花乙女は愛に咲く【他サイトでジャンル別ランキング1位!】

「舞踏会に馴染んでいないと思って誘ったけど、そういう理由なら、この季節、カーニバルとかも楽しめるだろうか? 
夜になると各テントにランタンが灯って、通りがオレンジ色になるそうだ。
市ではいろいろなものも売っているらしい。焼きたてのパンやお菓子だったり、アクセサリーだったり、文具も売っていると聞いている。
そしてみんなで大きな祝祭の炎を囲んで踊るそうだ。君の言う収穫祭に似ていると思うから、君、きっと好きだと思うよ」

ロレシオの言葉に、リンファスを楽しませようとする意図以外の色が一切認められなくて、リンファスは大きく頷いた。

ロレシオといることが、何より楽しい。そう思えた。

「昔、村に旅の途中で立ち寄ってくれた旅の一座が、滞在していた間だけテントで市を開いていたわ。市はそれと似たような感じかしら」

「恐らくそうだろうね。どう? 行ってみない?」

今日のこの楽しい気持ちをもっと感じたくて、ロレシオの誘いに高揚した気分のまま頷いた。

「凄いわ、ロレシオ。いろんなことを知っているのね」

「君と違ってずっとインタルに居るからだよ。
僕も此処には初めて来たし、夜の市やカーニバルのことも話に聞いていただけだ。行ったことはないよ」

こんな楽しいショーを知っていながら今まで来なかったなんてもったいない。そう言ったら、何処にも出かけたくなかったんだ、とロレシオは言った。

「君みたいに心許せる友人も居なかったからね。何かを誰かと楽しむ、という感覚を持てなかったんだよ」

……そう言えばロレシオは、リンファスに花が咲いたときに動揺して驚いていた。理由を聞いてしまうと、彼も辛かったんだろうと思う。
そんなロレシオがプルネルやアキムたちと同じようにリンファスのことを『友人』と言ってくれるのが嬉しかった。

「そうだとすると……、私たちは似た者同士なのかしら? ずっと自信を持てずに……友達も作れずに過ごしてきたという……」

リンファスの言葉にロレシオは微笑んだ。

「そのようだ。君という人に会えてよかったと思うよ、リンファス」

ロレシオがリンファスに向かって手を差し出す。ぽかんとその手を見ていると、ふふっと息を吐き出すようにロレシオが苦笑した。

「握手だよ、リンファス。君という友人に会えた、感謝の気持ちを表したい。手を取ってはくれないか」

ロレシオの言葉にはっとして、リンファスはおずおずと手を握った。手のひらから伝わるロレシオのぬくもりとは別のぬくもりが体の中を満たす。
それはやはり左の腰に集まっていって、そこで小さな蕾が花弁の結びを緩やかに解いた。二重の……『友情』に似たかわいらしい花。それはプルネルに咲くアキムやルドヴィックの花の形に似ていた。
あの花を、プルネルは確か『親愛』の花だと言っていなかったか。

「ロレシオ……、私に沢山花をありがとう……。貴方が言っていた『自信』というものの証が、私にも伝染するようよ。貴方に認めてもらうことが出来て、嬉しいわ……」

「僕の方こそ、お礼が言いたいね。僕は君の前で一人の人として生きている気持ちになれる。こんな満ち足りた気持ちになるのは初めてだよ」

二人は視線を交わして微笑みあった。





『友達』がまた一人増えた夜、夜空には星が瞬いていた。


先日の舞踏会で右胸と左手首の『同情』の花が落ちて以降、『同情』の花が咲かなくなった。
リンファスが、花が減って元気をなくしていると、ケイトは良いことじゃないか、と慰めてくれた。

「どうして? 花乙女は花が沢山着いた方が良いんでしょう?」

リンファスの疑問に、ケイトは首を振って答えてくれた。

「花に込められた気持ちこそが大事なんだよ。
『同情』の裏側にある気持ちは『蔑み』だろ? それより『友情』の花の方がうんと良い。
対等な関係であることを、贈り主が認めたんだからね」

