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 パーティー翌日、学校へ行くと、芽衣が近寄ってきた。
「ちょっといい?」
「またなにかされたの?」
「されたというかなんというか、判断に困るのよ」
 よく分からない柚子は首をかしげる。
 澪はまだ登校してきていないので、教室の隅で話をすることにした。
「昨日、鎌崎が家にやって来たのよ」
「えっ、今度はなにをしに来たの?」
「それが……」
 芽衣は眉を下げ、困惑した様子でいる。
「私もよく分からなくて……。突然来たから警戒したけど、すぐに鬼龍院さんがつけてくれた護衛の人が駆けつけてくれたから安心したんだけどね。でもあいつ暴れるわけでも脅してくるでもなくて、私のことをじっと見てから、『どうやらお前が花嫁だったのは勘違いだったようだ』って言って帰っていったのよ」
「勘違い? それってどういう意味?」
「分からないから、こうしてあんたに相談してるんじゃない。あれだけ俺の花嫁だって騒いでたのに、勘違いなんてことあるの?」
「いや、私に聞かれても……」
 花嫁だと感覚で分かるのはあやかしだけだ。人間である柚子には、玲夜の花嫁となり結婚した今も理解できない。
 玲夜が花嫁と言ったからそうなのかと受け入れているだけ。
「勘違いすることなんてあるの?」
 柚子は腕に巻きついている龍に向かって訪ねた。
『いや、あやかしが花嫁を間違えるなんてありえぬ』
「じゃあ、なにかの作戦とか?」
 それしか柚子には思いつかない。しかし、芽衣は否定する。
「そういうわけではなさそうなのよね。なんていうのかな。言葉では表現しづらいんだけど、これまでのあいつからは執着心って言うか、まとわりつくような嫌な視線を感じてたんだけど、昨日のあいつからはそういった感情が抜け落ちてたように思うのよ。私に対してほんとに興味なさそうって言うか」
 店を追い込もうと様々な手を回していたのに、おかしな話だ。
「他にはなにか言ってた?」
「もう関わるつもりはないから安心しろとか。お前のような奴に関わって鬼龍院に目をつけられるなんてごめんだからなとか、勝手なこと言って帰っていったわ」
「パーティーで玲夜が牽制していたって言ってたからそのせいなのかな?」
「その程度であきらめる奴とは思えないんだけど」
 柚子と芽衣はそろって「うーん」と唸る。
 玲夜にも相談し、とりあえず様子を見ることになったが、その後鎌崎が鳴海家に関わってはぱったりと来なくなかった。
 玲夜も不思議そうにしていたが、牽制が聞いたのだろうと結論付けた。
『これは、もしや……』
 龍がひっそりとなにかをつぶやいていたのには誰も気づかなかった。

