太陽の日差しがジリジリと肌に突き刺さる。
ジリジリジリジリ
アブラゼミの声が辺りに響く。
暑さをものともせず、子どもたちは虫とり網を手にセミを捕まえようと走り回る。
「陽葵(ひまり)先生、セミ取って!」
陽葵姉が子どもたちにお願いされている。
今日は学童のお泊り会。
私と一歳上の陽葵姉は高校の夏休みに、近所の学童でお手伝いをしている。
夜には市の納涼祭で花火が上がるため、校庭で花火鑑賞を行う予定だ。
陽葵姉は美人で明るく、いつも子どもたちに囲まれている。
「真希先生、この後の読み聞かせの時『北風と太陽』読んで!」
小2の栞(しおり)ちゃんは、あまり人気のない地味な私にもよく声をかけてくれる。
「うん、約束」
二人で指切りげんまんをした。
『北風と太陽』を読み終えると、子どもたちからたくさんの拍手が起こった。
「陽葵先生と真希先生は『北風と太陽』みたい。陽葵先生は『北風』。心の中で冷たい気持ちがビュービューしてるから。真希先生は『太陽』。心の中で温かい気持ちがポカポカしてるから」
栞ちゃんがボソッと漏らした言葉に、周りの子たちが過敏に反応した。
「えー!反対だよ」
「陽葵先生が『太陽』で真希先生が『北風』だよ」
「栞ちゃん、へーん」
みんなから反論され、栞ちゃんは泣き出してしまう。
「はーい、読み聞かせの時間は終わりです。みんなお昼の準備しようね」
陽葵姉の一声で、子どもたちはお昼の準備を始めた。
隅っこでまだ泣いている栞ちゃんの背中を私はそっと優しくなでる。
「真希先生のこと『太陽』って言ってくれてありがとう」
花火の時間になると子どもたちは校庭に駆け出した。
ヒュー ドーン
赤、青、黄、緑、紫、オレンジ。色鮮やかな花火が空に広がる。
「「「キレ―」」」
一斉に声が上がる。
みんなと少し離れたところに座っている栞ちゃんを見つけ声をかける。
「栞ちゃん、何でこんな端で見てるの?」
「みんなの近くにいるとみんなの心の声が聞こえてきて、花火を楽しめなくなっちゃう。だからここにいるの」
「心の声って?」
「みんなが口に出す言葉は耳に聞こえてくるの。口に出していないみんなの心の声も栞の心に聞こえてきちゃうの」
「そっか。栞ちゃんのその力とってもすごいね。真希先生にもその力があったら、陽葵先生のことわかってあげられるのかな」
ドーン
赤やオレンジの光がチカチカする。
暗い空にポカポカ温かな色の花が咲く。
「ちょっと目を閉じてくれるかな」
栞ちゃんが目を閉じる。
「ねー。栞ちゃん。8年後にまたこの『赤やオレンジの光がチカチカ』を見たら、真希先生のことだけ思い出してね」
パンッ
私の手を叩く音で栞ちゃんは目を開けた。
私は笑顔で栞ちゃんを見つめる。
「あれ?ここがザワザワする……」
胸を差して栞ちゃんが呟いた。
「栞ちゃん、何でこんな端で見てるの?」
陽葵姉が来て、私と同じ質問をする。
栞ちゃんは私を見てクスッと笑い、さっきと同じ内容を陽葵姉に話した。
「なるほど。だから陽葵先生は『北風』なのね。アハハハッ、すごい力ね。栞ちゃんの前じゃ全部ばれちゃうね」
陽葵姉が楽しそうに笑う。
ドーン
青や紫の光がチカチカする。
暗い空にスッキリ涼しい色の花が咲く。
「今の陽葵先生の心の中はビュービューじゃなくてポカポカしてるよ。いつもこうしてればいいのに。こっちの陽葵先生が私は大好き」
「栞ちゃんの前だとそのままの陽葵先生でいられて楽ちんだなー」
「お母さんにね、心の声のことを何度か話したんだけど。「変なこと言わないで」って言われて悲しかった。それでこの力は変なんだって思ってたから、先生たちに「すごいね」って褒められて嬉しかった。」
栞ちゃんは天使のような微笑みを私たちに向ける。
**
大学に入って初めての夏、近所のショッピングセンターで買い物をしていると、心ここにあらずな陽葵姉を見かけた。
今日は大学のサークル日なのにどうしてここにいるんだろう?
気になった私は陽葵姉の後をこっそりついて行く。
最上階4階までエスカレーターで上っていく陽葵姉。
少し遅れて4階にたどり着くとそこで驚きの光景を目にする。
そこにあるはずのない上りエスカレーターがあり、陽葵姉がそれに乗り上っていく。
「陽葵姉どこいくの?」
思わず大きな声を出し、急いでエスカレーターに乗り駆け上がる。
陽葵姉は振り向かない。
手を伸ばしてやっと腕が掴めそうと思った瞬間、周囲の景色が歪んだ。
景色から光のみが取り出される。赤、青、緑の光が点滅し、やがて重なり白の世界が広がる。
「陽葵姉、陽葵姉。大丈夫?」
「ん?真希?何、ここどこ?」
「私にもわからない……」
見渡す限り白、白、白。上も下も右も左も白一色。
壁も天井もなく、ただただ広がる白い空間。
そしてともて静かだった。
二人の鼓動、息づかいが響き渡る。
「おや?今日ここに来るのは陽葵だけのはずだが」
男性の声が聞こえ、黒い着物に黒い仮面を被った全身黒ずくめが目の前に現れた。
「あんた誰よ。ここどこなの?」
陽葵姉がすごい勢いで詰め寄る。
ザザザッ
ノイズとともに空間が歪み、目の前に画面が現れる。
画面に母が映っていた。
「陽葵ちゃん、難関大学合格おめでとう。お母さん、自慢の娘がいて幸せだわ」
(本当はもうワンランク上に行ってほしかったわ。ここぞという時にダメなのよね)
返答する陽葵姉が画面に映る。
「ありがとう。私もお母さんの子で幸せだよ」
(ちっ。自分の夢をみんな私に押し付けて。うざいんだよ)
母のそして陽葵姉の、口から出る言葉の後に聞こえるのは何?心の声?
