僕の愛おしき憑かれた彼女

「谷口先輩は?」

「もう一度、下流まで下ってからテント戻るって」

「砂月は?」 

愛子が心配そうに俺に訊ねた。俺は、愛子から視線を、外してから返事した。

「あぁ、砂月は、テントに戻るように言った、駿介もアスレチック確認したら、テント戻るだろうし」

「そっか、砂月も心配だけど、今は桃だね」

俺達は、先輩と桃のコースを遡っていく。

「どこいったんだよっ」

 見渡せど見渡せど樹木が生い茂るほか、動くものは何一つない。

「子供の、足でそんな遠くっ、いけないよね?」

愛子の息が上がっていた。

「藤野、このままテント戻れよ、俺ここから迂回して谷口先輩の居る川に合流するから」

「分かった、砂月も、あたしがみてるから」

「サンキュ」

背を向けた俺に再度、愛子から声が投げかけられる。

「春宮彰!そういえば、桃のことで、少し気になってることあって」

「何?」

「あ、アンタ達三人がコース決めしてた時に、砂月と三人でおしゃべりしてたんだよね、そしたら桃が、早くお父さんに会えたらいいなって話してて」

「お父さん?」

「うん、砂月の前だったし、先輩がそういうことにしてるっぽかったから、あたしは何も言わなかったんだけど……」

愛子が、時折視線を泳がせながら、言葉を選んでいるのが分かった。

「そういうことって?」

直感で愛子の言うとこがわかるような気がした。鼓動が少しずつ速くなる。

「……谷口先輩のお父さん、亡くなってるんだよね」

愛子が俺の目をじっと見た。
「数年前、仕事先で事故で亡くなったんだけど、桃が小さかったから、ずっと亡くなったことが言えなくて、出張ってことにしてるって谷口先輩が話してくれたことがあって」

「でもそれだけじゃ……」

俺の言葉を遮るように、愛子が首を振った。

「桃ね、もうすぐお父さんに会えるって言ってたの。それが気になって……」

「もうすぐ?」

俺と愛子の携帯が同時に鳴った。陸上部のグループラインに駿介からのメッセージが入る。

『アスレチック場にも、テントにもいない』

文字をざっと流したところで再度、音が鳴る。

『了解、俺は中広場まで戻る』
谷口先輩からのメッセージだ。

既読は三つ。

『俺と藤野も中広場に戻る』
既読が三つ付いた。

『彰、砂月は?』
駿介からのラインに俺は固まった。

「え?」

ーーーー思わず声が出た。血の気が引くとはこの事だ。途端にスマホを持つ手が少し震える。

既読が四つにならないのは、駿介と砂月が一緒にいるからだと勝手に思っていた。

一瞬で、頭が真っ白になって、立ち止まる。何度も駿介のメッセージを目で繰り返す。

ーーーー桃だけじゃなくて砂月まで?

どこに行った?時間的にとっくにテントまで着いてるはずだ。

……砂月は目眩を起こしていた、どこかで倒れてたりしたら?どこかで何かに憑かれていたとしたら?

走り出そうとした俺の腕を、愛子が、強く引っ張った。

「春宮彰!」

砂月と表示されたスマホ画面を俺に見せると、愛子が再びスマホを耳に当てた。

(砂月、頼むから、電話出てくれ!)

