*
茶話会には多くの乙女とイヴラと呼ばれる髪と瞳に色を持った青年が参加した。
しかしほとんどのイヴラたちがリンファスのことを怪訝そうな顔で横目で見ていくのを、リンファスは俯いて受け止めていた。きっと花の着いていない花乙女とはかかわりあいたくないのだろうと、容易に想像が出来た。
(……仕方ないのよ、私が出来損ないだから……)
そう思った時、ふと視界の端、テーブルの隅に手が置かれた。……大きくて節ばった手。男の人のものだ。
「やあ、プルネル。この席、良いだろうか?」
相席を求めてきた青年(イヴラ)は、隣に座っていたプルネルに許可を求めた。プルネルは朗らかに、どうぞ、と向かいの席を勧め、そのイヴラは其処に座った。
「こんにちは、アキム。今日もお会いできて嬉しいわ」
「僕こそ、話す機会をくれてありがとう、プルネル。……こちらの女性は?」
ふと、話題がリンファスに移る。
リンファスはハッとして顔を上げ、その人――アキムと名乗ったイヴラ――を見た。
果物のネーブルのよう色の髪にくすんだ緑の目をした青年だ。
よく見ると緑の虹彩ははボルドーの瞳を囲んでいる。
プルネルを見ると、確かにシックな緑の花びらにボルドーの花芯の花が咲いている。きっとこの青年が贈った花なのだろう。
その隣にもう一人。
こちらはプルネルに挨拶した青年よりも背が高く、体つきも少し細身だ。
ウエルトの村から見えた海のようなネイビーブルーの髪の毛に、小鳥の羽のような黄色の目をしている。
目は、瞳が樹の樹液で出来たシロップのようなきれいな琥珀色でその周りを美しい黄色の虹彩が彩っており、それが黄色い色の目だと印象付けたのだ。
「こんばんは、アキム。それにルドヴィックも。ルドヴィックはサラティアナの所へ行かなくても良いの?」
ルドヴィックと呼ばれたイヴラは「行ったよ。行ったけど既にみんなに囲まれてたんだ」と残念そうに肩を落としていた。
「サラティアナは今、館で一番花を咲かせているし、お父さまがアンヴァ公爵だから、気になってる方も多いわよね。でも、ルドヴィックの気持ちが通じれば良いと、私は思ってるわ」
微笑むプルネルは身に咲かせている花に負けないくらいかわいらしい。そんなプルネルに見惚れているように見受けられるのが、アキムと呼ばれたイヴラだ。
「我が親友(ルドヴィック)にそこまで気持ちを砕いてくれて、ありがとう、プルネル。きっとこいつもめげずに頑張るさ」
な、ルドヴィック。
そう言ってアキムはルドヴィックの肩をぽんと叩いていた。ルドヴィックも、
「諦められるなら、とっくに諦めてる」
と、強い眼差しで言っていた。
目の前で繰り広げられたサラティアナを廻る人間模様に、リンファスは目を白黒させた。
今までリンファスの周りに居た、食べることに精いっぱいの村人や、ファトマルやリンファスを笑いものにする人たち、そう言う人たちから感じる、砂を噛むような惨めさを感じない。
生き生きと自分の想いを語る彼らに、部屋の窓から差し込む陽光よりも眩しい輝きを感じた。
ぱちぱちと瞬きをしながら彼らを見ていたリンファスを、プルネルが紹介してくれる。
「あのね、アキム、ルドヴィック。こちら、この前から一緒に暮らしている花乙女のリンファスよ。私のお友達なの」
友達、と言って、プルネルは嬉しそうに微笑んだ。その笑みに、アキムが見惚れる。ルドヴィックはぼうっとしているアキムよりも先に、リンファスに対して挨拶をした。アキムも続く。
「初めまして、リンファス。ルドヴィック・ハティと言います。よろしく」
「僕はアキム・ヴェルラです。よろしく、リンファス」
自分に挨拶をしてくれる人、という人物を今まで見たことがなかったので、リンファスはぽかんとした。それをプルネルが微笑んで挨拶を促す。
「リンファスも名前くらい……。ね?」
プルネルはリンファスが戸惑っていることを気遣って、やさしい声を掛けてくれた。はっと我に返って、自己紹介をする。
「リ、……リンファス・フォルジェです。……すみません、勝手が分からなくて……」
リンファスが緊張から手を握りしめて言うと、ルドヴィックがくすりと笑った。しかしその笑みに侮蔑の色合いはなかった。
「いや、僕たちも図々しかったかもしれない。なにせ、サラティアナと話せると思って期待してきただけに、落胆が大きすぎて、君に対する配慮が足りなかったことは認めるよ。すまなかった」
