二章

 一龍斎の──いや、今は柚子のものとなった屋敷の社へと、学校帰りにお参りするのが日課となっていた。
 そんなある日の週末の休み。
 柚子は友人である透子に会いに、猫田家へとやって来ていた。
 子鬼たちと龍も一緒である。
 透子の部屋では、透子と東吉の娘である莉子に、離乳食を与えているところだった。
「もうミルクから卒業?」
「まだまだよ。でも離乳食も始めていいらしいから」
「私があげてもいい?」
「いいわよ~」
 透子からお皿とスプーンを受け取り、恐る恐る口にスプーンを持っていくと、パクリと食べた。
 なにやら眉間にしわを寄せてもぐもぐと口を動かしている。
「美味しいのかな?」
 一見すると美味しくなさそうに見えるが、吐き出さないので美味しいのかもしれない。
 子鬼たちも興味深そうに莉子を見ているかと思ったら、ぴょんぴょん跳びはねた。
「あーい」
「あいあーい」
「え、子鬼ちゃんもあげたいの?」
 こくこくと頷く子鬼にスプーンを渡すと、ふたりでスプーンを持ちあげて、えっこらえっこら口に運び始めた。
 莉子はどちらかというと子鬼たちの方に視線が向いているが、スプーンを差し出されると反射的に口を開けて食べていた。
 ちゃんと食べてくれたことに子鬼はなんとも満足そうな表情をしている。
 これはなんともかわいらしい光景だと思った柚子は、迷わずスマホを向けてカメラで撮ると、子鬼を愛してやまない元手芸部部長に送信してあげた。
「部長に送ったの?」
「うん。部長には子鬼ちゃんの服でなにかとお世話になってるしね」
「部長の子鬼ちゃんラブの力はすごいわよね」
 透子は「気持ちは分かるけど……」と言いつつも、少々あきれている。
 なにせ熱量が違うのだ。
 玲夜と子鬼の服を作るという専属契約をしてからというもの、毎週のように新作の服を送ってきてくれる。
 本業をおろそかにしていないか不安になるほどだが、本業は本業でかなり成果をあげているらしいという噂だ。
 原動力は間違いなく子鬼の存在だろう。
 なので、こうして時々子鬼成分を補充してあげるのだ。
 これでまた新たな創作意欲が刺激されかわいい服を送ってくれることだろう。
 まさにウィンウィン。

 莉子の食事を終えたところで、莉子はどうやらおねむの様子で、睡魔と戦っていた。
 それを見た透子が莉子を抱えあげた。
「ちょっと別の部屋で寝かしてくるわ」
「うん」
 透子は一度部屋を退出したが、すぐに戻ってくる。
 莉子を使用人に預けてきたのだろう。
 もっと莉子を見ていたかったが、ここでは騒がしく、莉子の眠りを妨げてしまうから仕方がない。
 子鬼たちもちょっと残念そうだ。
「そうそう、柚子に報告しとくことがあったのよ」
「なに?」
 透子は「うふふふふ」と、喜びを隠しきれない様子で笑い始めた。
「にゃん吉におねだりして、やっとこさ結婚式を挙げるのを勝ち取ったわよ~」
 透子は拳を天に突きあげてあふれんばかりの嬉しさを表現している。
 それを聞いた柚子もぱちぱちと拍手した。
「わー、ほんとに? よかったね。にゃん吉君のお許しが出たんだ」
「それはもうしつこく粘ったかいがあったってもんよ」
「にゃん吉君が折れたのね……」
 しつこく絡む透子の姿が目に浮かぶようだ。
 透子は言いだしたら頑固なので東吉も相当困っただろう。
 最初に結婚式の話を言い出した柚子はわずかに申し訳なく思う。
 だが、同じ女として、結婚式を挙げたい透子の気持ちはすごくよく分かるのだ。
「結婚式はいつ?」
「秋頃よ。柚子も出席してくれるでしょう?」
「もちろん!」
 すると、子鬼も自分たちの存在を主張するかのように、テーブルの上でぴょんぴょんと跳びはねた。
「あーい」
「あいあい!」
「子鬼ちゃんたちも来てくれるの?」
 透子が問うと、子鬼たちは何度も頷きながら声をそろえて「あーい!」と返事をした。
『仕方がないから我も出席してやろう。うまい酒を用意しておくのだぞ』
 誰も呼んでいないが、龍も参加する気満々である。
 透子は「お酒足りるかしら?」と、心配そうにしている。
 これは当日龍を監視する者が必要かもしれない。
 柚子は自分の結婚披露宴の時の龍の暴れっぷりを思い出して頭が痛くなってきた。
 いっそまろとみるくを監視につけるべきか、本気で考えていたところで、部屋をノックする音が聞こえる。
