街の中を、ガラガラと馬車が車輪の音を立てて人々の目線の先を横切って行く。馬車は、真っ白な建物の門扉の前に止まった。
その馬車の様子に、通りを行き交っていた人々の注目が集まる。
「おい、ハンナだ」
「また花乙女を見つけてきたんだな」
「ああ、白い髪、白い肌、紫の瞳の色。花乙女に間違いない」
「でもおかしくないか、あの子」
「本当だ……」
「花がついてない……」
人々の注目の的となっている花乙女には、確かに一つの花も、ついていなかった……。
「今日も売れ残ってしまった……」
荷馬車に揺られながら、リンファスは一人零した。人が引いてしまう午後まで市で粘ったけど、そもそもリンファスの手から畑の野菜を買ってくれる客は少ない。
今日は休日ということもあり、余計に市への買い物客は少なかった。最後の客には半値しか代金をもらえなかったうえに、罵声を浴びさせられた。曰く、
「アンタはついてるだろ! 本当だったら悪魔の子は殺されてもおかしくないんだからね。
そんな見た目でファトマルに育ててもらった上に、寝床まで与えてもらえるなんてラッキーじゃないか。
生かされてるだけで儲けもんなんだから、半値でも代金もらえるだけありがたいと思って欲しいね!」
だそうだ。
確かにそうなので、何も言えなかった。
リンファスは村人たちがみんな茶色の髪と茶色の目、そして照り付ける日差しの中での農作業で焼けた肌をしているのに、リンファス一人だけ真っ白な肌で、髪は白く目は紫で明らかに村の中で異端児だった。
結局売り上げは50ルーカしかない。荷馬車の荷台には売れ残った野菜がこんもりと積み上げられていて、これらも朝早くから収穫したと言うのに、また家で食べるスープの材料になるだけなのかと思ったら、空虚感が胸に漂う。
(駄目ね、私……。全然父さんの役に立たない……)
巾着に入れた小銭を触ると、はあ、と重たいため息が零れる。
今日の売り上げはたったこれだけ……。これでは父が一回博打に使ってしまえばなくなってしまう。
そのことを凄く怒られるのだろうな、と思うと、リンファスの顔はますます俯いた。
(でも……、一回は出来るもの……)
売り上げがない時は競馬場に行けないから、家に居る父の機嫌はすこぶる悪くなる。それを考えたら、一回分だけでも稼げて良かったのだと思う。
(早く帰ろう……)
兎に角見向きもしてくれない客たちを相手にずっと市に居るのは辛かった。家に帰れば多少の安堵は出来る。リンファスは荷馬車を走らせた。
リンファスが家に帰り、馬小屋に馬を仕舞い、荷台を片付けてから家に入ると、玄関のドアを開けた途端に家の中から罵声が飛んだ。
「リンファス! 帰って来たのなら、今日の売り上げを早く寄越さないか!」
家の中から叫んだのは、リンファスの父、ファトマルである。
ファトマルは古いテーブルセットの椅子にだらしなく腰かけており、赤い顔をしてその手には空いた酒瓶を持っていた。
他にもテーブルの上、ファトマルの足元にも数本、酒瓶が転がっており、日中から飲酒していたことは明らかだった。しかしリンファスはその様を見ても顔色一つ変えない。これが日常だからだ。
「父さん、今日は少ししか売れなかったの……。だから、これだけしかないわ」
「たったの50ルーカだと!? そんな稼ぎでお前を養えると思ってるのか! この魔女の子めが!」
ファトマルは売り上げを渡そうとしたリンファスを力任せに叩いた。その拍子にガリガリのリンファスの体が吹っ飛んで床に倒れる。
「……っ!」
「これ見よがしに倒れるな! お前を養っているせいで、俺が村でなんて言われているのか知ってるのか!
それでもお前を家に置いてやってる俺に対して感謝こそすれ、被害者振るなんて根性が曲がってる!
