花乙女は愛に咲く【他サイトでジャンル別ランキング1位!】


サラティアナは空いていた部屋に運ばれた。カタリアナは直ぐに駆け付けてくれて、王城の医師・セルン夫人に城の庭に咲いている紫色の花を摘んでくるよう命じていた。

「花をどうするの? お母さま……」

あれ程会いたかったカタリアナが傍に居るのに、喜ぶ暇もない。
どういう意図からかは分からないが、ロレシオを訪ねてきたサラティアナが怪我をした。
それだけは事実だったから、サラティアナの怪我にとても責任を感じていた。

「これだけ血止めをしても出血が治らないのは、切りつけた相手が憎しみを持って刃(やいば)を使ったからなのよ……。
城の庭で栽培しているあの紫色の花は花乙女の治癒の為の花……母なる愛情の花なの。
花乙女に与えられる愛情が損なわれたときに、あの花を使って癒すのよ」

程なくしてセルン夫人が両手いっぱいに花を摘んできた。
カタリアナがその花をサラティアナの背中の傷に宛てていくと、紫色の花はサラティアナの出血を吸っては枯れていく。カタリアナはセルン夫人と共にどんどん花を入れ替えてサラティアナの治療をした。

あれほど止まらなかった出血が紫色の花を宛がうことでみるみる止まった。そして傷も、綺麗に治ってしまったのだ。
そして出血して蒼い顔だったサラティアナの頬に赤みが戻って来た。ロレシオは漸くホッとした。

ふうっとサラティアナが目を覚ます。ロレシオはベッドに乗りあげて、サラティアナの手を取った。

「サラティアナ、良かった……! 僕を庇ってくれてありがとう……」

恐ろしかった。
サラティアナが死んでしまうかと思った。
そのサラティアナが目を開けてロレシオを見た。
ロレシオは安堵でぽろりと涙を零してしまった。

その涙がサラティアナの右手首に落ち、弾けた瞬間に、蒼くて銀のグラデーショの花芯の小さな花が顔を出して花開いた。ロレシオはぱちりと瞬きをした。サラティアナもまた、ぱちりと瞬きをした。

「これは……、ロレシオさまの、花……?」

ぼうっとサラティアナが呟いた。

そうだと嬉しい。

ロレシオは今までずっと一人で寂しかった。

その独りぼっちだった心に住み着いた少女がサラティアナだった。

だから危険を顧みずロレシオを守ってくれた時、ロレシオは彼女を失うのではないかと恐れたのだ。

友愛の証の蒼い花。

それをサラティアナに咲かせられたことに、ロレシオは誇らしい気持ちになった。

「そうだよ、サラティアナ。僕は君を友達と認めるよ。これからはロレシオと呼んで欲しい」

嬉しそうにそうサラティアナに語り掛けたロレシオを、カタリアナがぎゅっと抱き締めた。

「お……、お母さま……?」

「ロレシオ……、お友達が出来て良かったわ……。お母さまは安心しました」

カタリアナもロレシオに友達が出来たことを喜んでくれているのだったらよかった。

「お母さま。僕、もっといろんな人に会いたい。会って、友達になりたい。友達になって、その子を大事にするんだ。きっといっぱい楽しいことがあるよ。だからお願い。僕も『太陽の宮』に行かせて」

ロレシオの言葉に、カタリアナは辛そうに眉を寄せた。

「ごめんなさい、ロレシオ……。それは出来ないの」

「何故? 僕が子供だから? でもサラティアナは子供だけど『太陽の宮』でお父さまとお母さまに会ったんでしょ? 何故僕はいけないの?」

ロレシオの疑問に、カタリアナは更にぎゅっとロレシオを抱き締めた。

「ごめんなさいね、ロレシオ……。そんな成りに産んだ私を許して……」

そんな成り、とはどういうことだろう。意味が分からなくて、ロレシオはカタリアナにもう一度せがんだ。

「ねえ、お願いだよ、お母さま。僕、もう寂しいのは嫌なんだ。お母さまとお父さまにもいっぱい会いたい。僕は『月の宮』でいい子にしてたでしょ? 何故駄目なの?」

目に涙を浮かべて訴えるロレシオを抱くカタリアナの、その抱き締めていた腕が外れる。置いて行かれるのは嫌だと思ってロレシオはカタリアナに抱き付いたが、大人のカタリアナが子供のロレシオを自分から離すのは訳なかった。

