花乙女は愛に咲く【他サイトでジャンル別ランキング1位!】

「嬢ちゃんは肌が白いから、『海の涙』が似合うと思うよ。この辺りの簪なんかは王都の宮殿に出入りするご婦人方の好みの細工を工夫して作ったんだ。
垂れ下がる硝子と『海の涙』が動くたびに揺れて、ダンスを踊ったらきっときれいだよ」

見せられた簪の白い石は、確かに美しい白に輝く流線状の模様が浮かび上がっていて、その模様がランタンの灯りに慎ましやかな光を放っていた。

「これは、海の貝から採れる宝石なんだ。コラリウムと言ってね、こんなに大粒のものは宮殿に居るご婦人でも持っていないだろうよ」

熱心に勧めてくる店主には悪いが、宝石はまるで分からないし、舞踏会に着けていくならプルネルとお揃いのリボンがあるから、あれで良い。
どうやって断ろうかと思案していると、ロレシオが品を見て、しかし、これらの簪では、彼女の長い髪を纏めるのには小さすぎる、と助言を出してくれた。

「じゃ、じゃあ、旦那。こっちのネックレスはどうだい。大陸の南西の山脈でしか採れない、貴重な石だ。
コラリウム程数がないから、今ここで見せてやれるだけでも奇跡だよ」

「生憎、そんな貴重なものを買えるほどの大金を持ち合わせていなくてね」

ロレシオは店主からリンファスを庇うと、実にスマートに店頭からリンファスを攫ってくれた。
宝石売りのテントから少し距離が出来たことで、ほっと息を吐く。ウエルトでは売る側だったが、ああやって熱心に勧められると、どう対応して良いか分からなかった。
ロレシオが一緒に居てくれて良かったと思う。

「ありがとう、ロレシオ……。実は、どうやってご遠慮しようかと困っていたの」

「これだけ盛大なカーニバルになると、人の往来も多くて、それだけ店は売り上げを期待する。
君が上手く立ち回れない時は僕がきちんとフォローしてあげるから、君は気にせずテントを見ていくと良い」

「ありがとう。でも正直、自分のものは良く分からないし、それだったらプルネルにこのカーニバルのお土産話を持って帰った方が、後で楽しいわ」

「それは良い心掛けだ。君の友達も、きっと楽しく話を聞くだろうね。
王都の外れまで出掛ける花乙女はまず居ないだろう。カーニバルも一過性なものだし、珍しい土産話になることは間違いないと思うよ」

「そうね」

プルネルと一緒に微笑みあう時間を思って、リンファスも笑みを浮かべる。隣を歩くロレシオがリンファスの手を取った。

「? ロレシオ?」

「人が多い。中央の広場ではこのあと炎を囲んで踊るそうだ。君も踊るんだろう? その時にはぐれていたらいけない」

「……そうね。……そうだけど……」

迷わないためになら、こんなに強く手を握る必要があるだろうか? 
リンファスの手をあたたかく包み、力強く握るロレシオに、戸惑いを覚える。
リンファスの手は雑事で荒れていて握り心地も悪いだろうし、ロレシオのささくれ一本ない手が傷付いてしまわないか心配だ。

それに。

(……なんだか不思議。お腹の底が落ち着かない……)

むずむず、ざわざわ。

例えて言うなら、周りの喧騒の響きがそのまま体の中で木霊しているような、そんな感覚。
賑やかで高揚した雰囲気の声、声、声。それらが響いて、体の中を巡っている。

むずむず、ざわざわ。

手を引かれて、歩いていく。
背の高いロレシオを仰ぎ見ると、祭で楽しいのか口元に笑みが浮かんでいて、リンファスの不思議な感覚はリンファスだけのものなのだと分かる。

(おかしいわ……。さっきまでうきうきしてたのに、それが何処かに行っちゃった……)

こんな風に気遣ってもらう体験を、今までしたことがない。
プルネルに手を重ねられた時はその同じ大きさのあたたかみが嬉しかったのに、今、大きな手に手を包まれてしまって、それどころではなくなってしまった。