 不完全燃焼ぎみではあるが、一応の解決を見せてからしばらくして、ようやく前期の試験も終わり、結果は無事に合格を勝ち取った。
 思わずガッツポーズをしてしまったのを、芽衣にあきれたように見られてしまう。
 けれど喜ぶのも仕方ない。
 待ちに待った新婚旅行に行けるのだから。
 ふたりきりになれる場所という要望をどんな風に叶えてくれるのかドキドキしながら、玲夜と車に乗って移動する。
 残念ながら仕事の忙しい玲夜は何日も休んではいられない。
 だから、なにかをして大騒ぎするよりは、まったりとふたりだけの時間を過ごせることを優先したかった。
 車を走らせて数時間。見えてきたのは広大な海だ。
 この海もまた柚子の希望のひとつである。
 夏と言ったら海。
 しかし、玲夜の花嫁となってから、海どころかプールにもいけていない。
 というのも、自分以外の男の前で水着姿になるなど言語道断、らしい。
 できるだけ露出の少ない水着にするからとお願いしても無駄だった。
 それは透子も同じだったので、学校のプールの授業はしかたなくふたりだけ見学だった。
 なので、柚子は花嫁になって以降初めての海だ。
「海で泳ぐなんて久しぶり~」
「誰が、海で泳ぐのを許すと言った」
「えっ!?」
 ルンルン気分だった柚子が固まる。
「えっ、でも海に……」
「海は見るだけだ」
「そんな! だってこの日のために水着も買ったのに!」
「あーい!」
「あいあい!」
 子鬼からも不満噴出だ。
 なにせ子鬼たちも、元手芸部部長に水着を特注したのだから。
 海では泳がないがプールがある。
「そうなの? そこでなら水着で泳いでいい?」
「貸し切りだからな。存分に泳げる」
 ひくりと口元を引きつらせた柚子は悪くない。
「貸し切り?」
「ああ」
「ちなみに泊まるのってどこなの?」
 宿泊先は玲夜に一任していたので、柚子は希望を言うだけで場所までは知らない。
 なにせ、指輪を作るために店まで建ててしまえる人である。
 確認はしておくべきだったかもしれない。
「旅行のために別荘を建設することにした」
 やはりスケールがでかい。
「が、今回の旅行には間に合わなくてな。その別荘を使うのは今度だ。残念だが、普通のホテルだ」
「そうなんだ」
 ほっとしたような残念なような。
 けれど、別荘を建てているのは間違いなく、つまりは次があるということ。
 それが知れただけでもテンションはあがる。
「すまなかった。記念に残るものにしたかったのに」
 玲夜は残念そうだが、柚子は問題ない。
「玲夜と一緒なら古い安宿でも全然いい!」
 そう思っていたのに、やって来たのは五つ星のホテルだった。
 しかもホテルの中でもっともいいお部屋。
 やはり玲夜と金銭感覚は合わないらしい。
 泊まるだけなのにいったいどれだけの部屋あるのかと、着いて早々子鬼たちと探検してしまった。
 しかもここは玲夜と柚子だけの部屋。
 子鬼たちと龍には別の部屋を用意しているというのだから驚きだ。
 龍は不満げだったが、玲夜が大量のDVDを渡すと、我先にと部屋に籠もってしまった。
 最近はアニメにはまっているらしい。
「これで邪魔がひとりいなくなったな」
 と、玲夜がつぶやいたのを柚子は聞き逃さなかった。
 柚子は早速貸し切られたホテル内のプールに来た。
 室内プールではなかったため、念入りに日焼け止めクリームを塗る。
「子鬼ちゃん。背中塗ってくれる?」
 後ろを見ずにクリームを渡すと、背中が塗りやすいように髪を横に流す。
 そして待っていると、明らかに子鬼よりも大きな手が柚子の背中を撫でた。
「ひゃっ!」
 驚いて後ろを向くと、子鬼ではなく玲夜がいるではないか。
「えっ、子鬼ちゃんは?」
「プールは明日にしろと言っておいた。今頃龍と一緒にDVDでも見てるだろう」
 そう言いつつ柚子の背中にクリームを塗っていく。
 子鬼なら大丈夫なのに、相手が玲夜に変わるとそれだけでドキドキしてしまう。
 しかもなんだか……。
「玲夜、手つきがやらしい……」
「ここで襲わないだけ、ありがたく思うんだな」
 なんて恐ろしいことを言うのか。
「少し騒がしいな」
 眉をひそめる玲夜だが、仕方がない。
 目の前は海で、世の中は夏休み。
 海ではしゃぐのはひとりふたりではないのだ。
 うるさいとは言っても、浜辺からは少し距離があるのでそこまでうるさくはない。
 けれど、人間より五感の鋭いあやかしにはうるさいのかもしれない。
 どこか違う方向を見ている玲夜の注目を向けるため、柚子はすくった水を玲夜にかけた。
 見事に顔に命中したため、玲夜はびっくりとした顔をする。
 けれど、次の瞬間、意地が悪そうに不敵に笑うと、柚子を横抱きにしてそのままプールに飛び込んだ。
「きゃあ!」
 悲鳴をあげる柚子は全身ずぶ濡れだ。
「ひどい、玲夜の馬鹿」
「くっくっくっ」
 玲夜はおかしそうに声をあげて笑う。
 お返しだとばかりに、柚子は手持ちの水鉄砲で攻撃した。

 玲夜と散々遊んだ翌日。
 早朝の人のいない浜辺には玲夜と手をつないでいる柚子の姿があった。
 波の音が絶え間なく続き、心が癒されていくようだ。
 こんなにのんびりとしたのはいつぶりだろうか。
 砂に足を取られながら、サクサクと音のする砂の上を歩く。
 すると、突然玲夜が足を止め、向かい合う。
「渡すタイミングがなかなかなくて悪かった」
 そう告げながら取り出したのは、ふたつの指輪である。
 綺麗な曲線と細工がされた指輪は、おそろいになっている。
「結婚指輪。完成してたの?」
「ここに来る少し前に藤悟から送られてきた」
 玲夜は指輪をひとつ手にすると、柚子の左手を取り、薬指にはめた。薬指には玲夜からの婚約指輪もあり、ふたつの指輪が輝いている。
 自然と顔をほころばせる柚子に、玲夜が箱を渡す。
「俺にもつけてくれるか?」
 柚子は嬉しそうに笑み、指輪をおそるおそる玲夜の薬指にはめた。
 普段装飾品をつけない玲夜が指輪をはめている。
 それも自分と同じデザインのものをだ。
 柚子は左手で玲夜の左手を握り、指を絡める。
「一緒だね」
「ああ」
 なんだかこそばゆく感じるのはなぜだろうか。

***

 あっという間の旅行が終わり、屋敷に戻ってきた柚子は、その日はぐっすりとベッドで眠った。
 ゆらゆらとゆりかごに乗るような心地よさを感じ、遠くで誰かから呼ばれる声がする。
 玲夜でもない。けれど知っているような不思議な声。
 柚子ははっと目を開けた。
「……ここ、どこ?」
 柚子は真っ暗な場所でひとりぽつんと立っていた。