四章
楽しいデートを楽しんだ日から一転して、今日から玲夜は出張に出かける。
数日留守にするのだ。
結婚してからは初めての出張とあって、寂しさもひとしおだ。
スーツ姿で今まさに出かけようとしている玲夜にぎゅうっと抱きつく。
玲夜も時間いっぱいまではされるがままになってくれるらしく、同じように柚子を抱きしめ返しながら、頭にキスをする。
「できるだけ早く仕事を終えて帰ってくる」
「うん。頑張ってね。でも、無理はしないでちゃんと休んでね」
「夜には電話する」
「待ってる」
そうして行ってしまった玲夜のいない屋敷で、柚子は思わずため息をついた。
「すぐお帰りになりますよ」
雪乃がそう言って慰めてくれる。
それに対して柚子は力なく微笑み返すしかできない。
すると、雪乃と同じく慰めるように、まろが柚子の足に頭を擦りつけてくる。
まるで、自分がいると言うように。
「慰めてくれてるの?」
「アオーン」
「ありがとう、まろ」
『我もおるぞ』
するりと柚子の腕に巻きついた龍に続き、子鬼たちも柚子の肩に登ってきた。
「あーい!」
「あいあい!」
どうやら玲夜がいなくとも賑やかさは変わりないようで、自然と柚子の顔に笑みが浮かぶ。
「ありがとう」
これならなにごともなく乗り切れそうな気がする。
玲夜が帰ってこないということで、急いで屋敷に帰宅する必要もないのからと、学校が終わると日課のようになっている社のお参りを済ませてから、猫田家を訪れた。
快く迎えてくれる透子。
残念ながら東吉は不在のようだ。
大学を卒業後、東吉は家業の手伝いをしているようで、玲夜ほどではないが忙しくしているらしい。
幅広く事業を展開している猫田家の跡取りとして、覚えることも多いようだ。
「にゃん吉君も忙しいみたいだね」
「そうなのよ。せっかく莉子が生まれたのに、なかなか遊んであげる時間がないって嘆いてたわ」
透子もどこか寂しそうに感じるのは柚子の気のせいではないはずだ。
玲夜が出張でいない今は透子の気持ちがよく分かる。
とはいえ、花嫁である柚子たちがどうこうできる問題でもない。
手伝えるものならそうしたいが、あやかしは花嫁を働かせるのを嫌がるのだ。
バイトをしたり、料理学校に行って店を出そうとしている柚子が例外というだけである。
「柚子は大丈夫なの? 若様いなくて寂しくて泣いちゃうんじゃない?」
「そこまで子供じゃないよ。それに、これまで出張とか!泊まりでの仕事がなかったわけじゃないし」
「お互い忙しい旦那様を持つと大変ねぇ」
「だね」
まったくだと、柚子は困ったように息を吐いた。
「でもさ、にゃん吉が働き始めて思ったんだけど、にゃん吉のスーツ姿に思わずときめいちゃうのよねぇ」
不本意そうな透子に、柚子はクスクスと笑いながら頷く。
「でも、分かるかも。私も玲夜がスーツ着てるといつも以上に格好よく見えるもの」
普段、屋敷内では和服の玲夜は、仕事に出かける時だけスーツになる。
デートの時にするラフな格好の威力もすさまじい。
和服とのギャップにドキドキしてしまうのは柚子だけではなく、屋敷で働く女性たちもだと思っている。
「スーツ着ると、なんだか一気に大人びたように見えるのよねぇ。中身は一緒なのに、スーツマジックだわ」
「にゃん吉君がそれ聞いたら喜ぶんじゃない?」
「調子に乗るから駄目よ。ここだけの話にしておいて」
「了解」
なんでも率直な意見を口にするのが常の透子も、東吉に関することには恥じらいがあるのかもしれない。
東吉にとったら残念な話だ。
「それに、大人びて見えるって言っても、若様ぐらいの色気が出ればもっといいんだけどねぇ」
「それはちょっと……」
難しいのではないかと思う。
そもそも東吉と玲夜では、同じ整った容姿でもタイプが違うのだ。
どこか色気をまとった玲夜と、明るく健康的な美しさを持った東吉では、平行線のまま交わることはないだろう。