お前のような奇異な子供は働く事しか出来ることはないだろうが! 売り上げをこっちに寄越して部屋に引っ込んでろ!」
ファトマルの言い分は尤もだった。椅子から立ち上がるファトマルを視線で追い、リンファスはファトマルに問いかけた。
「あっ、父さん、何処へ……」
「いつもの所だ。飯までには戻る。俺の食事を作っておけ。魚のスープだ。野菜は飽きた」
ファトマルがそう言いつけると、リンファスは困ったように眉を寄せた。
「父さん、魚は最近、海を海賊が自由に荒らしているらしくて、漁師の人も漁が出来ないって言ってるの」
「ええい、お前がきちんと野菜を売り上げたら高値でも買えただろう! この役立たず! 何でもいい、食事を作っておけ!」
リンファスは俯いて返事をした。
「……はい……」
バタン、と荒々しい音をさせてファトマルが家を出て行く。リンファスは床についた手をぎゅっと握って、その音を見送った。
(私は魔女の子だもの……。屋根があるところに暮らせるだけ、良いんだわ……)
人々が忌み嫌う魔女の子だから、路頭に迷わないだけ自分は幸せ者だ。リンファスは真剣にそう思っていた。
リンファスは手に力を入れて立ち上がると、家の中を見渡し、テーブルの上や床に転がった酒瓶を片付けて回った。そしてファトマルが使っていた僅かな食べ物を乗せていた食器と共に台所の桶に浸して洗った。
瓶は中をよくすすいで綺麗にし、食器を洗い終わると、桶の中の水を張り替え、自分の顔を映した。
ゆるく波紋を描く水面に浮かぶ自分の顔は、何度見つめ直してもやはり白い髪の毛と紫の目をしており、茶色の髪と茶色の瞳のファトマルとは似ても似つかない。リンファスは諦めたように口元に笑みを浮かべて、桶の中の水を流した。
(村の人はみんな茶色の目に茶色の髪の毛なのに、わたしだけこんな髪と瞳の色なんだもの……。誰だって気持ち悪く思うわ……。薄気味悪いと思うはずなのに、一緒の家に居てくれる父さんは、お酒と博打には弱いけど、それでもいい人よ……)
ため息が零れる。どんなに見つめたって、村の人たちのような色にはならなかった。その時。
コンコン。
家のドアをノックする音が聞こえた。リンファスはその音に素直に疑問を浮かべた。
(父さんは出かけたら夕方まで戻らないもの……。誰……?)
戸惑っていると、玄関の外から家の中に呼び掛ける声が聞こえた。
「もし。どなたかいらっしゃいませんか?」
(女の人の声……。強盗とかではなさそう……)
そう思ってふるふると首を振った。そもそもこの家には、強盗が盗るようなものは何もない。リンファスは恐る恐る玄関のドアを開けた。ドアの前にはふくよかな、きちんとした身なりの女性が立っていた。
「ああ、手紙の通りね。会えてうれしいわ」
開口一番そう言った女性は、奇異な見た目のリンファスに対してにこやかに微笑んだ。
(……手紙? ……うれしい?)
リンファスは女性のにこやかさに戸惑った。
「あの……、どちらさま……?」
そう問うと、女性はそうね、そうよね、とひとつ手を叩いた。
「まずは自己紹介からよね。私はハンナ・グレンフォート。王都・インタルから来たの。あなたの名前は?」
「……リンファスと言います」
リンファスが名乗ると、ハンナは笑みを深くしてこう言った。
「リンファス……。いい名前ね。ご両親は今、いらっしゃるかしら?」
「あ……っ、母は私を生んですぐに死んだそうです。父は今、出掛けてて……」
リンファスがそう言うと、ハンナは、そう、と言って頷き、ファトマルが帰るまで家で待たせてもらっても良いだろうかと問うてきた。
「え……っ」
「大事な用事があるのよ。……あなたのことで」
(……私のこと……?)
リンファスは不思議そうな顔でハンナを見つめた。
夕刻が差し迫ってきた頃に、ファトマルは帰宅した。
また博打で負けたのか、空の酒瓶を持って赤い顔で玄関を荒々しく開けると、そのままふらふらと家の中に入ってきて、倒れ込むようにして椅子に寄りかかった。
そのまま椅子ごと倒れるのではないかと思い、リンファスはファトマルの体を支えた。
「くっそー! また負けた! それもこれもみんなお前の所為だ! お前が俺から運を奪っていく!
