車を走らせる車内では、鳴海が不機嫌そうに腕を組んでいた。
「どういうつもり!? 競馬場に行ってなにするのよ」
「もちろん、賭けて償金をもらうの」
 他になにが?という顔をしている柚子に、鳴海がくわっと目をむく。
「馬鹿なの!? どんなに賭けたって五億なんて償金稼げるわけないじゃない!」
「そうなの?」
 少々、怒りのせいか突っ走っていた柚子の勢いが削がれた。
「あんた競馬やったことある?」
「ないです……」
 やったどころか見たことすらない。
「そんなんでどうすんのよ!」
 改めて思い返すと、賭け方もよく分からない。
 とりあえず行けばなんとかなるだろうという思いからの、勢いでしかなかった。
 あきれたように鳴海ににらまれて、柚子は身を小さくする。
 選択肢を誤ったかと頭を悩ませていると、運転手がおずおずと口を挟む。
「柚子様、差し出口かと思いましたが、あまり賭け事をご存知ないようなので補足しますと、たとえ競馬で五億稼げたとしても、その後税金がかかってきますので、実際手元に残る金額は少なくなるかと思いますよ」
「えっ。そうなんですか?」
「はい。五億全部渡してしまったら、来年の確定申告で莫大な税金を払わねばならず、今度は税務署から金を払えと要求されてしまいます」
 柚子は税金のことなどまったく頭になかったので大慌てだ。
 後から徴収されるのはまずい。金を払えと言われても鳴海の家には支払い能力など残っていないのだから。
 横からじとーっとした眼差しを向けられ、柚子は焦る。
「じゃあ、競馬場はなしで! えっと、えっと、税金がかからない方法となると……」
 柚子は考えを巡らせて、思いつく。
「宝くじは大丈夫ですか?」
 柚子はいったん路肩に停まった車内で、運転席に身を乗り出して運転手に聞く。
「そうですね。宝くじなら、税金はかからないかと」
 見るからに動揺して慌てている様子だった柚子は、目を輝かせた。
 思った通りである。
 以前に柚子が宝くじに当たった時、特に税金を取られたりしなかったのを覚えていたのだ。
 まあ、柚子の知らぬところで玲夜が支払っていた可能性はあったが。
「じゃあ、近くの宝くじ売り場にお願いします!」
「承知いたしました」
 再度車が動き出す。
「はあ……」
 鳴海は先ほどまで泣き喚いたことも忘れたように冷静な様子で、深いため息をついた。
 そこには大きなあきれが多分に含まれているように感じる。
 柚子はなにかしでかしたかとビクビクしながら鳴海の様子をうかがう。
「なにか?」
「どうして私はここにいるのかと馬鹿馬鹿しくなってるのよ。相談する相手がそもそも間違ってたわ。あやかしの花嫁になってる奴に弱音を吐くなんて意味ないのに」
「あっ、やっぱり私が花嫁だって知ってたの?」
 以前つぶやいた鳴海の、柚子が花嫁だと知るかのような言葉が引っかかっていたが、間違いではなかったようだ。
「あの野郎のせいであやかしの世界のことを少しだけ勉強したからね。あやかしであるはずの鬼龍院の名前を人間が名乗ってるなんて、理由はひとつしか考えられなかった」
「もしかして、鳴海さんが私にきついのもそのせい?」
「ええ、そうよ。だって、私をこんなに苦労させるあの野郎と同じあやかしに嫁ぐなんて正気とは思えなかったんだもの。あんな奴の花嫁になったって不幸になるのが目に見えてるのに、同じ花嫁に選ばれたあんたはすごく幸せそうだった。けど、あんたがブランドものをこれ見よがしに持っているのを見てイラついたのよ。この子はお金の心配なんてしたことないんでしょうねって」
 鳴海は口を挟む隙もないほど一気に話しきった。
 鼻息を荒くする鳴海に、柚子は困ったように笑う。
「私は玲夜がお金持ちだから結婚したわけじゃないよ」
「お金かのために結婚したんじゃないなら、なおさらあんたは異常よ!」
 鳴海は怒っているというより、八つ当たりしているように感じた。
「あやかしなんて、見た目が綺麗なだけで、中身は所詮人間とは別の生き物なのよ。じゃなきゃ、あんな非道なことできるはずがないじゃない! あいつのせいで、私の家族はめちゃくちゃ! あんたもそんな奴の仲間よ。なにが花嫁よ! なにが本能よ!」
 鳴海の悲鳴のような叫びは、車の中に悲しく響いた。
 あやかしはひどい奴ら。
 そうでなければ困ると言わんばかり。
「花嫁なんてなりたくてなったわけじゃないのに。私のことは放っておいてよ……」
 次第に弱々しくなる声に、柚子も胸が痛くなる。
 自分はなんと幸せ者なのか。
 花嫁の犠牲となった人間がここにもいる。
 神様はどうして花嫁など作ったのだろうか。
 しかし、神様を責めることなどできない。
 自分は玲夜に出会えて心の底からよかったと思っているから。
