五歳になった俺は、制服に身を包んで、金持ちや有名人の子供たちが多く通う幼稚園の入園式に臨んだ。
兄たちのように「これがしたい」「あれがしたい」という熱意や欲求がなかったから、暇潰しがてらクソ面倒だが通うか――これ口にしたら、母が倒れて入園式どころじゃなくなりそうなので勿論口にはしていない――としか思っていなかった。
物心付いた頃から、両親に連れられて金持ちのパーティーやら茶会やらには参加していたから、同じ年頃の子供たちが集まる場に緊張は覚えなかった。
大抵の連中もみんなそうで、初対面だというのに、入園式が行われたホール会場にて、自分からにっこりと笑いかけて「はじめまして」とさらりと交流を持てるくらいには慣れている様子だった。
俺は、愛想笑いというのがどうも苦手だ。両親や二人の兄たちと全く似ていなくて、威嚇するようなきつい目をしているとはよく言われた。
まるで違う家の子みたいに、顔立ちが完全に違っている。生まれた際にDNAが一致していたのは確認済みであるので、両親の実の子ではないという疑いの余地さえないのだが。
でも、どうして顔が全く違っているのか、この直後に、俺は知る事になった。
同じ環境で育ちながら、兄たちと全然性格が違っている理由も明らかとなる。
それは、父と母が、同じく入園式に参加していたある夫婦に話しかけたのが始まりだった。先日はどうも、という社交繋がりの馴染みの挨拶がされたと思った時、俺はそこにきてようやく、着物を来たその女性の後ろに隠れている女の子の存在に気付いたのだ。
彼女は、白い頬を桃色に染めて、どこか憧れの異性でも見るようなくりくりとした大きな目をこちらに向けていた。
「はじめまして、桜羽(さくらば)沙羅(さら)と申しますわ」
他の女の子たちと同じようにスカートをつまみ、お決まりの口調で、彼女は自分の口から自己紹介してきた。
しかし、俺はそれに返事をする余裕がなかった。彼女の顔と、まるで小鳥が囀るようなやけに可愛らしい声を聞いた途端、酷い頭痛で脳がガンガンと揺れたのだ。
それは一呼吸の間の事だったから、俺は倒れずに済んだ。
頭痛が去った後、まるでこれまで靄がかっていたものが全て取り払われたくらいクリアになって――俺は愕然とした。
自分が『前世』で悪党みたいな貴族で、目の前の彼女が、ゲームで聞くような『悪役令嬢』と呼ばれていたこと。いずれ婚約破棄されるという噂を聞いて、俺は彼女に近づいた。
そして彼女が、自分の妻だったと全てを思い出した時、俺はひとまず一つのことを決めた。
ガキらしい我が儘を言って、まずは幼稚園を変えてもらう。
そうして俺は、もう彼女に会うこともないだろうと思いながら適当に挨拶を返し、その翌日、私立の幼稚園ではなく、一族初となる一般の幼稚園に通うことになったのだった。
九条(くじょう)理樹(りき)は五歳まで、人生なんて珍しいことも不思議なことも起こらないものだと思っていた。自分は少々子供らしくないらしいが、それがどうした、と常々可愛くないことを表情に浮かべるような子供だった。
ところが、蓋を開けてみればなんでもないことだった。
別の世界で生きていた前世の記憶とやらが、頭の中に残っていたせいである。
五歳の入園式で思い出した際には、まさかこんなことが起こるものなのか、と我が身で体験して驚いたものだ。
とはいえ、ちょっと時間を置いて考えてみれば「なるほどな」とも腑に落ちた。そもそも、両親や兄弟とちっとも似ていないなと思っていた顔は、前世のままだったからだ。
いかにも人嫌いそうな鋭い目付きで、黙ってむっつりしていると「威嚇してるの?」と二人の兄たちに恐る恐る尋ねられた。目鼻立ちは悪くないものの、口を閉じるとふてくされたような表情になるので、印象は良くない。
幼稚園の入園式に我が儘をいって、理樹は地元の小学校を経て中学に進学した。
そして今年の春。自立心を養うという九条家男子のしきたり従い、マンションで独り暮らしを始めて、高校デビューを迎えることになった。
学校に関して、一歳ずつ年が違う兄たちは「うちの学校においでよ」と寂しがったが、理樹としては一般の学校の方が合っていた。前世の自分が、父の代でようやく築いた成り上がりの貴族だったせいもあるのだろうと思う。