むずむず、ざわざわ。

なんだかロレシオが大きく見える。勿論最初に会った時から背は高くて体躯も逞しくバランスの取れた体つきだと思っていたけれど。

そういう事ではなく、存在が大きく見える。急に視界の中がロレシオだけになる。
「僕はね」

嬉しそうに話すロレシオの声が、鼓膜に響く。

「君とカーニバルで踊るの、楽しみにしていたんだ。……この前、野外音楽堂で楽しかったからね。君と踊るのは、楽しいよ」

楽しそうに先日の思い出を語るロレシオの声が、口許が、頬の引きあがり具合が、本当にリンファスと踊るのが楽しみだと言っていて、だからリンファスは、ロレシオの言葉がお世辞ではないという事が理解できた。

舞踏会会場で踊るワルツよりも、カーニバルのダンスの方が良いだなんて、寂れた村の人みたいだけど。でも。

それがリンファスと一緒だから楽しいのだと言ってくれたことを、リンファスはきちんと理解したから、こう言えた。

「……舞踏会で踊っても、きっと楽しいわ……。だって、友達だもの……」

リンファスの言葉にロレシオがゆるりと笑む。

「そうだね……。きっと場所は関係ない。君と……、君と一緒に踊ることが、僕にとっては重要みたいだ」

やがて中央の広場に着き、ロレシオに誘われて大きな炎を囲んで踊っている人たちに混ざった。

「レディ、お相手をお願いしても?」

「勿論よ、ロレシオ」

リンファスが差し出された手に手を乗せると、二人は周囲の人々に混ざって大きな炎を囲んでダンスを踊った。
簡単なステップと、ペアの相手とくるくる回って踊るだけのその踊りは、本当にリンファスがウエルトの村で見ていた収穫祭の踊りに似ていた。

浮き立つリズムに炎の灯り。
リンファスは飛んで跳ねて、スカートを翻して無邪気に踊った。
ロレシオも楽しそうに笑っていた。あの舞踏会会場とは比べ物にならないくらいに楽しい。
胸の内が満たされて、笑顔がこぼれて仕方がない。リンファスとロレシオは終始笑っていた。





「ああ、疲れた!」

踊りあかした後、リンファスは笑顔のままそう言った。ロレシオも笑顔だ。

「僕も、こんな風にステップを飛んで踊ったのは初めてだよ。
あの炎が燃え盛る様子は気分を高揚させるね。とても楽しくて僕も驚いてる。君と来られて良かったよ」

「ロレシオが楽しくて良かったわ」

会場を離れ、帰路に着く。
カーニバルは夜中までやっているが、花乙女はそんなに遅くまで外出していてはいけない。リンファスはロレシオに送ってもらって宿舎の前まで来た。

「ロレシオ。今日は誘ってくれて、本当にありがとう。私、あんなにいっぱいのテントを見たのは初めてだったわ」

「良かった。僕も楽しかったよ。また出掛けよう」

ロレシオの言葉に頷く。ロレシオがリンファスを見て、フードマントの内側から何かを取り出した。

「リンファス、これを……」

そう言ってロレシオは何かをリンファスの首にかけた。シャラ……、と音がして、リンファスは自分の首にかかった華奢な鎖を辿った。
「……? なに? ロレシオ」

「君の瞳に映えるように市で選んだんだ。着けていてくれると嬉しい」

ロレシオはそう言って微笑むと、リンファスの左手を取り、恭しく持ち上げて手の甲にキスをした。
そんなことをされるのは生まれて初めてで、リンファスの胸はどきりと弾んだが、村での子供たちのことを思い出して寂しい思いが心をよぎった。
俯く首に揺れた鎖がしゃら、と音を立てる。

「……私は今、村に居た頃よりも恵まれているわ……」

リンファスは口を開いた。

「住む場所も、食べるものも、勿論着る物にも困ってない。……なのに貴方には、私が施しを受けなければならない程、貧しく見えたの……?」

村で食べるに困っていた子供たちはリンファスの他にも居た。
そういう子供たちは少しでも食べ物を持っていそうな大人に物乞いをして施しを受けていた。今のリンファスは、そんな子供のように見えたのだろうか……。