そうなんだ……。よく分からないけど、気持ちが変わって花の種類が変わるなら、その方が良いのか。
でもやはり、他の乙女たちみたいに花をいっぱい身に着けていたいけど……。

「リンファスも少しずつ友達が増えて、花が増える。その中から『愛情』の花を咲かせてくれる人を見つけるのさ。焦っちゃ駄目だよ」

「はい……」

でもやっぱり籠に沢山の花を寄進していく乙女たちは誇らしそうで羨ましい。
摘んでも摘んでも次々と咲いてくる花を身に着ける乙女たちは、ロレシオが言ったような『自信』に満ち溢れている。

『自分の能力を間違いなく認めると言うこと』。

ロレシオは簡単に言ったが、リンファスが自分に課してみるととても認識するのが難しい。
『認める』とはいったいどうやったら出来るのだろうか。ロレシオは『証』を友人に求めろと言ったけど、でも、どうやって?

リンファスが食堂の掃除を終えて部屋に戻ろうとした時に、リンファスの部屋に行く途中にあった部屋のドアが開いた。プルネルだった。

「リンファス。お部屋に遊びに行っても良いかしら?」

ひょっこりとドアから顔を出したプルネルにそう尋ねられて、リンファスは自分の部屋を思い出した。
実はケイトに習って刺繍を勉強していて、以前刺そうと思っていた菫の刺繍をやっと昨日完成させたばかりなのだ。その片付けが出来ていない。

「え、ええと、お部屋が片付いてないの。プルネルのお部屋にお邪魔しては駄目?」

「ええ、良いわ。私、この前からずっと貴女と話をしたかったの」

笑顔で部屋に迎え入れてくれるプルネルに続いて部屋に入る。
プルネルの部屋も白い家具とファブリックで統一された部屋だった。ひとつ違うのは、大きなドロワーズチェストがあることだった。ぱちぱちと瞬きをしてそれを見たリンファスに、プルネルはなあに? と聞いた。

「これは、ドレスを入れてるの?」

「そうよ。リンファスもこの前ドレスを仕立てたんだから、持っていると良いと思うわ。サラティアナなんて三つも持ってるわ」

「三つも!」

確かにサラティアナのドレスの仕立ての回数は多い。リンファスが取りに行っているから良く分かっている。

「サラティアナは公爵家のご自宅から持ってきたドレスも多いかったから、最初から用意させたそうよ。今でも仕立てているから古いものは捨ててしまっているんじゃないかしら」

そうなんだ……。確かに部屋一つに収まるとは思えない。
村の地主であったオファンズの所にも商店の店主が度々出入りしていたけれど、そういう感覚なのかな、とリンファスは見当をつけた。

「ねえ、リンファス。そんなことよりも!」
プルネルは少し声を弾ませてリンファスの手をきゅっと握った。

「腰まである貴女の髪の毛に隠れてしまって見えにくかったけど、貴女、花が新しく着いたのね!? 見せて欲しいわ!」

そう言ってプルネルは腰を折ってリンファスの体の左側を見た。其処には確かに小さな蒼い花が咲いており、プルネルはそれを見て目を輝かせた。

「素敵! 胸の花に続いてまた新しく花が着いているわ! 胸の花も変わってしまっていて、少し気になっていたの。この花の贈り主の方は、貴方のことをまた一つ知ったのね!」

自分の事じゃないのにこんなに喜んでくれるプルネルに、リンファスは心が溢れる思いだった。
この『友情』の気持ちをどうやって伝えたら良いのだろう。プルネルの手首の花は今までと同じように咲いているだけで、この感謝を伝えきれていない。