加えて頭を下げられてしまい、リンファスは慌てた。
「か……、顔を上げてください……! 私、なにも気にしていません。むしろお邪魔なのではないかと思うくらいです……」
「邪魔? 何故?」
何故、……とは……。
「だって、茶話会は乙女とイヴラが出会う場だろう? 君が居ることの、何が邪魔なのか分からない」
リンファスを邪魔扱いしない人が、また一人……。
本当に、リンファスの生きる時間は変わってきている。謗られ蔑まれるだけの存在ではなくなっている自分に、リンファスは尚も戸惑う。
それが伝わったのか、ルドヴィックが明朗に笑った。
「君は訳ありの花乙女のようだ。しかしそこを僕らは問わないよ。どんな人だって、触れられたくないものがある、と僕は思っているからね」
ケイトがリンファスに花が咲いていないことを『親なし』と判断したようなことを、もしかしたらルドヴィックも察したのかもしれない。
イヴラが花乙女に関してどのくらい知識を持っているのかリンファスには分からないが、そこに触れられずに笑顔で対してくれるルドヴィックを、リンファスは心が広い、と思った。
「アキムもそう思うだろう?」
「ああ、同意だな。僕らに過去は要らない。現在と、そして作っていく未来があればいいんだ。それがアスナイヌトを保ち、この世界が平和で在れる為の礎となるんだ。君にも、アスナイヌトの加護と、イヴラからの愛を祈るよ」
口許に笑みを浮かべたアキムが、そう言う。プルネルは、貴方の愛は、今はその時ではないの? とアキムに尋ねた。
「プルネル、そんな無茶を言わないでくれ。たった今、会ったばかりのリンファスに、僕たちが、彼女が花乙女であるという事実以外の、どんな気持ちを持てばいいんだ。
ひとまずリンファスは、もう少し食べた方がいいな。女性はとかく細くいたがるが、僕らから見たらもう少しこう……、ふわっとしていても、かわいらしいと思うんだよ」
「まあ、それって、私が太っているっていう事かしら」
「まさか! プルネル。そんな風に捉えないでくれ。そして、プルネルなら少しくらい太っても可愛いと思うよ」
三人の笑い声に、リンファスも釣られて笑う。明るい談笑の時間が、四人を包んでいた……。
それでも、リンファスにアキムとルドヴィックの花が着くことはなかった。
彼らが言っていた通り、まだ彼らにとってリンファスは、『新しく現れた訳あり花乙女』としての存在以上ではないのだ。
今日会ったばかりなのだから、当たり前だ。
リンファスは、自分と屈託なく話をしてくれる男性が居たという事に驚きを持ちつつ、それも、花乙女の役割を期待されてのことなのだろうなと理解した。
そういえば、ロレシオもあの髪の色はイヴラなのではないだろうか。
そう思ったけど、彼の美しい淡い金色の髪を、とうとう茶話会の最中に見ることはなかった。
乙女とイヴラが去った部屋では、ケイトとハラントが片付けに大わらわだ。
リンファスも手伝おう、と思って席を立とうとすると、ぽん、と肩を叩かれた。……プルネルだった。
「どうだった? 初めての茶話会……」
「あ、……そうね、人が、多かったわ……」
それは感じたことだったので、嘘ではない。
でも考えていたこと全部でもないので、リンファスは知らず口を閉ざしてしまう。プルネルは何時も通り穏やかな笑みを浮かべてリンファスの隣に座った。
「……? プルネル……?」
「よかったら、少しこのまま、お話しない? 貴女やっぱり初めで緊張したのかしら、ちょっと元気がなかったから、気になっていたの……」
ごめんなさい、気付いたときに、声を掛けられなくて……。
プルネルは呟くようにそう言った。
……プルネルの心遣いが嬉しい……。人と会って、心を通わせるということは、こんなにも嬉しいことなのだと知ったリンファスは、プルネルに向かって微笑んだ。
その瞬間にプルネルの手首に新しい小さな紫の花が咲いて、プルネルは嬉しそうにそれを見た。
「ふふ。リンファスも私の事友達だと思ってくれたのね」
そう言って手首の花をリンファスに見せる。
「これは貴女からの花だわ。紫の花ですもの。それに今、私は貴女とお話してたんだし」
なんていうことだろう。リンファスに花を咲かせることが出来るだなんて!