幸せだった気持ちが一気に突き落とされる。
インタルに来てから感じなくなっていた、『惨めだ』という気持ちが、リンファスの心を満たした。
悔しくてスカートをぎゅっと握る。ロレシオはリンファスの肩にやさしく手を置いた。

「リンファス……」

リンファスの名を呼んだロレシオの声は『憐み』とは遠い音だった。とてもとても、慈しみに満ちていた。

「君を誤解させたのなら、先ず謝らせてくれ。僕は君に施しを与えようと思ったんじゃない。これは君を想う、僕の気持ちだと思ってくれないか?」

ロレシオの……、気持ち……? リンファスは分からなくて首を傾げた。

「今日一日、僕は君に喜んでもらうことばかり考えていたんだ。
一緒にテントを回ったこと、炎を囲んで跳ねるように踊ったこと。君が喜んでくれて、僕はとても嬉しかった。
だから、今日の終わりに僕が君に贈り物をしたら、君がもっと喜んではくれないだろうかと、ずっとそんなことを考えて帰って来た。
僕は今、君のことを『特別』だと感じるよ。僕に二度目の生を与えてくれて、僕にこんな感動を覚えさせてくれた君のことを、本当にそう思うんだ」

花乙女の宿舎から届く室内の灯りが、瞬きをしたロレシオのまつげを縁取った。それがゆっくり伏せられて。

ロレシオの唇が、リンファスの額に軽く触れた。

ぽうと体が熱くなると、ふわり、と胸に花が咲く。多弁の、それ。

ロレシオが唇を笑みの形にして、その花を見た。

「やあ、咲いたね。僕の花」

花に語り掛けるその声は喜びに満ちていて。

「また君と夜の庭で踊れるのを楽しみにしている。今日はありがとう」

そう言ってロレシオはリンファスを送り届けた。門を入って玄関の前で、ロレシオの影が隣のイヴラの館に入っていくのをぼうっと見守ってしまう。

(ロレシオ……)

リンファスは、いま揺れた心の向きをどう表現したら良いか分からなかった……。









後日の茶話会の時に、プルネルはリンファスが贈ったハンカチを持って出席してくれた。
それが嬉しかった一方で、ロレシオの姿を探したが見当たらなかった。ロレシオに贈ってもらったネックレスを着けて参加したから、陽の下で似合うかどうかを見て欲しかった。それに……。

何時もフードの陰から流れ出ている淡い金の髪を陽の日差しがあるところで見たらさぞかしきれいだろうと思うので、その二つが残念だった。


リンファスは自室で針を握っていた。
先日カーニバルの市で買った糸を使ってハンカチに刺しゅうを施している。
デザインはロレシオからの花を青色の糸で、縁取りを黄色の糸で刺している。

針箱が乗ったテーブルの上には小さな小箱が置かれていて、その中にはロレシオからもらったネックレスが入っている。
ロレシオが贈ってくれたネックレスはきれいな紫色の石が入ったネックレスで、金具の装飾が石から蔦が伸びるように曲線を描いている。
細く華奢な鎖は指で触れるたびにしゃらしゃらと音を立て、刺繍を刺すのも忘れてぼうっとネックレスを見ていると、これを贈られたときの気持ちが蘇ってくる。

……リンファスのことを『特別』だと言った。

額のキスは、何の意味?

贈り物を喜んで欲しいと言った気持ちの理由はどこにあるの?

考えれば考えるだけ、心が痺れそうになる。
頭にかすみが掛かったみたいに何も考えられない。
そんな時間を過ごしていて、これではいけないと思いリンファスは針を手に取ったのだ。

施しではないと言っていた。

リンファスのことを『特別』だと言ったロレシオの言葉が嘘じゃないと、胸の花が告げている。
揺れる花弁に甘く陶酔しそうになるのを堪えて、リンファスは針を握り直した。折角ケイトに時間をもらったのだ。
リンファスがロレシオの言葉にやさしく包(くるま)れて幸せを……、そう、幸せを感じたように、ロレシオにも幸せを感じて欲しい。
こんなやさしい気持ちを知れたのは、間違いなくロレシオのおかげなのだ。

ものを贈ることが『特別』を意味するのなら、リンファスだってロレシオに贈り物をしたい。
リンファスの今の気持ちをありったけ籠めたこの刺繍を、ロレシオは受け取ってくれるだろうか。