 すぐさま入ってきたのは東吉で、続いて柚子たちの友人である蛇塚も姿を見せた。
「あら、いらっしゃい、蛇塚君」
「お邪魔してます、にゃん吉君。蛇塚君もこんにちは」
「おー」
「こんにちは」
 それぞれの挨拶を済ませると、東吉と蛇塚も空いた場所に座った。
「にゃん吉君、透子から聞いたよ。結婚式を挙げるんだって?」
「あー、まあな。別に俺は今さらしなくてもいいと思うんだけど……」
 苦い顔をする東吉に、透子が食ってかかる。
「嫌よ! 私だって柚子と若様みたいな結婚式とか披露宴したいもの!」
 吠える透子に、東吉はやれやれという様子。
「……ってな感じだからなぁ。まあ、莉子も無事に生まれたし、透子がそこまでしたいってならいいんだけどさ。俺と透子の両親もなんだかんだ盛りあがってるみたいだし」
「にゃん吉君はしたくないの?」
 あまり結婚式に乗り気でないように思えた。
「うーん、どっちでもいいって感じだな。やらなくても全然問題ない」
「そういうもの?」
 なんだか意外だった。
 柚子の場合は柚子以上に玲夜が乗り気だったような空気だった。
 まあ、それ以上にノリノリでやる気満々だったのは玲夜秘書である高道だが、結婚式をするのは絶対という雰囲気だった。
「玲夜なんて、私より私の着るドレスに興味津々で、袖の長さまで細かく指定してきたりしてたのに。にゃん吉君もそうじゃないの?」
「それが全然なのよ。もう他人事よ。私の好きなもの着させてくれるのは嬉しいけど、興味なさ過ぎるのも問題よねぇ」
 ここぞとばかりに透子が不満をぶつける。
「興味ないわけじゃないぞ。ただ、家族と友人だけの内輪の結婚式で、猫田家の取引会社の関係者を呼ぶわけでもないから、透子がしたいようにすればいいって思ってるだけだ。てか、あんまり口出すと逆にお前が怒るからだろうが」
 玲夜だったらたとえ内輪の結婚式だとしても、一から十まで知りたがるような気がする。
 同じあやかしの花嫁でも、花嫁に対する考え方は違うようだ。
「だってぇ、一生に一度の結婚式だしやりたいことがたくさんあるんだもの。にゃん吉ったらあれば駄目これは駄目って文句言うし」
「文句も言いたくなるわっ! 両親に感謝のビデオレターを別撮りして会場で流すとか恥ずかしすぎるだろ。花嫁の手紙だけにしとけ」
「えー、なに言ってんのよ。それは絶対やるわよ! 日頃の感謝を伝えなさいよ。きっと喜ぶわよ」
 東吉にも東吉の言い分があるようで、不服そうに訴えているが、透子が聞く耳を持つ様子はない。
 東吉は「好きにしてくれ……」といろいろと諦めた顔をしていた。
 どんな結婚式になるやら、今から楽しみである。
「で? お前のとこはどうなってんだよ、蛇塚?」
 話は透子の結婚式から蛇塚の話へ移行する。
 急に話を振られた蛇塚はきょとんとしていた。
「どうって?」
「どうって、杏那とだよ」
 顔面凶器のように強面の蛇塚には、雪の妖精のようにかわいらしい雪女のあやかしである白雪杏那という彼女がいた。
 蛇塚には元々、梓という花嫁がいたのだが、梓は蛇塚のことを蛇蝎のごとく嫌っていた。
 梓は自ら望んで花嫁になったわけではなく、負債を抱えた家の援助と引き換えに両親から頼まれ嫌々蛇塚の花嫁となったという。
 本人の意思ではなかったせいで、梓は蛇塚に歩み寄ることはなく、言葉は悪いが、自分の境遇をまるで悲劇のヒロインのように思っていたようなところがあった。
 結果だけを言うと、梓は鬼龍院を敵に回すような問題を起こし、蛇塚の花嫁ではいられなくなり、家の援助もなくなったという。
 それが梓にとってよかったのかは分からないし、今どうなっているか柚子は知らない。蛇塚に聞く気もない。
 梓のことを聞いたところで、蛇塚の傷を無意味にえぐるだけだろう。
 普通花嫁をなくしたあやかしは次の縁に恵まれないことが多いそうだが、幸運なことに、蛇塚には彼を愛してやまない杏那という女性が現れた。
 不幸になることが目に見えていた梓とは違い、心から応援できるふたりに安堵を覚えているのは、柚子だけではないはずだ。
 透子はもちろん、蛇塚の昔からの友人である東吉は特に同じ気持ちだろう。
 東吉としてはさっさと杏那とくっつけばいいのにという思いがあるのかもしれない。
 最近では会うたびに杏那とのことを聞いているような気がする。
 しかし、興味があるのは柚子も同じ。