「プルネル……。そんなに私のことを気に掛けてくれてありがとう……。私、インタルに来て一番良かったことは、貴女に会えたことだわ……」

リンファスは感動してそう言うと、ちょっと待ってて、と言って慌ててプルネルの部屋を出た。
自分の部屋に戻り、テーブルの上のハンカチを持って取って返すと、プルネルの部屋を訪れる。

「わたしね……、貴女に色々助けられているの。最初に話し掛けてくれた時から、ずっとよ……。
私の花は貴女に咲いたけど、それから全然変わらなくて、ちょっと心配で……。
だから……、なんて言ったらいいのかしら、私も貴女が気に掛けてくれるくらい、貴女の事大好きって伝えたくて……」

そう言って、手に持っていた菫の刺繍を刺したハンカチをプルネルに差し出した。

「貴女に似合えばいいなって思って刺したの。良かったらもらってくれると嬉しいわ……」

「まあ、リンファス! こんな素敵な贈り物、私、初めてよ!」

小さな菫が描かれたハンカチを手に取るプルネルが、嘘偽りなく喜んでくれているようで、リンファスは少し安心した。

「以前、ルロワさんのお店に行った時に、素敵な菫の刺繍を見たの。あんな風には刺せなかったんだけど……」

あの素晴らしい刺繍を思い出すと、いま渡したハンカチの刺繍は拙いと思う。それでも、リンファスの気持ちを表すにはこれしかなかった。
刺繍の出来に自信が持てずにいたリンファスに、プルネルはあたたかい声で語り掛けてくれる。

「リンファス、違うのよ。私が嬉しいのは、貴女が私の為に使ってくれた気持ちと時間というこの刺繍なの。貴女の時間と心がこもったこの贈り物、大事にするわ」

リンファスの気持ちを全く間違えずに理解してくれるプルネルを大切だと思う。リンファスは満ち足りた気持ちでありがとう、と微笑んだ。
「リンファス。ちょっとだけこっちを向いてくれ、……そのまま笑っていて。ああ、力は抜いた方がいいな」

涼やかな川のせせらぎが聞こえる川べりで、リンファスはプルネルと一緒に絵を描いてもらっていた。
二人の絵を描いてくれると約束してくれた、アキムがカンバスを前に鉛筆を握っている。
画材は芝の上に置かれていて、瓶に詰まったそれらの色は、とても濃くて沈んだ色に見えるが、それが白いカンバスに塗られていくと、鮮やかに発色するのを、リンファスは既に一枚試し書きをしたアキムの手元を見ていて知っている。

まるで魔法のようだ、と言ったら、アキムは、「画家ならもっと素晴らしい色合いを出すよ」と言って謙遜したが、生憎リンファスは画家などという人に会ったことがなく、また、目の前で絵を描いてくれたのもアキムが初めてだったから、その賞賛がアキムに向けられるのは当たり前だった。

揃いのリボンを顔の横に結わえ、さわさわとしたそよ風に吹かれながら、芝の上でルドヴィックも交えて談笑する。
バスケットに詰めてきた茶器とサンドウィッチ、それからスコーンとジャム。あとはリンファスたちの花があれば、即席のティータイムが始まる。アキムは木の切り株に座ったまま、カンバスを前に、プルネルが差し出したお茶をひと口飲んだ。

「いや、実に素晴らしいティータイムだ。こんなに天気が良いと、絵筆も走るというものだよ」

「私はどうしたらいいのか、分からないわ、アキム……。ただこうやってじっとしているだけって、私にはとても難しくて……」

常に仕事を得て働いているから、じっとしていることに耐えられない。
ウエルトでは仕事でへとへとになって、漸くベッドに入ることにはもう疲労困憊で動けない、という事はあったが、インタルに来てからそのような疲れ方をしたことがなく、結果として、絵のモデルとしてじっとしていることは、リンファスにとってとても窮屈な事だった。

「まるきりじっとしていなくても、いいんだよ。お茶を飲んだり、花を食べたり……。
でも、顔を隠さないでほしいんだ。だって、折角君たち二人を描いているのに、顔が見えないんじゃあ、他の花乙女と間違ってしまうだろう?」