ーーーー落ち着くんだ。

俺は、駿介にラインの返事を指先で送る。

『砂月はテントに向かった、駿介、いないのか?』

『砂月も桃もテントにはいない、俺も中広場にいく』

駿介からのラインを見て、動悸がしてくる。

愛子を振り返れば、スマホを耳に当てたまま、俺に向かって首を振った。

「彰!愛子くん!」

中広場入り口から谷口先輩が、俺と愛子に向かって声を大声を張り上げた。同時に、ラインメッセージを告げる音が鳴り響いた。

『桃ちゃんと墓地にいます』

砂月からのラインを見たのと同時に、俺は、走り出していた。

「うそつき!」

墓地に着くのと同時に入り口にまで、その高く悲鳴めいた子供の声が聞こえてきた。

それほど広くない墓地だが、三つのブロックに分かれていて階段もいくつかあった。

辺りを見渡しても、墓石と樹木に阻まれてその声がどこから聞こえるのか、はっきりと特定は出来ない。

「今の声は!間違いない!桃だ!」

声に気づいた谷口先輩が、案内するように俺と愛子の前に立った。

「彰、愛子くん、恐らくこちらだ」

一つ目の階段を登り右に曲がったところで、先程の声が、より鮮明に大きくなっていく。突き当たりを左に曲がったときだった。

赤いワンピースが揺れた。

「うそつき!おねえちゃんのうそつき!」 

桃が、小さな両手で何度も砂月を揺すって、握り拳を作っては砂月の胸を叩いていた。

「……ごめ、んね」

「何をしている!」

桃の首根っこを掴むと、そのまま引きずるように谷口先輩が、砂月から引き離した。

「お兄ち……」

「馬鹿野郎!」

強く激しい怒りを含んだ声色だった。 

桃が大声にびくんと体を震わせると、ボロボロと大粒の涙が溢れ落ちた。

「桃!人様に迷惑をかけるようなことだけはするなといつも言っているだろう!なぜだ!」

「だ、……って、ひっく」

「あ、あの、私が……」

スウェットの袖を、握り締めながら砂月が小さな声を発した。
「砂月くんは、少し黙っていてくれ、すまない」

谷口先輩は、怒りに満ちた目を、泣きじゃくる桃に向けたまま逸らさない。

「谷口先輩、聞いてください。私……桃ちゃんに、お父さんを会わせてあげたくて、でも、その……ごめんなさい」

砂月が、泣きそうな顔をして、俯くとそのまま頭を下げた。

「え?それはどういうことだ?」

谷口先輩のギョロ目がますます大きくなり、戸惑っている。

「砂月?お前、何しようとした?」

今度は、俺の声色が変わるのが自分でも分かった。砂月が下唇を噛み締めた。

「春宮彰!」

咎めるように、俺の腕を愛子が、引っ張った。

「砂月、話して。桃ちゃんとどうして此処に来たのか教えて」

「そうだ、どうして、此処が分かったんだ?」

谷口先輩が、手のひらで指し示した墓石には『谷口家先祖代々』と記されていた。

「それは…」

砂月が桃をチラッと見ながら口籠った。

「おにい、ひっく……ごめんなさい。……も、もね、しってたの。おとうさん、ここにいるって」

泣き出した桃を見つめながら、谷口先輩の身体が僅かに震えてるのが分かった。

「桃、何言って……」

「おにいちゃん、もも、に……いわないのは、ももが、かなし……ひっく……から」

砂月が、ポケットからハンカチを取り出すと、桃の目尻に優しく当てた。

「あの、私、テントに帰ろうとした時に桃ちゃんの赤いワンピースが見えて、思わず追いかけて……その時、桃ちゃんから、お父さんの話を聞いて」

そこまで聞いて、俺は砂月の言葉を遮った。

「砂月!お前、憑かれようとしたんだな!」

思わず叱責に近い口調になった。
「で、でも……ダメだったの」

「え?」

砂月の瞳からも涙が、溢れ始める。

「どんなに干渉しても、どんなに願ってもダメだった」

砂月は、膝をつくと桃を抱きしめた。

「お父さん会いたいよね、ごめんね」

「……これは、どう……いうことだ?砂月くんは?」

俺たちの顔を、交互に見ながら谷口先輩が、困惑している。

「谷口先輩、砂月は、特異な体質で霊に憑かれやすいんです、信じられないかとは思いますが」

愛子が、端的にそう答えた。

「だから、桃ちゃんの為に、谷口先輩のお父さんに憑かれようと思ったんです。桃ちゃんに会わせる為に」

「そんなことが?……」

「先輩、信じられる方が難しいと思うんで、こういうのって」

少しの間、谷口先輩は難しい顔をしていたが、やがて納得したかのように口を開いた。

「……いや、彰、信じるよ、……だから、君が、砂月君を此処へ連れてくることを、拒んでいたことへの説明がつく」

谷口先輩は、すこし間を空けてから、小さく深呼吸した。

「……桃、先に一つ聞くが、なぜ此処が分かった?」

「……おにいちゃん、まいつき、かならず、ここにひとりできてるでしょ?いちどだけ、お兄ちゃんのあとをつけたことあるの。おうちから、ここまでちかいから」

真っ赤になった瞳を逸らさずに、桃が、言葉を続ける。

「おとうさん、……しんじゃったんだね」

谷口先輩が、そっと(くる)むようにして桃を抱きしめた。

