姉の婚約者が、私の担任になるなんて! 

 私が怒りに満ちて歩いていると、歳をとった女性占い師が道端に座っていた。
「運命の相手を占ってあげようか。ほう、いい出会いがあるじゃないか。好青年だ。運命の赤いしおりを差し上げよう。このしおりの片割れを持っている男がいたら運命の相手だよ」

 少し立派な素材でできたしおりだ。ひもも本体も赤い色を基調としているが、白や金や銀などの色も混じっている。

「これは特別サービス。無料だよ」
 怪しい老婆は、しわくちゃの顔をさらにくしゃっとして笑う。
 
 私が怒っている理由。それは少し前に、私の姉と高校の先生をしているという男が婚活パーティーで出会い、婚約したのだ。

 姉は世界を飛び回る音楽家で家にいることはほとんどない。

 姉の婚約者がなんと私の高校に転勤になり、今まで住んでいた町から引っ越すことになった。我が家は、私の通学する高校の近くに位置する。

「アパートを借りるくらいならうちに住みなよ」と姉が婚約者に提案したのだ。
 お姉ちゃんは普段、ほとんど家にいないというのに無責任な提案だった。
 姉は、サバサバした性格で、結婚も1回会っただけで自分からプロポーズしたらしい。白黒はっきりしている性格だ。最初から結婚前提で付き合おうという発想の持ち主だ。

 流牙寿《りゅうがひさし》。
 これが同居することになった男の名前だ。
 4月になり、私の担任になることが決まったと報告があった。

 新学期前に担任になるという事実を私たち家族は知った。
 姉も含め、みんな大喜びだった。普段の仕事ぶりもわかるし、人となりももっと知れるという理由らしい。私は今後、義兄になるかもしれない男が担任になるなんて正直うんざりしている。

 その男は、姉のプロポーズを受けたその日に快諾したらしい。なぜ結婚しようと思ったのだろう? 1回会ったくらいで好きになるものなのだろうか?

「4月から学校でもよろしくな」
 微笑む新担任。
 色黒のスポーツマンはあまり表情を表に出さない。
 基本、穏やかな男だった。

 こちらは全然よろしくないですが。
「今は流牙先生と呼べよ、咲原あかり」
 私の姉とこの教師が交際していることは、秘密にしている。
 
 この男、新任の流牙は若いし、サッカーをやっていただけあって、生徒に人気があるようだ。飾らない性格がうけるのかもしれない。
 新学期お決まりの質問だ。

「先生、彼女いますかー?」
「結婚前提でおつきあいしている人がいます」にこりと笑う。

 相手がいたほうが、高校の教師はいいらしい。
 下手に女子生徒が付け狙わないだろうし、予防線を張れる。
 これは、後になって本人に聞いた話だ。

「流牙先生でよかった」という噂話が聞こえてくる。
「サッカーでは全国大会に導いた選手だったらしいよ」
「彼女ってどんな人だろうね」
 
 ******

 私は、流牙が顧問をしている女子サッカー部のキャプテンだ。朝練から家に帰ってまで顔を合わせるなんて迷惑な話だ。
「ほんと最悪だよね。あんたが担任なんて。悪いことしていないかチェックするからね。気を抜かないこと」

「遊んでいる暇なんて、ないっつーの」
 朝空を見上げながら、流牙が本音を少し見せた。

「俺の人生は、サッカーばかりの人生だったから。俺はケガと家庭の事情のため、プロになることが難しくなって、公立高校の体育教師をやっている。そんなつまらない人生だけどな。選手としては、落ちこぼれだ」

 彼の闇を少し見たような気がした。
 本当にやりたいことができないまま、大人になった人。
 頑張れば何でも願いがかなうわけではない。
 酸いも甘いも知った大人なのだと改めて思った。
 結構苦労人なのかな。