リンファスは、その花の着き方から違いは分かると思うが、プルネルは確かに他の乙女と同じように沢山の花を身に着けているから、絵に描いたプルネルは顔を描かないとどの花乙女だか分からなくなりそうだ。
リンファスがそう言うと、アキムはとても大袈裟に悲しんで見せた。

「リンファス、折角友人になった僕に、そんな冷たいことを言わないでくれ。僕は美しいものを描くことが大好きなんだ。
花乙女はアスナイヌトに次ぐ、美の象徴だよ。君たちをモデルにしていいと聞いたときの僕の歓喜の踊りを、君に見せてあげたいよ」

絵筆を持ったまま、アキムが両腕を広げて天を仰ぐようにすると、プルネルが小鳥のように笑って、ルドヴィックに、「どのくらいが脚色かしら?」と聞いていた。

「かなり、脚色が入っているな。ただ、君たちを描くことが出来ることを喜んでいたことは確かだから、そこは信じてやってほしい」

「……ですって、リンファス。だから気構える必要は、ないんだと思うわ」

ぽん、と手を合わせたプルネルと微笑んでいるルドヴィックにそう言われるが、それが分かったからといって、人に見つめられるのには慣れることが出来るものではない。
もともと居ないものとして扱われてきた時間が長いだけに、こうやって自分のところに人が集まって、あまつさえ交流してくれる、というのが未だに夢なのではないかと、時々思ってしまう程だ。

それは決まって、夢にファトマルが出てきて飛び起きた時で、リンファスはファトマルの怒った顔を頭から追い出すのに苦労した。
――『君が自分に対して自信が持てなかったのは、君の父親の罪だよ』

ふと思い出したのは、この前のロレシオの言葉だった。

あの時ロレシオは、リンファスのことをファトマルの呪縛の中に居ると言った。確かにファトマルに否定され続けて、自分は役立たずなんだと思っていた。
でもインタルに来て、ケイトからも、ハラントからも、プルネルからも、ねぎらいの言葉を貰った。
それが如何に幸せな事なのかという事を、リンファスは身にしみて感じていたし、館の乙女たちの役に立てることは、リンファスの自信を育てていた。
それが、何も出来損ないの役立たずではない、と知ることに繋がっており、ロレシオが言う、『ファトマルの呪縛』からは解き放たれているのではないかと考えるのだ。

それに。

(この、蒼い花……)

ロレシオが贈ってくれた蒼い花があるから、リンファスはお腹いっぱい食事を出来るし、以前は出来なかった、アスナイヌトへの花の寄進も出来るようになった。
勿論、プルネルやアキム、ルドヴィックからの花もそれぞれ美味しいのだが、ロレシオの花は、より甘くて満たされる気がする。
ロレシオはリンファスのことを『友人』だと言ったのに、プルネルたちがリンファスに対して思っている『友人』とは違うのだろうか? それに……。

リンファスも、思いの外野外音楽堂でのダンスが楽しくて、ロレシオに対して一気に親密感を持った。
窮屈な、宿舎と茶話会や舞踏会、という生活から抜け出した友人……、いわば『同志』だった。
収穫祭に似たダンスを楽しいと言い、リンファスの素行を注意しなかったロレシオも、あの生活を窮屈に思っていたに違いない。そう思うと、カーニバルがますます楽しみになる。
カーニバルでどんなロレシオに出会えるのだろうと思うと、気持ちが落ち着かなくなる。とくんとくんと拍動を打つ心臓に触れながら、リンファスは知らず微笑んでいた。それを、プルネルに指摘されて気付く。

「リンファス、どうしたの? なんだかうれしそうだわ」

「えっ……? え、そ、そうかしら……」

今まで心臓が動悸するときは、必ず怒られることを予兆しての時だったので、嬉しそうと言われて、困惑しつつも改めて自分の感情に向き直る。
そして、あの収穫祭でのことが、リンファスにとって初めて《《羽目を外した》》行動だった、と感じた。
其処に一緒に居たロレシオも、おそらく一緒に羽目を外していた。

