「僕は空に光を送り出す仕事をしているんだ」

 彼は得意げにそう言った。
 はるか遠い空のどこかで、飛行機の飛ぶ音が聴こえる。その音はすぐに風の音に攫われて、消えていってしまうのだけれど。

「ただ光にもいろいろな種類があってね。綺麗に光るものもあれば、光が弱かったり、色がくすんでいたり様々だ。僕はそんな光たちを綺麗に輝かせてから空に導くことを生きがいとしているんだが……」

 彼は眉間にしわを寄せて、うーんと唸る。
 次の言葉を探している彼の周りは、光を送り出す者には似つかわしくないほどの深い闇で囲まれている。
 まだ夏のはずなのに、私達の周りはとても寒く、暗く、寂しい。

「いや~、やはりどんな仕事も辛い瞬間もあってだな。綺麗な光を送り出せるように努力はしているが、最近になって光がくすんだまま空に行ってしまうことが増えてね~」

 これでも一応ベテランなんだけどな、なんて言いながら、彼はまた一つ空へと光を送り出す。
 淡く光の花が咲き、そして、散る。

「不思議なもんでね。光を見送る僕が一番その光の近くにいるのに、どうしてだが素直に綺麗だとは思えないんだよ。きっと、この光がどんなものなのかを知ってしまっているからかもしれないね」

 知らない方がいいこともある。それはこの世界の醜さに対しても、同じことが言える。ここもまた、知りたくなかったことが山ほどある世界だった。
 私は彼の手元に視線だけを向け、そして彼もまた目の前の光に、正確に言えば光になる前のそれに目を向ける。

「ほら、あの子らももうすぐで空に向かうんだよ」

 彼は子守唄を歌うような穏やかな声で笑う。

「……あの子たちを見送る時、いつも願うんだ。どうか美しく空で輝いてくれと」

 穏やかなその瞳は、時に辛そうな色を帯びる。

「最近の世の中は悲しいことが多い。自ら命を絶つ人も増えた。自ら命を絶った人を僕は責めることはできないし、そんなことはしない。それでも心の奥では思ってしまうんだよ。あと少し生きていたら、もしかしたら明るい未来があって、きっと自分らしく光り、生きれたのではないかってね」

 ひどいだろうと彼は呟く。
 私は思わず俯く。彼の真っ直ぐな言葉が私の心に深く刺さり、ドクドクと鼓動を速めた。
 彼の言う通りだ。結局、自ら死を選んだ人は、自ら死ぬことを選ばされた人は、後悔で溺れ、死んでもなお死にたくなる。綺麗ごとじゃない。自分から死ぬということは、本当に辛く、するべきではないのだから。

「だから僕は最後に見せたい。世界にも美しい部分があるんだよって。自らがうまく光れなくとも、心の奥深く、記憶としてなら美しいものを持っていけるかもしれない。一瞬だけでいいからね。ほら、この景色はなかなかのもんだろう?」

 彼は静かに立ち上がりググっと背伸びをする。
 遠く遠く、はるか遠い場所ではいくつもの建物の明かりが、まるで一つの絵になったかのように、たくさんの星が集まったかのように、美しい景色を広げていた。

「さて、お嬢ちゃん。そろそろ時間だ。もう、準備はできたかい?」

 彼は再びしゃがみ、私に目線を合わせる。
 彼が静かに差し出した手に、私も静かに頷き、自分の手を重ねた。

「もし、もしもだよ、お嬢ちゃん。次の人生でまた辛いことがあったら、この景色を思い出してごらん? 大丈夫。僕が少し魔法をかけて、この景色を君のこれからの旅路のお守りとなるようにしておこう」

 彼は深くかぶっていたフードを降ろし、そして背中から大きな、鋭く光るそれを取り出す。
 私はそれに怯え、しかし彼からずっと消えない悲しみと寂しさを感じて、もう一度深呼吸をする。

「僕らの仕事はとても残酷だ。君を死に追いやった人と同じ。僕らもまた、君たちを空に送り出す。もう一度君たちを殺しているようなものだ」

 私は必死に首を振った。違う。それは違う。
 彼に会えたことがきっと、私の人生で一番の幸せだ。
 そして彼と見たこの景色が、私の人生で一番の、たったひとつの想い出だ。
 私は彼の骨ばった手を握り返して、そしてほほ笑む。

「ありがとう」

 私は震える声でそう呟く。
 そんな私を彼は静かに、ふわりと抱きしめた。

「あなたに見送られたたくさんの光はきっと、幸せだ。私も、幸せだ」

 私を抱きしめる彼の腕が、細い骨が、少し震える。無いはずの優しき彼の体温が、私の強張った心をフッと緩めた。

「——私、生きたかった。もっと生きたかった。信じたかった。明日は大丈夫って何度も思って、何度も裏切られて。ねぇ、生きたい! 死にたくない! 生きたいよ!」

 あぁ、私はなんてわがままだ。死んでなお、生きたいだなんて。死んでもなお、後悔で涙を流すなんて。
 彼も、鋭く光るそれも怖くない。ただ死ぬこと、死んでしまったこと。その事実に対して否が応にも体が恐怖を叫ぶのだ。
 止まらない私の言葉を彼は遮らなかった。そして私の言葉が終わったとき、彼もまた最後の言葉を告げる。

「——さよなら、良い、旅を」

 彼は舞うように、大きな「それ」を私へと静かに振りかざす。
 他人から見たら無慈悲にも思える彼の言動は、私にとっては優しく温かな、最初で最後のはなむけ。
 鋭く光るそれに反射して、わずかに彼の姿が映った。
 少年が、いた。
しゃべり方に似つかわしくない、あどけない顔。わたしとそう年の変わらない、人間の姿の少年が。
 少年は泣いていた。静かに、絶え間なく涙を流していた。
 その反射はすぐに消え、目の前には、表情も感情も読み取れない、ただ白く無機質な彼の姿が見える。
 彼の持つそれは——大きな鎌は私の体に優しく触れ、私は光に包まれる。次の人生に、私は旅立つ。
 この世界に絶望して、生きることをやめてしまってもなお、私に後悔を思い出させ、また生きたいと思わせてくれた彼に、最大の感謝を送ろう。
 ひとつ、ふたつ。私の周りで、私と同じように光が浮かび上がっていく。
 彼は再びフードを目深にかぶり、私に、私達に背中を向けた。
 あぁ、きっと彼も——この少年も、同じだったのだ。きっと、自ら——。
 そんな彼は、私のような人をすくい、空に光として送り出すことを旅路に選んだ。
 彼はきっとこの光たちの幸せを願いながら、他の光に寄り添い、そしてまた涙を流すのだろう。
 そんな旅路は決して楽じゃない。むしろとても辛いもののはずだ。
 彼は生きることを誰よりも諦め、誰よりも生きたかった人。
 だから神様。どうか、どうか——。

「さよなら、死神さん」

 優しき彼の旅路に、多くの幸せと美しき灯火が、あらんことを。