六章

 宝くじの結果をライブ配信で見守る。
 鳴海の手にはくしゃくしゃになったくじ券が握られており、発表を今か今かと待つ。
 そして、次々に数字が発表されるたびに、鳴海の目が光り輝いていく。
「来い来い来い来い!」
 興奮しすぎで顔を真っ赤にしながらテーブルをバンバン叩いている鳴海の耳に、最後の当選番号が響く。
 瞬間。
「よっしゃぁぁぁ!」
 ガッツポーズを天に掲げる鳴海は最高潮に盛りあがっていた。
 かく言う柚子も、大喜びで拍手する。
「わー、ほんとに一等当選した。すごいね」
「あーい」
「あいあい!」
『それもこれも、我のおかげだぞ』
 一緒に喜ぶ子鬼と、ドヤ顔の龍がいる。
 そんな中で、さっきまで大興奮していた鳴海は、次には涙をボトボトと落とし、号泣した。
「うわぁぁん! これでお店が助かるー」
 緊張感から解き放たれたように涙する鳴海の背を、柚子はトントンと撫でた。
「よかったね」
 鳴海はついに言葉も出なくなってしまい、ただひたすらこくこくと頷いた?
「でも、まだ終わってないよ。換金してお金を叩き返さないと」
「う、ん……」

 翌日、鳴海は両親と合流して銀行で換金した。
 金額は七億となっており、借金を返してもあまりある。
 傾いた店の再建にも役立つだろう。
 あれほど大喜びだった鳴海は、七億というお金を前に挙動不信になっていたが、それは鳴海の両親も同じだ。
 本当はこれから鎌崎の会社に乗り込む予定なのだが、鳴海一家だけでは心許ないので柚子と護衛もつき添うことになった。
 本当は玲夜もついて来たがったが、仕事で来られなかった。
 大急ぎで出張を終わらせたがため、後回しにすることができなかった。
 代わりに柚子の護衛にはいつもより選りすぐりの人材を多く投入したくれた。
 ありがたいが、過保護がすぎると柚子は苦笑した。
 しかし、玲夜は柚子のことになるといつでも本気だ。
 柚子に指一本触れさせるなと、しっかりと護衛たちを脅し聞かせていた。
 顔を青ざめさせ引きつらせていた護衛たちが、かなり不憫だった。
 胃を押さえていた人には、後で胃薬を差し入れしようと思う。
 とりあえずは護衛のことを置いておいて、いざ鎌崎の元へ。
 スーツケースを何個も持って、鎌崎が社長を務めている会社のオフィスビルへやって来た。
 受付で鎌崎を呼び出す時には鬼龍院の名前を大いに有効利用させてもらう。
 玲夜の妻とその関係者だと聞いて無下に扱うあやかしの一族はいない。
 受付は人間のようだったが、鬼龍院の名を知らぬわけではなかったので大慌てであったのは申し訳なかった。
 けれど、鬼龍院の名前で脅しをかけたのは柚子ではなく護衛たちだ。
 そもそも柚子に鬼龍院の名前で脅すなどという真似ができるはずがない。
 鬼龍院の名前を出すことによって、玲夜に迷惑がかかるかもしれないのだから、気の弱い柚子は考えもしない。
 だが、玲夜から圧をかけられている護衛たちは、文句なら玲夜にとばかりに鬼龍院の名前を活用しまくっていた。
 後で玲夜に叱られないか心配する柚子に、彼らは「柚子様のためなら怒られないので大丈夫です」と、白い歯を見せながらぐっと親指を立てた。
「むしろそうしないで柚子様に危険が及ぶ方が怖いし……」
 と、誰かがぼそっとつぶやいたのがしっかり聞こえてしまった。
 そんなこんなありながら、鎌崎の部屋へ通されると、鳴海の姿を見せて鎌崎は不敵な笑みを浮かべる。
 柚子たちの姿など眼中にない様子だ。
「芽衣、やっとお前から来てくれたのか」
 大きく手を広げて芽衣を受け入れるその姿は滑稽そのもの。
 独りよがりな愛情を見せる彼に対して、鳴海が蔑むような眼差しで見ているのを本人だけが気づいていない。