画面に映った陽葵姉の大学の先輩が言う。
「織田さん、今日も綺麗だね。講義終わったら一緒に食事に行かない?」
(世の中にはもっと綺麗で、しかも性格が良い子なんていくらでもいるけどな)
返答する陽葵姉が画面に映る。
「ありがとうございます。でもすでに予定が埋まっていて。また誘ってください」
(ちっ。お前みたいなつまんないやつと食事なんてするわけないだろ)
称賛の声と不平不満の声。表の声と裏の声。
逆の言葉の連続に心が痛む。
画面が消える。
音の無い『白い世界』が広がる。
全身黒ずくめの男が語る。
「『虚と実』『裏と表』これは人間誰しもが持っている。しかしこの差が激しくなるほどその人物に歪みが生じる。その歪みに自ら気づき耐え切れなくなった時、この世界に迷い込む。この世界はこの差を無くすことのできる世界。何故か?それは徐々に感情を失い、やがて『無』になるからだ」
「私は今の私で十分満足してる。いいから早く元の世界に戻してよ」
言葉とは裏腹に、陽葵姉は苦しそうな表情を浮かべる。
「陽葵、お前にチャンスをやろう。この紙に書いてあることを読んで挑戦してみるがいい」
黒ずくめの男は忽然と消えた。
タイムリミットは今日から5年。
チャンスは原則1回限り。
裏表が激しい人間を夏限定で10人この世界に連れてくること。
もしくは、裏表のない『真実の想い』で自分の名前が呼ばれること。
裏表が激しい人間に呼ばれる度に自分の体が透けていく。
時間が経つにつれ、自分と関わりが少なかった者から、その者の記憶から自分の存在が消えていく。
今回陽葵姉に勝手についてきた私は、この『白い世界』の理ではイレギュラーな存在。
黒ずくめの男によって私を知る人全ての記憶から私の存在は消された。もしも術を破り私の名前を思い出す人が現れたら、私は元の世界に戻れるはず。
紙に書いてあることを簡単にまとめるとこんな感じだった。
「何なのよ、あいつ」
陽葵姉が怒りを露わにする。
「陽葵姉、本当はいつも無理してたんだよね?無理して頑張らなくてもそのままで十分素敵だよ。もう楽になっていいんだよ」
「あんたのそういうところがうざい。いつも余裕かまして何でもわかってますって顔して。今だってあんたは巻き込まれただけなのに、文句も言わず私の心配をする。必死にあがく自分が惨めになる」
「そんな、余裕なんていつもないよ」
「私の周りはみんな表で褒めて裏で貶す人ばかり。裏表なく私のことを想う人なんていないのよ。さっさと10人ここに連れてきて元の世界に戻ってやる」
意気込む陽葵姉の足の先がすでに少し透けていた。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、小学生くらいの少女が映る。
カラフルな彩どりのアイスを美味しそうに頬張る少女。
「あー、美味しかった」
「パパ、戻ってこないわね。栞、探しに行きましょう」
どこかに行ってしまった父親を探しに1、2、3階と歩き回る少女と母親。
「パパいないわね、どうしちゃったのかしら?心配ね」
(あー、本当面倒くさい。大人なのに迷子ってどういうことよ)
「あーあ。またママの心の声が聞こえちゃった」
少女は呟くと小さな溜息をつく。
4階に上がり、駐車場に止めてある車も確認したがいない。
仕方なくエスカレーター乗り場に戻ると、エスカレーターで上に行く父親の姿を少女が見つけた。
「ママ、パパ上に行ったよー」
母親は電話をしていて気付かない。
突然、陽葵姉が画面の少女に『白い世界』から話しかける。
「さっ、パパを追いかけるのよ」
姉の言葉に誘われるように少女が足を一歩踏み出す。
「そうそう、その調子」
少女が二歩目を踏み出す。
「ダメーーー」
私は必死になって叫んだ。
少女は立ち止まってキョロキョロ辺りを見渡す。
「もう。パパ電話に出ないわ。本当にどこにいっちゃったのかしら。栞、行くわよ」
少女は母親に手を引かれ、エスカレーターで3階へ下りて行った。
「おーい、栞」
父親が駆け寄ってきた。
「「もう、パパ、どこにいたの?」」
母親と少女の声が揃う。