「まあ、にゃん吉じゃあ若様の足的にも及ばないわよねぇ」
透子はケラケラと笑っているが、それは絶対本人の前では言わない方がいいと思う。
ショックを受けて落ち込む東吉の姿が目に浮かぶようだ。
「あっ、若様で思い出したけど、若様ネットでちょっとバズってるわよ」
「え?」
透子はスマホを操作して画面を見えるようにテーブルの上に置いた。
そこには玲夜の写真が何枚か載っているではないか。
誰かが玲夜の写真を撮って、SNSに投稿したようだ。
透子の言うように、それなりに反響があったようで、コメントがいくつも書き込まれていた。
それらのほとんどは玲夜の美しさを賛辞する言葉ばかり。
「今朝投稿されたものみたいなんだけど、覚えある?」
「うーん……。服装からしてこの間指輪を作りに行った時かな?」
気になったのは、写真とともに投稿されたコメント。
『こんな綺麗な人見たことない~。でも奥さんがブスで笑う』
写真の中に、玲夜の腕にしがみついている柚子の写真もあった。
本人の了承なしに素顔を投稿するとか非常識ではないのかと、わずかな怒り以上に戸惑いを感じていた柚子は、すぐにいつ撮られたものか分かった。
「これ、たぶん、チーズケーキ買い終わった後かも」
写真の柚子は手に店の袋持っている。
柚子が荷物を持っていたのは、買い物をして玲夜と合流した直後だけ。その後はずっと玲夜が荷物を持っていたので間違いない。
「この時、玲夜が女子高生にナンパされてたんだったかな。もしかしたらその女子高生が投稿したのかも」
「あーあ。鬼龍院の御曹司の写真を投稿するなんて、無知ってのは怖いわね。たぶん投稿を消すように鬼龍院が動くんじゃないかってにゃん吉が言ってたわ」
玲夜はあまりメディアには顔を出さないようにしている。
騒がれるのが嫌いだというのもあるが、セキュリティの面が理由でもある。
あまり顔を世間に出したくはないそうだ。
しかし、このネットが蔓延した時代で、一度あがった写真を抹消するのは不可能に近い。
「結構拡散されてるから完全に消すのは難しいよね?」
「そうね。この女子高生、まじでヤバいかもね。安易に写真なんかあげるから、なにかしらの報復されるかもしれないわよ。まあ、若様の美しさを見たら思わず写真に撮って見せびらかしたくなるのは分かるけど」
玲夜は気にしなさそうだが、高道辺りは激怒しそうな案件だ。
そう思っていたら、透子も同じようなことを考えていたようで……。
「柚子のこと揶揄してるから、若様が激怒しそうだわね」
「これぐらいなら大丈夫じゃない?」
「甘いわよ。あの若様なんだから。いいかげん柚子も若様を理解しとかないと。柚子が馬鹿にされて黙ってるわけないじゃない?」
ありえるのでそれ以上の否定ができなかった。
「とりあえず、朝見つけてすぐに有能秘書さんにお知らせしといたんだけど、まだアカウントがあるところを見ると大事にはしないのかしらね」
高道ならすぐさま動いて対処しているだろうに、消されていないのが不思議だった。
「うーん……」
「柚子? なによ?」
柚子は投稿を見ていて表情を曇らせる。
「これ、料理学校の誰かが見てるなんてことないよね?」
「ありえるんじゃない? これだけ拡散されてたらさ」
「うああ~」
柚子は思わず頭を抱えてしまった。
玲夜が一度料理学校に姿を見せたことを覚えている者は少なくないはずだ。
なにせあれほどの存在感。すぐに忘れるという方が無理がある。
そんなところにこの写真。
がっつり柚子の顔が映っている写真を見られたら、ごまかしようがないではないか。
「明日学校行くのが憂鬱だ……」
「まっ、なんとかなるわよ。うるさかったら、私が奥さんで文句あるか!って怒鳴りつけたらいいじゃない」
透子ならそれで言い負かしてしまえるのだろうが、柚子には少し難しい。
どうか誰も見ていませんようにと、柚子は切に願った。