「私の花嫁になる決心をつけてくれたか。鬼の家に連れていかれた時はどうなることかと心配していたんだ。きっとそこの女にそそのかされたのだろう。お前は騙されやすいからな。やはり私がいなければ生きていけないんだ」
 ちょいちょいと鳴海を下げる発言をする鎌崎に、柚子は不愉快な気分になる。
 それは鳴海も同じようで、目に怒りが映っている。
「誰があんたのものになるか! 今日は借金を返しに来たのよ」
「借金? なにを言ってるんだ?」
 真剣な眼差しの鳴海を前に鎌崎は声をあげて笑う。
「ははははっ、冗談はやめてくれ。五億だぞ、五億。そんな大金を寂れた店しか持たないお前の家が払えるわけがない」
 寂れさせたのは鎌崎だというのに、なんという言い草。
 まさに、お前が言うなと怒鳴りつけたい。
「お前は私の花嫁になるしかないんだよ」
 嘲笑う鎌崎に向け、不敵な笑みを浮かべた鳴海が、スーツケースのロックを外して中身をぶちまける。
 何枚もの札が宙を舞った。
 鳴海はひとつだけでなく、次から次にスーツケースを開けては投げつけた。
 札束がそこら中に散らばる異様な光景だが、場を作り出した鳴海は鼻を鳴らし満足げだった。
「しめて、五億。受け取りなさいよ」
「そ、そんな。ありえない……」
 鎌崎は激しく動揺しているようで、視線を彷徨わせている。
 しかし、落ち着くのを待ってやる義理などなく、鳴海は早々に背を向けた。
「二度と私たち家族に関わるんじゃないわよ! 行こう、お父さん、お母さん」
 鎌崎のことなど眼中にないように去っていく鳴海の後を柚子も追う。
 一度だけ振り返った柚子の目に、がっくりと膝をつく鎌崎の姿が映った。
 その後、鳴海の両親から何度となくお礼の言葉をかけられ、今度店に食べに来てくれと誘われた。
 柚子の答えは当然決まっている。
「ぜひ、行かせていただきます」
 どうやら店を見張っていた鎌崎の手下もいなくなったと報告があり、鳴海も無事に家に帰ることができた。
 これで万事解決、と言いたいところだが、柚子は花嫁だからこそ、花嫁を見つけたあやかしの執着心を知っている。
 このまま大人しく引き下がってくれればいいのだがと思いつつ、柚子は日常に戻った。

 間近に迫った試験の勉強を、学校の休み時間に行っていると、憔悴した鳴海がやって来る。
「ちょっといい?」
「はあ!? なによ、あんた。柚子になんか用?」
 鳴海と和解した形になったことを知らない澪は、臨戦態勢に入るが、かばうように子鬼たちが鳴海の肩に乗った。
「あいあーい!」
「あーい!」
「なに、あんたたち。いつの間にそんなに仲よくなったのよ」
 面白くなさそうな澪の様子に苦笑して、柚子はふたりの間に入る。
「ごめんね、澪。ちょっと鳴海さんと話してくる」
「えー、柚子までどうしたの? つい数日前まで険悪だったのに」
「この間話しをする機会があって、お互い誤解があったのが分かったの。でも今は解消したからもう大丈夫。心配してくれてありがとうね」
「むー。柚子がそう言うなら分かったけど、私はまだ許してないからね」
 ビシッと人差し指を突きつけて、目をつり上げる澪に反抗する気力すら鳴海はないようだった。
 これはただ事ではないと察した柚子は、鳴海の手を取った。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね。次の授業間に合わなかったら、上手くいっておいてくれる?」
 澪は不満そうにしながらも手を振って見送ってくれた。

 そして、人気のない場所に移動して鳴海と話す。
「どうしたの? なにかあった?」
「…………」
 鳴海は話すのを迷っているようだった。
「鎌崎って人のこと?」
 柚子から話しかけると、堰を切ったように話し出す。
「あんなにお世話になって、これ以上あんたに相談するのはどうかって思ったの。けど、他に頼れる人がいなくて……」
「なにがあったの?」