リンファスの行動は常に、誰かの役に立つ為ということで成り立っていた。その『呪縛の枷』が、一つ外れたのだ。
そう思うと、そうさせてくれたロレシオに対する感謝と、一緒に羽目を外して、リンファスを楽しい気持ちにさせてくれた彼に対する恩義が、心を満たす。自分は良い友人を持った、と思った。

「野外音楽堂で楽しいダンスを踊ったの。全然形式ばっていなくて、とても楽しかったわ」

「まあ、どなたと?」

プルネルが目を輝かせて問うので、この花の方よ、と言って、右胸の『友情』の花を撫でる。するとプルネルはとても喜んでくれた。
「リンファスが心を許せる方がまた増えて、私も嬉しいわ。花を贈ってくださった方なら、信頼できるものね」

そうか、花には乙女に取って贈り主をはかる手掛かりにもなるのか。確かにロレシオは信頼できる人だと思う。

「プルネルの言う通り、その人とお話してみて分かったの。
彼は私のことを友人だと言ってくれたわ。彼の言葉に納得できたのも、彼と話が出来たからなのよ」

リンファスがプルネルに対して微笑んで言うと、アキムが、いいね、その表情、と言ってカンバスに鉛筆を走らせた。

「リンファスは最初に会った時から比べて、随分明るくなったと思うよ。僕はいいことだと思う」

視線を、カンバスとリンファスたちの間で往復させながら、鉛筆を持たない方の手で持っている齧りかけのサンドウィッチを口にした。

「例えばこのパンだって、そのまま食べることも出来るけど、でもこうやって、いろいろな具材と合わせることで味が変わるだろう? 
それと一緒で、君はプルネルや僕たち、そしてその蒼い花の主と関わって、変化してきている。それはとても君にとっても良いことだよ、リンファス」

リンファスの変化を認めてくれる友人が此処にも居る……。
リンファスの胸は、アキムたちの思い遣りにあたたかくなったが、どこか、違う、と感じた。
ふと、脳裏に音楽堂でロレシオと踊った時の光景が思い浮かぶ。あの時の暮れた夜空がとても美しいと思った。それと同時に、ロレシオの言葉がとても嬉しい、とも。

彼も、アキムやルドヴィックも、同じ『友愛』の花を咲かせてくれているのに、アキムのやさしい言葉がリンファスにもたらす喜びは、ロレシオがリンファスを認めてくれた時のそれに及ばない。
これは……、どうしたことだろう。疑問を顔に浮かべて黙っていると、やはりプルネルがリンファスの様子を察して、どうしたの、と助け舟を出してくれた。

「……同じ花を頂いて、同じように私のことを認めてもらっているのに、……なんだか心が騒ぐの……。
……同じ葡萄ジュースの筈なのに、違う葡萄ジュースを飲んだみたいな感覚になったの……」

「……言っていることが分からないわ、リンファス」

会って、話をしているのに、通じないこともあるんだ……。リンファスは胸の中のもやもやを、そのまま胸の深く閉じ込めてしまおうと思った。
その時口を開いたのはルドヴィックだった。

「同じ葡萄ジュースでも、違う味がすること、僕は分かるな」

微笑んでリンファスの疑問に応じてくれるルドヴィックに、縋りたい気持ちになってリンファスは問うた。

「なんだか……、どちらのジュースも美味しいんだけど、どこか違う気がするの……。葡萄の味は同じだわ。でも、違うの。ルドヴィックもそんな気持ちになったことがあるのね?」

