【悪魔】
男たちはじりじりとアルとの距離を詰めてくる。
もうここまでか、とアルが覚悟したその時突然、足元の地面が薄い石板のように割れ、アルは下へ落ちそうになった。
慌てて体勢を立て直すと、下方から何やら重苦しい瘴気が吹き上がってくる。
この洞窟全体に漂う不可思議な邪気は、そこに封じられた存在に由来していたのだ。
その気配に呼応するように、凶悪な男たちが次々と剣を振りかざしてくる。アルも必死で避けようとするが、背後には崩れかけた岩壁。横に逃げようとしても、構えている男たちに行く手を遮られる。
「終わりだ、アル様。」
その瞬間、洞窟の奥深くで何かが目覚めたかのように闇が揺らめいた。
まるで生き物のように伸びる黒い影が、リーダー格の男を絡めとり、あっという間に壁際へ叩きつける。
激しい衝撃音とともに男は床に倒れ込み、一瞬のうちに意識を失った。
残りの刺客たちが「なんだ、なんだ!?」と混乱する。その隙に、アルはその黒い影の正体を見つめていた。
そこには人の形をしたようにも見えるが、背中から羽のような突起が伸び、角が生えている……。
「……人間、か? いや……」
アルはこの姿をどこかの古文書で見たことがある──それは“悪魔”の姿。深紅の瞳を持ち、全身が黒い気配に包まれ、その口元には鋭い牙が覗く。
その男のような存在が、連続して暗黒の光弾を放ち、周囲にいた刺客の男たちを次々と吹き飛ばす。
まさに瞬殺だった。
リーダー格以外の者たちの多くは、なすすべなく洞窟の外へ走り出し、あるいは隙間から逃げようとした。
中には重傷を負って呻く者もいたが、とにかく生命の危険を感じたのだろう。多くの刺客はその場を放棄して消えていった。
やがて洞窟にはアルと、謎の“悪魔”だけが残された。
その悪魔はゆっくりとアルのほうに振り返る。
深紅の瞳が不気味に光り、岩壁に反響するような低い笑い声が響き渡る。
「おまえ、今の絶望の波動…… いいねぇ……そうだ、おまえの叫びが我を呼び起こした……」
アルは剣も持たず丸腰の状態。今この悪魔が襲ってきたらひとたまりもない。しかし、先に彼は何人もの刺客を瞬殺し、さらに自分を殺そうとした者を排除してくれた。
恐怖と警戒の狭間で、アルは咄嗟に口を開く。
「あ、ありがとう……助けてくれたのか?」
悪魔は思いもしなかった問いかけに笑みを深めた。
「ククク……人間に礼を言われたのは久々だな。助けたというより、おまえの絶望が美味だったから、それを味わうついでに少し遊んだだけだ。」 アルはその言葉にゾッとしながらも、再び礼を述べた。
「……それでも、ありがとう。お礼を……といっても、今の俺には何もないけど……」
自嘲気味に呟いたアルの言葉に、悪魔は興味を示したように首をかしげる。
「ふむ。おまえは貴族だろう? 与えるものなど山ほどあるのではないか?」
悪魔にそう言われたが、アルは静かに首を振る。
財産はフアンに奪われ、当主の座も奪われた今、自分には何ひとつ残されていない。そう告げると、悪魔は不敵な笑みを浮かべながら語りかける。
「いや、ひとつあるじゃないか。貴族の証……その青い瞳がな。」
アルはハッとして目を見開いた。確かに“青い瞳”は貴族の証であり、この世界では貴重なものとされている。
しかしそれは体の一部だ。そんなものをどうしろというのか……。
悪魔はどこからともなく、黒い煙のようなものを手のひらに集め、それがやがて一冊の古めかしい本の形になってアルの前に示された。
「我が持つスキルの一部……おまえに提供しよう。代わりに、その青い瞳をいただく。どうだ? 貴様にとってはゴミスキルしかないだろうが、これを得れば、あるいは人生が開けるかもしれんぞ?」
アルは混乱する。悪魔が何故こんな取り引きを持ちかけるのか理解しがたいが、少なくとも今の自分にはどうしようもない。
何も残っていない。手元にあるのは、この“ゴミスキル”──トレーディングだけ。