バカみたいに騒ぐ男子生徒がいて、それに対して言葉使い悪く怒る女子生徒がいたりする。彼らが揃って走り回ることも珍しくなく、胡坐をかいていようが頬杖をついてぼんやりしていようが、それが目立つということもないから、家にいるよりもかなりリラックス出来た。
前世でも漆黒の髪だったから、今の日本人となった『九条理樹(じぶん)』に違和感はない。藍色の瞳が茶色になったのは、些細な違いである。
背丈も前世の十六歳当時だった頃と同じだったから、同年齢の男子生徒よりは少し高めだった。素の口調がつっけんどんで荒々しいのも変わっていない。
前世ではリチャードという名前で、愛称はリッキーだった。
今の『リキ』という名前についても、なんかそのまんまだなと笑えた。
前世の記憶があるからといって、何か得をしたり優位になるだとかいうことはなかった。まず文明が違うし、暮らしも全然異なっている。
何より、理樹は前世がああだったからといって、そこに結びつくような目標だったり、夢だったりを掲げることもなかった。
つまり、今となっては、全く関係がない話なのだ。
理樹のひとまずの目的は、高校生活を楽しむことである。両親の望む国立の大学に合格することを条件に、高校までは好きな学校に行かせてもらえることになっていたから、初めての一人暮らしと三年間の高校生活を満喫する予定だ。
今日は、待ちに待った高校デビューの日である。少しハネ癖のある髪は、前日に一センチほど切って整えてきた。高校デビューが上手くいって、中学時代の女子に散々な扱われようだった、非モテ組という立ち位置を少しくらいは脱却出来ればとは思う。
「中学までモテない組だったんだよなぁ……」
一般的にイケメンと呼ばれている男子と並ぶと、もはやただの平凡枠である。
むしろ、不良っぽいと言われたあげく、女子生徒の好感を得ることは出来なかった。……まぁ通っていた中学の八割の男子生徒がボロクソ言われていたようなものなので、その傷心も浅くで済んではいるのだが。
地元からそんなに遠くない高校という事もあり、同じ中学出身の生徒も少なからずいた。
学校指定の通学鞄を持って少し早めにマンションを出た理樹は、これから通うことになる高校の通学路の途中の電柱に、背中を預けて立つ少年の姿を目に留めてすぐ、声をかけた。
「まさか冗談だと思っていたら、マジで待ち合わせ場所にいるとは驚きだ」
すると、理樹と同じく真新しいブレザータイプの制服に身を包んだ男子生徒が、「お前、開口一番にそれかよ」と、心外だと言わんばかり眉を潜めた。
電柱で待っていたその少年は、同じ中学出身の佐々島(ささじま)拓斗(たくと)といった。背丈は理樹と同じくらいで、相手に警戒心を持たれない呑気な表情ながら、活気溢れる瞳には悪戯好きの好奇心も覗いていた。
拓斗とは、中学一年生の頃に同じクラスだった。出会った初日になぜか一方的に話し掛けられ、しばらくもしないうちに意気投合した。中学時代は、いつも一緒にいる組み合わせだと知られている親友同士である。
理樹は、高校のブルーの制服に身を包んだ親友を見つめた。自分と違ってシャツの第一ボタンを外し、ネクタイは少し緩め。同じなのは、ブレザーの前ボタンをしめるのが面倒で開けているところだろうか。
気になるのは、少し明るくなった頭髪である。先週バッティングセンターに遊びに行った時には真っ黒だった髪が、少し赤みが強い濃い茶色になっていた。
それについて理樹が口を開く前に、こちらの頭髪を見た拓斗が、ニヤリとしてこう言った。
「ほんとに散髪してるとか、ちょっと笑った」
「お前だって同じだろ。というか、そんなに茶色く染めて大丈夫なのか?」
すると、拓斗が「ふっ」とどこか勝ち誇ったような表情をした。
「校則内容を確認して、ギリギリオーケーな範囲で染めてもらったから抜かりはないぜ。運動部の入部が厳しそうなのが難点だな」
「中学のサッカー部で根を上げていた奴が、何を言ってんだ」
「ははは、もう運動系はこりごりだな。高校では自由を謳歌する!」
拓斗は凛々しい顔で言い切った。どちらが声を掛けたわけでもなく歩き出してすぐ「とはいえ、帰宅部って選択は無しだな」と、彼は続けて自身の考えを語った。
「俺はお前みたいに頭が良くねぇから、大学の推薦書とかに書けるよう部活くらいはやっておこうと思ってさ。ひとまずは、暇潰しがてら遊べるような部活を作るつもりだぜ」