一章
鳴海芽衣はごくごく普通の家に生まれた。
レストランを営んでいる両親。シェフをしている父親と、接客をしている母。
店は小さいながらもテレビで紹介されるような人気店となり、事業を広げて複数の店舗を持てるまでになった。
『いつかお父さんの跡を継いでシェフになる!』
そう夢を語った芽衣を、父親は恥ずかしそうに笑っていたものだ。
忙しくも幸せだった。
すべてが順調だった。
それなのに……。
芽衣が高校生の時、少しずつ歪み始める。
切っ掛けとなったのは鎌崎風臣というあやかしに芽衣が見初められてしまったことだ。
あやかしという世界とはまったく関わりのない場所で生きてきた芽衣の日常に、風臣という男はズカズカと足を踏み入れてきたのである。
かまいたちのあやかしだという彼は、クセのある髪で、あやかしというだけありそれなりに顔立ちが整っていたが、その目はまるで獲物を見るようにギラギラとしていて、直視できなかった。
『あやかしの花嫁』
風臣は芽衣こそが自分の花嫁だと言い切った。
話しに聞いたことはあるが、どんなものか知っているわけではなかった。
丁寧に説明してくれる相手なら、芽衣もゆっくりと考え答えを出せただろう。
しかし、風臣は傲岸不遜で、花嫁に選ばれて嬉しいだろうと言わんばかりの上から目線な態度だった。
そんな彼にどうして好感を抱けるだろう。ただただ反感しか覚えなかった。
だからというか、芽衣の判断は早く、その場でお断りの返事をしたのだ。
年齢が大きく違っていたのもある。彼はどう見ても三十歳そこそこ。
まだ高校生の芽衣から見たらおじさんと言ってもいい。年が離れすぎている。
年齢を理由にすれば当たり障りなくお断りできるだろう。
そこで終わればよかった……。
しかし、芽衣はあやかしの花嫁への執着心を甘く見ていた。いや、知らなかったと言う方が正しいか。
それは芽衣と同じく、あやかしと関わったことのない両親も同じである。
お断りの返事とともに素直に帰ったからこそ、笑い話で済ませていた。
『なんか変な人だったね』
『芽衣があやかしの花嫁なんておかしくて仕方ないわ』
『芽衣は俺の跡を継ぐんだからよそに嫁になんか行かせねぇぞ』
『お父さんったら』
そんな風に家族皆で笑った。
崩壊の足音がそこまで迫っているとも知らずに。
その後からだ。急に店に悪質な客が来るようになったのは。
一度や二度ではなく、何度となく店に言いがかりのようなクレームをしたり、店内で大騒ぎするものだから、悪評が広がっていき客足が遠くなった。
常連だった客すらも次第に姿を見せなくなってしまったのだ。
そうなれば当然売り上げは落ちる。
芽衣の両親も対策はした。
監視カメラをつけたり、警察に相談したり。
それでも悪質な客は次から次へとやって来る。
なぜ突然こんなことになったのか、芽衣も両親も意味が分からなかった。
複数あった店すべてで同じような騒ぎがあるものだから、ひとつ店を閉じ、ふたつ店を閉じとなってしまい、かろうじて残った数店も潰れる寸前まで追いやられてしまった。
悪いことはさらに続く。
資金繰りに困っていた父親が、なんとかして金を得ようと薦められるままに投資を行うも、のちにすべて詐欺だったと発覚。
店を守るどころか、大金を失い借金まで負わされてしまったのだ。
それにより、最初に始めた店舗以外の店をすべて手放すほかなくなった。
意気消沈する父親の背は精神的に参っているのが見て取れた。
『お父さん、大丈夫?』
『大丈夫、大丈夫! 芽衣が心配する必要なんかないぞ。はははっ』
芽衣の前では無理をして笑っているのが分かったので、芽衣は胸が痛んだ。
どうしてこんなことになったのか。
家庭内の空気は最悪だった。
そんな時に都合よくやって来たのが風臣だった。
彼は言った。
