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「本当に行くのか?」
「もちろん」
柚子がそう答えれば、玲夜は不服そうに眉をひそめる。
行かせたくなさそうな玲夜に、柚子は苦笑する。
「大丈夫よ。お義母様が対処してくれたんだし、問題ないって玲夜も納得してくれたんじゃないの?」
「それはそうだが……」
玲夜の眉間のしわはなくなってくれない。
先日、ストーカーに襲われるという事件があった。
それはもう玲夜が怒り爆発したのは記憶に新しい。
そんな学校ではちょっとした騒ぎとなり、これまで事件の当事者を理由にしばらく休んでいたが、鬼龍院の息がかかった者が見回りをしてくれるようになったとあって、問題なく通えると判断した。
もう大丈夫だろうと、今日から登校するつもりだった。
これには、学校に対し、いろいろと働きかけてくれた玲夜の母、沙良に感謝である。
柚子のことになると過保護になる玲夜をも納得させるとは、どれだけの対策が柚子の目の見えないところでなされているか分からない。
ストーカー問題が発生した時は、さすがに辞めさせられるのではと心配になったが、柚子が通い続けられるように沙良が手配してくれたおかげで、玲夜も安心したようだ。
本当に沙良には頭が下がる。
だから心配する必要などないのに、玲夜はまだ少し休学すべきだと甘やかそうとしてくる。
「今回のことはまだショックが大きいんじゃないか?」
「だからってこれ以上休んでたらあっという間に一年経っちゃうよ」
柚子の通う料理学校のコースは一年で卒業なのだ。
他にもみっちり三年通うコースもあったが、早さを重視した結果、一年間のコースにしたのである。
しかし、まさかあのような事件が起こり何日も休むと思っていなかったので、時間をかけて三年間のコースにしておくべきだったかと少し後悔していた。
柚子にストーカー行為をして危害を加えようとした教師の代理はすぐに見つかったようで、なにごともなかったかのように授業は再開されていると聞く。
ならば柚子も行かなければ、授業に遅れてしまう。
「一年の間だけだから。ね?」
上目遣いでかわいくおねだりする技は透子から教えてもらったものだが、効果があったのかなかったのかよく分からないまま、玲夜は深いため息をついた。
「二度目はないぞ」
ギラッと目を光らせる玲夜に、柚子は口元を引きつらせる。
「そんな低い声で脅さなくても……」
「まあ、母さんが次を許さないだろうが」
「それが分かってるなら素直に行かせてよ」
玲夜はやれやれといろんなものをあきらめた様子で、表情を柔らかくし、柚子を優しく抱きしめた。
「子鬼たちはちゃんと連れていくんだぞ?」
「うん。じゃあ、行ってくるね」
名残惜しそうに柚子から手を離す玲夜に一度抱きついてから、柚子は鞄を持ってようやく玄関を出た。
鞄からはふたりの子鬼がぴょこっと顔を出して、見送る玲夜に手を振っている。
「僕たちいるから大丈夫!」
「今度は一撃で仕留めるから大丈夫!」
なにやら不穏な言葉が聞こえてきたが、聞かなかったことにして車に乗り込むと、龍も一緒に乗り込んだ。
そして柚子は料理学校へ。
教室に着くや、この料理学校で友人になった片桐澪が柚子に気づいて向かってくる。
「ちょっと柚子、大丈夫なの? ずっと休んでたじゃない」
「澪。ごめんね。もう大丈夫だから」
「それならいいんだけど。なにかあったらすぐに私に相談してね」
「ありがとう」
心配そうにしてくれる澪を見て、本当にいい友達ができたなと柚子は嬉しくなった。
まさか一年だけの学校で、こんな素敵な出会いがあるとは思いもしなかった。
「あいあい!」
「あーい!」
「ちびっ子たちがなにか言ってるわね」
『我らがついてるから大丈夫だと言っておるのだ』
車から出た時から子鬼も龍も気合い十分だった。
「そりゃ頼もしいわね」
澪は子鬼たちの様子に声をあげて笑っていた。
すると……。
「邪魔よ」
「あ……」
出入り口付近で会話していた柚子たちに冷淡な声がかけられる。