「いやー、2階で車の展示会やってたから。それ見てたらいつの間にか時間がたっちゃって」
父親はバツが悪そうに頭をかく。
「ねぇ、パパ。さっき4階にいなかった?」
「4階?パパは2階にずっといたけど」
「えっ!でも、さっき4階駐車場のエスカレーターを上に行ったじゃん」
「栞、何言ってるんだ?4階に上りエスカレーターなんて無いぞ。4階が最上階、この建物の一番上だ。さてはパパに会いたくて幻でも見たか?」
父親が少女をからかう。
3人は4階駐車場までエスカレーターで上がっていく。
父親の言う通り、その階より上に行くエスカレーターは存在しなかった。
「やっぱりさっきのは幻」
少女は呟き、狐に包まれたような顔をしていた。
画面が消える。
音の無い『白い世界』が広がる。
「真希、何で邪魔するのよ」
「ごめん、陽葵姉。でもあの子はダメ。あの子は高校の時お手伝いをした学童にいた栞ちゃんだった。覚えてない?」
「そんなのどうでもいい。誰でもいいの。あの子は表裏の激しさはなかったけど、私の声が届いたから誘い出したのに」
陽葵姉は怒りながらも諦めたようだ。
「よかった」
私はほっと胸を撫でおろす。
陽葵姉はもう気持ちを切り替えて次の対象者を探し始めた。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、京都府のショッピングモール最上階が映る。
「待てよ、紗耶香。さっきは悪かったよ。機嫌なおしてくれよ」
(めんどくせーな。あんなちょっとしたことで怒るなよ)
陽葵姉が画面の男性に『白い世界』から話しかける。
「こっちにおいで」
陽葵姉の誘惑に足を踏み出す若い男性。
『紗耶香さんの幻』を追いかけて、男性は4階駐車場からエスカレーターで上がってくる。
真っ白な天井へと吸い込まれ、こちらにやってきた。
「一人目達成。なーんだ、案外簡単じゃない」
欲望にかられた陽葵姉の顔は、『白い世界』に赤色を添える。
貪欲の象徴である赤鬼の顔がそこにはあった。
**
夏が来るたび、陽葵姉はチャレンジを続けた。
ここに連れてこられた人たちはみんな表裏の激しい人たち。
その人たちに名前を呼ばれる度、陽葵姉の姿はどんどん透けていく。
陽葵姉の様子がおかしいと感じたあの時、もっと早く陽葵姉に声をかければよかった。
何でそのままついてきちゃったんだろう。私が元の世界にいれば、陽葵姉を呼び戻せたのに。
私がここにいるのは自業自得だ。
陽葵姉がここに連れてくることができたのは1年につき2~3人。
連れてきても『真実の想い』で名前を呼ばれ、元の世界に戻ってしまう人もいた。
この『白い世界』に来てから丸5年。
今日がタイムリミットの日だ。
陽葵姉から感情がどんどん失われていった。
陽葵姉の体はうっすらとしか見えないほど透けてしまっていた。
あと15分で陽葵姉は完全に無の状態になってしまう。
そうなったらもう元の世界には戻ることはできない。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、リビングにいる栞ちゃんが映る。
「ねー、お母さん。学童で小2の夏休みだけ来てくれた先生がいたと思うんだけど、覚えてる?」
「そんな先生いたかしら?写真見てみたら?」
『小学校低学年』のアルバムを引っ張り出し、小2の夏に撮った学童の集合写真を探している。
「あっ、この先生。ほらっ、2列目の左端と右端に写っている」
栞ちゃんは私と陽葵姉の姿を見つけ、母親に写真を見せる。
「ん?どこにいるの?」
「ほら、ここ!」
さっき写っていた場所を指差そうとして、栞ちゃんは驚いた顔をした。
「あれ?いない!」
「ちょっと栞(しおり)、大丈夫?暑さで幻見ちゃったんじゃないの?」
茫然とする栞ちゃんを母親が心配顔で覗き込む。
画面が消える。
音の無い『白い世界』が広がる。
写真に私たちの姿が映っていないのは当然のこと。
黒ずくめの男によって私の記憶は消され、恐らく5年もたっているから陽葵姉の記憶も消されちゃったのだと思う。
でも……一瞬でも栞ちゃんに私たちの姿が見えたということは、黒ずくめの男の術がとけかかってるってこと?
