昼食をのんびりと食べると、柚子と玲夜は外に出かけることにした。
 ずっと延期にしていた指輪をようやく作りに行くのだ。
 完全オーダーメイド。
 柚子は既製品でも全然よかったのだが、玲夜がこだわりを見せたために、結婚式には間に合わなかった。
 そもそも鬼の一族では指輪の交換というものがなかったので、これはただ玲夜と同じ指輪をしていたいという柚子の我儘に玲夜が応えてくれたようなものだ。
 これまでは婚約指輪が柚子が既婚者だという証のようなものだったが、やはり婚約指輪とは別に結婚指輪はどうしても欲しかった。
 柚子は普段料理学校で料理を作るので、衛生面を考えてチェーンに通して首から提げている。
 実際にお店で料理を提供する時には手袋をはめるなどして対応できるが、卒業するまでは常時つけるのは難しいだろう。
 けれど、玲夜はずっとつけてくれるというので、玲夜の指に光る指輪を見るだけでも幸せな気持ちになりそうだ。
 着いたお店は、予想していた有名ブランドの高級店とは違い、柚子は拍子抜けした。
 玲夜が高道に頼んで厳選したオーダーメイドの指輪を作ってくれるお店と聞いていたので、てっきり柚子でもよく知る高級店かと思っていたのだ。
 しかし、清潔感はあるごくごく普通のガラス張りのお店で、外からアクセサリーを飾ってあるショーケースが見える。
 そこは高級店とも変わりないようには見えるが、立てかけてある看板に書いてある名前は聞いたことのないものだった。
「玲夜、ここ?」
「ああ」
「全然知らないお店だね」
 ただ自分が知らないだけかもしれない。
 柚子とてファッションに明るいわけではないので、知らないブランドとてたくさんある。
 ただ、普段利用している店と違ったので不思議に思っただけだ。
 玲夜が選んだのだから下手な店を選ぶはずがなく、そこは信用しているので見知らぬ店だったとしても柚子にはなんの問題もない。
 が、次の玲夜の言葉は柚子を驚かせるものだった。
「柚子との指輪を作るために新しく店を建てた」
「……は?」
 一拍の沈黙があったのは、玲夜の言葉が理解不能だったからだ。
「どういうこと?」
 なにかとても恐ろしいことを言った気がする。
「指輪を作るに当たって、腕のいい職人を捜してきたんだが、腕はいいがかなりこだわりが強い奴で、それまで勤めていた店と揉めて辞めさせられたんでな。無職になったから無理だと断られた。なら店を建ててやるから最初の仕事に指輪を作れと交渉してできあがったのが、この店というわけだ」
「いろいろとツッコミどころが多くて、なにがなにやら」
「こんなに指輪を作るのが遅くなったのも、店を開店するのに時間がかかったからでもあるんだ。本当は結婚式には間に合わせたかったんだが。悪かったな」
 柚子は頭を抱えた。
 問題なのは遅くなったことではないだろうに。
 どこの世界に、指輪を作らせるために店から建ててしまうものがいるだろうか。
 いや、ここにいたか。
「あい~」
「や~……」
 子鬼たちもあきれているのか、なんとも言えない表情をしている。
「玲夜。ここまでしなくとも、別に普通のお店でよかったのよ?」
「一生に一度のものだ。妥協はするべきじゃない」
 頑なな玲夜に柚子は遠い目をした。
 おそらくいろいろと手配したのは高道だろうが、指輪のために店を作ると聞いて呆気にとられただろう。
 できれば止めてほしかった。
「そいつは婚約指輪も手がけた奴だから腕は確かだ。しかし、嫌なら別の店でもいいぞ?」
「いやいや、ここでいいです。ここが、いいです!」
 嫌など口にできるはずがない。
 そんなことを言ったら、用がなくなったこの店はどうなるのだ。
 怖くて聞けないではないか。
「そうか。柚子が気に入ったなら、今後もこの店でアクセサリー類を注文しようと思っていたんだ。結婚指輪だけじゃなく、欲しいアクセサリーがあったら一緒に注文したらいい。今後も欲しい物ができたら気軽に利用するといいぞ」
「う、うん。ありがとう」
 玲夜の愛が重い……。
 悪い意味でそう思ったのはこれが初めてかもしれない。
 いや、愛ゆえというより、玲夜の金銭感覚がぶっ壊れているのか。