楽しいデートを楽しんだ日から一転して、今日から玲夜は出張に出かける。
数日留守にするのだ。
結婚してからは初めての出張とあって、寂しさもひとしおだ。
スーツ姿で今まさに出かけようとしている玲夜にぎゅうっと抱きつく。
玲夜も時間いっぱいまではされるがままになってくれるらしく、同じように柚子を抱きしめ返しながら、頭にキスをする。
「できるだけ早く仕事を終えて帰ってくる」
「うん。頑張ってね。でも、無理はしないでちゃんと休んでね」
「夜には電話する」
「待ってる」
そうして行ってしまった玲夜のいない屋敷で、柚子は思わずため息をついた。
「すぐお帰りになりますよ」
雪乃がそう言って慰めてくれる。
それに対して柚子は力なく微笑み返すしかできない。
すると、雪乃と同じく慰めるように、まろが柚子の足に頭を擦りつけてくる。
まるで、自分がいると言うように。
「慰めてくれてるの?」
「アオーン」
「ありがとう、まろ」
『我もおるぞ』
するりと柚子の腕に巻きついた龍に続き、子鬼たちも柚子の肩に登ってきた。
「あーい!」
「あいあい!」
どうやら玲夜がいなくとも賑やかさは変わりないようで、自然と柚子の顔に笑みが浮かぶ。
「ありがとう」
これならなにごともなく乗り切れそうな気がする。
玲夜が帰ってこないということで、急いで屋敷に帰宅する必要もないのからと、学校が終わると日課のようになっている社のお参りを済ませてから、猫田家を訪れた。
快く迎えてくれる透子。
残念ながら東吉は不在のようだ。
大学を卒業後、東吉は家業の手伝いをしているようで、玲夜ほどではないが忙しくしているらしい。
幅広く事業を展開している猫田家の跡取りとして、覚えることも多いようだ。
「にゃん吉君も忙しいみたいだね」
「そうなのよ。せっかく莉子が生まれたのに、なかなか遊んであげる時間がないって嘆いてたわ」
透子もどこか寂しそうに感じるのは柚子の気のせいではないはずだ。
玲夜が出張でいない今は透子の気持ちがよく分かる。
とはいえ、花嫁である柚子たちがどうこうできる問題でもない。
手伝えるものならそうしたいが、あやかしは花嫁を働かせるのを嫌がるのだ。
バイトをしたり、料理学校に行って店を出そうとしている柚子が例外というだけである。
「柚子は大丈夫なの? 若様いなくて寂しくて泣いちゃうんじゃない?」
「そこまで子供じゃないよ。それに、これまで出張とか!泊まりでの仕事がなかったわけじゃないし」
「お互い忙しい旦那様を持つと大変ねぇ」
「だね」
まったくだと、柚子は困ったように息を吐いた。
「でもさ、にゃん吉が働き始めて思ったんだけど、にゃん吉のスーツ姿に思わずときめいちゃうのよねぇ」
不本意そうな透子に、柚子はクスクスと笑いながら頷く。
「でも、分かるかも。私も玲夜がスーツ着てるといつも以上に格好よく見えるもの」
普段、屋敷内では和服の玲夜は、仕事に出かける時だけスーツになる。
デートの時にするラフな格好の威力もすさまじい。
和服とのギャップにドキドキしてしまうのは柚子だけではなく、屋敷で働く女性たちもだと思っている。
「スーツ着ると、なんだか一気に大人びたように見えるのよねぇ。中身は一緒なのに、スーツマジックだわ」
「にゃん吉君がそれ聞いたら喜ぶんじゃない?」
「調子に乗るから駄目よ。ここだけの話にしておいて」
「了解」
なんでも率直な意見を口にするのが常の透子も、東吉に関することには恥じらいがあるのかもしれない。
東吉にとったら残念な話だ。
「それに、大人びて見えるって言っても、若様ぐらいの色気が出ればもっといいんだけどねぇ」
「それはちょっと……」
難しいのではないかと思う。
そもそも東吉と玲夜では、同じ整った容姿でもタイプが違うのだ。
どこか色気をまとった玲夜と、明るく健康的な美しさを持った東吉では、平行線のまま交わることはないだろう。
