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 学校へは問題なく通えるようになった。
 少し周囲の視線が気になる時はあれど、なにかあれば沙良が配置した警備が駆けつけてくれるというのは心強かった。
 なによりそばには子鬼たちと龍がいるのだから滅多なこともないだろう。
 目立った騒ぎも起きず一週間経過した週末の休みの日、同じく休みだった玲夜とまったりと過ごす。
 後ろから包み込まれるように抱きしめられている柚子は、目の前のテーブルにパソコンを置き、玲夜と新婚旅行の行き先を話し合っていた。
「ねえ、玲夜はどんなところに行きたい?」
「柚子がいるところならどこへでも」
 柚子の耳元で甘く囁くと、玲夜はこめかみにキスをする。
 カッと頬を赤らめる柚子を楽しげに見つめる玲夜はクスリと笑う。
「いいかげん慣れろ。一緒に過ごすようになって何年経ってるんだ」
「自分でもそう思うけど、やっぱり玲夜が相手だとそうもいかないのっ!」
 柚子の旦那様は、人外の中でもとびっきりの美しさを持った玲夜である。
 毎日飽きるほど見ていてもその綺麗な容姿に見惚れてしまうのは、玲夜と出会って何年も経った今も変わらない。
 玲夜の顔を見るたびに恋してしまう。
 愛しさがあふれて柚子の中では昇華しきれないぐらいなのだ。
 キスをされて未だに恥じらう柚子は、自分でも落ち着けと言いたくなるほど心臓がバクバクと鼓動が激しくなってしまう。
「玲夜が格好よすぎるながいけないんだもの……」
 すねたようにつぶやく柚子の理不尽な八つ当たりは、逆に玲夜を喜ばせるだけであると柚子は気づいていない。
 玲夜は一瞬動きを止めたかと思うと、今度は荒々しさのある手の動きで柚子の顔を後ろに向かせ、深い口づけをする。
 柚子が驚きのあまり目を大きくしたが、逆らうことなく玲夜に身を任せる。
 壊れ物を扱うように優しく。
 それでいて逃がさぬように強く抱きしめられる。
 まだ玲夜と出会って間もない頃は、戸惑いと恥ずかしさがいっぱいで他のことなど頭になかった。
 確かに玲夜で頭がいっぱいなのは今も変わらないのだが、柚子を満たすのは戸惑いよりも大きな幸福感だった。
 ずっとこの時間が続けばいいとすら感じている。
 けれど、その時間の終わりを告げる音が部屋の外から聞こえてきた。
「失礼いたします。今よろしいでしょうか?」
 ノックの後に聞こえてきたのは使用人である雪乃の声だ。
 それでもまだ柚子を貪ろうとする玲夜を慌てて止めて、雪乃を部屋の中に呼ぶ。
「ど、どうぞ!」
 玲夜はやや不機嫌そうだが、こればかりは仕方がない。
 雪乃は入ってくるや、柚子に封筒を渡し、すぐに部屋を出ていった。
「手紙?」
 差出人の名前も書いていない封筒だったが、裏に描かれていた撫子の花と狐の絵に、誰からのものかすぐに分かった。
「撫子様からだ」
 玲夜も柚子を抱きしめながら後ろから覗き込む。
 封を開ければ、中に入っていたのは前回届いた時と同じ、時間と場所が書かれた紙と狐の折り紙だ。
「花茶会のお誘いみたい。あっ、まだなにか入ってる」
 今回は別に撫子からの手紙が入っていた。
「なんだって?」
「えーと。花茶会を開催するから、今回は招待客としてではなく、桜子さんと一緒に、手伝いとして参加してくれって」
 撫子からいずれ花茶会を任せたいとお願いされたのは、初めて参加した前回の花茶会の時だ。
 自分などにそんな大役を任せられてもとてもやりきれないと最初は断ったものの、桜子も補佐としてともにいるからと頼まれた。
 花茶会は、普段窮屈な生活を送る花嫁たちのための息抜きをかねた集まりだと知り、柚子は断り切れずに了承してしまったのだ。
 今からでも断れないかと思うが、花嫁を思うとそうもいかない。
 他の花嫁とはなしたことで、自分がどれだけ恵まれているかを知ったから。
「参加するのか?」
「うん。お手伝いなら行かないわけにはいかないしね」
 玲夜はなぜか眉間にしわを寄せている。
「玲夜は嫌なの?」
「柚子が悪影響を受けないか心配だ」
「悪影響って、ただの女子会だよ?」
 なんの心配をしているのかと、柚子はクスクスと笑った。
 しかし、玲夜は真剣そのもののよう。
「花嫁の中には、あやかしに囲われる状況に不満を持って、あやかしを憎んでいる者もいるからな」
「あー……」
 柚子が顔を曇らせたのは、前回の花茶会で会った穂香という花嫁を思い出したからだ。
 彼女からは旦那であるあやかしに対する憎しみすら感じた。
 柚子のまだ知らない花嫁の苦悩。
 それを考えると、彼女たちをまとめていけるのか不安がないと言ったら嘘になってしまう。
 けれど、花茶会を唯一の逃げ場としている花嫁たちがいると知っては、関わりたくないとは言えない。
 玲夜の不安な気持ちも分かる。
 柚子が、穂香が旦那を嫌悪するように、玲夜を嫌わないか心配なのだろう。
 いつかその重すぎる愛情ゆえに、玲夜を嫌う日が来るのか今は分からない。
 けれど、今言える確かなことがひとつだけある。
「大丈夫だよ。玲夜が今の玲夜でいてくれる限り、私が玲夜を嫌いになんてなったりできないもの」
 誰よりも愛する人。
 自分に惜しみない愛情を与えてくれる人。
 愛することを恐れてすらいた自分に、見返りのない無償の愛情を信じさせてくれた人。
 どうして嫌えるだろうか。
「それに、撫子様からも言われてるの。玲夜との自慢話をしてくれって。たくさん惚気て、玲夜はこんなに素敵な旦那様だって皆に知ってもらわないと」
 ニコリと微笑めば、玲夜はあきらめたように苦笑した。
「そうか。ほどほどにな」
「うん」
 どうやらお許しは出たようだ。
 早速狐の折り紙に向かって「参加します」と告げると、折り紙だったものは小さな狐に変化してどこかへと消えていった。
「やっぱり不思議だ……」
 二度目なので驚きはしなかったが、不可思議なことに変わりはなかった。
 これは花茶会のたびに送られてくるのだろうか。
 狐の折り紙だけでも、花茶会のお知らせが来るのが楽しみになってきた。
 だが、もし柚子が撫子と沙良から主催の権限を譲られてしまったらこの狐はどうなるのだろうか。
 きっと狐の折り紙を楽しみにしている花嫁は柚子だけではないはずだ。
 しかし、ただの人間である柚子に、折り紙を狐にするような芸当ができるはずもない。
「これは要相談だ……」
 できれば狐の折り紙だけでも手に入れられないものか。
 柚子は今度の花茶会で相談することにした。