 だからこそ目の前の鳴海を無視してはおけなかった。
「鳴海さんを花嫁に選んだあやかしは確かにひどいと思う。けど、そんなあやかしばかりじゃないって知って欲しい。玲夜はとても愛情が深い人で、優しくて、私をなにより愛してくれてる。普通の花嫁ならあり得ない自由も与えてくれてる。友達のあやかしだってそう。明るくて気さくで、仲間思いで、人間と変わりない思いやりを持ってる人よ」
「…………」
 悔しそうに口を閉ざしているのは、鳴海も分かっているからかもしれない。
「逆に人間にもひどい人はいる。相手を痛めつけていることにも気づかず、自分本位で、我儘で、他人を不幸にしてもなんとも思わない人間が」
 柚子をどん底に落としたのは人間だった家族。
 けれど、そこから助け出したくれたのは玲夜というあやかしだ。
「あやかしだからとか、人間だからとかない。ただ、その人が悪いだけ」
「……だからって、どうしろっていうのよ! 出会った相手が悪かったっての? そんなの分かってるわよ! じゃあ、私はあきらめてあいつの花嫁になれって言いたいの!?」
「ううん。嫌ならなる必要なんてないよ!」
 声を荒げる鳴海の肩を強く掴む。
 柚子は真剣な眼差しで鳴海を見つめた。
 その言葉では言い表せない真摯な瞳に、鳴海は落ち着きを取り戻していく。
「でも……どうするの……?」
「これから一発逆転する場所へ行くの」
 そここそが、宝くじ売り場だ。

 宝くじ売り場の前で下ろしてもらうと、柚子は龍を鷲掴み、意気揚々と一直線に向かった。
『我の扱いがひどいではないか』
 ぶらーんと揺れる龍がなにやら不満を言っているが、柚子は無視だ。
 子鬼だけが気の毒そうにしている。
「あーい」
「やー」
 そして売り場にある旗を見て柚子は拳を握る。
「よし! キャリーオーバー中!」
「なにがよし!なのか、全然分かんないんだけど。まさかと思うけど、宝くじで借金返そうとしてる?」
「うん」
「ぶぁっかじゃないの!!」
 鳴海はあきれを通り越した怒りで吠えた。
 しかし、柚子はなんと言われようと、その目には勝利を確信していた。
「大丈夫。あっ、鳴海さんの宝くじだからクジ券代払って欲しいんだけど、持ち金ある? 貸そうか?」
「さすがにそれくらいあるわよ! 馬鹿にしてんの! それより当たるわけないじゃない」
「よし、じゃあ、一番当選金額が多いの買おう」
「あんた人の話聞いてないわね!?」
 ふたりのやり取りを見ていた龍がつぶやく。
『このふたり、なにげに相性がいいのではないか?』
「あーい」
「あいあーい」
 子鬼は分からないというように小首をかしげる。
 その間にサクサクと柚子は進め、鳴海にペンと用紙を渡す。
「ほら、鳴海さん。適当に好きな番号選んで」
 柚子が選んだのは、キャリーオーバー中で、最も当選金額が多い、番号を自分で選ぶタイプだ。
 明日抽選と書いてあるので、当選すれば月末までの返済には十分間に合う。
 鳴海は不満いっぱいの顔をしながら、しぶしぶ番号を選び、受付でお金を払ってくじ券に変えてもらった。
 そしてすぐさま車の中へ戻った柚子たち。
「あんた、本当にあたるって思ってるの?」
 当たるはずがないと信じて疑わない鳴海の意見はもっともだ。
 しかし、ここにはラッキーグッズがあるのを忘れてはならない。
「大丈夫。大丈夫。鳴海さん、さっきのくじ券貸してもらえる?」
 鳴海は不審そうにしながらも、素直にくじ券を柚子に渡す。
 柚子はくじ券を細長く折りたたむと、目をギラリとして龍を見る。
 いち早く危険を察する龍だが、少し遅かった。
「子鬼ちゃんたち。龍の頭と尻尾を捕まえてて」
「あい!」
「あーい」
 柚子の命令に素早く反応した子鬼は、龍が逃げる前に龍を捕獲した。
『な、なんだ。なにをするのだ?』
 うにょうにょと動かす龍の胴体に、柚子はまるで乾布摩擦でもするかのようにくじ券を擦りつけたのである。
『ぬあぁぁぁぁ!』
 ゴシゴシゴシと、鱗がハゲないか心配になるほどに擦りつける。
「子鬼ちゃん、逃げにいようにちゃんと押さえててね」
「あーい」
「やー」
『お主ら止めぬかぁぁぁ!』
 龍の悲鳴が車内に響き渡るが、柚子は手を止めない。
 ひとりついていけないのは鳴海である。
「ねえ、なにしてんの?」
「この龍はね、霊獣って言って、とっても御利益のある生き物なの。私も前にこの龍のおかげで宝くじで十億あたったのよ」
「じゅ、十億!?」
 鳴海が腰を抜かしそうなほど驚いている。
 まあ、当然だ。一般人にとって十億とはそれだけの価値がある。
「でも、私が当たったのは龍の加護があるおかげだと思うの。鳴海さんは龍の加護がないわけだから、こうしてくじ券に龍の御利益をしみ込ませてるとこ」