「ねー、陽葵姉。栞ちゃんは心の声が聞こえるとても素敵な力を持った子だったね。陽葵姉のこと一番わかっていたのは栞ちゃんだったのかもね」
私は聞こえていないと思いながらも陽葵姉に語りかける。
ポタッ ポタッ
静寂の中、水音が響く。
陽葵姉の頬から涙が零れ落ちている。
「陽葵姉?栞ちゃんのことわかったの?まだ涙を流す感情が残っているの?」
タイムリミットまであと5分。
栞ちゃんが陽葵姉の名前を呼んでくれたら。
でもこんなに体が透き通ってしまっては、戻れたとしても誰も陽葵姉のこと見つけてくれないかもしれない。
ザザザッ
再び目の前に画面が現れ、自分の部屋にいる栞ちゃんが映る。
ドーン
外で花火の音が聞こえる。
窓を開けると彩り豊かな花火が見えた。
今日は市の納涼祭の日だ。
ドーン
赤やオレンジの光がチカチカする。
パンッ
『真希先生は『太陽』。だって心の中で温かい気持ちがポカポカしてるから』
「思い出した、真希先生だ!」
机の上の写真に目を落とすと2列目の左端に、黒髪ボブカットの私が写っていた。
「うーん、もう一人は……」
陽葵姉のことも必死に思い出そうとしている栞ちゃん。
「頑張って栞ちゃん」
私は祈りを込める。
突然、黒ずくめの男が目の前に現れる。
「どうやら栞は真希、お前のことを思い出したようだな。おめでとう真希」
意識がだんだん遠のいていく。
「え?何で?」
見渡す限り白、白、白。上も下も右も左も白一色。
そこには黒ずくめの男が一人立っているだけだった。
「どうして私が『白い世界』にいるのよ!?陽葵は?」
「真希、お前はこの世界に来るのが今回2度目だった。名前を呼ばれたら元の世界に戻ることができるのは、やはり原則通り1回だけだったようだ。だからお前はもう二度と元の世界に戻れない。
陽葵は残り2分で栞に名前を呼ばれ、元の世界に戻っていった。ここでのことは全てリセットされる。陽葵はこの世界を忘れ、心身ともに以前の状態に戻る」
えっ?リセット?以前の状態に戻る?それはおかしい。
「私は前回元の世界に戻った時からずっと、この『白い世界』のことを覚えているのに。どうして陽葵はリセットされるの?」
「お前の、『この世界をどうしても忘れたくない』という強い想いがイレギュラーを引き起こしたのだ。原則はリセットされる」
激情する私とは対照的に、黒ずくめの男は淡々と答える。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、私が意識を失った後の続きが映る。
写真を手にしたまま、花火を見て考え込む栞ちゃん。
ドーン
青や紫の光がチカチカする。
『こっちの陽葵先生が私は大好き』
「思い出した、陽葵先生。口から出る言葉と心の声が違う陽葵先生のことを、何となく子ども心に悲しいと感じて。それからなるべく心のままの言葉を口に出すことにしたんだった。陽葵先生、私先生のおかげで素直な自分のまま楽しく過ごせているよ』
写真に目を落とすと2列目の右端に、栗色ロングヘアの陽葵が写っていた。
ドーン ドーン
ラストの花火が盛大に音をたて連続で空いっぱいに広がる。
彩り豊かな光りがチカチカと点滅しながら周囲を照らす。
写真を見ると、花火の点滅と呼応するように私と陽葵の姿が写ったり消えたりしている。
花火の音が止み、周囲には虫の鳴き声のみが響く。
光の点滅が終わり、暗闇が空を包む。
写真を見るとそこ写っていたのは……陽葵だけだった。
そんな……
今から10年前。
この『白い世界』に迷い込んだけど、誰かに『真実の想い』で名前を呼ばれ、すぐに戻ることができた。
私はこの体験を利用して、私のこと馬鹿にしてばかりの陽葵をこの『白い世界』に閉じ込めることを計画した。
5年後にこの世界に迷い込むように、時間を調整して陽葵の表裏のバランスを徐々に崩した。途中で何度かこの『白い世界』に迷い込みそうになった陽葵を、本人に気づかれないように引き止めた。
陽葵と私がこの世界にきた時、タイムリミットの5年後に私だけが戻れるよう、接点のあまりない栞に8年越しの暗示をかけた。
完璧な計画だったはずなのに……
「何故そんなに陽葵を憎む?お前が10年前初めてこの『白い世界』に迷い込んだ時、『真実の想い』でお前の名を呼んでくれたのは陽葵なのに」
ザザザッ
目の前に画面が現れ、中学生の陽葵が映る。
「真希、真希。どこに行ったの?お願い、帰ってきて。いつも真希に冷たく当たっちゃうのは……真希の方が本当は私より何でもできるってわかってたから、あなたのことが怖かったの。何とかして優位に立とうと必死だったの。ごめんなさい。」
陽葵の悲痛な叫びが心に響く。
「えっ?そんな……」
私はその場に崩れ落ちた。
もう一つ、お前に見せたいものがある。
栞からお前宛ての手紙だ。
便箋を取り出し広げる。
真希先生
お元気ですか。
先生が学童を手伝いにきてくれた年と同じ、高1になりました。
今日急に真希先生のことを思い出し、お伝えしたいことがあり手紙を書きました。
8年前の花火の日。真希先生が「真希先生のことだけ思い出してね」って私に言った時。実は真希先生の心の声が聞こえちゃったんです。『陽葵を8年後必ず消してやる』って。あの時意味はわからなかったけど、とにかく怖くて、こっそり陽葵先生にそのことを伝えました。
そうしたら陽葵先生が「真希先生はそんなこと絶対しないよ」って。
「陽葵先生が心の声と反対のことを口に出して真希先生をいつも怒らてしまうからいけないの」って。
「いつか心の声をそのまま口に出して謝って、真希先生と仲良くしたいな」って言ってました。
真希先生と陽葵先生、お二人は今仲良しですか?
