中に持っていたものの蓋を閉じ、また懐に仕舞った。

「い、いえ、ロレシオさんをお待たせしてしまって……」

リンファスは常に待つ側だった。
家ではファトマルの帰りを待ち、市では客が来るのを待っていた。麦を収めに行くのだって、オファンズの家を訪れてもリンファスは彼が出てくるのを玄関で待っていた。だから人に待たれた経験がない
。恐縮して言うと、レディを待たせるのは紳士の振る舞いではないよ、とロレシオは笑った。

「まあ、敬語はなしにしようじゃないか、リンファス。堅苦しいことは抜きで、君と話したい」

ロレシオがそう言うので、リンファスは頷いた。

ロレシオはリンファスを導いて辻馬車を拾い、リンファスを馬車へと乗せた。
馬車のドアを開けるとタラップに足を掛けるときに手を差し出されておろおろする。
そんな丁寧な扱いをされたことがないリンファスは、舞踏会のダンスでもないのに男性の手を握っても良いものだろうかと戸惑って、動作が止まってしまった。

「リンファス。タラップが高いから、僕の手を取って」

「は、はい……」

リンファスの戸惑いを正確にくみ取ったロレシオは、やさしくもう少しリンファスの方に手を伸ばしてくれた。
その手に自分の手を乗せてみると、大きくてあたたかな手はリンファスのやせぎすな手を包んでしまえる程で、タラップに載って馬車に乗り込むときに手の方を見ると、リンファスが落ちないように見守っていてくれているそのロレシオの様子が、まるで紳士的で恥ずかしくなってしまう。

そんな言動で分かってしまう。ロレシオは良家の子息だ。リンファスとは釣り合わない。
リンファスは生まれも育ちも良くない、寂れた村の子なのだ。こんな釣り合わない待遇を受けて、もしそれに慣れてしまったら、ロレシオに飽きられてしまった時に、どうしたらいいのだろう。
悩むリンファスが乗り込んだのを見て、ロレシオも軽々とタラップを踏んで馬車に乗り込んでくる。辻馬車の座席は二人掛けで、自然隣同士になるロレシオの体が近くて、リンファスはレディでもないのに、赤面した。

「私は他の乙女たちのような育ちではないですし、丁寧な扱いをされる意味が分かりません……」

リンファスが戸惑いを吐露すると、ロレシオはそうかい? と言って、リンファスに逆に尋ねた。

「だって君は現に花を着けた花乙女じゃないか。花乙女はそうだというだけで大切に扱われる存在なのに、君がそう言うことに頓着しないのは、何故だろう? 君は自分で理由を分かっている?」

心底不思議そうに言うので、自分が言っていることがおかしいのかと疑問を持ってしまう。でもリンファスは他の乙女に比べるとまだまだアスナイヌトに寄進できる花の数も少ないし、今咲いている花だって、いつ咲かなくなるか分からない。花が咲かなくなることに怯えて暮らしているのに、そんな脆弱な花乙女を大切に扱う意味が分からない。疑問を顔に浮かべたままでいたからだろうか、ロレシオはまあいい、と言った。

「君をウエルトに迎えに行った時、家の中から君の父親の罵声が聞こえたよ。君のことを罵倒することで、君が傷付くことを、まるで考慮していないような物言いだった」

ロレシオはハンナと一緒にリンファスを迎えに来てくれた。あの時は目の前で展開されるハンナのてきぱきとした行動で頭がいっぱいで思いつかなかったけど、ハンナがきつい口調でファトマルの大声を諫めたのを、家の外にいたロレシオは聞いていたのだ。

「で、でも、私は実際、父の役に立っていなかったので、父が怒るのは仕方ないんです」

「それだよ」

リンファスの言葉に、ロレシオが声を被せた。

「君は、あんなに罵倒されるのがさも当たり前のような顔をして、家を出てきただろう。その様子が実は少し気になっていた。
君の父親はたいそう君に辛く当たっていたようだけど、君がこの前、『働く事しか出来ない』と言っていたのは、そういう父親の許に長く居たからではないのかな。
それで君は、宿舎に来てまで雑務の仕事にこだわっているんじゃなかろうか」

こだわる……。そうなのだろうか。

役立たずの自分が生きていく為の術は、働くこと以外に見つけられなかった。それしか求められなかったし、それしか出来なかった。
そう応えたが、しかし、ロレシオの言葉は続く。

「僕は、自分の心を守るのは自分しか居ないと思うんだが、君はそうは思わない? 
だって、自分の心は他人には分からないだろう? 
そう言う意味では、君は父親に心を預けすぎた。
あの罵声を聞く限り、君の父親は君を否定し続けてきたのだろうし、その結果、君が自分に対して自信が持てなくなったのは、君の父親の罪だよ」

罪……。そんな風に考えたことなかった。
リンファスの人生で、ファトマルは絶対であり、庇護してもらう立場として従わないことはあり得なかった。
リンファスがそう言うと、それは危険な行為だよ、とロレシオは言った。
「愛してくれない相手に心を委ねるのは、自分を殺すことと等しい……。自分の心はまず、自分で守らねば……」

ロレシオは、ひと言ひと言、噛みしめるようにそう言った。
ロレシオがその言葉に込めた気持ちを図ることは、今のリンファスには難しく、考えた末に口に出来たのはこんな言葉だった。