不意にアルは気づいた。自分は“トレーディング”によって“何でも交換する”ことができる。悪魔が提示する“有用なスキル”と、自分の“青い瞳”を交換するのは、考えてみればすんなり成立するのではないか……。
「どうする? おまえが望むなら、我と契約を結び、この場で瞳をもらい受けよう。もちろん、交換は等価だ。おまえに不利益はない。」
アルは逡巡した。青い瞳は確かに貴族としての証。しかし、そんな身分にはもう価値があると思えなくなっていた。
フアンとゴランの策略によって、ひどい裏切りを受けた。
両親を失い、家も奪われ、さらに命まで狙われる始末──もはや貴族であることに意味を見出せなかった。
「……いいだろう。俺の瞳をやる。」
そう呟いた瞬間、悪魔の古めかしい本が光を放ち、アルの体を包み込んだ。
ズキン、と頭部に鋭い痛みが走り、次の瞬間には視界が歪む。何かが抜き取られた感覚。そして代わりに、冷たく研ぎ澄まされた力が湧き上がるような気がした。
悪魔は一瞬目を閉じ、満足げに笑う。
見れば、アルの瞳の色がすっかり失われ、淡いグレーのようになっていた。逆に、悪魔の瞳には鮮やかな青い光が宿り始めている。 「ククク……。これで我もこの世界の“貴族の証”とやらを手に入れた。さあ、おまえにはスキル……そうだな、これをくれてやろう。名は【サーチング】……使いようによっては、役に立つだろう。」
そう言い終えると、悪魔は羽のような突起を広げ、洞窟の暗闇の奥へと溶けるように姿を消した。
ただ最後に「能力を組み合わせて使え……」と、含みのある言葉を残して。
こうしてアルは、“青い瞳”と引き換えにスキル【サーチング】を手に入れた。
しかし、一緒に来た馬や刺客は既に消え去り、洞窟には彼ひとり。
外は魔物が跋扈する深い森。果たして、どうやってここから生還すればいいのか……。
「でも……やるしかないよな……」 アルは静かに立ち上がった。
男たちはじりじりとアルとの距離を詰めてくる。
もうここまでか、とアルが覚悟したその時突然、足元の地面が薄い石板のように割れ、アルは下へ落ちそうになった。
慌てて体勢を立て直すと、下方から何やら重苦しい瘴気が吹き上がってくる。
この洞窟全体に漂う不可思議な邪気は、そこに封じられた存在に由来していたのだ。
その気配に呼応するように、凶悪な男たちが次々と剣を振りかざしてくる。アルも必死で避けようとするが、背後には崩れかけた岩壁。横に逃げようとしても、構えている男たちに行く手を遮られる。
「終わりだ、アル様。」
その瞬間、洞窟の奥深くで何かが目覚めたかのように闇が揺らめいた。
まるで生き物のように伸びる黒い影が、リーダー格の男を絡めとり、あっという間に壁際へ叩きつける。
激しい衝撃音とともに男は床に倒れ込み、一瞬のうちに意識を失った。
残りの刺客たちが「なんだ、なんだ!?」と混乱する。その隙に、アルはその黒い影の正体を見つめていた。
そこには人の形をしたようにも見えるが、背中から羽のような突起が伸び、角が生えている……。
「……人間、か? いや……」
アルはこの姿をどこかの古文書で見たことがある──それは“悪魔”の姿。深紅の瞳を持ち、全身が黒い気配に包まれ、その口元には鋭い牙が覗く。
その男のような存在が、連続して暗黒の光弾を放ち、周囲にいた刺客の男たちを次々と吹き飛ばす。
まさに瞬殺だった。
リーダー格以外の者たちの多くは、なすすべなく洞窟の外へ走り出し、あるいは隙間から逃げようとした。
中には重傷を負って呻く者もいたが、とにかく生命の危険を感じたのだろう。多くの刺客はその場を放棄して消えていった。
やがて洞窟にはアルと、謎の“悪魔”だけが残された。
その悪魔はゆっくりとアルのほうに振り返る。
深紅の瞳が不気味に光り、岩壁に反響するような低い笑い声が響き渡る。
「おまえ、今の絶望の波動…… いいねぇ……そうだ、おまえの叫びが我を呼び起こした……」
