門の前では殺気立つ使用人たちが集まってきていた。
 その間をすり抜け、前に出た柚子の正面に男性が立っている。
 やや髪が乱れたように見えるのは、クセが強いというからではないはずだ。
 額には汗がにじんでおり、周囲の鬼たちを見て怯えているのが分かる。
 これが、鎌崎風臣。
 鬼とは比べものにはならないが、やはりあやかしだけあって整った容姿をしている。
 しかし、情報通り、年齢は鳴海と比べるとだいぶ離れているように見える。
 鬼である使用人に対するのとは反対に、人間である柚子を見るや軽んじるように強気な眼差しを向けてくる鎌崎。
 それだけで鎌崎がどういう人物か知れるというもの。
「芽衣を渡せ」
 開口一番脅すように命令してくる鎌崎に、柚子は怯えるどころかあきれ顔。
 ここをどこか分かっているのだろうか。
 これだけ周囲に鬼がいるのだから、玲夜の屋敷と知らぬはずがない。
「ずいぶんと不躾ですね。名乗りすらしませんか?」
「なんだと?」
 柚子は心の中で自分に言い聞かせる。
 自分は玲夜の妻だ。鬼龍院次期当主である玲夜の。
 そんな自分が気圧されることはあってはならない。
 柚子は手本となっている桜子を真似るように、毅然とした態度で鎌崎に向き合う。
 周りにこれだけたくさんの鬼が守ってくれているのだから、敵意を剥き出しの鎌崎を前にしても恐怖心はなかった。
 それに、彼らがいるからこそ、無様な姿は見せられないという気持ちが柚子を強くさせる。
 玲夜の妻であることを恥じさせない存在でありたい。
 玲夜がそばにいなくてもやってみせると、柚子は意気込む。
「ここは鬼龍院次期当主の屋敷です。先触れもなく突然やって来て騒がないでください」
「なにを偉そうに。旦那の地位がなければなんの価値もない小娘が!」
 瞬間、雪乃を始めとした使用人たちの眼差しが鋭くなった。
 それまでもすでに厳しかったものが、今は視線だけで射殺せそうである。
 鎌崎は鈍くはないらしく、一瞬気圧されるも、よほど花嫁である鳴海を手に入れたいのか、鬼を前にしてもすごすご引き下がることはしなかった。
「芽衣がここにいるんだろう。隠しても無駄だぞ。私はちゃんと分かっているんだ!」
「確かにいますよ。けれど、あなたに関係ないでしょう? 家族でも恋人でもない他人のあなたには」
「芽衣は俺の花嫁だ!」
「彼女は認めていません。それはあなたが誰よりご存知なのではありませんか? 彼女を手に入れるために相当あくどい真似をしたそうじゃないですか」
 柚子は軽蔑したような眼差しを鎌崎に向ける。
 今こうしている間にも、芽衣は怯えているだろう。
 そう思うと、彼のしたことは許されない。
「お前には関係ない」
「私が関係ないというならあなたもでしょう」
「俺は違う! 芽衣は恥ずかしがっているだけだ。そう、きっとあの両親に反対されていて、優しい芽衣は両親の言いなりになっているに決まっている。そうでなければどうして俺を避けるというんだ? 芽衣と私は相思相愛なんだ。芽衣はツンデレだから素直になれないどけなんだよ」
 自分に酔ったように語る鎌崎の姿を見て、柚子は頬を引きつらせた。
「あれ? デジャブ?」
 少し前に似たような男に遭遇したのは気のせいだろうか。
 柚子がそっと雪乃に視線を移すと、まるで得体の知れない汚物でも見るかのような表情で鎌崎を見ていた。 
『うーむ。ここにもストーカーがおったか。これほど蔓延っているとは、世も末だ』
 龍も柚子と同じ人物を思い浮かべていたようで、気持ち悪そうにしながら鎌崎に目を向けている。
「と、とりあえず、鳴海さんをあなたに会わせるわけにはいきません。お帰りください! そして、今後彼女に関わらないで」
 厳しい口調で告げる柚子は、昔を思うとずいぶんとたくましくなった。
 けれど、それはあくまで昔の柚子と比べてだ。