「借金もなくなって、資金もできたし、心機一転、また一から店を大きくしていこうって話してたの。けど、家に帰った翌日から続々と仕入れ先から仕入れを断られるようになったの」
 すぐに嫌な予感がした。
「最初はこんなこともあるかって、笑ってた。ほら、うちってあいつのせいで悪い噂が出てたから。でも、その後いろんなところに頼んだけど、どこからも商品を仕入れられなくなったの。理由が分からなくて……。そしてら昔からつき合いの長かった仕入れ先の人がこっそり教えてくれたの。鎌崎の会社が裏で手を回して商品を仕入れられないようにしてるって」
「やっぱり……」
 柚子は表情を曇らせる。
 柚子の予想していたかのような言葉に、鳴海は反応した。
「やっぱりってどういうこと!? あんた、こうなることが分かってたの!?」
 鳴海の手が、柚子の肩を力強く掴み、柚子は痛みでわずかに顔を歪める。
 すると、子鬼が柚子を助けようと、鳴海の指に歯を立てた。
「いたっ!」
 思わず柚子の肩から手を引いた鳴海は、少し冷静になったようだが、まだ混乱しているに違いない。
「鳴海さん、落ち着いて。私がやっぱりっていったのは、借金を返しただけで鎌崎が引き下がると思えなかったからよ。まさか商品を仕入れられないようにするとは思わなかったけど」
『むすめごよ。散々柚子に世話になっていてその態度はないのではないか?』
「あ……」
 龍の言葉を聞いて、鳴海の顔には後悔の色が現れていた。
「ご、ごめんなさい。私……動揺してて。本当にごめ……っ」
 鳴海はたまらず顔を覆った。
「うん。大丈夫だから気にしないで」
 かなり追い詰められているようだ。
 柚子は玲夜とも、今後なにかしら仕掛けてくるのではないかと話していたのだが、他人の柚子が勝手に動くわけにもいかず、鳴海の相談待ちだったのだ。
 しかし、こんなにも辛そうな姿を見ると、先手を打っておくべきだったのではないかと思ってしまう。
 謝らなければならないのは柚子の方かもしれない。
「状況を知りたいの。鳴海さんのお店に行っていい?」
「それは、もちろん。でも、いいの?」
「うん。行けるなら今すぐ行こう」
 柚子はまず迎えの車を頼んでから、鳴海とともに私服に着替える。
 学校内ではコックコートを着ているので、その格好のまま外に出るわけにはいかない。
 着替えている間に車が到着したようで、学校前に停められた車に乗り込み、鳴海の店へ向かった。
 駅からも近く、人通りも多い道の通りに立つ店は、立派ななりをしているがクローズの札がかけられたままだ。
 周辺の店が開いている時間帯だというのに、店は暗く閉められている。
 客が誰ひとりいない店内に入っていく。
 店舗と住居が一体になっている作りのようで、店の奥にはキッチンがあり、さらにその奥はリビングになっていた。
 そこでは、意気消沈した鳴海の父がいる。
 すぐそばには電話と、リストらしきメモが置いてあり、たくさん書かれた名前が横線で消されていた。
「お父さん」
「おお、芽衣。それに柚子さんまで。いらっしゃい。遊びに来てくれたのかい? けど、悪いね。料理を出してあげたいんだけど、まだ店は再開していないんだよ」
 無理やり作られた笑顔が痛々しかった。
「お父さん、どうだったの? 取引してくれるところはあった?」
「いや、どこも駄目だったよ」
 力なく笑う鳴海の父の手元にあるメモを柚子は手に取る。
「借金を返せばすべて元通りだと思ってたのに、世の中そんなに甘くないってことか……」
「あきらめないでよ!」
「そうは言ってもな。食材がないんじゃ、作りたくても作れないさ」
 鳴海はなにか言葉を発しようと口を開いて、すぐに閉じた。言いたいことはたくさんあるのだろうが、悔しそうに唇を噛むことで耐えている。
 そんな暗い空気の中、払拭するように柚子がメモをテーブルに叩きつける。