天から金が降ってくりゃ、お前みたいな薄気味悪い子供なんかと一緒に暮らさねーのに! もし今すぐ金が降ってくりゃ、お前みてーな役に立たないやつ、売り飛ばしたっていいくらいだ!」
叫んでファトマルは空の酒瓶を逆さまにすると、残りが一滴もないことに舌打ちをした。
「ファトマルさん」
其処へ声を掛けたのは、ハンナだった。こんなに泥酔状態だが、それでもこんな田舎まで来た用事を済ませようとするらしい。
まともな返答は聞けないと思うが、リンファスに口出しする権利はないので、黙ってファトマルをもう一度しっかりと椅子に座り直させた。
「誰だあ? おめーは」
「わたくし、ハンナ・グレンフォートと申します。ファトマルさんに、折り入ってお話があるのですわ。そう、リンファスのことで」
「ああ?」
酔って半眼のファトマルを、ハンナは穏やかに見つめた。
威勢ではファトマルの方が圧倒的に見えるが、何故かこの場を支配しているのはハンナだと、リンファスは思った。
「リンファスを都に召し上げる!?」
粗末なテーブルセットの椅子から立ち上がって、ファトマルが叫んだ。
立ち上がった拍子に膝の裏ではねのけた椅子が床に転がる。ハンナは落ち着いた様子で微笑みを崩さず、言葉を続けた。
「そうです。地主のオファンズさんから連絡を頂いてウエルトまで来ましたが、リンファスは正真正銘、アスナイヌトの子、花乙女です。
花乙女は国で丁重に保護することになっています。
花乙女がその身に花を咲かせ、アスナイヌトにその花を捧げることでこの世界が平和に成り立っていることは、ファトマルさんもご存じでしょう?」
「そんな話、聞いたことない。どこぞの迷信か」
ファトマルが一蹴すると、ハンナは目つきを厳しいものに変えて言葉を続けた。
「ファトマルさん、あなたの信仰心の無さはこの際おいておきます。
それを踏まえても、あなたが娘であるリンファスに、十分な食事も与えず労働に駆り立てていることは、リンファスを見れば一目でわかります。
私は花乙女を保護する立場の者として、リンファスを正式に都に召し上げます。
ああ、お留守の間にリンファスの部屋も見せてもらいました。荷物は特に作る必要もなさそうでしたから、このまま彼女を都に連れて帰ります。
これは、通告と命令です」
そう言うと、ハンナは持っていた鞄から命令書を取り出し、ファトマルに見せた。
其処には『このアディア国に居る白い肌、白い髪、紫の瞳の少女を王都・インタルの花乙女の宿舎に集め、保護すること』とあった。
それを見て呆然とするファトマルと、おろおろと父とハンナを交互に見るリンファスに、ハンナは同時に視線を送り、そしてリンファスに向かって微笑んだ。
「リンファス。そういう訳で、今後あなたは、国が全面的に支援して保護します。花乙女たちが暮らす宿舎があるのよ。そこへ行きましょう」
にっこりと微笑むハンナに何も言えないリンファスのことを、ハンナが背を押して玄関ドアの方へ向こうとすると、ファトマルがハンナの腕をぐっと握って引く。
「リンファスが居なくなったら、この家の働き手がいなくなっちまう! そんなことは困るのさ!
お偉いさんが何を決めたかしらねーが、我が家にだってルールはあるんだ!
まずはそこを通してもらわねーと……」
ファトマルが言い終わるか言い終わらないかの瞬間に、ハンナは持っていた大きな革鞄からバサバサッと紙幣の束をファトマルの目の前にいくつも落とした。
床に山となった紙幣の束を見て、ファトマルはますます呆然とした。
「手切れ金なら、これで十分でしょう。あなたはリンファスに良くない影響を与えてきた。これからリンファスは、幸せになる為に歩み始めるのです」
ハンナが厳しい声でそう言うと、ファトマルは一瞬たじろいだが、直ぐに強気の姿勢を取り戻した。
「リ……リンファスを売り渡すのは構わねーが、こいつはどう言ってんだ。
悪魔の子だと村の皆から厄介者扱いされてた自分を恩義で育ててやった俺のことをよお。
まさか不幸だったって言う気じゃないだろうな!? ああ!? リンファスよお!!」
ファトマルの罵声がリンファスに飛ぶ。
リンファスはハンナとファトマルの言葉を考えていた。
確かにリンファスはファトマルの役に立ったことなんてなかった。市での稼ぎは良くないし、何しろこの見た目だ。家に置いてくれているファトマルに冷ややかな視線が向けられているのを、リンファスはどうすることも出来なかった。
それを考えれば、リンファスがファトマルに恩を感じても、恨むことがあるはずがない。現にリンファスは、ファトマルに対して常に申し訳ない気持ちと、その恩に報いられない自分の不甲斐なさを痛感していた。
その思いがリンファスを突き動かした。
(わ……、私がハンナさんと一緒に行けば、この多額の『手切れ金』は、父さんのものになるんだわ……)
売買契約としては、これ以上ない好条件だった。自分という、何の役にも立たない存在を、こんな大金で買ってくれると言うのだ。これを逃す手はなかった。
何より、ファトマルの今までの庇護に報いるために。リンファスは震える手を握りしめて、口を開いた。
「と……、父さんには、凄く、感謝してます……。だから、私、ハンナさんと一緒に行きます……! 父さんの恩に、報いるために……!」
思えばファトマルに対して意見を言ったのは、これが初めてだった。