 それなりに成熟した大人の鎌崎からしたら、なんの威嚇にもなっていない。
「鬼の花嫁だろうが、私と芽衣の邪魔をするならどうなるか分かっての覚悟だろうな?」
「……邪魔をしたら、どうするというんだ?」
 地を這うような低い声にはっとしたのは、柚子だけではない。
「玲夜?」
 柚子はびっくりとした目で玲夜を見る。
 昨夜の電話では、帰ってくるのはまだまだ先のように話していたのに、などうしてここにいるのか。
 あふれる存在感と威圧感に、鎌崎は顔色を変える。
「きさま、まさか俺の柚子に対して、脅しているわけではないよな?」
「ひっ……」
 引きつらせるように息をのむ鎌崎は、しかし花嫁である鳴海の存在を思い出したのか玲夜に食ってかかる。
「わ、私の芽衣を返せ! 花嫁を奪うなど、いくら鬼と言えど横暴がすぎるではないか! あやかしならば素直に引き渡せ」
「誰にものを言っている?」
 ただひと言。
 なのに、言葉に言い表せぬ圧はさすが玲夜であった。
 あれほど饒舌に語っていた鎌崎は言葉をなくしている。
 ただただ、怯える小動物のように肩を震わせていた。
「失せろ」
「ひ、ひぃぃ」
 凍り付くような言葉に、鎌崎はなすすべなく走り去っていった。
『うーむ、なにやら不憫に思えてきた。あれほど強い霊力を叩きつけられたら、ちびってもおかしくなかろうに。よく耐えたものだ』
 龍は柚子のよく分からないことを口にしている。
「どういうこと?」
『人間の柚子には見えておらなんだが、あやつめ、かまいたちの男に鬼の気配がたっぷり乗った霊力で威圧しておった。ほれ、他の鬼ですら冷や汗を流すほどなのに、かまいたちのように弱いあやかしなら即死レベルだぞ』
 龍に言われてから周囲の様子をうかがうと、雪乃を始めとした使用人たちが顔を強張らせていた。
 中には額に汗を浮かべている者もいる。
 どうやら柚子の知らぬところで壮絶な攻防が行われていたらしい。
 まったく気がつかなかった。
 だが、おかげで鎌崎は撃退できたので、なんの問題もない。
 いや、それよりも柚子にとって今重要なのは鎌崎よりも玲夜である。
 柚子は早足で玲夜に近づいた。
「玲夜、どうしているの? まだ仕事が忙しいって言ってたのに」
「仕事は終わらせてきた。柚子を驚かせようと思って、昨日は伝えなかったんだ。驚いたか?」
 ドッキリが成功したように喜色を浮かべる玲夜に、柚子は肯定するしかない。
「驚いたに決まってる! まだ時間がかかると思って私……」
 玲夜のいない寂しさを紛らわせるように、子鬼、龍、まろ、みるくと一緒に眠っていた。
 まだ帰れないと聞いて、ひどく落ち込んで夜を明かしたというのに、帰れるなら帰れると言って欲しかった。
「どんな気持ちで待ってたと思うの?」
 少々八つ当たり気味に玲夜に言葉をぶつけると、玲夜柚子を腕におさめ、包み込むように強く抱きしめる。
「俺も柚子と同じだ。会いたくて会いたくて仕方なかった。だから、大急ぎで仕事を終わらせてきたんだ」
「ええ、まったく。無茶をなさいますよ」
 やや疲れた様子で現れたのは高道だ。
「玲夜様ときたら、一日でも早く帰るために、スケジュールを詰め込みまくったのですよ。付き合わされる社員が気の毒なぐらいです。ですので労ってさしあげてください」
「そうなの?」
 玲夜を見あげるが、疲れが見える高道と違い、玲夜は表情に表れないのでよく分からない。
 しかし、高道の様子を見れば、苦労したことがうかがえる。
「玲夜も私に早く会いたかったの?」
「当たり前だ。本当なら一日たりとも離れたくはないさ」
 飾らぬ率直な言葉に、柚子はふわりと微笑む。
 寂しがるのが子供っぽくて恥ずかしいと思っていたが、玲夜も自分と同じだと知り嬉しくなる。
 そう言えば、まだ伝えていない言葉があった。
「玲夜。おかえりなさい」
「ただいま。柚子」
 玲夜はいつもしているように、柚子の頬に軽いキスをする。