ぱちぱちと瞬きをしながらプルネルが示して見せる花をまじまじと見える。
「嬉しいわ。ありがとうリンファス」
微笑むプルネルに、心が震える。
わたしの、初めてのお友達……。
リンファスはプルネルの手を取って、何時までも握っていた。
*
最近、宿舎の乙女たちから街の店に品物を取りに行ってくれないかという頼みが増えた。
相変わらずリンファスにはプルネルの友情の花しか咲いていない状態だから、兎に角もらえる仕事を頑張って行おうとしていた。
「じゃあ、ハラントさんとちょっと街まで行ってきますので荷馬車をお借りします、ケイトさん」
積極的に仕事をこなすリンファスに、ケイトは不安そうな顔をした。
「リンファス、本来はあんたがそんなことをしなくてもいいんだよ。折角花が咲いたのに、また倒れたらどうするんだい?」
ケイトの気遣いは嬉しいが、リンファスが身に着けているのは友情の花であって、花乙女に求められている『愛情』の花ではない。だから、他の『愛情』の花を着けている花乙女の為に働くのは、当然なのだ。
「お仕事していた方が、私も気持ちが休まります。お願いですから、行かせてください」
リンファスが自発的に仕事をしていると分かるとケイトも強く言えないようで、仕方ないね、と荷馬車を用意してくれた。リンファスが玄関まで行くと、ケイトはため息交じりに嘆いた。
「月末には月に一度の舞踏会があるってのに、あんたは全然かまわないねえ……。なにかイヴラと接点があるといいんだけど、もう舞踏会までには茶話会はないし……」
「舞踏会……?」
そう言えばプルネルも舞踏会に出席するからドレスを仕立てるようなことを言っていたのだった。自分には関係ないこと思ってあの時は聞き流してしまったけど、何故か今日は興味を引かれて、リンファスはケイトに聞き返していた。
「そうさ、花乙女は月に一度、イヴラと正式に交際を始めるかどうかを見極める舞踏会に参加するのさ。勿論任意だけど、今居る花乙女はみんな参加するし、だからドレスの仕立てやアクセサリーの新調が多いのさ」
そうなんだ……。そう思ってまたプルネルの言葉を思い出す。
――『人とお会いしないと、好いてももらえないし、愛してもいただけないのよ』
本当にそうだ。プルネルと会ってなかったら、友情は生まれなかった。イヴラにだって、会ってみなければ、好きになってもらえるかどうか分からない。
茶話会では失敗してしまったから、舞踏会でやり直せないだろうか。
リンファスは勇気を出して、ケイトに聞いてみた。
「……ケイトさん……、その舞踏会、……私も参加できるでしょうか……?」
恐る恐る問うた声は、少し震えた。リンファスの言葉を聞いたケイトは驚きの顔をして、……そして残念そうに首を振った。
「あんたがそう考えてくれるのは凄く嬉しいね……。
でも舞踏会は茶話会とは違って、イヴラと花乙女の交際を始めるかどうかを見極める場なんだ。イヴラの花が咲いてないと参加できない。
あんたに咲いているのは紫の花だろう? 紫の瞳はこの世界で花乙女にしか現れない……。
あんたのその花では、舞踏会に参加できないんだよ……」
とても残念そうに、ケイトは言ってくれた。そういう決まりがあるのなら仕方がない。リンファスが花を着けていないのがいけないのだ。
「ケイトさん、私の言ったことなら気にしないでください。ウエルトの村でも、私は何時も帰りを待つ側でした。いつでも待てます」
