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 まだ日も昇らぬ夜中、玲夜はぱっと目を覚ました。
 隣には最愛の妻である柚子の姿があるが、その表情は険しく、苦しそうにしている。
 うなされているようで、額に浮かんだ汗を玲夜はタオルで拭った。
 起こすべきか迷っていると、次第に穏やかな寝息へと変わっていった。
 それを見てほっと息をつく玲夜は、最近のことを思い返す。
 柚子がこうしてうなされ始めたのはいつからだったろうか。
 出張を早く切り上げてきたのも柚子が心配だったからに他ならない。
 けれど、朝にはケロリとしており、柚子は自分がうなされているのにも気づいていないようだった。
 細心の注意は払っている。
 まだストーカー事件のことか尾を引いているのだろうかと心配な玲夜は高道に相談した。
 ひどいようなら医者に診せることも視野に入れていたからだ。
 夢でうなされたごときで大げさだと他人は言うかもしれない。
 けれど、玲夜にとって柚子は唯一無二の存在なのだ。
 わずかな憂いも与えたくなかった。
 すると、高道は最近柚子の不安になっているものを取り除けばいいのではないかと提案してきた。
 今、柚子のストレスになっているのは柚子本人に聞かずとも分かる。
 最近仲よくなった鳴海芽衣という娘。
 芽衣はかまいたちのあやかしである、鎌崎という男の花嫁であったことから執着されている。
 普通ならそれがどうしたと捨て置くのだが、柚子は鳴海を大層気にしている。
 元々あった借金は返し、店の取引はすべて鬼龍院系列のものに変えた。
 もはや鎌崎ごときに手を出す隙など与えてはいない。
 しかし、それでもなおちょくちょく芽衣の周りに出没するようで、芽衣を怖がらせていると柚子が話していた。
 時に柚子が体を張って追い返しているそうだが、玲夜としては逆上した鎌崎に柚子が傷つけられないかと心配でならない。
 当然護衛は以前よりも強化した。
 龍も子鬼もそばにおり、アリンコ一匹近づけさせない体制が整っている。
 しかし、それでも心配は尽きないのだ。
 これは柚子のためにも、自分自身のためにも、早々に鎌崎という男を潰しておいた方がいいと、玲夜は判断した。

 訪れたのはとあるパーティー。
 特に代わり映えのしない、上流階級のあやかしの集まりだ。
 ここに鎌崎が訪れると報告があった玲夜は迷わず参加した。
 そして玲夜の方から鎌崎に近づく。
 周囲では玲夜から話しかけられた鎌崎を羨ましそうにしているが、射殺しそうなほどの目で見られている鎌崎の額には汗がにじみ出ている。
 顔も強張っており、玲夜への恐怖心で立っているのがやっとであった。
 それを分かっていながらさらに眼差しを鋭くする玲夜。
「俺はあまり気の長い方ではない。言いたいことは分かるな?」
「あなたには関係のないことだ」
「俺の大事な花嫁が、お前がちょっかいをかけている娘と懇意にしている。それゆえ柚子が大層心配しているんだ。俺の花嫁を煩わせることの愚かさを身をもって知りたいか?」
 あやかしの世界で千夜に次ぐ霊力を持った玲夜からの威圧に、息も絶え絶えな鎌崎。
 鬼との力量の差を身をもって理解させられている。
「警告はこれが最後だ。二度と柚子にも、柚子の友人にも近づくな。関わろうとするな」
「……くっ」
 それだけを告げると、玲夜は鎌崎に背を向けた。
 すると、すぐに別のあやかしに声をかけられる。
 その横には人間の女性。
 愛おしげに腰に手を回していることから、花嫁であるとすぐに理解する。
 そのあやかしは玲夜も何度か顔を合わせたことのある見知った人物だった。
「お久しぶりです。玲夜様」
「ああ」
「紹介するのは初めてとなりますが、妻の穂香です。以前は花茶会で、玲夜様の奥方とご一緒したようで、ご挨拶に参りました」
「そうか。柚子が世話になったようだな」
 穂香という女性はただ静かに頭を下げた。
 その目はどこかうつろで、元気がないように見える。
 しかし、柚子以外は眼中にない玲夜にとってはどうでもいいこと。
 気にも止めない。
「なにやらもめているように見えましたが、大丈夫でしたか?」
「ああ、問題ない。少し花嫁に目がくらみ理性を放棄したあやかしに、あきらめというものを教えていたところだ」
 男性はにこやかに笑い出した。
「それはなんとも酷なことをおっしゃる。我々あやかしにとって花嫁がどれだけ甘美な誘惑か、花嫁を持つあなた様が知らぬはずがないでしょうに」
「そうだな」
 玲夜は男性につられて思わず苦笑する。
 玲夜が振り返ると、鎌崎がフラフラと会場から出ていこうとしているところだった。
「花嫁への執着心は不治の病ですよ。かく言う私も、その不治の病に冒されているのですがね」
 そう言って穂香をさらに引き寄せた。
 穂香はまるで人形のようにされるがままだ。
 その様子を見て、ふたりの関係性がなんとなく見える。
 いつか柚子も自分に死んだような目を向けてきやしないかと、玲夜は気が気でならない。
 こういう現実を見せられるので、玲夜のパーティー嫌いは、柚子という花嫁を得てから悪化したように思う。
 穂香はずっと夫であるあやかしの方をチラリとも見ずにいる。
 しかし、視線はなにかを追うように動いていたので、その先に目を向けると、先ほど鎌崎が出ていった会場の外へつながる扉だった。
 すると、それまで静かだった穂香が初めて声を発する。
「旦那様。少しお化粧室へ行って参ります」
「俺もついていこう」
「いいえ。旦那様はどうぞ、鬼龍院様とのご歓談を続けてくださいませ。鬼龍院様とお話しできる機会など多くはありませんから」
 あやかしは一瞬考え込んでから、穂香から手を離した。
「確かにそうだな。なにかあればすぐに私を呼ぶんだよ」
 頬にキスを落とし、名残惜しそうに穂香を見送る。
 この時穂香がほの暗い顔で笑っていたのに気づくことなく、あやかしは笑った。
「ははは、いけませんね、花嫁を持つあやかしというものは。たかだかトイレにすら嫉妬してしまいます。玲夜様も同じではありませんか?」
「俺はそこまでひどくはないが、気持ちは大いに理解できる」
「そうでしょうとも。花嫁というものは──」
 その後、他のあやかしとも歓談しながら屋敷に帰った玲夜は、これ以上鎌崎が鬼を敵に回すような真似はしないだろうと柚子に伝えた。
 ほっとした顔をする柚子と話すのは、今度の新婚旅行の話だ。