あの時、陽葵先生の言葉を聞いて。私一人っ子なので姉妹っていいなって羨ましかったです。
では、暑いので体調にお気をつけください。栞
涙がとめどなく零れ落ちる。
陽葵姉の想いに胸が熱くなる。そして同時に後悔の念に駆られる。
「お前を救ってくれ、お前に愛情を持っていた陽葵をずっと憎んでいたとは、愚かなやつよ。さて、お別れの時間が来たようだ」
えっ?身体が動かない。
さっきまで高まっていた感情が嘘のように静まり、そして何も感じなくなってきた。
「さらばだ、織田真希(おだまき)。『無』になり後悔し続けることがないのは幸か不幸か。最後にお前にピッタリの花を手向けよう」
パチンッ
黒ずくめの男が指を鳴らすと白い空間に赤、紫、ピンク、黄色の色鮮やかな花が咲き乱れる。
「苧環(オダマキ)……花言葉は『愚か』だ」
(了)
ジリジリジリジリ
アブラゼミの声が辺りに響く。
暑さをものともせず、子どもたちは虫とり網を手にセミを捕まえようと走り回る。
「陽葵(ひまり)先生、セミ取って!」
陽葵姉が子どもたちにお願いされている。
今日は学童のお泊り会。
私と一歳上の陽葵姉は高校の夏休みに、近所の学童でお手伝いをしている。
夜には市の納涼祭で花火が上がるため、校庭で花火鑑賞を行う予定だ。
陽葵姉は美人で明るく、いつも子どもたちに囲まれている。
「真希先生、この後の読み聞かせの時『北風と太陽』読んで!」
小2の栞(しおり)ちゃんは、あまり人気のない地味な私にもよく声をかけてくれる。
「うん、約束」
二人で指切りげんまんをした。
『北風と太陽』を読み終えると、子どもたちからたくさんの拍手が起こった。
「陽葵先生と真希先生は『北風と太陽』みたい。陽葵先生は『北風』。心の中で冷たい気持ちがビュービューしてるから。真希先生は『太陽』。心の中で温かい気持ちがポカポカしてるから」
栞ちゃんがボソッと漏らした言葉に、周りの子たちが過敏に反応した。
「えー!反対だよ」
「陽葵先生が『太陽』で真希先生が『北風』だよ」
「栞ちゃん、へーん」
みんなから反論され、栞ちゃんは泣き出してしまう。
「はーい、読み聞かせの時間は終わりです。みんなお昼の準備しようね」
陽葵姉の一声で、子どもたちはお昼の準備を始めた。
隅っこでまだ泣いている栞ちゃんの背中を私はそっと優しくなでる。
「真希先生のこと『太陽』って言ってくれてありがとう」
花火の時間になると子どもたちは校庭に駆け出した。
ヒュー ドーン
赤、青、黄、緑、紫、オレンジ。色鮮やかな花火が空に広がる。
「「「キレ―」」」
一斉に声が上がる。
みんなと少し離れたところに座っている栞ちゃんを見つけ声をかける。
「栞ちゃん、何でこんな端で見てるの?」
「みんなの近くにいるとみんなの心の声が聞こえてきて、花火を楽しめなくなっちゃう。だからここにいるの」
「心の声って?」
「みんなが口に出す言葉は耳に聞こえてくるの。口に出していないみんなの心の声も栞の心に聞こえてきちゃうの」
「そっか。栞ちゃんのその力とってもすごいね。真希先生にもその力があったら、陽葵先生のことわかってあげられるのかな」
ドーン
赤やオレンジの光がチカチカする。
暗い空にポカポカ温かな色の花が咲く。
「ちょっと目を閉じてくれるかな」
栞ちゃんが目を閉じる。
「ねー。栞ちゃん。8年後にまたこの『赤やオレンジの光がチカチカ』を見たら、真希先生のことだけ思い出してね」
パンッ
私の手を叩く音で栞ちゃんは目を開けた。
私は笑顔で栞ちゃんを見つめる。
「あれ?ここがザワザワする……」
胸を差して栞ちゃんが呟いた。
「栞ちゃん、何でこんな端で見てるの?」
陽葵姉が来て、私と同じ質問をする。
栞ちゃんは私を見てクスッと笑い、さっきと同じ内容を陽葵姉に話した。
「なるほど。だから陽葵先生は『北風』なのね。アハハハッ、すごい力ね。栞ちゃんの前じゃ全部ばれちゃうね」
陽葵姉が楽しそうに笑う。
ドーン
青や紫の光がチカチカする。
暗い空にスッキリ涼しい色の花が咲く。
「今の陽葵先生の心の中はビュービューじゃなくてポカポカしてるよ。いつもこうしてればいいのに。こっちの陽葵先生が私は大好き」
「栞ちゃんの前だとそのままの陽葵先生でいられて楽ちんだなー」
「お母さんにね、心の声のことを何度か話したんだけど。「変なこと言わないで」って言われて悲しかった。それでこの力は変なんだって思ってたから、先生たちに「すごいね」って褒められて嬉しかった。」
栞ちゃんは天使のような微笑みを私たちに向ける。
**
大学に入って初めての夏、近所のショッピングセンターで買い物をしていると、心ここにあらずな陽葵姉を見かけた。
今日は大学のサークル日なのにどうしてここにいるんだろう?
気になった私は陽葵姉の後をこっそりついて行く。
最上階4階までエスカレーターで上っていく陽葵姉。
少し遅れて4階にたどり着くとそこで驚きの光景を目にする。
そこにあるはずのない上りエスカレーターがあり、陽葵姉がそれに乗り上っていく。
「陽葵姉どこいくの?」
思わず大きな声を出し、急いでエスカレーターに乗り駆け上がる。
陽葵姉は振り向かない。
手を伸ばしてやっと腕が掴めそうと思った瞬間、周囲の景色が歪んだ。
景色から光のみが取り出される。赤、青、緑の光が点滅し、やがて重なり白の世界が広がる。
「陽葵姉、陽葵姉。大丈夫?」
「ん?真希?何、ここどこ?」
「私にもわからない……」
見渡す限り白、白、白。上も下も右も左も白一色。
壁も天井もなく、ただただ広がる白い空間。
そしてともて静かだった。
二人の鼓動、息づかいが響き渡る。
「おや?今日ここに来るのは陽葵だけのはずだが」
男性の声が聞こえ、黒い着物に黒い仮面を被った全身黒ずくめが目の前に現れた。
「あんた誰よ。ここどこなの?」
陽葵姉がすごい勢いで詰め寄る。
ザザザッ
ノイズとともに空間が歪み、目の前に画面が現れる。
画面に母が映っていた。
「陽葵ちゃん、難関大学合格おめでとう。お母さん、自慢の娘がいて幸せだわ」
(本当はもうワンランク上に行ってほしかったわ。ここぞという時にダメなのよね)
返答する陽葵姉が画面に映る。
「ありがとう。私もお母さんの子で幸せだよ」
(ちっ。自分の夢をみんな私に押し付けて。うざいんだよ)
母のそして陽葵姉の、口から出る言葉の後に聞こえるのは何?心の声?