リンファスの問いにルドヴィックは、実に明朗に、あるさ、と応えた。

「僕にとっての最高の葡萄ジュースの味は、サラティアナと一緒に舞踏会で飲む、葡萄ジュースの味だ。
この前君と一緒に飲んだ葡萄ジュースの味には、残念ながら劣ってしまう。これは葡萄ジュースの所為ではなく、僕の所為なんだ。……つまり、僕は君とサラティアナを明らかに区別している。
君とサラティアナに咲いている、僕の花の形を見れば一目瞭然だと思うが、僕はサラティアナのことを愛しているが、君にその気持ちはない、という事なんだよ、リンファス。大変申し訳ない例えですまないが……」

気持ちが……違う? 同じ『友情』の花を貰っているのに、リンファスが、……違うという事……?
「わ……、私がルドヴィックにとって、愛して幸せにする相手じゃないという理由はとてもよくわかるわ。
だって、私はこんなに痩せぎすでみっともなくって、きっと今だって、周りから見たら、貴方たちに釣り合っていないって指を指されて当たり前ですもの……。
サラティアナさんと比べるまでもないわ。分かり切ったことよ」

「リンファス。君は自分をそこまで卑下しなくても良いと思うよ。
ただ僕が、サラティアナを愛している、それだけのことなんだ。
だから、君の疑問は君を僕に置き換えてみると分かりやすいと思うよ。
君は……、僕たちには想わない何か別な感情を、もう一つの葡萄ジュースに傾けているっていう事なんじゃないのかな」

ルドヴィックたちには想わない……別な感情?

「な……、何かしら……。別な感情って……」

リンファスの戸惑いを楽しむように、ルドヴィックは笑った。

「ははは。僕と、もう一つの葡萄ジュースが花乙女だったら、君にそれを示してあげられるのにね。
こういう時に、花が咲かないっていうのは、本当に相手の気持ちを表現するのに不便だよ」

……ルドヴィックも、ロレシオと同じようなことを言う……。『鏡』で自分の姿を見られたらどんなに良いだろうかと、姿見を知った人ならみんなそう言うんだ……。
リンファスがルドヴィックの言葉にぽかんとした顔をしていると、彼は茶目っ気たっぷりに人差し指を口の前に立ててこう言った。

「しかし、花で示されないからこそ、人間の心というものは尊いんだと思うよ。
人を思い遣り、相手のことを想って自分がどう在れるかと自らに問う。
これこそ、人が複雑な想いをもって感情の糸を絡め合う、人間たる一つの理由なのではないかな」

人間である、理由……。

リンファスはルドヴィックの言葉を自分なりにかみ砕いた。

ウエルトの村では、リンファスに向けられる人々の気持ちは一辺倒だった。
それ故、リンファスもすべてを受け入れ、耐えるという事しか出来なかった。

しかしインタルに来て周りの人に少しずつ受け入れてもらって、リンファスは受け入れて、耐えるだけではない感情を知った。
それは友への気持ちを差し出すことだったり、支えてくれる大人を頼ることだったりした。
また、リンファスに向けられた言葉に俯くだけではなく返事を返すことも覚えた。
人と話して分かり合っていくうちに、『憐み』から『友情』、『友情』から『友愛』へと、与えられる感情が変化してきた。

その花を受け取って咲かせたリンファスもまた、与えられた感情を肯定し、少なくとも同じだけは返しているのではないだろうか? 
だってロレシオは、リンファスがどうして自分に対して話し掛けてくるのだろう、という疑問という『興味』を持ったら、ロレシオもまたリンファスに対して『興味』をもってくれたではないか。

花乙女とイヴラ、……つまり、人と人との間には、感情のやり取りが必ずあって、それが花の形が変わるように変化していく。
その真っただ中に、リンファスは居るのだった。
花を咲かせる側でないリンファスは、それを表す言葉を持たなければならない。

「……難しいのね……。人と話して……、分かってもらうって……。貴方たちイヴラが花乙女に花を咲かせて嬉しい気持ちが、少しだけ分かるわ……」

少なくとも、難しい言葉が要らないから……。形となって見えるから……。

今、この胸の中にあるもやもやも、花の形にしてしまえたら、どんなに分かりやすいだろう。
それを見ることが出来ないから、リンファスはもやもやと向き合わなければならなかった。