リンファスの言葉にケイトは微笑む。
「あんただったら、何時かイヴラに見初められるさ。なんていったって、あんたはいい子なんだから」
「ふふ、買い被り過ぎです、ケイトさん。花が着いていないのが、全ての証拠ですから」
リンファスはケイトに応えると、荷馬車に乗った。館の乙女たちの品物を受け取って来なければならない。リンファスは荷馬車を走らせた。
……その様子を、隣の館から見ている視線があった……。
*
宿舎の何処もかしこもそわそわとしていて落ち着かない雰囲気だ。
あっちの部屋からもこっちの部屋からも、どのドレスにどのアクセサリーを合わせようか、などと言うかわいらしい悩み事が聞こえる。
リンファスはそんな声を聞きながら微笑ましく夕食の後片付けの後のモップ掛けから戻るところだった。
ふと。
以前も感じたような、体の奥からじわじわと甘い砂糖が沁み込んでくるような感覚が広がって来た。
その脳の芯から陶酔してしまいそうな、今まで感じたことのない――プルネルとの友情を結んだときにさえも――幸福感を感じていると、プルネルの花が咲く右胸のあたりがじんわりとあたたかくなってきた。
(あたたかくて……、この感覚に溺れてしまいたいほど気持ちいい、砂糖を噛んだときのような幸せな気分だわ……)
うっとりとその感覚に浸っていると、あたたかかった右胸の所に、この前と同じ小さな蒼い花がポンと咲いた。
「……っ!?」
その花の様子に、リンファスは驚いてまじまじと花を見た。
プルネルとケイトの話では、花乙女から寄せられる気持ちで咲く花はその瞳の色……つまり紫色であると言うことだった。
しかしこの花は蒼くて花芯が蒼から銀のグラデーション色をしている。廊下のランプの明かりに照らされた銀の花芯はきらきらと輝いており、小さくてもその花の存在を主張していた。
可憐なその蒼い花は一重の花弁をつんとリンファスに見せるように広がっている。この花の贈り主は一体誰なんだろう。リンファスはそう思って、はっと気が付いたことがあった。
宿舎の乙女たちはみんな、色とりどりの花を咲かせている。この前の茶話会では、実際に花が咲くところを見ていた。
あの時に乙女たちに色とりどりに咲いていたのは、相手のイヴラの瞳の色ではなかったか。では、この蒼い花も、もしかしてイヴラからの花なのだろうか……。
でも、一体誰が……?
茶話会でリンファスはアキムとルドヴィック以外のイヴラとは喋らなかった。
そのアキムたちも、出会ったばかりのリンファスには、何の感情も持てない、と言った。心当たりがない。それに。
(とても……、甘くてとろけるような匂いがする……。食べたら絶対に美味しいわ……)
それはこの前初めてこの花と同じ色の花を食べたから分かっている。
プルネルからの友情の花が着いて以来、リンファスの毎度の食事はプルネルの花になっていた。それはそれ以前の、他の乙女が寄進する花を食べていた時よりはお腹が膨れた気がしていたけど、あの時あの蒼い花を食べた時の満足感とは全然比べものにならなかった。
今、プルネルの花を食べているリンファスは、ある程度の満足感を得て食事を終えている。
だが、この甘くておいしそうな匂いは、満足感を得ていた筈のリンファスのお腹を簡単に刺激した。
これを食べたら、絶対に美味しいし、満腹になるし、満腹感で満たされるし、幸せになれること間違いない。
しかし。
(この花があれば、舞踏会に行ける……?)