「私は……、……自分を大事に……、していなかったのでしょうか……」

自分で守らなければならなかったのに、リンファスはそれが出来ていなかった、とロレシオは指摘した。
振り返って考えると、確かにリンファスは、常にファトマルの為に働いていた。
自分が屋根のある部屋を得、食事を得ることも目的のひとつではあったが、その行動の結果は、ファトマルが如何に機嫌よく暮らせるか、という事だったのだ。
だがそれは、リンファスがウエルトで生きて来るのに必要な行為だった。それでも咎められなければならないことなのだろうか。

リンファスの問いにロレシオは、そうだと思うよ、と応えた。

「自分だけは、自分で守らなければならない。運が良ければ、周りに助けてもらえることもあるだろうけどね。それは周りの環境という、運次第だ」

運、という天秤に掛けられて、リンファスは誰にも助けてもらえない環境に傾いた。
そこで自分を守ることをしなかったのは、リンファスがそういう考え方を知らなかったからだ。

生まれた時から傍にはファトマルが居て、リンファスを罵倒した。母親が死んだのもお前の所為だと罵った。
ファトマルの不運は全て自分の所為だと思っていた。

でもそれは運が悪かったうえに、リンファスがファトマルに心を預けてしまったからだと、ロレシオは言った。
だったらリンファスは、これからどうしたらいいのだろう?

「まず、自分の意思を持つことだ。自分でどうしたいかを選ぶ。
……例えば今日、僕が僕の意思で君を誘ったようにね。
君にはそれに対して、イエスかノーかの二つの選択肢があって、君はイエスを選んだ。
そうやって、自分で選択していくことが大事だ。自分の行動を、自分で選んでいく。
それはつまり、自分の心を尊重することに繋がる。だから君は、花乙女であることを求められても、それにノーと言う権利だってあったんだ」

役割を……、否定するだって!? 思いもしなかったことを言われて、リンファスは動揺する。

「や……、役割を頂けなかったら、どう過ごしていけば良いの……? 私は……、私が今此処に居る意味を……、何に見出せば……?」

「それを決めるのも、自分の心だ。君が生きている意味を見出せる価値のあることこそが、君の心を支えると思うよ」

……生きている意味を見出せること……。

リンファスは口の中でその言葉を何度も呟いたが、今、それを即座に見つけることは難しく、現状、リンファスにとってそれは、誰かの役に立つという事、つまり花乙女として花を着け、アスナイヌトに捧げることだった。

「ロレシオ……。私……、自分のことなんて、考えたことがなかったの……。でも……、私に求められる役割があるなら……、それを全うしたいわ……。それがこの街に来た理由だもの……」

インタルに来ることを決めた時のことを思い出してリンファスが言うと、ロレシオは口許に微笑みを浮かべた。
リンファスがそう言うのと、まるで分っていたみたいだった。
「君はそう言うと思った。
君があの父親が施した呪縛から解かれるためには、きっと、もっとたくさんの時間が必要だろうね。
……しかし、君がそれに囚われてしまうのは、実は、よくわかる」

呪縛? 恐ろしい言葉を聞いて、リンファスはロレシオの隠された目元を真面目に見つめた。
ロレシオは丁寧に言葉を紡ぎ、リンファスに諭すように説明した。

「強い言葉というものは、力を持つ。
一度聞いただけでも十分それを持つのに、繰り返し繰り返し耳にすれば、聞いた相手を洗脳することだってできる。
君が度々自分のことを役立たずだ、と言う理由はおそらくそれだろう。
君は館に来てケイトの仕事を代わったり、他の乙女たちの為に働いたりして役に立っていた筈なのに、なかなかそれを認められない。
それが、あの父親に卑下され続けた結果なんだ。君には、自覚がないようだけど……」

時々飛び起きる、ファトマルに罵倒される夢。
ロレシオは、まるでリンファスがあの夢を見て飛び起きることを知っているかのように告げた。

……もしかして、リンファスは弱い……、のだろうか……。
呪縛から逃れられず、ただ蜘蛛の糸に絡まっているだけの、死にかけの蝶……。
どうしたらリンファスがリンファスで在る為の、確固たる理由が得られるのだろうか……。

「ロレシオ……。私はどうしたらいいのかしら……」

リンファスが問うとロレシオは苦笑した。

「まず、僕が感じたことから言うと、君は、自分で自分の行いを正しく認めることが大事だと思うな。
例えばこの前の舞踏会で、僕が君に花を咲かせたことを認めただろう? そういう、心の変化を認めていくことだと、僕は思うよ。
……僕が自分のことを認められたのは、君に僕の花が咲いたからだったからね。それと同じことだ」

ロレシオもまた、言葉の呪縛というものに苦しんできたのだろうか。それで、今までリンファスに対しても冷たい態度を取っていたのだろうか。
それが、ロレシオが言う『鏡』としての自分の花を見て、彼を縛り付けていた呪縛、というものから抜け出せた瞬間となったのだろうか。
動じないと思っていた心が動いたことを、ロレシオは受け入れた瞬間、おそらく彼は、呪縛のひとつから抜け出せた……。そういうことなのだろう。

「花乙女は、想いが寄せられればその想いの花が咲くのだったのではないの?」

ケイトやプルネルからはそう聞いた。だからこの前の舞踏会の時にリンファスは、ロレシオが何らかの想いを寄せてくれたのだと信じたのだけど……。
リンファスの疑問に、ロレシオはいや、と答え、言葉を続けた。