「マリア、ロレシオをお願い。きっと立派なイヴラに育てて……」

「はい、カタリアナさま。きっと」

「お母さま! 行かないで!!」

マリアの返事を聞いて、カタリアナは部屋を出て行ってしまった。取り残されたロレシオの目には涙が溢れていた。さっきの涙とは違う、母を求める涙が溢れていた……。




サラティアナは部屋で少し休んだ後、家に帰ると言った。怪我の一報を聞きつけた父親のグレン・アンヴァ公爵が迎えに来るという。それまで少しおしゃべりをすることにした。

「ロレシオ、きれいな花をありがとう」

「そんな……。僕の方こそお礼を言わなきゃいけない。あの衛兵はきっと僕を狙っていたんだ。身を挺して守ってくれた君は、戦いの女神の化身でもあるのかな」

「ふふ、そんな大げさなものではないわ。友達を守るのは当たり前ですもの」

サラティアナの言葉に、ロレシオは感動で打ち震えた。

「君は僕を友達として認めてくれるの?」

「ロレシオが先に認めてくれたのよ。この花で証明してくれたわ」

二人は見つめ合って、ふふふ、と笑った。其処へルーカスが入って来た。

「サラティアナさま。公爵がお迎えにお見えです」

その言葉をロレシオはとても残念に聞いた。しかしサラティアナは今日は怪我をしたのだから(完璧に治ってはいるが)、早く家に帰った方が良いだろう。
ロレシオは名残惜しくサラティアナを見送った。

「また会いに来て」

「きっと来るわ」

微笑んで去って行くサラティアナの後姿を何時までも見つめてしまう。角を曲がるとその姿も見えなくなって、ロレシオは部屋に戻ろうとした。

(次……。次はいつ来てくれるんだろう……)

初めて出来た友達と、もっといっぱい話したい。ロレシオは次の約束を取り付けようと、サラティアナの後を追った。

タタタ、と廊下を走り、もう直ぐで階段の曲がり角というところで、サラティアナの無事を喜ぶアンヴァ公爵と思われる声がした。

「サラティアナ、よくぞ無事で!」

「お父さま、カタリアナさまが治してくださったのよ」

「それは凄い。お前もますますカタリアナさまに目通りが叶うようになるだろう。……で、王子の方はどうだ」

アンヴァ公爵の声が王子、と言った。……ロレシオのことだ。ロレシオは知らず、息をひそめた。

「大丈夫ですわ。無事、友達になれましたの。ほら、これを見て、お父さま。ロレシオの花よ」

「おお、素晴らしいじゃないか! お前は利口な子だ。きっとやってのけてくれると思っていたよ。さっき私が宮に入ってくるのと入れ違いになった衛兵がお前を切りつけた衛兵のことを話していた。
こっちの思惑通り、レーヴン公爵が裏で手を引いた男だったようだ。これでレーヴンも王の叱責を免れない。私の地位はますます盤石なものになるぞ」

「レーヴンさまには女の子が居ないですものね。わたくしは花乙女ということで、最初からロレシオに受け入れられていたのですわ」

「いいぞ、その調子だ。お前が王家に嫁げば、わたしにももう怖いものはない」

どきん、どきんと心臓の音が大きく聞こえる。

さあ、と頭から血が引く感じがする。

……なに。なにを話しているの……。サラティアナは、なにを話しているの……?

サラティアナとアンヴァ公爵の会話の意味が分からなくて、ロレシオの脚が震えた。

「わたくしも、カタリアナさまのようになりたいですわ。カタリアナさまはアディアの花乙女の憧れの的ですもの」

「噂の奇異な銀の瞳も、花となってしまえば美しいばかりだしな」

「まあ、お父さま」

アンヴァ公爵の笑い声が階段に響いている。ロレシオはそっとその場を離れた。

サラティアナが、カタリアナのようになりたいと言っていた。それはつまり……。

(……サラティアナは、僕と友達になれて喜んだんじゃない……)

最初から、王家の地位が目的だったのだ。父親のアンヴァ公爵も同じ意図だったのだろう。……いや、どちらが先かは分からないが、兎に角あの親子の意図はそうだということだ。