……実に、難しい問題だった。


ロレシオは次の金曜日にケイトに手紙を送ってくれた。
リンファスは前回同様やはりケイトに読んでもらって、明日午後五時にこの前と同じ楡の木の下で、とロレシオが連絡してきたことが分かった。

手紙を部屋に持ち帰ったリンファスは、少し心持ちが落ち着かないで居た。
以前のようにお腹の底がそわそわする気もするし、胸がどきどきする気もする。
今の気持ちを言葉で表現できずに居て、すっきりしない。言葉でかみ砕いてすっきりできたら良いのに……、とリンファスは思った。

ウエルトの村でただただ働いていた頃は、自分のことで悩むなんてなかった。じっとしていられなくて、部屋の中を無意味にうろうろとしてしまって、だから部屋のドアがノックされたときは飛び上がるほどびっくりした。

「リンファス、良いかしら?」

プルネルだ。丁度良かった、この悩みを聞いてもらおう。そう思ってリンファスはドアを開けた。

「プルネル! 丁度良かったわ!」

「えっ、どうしたの? リンファス」

出迎えるなりそう言ったリンファスに、プルネルはしかし話を聞いてくれた。
明日、ロレシオに会う前に自分なりに気持ちを落ち着けておきたい。
このままではどんな顔をしてロレシオに会ったらいいか分からない、というようなことを、たどたどしく説明した。
プルネルはリンファスの言葉を根気強く聞いてくれて、そして微笑みながらこう答えた。

「頂いた花に感謝をして、その方にそう伝えたら良いと思うわ。
リンファスが今落ち着かない気持ちになっているのは、その方が貴女にとって特別な方になっているからなんじゃないかしら?」

「特別……?」

リンファスがおうむ返しに問うと、プルネルはそうよ、と言って続けた。

「アキムやルドヴィックには感じない気持ちを思っているのなら、少なくとも彼らより『特別』なんだと思うわ。
貴女がこの前、ジュースの味が違うと言ったのも、その方のことだったのかしら? 
リンファスがそうやって気にするのも無理ないと思うわよ。だって、貴女に次々と花を咲かせてくれた人ですもの。私だってそんな方がいらしたら、きっと気にしてしまうわ」

「そうなのね……。そういう時に、どういう気持ちで居たら普通に振舞えるかしら……。なんだか普段通りに振舞えない気がするのよ……」

こんなことを感じるのは初めてだ。
自分が話術に長けていないことは十分に知っていたし、ロレシオが知って楽しいようなことを話せる過去の持ち主であるとは思えない。
不安になって聞くとプルネルは、そのままでいいんじゃないかしら、と言った。

「その方だって、気持ちを偽ったリンファスに会いたいわけではないでしょう? リンファスは自然にして居たら良いと思うわ」

そう……、なのだろうか……。リンファスのこれからの『証』になってくれるというロレシオを、がっかりさせたくない。

「リンファス。貴女に花を贈ってくださった方に対して、貴女は自分を卑下しすぎてはいけないわ。貴女のありのままを認めてくださった方に、失礼になるから」

プルネルの言葉にハッとする。
今まで常に自分が至らないことを嘆いてきたが、そんなリンファスに花を贈ってくれたロレシオは、至らない筈のリンファスに『興味』を持ってくれて『友人』だと思ってくれたのだ。そのことを、大切にしないといけない……。
リンファスに咲いた『友愛』と『友情』の花がふるりと揺れて、リンファスを励ました。