 だが、へたに杏那の方に聞くと、真夏でも凍死しかねないと学習したので、蛇塚に聞くしかない。
 幸いにも、今日は予定があるため杏那がいないので、聞くなら今がチャンスだった。
「俺と透子も、柚子も結婚したんだし、今度はお前の番じゃねえの?」
 杏那がいないのをいいことに、遠慮なくツッコんでいく東吉を、柚子も透子も止める様子はない。
 東吉が言い出さなければ先に柚子か透子が聞いていただろうから。
「うーん……」
 こてんと首をかしげて曖昧な返事をする蛇塚に、東吉が不安そうにし出す。
「おいおい、まさかここまで来て杏那と結婚しないとか言わないよな? 杏那のどこが問題なんだ? お前のこと杏那に好きになってくれる奴なんて杏那ぐらいだぞ!?」
「そうよ! そりゃあ“少々”過激だけどそれがなんだってのよ」
 透子がすかさず東吉に同意したが、“少々”という言葉が柚子は気にかかった。
 杏那は少々どころでなく、けっこう過激である。
 蛇塚が関わった時に限るが。
「いや、そこが問題なのかも……」
「あーい……」
 子鬼も否定できないようで、なんとも言えない顔をしている。
「まさか別れるとか言い出さないでしょうね!?」
 透子は目をつりあげて蛇塚の胸倉を掴んで揺さぶる。
「そんなの許さないわよぉぉ!」
「透子、落ち着いて! 蛇塚君はまだなんにも言ってないじゃない」
「こらこら、透子!」
 興奮する透子を柚子と東吉のふたりがかりで蛇塚から引き剥がした。
 鼻息を荒くする透子は、まだ興奮冷めやらぬ様子で、東吉に後ろから抱きしめるように押さえ込まれている。
 襟元を正した蛇塚は、何故か正座をして姿勢を伸ばす。
「えと……。今度、プロポーズ、します……。杏那が卒業したら結婚してくださいって」
 小さな声で恥ずかしそうに口にした言葉に、東吉は驚いた顔をし、柚子は透子と目を合わせ、次の瞬間には手を取り合って大きな悲鳴をあげていた。
「きゃあぁぁ!」
「やったぁぁ!」
 しばらく喜びの悲鳴は収まらずにいると、透子を離して東吉が立ちあがった。
「こりゃ、素面じゃやってられないな。ワインセラーからとっておきのワイン持ってくる」
「にゃん吉、シャンパンもよ!」
「へいへい」
 ちゃっかりと自分の飲みたいものも要求する透子。
 蛇塚はおろおろしている。
「べ、別にまだプロポーズしたわけじゃないのに。それに杏那が受けてくれるか分からないし……」
「受けるに決まってるでしょうが! あの杏那ちゃんよ? 喜んで受けるに決まってるじゃない。もう結婚が決まったようなものよ!」
 確かに杏那から拒否の言葉が出てくるのは想像できない。
 しかし、強気に断言する透子とは反対に、別の問題があると気づいた柚子は不安そうにつぶやいた。
「ねぇ、杏那ちゃん、嬉しさのあまり周囲を巻き込んで、周りにいる人たち凍死させないかな?」
「……それはマズイわね」
 透子は急に冷静さを取り戻した。
「蛇塚君、あなたどこでプロポーズする気なのよ?」
「俺の店、だけど……」
「もちろん貸し切りよね?」
「してない……」
 沈黙がその場を支配する。
 そんなところへ東吉が戻ってきた。
「あ? なんで急に静まり返ってんだ? さっきの騒ぎはどこ行ったんだよ」
「にゃん吉。大変なことが今さっき判明したわ」
「なんだよ?」
「蛇塚君ったら自分の店を貸し切りにもしないで、大勢の人が周りにいる中でプロポーズしようとしてるのよ」
 それだけで東吉には伝わったらしく、頬を引きつらせた。
「お前、大好きな相手からプロポーズされて、杏那が正気でいると思ってんのか? これまでを思い出してみろ! 何度俺らが遭難しかけたかっ」
「ご、ごめん……」
「謝ってねぇですぐに場所変えろ! 店の中なんて逃げ道ないとこなんて絶対駄目だかんな。貸し切りだとしてもやめとけ! 従業員はいるんだから」
「ど、どこがいい?」
 まったく考えていなかったらしい蛇塚は激しく動揺していた。
 東吉がいくつか案を出す中、透子がポンと柚子の肩を叩く。
「柚子が早々に気づいてよかったわね。じゃなきゃ大量の被害者が生まれてたわよ」
「蛇塚君、ちゃんとプロポーズできるかな……?」
 かなり心配になってきた柚子は、東吉と透子も含めてプロポーズ大作戦を練ることに。
 後日、蛇塚からプロポーズに成功したと連絡があり、柚子は部屋でひとり大騒ぎしてしまい、玲夜になにごとかあったのかと心配させてしまった。