ふらふらとした足取りで部屋に戻る。ベッドにそのまま突っ伏した。

……裏切られた……。初めて出来た友達だと思ったのに……。

じわりと枕が濡れた。

悔しくても涙が出るのだと、ロレシオはこの時初めて知った……。





あの時の記憶は今でも苦く思い出す。人の裏を知らねば、己を利用されるのだと知った。

そして幼いサラティアナが『太陽の宮』に立ち入れて、ロレシオが立ち入れない理由も分かった。
アンヴァ公爵が言っていた『奇異な銀の瞳』の所為だったのだ。
ロレシオの虹彩は蒼いが、その瞳が蒼から銀のグラデーションの所為で、陽の下で見ると瞳がギラギラと光ったように見える。
それ故父を始め、王族のほとんどがロレシオを忌子として人目につかないように育てることに賛成したのだ。

人の印象は見た目でほとんどが決まる。おそらく花乙女に受け入れられないであろうロレシオを、ゆくゆくの王として民の前に立てさせられない、という尤もな意見に、母カタリアナも頷かざるを得なかったのである。

ロレシオはまだ見ぬ民だけではなく、親族身内からも見捨てられた子供だったのだ。
それ以来ロレシオは人を信じることも、人を愛することもなくなった。

孤独の風が心を冷たくしていたのは最初だけだった。自分しか信じられるものは居ない。そう割り切ってしまえば、どんな仕打ちにも平気な顔が出来た。

自分しか信じられるものは居ない。

そうやって、ロレシオは自分を守って来たのだった……。





ふと、窓の外を見る。
隣の館で熱心に廊下の窓ふきをしているのはリンファスだ。彼女が花乙女なのに花が着いていない理由は歴然、誰からも愛されていないからである。

それなのに、何故あんな風に館に住む少女たちの為に荷物を運んだり、ケイト以外誰もやりたがらない掃除を一生懸命出来るんだろう。
そんなことをして、何になるんだろう。そう思って、館を見つめ続ける。

ふと。

図書室の開いたドアから廊下を窺っている少女が居た。多分、あの花なしの少女を気にしてる。

そうやって、同情でも良いから欲しいのか。

友情にも劣る感情でも良いから欲しいのか。

そう思って自らの胸に去来した気持ちに気付く。

自分は何故、あの少女を見続けているのか。気になるのか。

(ああ、これは)

自虐に口許が歪む。

これもまさしく、あの少女を見て己を知る、




同情という名の自らへの憐みなのだ――――。



――『お前のような奇異な子供は働く事しか出来ることはないだろうが!』


罵声にはっと目を覚ますと、其処は薄暗いウエルトの家ではなく、真っ白い天井、真っ白い壁に囲まれた花乙女の宿舎の医務室だった。

脂汗を拭って、リンファスは身を起こすと、リンファスの体の周りに敷き詰められていた紫色の花がベッドの下に落ちた。

(……そうだわ、私、カーンさんのお店で倒れてしまって、此処まで、ロレシオさんに運んでもらったんだったわ……)

一度、目を覚ましたリンファスに付き添っていたケイトが事情を話してくれて、まだ顔色が悪いからもう少し寝てなさいと言われて今に至る。

どのくらい眠っていたのだろう、でもずっと感じていた体の軋むような疲労も、満たされないままだった空腹感もなくなっている。そうやって、自分の体に余裕が出てくると、夢のことを思い出した。

(働かなくちゃ……。花が咲いてないんだもの、みんなの役に立たなくちゃ……)

まだベッドに載っている紫色の花たちを少し退けて床に足を下ろす。街で感じたようなふらつきも感じない。……これなら働けるはずだ。ケイトにも迷惑をかけてしまった。休んでいた分は取り戻さなければ……。

リンファスが医務室を出て厨房の奥にある寮母室のドアをノックすると、中からケイトが出てきた。

「リンファス! もう体はいいのかい!?」

ケイトはリンファスの肩に手を置いて心配そうに尋ねてくれた。リンファスは頭を下げた。

「もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしてしまって、すみませんでした」

「いいや、あたしこそ花乙女の館の寮母なんてやらせてもらっていたくせに、あんたに食べさせたら良いものも分からずに居て、申し訳なかったよ。
手当してくれたセルン夫人によると、花が咲いていないあんたは、まだ人間の食べ物を食べる必要があるそうなんだ。
だからイヴラの寮父をしている旦那に頼んで材料を分けてもらうことにしたよ。
子育てが終わって以来の料理だから美味しくないかもしれないけど、食べてくれるかい?」