「そしたら当たるの?」
「たぶんね」
 その話を聞いた瞬間、鳴海の目もギラギラとしたものに変わった。
「うーん、もう少し擦りつけて置いた方がいいかな?」
「貸して。私がやるわ。私の宝くじだもの」
 先ほどまでの消極的な態度が嘘のように、鳴海の目はやる気に満ちあふれていた。
『待て、むすめごよ。そっとだ。優しくしてくれ』
「五億ぅぅぅぅぅ!」
『ぎゃあぁぁぁ!』
 鳴海は人が変わったように一心不乱に、くじ券を龍に擦り込みまくった。
 これでもか、これでもかと、その姿は狂気すら感じる。
 目の色を変えてしまう金の力は偉大であった。
 ようやく気がすんだ柚子と鳴海から解放された龍はフラフラとしている。
『ひ、ひどい……。我は偉大な霊獣だというのに、こんな扱いをされたのは初めてだ……』
「あいあい」
「あい」
 しくしくと泣いている龍を、子鬼が肩を叩いて慰めていた。
 さらに追い打ちをかけるように、龍の胴体にくじ券を巻きつけてリボンで結んだ。
「肌身離さず持っていれば、もっと効果があるのでは?」と、運転手が余計なひと言を言ってしまったためだ。
 最近の龍は、お洒落のためにリボンを身につけていたのも仇となった。
 すぐさま身ぐるみ剥がされ、くじ券をくくりつけられた。
 結果が出るまでここままにするようだ。
「結果は明日の夜になるから、換金するなら明後日以降だね。それまでどうする?」
「いったん家に帰るわ。くじ券はあんたが持ってて。その方が御利益あるらしいし」
 よよよよと泣く龍をちょっと不憫そうに見ながらも、鳴海は止めはしない。
 なにせ今後の生活どころか、人生がかかっているのだから当然である。
「じゃあ、家まで送るね。さっきの人が途中で待ち伏せしてるかもしれないし」
「うん。……あっ、ちょっと待って。家から連絡来てたみたい。先に電話させて」
「うん。どうぞ」
 鳴海は電話をかけ始めた。
 柚子はまだ嘆いている龍をよしよしと撫でて、機嫌を取っていた。
 その時……。
「えっ! どういうこと!? お父さんたちは大丈夫なの?」
 声の緊迫さからただ事ではないと察した柚子たちが、鳴海に注目する。
「うん……。うん……」
 だんだんと泣きそうな顔になっていく鳴海の様子に、柚子は心配になる。
「……分かった。こっちはなんとかするから、お父さんたちも気をつけて」
 その言葉を最後に電話を切った鳴海は、両手で顔を覆った。
「どうしたの?」
「家に……。家の前に、あいつの関係者が待ち伏せしてるから帰ってくるなって。どこかに非難した方がいいって」
「確かなの?」
「うん。前にも店にあいつと一緒に来たことのある奴らだから忘れもしないって、お父さんが……」
 鳴海の顔色はひどく悪い。
「大丈夫……じゃないよね」
「大丈夫よ。それより、家に帰れなくなったから、送ってくれなくていいわ」
「じゃあ、どこに行くの?」
「分かんない。親戚のとことか」
『身内のところはあちらも手を回しておるのではないか?』
 先ほどまで泣いていた龍が、真剣な顔で鳴海を見あげる。
「っ、そうよね。なら、友達のところに……」
 しかし、鳴海は躊躇っている様子。
 友人に迷惑をかけることを危惧しているのだろう。
「だったら、私のところに来ない?」
「えっ?」
 鳴海は驚いたように柚子を見た。
 柚子も鳴海を見ていたら思わず口を出てしまっていた。
 考えなしだと怒られるだろうか。
 しかし、ここまで付き合った鳴海を、むざむざと放り出すなどできない。
「私が住んでるのはあやかしの中で最も強い鬼がたくさん暮らしてる屋敷よ。そこいらの家に行くよりずっと安全だと思うの」
 相手はかまいたちのあやかしと聞く。
 かくりよ学園で習ったが、かまいたちは猫又と同レベルの強さのあやかしだ。
 鬼の、それも次期当主の屋敷に喧嘩をふっかけてくるようなことはするまい。
『我も柚子に賛成だ。あやかしから狙われておるなら、あの屋敷ほど安全なのは、鬼龍院本家か妖狐当主の屋敷ぐらいのものよ。安心して過ごすがよいぞ』
 ずいぶんと偉そうだなと思ったのは柚子だけではなかったようで、子鬼たちが声をそろえて「龍、偉そう」と言われていた。
「親戚や友人に迷惑をかけるよりは絶対いいと思うの。どうする?」
 最終的には鳴海の意志を尊重するために、問いかける。
「五億が手に入るまで……。それまでお邪魔させてください」
 鳴海は深く頭を下げた。
 柚子に対し好意的な態度を見せたのはこれが初めてかもしれない。
「うん。分かった」
 柚子も多くは語らず、頷く。
 そして運転手へ声をかけた。
「屋敷に向かってください」
「承知しました」