蒼い花を刺す指が震える。イヴラは自分の気持ちが花乙女に届いたことを知ることが出来る。
一方で、花乙女は自分の気持ちがイヴラに届いたことを知る術はない。
自分の心を籠めた刺繍を受け取ってもらえるかどうかを考えるだけで竦んでしまいそうになる。

でも。

ロレシオはこういう気持ちを乗り超えて、ネックレスを贈ってくれたのだ。
だったらきっと、この刺繍も受け取ってもらえる筈。
そう思ってリンファスは握り直した針を丁寧に進めた。ひと針ひと針思いを込めて。


それは幸せな時間だった。



次の舞踏会の日。リンファスは広間で音楽が掛かると直ぐに庭に出た。

ロレシオはどうしてか、庭を好む。
彼の好みに口出しはすまいと思っても、一度で良いから明るい所でロレシオの瞳を見つめてみたかった。
そう出来たら、リンファスへの気持ちの理由がはっきりとわかるのではないかという期待と胸の花が示す気持ちを確かめたいという欲望が満たされる。

今までの生活で一度だって多くを望んだことはない。一度満たされればきっとリンファスは満足できるはずだ。
だから一度でいい。明るい所でロレシオと会いたかった。

さらりと夜風がリンファスの髪を攫う。
ドレスのスカートが膨らむのを手で押さえると、庭の奥からロレシオが現れた。

「やあ、リンファス。会いたかったよ」

暗闇に浮かぶロレシオの姿は、何時ものフードマントを身に纏っていなかった。

月明かりがロレシオをほのかに照らし、その淡い金色の髪を、漸くまじまじと見ることが出来た。
思っていた通り、細く筋を描く金の髪は黄色の刺繍糸よりも滑らかで、月の灯りを弾いていた。
初めて陰にならずに見つめることが出来た瞳は奥深く濃い色をしており、黒のようにも、藍のようにも見えた。

今までフードで隠されていたロレシオのすべてに触れたような気持ちになって、リンファスはドレスをつまんで駆け寄った。

「ロレシオ……! 私も会いたかったわ!」

リンファスが駆け寄ると、ロレシオは差し出したリンファスの手を受け止めてくれた。そして嬉しそうにこう言った。

「ネックレス、とてもよく似合っている。着けてもらえてうれしいよ」

「ロレシオ、私もとても嬉しかったの。私、こんな素敵な『贈り物』を頂いて、とても嬉しくて、幸せになれたわ。
だから私にとっても、貴方のことが『特別』だと分かって欲しくて、貴方に贈り物をしたいの……」

リンファスは持って来た青い花の刺繍を施したハンカチーフをロレシオの前に差し出した。
ロレシオは月の灯りに浮かぶまつげを揺らして瞬きをすると、口許に微笑みを浮かべた。

「これは、僕の花だね? 君が刺してくれたの?」

「そうよ。私の気持ち。……受け取ってくれる?」

プルネルに菫の刺繍を手渡した時も思ったけど、自分の気持ちを差し出す時は、どうしてもこんな風にどきどきする。今までさんざんお前なんて要らないと言われ続けてきたからだ。

でも、プルネルもロレシオも、リンファスに花をくれた。
そして、その気持ちを受け取って同じだけ気持ちを返すことは、決して嫌がられることではないと、プルネルは行動で示してくれた。だから。