セルン夫人とケイトの配慮にリンファスは感謝しかない。リンファスはもう一度深く頭を下げた。

「すみません……。更にご迷惑をかけてしまいますけど、もし可能なら、そうしてくださると嬉しいです。私みたいな子は、働くことしか出来ないので……」

リンファスが心の底からそう言うと、ケイトはやさしく微笑んだ。

「何を言ってるんだい。花乙女は居るだけで感謝される存在なんだよ。今はあんたに咲いてないが、いずれ花は咲く。だからその時まで少し我慢しとくれ」

我慢なんてとんでもない。リンファスの為に何かしてもらうなんて、本当だったらありえないことだ。
それなのに、花乙女に必要のない料理まで作らなくてはならなくなったケイトに恨まれこそすれ、謝られる必要なんてないのだ。


そのまま何もしないで過ごすなんてことは出来なかったので、軽い廊下の窓ふきから仕事を再開した。
ケイトはリンファスの仕事をさせるのを渋ったが、仕事をしなければ此処に居る理由がないから、と懇願してやっと仕事をもらえた。

病人だったのに、とはケイトの言葉だが、聞けば空腹だっただけなのだから、この理由でリンファスが仕事をしないで居られるわけがなかった。

バケツに水を汲んで雑巾を絞ると窓の硝子の内側と外側を磨く。
午後の陽光が窓から差し込んでいて気持ちが良いくらいだ。こんなに体調が良くて気持ちいいのは生まれて初めてかもしれない。

リンファスは歌を歌いそうになるくらいに上機嫌で窓ふきをしていた。
汚れた雑巾を水で洗っていると、医務室で起きた時に満たされた感覚になっていたのとは別の、……なにか、体の奥底から山羊のミルクをたくさん飲んだ時のような、染みるような甘さが沸き上がって来た。

(……ううん、山羊のミルクとも違うわ……。これは、ケイトさんに作ってもらったミルクティーを飲んだ時に感じた甘さだわ……。
……そう、あの時入れた……、そう、砂糖がお腹に染みていった感じに似ている……)

じわじわと、砂糖が入ったミルクティーに浸されたような感覚に溺れる。
初めての感覚に戸惑っていると、リンファスのスカートの上に小さな蒼い花がふわりとその花弁を開いた。

(…………えっ?)

突然、何の前触れもなく咲いたその銀の花芯の花は、一重の蒼い花弁を誇らしげにリンファスに見せた。
すると、その咲いた花から、まるで砂糖を齧ったかのような錯覚を覚えるくらいに、鼻腔にあの時ミルクティーを飲んで感じた甘さがダイレクトに突き刺さって来た。

「……、…………っ!」

その甘い匂いに、直感的にその花が甘いのだということを理解したリンファスは、こともあろうか、たった一輪咲いたその花を、雑巾も投げ出して手でむしり取ると、むしゃむしゃと貪り食ってしまったのだ。

(甘い……、甘いわ……! 
ミルクティーなんて比べようもないくらいに、甘い! 
これは、なに!? おなかが、たった一つこの花を食べただけで、さっきまでとは違う、満腹になってしまうくらいに美味しくて甘くて満たされるわ……!)

リンファスは齧るときに零れた花びらの欠片まで全て食べきってしまった。全て食べきってしまってから、はっと我に返る。

「……、……」

(……こ、この花が、もしかしたら、花乙女に咲く『花』だったのかしら……。だとしたら、私、とんでもないことをしてしまったわ……)

そう。花乙女の役目はアスナイヌトに花を寄進すること。その役目を果たさずに自分で食べてしまった罪は重い。リンファスはその場で青くなっていた。

そこへ。
「あの……」

か細い声が聞こえた。
びくっと体を震わせたリンファスは、絶対に今花を食べたことを咎められるのだと思った。青くなって声の方を振り返ると、図書室のドアの所に居たその子はしかし、そんなことは言わなかった。