 仕事ぶりは結構真面目で、早朝から夜遅くまで働いている。
 姉とはデートする暇もなさそうだった。
 姉自身も仕事が忙しい上に、連絡もまめじゃないので、まさに居候状態。
 すれ違いのカップルとはこのことかと思う。

******
 同じ学校へ毎朝向かう。一緒に行くわけではないが、部活の朝練のために、どうしても同じ時刻に出発することになる。

 表向き別居しているふりをしているが、校長先生には担任に決まった後に姉の婚約と同居の件を話したので、担任はこの人のままとなった。

 早朝、誰もいなかったので、少し離れて歩きながら聞いてみた。
「なんで一回会っただけで婚約したの?」
 姉は細かなことに気を配らないので、好きになったら結婚すればいいという考えだが、結婚というものは、もっと慎重であるべきだと思う。

「結婚しようと思って婚活していたわけだが――会ったその日にプロポーズされるとは思わなかったな」

「それはそうだね」
 同感だ。全くうちの姉は何を考えているのだろう。

「とりあえず、家族が欲しかったから、俺でいいなら結婚してほしいと思って」
 安易すぎる人生の選択。この人、大丈夫だろうか?

「お姉ちゃん、全然うちにいないけど好きなの? 結婚してもあんな感じだと思うよ」
「好き……なのかな」

 何? この疑問形。

「だってずっと不在だよ。海外だとか演奏会ばかりで」

「結婚してもずっとそんな生活だったら……まぁ寂しいかな」
 まぁ寂しい? 

「俺、両親早く亡くしていて家族に憧れるっていうか……お母さんもお父さんもいて。もう、俺たち家族じゃないか」

 何その考え。生い立ちに同情こそするけれど、こっちは血のつながらない兄(予定)がいることが迷惑なのに。

「私は迷惑なんですけど」
 本音を言ってみた。

「そうか。ごめんな」
 先生は少し寂しそうな顔をした。罪悪感に苛まれる。
 学校についた瞬間から先生と生徒だ。

******

 ボールが……目の前が真っ暗だ。
 私は部活中にぶつかった衝撃で倒れたらしい。足に衝撃が走る。痛い。目の前には色黒男がいる。色黒男はお姫様抱っこをして、保健室に私を運んだ。保健の先生は、あいにく不在だった。

「大丈夫か?」
「まぁね。あんた何やっているのよ」
「心配だから付き添っていたんだって」
「担任だし、顧問だから……ってお姫様だっこしていいと思っているの?」
「あのな、俺は純粋に心配してだな……あの場合、あれ以外運ぶ手段がないだろう」

 顔が近い。この人、よく見ると確かに芸能人風の顔立ちなのかもしれない。

「足が腫れている。多分足骨折しているぞ。病院でレントゲン撮ってもらったほうがいいな。顔にも打撲だな。少し腫れている。女の子が顔に傷つくると大変だから、気をつけろよ、妹」

「……はい」
 女の子って言われるとちょっとうれしい。妹っていうのもちょっとうれしい。男子にも男扱いされる女子としては、珍しく心がドキドキしている。
 
 病院に付き添ってもらう。

「骨折です。全治2か月。」

 診察室を出ると―――
「俺、精一杯サポートするから。足痛いし、ギブスつけているから、歩くの大変だろうけど」
 先生が私に連絡先を渡した。
「困ったことがあったら連絡しろ」
 一緒に住んでいるけど、連絡先は知らなかった。

 年上の頼れる味方がいることは、今の私にとってはとてもありがたいことで、心強かった。そのメモはまるでお守りのようだった。

 先生の肩を借りて、私はギブスのついた重い足を引きずった。足が腫れて痛いが、スポーツ選手に怪我は付き物だ。仕方がないが、試合に出ることなく引退となった。松葉づえは使い慣れていないし、移動がものすごく時間がかかる。先生はいつも以上に優しい。