『私と結婚をするなら、借金返済もレストランの再興も協力しますよ』
その暗く陰湿な眼差しを見て、ようやく芽衣は彼のプライドを傷つけてしまったと気づいた。
しかし、気づくには手遅れだった。
芽衣たちの足下を見た風臣の言葉に芽衣は揺れる。
自分が風臣と結婚しさえしたら……。
そうすればレストランも両親も守れる。
しかしそこではっとする。
あまりにも都合がよすぎやしないかと。
『あんた、まさか……』
『なんです?』
『なんですじゃないわよ! あんたが全部裏で手を引いてたの!? 悪質な客も! 投資詐欺も!』
激昂する芽衣に、風臣はにやりと口角をあげた。
その歪んだ笑みがすべてを物語っていた。
『あ、あんたっ……』
芽衣は怒りで体が震えた。
思わず手を振りあげたが、風臣は勝ち誇った顔で問いかける。
『さて、どうしますか? 私を殴って警察沙汰になったら、困るのはそちらですよ? またレストランの悪評が立ってしまいますね』
『っ……』
芽衣は悔しそうに手を下ろす。
『君には選択肢はないんじゃないかな? 素直に私の花嫁になりなさい』
『お断りよ! 誰がお父さんたちを苦しめる奴の花嫁になんてなるもんか!』
風臣は聞き分けのない子供にするような表情を浮かべて肩をすくめる。
『やれやれ、やはりまだ子供だな。現状を理解できていないらしい。今君の家族は崖っぷちに立っているいるというのに』
『あんたのせいでしょう! あんたがいなかったらこんなことになってないわ。とっとと出ていって!』
不敵に微笑む風臣は、ゆっくりと背を向けてから振り返る。
『ひとつ言っておこう。私は花嫁を得るために手段は選ばない。多くのあやかしがそうであるように、私も絶対に君を手に入れる』
そう言い捨てて去っていく風臣を、芽衣は憎悪に満ちた眼差しでにらみつけた。
『なにがあやかしの花嫁よ』
芽衣にはあやかしと花嫁への怒りと憎しみが残された。
鳴海芽衣はごくごく普通の家に生まれた。
レストランを営んでいる両親。シェフをしている父親と、接客をしている母。
店は小さいながらもテレビで紹介されるような人気店となり、事業を広げて複数の店舗を持てるまでになった。
『いつかお父さんの跡を継いでシェフになる!』
そう夢を語った芽衣を、父親は恥ずかしそうに笑っていたものだ。
忙しくも幸せだった。
すべてが順調だった。
それなのに……。
芽衣が高校生の時、少しずつ歪み始める。
切っ掛けとなったのは鎌崎風臣というあやかしに芽衣が見初められてしまったことだ。
あやかしという世界とはまったく関わりのない場所で生きてきた芽衣の日常に、風臣という男はズカズカと足を踏み入れてきたのである。
かまいたちのあやかしだという彼は、クセのある髪で、あやかしというだけありそれなりに顔立ちが整っていたが、その目はまるで獲物を見るようにギラギラとしていて、直視できなかった。
『あやかしの花嫁』
風臣は芽衣こそが自分の花嫁だと言い切った。
話しに聞いたことはあるが、どんなものか知っているわけではなかった。
丁寧に説明してくれる相手なら、芽衣もゆっくりと考え答えを出せただろう。
しかし、風臣は傲岸不遜で、花嫁に選ばれて嬉しいだろうと言わんばかりの上から目線な態度だった。
そんな彼にどうして好感を抱けるだろう。ただただ反感しか覚えなかった。
だからというか、芽衣の判断は早く、その場でお断りの返事をしたのだ。
年齢が大きく違っていたのもある。彼はどう見ても三十歳そこそこ。
まだ高校生の芽衣から見たらおじさんと言ってもいい。年が離れすぎている。
年齢を理由にすれば当たり障りなくお断りできるだろう。
そこで終わればよかった……。
しかし、芽衣はあやかしの花嫁への執着心を甘く見ていた。いや、知らなかったと言う方が正しいか。