「ありがとう。喜んで受け取るよ。君の気持ちだ、大切にする」

そう言ってロレシオが刺繍を受け取ってくれて、その気持ちがリンファスに循環する。

ああ、今、とてつもなく幸せだ。満ち足りた気持ちだ。

「ロレシオ、ありがとう。私いま、とても幸せよ」

そう言うとロレシオが笑った。

「そうかい? 僕もだ。だって、君が僕の花を咲かせてくれただけじゃなく、贈り物までしてくれるなんてね」

そう言ってロレシオはハンカチーフを胸に挿した。そしてリンファスの目の前で恭しくお辞儀をする。

「レディ。僕と一曲、踊って頂けますか?」

「ええ、ロレシオ。喜んで」

リンファスは微笑んで差し出された手に手を乗せた。そのまま緩く握られ、曲に合わせてリードされる。

カーニバルのダンスと違い、ゆったりとした音楽が零れ聞こえる庭で、緩やかに空気を揺らして二人で舞う。
庭の花々が香り立ち、月光を浴びてきらきらと輝く。

リンファスは体の内から込み上げる甘い幸福感に酔いしれながら、ゆっくりとステップを踏んだ。
一歩、二歩。ステップを踏むたびにリンファスのドレスに蒼い花が着き、花弁をほわりと解き、開いていく。
美しい八重の花弁がひらひらと踊る。リンファスは、自分の身に起こっていることを、驚きをもって受け止めていた。
「ロレシオ……。花が……、花が……」

ほろりほろりと一枚ずつ花弁が解ける蒼い花の、重なった花びらが今までの花とは全然違う。
理由を問うリンファスに、ロレシオは破願した。

「ああ、リンファス! なんて素晴らしいんだ! 君を想う心が溢れて止まらないよ!」

ロレシオはそう言ってリンファスを抱き締めた。突然腕の中に抱かれてリンファスは驚いてしまう。

「君に花を捧げるために、僕は今まで孤独の道を歩んできたんだと思えるよ。僕は君を愛していることを、花で証明できた。そして君は、僕を受け入れてくれた唯一の味方だ!」

愛しているだって? この花が、愛された証拠の花?

「ロレシオ……、私を、愛して……、くれたの……?」

「そうだ。嫌かい?」

「嫌じゃないわ。でも……」

ハンナもケイトも言っていた。花乙女は『愛されて幸せに』なる為に居るのだと。
『愛されて幸せに』なったからこそ、ケイトにはハラントの花が咲き乱れている。
リンファスに咲いたロレシオの愛の花は三つだ。
リンファスはロレシオに愛されたけど、幸せになっていないのだろうか……? 
幸せじゃない? 何故?

その時、広間の方からわあっという声が聞こえた。
シャンデリアの灯りに照らされた、明るい場所。
月明かりの庭とは比べようもないくらいに賑やかな場所。

そうだ……。ロレシオがリンファスを誘う場所は、いつも暗い場所だった。

庭で二人きりのダンスも素敵だけど、以前ルドヴィックと広間で踊ったように、ロレシオと広間で踊れたらもっと嬉しい。
プルネルも花の贈り主を紹介して欲しいと言っていたから、ロレシオと会わせたい。

「ロレシオ、広間に行かない?」

「広間……?」

ロレシオの戸惑った声に、リンファスは気づかなかった。

「庭(ここ)でのダンスも素敵だけど、広間でみんなと一緒に踊ったら、カーニバルのダンスみたいに楽しいんじゃないかしら。
それに貴方のこと、プルネルにも紹介したいし」

ね。

そう言って腕を引こうとしたリンファスの手を、ロレシオは避けた。

「? ロレシオ?」

「すまない、リンファス。……広間には行けないんだ」

行けない? どういうことだろう。

「そうなの……? じゃあ、いつプルネルに貴方のことを紹介したら良いのかしら……。
あっ、次の茶話会には出てくる? 私、いつもプルネルと一緒に参加しているの。友達のアキムやルドヴィックも良くそこで話してて……」

「茶話会にも行かない。……いや、行けないんだ。リンファス、今日はこれで失礼するよ」

急に声を固くしたロレシオは、リンファスを抱擁から解いた。

「どうして広間も茶話会も駄目なの? そうしたら私は何時、プルネルに貴方のことを紹介できるの?」

「理由は言えないんだ。兎に角、ごめん。今日は失礼する」

ロレシオはそう言うとリンファスを庭に置き去りにして、足早に庭を去って行ってしまった。
ぽつんと一人庭に残されたリンファスは、さっきと今のロレシオの態度の違いをおかしいと感じた。

そして何より……。

広間に行けない、茶話会に行かない理由を、話してくれなかった。それが。

――――『僕も君と分かり合えるようにありのままで話そう』

そう言ってくれたはずのロレシオの言葉と違う。



(どうして……?)