イヴラの花を身に着けてないと舞踏会には行けない、とケイトは言っていた。
この花がイヴラの花ならば、舞踏会に参加できるのではないか。リンファスはそう考えた。花乙女の役割を果たす為に、イヴラと会って、愛されるように努力をしなければならないのではないか。そう思った。
今もお腹を刺激するような甘くておいしそうな香りが鼻腔の奥を刺激しているけど、この花を贈ってくれた花の主に会って、謝罪と謝意を伝えなければならない。そう思って、食事を終えたというのにぐうぐう鳴るお腹をぐっと我慢して、リンファスはプルネルに花が着いたことを報告しに行った。
プルネルはリンファスに花が着いたことを喜んでくれた。
「素晴らしいことだわ。是非明日一緒に舞踏会に行きましょうよ。きっと花を贈ってくださったイヴラの方も参加されるわ」
「明日一緒に行ってくれる? プルネル」
一人で参加するのが心細くてそう問うと、プルネルは、勿論よ、と嬉しそうに微笑んだ。
「楽しみだわ。貴女に花を贈ってくださったイヴラはどんな方なのかしら。そう考えるだけで、私眠れなくなりそうよ」
「会えるかしら」
「会えるわよ。だって、その方は、リンファスを良いと思ったから、花を贈ってくださったんだもの。お会い出来たらこっそり教えてね」
プルネルが右の小指を差し出してきたので、リンファスもその小指に自分の小指を絡めた。
「プルネルが一緒に行ってくれると言ってくれて、勇気が出たわ。茶話会では結局ぼうっと見てしまったから、今度はしっかりしないと」
「ふふ、頑張ってね」
励ましに、ありがとう、と応える。リンファスも、興奮で眠れなくなりそうだった。
翌日は宿舎の門扉の前に何台もの立派な馬車が入れ替わり立ち分かり着いては乙女たちを舞踏会会場に運んで行っていた。リンファスは参加すると決めたものの、気恥ずかしくてプルネルと一緒に最後の馬車に乗った。
ドレスと花で飾られたプルネルは普段よりもうんとかわいらしかった。
鎖骨あたりで内巻きになっている真っすぐの髪は艶やかで、瞳と同じ色のリボンを頭の横で縦に結んでいる。淡い桜色のドレスは清楚なAラインのドレスで、裾が紫の刺繍入りフリルで飾られている。
ウエストを絞る大きなリボンの端もフリルになっていて、ドレスの裾のフリルと同じく花の柄が刺繍されていた。
ドレスの地布の淡い桜色の色はプルネルに咲いている花の色が良く映えるし、刺繍の紫色が瞳の色と合っていて調和が美しい。
いずれの刺繍も顔周りからは遠いので、プルネルのかわいらしい顔立ちと喧嘩せず、良い調和を保っている。
一方リンファスはドレスなど仕立てたこともなかったし、またそんなものを着て歩けるとも思っていなかったので、ハンナが最初に用意してくれていた洋服のうち、まだ袖を通したことのなかったワンピースを着た。
花乙女用に用意してもらったワンピースで、白地のふくらはぎまでの丈のもの。胸のラインに沿って前身ごろがカットされており、身ごろには縁取りが施されている。
ウエストはハイウエスト気味に絞られており、そこからやや広がるようにタックが取られている。歩いたりすればその布の量でふわっと見えるが、おとなしく立っていれば、すとんと下に落ち、周りの邪魔にならない格好だ。
これに張りのある茶色のリボンを結んでウエストマークした。ワンピースだけで出掛けようとしていたリンファスに、リボンを結んだ方が良いとプルネルがアドバイスをくれたのだ。
かくして二人は馬車に乗り込み、舞踏会会場へと向かった。
御者と従僕の付いたタウンコーチ型は初めてだったため、リンファスは彼らに見られながら馬車に乗るだけで緊張してしまった。
四人乗りの馬車にプルネルと隣同士に腰掛け、馬が馬車を運ぶ振動に揺られる。
ぎゅっと膝の上で握っていた手を、プルネルがそっと包んでくれた。
「緊張するのは分かるけど、あんまり強張りすぎると折角の花が台無しよ? イヴラからの花ですもの、胸を張って良いのよ」
「そ……、そうね……。……でも……」
この蒼い花を贈ってくれた人に会いたいと思ったのは本当だ。でも、この蒼い花はプルネルに咲いている花や、サラティアナたちに咲いている花よりも花弁の数が少ない。
かわいらしい花で、リンファスは好きだが、豪華さには欠ける。