「そ……、そうね、プルネル……。貴女の言う通りだわ……。……私、この花を贈ってくれた彼の気持ちを大切にする。そうすることで、彼を大切にすることに繋がるのね……」

「そうよ、リンファス。そうやって、心と心が結ばれて行くんだわ」

微笑んでリンファスを落ち着けてくれたプルネルに感謝する。明日が、待ち遠しくなった。


「わあっ! 凄い!」

リンファスはロレシオが連れてきてくれたカーニバルの様子に興奮状態になった。
軒先にランタンを灯したテントが幾筋にも伸び、多くの人で賑わっている。
陽が暮れ行く藍からピンクへのグラデーションで美しい空の下に大小のオレンジ色の光が輝き、人々が楽しそうに行き交っている。
その様子に心が躍って、昨日落ち着かないで居たことなんて忘れてしまった。

……勿論、待ち合わせの時には少し緊張したのだけど。




『リンファス、どうかしたの?』

先に楡の木の下に居たロレシオと会った時、リンファスはそう言われた。
昨夜プルネルに自然に、と言われたのに、やはりどこか緊張してしまったようだった。

『あの……、私、……村では友達が居たことがなかったから……、何を話したらいいのか……』

不安で先にそう言ってしまうと、ロレシオは、ははは、と笑った。

『言っただろう? 心を飾る言葉を、僕は信用できないと。ありのまま居てくれたら、それで良いんだ』

『……それでロレシオは、楽しめるのかしら……』

リンファスの不安に、ロレシオは明快に答えた。

『楽しいさ。僕は今、二度目の人生を歩んでいる気分だからね。
君が与えてくれた人生だ。君に感謝しこそすれ、君のことを不快に思うことはないよ。君に咲いている花が証拠だと言えば、分かりやすいかい?』

ロレシオに言われて、自分に咲いていた花を見た。確かにロレシオの花はリンファスに咲いていて、そのことがリンファスを安心させた。

『……そうね、ごめんなさい、貴方を疑うようなことを言ってしまって……。どうしても自信が持てなかったの。でももう止めるわ。貴方に失礼だから』

『そう。それでいいんだ、リンファス。僕たちは互いに友情を感じ合っている。そのことを、誇らしく思うよ』

ロレシオはそう言ってリンファスをカーニバルに誘(いざな)ってくれた。




「テントの数が凄いわね。見ているだけで楽しいわ」

「そう? だったら良かった」

リンファスとロレシオは歩きながら市を見て回った。
途中、小さな砂糖菓子を並べているテントがあって、かわいらしい花の形をしたものが什器に盛られていた。
以前ルドヴィックがサラティアナの為に買ったという花砂糖とはこういうものかな、と興味深く見た。

その並びのテントに、白くて小さいパンが売っていた。
花乙女にとって一番美味しいのは自分に咲いた愛情の花だが、一方で花乙女も人間であるので、普通の人間と同じ嗅覚・味覚は持っている。
その、リンファスの人間としての嗅覚を、パンの焼きたての香ばしい香りがいとも簡単に刺激した。

リンファスが見たことがあるパンは、どれも焼き色が付いていて表面が茶色いものだったから、真っ白いパンというのは珍しかった。
そう言う意味でも、そのテントは賑わっていた。

「さー、買って行っておくれ! 特別な製法で作った、ふわふわな真っ白いパンだ! 中には特製のクリームが入ってるよ!」

パンにクリームが入っているだって? 
パンと言えばウエルトで食べていた干からびて固いパンか、インタルに来てから花が咲くまでの間に食べた、茶色い焼き目のついたパンしか食べたことがない。
どちらも勿論、パンに混ぜ物などなく、だから、クリームが入っている真っ白なパン、という紹介に、リンファスは心惹かれた。
テントの前には人が群がっていて、リンファスも人の間からテントの什器に山積みにされたパンの形を見る。

……丸っこくて、小さくて、そして何より真っ白だ。
客は次から次へとその白いパンを買い求めていて、店主が次々と紙袋に客が求めるだけの数のパンを放り込んでは渡していた。

どんな味なんだろう。そう思ったのがロレシオに伝わったのか、気になる? と尋ねられた。