「あの……、……いつも、そうやってお掃除、してくれていたのよね……?」

おとなしそうな声で声の主の少女はリンファスに尋ねた。掃除がどうしたんだろう。それよりリンファスは、花を食べてしまったのに……。

「え……? え、お、お掃除ですか……? だ、だって、私には、花が咲いていないから、……だから仕事をするのは、あたりまえ、です……」

動揺も露わにそう返すと、少女はぺこりと頭を下げた。

「今までもきれいな館だと思ってたけど、最近やけにきれいだなって思っていたの。……貴女がお掃除してくれていたのね、ありがとう……」

ありがとうだって? そんな言葉、リンファスには相応しくない。
だって、花が着いていなかったばかりか、今……、たった今、咲いたばかりの一輪だけの花を、食べてしまったのだから……。

「あ、ありがとうなんて、言ってもらえることではないの……! ご、ごめんなさい。まだ仕事がいっぱいあるから……!」

リンファスは兎に角花を食べたことを咎められることが怖くてその場から逃げようとした。

その時に動揺していて脚がもつれ、廊下に置いていたバケツに足を引っ掛けてしまった。
パシャン、と水が零れ、少し大きめの水たまりが廊下に出来てしまう。
これは早くモップで拭かないと、通る人が滑ってしまう。

リンファスは掃除道具入れに直行すると、モップを取り出し、水たまりの水を吸った。その手際を見守るように、図書室のドアのところで少女はぽかんとリンファスの仕事を見ていた。

キュッキュッキュッ。

零れた水を十分モップに吸い込ませて、最後に水を吸い終わったモップを絞って終わり。
ぎゅっと握ったモップから手を放した時、パチパチパチ、と小さく手を叩く音がした。図書室のドアから見ていた少女が、手を叩いたのだ。

何の合図だろう、と思っていると、少女は小さな口をにこりと笑みに変えて、こう言った。

「凄いわ……。私の家のメイド長よりも手際が良いわ……! 貴女、インタルから遠い村から来たんでしょう? 名前は? 私はプルネル」

そこまで聞いて、手を叩いた音が称賛の合図だと知った。ぽかんとプルネルと名乗った少女を見つめ、そしてそこで手を差し出されていることに気付いた。
モップを絞った手を、ぎゅぎゅっとスカートで拭く。

「わ、……私は、リンファスと言います……。初めまして、プルネルさん……」

そっと手を差し出すと、プルネルはリンファスの手をきゅっと握った。

「敬語はよして。同じ花乙女同士じゃない。私、貴女のことを尊敬するわ。良かったら、お友達にならない?」

友達……? 友達だって……!? こんな、花の咲かない出来損ないの花乙女の友達だって!?

驚きで何も言えなかったリンファスの体の内側に、また、ともしびが灯るようなあたたかさが込み上げてきた。

じわじわと右胸のあたりがあたたまる感じがする……。すると、その場所に淡い紫色の可憐な花がゆっくりとその花弁を開いた。その事態に、リンファスはまたも驚愕した。
「……えっ!?」

こんな短時間に二回も花が!? リンファスが驚いてプルネルに手を握られたまま胸に咲いた花を見ていると、プルネルが、ふふ、と微笑んだ。

「花が咲かないなんて、嘘じゃない。その花は、花乙女の花よ。きっと、私の花だわ」

「え……っ? 貴女の……?」

意味が分からなくて、リンファスはプルネルに問うた。プルネルは微笑みを浮かべたまま、もう一度リンファスの手をぎゅっと握った。

「そうよ。だって私と握手したら咲いたんだもの。……、私、貴女のこと、尊敬するわ。一生懸命やれることをやるって、とても素晴らしいことだもの。だから、一緒に居て仲良くしてくれると嬉しいわ」

にこりと笑うプルネルに訳の分からないことを言われて、リンファスは混乱する。

「わ……、私を尊敬なんて、とんでもありません……! わたしなんか、いつも村では村八分だったし、父の役にも立たなかったし……。……此処に来てからも……、花乙女の役割はその身に着く花をアスナイヌトさまに寄進することだって聞いても、花なんて咲いていなかったから、何も出来なかったし……。兎に角役立たずなんです……!」