リンファスがロレシオに疑念を持ったのは、これが初めてだった……。







(いずれ来る時が今来たということか……)

ロレシオは月明かりの許、宿舎に帰っていた。
何時までもこんなことが続けられるとは思っていなかった。
光を避けていては、想いを交わし合ったとしてもいずれ訝しがられると思っていた。
リンファスに蒼の花が咲き乱れれば、あるいは、とは思ったが、そうもいかなかった。

(……僕は、誰からも愛されない運命にあるのか……)

期待なんて、とうの昔に捨て去っていた筈だった。
リンファスと出会って生まれ変わったつもりでも、成りまで変わるわけじゃない。
アンヴァ公爵が言っていたように、花となれば美しい色合いでも、目となればその印象はがらりと変わるだろう。
リンファスに真実の姿を見せて、奇異の目で見られるのは辛い。

……咲いた花に宿った気持ちは本物なのに……。

ロレシオは机に載せた青い花の刺繍を見つめて、苦悩の表情を浮かべた。

コンコン。

まだ他のイヴラたちが舞踏会会場から帰っていないこの時間に館に居るのは一人、寮父のハラントしかいない。
ドアを開けると、白い封筒を持ったハラントが立っていた。

「ロレシオ。お前さんに手紙だ。出掛けるときは儂に連絡を忘れんでくれよ」

ロレシオは頷いて手紙を受け取ると、ドアを閉めた。
届けてくれた手紙の封を切ると、それはセルジュからの手紙で、アンヴァ公爵が夜会にロレシオを招待したいと言っている旨が書かれていた。

カタリアナの弟であるセルジュ・コレットの家は、商家の事業であるアディアの南の海域での交易が、その拠点をアダルシャーンの南東域の海に持つ海賊の台頭によって失速したため財政が豊かではなく、アンヴァ公爵に援助してもらっている関係で、彼の頼みを断れない。

ロレシオも身内の顔に泥を塗る訳にもいかず、こうして時々公爵と叔父に呼び出されていた。
アンヴァ公爵は奇跡の花乙女であるサラティアナを何としても自分の地位向上のために活かしたいらしく、サラティアナにロレシオの花が咲いていないのに諦めない。

それほど地位と権力が欲しいなら、いっそのこと自分の身分をくれてやりたい気持ちにもなるが、人と心を通わせることを知ったうえで政(まつりごと)を司るものとして、王家はイヴラを生み出し続けているのだとロレシオは知っている。だから。

(リンファスに愛されたら、僕はどんなに幸せだろうか……)

自分を初めて受け入れてくれた人。
彼女の手を取り、陽の下で堂々と求婚出来たらどんなにか良いだろう。

しかし。

(……結局僕は、弱い者だったんだ……)

リンファスを信じきれなかった。


唯一心を寄せた彼女に奇異の目で見られることを、恐れてしまったのだ……。


度々断っているおかげで、サラティアナを花乙女の館からエスコートする必要がなかったのは良かった。
ロレシオはリンファスが贈ってくれたハンカチーフを胸に挿し、夜会に臨んだ。

会場では真意を裏に隠した会話が交わされる。
うんざりしながら付き合っていると、青いドレスを着たサラティアナがやって来た。

「リュクト王子のご婚約が決まったのね」

「まだ内々の話だ」

「貴方も急かされているんじゃなくて?」

ずいっとサラティアナがロレシオに寄り、蒼から銀のグラデーションの瞳が光る目を見つめてきた。
幼い頃から自信に満ちたままの紫の瞳を憎らしいと思う。
自分を裏切ったという意味でも、そしてどうしたらそんなに自信が持てるのかという意味でも。

「……僕は親族に厭われているから、そんなことはされない」

「王家の男子としての、責任はどうするのよ」

「放棄してはいないさ」

飲み物をテーブルに置いてその場を去ろうとすると、サラティアナが食い下がって、ロレシオの腕を取った。

「この前、館の門の前でリンファスと一緒に居る貴方を見かけたわ。どういうつもり? あの子は貧しい村の、何の教養もないような子よ」

「逆に、君に問いたいな。イヴラと花乙女は地位に縛られない理(ことわり)の筈だ。それを無視して、僕に立場を要求する理由はなんだ」

ロレシオの冷たい視線にも、サラティアナは負けない。

「立場なんて関係ないわ。貴方が良いのよ。最初に花をもらった時から、私には貴方だけだったわ」

仮にサラティアナの言葉が本当だとしても、その後ろにアンヴァ公爵が居る限り、サラティアナを好意的に見ることは出来ない。
それにロレシオの心はもう、リンファスに傾いてしまった。