それは芽衣と同じく、あやかしと関わったことのない両親も同じである。
お断りの返事とともに素直に帰ったからこそ、笑い話で済ませていた。
『なんか変な人だったね』
『芽衣があやかしの花嫁なんておかしくて仕方ないわ』
『芽衣は俺の跡を継ぐんだからよそに嫁になんか行かせねぇぞ』
『お父さんったら』
そんな風に家族皆で笑った。
崩壊の足音がそこまで迫っているとも知らずに。
その後からだ。急に店に悪質な客が来るようになったのは。
一度や二度ではなく、何度となく店に言いがかりのようなクレームをしたり、店内で大騒ぎするものだから、悪評が広がっていき客足が遠くなった。
常連だった客すらも次第に姿を見せなくなってしまったのだ。
そうなれば当然売り上げは落ちる。
芽衣の両親も対策はした。
監視カメラをつけたり、警察に相談したり。
それでも悪質な客は次から次へとやって来る。
なぜ突然こんなことになったのか、芽衣も両親も意味が分からなかった。
複数あった店すべてで同じような騒ぎがあるものだから、ひとつ店を閉じ、ふたつ店を閉じとなってしまい、かろうじて残った数店も潰れる寸前まで追いやられてしまった。
悪いことはさらに続く。
資金繰りに困っていた父親が、なんとかして金を得ようと薦められるままに投資を行うも、のちにすべて詐欺だったと発覚。
店を守るどころか、大金を失い借金まで負わされてしまったのだ。
それにより、最初に始めた店舗以外の店をすべて手放すほかなくなった。
意気消沈する父親の背は精神的に参っているのが見て取れた。
『お父さん、大丈夫?』
『大丈夫、大丈夫! 芽衣が心配する必要なんかないぞ。はははっ』
芽衣の前では無理をして笑っているのが分かったので、芽衣は胸が痛んだ。
どうしてこんなことになったのか。
家庭内の空気は最悪だった。
そんな時に都合よくやって来たのが風臣だった。
彼は言った。
『私と結婚をするなら、借金返済もレストランの再興も協力しますよ』
その暗く陰湿な眼差しを見て、ようやく芽衣は彼のプライドを傷つけてしまったと気づいた。
しかし、気づくには手遅れだった。
芽衣たちの足下を見た風臣の言葉に芽衣は揺れる。
自分が風臣と結婚しさえしたら……。
そうすればレストランも両親も守れる。
しかしそこではっとする。
あまりにも都合がよすぎやしないかと。
『あんた、まさか……』
『なんです?』
『なんですじゃないわよ! あんたが全部裏で手を引いてたの!? 悪質な客も! 投資詐欺も!』
激昂する芽衣に、風臣はにやりと口角をあげた。
その歪んだ笑みがすべてを物語っていた。
『あ、あんたっ……』
芽衣は怒りで体が震えた。
思わず手を振りあげたが、風臣は勝ち誇った顔で問いかける。
『さて、どうしますか? 私を殴って警察沙汰になったら、困るのはそちらですよ? またレストランの悪評が立ってしまいますね』
『っ……』
芽衣は悔しそうに手を下ろす。
『君には選択肢はないんじゃないかな? 素直に私の花嫁になりなさい』
『お断りよ! 誰がお父さんたちを苦しめる奴の花嫁になんてなるもんか!』
風臣は聞き分けのない子供にするような表情を浮かべて肩をすくめる。
『やれやれ、やはりまだ子供だな。現状を理解できていないらしい。今君の家族は崖っぷちに立っているいるというのに』
『あんたのせいでしょう! あんたがいなかったらこんなことになってないわ。とっとと出ていって!』
不敵に微笑む風臣は、ゆっくりと背を向けてから振り返る。
『ひとつ言っておこう。私は花嫁を得るために手段は選ばない。多くのあやかしがそうであるように、私も絶対に君を手に入れる』
そう言い捨てて去っていく風臣を、芽衣は憎悪に満ちた眼差しでにらみつけた。
『なにがあやかしの花嫁よ』
芽衣にはあやかしと花嫁への怒りと憎しみが残された。