 このままでいたいような、いたくないような複雑な気持ちになっていた。
 同じ家に住んでいるのに連絡先を聞いてから、自分の部屋で隣の部屋にいるあいつに、どうでもいいメッセージを送ってみることもあったし、すごくまじめに進路を相談することもあった。

 先生がいなかったら、気持ちが潰されていたかもしれない。 
 私の足が不自由になり、一番大変な時に、先生はいつも寄り添ってくれた。身体的にも、精神的にも心強い。

 この人と結婚した人はきっと老後も安心だと思えるくらい甲斐甲斐しく世話を焼く。赤の他人であるが、担任としての義務感なのだろうか。

『お姉ちゃんとはうまくいっている?』
 メッセージで聞いてみた。

『どうだろう……』
 あいまいな返事だった。

 この人ならば自由奔放な姉とうまくやっていけると思えた。
 真面目で浮気をしないであろう彼と結婚できる姉が羨ましくもあった。

******

 お姉ちゃんが帰宅した。束の間の滞在で、またいなくなる。
 お姉ちゃんは彼氏の前だと言っても、いつもと変わらない。

 二人が話しているのをあまり見ない。
 お姉ちゃんは、練習とか自分のことで忙しいし、放っておかれている先生のことが気の毒になった。デートもまだしていない、婚約者。

 お姉ちゃんが夜遅くにあいつの部屋に入っていったのを私は見てしまった。しかも、なかなか出てこない。もしかして一緒に寝るつもり? 深夜まで談笑?

 気になった私は、勉強を教えてほしいという口実を作って、思い切ってドアをノックした。 
 トントン。緊張する。

「どうした?」
 先生がいつもどおりに対応する。部屋にはお姉ちゃんがいた。

「ごめん、勉強でわからないことがあって、邪魔だったね」
「ううん、大丈夫よ。受験大変よね」
 お姉ちゃんは先生のベッドの上に座っていた。

「お姉ちゃん、この人のどこが好きなの? 1回会っただけでプロポーズするほどの男?」
 さりげなく先生をけなしてしまう私。

「二人ともデートもしていないし、数回会っただけで結婚して、本当にいいの?」
 核心を突いた。

「私はそれでもいいけど……彼は私に放っておかれて義理の親と同居して……不満なんじゃないかと話し合いに来たのよ。最近、この人私に対して冷たいのよね」

 ……そうなの?

「お互い相手を知る時間が足りな過ぎたから二人でじっくり話そうと思って。俺、ここでの生活に不満はないし楽しいと思っているけど、結婚することはもう少し時間をかけて決めたいと思っているんだ」

「勉強は明日でいいから、今晩は二人でじっくり話し合ったほうがいいかもね」
 私は二人の空気の重さに、退散することにした。

 足はまだ治っていない。
「大丈夫か?」
 先生が私の部屋まで肩をかしてくれた。
 いつものことだから、お互い歩く波長がぴったりだった。
 私が去った後、二人はどんな話をしたのだろう?


 




「放っておいて悪かったわね」
「愛羅《あいら》さんは音楽が恋人だからな」
「好きな人、できちゃった?」
「別に、仕事で忙しいからそんな暇ないって」
「私たち婚約したけど、付き合ってないわよね。デートも何もしていない」
「そうだな」
「私は明日、この家を出て仕事に行くの。あなたそれでも耐えられる?」
「俺は、君に対して恋愛感情を持っていないのだと思う」
「あら、すごい告白ね」
「だから、全然連絡がなくても気にならない。でも嫌いだというわけではなくて……」

 愛羅は真剣な顔をして宣告する。
「実は私、海外公演で好きな人ができたの」
「え……?」
「だから私も、あなたと連絡しなくても何も感じない。婚約は解消しましょう。でも、この家で同居、続けてもいいわよ」

「さすがにそういうわけには……」

「じゃあいい物件が見つかるまでは、しばらく妹の傍にいてちょうだい。あの子、ケガしているし、担任なのだから面倒見てあげなさいよ」
 腕組みしながら立ちはばかり、説教するかのように俺に命令した。

「もう少し、ここの家にいてもいいのか?」

「もちろん。私は、好きな人と同居する予定なのよね。当分この家に住むことはないと思うわ」

「もしかして気を遣って、嘘を言っているわけではないよな?」

「あなたたちが恋愛しようが詮索はしないわ」

 そう言うと、彼女は部屋を出て行った。
 愛羅さんに好きな人というのは、本当にできたのだろうか?
 俺が妹のことを気になっているという事実に気づいていた……?