 さすが鬼龍院。
 玲夜にとったら店ひとつ作るぐらいわけないのだろう。
 久しぶりに玲夜との生まれの違いを感じた瞬間だった。

 玲夜から引き抜きにあった職人とはどんな人だろうかと、興味半分怖さ半分で店に入る。
 店員をしていたのはなんともかわいらしい女性で、ひと目であやかしだと分かった。
 女性はにこやかに「いらっしゃいませ~」と呼びかけをしたかと思えば、玲夜の姿を見て慌てて裏へと行ってしまった。
 奥から大きな声で「藤悟さーん! 鬼龍院様が来てるよ~!」という声が聞こえてきたので、件の職人を呼びに行ったのだろう。
「もしかして職人さんもあやかし?」
「ああ」
「あやかしなのに?」
「あやかしでも誰もが俺のように会社の経営に回っているわけじゃない。まあ、言い家柄の生まれではあるがな」
 柚子の知るあやかしというと、皆どこぞの御曹司だったりして、家を継いでいるイメージが強かった。
 それなのに会社と揉めて無職になるとは、急に親近感が湧いた。
 待っている間に店内を見回ってみると、商品がたくさん並べられていた。
「これも全部手作りなのかな?」
「ああ。始めの仕事は俺たちがオーダーメイドする指輪と言っていた手前、まだ客は入れていないんだ。だが、明日からは客を入れる予定なのに、店内になにも置かないわけにはいかなかったから、あいつがこれまでに作った試作品を置いて売ることにしたようだ」
 玲夜の口にする“あいつ”といういい方に引っかかりを覚えた。
「試作品なのにすごくかわいいね。このネックレスなんて素敵」
 値札がついていないことに不安を覚えていると、先ほどの店員が戻ってきた。後ろにもじゃもじゃと髪を爆発させた眼鏡の男性を伴って。
 無精ひげも生えており、かなり野暮ったい。
 あやかしとは美しいもの。という概念を覆した容姿に、柚子は静かに驚いた。
「あれ~。玲夜じゃん。約束って今日だっけ?」
「藤悟。お前は相変わらずだな」
 あきれるような玲夜の声色には親しみを含まれており、柚子は再度驚く。
「玲夜の知り合い?」
 もちろん、腕がいいと言うのだからある程度の顔見知りだろうが、ふたりからはそれ以上の関係をうかがわせる。
「あー、君が玲夜の花嫁ちゃんね。よろしく。俺は孤雪藤悟ってぇの」
 気だるそうに自己紹介をした藤悟という男性の名字に、柚子は気がつく。
「孤雪? 撫子様と同じ名字?」
 すると、藤悟は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「あー、うん。撫子は俺の母さんね」
「うえ!?」
 ここに来て何度驚いただろうか。
 柚子は確認を取るように玲夜に視線を向けると、同意するように頷かれる。
 柚子はもう開いた口が塞がらない。
「えー」
 もう一度藤悟を見ても、やはり信じられない。
 どこをどう見ても、あの艶やかで存在感のある撫子とは似ても似つかないのだ。
 彼はむしろ存在感は薄い方である。いや、個性的な容姿なので、その点では目立つかもしれないが、あまりいい意味ではないのは確かだ
 顔は……、爆発したかのような髪と長い前髪が邪魔でよく見えない。
 けれど、無精ひげと作業のせいでか汚れた服のせいで、清潔感は皆無だ。
「こいつは間違いなく妖狐当主の末の息子だ。それと、藤悟は俺の同級生でもある」
「玲夜と同い年!?」
「その反応失礼じゃね? そこまで驚かんでもさ」
「いや、だって……」
 藤悟はそう言うが、どうやっても藤悟は玲夜の十歳は上に見える。
「うーん。あやかしでもいろいろなんだね」
「なんか含みのあるいい方だなぁ。まあ、俺は特に母さんより父さん似だしなぁ。長男は一番母さんに似てるから、会う機会があったらよろしく言っといて」
「そうなんですね」
 撫子の旦那。
 残念ながら柚子は一度も会ったことがなく、どんなあやかしなのかも知らない。
 それに息子がいたのも初耳である。
 撫子とはそれなりに会っているのに、初めてとはこれいかに。
 撫子から家族の話が出ないのは言いたくないからなのだろうかと邪推してしまう。
 花茶会では主に花嫁たちの話しを中心に回るのでその辺りのことは分からなかった。
