【プロローグ】

 痛い。どこからか甲高いサイレンの音が聞こえる。
視界は赤い点滅が繰り返され、誰かが叫んでいる。

うっすらと意識があるような、ないような曖昧な状態で、佐々木有琉(ささき ある)は何かに挟まれて動けなかった。
冷たいガラスの破片が頬をかすめ、チリチリと突き刺す痛みを感じる。  
しかし、どれだけ痛みを感じても体をうまく動かすことができない。目を閉じようとした瞬間、遠くから大声が聞こえた。  

「生きていますか……! しっかり……」  

誰かが救助に駆け寄ろうとしているらしい。しかし、その声はだんだん遠ざかっていくようにも聞こえる。
まるで自分だけが深い闇へ落ちていくような感覚。救急車の音もサイレンの鳴り響きも、すべてが遠のいていく。  
(ああ、死ぬのか……)
やっと理解したとき、佐々木有琉の視界はふっと暗転した。
その瞬間、ふわりと全身が軽くなり、これまで感じていた痛みも苦しみもすべて消え失せた。
まるで風船がふわふわと空に舞い上がるような、不思議な感覚。
自分の存在が希薄になっていくのを感じながら、意識は闇の底へ溶けていく。  
遠くで扉が開くような音。続いて、どこか荘厳な響きを持つ別の声が男の耳朶をくすぐる。
「汝の魂を、我が世界へと導かん──」
それは重厚でありながら優しい声。眠りについたはずの意識が、急に白い光に包まれた。

次の瞬間、有琉は自分が赤ん坊になっていることに気づく。
暖かな毛布に包まれ、誰かに抱えられている。
見上げれば、美しくも優しい女性の微笑みがあり、その隣には誇らしげに頷く壮年の男性もいる。
青く輝く瞳を持つその女性は涙を浮かべて、こうささやくのだった。
「アルフレッド……私たちの、可愛い息子……」
彼女はそう言いながら赤子の頬をやさしく撫でる。
赤子としての意識の奥底で、有琉は新たな名前を告げられた喜びと混乱とを同時に味わった。

ーーーこうして、サラリーマンであった佐々木有琉は、異世界サルタレニアに「アルフレッド・フェルディナンド」として生まれ変わったのだ。