「イヴラと花乙女は心に関して自由であるべきだ。君がそれだけ花を咲かせていながら自由に僕を選ぶように、僕もまた自由に心を決める」

「それがリンファスだと言うの?」

「答える義務はない」

「ロレシオ!」

言いおいてその場を去る。リンファスもサラティアナのように思ってくれたら良いのにと思いながら。

「リンファス、どうしたの? 元気がないわ」

プルネルが部屋に来て、リンファスの手を取った。リンファスは舞踏会でのことをプルネルにどう相談したら良いか言葉に迷っていた。

「……プルネル……、……愛していると言った人が、私の疑問に答えてくれないのはどうしてだと思う……?」

リンファスの疑問にプルネルも黙る。暫く考えた後、プルネルは、私は経験がないから分からないけど、と前置きして応えてくれた。

「なにか……、事情があるんじゃないかしら……。例えば、答えられる時期ではないと判断されたとか……」

「時期……」

「リンファスだって、愛してると言われて急にその方を愛せるわけではないでしょう? それと一緒のような気がするのだけど……」

であれば、何時かプルネルにロレシオを紹介することが出来るかもしれない。

「リンファス……。いつか、その花の方じゃなくても、貴女に愛する人が出来た時には教えて? 
花乙女たるべきは愛されることかもしれないけれど、人にとって一番大事なのは、自分の気持ちですもの」

自分の、気持ち……。

プルネルもロレシオと同じことを言う。
今まで花乙女としての役割を果たそうと、愛されることを望んできて、花が咲くことを喜んでいた。
でもケイトのように一人前になる為には、愛されるだけではなく、リンファスも愛する気持ちを持たなければならないらしい。

愛するって、どうしたら良いんだろう……。

「難しいわね……。私にも分からないわ……。
ただ、自分の心がその方の心を包んであげたいと思った時が、私が思う、愛する瞬間じゃないかと思っているの。
痛みも苦しみも、全て分けて欲しいと思った時……。そんな気がするわ……」

じゃあ、ロレシオはリンファスの心を包み込みたいと思ってくれたのだろうか。
貧しかった村での生活も、ファトマルの仕打ちも、花乙女として役に立てなくて辛い思いをしていた日々も全て……?

「愛していただくには、人と会って話をしなければならないけど、愛するためにもやっぱり話をするべきよ。
リンファスがその方のことを愛したいと思うなら、話をするべきではないかしら? 相手の方を知らないと、愛することも出来ないですもの」

思えばロレシオとの会話ではずっとリンファスが聞かれてばかりだった。
ロレシオは自分のことをあまり言わなかったし、触れて欲しくない過去があるのだろうと言うことしか分からなかった。
その過去を知ったうえで彼の痛みも苦しみも分かち合えるかが、リンファスがロレシオを愛せるかどうかになるのだろう。

「そうね、プルネル……。恐れずに私、話をしてみるわ。話をして、知って、……それからどうなるかを考えるわ」

リンファスの言葉にプルネルは微笑んでくれた。友人という存在に、こんなに助けられている。……ありがたいと、リンファスは思った。





翌日の茶話会当日。
出られない、と言っていたロレシオはやっぱり姿を見せなかった。
その代わり、目を疑うものを見た。会場に居たイヴラの一人が、あの蒼い花の刺繍のハンカチーフを胸に挿していたのだ。
青の花に黄色の糸の縁取り……。間違いなくリンファスがロレシオに贈ったものだ。

どきんどきんと胸が騒ぐ。
リンファスの贈り物はロレシオにとって要らないものだったのだろうか。
他人に渡してしまえるような、そんなものだったのだろうか。
リンファスにとってあの紫色の石のネックレスは、大切に保管しておくべきものなのに。

疑念が渦巻く。
信じていたものを裏切られた思い……。


リンファスは言葉少なに茶話会室を出た。