リンファスに咲いている花はプルネルの花と合わせて花は二輪だけ。
先に出掛けていった乙女たちの様子を見ても、自分がこんな豪華な馬車に乗ったり、ましてや舞踏会会場に行くなんてことが、本当に身の丈に合っているのか、リンファスは自信を持てないでいた。
俯くリンファスに、プルネルがやさしく言葉を掛ける。
「館の皆だって、最初は花は少なかったわ。茶話会を通じて、イヴラの方々とお知り合いになって、花が増えていったの。
リンファスはまだ茶話会に一回しか出てないでしょう? 花もこれから増えるわ。
それより今は、その花を贈ってくださった方に、感謝をするべきではないかしら?」
プルネルの言葉は尤もだった。リンファスは気持ちの整理がついて、ほっと安堵の息を零した。
「……そうね、プルネル。私、皆みたいになれない……、って引け目を感じていたの……。
花乙女なのに花が咲かなくて、アスナイヌトさまのお役にも立てなくて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったの……。
でも私を認めて下さった方がいらっしゃるなら、まずはその方に向き合うべきよね……。
私、こんななりだけど、その方にありがとうと伝えたいわ……」
「そうよ。それにね、愛することも、愛されることも義務ではないわ。人の心が自由であるように、私たち花乙女の心も、自由であるべきなのよ」
義務ではない……。
ウエルトの村を出てからずっと気になっていたことだった。
ハンナはリンファスに、愛されて幸せになりなさいと言った。だったら、その役目が果たせないのなら、自分は此処に居てはいけないのだと思っていた。
インタルに来てからずっとリンファスを縛っていた言葉からリンファスを救ってくれたプルネルに、リンファスは改めて感謝した。
「……ありがとう、プルネル……。私、インタルに来て、貴女に会えてよかったわ……」
リンファスの言葉に、プルネルはあたたかい笑みを浮かべた。
舞踏会会場は広くて豪奢だった。
白くてアーチ型になった高い天井。
正面の壁の高い位置に彫られたアスナイヌトの像。
天井から釣り下がるいくつものシャンデリア。
あちこちに活けられた色とりどりの花。
茶色の濃淡のタイルによる幾何学模様が施された広間の床。
ふかふかの赤い絨毯。
飲食をする部屋は別に設けられていて、お菓子や軽食、飲み物が用意されていた。
地主のオファンズの屋敷以上の……いや、比べ物にならないくらいに華やかな場所だった。
リンファスは入り口を通され、広間が目の前に広がったとたんにその様子に尻込みをしてしまった。
ウエルトの村と、あまりにも違う。村で細々と暮らしていた自分が、こんなところに居て良いのだろうかという思いがひしひしとした。
「私たち花乙女とイヴラの皆さんが参加するこの舞踏会はお互いの関係をより深くするためのものだから、王族や貴族の方々が催す舞踏会とは違って、あまり形式ばっていないの。
タイミングはオーケストラが取っている感じね。音楽の切り替えの時がやることの切り替え時よ。
最初はあっちの軽食が用意されたテーブルの部屋で立食の軽いお食事を摂るの。
大体飲み物だけの方が多いわね。その時にその後の最初のダンスの相手を決めるの。
それはイヴラの方からの申し込みを受けて、乙女が受ける形よ。
ダンスのあいだは広間で代わる代わる踊るわ。疲れたら広間に置かれている椅子で休んでも良いのよ。
テラスやお庭で休むのもありね。夜の庭は風が涼しくて気持ちいいわよ」
プルネルはリンファスにそう説明して一緒にテーブルが用意されている部屋に入った。
既に先に宿舎を出た乙女たちや、イヴラたちが居た。
リンファスはプルネルにくっついて端っこのテーブルに着いた。
既に談笑を始めている人たちが多く、もう最初のダンスの相手を選んでいるのかもしれなかった。
プルネルがテーブルにあった飲み物をとってくれた。ありがたく受け取っていると、プルネルに声を掛ける人物が居た。アキムだ。
「こんばんは、プルネル。今日もかわいいね」
「プルネル、聞いてくれ、酷いんだ! 今日は上手くサラティアナを誘えたと思っていたのに、横から金髪野郎がかっさらって行ってしまったんだ!