 俺は新しい物件が見つかるまでこの家に居候することとなった。


 私たちは結局は同居しているままだ。姉は、そのあと新しい彼氏と同居を開始したらしい。

 教師と生徒という関係は3月で終わる。
 同居もなくなり、義兄ではないとなれば全くの赤の他人。
 4月のころの私ならば、喜ぶのは必至だっただろう。
 しかしながら、今の私は、先生が引っ越すということが悲しい事実となっていた。

 ある日の夕食の時、それは突然やってきた。
「実は、この近くにいい賃貸マンションを見つけたからそこに引っ越そうかと思っています」

 突然の提案に私たち家族は固まった。両親も息子がいないので、実の息子のようにかわいがっていた。

「気を遣わなくても、ここにいてもいいのよ」
 母が言った。

「でも、婚約も解消したことだし……申し訳なくて」
「お母さん、息子が欲しかったのよ。いっそ、あかりと婚約しない?」

 私はそれを聞いて、飲んでいたお茶を吹き出した。
 あまりにも気楽な考えの母の提案に、娘の私がびっくりした。

「このうちは居心地悪い? もし気を遣って言っているなら、せめてあかりが卒業するまでこの家にいてもいいのよ」
「ありがとうございます。もう少し考えてみます」


 先生は、読みかけの本を腹の上に置いたまま疲れてソファーで寝ていた。
 やっぱり、整った顔をしている。ふと、見ると赤いしおりがある。もしかして、占い師が売りつけたとか大量生産しているものではないのだろうか?

 そのしおりを見ると、私のデザインと対比されたデザインだった。二つ合わせると絵が完成する仕組みだ。運命の相手――まさか。私は疑心暗鬼になる。

 寝言をいいながら、急に私のことを抱き寄せる……。
「……あ……か……り……」
 寝言で、あかりって言ったよね?
 
「先生、私の夢、見ていたでしょ?」
 私の声で眠りから覚めた先生は、間近に迫った私の顔を見て驚く。

「いや……違うけど」
「あかりって名前、呼んでいたよ。さらに抱き寄せるなんてどういうつもり?」

 先生の顔が、耳まで真っ赤になって、土下座して謝られた。

「こーいうところが古くさいなぁ。じゃあ、ここのうちにずっといて」
 私は上から少し偉そうに命令した。

「でも、赤の他人の俺がそんな図々しいことできないだろ」
「あと数か月で私は卒業するよ。卒業したら付き合っても問題ないよね」
「俺でいいのか?」
「逆に私ではだめかな?」
「だめとか……そーいうわけではなく。……今は担任だから」
「好きなの? 私のこと。寝言で呼ぶくらい」

 先生の顔は更に真っ赤になっていた。先生はまっすぐ私の目を見て一番待っていた言葉を言ってくれた。
「卒業したらちゃんと付き合おう」
 手を差し出した。初めての握手だ。
 あと5分、こうしていたい、その手を少しでも長くつないでいたい。
 それは、心が通じた大切な瞬間だった。

「いつから私のこと好きだったの?」
「……忘れた」
 困った顔の先生はなかなかかわいい。

 私も先生も、この日、握った手を洗えないでいたことは、お互い知らない事実だった。赤いしおりのことは後日聞いてみよう。あれ以来、占い師のおばあさんを見かけることはなかった。何者だったのか今となってはわからない。

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