画面に映った陽葵姉の大学の先輩が言う。
「織田さん、今日も綺麗だね。講義終わったら一緒に食事に行かない?」
(世の中にはもっと綺麗で、しかも性格が良い子なんていくらでもいるけどな)
返答する陽葵姉が画面に映る。
「ありがとうございます。でもすでに予定が埋まっていて。また誘ってください」
(ちっ。お前みたいなつまんないやつと食事なんてするわけないだろ)
称賛の声と不平不満の声。表の声と裏の声。
逆の言葉の連続に心が痛む。
画面が消える。
音の無い『白い世界』が広がる。
全身黒ずくめの男が語る。
「『虚と実』『裏と表』これは人間誰しもが持っている。しかしこの差が激しくなるほどその人物に歪みが生じる。その歪みに自ら気づき耐え切れなくなった時、この世界に迷い込む。この世界はこの差を無くすことのできる世界。何故か?それは徐々に感情を失い、やがて『無』になるからだ」
「私は今の私で十分満足してる。いいから早く元の世界に戻してよ」
言葉とは裏腹に、陽葵姉は苦しそうな表情を浮かべる。
「陽葵、お前にチャンスをやろう。この紙に書いてあることを読んで挑戦してみるがいい」
黒ずくめの男は忽然と消えた。
タイムリミットは今日から5年。
チャンスは原則1回限り。
裏表が激しい人間を夏限定で10人この世界に連れてくること。
もしくは、裏表のない『真実の想い』で自分の名前が呼ばれること。
裏表が激しい人間に呼ばれる度に自分の体が透けていく。
時間が経つにつれ、自分と関わりが少なかった者から、その者の記憶から自分の存在が消えていく。
今回陽葵姉に勝手についてきた私は、この『白い世界』の理ではイレギュラーな存在。
黒ずくめの男によって私を知る人全ての記憶から私の存在は消された。もしも術を破り私の名前を思い出す人が現れたら、私は元の世界に戻れるはず。
紙に書いてあることを簡単にまとめるとこんな感じだった。
「何なのよ、あいつ」
陽葵姉が怒りを露わにする。
「陽葵姉、本当はいつも無理してたんだよね?無理して頑張らなくてもそのままで十分素敵だよ。もう楽になっていいんだよ」
「あんたのそういうところがうざい。いつも余裕かまして何でもわかってますって顔して。今だってあんたは巻き込まれただけなのに、文句も言わず私の心配をする。必死にあがく自分が惨めになる」
「そんな、余裕なんていつもないよ」
「私の周りはみんな表で褒めて裏で貶す人ばかり。裏表なく私のことを想う人なんていないのよ。さっさと10人ここに連れてきて元の世界に戻ってやる」
意気込む陽葵姉の足の先がすでに少し透けていた。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、小学生くらいの少女が映る。
カラフルな彩どりのアイスを美味しそうに頬張る少女。
「あー、美味しかった」
「パパ、戻ってこないわね。栞、探しに行きましょう」
どこかに行ってしまった父親を探しに1、2、3階と歩き回る少女と母親。
「パパいないわね、どうしちゃったのかしら?心配ね」
(あー、本当面倒くさい。大人なのに迷子ってどういうことよ)
「あーあ。またママの心の声が聞こえちゃった」
少女は呟くと小さな溜息をつく。
4階に上がり、駐車場に止めてある車も確認したがいない。
仕方なくエスカレーター乗り場に戻ると、エスカレーターで上に行く父親の姿を少女が見つけた。
「ママ、パパ上に行ったよー」
母親は電話をしていて気付かない。
突然、陽葵姉が画面の少女に『白い世界』から話しかける。
「さっ、パパを追いかけるのよ」
姉の言葉に誘われるように少女が足を一歩踏み出す。
「そうそう、その調子」
少女が二歩目を踏み出す。
「ダメーーー」
私は必死になって叫んだ。
少女は立ち止まってキョロキョロ辺りを見渡す。
「もう。パパ電話に出ないわ。本当にどこにいっちゃったのかしら。栞、行くわよ」
少女は母親に手を引かれ、エスカレーターで3階へ下りて行った。
「おーい、栞」
父親が駆け寄ってきた。
「「もう、パパ、どこにいたの?」」
母親と少女の声が揃う。