それはなにかと柚子に突っかかってくる鳴海芽衣で、ギロリとにらまれてしまい、柚子はその迫力にわずかに身をすくめる。
「ごめんなさい……」
素直に謝った柚子を敵対心いっぱいの眼差しでねめつける。
「あんたのせいでいい迷惑よ。もう来なきゃいいのに」
それだけを吐き捨てて自分の席へと行ってしまう鳴海の後ろから「あんたねぇ!」と、澪が臨戦態勢に出たが、柚子が手を引いて押しとどめる。
「まあまあ」
「まあまあって、あんなこと言わせといていいの!?」
「私が迷惑かけちゃったのは事実でもあるし」
いかに原因が柚子の想定外だった問題だとしても、無関係ではない以上、鳴海からしたら柚子にも非があると思ってしまうのは仕方がない。
「柚子は被害者で、なんにも悪くないじゃない」
「そうなんだけど、同じように思ってるのは彼女だけじゃなさそうだし……」
柚子が困ったように眉を下げて一瞬周りに視線を送ったことで、ようやく澪も気がつく。
周囲の女子生徒から向けられる、嫌悪感たっぷりの刺さるような眼差しと囁きを。
「先生が辞めちゃったのあの子のせいなんでしょう?」
「先生があの子をストーカーしたって」
「あの子が色目でも使ったんじゃないの? ほら、授業でも先生に贔屓されてたし」
「ありえる~。先生目当てでここに入ったのに、どうしてくれるのよ。すっごい迷惑なんだけど。あの子が辞めればいいのに」
なんて会話がいたるところから、柚子に隠す様子もなく聞こえてくる。
いや、わざと聞こえるように言っているのかもしれない。
柚子に向けられる空気は決していいものではなかった。
澱みまくっている。
「んなっ!」
澪は今気づいたようで、怒りに震えている。
今にも飛びかかっていきそうな澪の手を掴むと、なんで!?と言わんばかりの表情をされる。
「一年の辛抱だし、いちいち気にしてらんないよ」
「くぅぅっ。柚子は人がよすぎるよ~。私ならガツンと一発お見舞いしてるのに」
「澪がそう言ってくれるだけで私は幸せ者だから大丈夫。それに、私、今はすごく機嫌がいいの」
「なんで?」
鞄を机に置いてから、澪に
「実は夏休みにね、玲夜と旅行に行く予定なの」
新婚旅行とはあえて言わない。
惚気ているようで恥ずかしかったからである。
しかし、十分に澪は目をキラキラとさせていた。
「えー、羨ましい~。でもさ、その前にある試験を合格しないと夏休みは補習ざんまいらしいけど大丈夫なの? 柚子休んでたし」
一気に柚子は悲壮な顔をする。
「ヤバイ。すっかり忘れてた……」
「どうするのよ」
「なんとか頑張る。それでもって夏休みは遊びまくるの!」
試験ぐらいどうってことはない。徹夜してでもなんでもして、勝ち取ってみせる。
玲夜との甘いひと時のため、気合いはありあまるほどあった。
「いいなぁ。あの鬼龍院なんだから、きっと豪華なホテルに泊まるんでしょうねぇ」
澪がうっとりとしていると。
「はっ! また金持ち自慢なわけ? 懲りないわよねぇ。そんなに周りから羨ましがられたいの? 目立ちたがりなんじゃない?」
水を差すような鳴海の言葉にいち早く澪が反応する。
「貧乏人は黙ってなさいよ」
ふんっと鼻を鳴らす澪に、今度は逆に鳴海が強く反応を示した。
「誰が貧乏人よ!」
「別に、誰とは言ってないわよ~。どこかで羨んでる誰かさんに言っただけよ」
しれっとした様子の澪に冷や汗を感じつつも、『強い……』と感心してしまう。
柚子では澪のように強気に出ることはできないので、その強さが少し羨ましくある。
澪と鳴海の静かなにらみ合いが続いたが、先に視線を逸らしたのは鳴海だった。
「あやかしと結婚するなんて正気じゃない……」
小さな小さな鳴海のつぶやき。
それはまるで柚子があやかしの花嫁であると知っているかのようだった。
しかし、この料理学校に通っている者は、柚子が鬼龍院の関係者だとは知っていても、結婚しているとは誰も思っていないはずだ。
澪は例外だ。他に知っているのは教師だけ。
まさか教師が言いふらしたのだろうか。
そのわりには大きな騒ぎになってはいない。
鳴海に対し、わずかな疑問が生まれた瞬間だった。