「まあ、にゃん吉じゃあ若様の足的にも及ばないわよねぇ」
透子はケラケラと笑っているが、それは絶対本人の前では言わない方がいいと思う。
ショックを受けて落ち込む東吉の姿が目に浮かぶようだ。
「あっ、若様で思い出したけど、若様ネットでちょっとバズってるわよ」
「え?」
透子はスマホを操作して画面を見えるようにテーブルの上に置いた。
そこには玲夜の写真が何枚か載っているではないか。
誰かが玲夜の写真を撮って、SNSに投稿したようだ。
透子の言うように、それなりに反響があったようで、コメントがいくつも書き込まれていた。
それらのほとんどは玲夜の美しさを賛辞する言葉ばかり。
「今朝投稿されたものみたいなんだけど、覚えある?」
「うーん……。服装からしてこの間指輪を作りに行った時かな?」
気になったのは、写真とともに投稿されたコメント。
『こんな綺麗な人見たことない~。でも奥さんがブスで笑う』
写真の中に、玲夜の腕にしがみついている柚子の写真もあった。
本人の了承なしに素顔を投稿するとか非常識ではないのかと、わずかな怒り以上に戸惑いを感じていた柚子は、すぐにいつ撮られたものか分かった。
「これ、たぶん、チーズケーキ買い終わった後かも」
写真の柚子は手に店の袋持っている。
柚子が荷物を持っていたのは、買い物をして玲夜と合流した直後だけ。その後はずっと玲夜が荷物を持っていたので間違いない。
「この時、玲夜が女子高生にナンパされてたんだったかな。もしかしたらその女子高生が投稿したのかも」
「あーあ。鬼龍院の御曹司の写真を投稿するなんて、無知ってのは怖いわね。たぶん投稿を消すように鬼龍院が動くんじゃないかってにゃん吉が言ってたわ」
玲夜はあまりメディアには顔を出さないようにしている。
騒がれるのが嫌いだというのもあるが、セキュリティの面が理由でもある。
あまり顔を世間に出したくはないそうだ。
しかし、このネットが蔓延した時代で、一度あがった写真を抹消するのは不可能に近い。
「結構拡散されてるから完全に消すのは難しいよね?」
「そうね。この女子高生、まじでヤバいかもね。安易に写真なんかあげるから、なにかしらの報復されるかもしれないわよ。まあ、若様の美しさを見たら思わず写真に撮って見せびらかしたくなるのは分かるけど」
玲夜は気にしなさそうだが、高道辺りは激怒しそうな案件だ。
そう思っていたら、透子も同じようなことを考えていたようで……。
「柚子のこと揶揄してるから、若様が激怒しそうだわね」
「これぐらいなら大丈夫じゃない?」
「甘いわよ。あの若様なんだから。いいかげん柚子も若様を理解しとかないと。柚子が馬鹿にされて黙ってるわけないじゃない?」
ありえるのでそれ以上の否定ができなかった。
「とりあえず、朝見つけてすぐに有能秘書さんにお知らせしといたんだけど、まだアカウントがあるところを見ると大事にはしないのかしらね」
高道ならすぐさま動いて対処しているだろうに、消されていないのが不思議だった。
「うーん……」
「柚子? なによ?」
柚子は投稿を見ていて表情を曇らせる。
「これ、料理学校の誰かが見てるなんてことないよね?」
「ありえるんじゃない? これだけ拡散されてたらさ」
「うああ~」
柚子は思わず頭を抱えてしまった。
玲夜が一度料理学校に姿を見せたことを覚えている者は少なくないはずだ。
なにせあれほどの存在感。すぐに忘れるという方が無理がある。
そんなところにこの写真。
がっつり柚子の顔が映っている写真を見られたら、ごまかしようがないではないか。
「明日学校行くのが憂鬱だ……」
「まっ、なんとかなるわよ。うるさかったら、私が奥さんで文句あるか!って怒鳴りつけたらいいじゃない」
透子ならそれで言い負かしてしまえるのだろうが、柚子には少し難しい。
どうか誰も見ていませんようにと、柚子は切に願った。