 今度聞いてみてもいいのだろうか。
 撫子によく似ているという長男には非常に興味がある。
 撫子の長男ということは妖狐の次期当主かもしれないのだ。
 その辺りも、一度玲夜から教えてもらった方がよさそうだ。
 柚子は、いずれ鬼の一族の当主となる玲夜の妻なのだから。
「それにしても、玲夜に友達がいるなんて初めて知った。披露宴には出席されてなかったですよね?」
 高道に言われて、出席者の名前は一応覚えているのだ。
 撫子が来ていたのは知っているが、他に孤雪の名はなかった。
 あれば強く印象に残っているはずだ。
「あー、あの時は会社と揉めて辞めさせられて、無職でどうしようって時に玲夜から指輪を作れって脅迫されてた時だから、出席しなかったんだよなー。店をやるって言われて結局飛びついたんだけど。いやぁ、持つべきは財力がある友達だよなー」
 藤悟はヘラヘラと笑っている。
「でも、撫子様のご子息なんですよね? 財力なら十分あるのでは?」
 孤雪家とて鬼龍院に及ばないまでも、かなりの資産家だ。
 無職を百人養ってもあまりある財力がある。
「なに言ってんの。心身ともに健康なのに、この年になっても親のすねをかじるの恥ずかしいじゃん」
「そ、うですね……」
 見た目に反して意外に常識的だったので、柚子は一瞬言葉を詰まらせた。しかし。
「ま、玲夜のすねはかじりついて絶対に離さないつもりなんだけどさー」
「おい」
 珍しく玲夜がツッコんだ。
 藤悟は声をあげて「あっはっはっはっ」と笑いながら玲夜の背中をバシバシと叩く。
 玲夜は藤悟をギロリとにらみつけ、舌打ちする。
「長話はそれぐらいにして、頼んだものを作れ。でないと援助を打ち切るぞ」
「えー、それは勘弁。はいはい、オーナーの言う通りお仕事頑張るとしますか。そこ座って」
 店内にあった丸テーブルと椅子のある場所に案内されて座る。
 藤悟はスケッチブックと鉛筆を手に、質問を始めた。
「で、どんなのにしたいの? あ、玲夜は後でいいから花嫁ちゃんお先に」
 玲夜は眉をひそめながらも反論する気はないのか静かにしている。
 その間、柚子と手を絡めるのは忘れない辺りが玲夜である。
「えっと、私はせっかくオーダーメイドするなら、他にはないオリジナリティのあるのがいいです」
「うんうん」
「石は小さくていいから、その分デザインが凝っていて、シンプルだけど細工がしっかりしたものを」
「ほーほー」
 藤悟は柚子の出す注文にいちいち相づちを打つながら、スケッチブックに鉛筆を走らせ続けた。
 これ以上はないというほど希望を出し、ひと息つく。
 玲夜に視線を向ければ、愛おしそうに柚子を見つめる眼差しと合い、柚子ははにかむ。
「それで、玲夜からはないの?」
「俺たちに似合うものを作れ」
「なにその横暴。簡単に思えてめっちゃむずいじゃん」
「お前の腕は信用しているからな」
 鼻を鳴らす玲夜は不敵な笑みを浮かべており、それはまるで藤悟を挑発するかのようだった。
 それに応じるように藤悟もニッと口角をあげた。
「そんな風に言われたら、その挑戦受けないといけないよなー。任せとけ。最高の結婚指輪を作ってやるよ」
「ああ」
 そのふたりのやり取りを見ていて、柚子はなんだかドキドキしてきた。
 一部の例外を抜き、他人には無関心な玲夜がこれほど気安く話す相手を見たことがなかった。
 柚子との関係とも違う。
 高道との主従関係とも違う。
 千夜との父子の関係とも違う。
 対等な者同士のやり取り。
 鬼龍院の次期当主であり、人の上に立つことを自然としてしまえる玲夜と同じ目線で話せる人。
 そんな人に柚子は初めて会えた。
 ふたりの会話が特別なもののような気がして、柚子は胸が高鳴るのが分かる。
 ここに桜子を連れてきたらどうするだろうか。
 きっと今の柚子の言葉にできぬ喜びを共感してくれるのではないだろうか。
 ただし、桜子がまた別の負の遺産を量産するかもしれないというデメリットがある。
 連れてくるか悩むところだ。
 いや、そもそも桜子なら藤悟の存在を知っているかもしれない。
 今度ぜひとも聞いてみようと、柚子は静かに興奮していた。