前世の頃の彼女は、運動も出来ない女の子だった。彼は、それを知っていた。
 土いじりも出来ないような生粋のお嬢様で、走るなんて到底向いていない女だった。刺繍も一体何が描かれているのか分からないくらいに不器用で、よく段差もない場所で転んだりした。

 風に飛ばされて木に引っ掛かった帽子を登って取ってやっただけで、「すごいのね!」と嬉しそうに笑った。ただ婚約にこぎつけるための親切だったのに、彼女はそれすら疑わないくらいに、真っ直ぐで。


 見ている誰もが気付いている。彼女は――『沙羅』は、もう走れない。
 立ち上がることだって出来ないだろう。

 それでも声を掛けられないのは、それだけ本気なのだと察して、その決意に水を差すような中途半端な優しさを掛けてやれないと知っているからだ。競争相手の森田も、もう先にゴールすることも出来ず途中で立ち止まったまま、あれから一歩だって動けていない。

 どうしたら良いのかという、戸惑いと沈黙が場内を満たしていた。