「……あぁ、黙っていて悪かった。お前に嘘を吐いた。お前には嘘は付くなと口煩く言っているのに情けないな。悪かった」

俺は、谷口先輩の大きな背中が、震えて泣いているように見えて苦しくなる。

「もものためだもん。おねえちゃんもそういってた」

「……あぁ、今度からは何でも話そう。誓うから。お兄ちゃんは桃の笑ってる顔か大好きだ。父さんが居なくても、俺が、ずっと守ってやるからな」

あたたかい優しい笑顔だった。桃がぴょこんと谷口先輩に抱きついた。

「……うん、でも、おとうさんにできたらあってみたかったな……」

寂しげに笑う桃に、俺は思わず口を開いた。

「桃、何で砂月にお父さんが憑かなかったのか、わかるか?」

桃が小さく首を振る。俺は桃の頭をふわりと撫でた。

「砂月が、憑かれるのは、未練を残した迷える魂だけだよ。だから、桃のお父さんは、何も心配してないんだ。だから、砂月に憑かなかった」

「そうだね、桃には、こんなにカッコよくて強くて優しい、お兄ちゃんが居るからね」

愛子が目を細めた。

「……そうか、父さんは、安心して俺達を見ててくれてるってことだな」

谷口先輩が、墓標を見つめる。

「胸を張っていいんだな。父さんが、安心できてるくらい、俺は、ちゃんとできてるってことだよな」

谷口先輩は、静かに墓標に手を合わせた。

「みんな有難う、さ、桃からもお礼を言いなさい」

桃が、谷口先輩の胸から、ぴょんと飛び降りる。

「ありがとうっ」

桃がようやく、満面の笑みで、にっと白い歯を見せた。


「あー……俺がやっぱ最後だよな、桃、見つかって良かったな」

背後から、疲労感たっぷりに俺達に声をかけた声の主は駿介だ。

「駿介、この通り桃は無事だ!悪かったな」

いーえ、と駿介が短く答える。

「で?これ何?砂月も憑かれてないみたいだし、もしかして一件落着か?」

俺達を見渡しながら、駿介が、不機嫌そうに、きゅっと目を細めた。

「そうそう、お前、今回ビリな」

「は?彰、なんだよそれ、競争してねーだろ」

「ずいぶんとおそかったわね、ちゃいろのさる」

「おい小猿!てめぇのせいだろ!」

駿介が、桃の首根っこを捕まえようと手を伸ばす。

はいはい、お終い!愛子のパンパンと鳴らされた両手で、この件は静かに幕を閉じた。

「彰……」

気づけば、砂月が、不安そうな顔で俺を見上げている。

さっき砂月をキツく怒鳴ったことが、頭を掠めた。

「偉かったな」

気まずい俺は、それだけ、言って砂月の髪をくしゃっと撫でた。
夜空には、不規則に星が散りばめられて、たなびく細い雲が、ストールのように半月を覆ったり、めくったりを繰り返しながら、夜を更に深く藍色に染めていく。

「なぁ、外で作って食うカレーは何であんな美味いんだ?」

ヤマモミジムクロジ科カエデ属と書かれた白いプレートの樹の下に、俺は、ゴロンと転がった。

夏独特の草の匂いと夏の空気が、ふわりと漂う。八月も終わりだ。どこなく夏の匂いも薄らいでいってるように思う。

「皆んなで食うのと、外なのと、自分達で作るからだろ」

ありきたりな返答をしながら、駿介が、俺の隣に転がった。俺達の寝転んでいる、テントから少し登った斜面からは、楽しそうに、はしゃぐ桃を囲んで、砂月達が談笑している姿が見える。

「何で砂月と喧嘩したんだ?」

駿介から、唐突に聞かれた俺は、僅かに間を置いて返事した。

「……してねーよ」

「嘘付くな、砂月泣いてたじゃん」

「しっかり見てんじゃねーかよ」 

ジロリと睨んだ俺を見て、駿介がクククッと笑った。

「……で?」

どうやら、俺が答えるまで聞くつもりのようだ。

「……なんかさ……砂月が隠してんだよ」

「心当たりは?」

「あったら怒鳴るかよ」

「そりゃ、やっちゃったな」

駿介は楽しそうに少し身体を起こすと、今度はこちらに身体を向けて頬杖をついた。

「砂月は何て?」

「別に……自分の問題だから、俺には言いたくないってさ」

「で、拗ねたんだ、ガキだな」

「もう拗ねてねーよ!」

「拗ねて怒鳴った奴がよくゆーよ」

俺が、押し黙ったのをニヤニヤしながら、駿介が眺めている。

「やっぱ、砂月はいい女だよな」

駿介は、再び仰向けになると、長い足を組みながら目線を藍色の空向けた。

「はぁ?」

「砂月がさ、何、隠したいのか俺にも全く分からねぇけどさ、でも、咄嗟に嘘を()こうと思えば()けたにも関わらず、お前に嘘()かなかったってことじゃん」

駿介の言葉を繰り返しながら、俺は、真上に広がる、もみじの葉の重なりから、僅かに見え隠れする月を眺めていた。

「砂月には、俺に……何でも言って欲しいんだよっ」

「完全に、お前の独占欲と我儘だな」

駿介が、口元を引き上げながら、真上を指差した。

「こっから見える景色と一緒だよ。本当に見たくて、知りたいものは、葉っぱで覆われて、ほとんど見えやしない。月の光を感じれるのなんて一瞬。人間ってそんなもんだろ?全部見せれる奴なんていないよ。そんなかに一番大事なものあれば、それでいいじゃん」

駿介は、夜風に揺れて、落ちてきた緑の葉を、掌に乗せると指で摘んで、くるくると回してみせた。