「いやー、2階で車の展示会やってたから。それ見てたらいつの間にか時間がたっちゃって」
父親はバツが悪そうに頭をかく。
「ねぇ、パパ。さっき4階にいなかった?」
「4階?パパは2階にずっといたけど」
「えっ!でも、さっき4階駐車場のエスカレーターを上に行ったじゃん」
「栞、何言ってるんだ?4階に上りエスカレーターなんて無いぞ。4階が最上階、この建物の一番上だ。さてはパパに会いたくて幻でも見たか?」
父親が少女をからかう。
3人は4階駐車場までエスカレーターで上がっていく。
父親の言う通り、その階より上に行くエスカレーターは存在しなかった。
「やっぱりさっきのは幻」
少女は呟き、狐に包まれたような顔をしていた。
画面が消える。
音の無い『白い世界』が広がる。
「真希、何で邪魔するのよ」
「ごめん、陽葵姉。でもあの子はダメ。あの子は高校の時お手伝いをした学童にいた栞ちゃんだった。覚えてない?」
「そんなのどうでもいい。誰でもいいの。あの子は表裏の激しさはなかったけど、私の声が届いたから誘い出したのに」
陽葵姉は怒りながらも諦めたようだ。
「よかった」
私はほっと胸を撫でおろす。
陽葵姉はもう気持ちを切り替えて次の対象者を探し始めた。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、京都府のショッピングモール最上階が映る。
「待てよ、紗耶香。さっきは悪かったよ。機嫌なおしてくれよ」
(めんどくせーな。あんなちょっとしたことで怒るなよ)
陽葵姉が画面の男性に『白い世界』から話しかける。
「こっちにおいで」
陽葵姉の誘惑に足を踏み出す若い男性。
『紗耶香さんの幻』を追いかけて、男性は4階駐車場からエスカレーターで上がってくる。
真っ白な天井へと吸い込まれ、こちらにやってきた。
「一人目達成。なーんだ、案外簡単じゃない」
欲望にかられた陽葵姉の顔は、『白い世界』に赤色を添える。
貪欲の象徴である赤鬼の顔がそこにはあった。
**
夏が来るたび、陽葵姉はチャレンジを続けた。
ここに連れてこられた人たちはみんな表裏の激しい人たち。
その人たちに名前を呼ばれる度、陽葵姉の姿はどんどん透けていく。
陽葵姉の様子がおかしいと感じたあの時、もっと早く陽葵姉に声をかければよかった。
何でそのままついてきちゃったんだろう。私が元の世界にいれば、陽葵姉を呼び戻せたのに。
私がここにいるのは自業自得だ。
陽葵姉がここに連れてくることができたのは1年につき2~3人。
連れてきても『真実の想い』で名前を呼ばれ、元の世界に戻ってしまう人もいた。
この『白い世界』に来てから丸5年。
今日がタイムリミットの日だ。
陽葵姉から感情がどんどん失われていった。
陽葵姉の体はうっすらとしか見えないほど透けてしまっていた。
あと15分で陽葵姉は完全に無の状態になってしまう。
そうなったらもう元の世界には戻ることはできない。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、リビングにいる栞ちゃんが映る。
「ねー、お母さん。学童で小2の夏休みだけ来てくれた先生がいたと思うんだけど、覚えてる?」
「そんな先生いたかしら?写真見てみたら?」
『小学校低学年』のアルバムを引っ張り出し、小2の夏に撮った学童の集合写真を探している。
「あっ、この先生。ほらっ、2列目の左端と右端に写っている」
栞ちゃんは私と陽葵姉の姿を見つけ、母親に写真を見せる。
「ん?どこにいるの?」
「ほら、ここ!」
さっき写っていた場所を指差そうとして、栞ちゃんは驚いた顔をした。
「あれ?いない!」
「ちょっと栞(しおり)、大丈夫?暑さで幻見ちゃったんじゃないの?」
茫然とする栞ちゃんを母親が心配顔で覗き込む。
画面が消える。
音の無い『白い世界』が広がる。
写真に私たちの姿が映っていないのは当然のこと。
黒ずくめの男によって私の記憶は消され、恐らく5年もたっているから陽葵姉の記憶も消されちゃったのだと思う。
でも……一瞬でも栞ちゃんに私たちの姿が見えたということは、黒ずくめの男の術がとけかかってるってこと?