アルは剣も持たず丸腰の状態。今この悪魔が襲ってきたらひとたまりもない。しかし、先に彼は何人もの刺客を瞬殺し、さらに自分を殺そうとした者を排除してくれた。
恐怖と警戒の狭間で、アルは咄嗟に口を開く。
「あ、ありがとう……助けてくれたのか?」
悪魔は思いもしなかった問いかけに笑みを深めた。
「ククク……人間に礼を言われたのは久々だな。助けたというより、おまえの絶望が美味だったから、それを味わうついでに少し遊んだだけだ。」 アルはその言葉にゾッとしながらも、再び礼を述べた。
「……それでも、ありがとう。お礼を……といっても、今の俺には何もないけど……」
自嘲気味に呟いたアルの言葉に、悪魔は興味を示したように首をかしげる。
「ふむ。おまえは貴族だろう? 与えるものなど山ほどあるのではないか?」
悪魔にそう言われたが、アルは静かに首を振る。
財産はフアンに奪われ、当主の座も奪われた今、自分には何ひとつ残されていない。そう告げると、悪魔は不敵な笑みを浮かべながら語りかける。
「いや、ひとつあるじゃないか。貴族の証……その青い瞳がな。」
アルはハッとして目を見開いた。確かに“青い瞳”は貴族の証であり、この世界では貴重なものとされている。
しかしそれは体の一部だ。そんなものをどうしろというのか……。
悪魔はどこからともなく、黒い煙のようなものを手のひらに集め、それがやがて一冊の古めかしい本の形になってアルの前に示された。
「我が持つスキルの一部……おまえに提供しよう。代わりに、その青い瞳をいただく。どうだ? 貴様にとってはゴミスキルしかないだろうが、これを得れば、あるいは人生が開けるかもしれんぞ?」
アルは混乱する。悪魔が何故こんな取り引きを持ちかけるのか理解しがたいが、少なくとも今の自分にはどうしようもない。
何も残っていない。手元にあるのは、この“ゴミスキル”──トレーディングだけ。
不意にアルは気づいた。自分は“トレーディング”によって“何でも交換する”ことができる。悪魔が提示する“有用なスキル”と、自分の“青い瞳”を交換するのは、考えてみればすんなり成立するのではないか……。
「どうする? おまえが望むなら、我と契約を結び、この場で瞳をもらい受けよう。もちろん、交換は等価だ。おまえに不利益はない。」
アルは逡巡した。青い瞳は確かに貴族としての証。しかし、そんな身分にはもう価値があると思えなくなっていた。
フアンとゴランの策略によって、ひどい裏切りを受けた。
両親を失い、家も奪われ、さらに命まで狙われる始末──もはや貴族であることに意味を見出せなかった。
「……いいだろう。俺の瞳をやる。」
そう呟いた瞬間、悪魔の古めかしい本が光を放ち、アルの体を包み込んだ。
ズキン、と頭部に鋭い痛みが走り、次の瞬間には視界が歪む。何かが抜き取られた感覚。そして代わりに、冷たく研ぎ澄まされた力が湧き上がるような気がした。
悪魔は一瞬目を閉じ、満足げに笑う。
見れば、アルの瞳の色がすっかり失われ、淡いグレーのようになっていた。逆に、悪魔の瞳には鮮やかな青い光が宿り始めている。 「ククク……。これで我もこの世界の“貴族の証”とやらを手に入れた。さあ、おまえにはスキル……そうだな、これをくれてやろう。名は【サーチング】……使いようによっては、役に立つだろう。」
そう言い終えると、悪魔は羽のような突起を広げ、洞窟の暗闇の奥へと溶けるように姿を消した。
ただ最後に「能力を組み合わせて使え……」と、含みのある言葉を残して。
こうしてアルは、“青い瞳”と引き換えにスキル【サーチング】を手に入れた。
しかし、一緒に来た馬や刺客は既に消え去り、洞窟には彼ひとり。
外は魔物が跋扈する深い森。果たして、どうやってここから生還すればいいのか……。
「でも……やるしかないよな……」 アルは静かに立ち上がった。