懺悔の言葉が一気に噴き出る。プルネルは戸惑いながら言葉を零すリンファスを見守っていた。そしてリンファスがひと息息を吐くと、微笑みを絶やさずにこう言った。

「何かが出来ない状態の中でも、何かできることを探すって、とても頑張りが必要だし、その一歩を踏み出すのって、凄く勇気が要ると思うわ。
……だって、頑張らなくちゃいけない、って思うってことは、……つまり、『今』頑張れてない、至らない、って認めることでしょう……? 
そんな気持ちを乗り越えて、お父さまと暮らしてきたこと、此処に来てもお掃除とかいろんなお仕事を探してやってたことは、……花乙女というだけで安穏と暮らして此処に入った私とは違う、……とても自立した女の子だと思うわ。
貴女は自信を持って良いのよ」

リンファスはプルネルの言葉をぽかんと聞いていた。……自分が……、……人に褒められている……!? ありえない事態を飲み込めなくて、リンファスは更に戸惑った。

「で……、……でも、私……、花乙女だと言ってもらったのに、花も咲かなくて……!」

そう……。此処に来てからもずっと引け目を感じていた。新しい役回りをもらえるのだと期待してきたのに、役立たずだった。そういう気持ちで言うと、プルネルはおかしそうに笑った。

「やだわ。今あなたの胸に付いている紫の花は、花乙女の花じゃないの?」

そう言われて、もう一度自分の右胸を見る。其処にはさっき見たのと同じように、小さくて可憐な、紫の花が咲いている。

「……、…………」

「ね? 貴女は花を咲かせられる花乙女でしょう?」

にこり、と。

プルネルの微笑みが、涙が出るくらい嬉しかった。





……誰かに何かを言われてこんなに嬉しいと感じるのは、もしかしたら初めてだったかもしれない……。





最近、リンファスに笑顔が増えたような気がする、とケイトは思った。理由は簡単だ。リンファスに友達が出来たようなのだ。

リンファスは相変わらず宿舎の仕事を買って出ているが、時々その合間に、同じ花乙女のプルネルと一緒に居るところを見たりすることがある。

彼女の前でリンファスは、一人の少女らしく笑い、彼女に打ち解けた表情をする。
保護者であるケイトが何度声を掛けてやるよりも、たった一人、友達が出来るだけで、人間はその存在を大きく肯定できるものなのかもしれない。

「ケイトさん!」

ほら、今だって。

前はこんな風に明るくケイトを呼んだりしなかった。いつもおどおどして、これで十分か、いやまだ足りないと、常にケイトの後ろに仕事を見つけに来ていたような子だったのに。

その変化が嬉しくて、ケイトは朗らかな笑顔で応じた。

「どうしたんだい、リンファス」

リンファスは廊下をタタっとケイトの方へ走り寄ると、こっそり耳元でこう言った。

「……明日、プルネルが次の舞踏会の為に新しくドレスを仕立てに行くのですって。一緒に行ってみないかって誘われてるんですけど……、行っては駄目かしら……?」

期待に目を輝かせてリンファスが問う。こんな表情も、ケイトでは引き出せなかった。本当に、リンファスに良い友人が出来て良かったと思う。だからケイトはその望みを存分に叶えてやることを約束した。

「いいよ。あたしからハラントに言っておくよ。明日は三人で行っておいで」

「ありがとう! ケイトさん!」

今スキップを始めかねない程喜んでいるリンファスは、あの倒れた時の青ざめた顔と、此処に来た時からのやつれた様子が見受けられなくなった。
これもリンファスの右胸に咲いている、小さな紫色の友情の花のおかげだろう。

しかし、……とケイトは思う。

リンファスは花乙女なのだ。いずれイヴラと出会って、その身にイヴラからの愛情の花を咲かせなければならない。まだここで喜んでいてはいけないのだ……。





翌日、三人は馬車に乗り込んで街を目指した。
リンファスは乙女たちの用事で店に入ることは多々あったが、それは商品の受け取りなどの用事であって、店に滞在する時間は短かった。