「ねー、陽葵姉。栞ちゃんは心の声が聞こえるとても素敵な力を持った子だったね。陽葵姉のこと一番わかっていたのは栞ちゃんだったのかもね」
私は聞こえていないと思いながらも陽葵姉に語りかける。
ポタッ ポタッ
静寂の中、水音が響く。
陽葵姉の頬から涙が零れ落ちている。
「陽葵姉?栞ちゃんのことわかったの?まだ涙を流す感情が残っているの?」
タイムリミットまであと5分。
栞ちゃんが陽葵姉の名前を呼んでくれたら。
でもこんなに体が透き通ってしまっては、戻れたとしても誰も陽葵姉のこと見つけてくれないかもしれない。
ザザザッ
再び目の前に画面が現れ、自分の部屋にいる栞ちゃんが映る。
ドーン
外で花火の音が聞こえる。
窓を開けると彩り豊かな花火が見えた。
今日は市の納涼祭の日だ。
ドーン
赤やオレンジの光がチカチカする。
パンッ
『真希先生は『太陽』。だって心の中で温かい気持ちがポカポカしてるから』
「思い出した、真希先生だ!」
机の上の写真に目を落とすと2列目の左端に、黒髪ボブカットの私が写っていた。
「うーん、もう一人は……」
陽葵姉のことも必死に思い出そうとしている栞ちゃん。
「頑張って栞ちゃん」
私は祈りを込める。
突然、黒ずくめの男が目の前に現れる。
「どうやら栞は真希、お前のことを思い出したようだな。おめでとう真希」
意識がだんだん遠のいていく。
「え?何で?」
見渡す限り白、白、白。上も下も右も左も白一色。
そこには黒ずくめの男が一人立っているだけだった。
「どうして私が『白い世界』にいるのよ!?陽葵は?」
「真希、お前はこの世界に来るのが今回2度目だった。名前を呼ばれたら元の世界に戻ることができるのは、やはり原則通り1回だけだったようだ。だからお前はもう二度と元の世界に戻れない。
陽葵は残り2分で栞に名前を呼ばれ、元の世界に戻っていった。ここでのことは全てリセットされる。陽葵はこの世界を忘れ、心身ともに以前の状態に戻る」
えっ?リセット?以前の状態に戻る?それはおかしい。
「私は前回元の世界に戻った時からずっと、この『白い世界』のことを覚えているのに。どうして陽葵はリセットされるの?」
「お前の、『この世界をどうしても忘れたくない』という強い想いがイレギュラーを引き起こしたのだ。原則はリセットされる」
激情する私とは対照的に、黒ずくめの男は淡々と答える。
ザザザッ
目の前に画面が現れ、私が意識を失った後の続きが映る。
写真を手にしたまま、花火を見て考え込む栞ちゃん。
ドーン
青や紫の光がチカチカする。
『こっちの陽葵先生が私は大好き』
「思い出した、陽葵先生。口から出る言葉と心の声が違う陽葵先生のことを、何となく子ども心に悲しいと感じて。それからなるべく心のままの言葉を口に出すことにしたんだった。陽葵先生、私先生のおかげで素直な自分のまま楽しく過ごせているよ』
写真に目を落とすと2列目の右端に、栗色ロングヘアの陽葵が写っていた。
ドーン ドーン
ラストの花火が盛大に音をたて連続で空いっぱいに広がる。
彩り豊かな光りがチカチカと点滅しながら周囲を照らす。
写真を見ると、花火の点滅と呼応するように私と陽葵の姿が写ったり消えたりしている。
花火の音が止み、周囲には虫の鳴き声のみが響く。
光の点滅が終わり、暗闇が空を包む。
写真を見るとそこ写っていたのは……陽葵だけだった。
そんな……
今から10年前。
この『白い世界』に迷い込んだけど、誰かに『真実の想い』で名前を呼ばれ、すぐに戻ることができた。
私はこの体験を利用して、私のこと馬鹿にしてばかりの陽葵をこの『白い世界』に閉じ込めることを計画した。
5年後にこの世界に迷い込むように、時間を調整して陽葵の表裏のバランスを徐々に崩した。途中で何度かこの『白い世界』に迷い込みそうになった陽葵を、本人に気づかれないように引き止めた。
陽葵と私がこの世界にきた時、タイムリミットの5年後に私だけが戻れるよう、接点のあまりない栞に8年越しの暗示をかけた。
完璧な計画だったはずなのに……
「何故そんなに陽葵を憎む?お前が10年前初めてこの『白い世界』に迷い込んだ時、『真実の想い』でお前の名を呼んでくれたのは陽葵なのに」
ザザザッ
目の前に画面が現れ、中学生の陽葵が映る。
「真希、真希。どこに行ったの?お願い、帰ってきて。いつも真希に冷たく当たっちゃうのは……真希の方が本当は私より何でもできるってわかってたから、あなたのことが怖かったの。何とかして優位に立とうと必死だったの。ごめんなさい。」
陽葵の悲痛な叫びが心に響く。
「えっ?そんな……」
私はその場に崩れ落ちた。
もう一つ、お前に見せたいものがある。
栞からお前宛ての手紙だ。
便箋を取り出し広げる。
真希先生
お元気ですか。
先生が学童を手伝いにきてくれた年と同じ、高1になりました。
今日急に真希先生のことを思い出し、お伝えしたいことがあり手紙を書きました。
8年前の花火の日。真希先生が「真希先生のことだけ思い出してね」って私に言った時。実は真希先生の心の声が聞こえちゃったんです。『陽葵を8年後必ず消してやる』って。あの時意味はわからなかったけど、とにかく怖くて、こっそり陽葵先生にそのことを伝えました。
そうしたら陽葵先生が「真希先生はそんなこと絶対しないよ」って。
「陽葵先生が心の声と反対のことを口に出して真希先生をいつも怒らてしまうからいけないの」って。
「いつか心の声をそのまま口に出して謝って、真希先生と仲良くしたいな」って言ってました。
真希先生と陽葵先生、お二人は今仲良しですか?
あの時、陽葵先生の言葉を聞いて。私一人っ子なので姉妹っていいなって羨ましかったです。
では、暑いので体調にお気をつけください。栞
涙がとめどなく零れ落ちる。
陽葵姉の想いに胸が熱くなる。そして同時に後悔の念に駆られる。
「お前を救ってくれ、お前に愛情を持っていた陽葵をずっと憎んでいたとは、愚かなやつよ。さて、お別れの時間が来たようだ」
えっ?身体が動かない。
さっきまで高まっていた感情が嘘のように静まり、そして何も感じなくなってきた。
「さらばだ、織田真希(おだまき)。『無』になり後悔し続けることがないのは幸か不幸か。最後にお前にピッタリの花を手向けよう」
パチンッ
黒ずくめの男が指を鳴らすと白い空間に赤、紫、ピンク、黄色の色鮮やかな花が咲き乱れる。
「苧環(オダマキ)……花言葉は『愚か』だ」
(了)