三章

「……ねえ、玲夜?」
「なんだ?」
「まだ昼間なのにいいのかな?」
 柚子は今、後ろから玲夜に抱きしめられるようにしてベッドに寝っ転がっている。
 夜ではなく日も高い昼だというのにだ。
 今の状況に疑問を抱きながらも玲夜の腕から抜け出せずにいるのは、嫌ではないからだ。
 むしろ、できればこのまま一日過ごせないかとすら思っている。
 しかし、昼間からという時間にわずかな背徳感を抱いていた。
 柚子は玲夜の腕の中にいたまま、ぐるりと体の向きを変えて、向き合うようにした。
 そうすれば互いの顔がよく見える。
 玲夜が非常に機嫌がよさそうだというのも分かった。
 部屋には柚子と玲夜のふたりだけ。
 いつもはそばにいる子鬼も龍もいない。
 玲夜がまろとみるくとともに寝室から追い出してしまったのだ。
 今頃は柚子の部屋にでも行って文句でも言い合っているかもしれない。
「そもそも仕事は大丈夫なの?」
「今日は休みだから問題ないだろ」
 柚子がストーカー被害に遭った直後は、沙良の計らいで仕事を千夜に押しつけて休みを取っていた。
 しかし、柚子が学校に通えるようになった後は、それまでの休みの分を取り返すように毎日忙しくしていた。
 なので、今日はようやく取れた休みなのだが、だからといって昼間からベッドの上でゴロゴロしていていいものだろうか。
「たまにはこんな風にのんびりするのもいいだろう。仕事でなかなか柚子のそばにいてやれないからな。いっそ仕事を桜河を社長にして仕事を押しつけるか……」
 本気で悩んでいる玲夜。
 これは桜河の危機だと柚子は察した。
「さすがに桜河さんがかわいそうだよ」
 桜子の兄で、分家筆頭の鬼山家の御曹司。
 秘書である高道のように普段から玲夜を支えてくれている人だ。
 どことなくチャラい印象を受ける人だが、仕事はできるらしい。
 それに、柚子の印象だが、桜河はその軽薄そうな雰囲気と違い、結構な苦労性ではないかと思っている。
 高道とも仲がよく、高道の愚痴を普段から聞いているようだし、玲夜からは時に難題をたびたび課せられているという話しだ。
 これ以上仕事を増やしたら桜河が泣いてしまうのではないだろうか。
「まあ、確かに。柚子が学校を休んでいたしばらくは父さんが仕事を裁いてくれていたが、案外早くに音をあげていたと桜河が言っていたな。いつもより仕事が増えたと桜河が嘆いていたようだ」
「えっ、でも、玲夜はお義父様が本気を出せばすぐに片付けられるぐらい仕事ができるみたいなこと言ってなかった?」
「本気を出せばな。父さんが真面目にやるとは言ってない」
「…………」
 柚子は心の中で静かに桜河にエールを送った。
 桜河は鬼龍院親子にかなり振り回されているのではないだろうか。
 なんて不憫なんだ。
 いや、そもそもは柚子が変な人に目をつけられてしまったのが原因だ。
 柚子が、菓子折をもって謝りに行かねばならないのかもしれない。
 玲夜が聞いたら必要ないとか言いそうだ。
「そういえば、柚子。社には行っているのか?」
「うん。学校帰りに毎日行ってるよ。でもね、そこに行くと何故かまろとみるくも必ずいるんだよね。いったいいつの間に屋敷を抜け出してるんだろ? 雪乃さんに聞いても知らないうちにいなくなってるらしいの」
「まあ、見た目は普通の猫だが、龍と同じ霊獣だからな。それより……」
 玲夜はじっと柚子を見つめる。
 まじまじと見られて柚子も居心地が悪い。
「なに?」
「いや……。最近なにか変わったことはないか? 体調とか」
「体調? 別にないけど?」
 急になんの話しかと柚子はきょとんとする。
「……それならいいんだが」
「なに? なんか玲夜らしくなく歯切れが悪いなぁ」
 変わらずベッドに横になりながらクスリと柚子が笑えば、玲夜はそっと指の背で優しく柚子の頬を撫でる。
 柚子はうっそりと目を細めた。
 玲夜も柔らかく微笑む。
 愛おしく感じるほどの時間が流れる。
「体になにか異変があったらすぐに言うんだぞ」
「今のところ元気だから大丈夫よ。それに、龍によると龍の加護を得てると病気にならないんだって。確かに龍が来てから風邪とかひかないなぁって」
「そうか。そんな効果があるなら少しはマシか」
 なにやら真面目な顔をしている玲夜に、柚子は不思議に思った。
「なに? なんかさっきから私の体調を気にしてるみたいだけど。なにかあった?」
「柚子は自分で気づいてないか? 柚子から少しだが、霊獣たちと同じような力を感じる。あやかしや陰陽師の持つ霊力とは違う、もっと清らかなものだ」
「えっ!」
 柚子は思わず上半身を起こし、玲夜を見つめる。
 玲夜の目は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。
「それって龍といつも一緒にいるからじゃなくて? ほら、玲夜と一緒にいると、私から鬼の気配がするってにゃん吉君がよく言ってるし」
「それなら今まででも感じていたはずだ。柚子から感じるようになったのは最近だぞ」
「えー」
 そう言われても原因の心当たりがない。
「なんで?」
「さあな。俺には分からない。だが、もしかしたら社に通っているのがなにかしらの影響を及ぼしているのかもしれないな。柚子には神子の素質があるようだし」
 自分で言い出しておきながら、玲夜は特に興味がなさそうな様子。
 むしろ柚子の方が大事だというように、離れた柚子を再び腕の中に引き寄せる。
「柚子の体になにもないならそれでいい」
「玲夜ったら、どうでもよさそうにして。そんなこと言われたら、私の方が気になってきたんだけど」
「忘れろ。今は俺といることの方が重要だ」
 そう言い、こめかみにキスを落とし、上から覆い被さり深いキスをして、柚子は考えることを放棄せざるを得なくなった。