そりゃあ、僕の髪は美しい金髪(ブロンド)ではないけど、でも、サラティアナに対する想いだけは誰にも負けないと自信があるのに……!」
ルドヴィックの、金髪野郎、という言葉に、リンファスは少し思い出す人が居た。淡い金の髪をいつも胸に垂らしている、ロレシオだ。
リンファスが、ロレシオがサラティアナを誘ったのだろうかと考えていると、プルネルはその金髪野郎にサラティアナの相手を取られたルドヴィックを慰めた。
「……サラティアナは既に沢山の花を咲かせているし、もう彼女も花の状態では判断していないと思うわ……。そうなるともう行動しかないと思うの。ルドヴィック、負けないで」
プルネルの励ましに、ルドヴィックがありがとう、と悔しそうに言った。
……こんなに人のことを想う気持ちって、どんなものだろう……。
サラティアナは、どんな気持ちで、あの沢山の花を身に着けているのだろう……。
そんなことを考えていたら、広間から音楽が聞こえてきた。其処此処で、では最初のダンスを、と言って手を取り合って広間に行く乙女とイヴラが居た。
「もう直ぐダンスが始まるわ。リンファスは舞踏会が初めてなの。もしよろしかったら、彼女をパートナーにして差し上げて欲しいわ」
リンファスを気遣う言葉に、しかし二人は困ったような顔をした。
「しかし、プルネル。彼女には僕たちの花が咲いていないだろう? この場で踊ることは無理だ」
「次の茶話会でまた会おうじゃないか、リンファス」
イヴラの二人はそう言って、ルドヴィックは人垣の方へ、そしてアキムはプルネルの手を取った。プルネルは困ったようにリンファスを振り返ってこう言った。
「リンファス。少し踊ったら戻ってくるわ。それまで待っていて」
先程の二人の話を聞くに、自分の花が咲いていないリンファスの相手は出来ないのだろう。それに比べるとプルネルには沢山の花が着いている。その分、踊るのだなと思って、リンファスは自分のことは気にしないようにと言った。
「ここまで連れてきてくれただけでも、とても感謝しているわ、プルネル。ダンスを楽しんで来て」
アキムに連れられて広間へ行くプルネルを見送る。そして部屋を見渡せば、先ほどまで人が溢れていたのに、もうその人たちは広間に行ってしまったのか、部屋にはリンファスが一人ぽつんと残されただけだった。
華やかな音楽が広間に鳴り響く。沢山の花乙女とイヴラがくるくると音楽に合わせてダンスを踊っている様子を、リンファスは壁に背を預けて見ていた。
……きれいだ。花咲く花乙女たちがドレスを翻して、そう、花の精のように踊り、微笑む。相手のイヴラも身に纏う色でその場を華やがせていた。
最初に宿舎の談話室で少女たちに会った時のような……否、それ以上の色の洪水だった。
オファンズの屋敷のように壁が色彩鮮やかな絵画で飾られていないのは、これが理由かと理解した。
つまり、花乙女とイヴラの色を引き立たせるために、敢えて白い壁と天井なのだ。
リンファスは、ウエルトの村で子供たちが遊んでいたシャボンを思い出した。あれは高価な石鹸を溶かした水を、葦の茎を通した息を吹きかけることによって出来るものだと、子供に説明している村の女性の言葉を思い出した。
そしてその輝きを、リンファスは雨上がりに見かける虹のようだと思ったのだ。
溢れんばかりの笑顔で踊る花乙女とイヴラたちは、そのシャボンの虹の輝きに負けないくらいきらきらしていた。
その場に、リンファスのような娘は相応しくない。
リンファスは、そっと部屋から出ると、白いテラスから庭へ降りた。