 びっくりしたように柚子を見る鳴海親子に向け、柚子はにっこりと微笑んだ。
「鳴海さんのお父さん、必要な商品や材料を書き出してくれませんか?」
「えっ?」
「ほら、早く」
「は、はい!」
 柚子に背中を押されるように、鳴海の父親はペンを走らせる。
 それを見ながら柚子は電話をした。
 相手はもちろん、頼りになる旦那様だ。
 玲夜はなにかしらの邪魔が入ることを想定していた。
 だからこそ、なにか助けが必要ならばすぐに連絡するよう柚子に言い置いていたのだ。
「玲夜、今大丈夫?」
『ああ。なにをしてほしいんだ?』
 どうやら玲夜にはお見通しのようだ。
 それも当然。柚子が学校を抜け出したことも、鳴海の見せに行っていることも、柚子のすべては玲夜に報告される。
「あの男が鳴海さんのお店に商品を仕入れられないようにしたみたいなの。なんとかできる?」
『問題ない。鬼龍院の傘下には、飲食店に食材その他を卸している会社もあるからな。必要なものを高道に伝えておいてくれ』
「分かった。ありがとう」
『礼は帰ってからたっぷりともらう。覚悟しておけ』
 こんな緊迫した時なのに、柚子は頬を染めた。
 玲夜との電話を切ると、鳴海の父親が書き出したものを高道にメールする。
 すると、二時間後には注文した商品が届いたのである。
 これには鳴海親子もびっくりとしていた。
 ついでに玲夜は商品を卸している会社の従業員も寄越してくれたようで、その場で契約を行い、今後はその会社が食材などを卸してくれることになった。
 鳴海の父は、安堵からか静かに涙を流し、何度も何度も頭を下げていた。
 そして鳴海も喜んでいたが、柚子の方を見ながら複雑な表情をする。
「ねぇ、どうして?」
「なにが?」
「私、あんたにひどいことばっかり言ってたじゃない。敵意剥き出しで、ムカついたでしょう? それなのにどうして、こんなにも私を助けてくれるの?」
 芽衣が理解できないのもしょうがない。
 けれど、柚子もなんの考えもなしに動いていたわけではなかった。
「以前にね、鳴海さんと似た状況の子と会ったの。親が負債を抱えてて、援助と引き換えに花嫁になった子のこと」
「えっ」
「その子は自分を花嫁に選んだ相手のことを毛嫌いしてた。親に言われるまま花嫁になって、相手を嫌って、そのくせ相手から援助はもらってるの」
「なにそれ。嫌なら花嫁なんてならなきゃいいじゃない」
 その通りだ。
「あやかしの方が強要したの?」
 だったら許せないというように鳴海の目つきが鋭くなるが、蛇塚は強要などしたいない。
「ううん。花嫁になるかは本人の意志に任せられてた。だから、嫌なら断ればよかったのよ」
「なおさら、なんでよ」
「本当だよね。彼女は利益を受けながら嘆くことしかしなかった」
 それは昔の自分にも重なってしまう。
 嘆くだけで誰かの助けを待つしかしなかった、柚子。そして梓。
 けれど、鳴海は違う。
 現状を打破しようと自分の力で乗り越えるべく努力している姿が、率直に尊敬できた。
「だから、羨ましかったのかな。鳴海さんは自分の力で立って、道を切り開こうと努力していて、そんな強さに私は惹かれたんだと思う」
 自分には備わっていなかった強さ。
「あなたを尊敬する」
 柚子はにこりと微笑みかけた。
 鳴海は照れくさそうに視線を逸らす。
「私はそんな大層な人間じゃない。結局はなにもできなかったんだから」
「鳴海さんが頑張ったからよ。それに、純粋に友達になりたかったのかもしれない」
「……だったら、これからは友達になってあげてもいいわ。芽衣って呼んでもいいわよ」
 柚子は目を見張ってから、相好を崩す。
「うん。ありがとう、芽衣」
 すると、鳴海──いや、芽衣は、初めて柔らかな笑顔を見せてくれた。
「ありがとうは、私の言葉でしょう。柚子」