プルネルは今日、ドレスを仕立てるのだから、店をゆっくり見ることが出来る。遊びのような用事で出掛けることが初めてのリンファスは、少しどきどきしていた。

「そうね、花乙女は基本的に館に居なさいって言われているから、みんなそれに従っているのだと思うわ。
だからみんなも用事を見つけては、街にお出掛けしているの。だって、館以外に茶話会室と舞踏会の会場だけの生活なんて、息がしにくくて窮屈だもの……。
リンファスが元気に働けたのは、館に閉じこもりきりにならないで、こうやって頻繁に外に出掛けていたからだと思うわ」

そうだろうか。花乙女として館に入ったのなら、花乙女として役目を果たすことが一番大事ではないだろうか。

そう思うと、ハンナが言ったような『愛されて、幸せになる』ということをリンファスはまだ知らない。

プルネルと友達になれて嬉しいし、花は咲いたけど、多分そう言うことではないんだろう。だって他の乙女たちは、もっと色形様々な花を咲かせている。

だから役目を果たせてない、と改めて思う。
「私は花を咲かせて役割を全うしているプルネルたちの方が素晴らしいと思うわ。
だってみんな、花を咲かせることを求められてあの館に来て、それで実際花を咲かせているんでしょう?私には出来なかったことだわ。
私はハンナさんに花乙女として求められて此処に来たのに、結局役立たずのままなのよ。
それではいけないと思っているんだけど、でもどうしたら花が咲くのか、分からないのよ……」

肩を落とすリンファスに、それなら茶話会に出てみない? とプルネルが誘った。

「……茶話会?」

「そう。花乙女がイヴラの花を咲かせることを求められているのは知っているのよね? 
でも、肝心のイヴラに会わなければ、イヴラからの花は咲かないわ。
花乙女の宿舎の隣の敷地に、同じような建物がもう一棟あるでしょう。あそこはイヴラの宿舎なの。
あの建物と花乙女の館の間、ちょうど真ん中に、『茶話会室』というのがあって、そこで月に何度か、花乙女とイヴラが集まってお茶を飲む会があるのよ。
……リンファス、貴女、一度も茶話会に出たことがないでしょう? だから、今度の茶話会、一緒に、どう?」

目の前がぱっと開けたような気がした。
そうか……、イヴラと出会わなければ花は咲かないんだ。今までイヴラと会ったことのないリンファスに花が咲かないのは、至極道理だ。

期待に胸が膨らむ。しかし本当にリンファスが参加しても良いものだろうか……。

「是非参加したいけど……、でも私本当にやせぎすでみっともなくて……」

とてもイヴラ(男性)の目の留まるとは思えない。奇異な見た目で村人たちから白い目で見られていた過去を思い出す。

俯きがちになるリンファスに、自信を持って、とプルネルが声を掛ける。

「誰でも初めての人と会う時は緊張するわ……。私もそうだったもの……。
……でもね、人とお会いしないと、好いてももらえないし、人と話さなければ、自分のことを分かってもいただけないし、愛してもいただけないのよ。
……私も貴女と会わなかったら、貴女を好きになれなかったし、そうしたら今日、こうやって出掛けてくることもなくて、毎日つまらない生活をしていたでしょうね……」

最初は会うことから……。

そう言えば。リンファスの運命が変わったのは、ハンナと出会ったからだった。
ウエルトの村では、ファトマルに尽くして尽くして息絶えるのだと思っていた。それが今では、野菜スープよりも上等なものを食べさせてもらって、着る物だってぼろぼろの繕った物じゃない新品だ。地主のオファンズたちがしていたような生活を、今、あの村八分にされていたリンファスがしているのだ。
そう思ったら、不思議な気がして来た。

「プルネル……」

「リンファス、勇気を出して。自信を持って。……貴女はそれにふさわしい努力をして来たし、それを認めてもらってもいい人なのよ……」

友達とは、なんとありがたい存在なのだろう……。とかく尻込みしがちなリンファスの背を押してくれる。
いや、友達だけじゃない。気が付けなかったけど、ケイトだってずっとリンファスに言葉をくれていた。
ハンナと出会わなければ、ケイトにも出会えなかったし、プルネルにも出会えなかった。……そう考えると、人と会うことは、案外悪いことではないような気もする。

「プルネル……、私、参加してみるわ……。イヴラの皆さんと、会ってみる」

恐る恐る出した声がプルネルに届くと、プルネルは花のように微笑んでくれた。