好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


ふと、架くんが顔を覗き込んできた。はっと意識を現実に戻せば、学校の門は間近。架くんは心配そうな顔をしている。怪我? それなら昨日、致死量の怪我をしたみたいだ。黎によって綺麗に消されたけれど。

「ううん。ないけど?」

あの傷は、何と説明していいのかわからない。あまりにも大きな問題なので、あの死にかけた傷はなかったものにしよう。あるのは、生かしてくれた黎の証だけでいい。

「そう? ならいいんだけど」

そこで、架くんに取り巻く女子生徒たちが見えたので、私は先生に呼ばれているからと適当に理由をつけて一人足早に校門をくぐった。


+++


「桜城くん? 別に来なくてもいいけど」

「だからすきだよ、海雨(みう)」

放課後、私は病院にいた。私立でかなり大きな病院。入院している幼馴染に逢うためだ。

梨実海雨(なしみ みう)。私の幼稚園からの友達。

海雨は今、ドナーを待つ身。元々身体が弱く、高校に入学しても入退院を繰り返していた。薬治療をしているが、根本解決するなら器官を取り換えるしかない。

私はその、適合者だった。

医者を脅して調べさせた。医者は半泣きだった。私は強きだった。海雨のためならそのくらい何のそのだった。

窓の方を見るように、ベッドのふちに並んで腰かける。海雨は髪を左肩に寄せて緩い三つ編みにしていた。

「んー、イケメンなのはわかるけど、何であそこまで騒ぐんだろうね」

「優れた遺伝子どうのってんじゃないの? わかんないけど」

私は、海雨とはこういったところで気が合うからすきだった。騒ぐところが似ている分、騒がないところも似ている。

「でも真紅、桜城くんに変なことされてるわけじゃないんだよね?」

「変なこと?」

「言い寄られたりしてない? 口説かれたり」

「いや、あるわけないでしょ」

「そうかなー? 一応用心しなよ? 真紅、フリーなんだから」

「用心する理由もないと思うけどなー」

もうすきな人はいるし。


…………。あれ?

今サラリと思ったけど、あれは――やっぱり黎は、私の中で『すきな人』にカテゴリーされている? だって今、そう思っちゃったし。

……けれど黎は、違うと言った。

私のその感情――黎に抱いているもの――は、生存本能がそうさせるのだと。

……でも、誰かを『すきだ』って思ったの、初めてなんだよ。誰かを、恋愛対象として。

「真紅? どした?」

「………」

どうしよう……どうしようもなくやっぱりすきだ。暁なんかで消えてはくれなかったんだよ。

言われた通りじゃないと言い張りたい。本当に、すきなのだと。大すきなのだと。

一緒にいたいのは最期のときだけじゃなくて――

「真紅―? 大丈夫? どっか痛い?」

「……えっ?」

痛そうな顔をしているのは海雨だった。

私の顔を覗き込んでいる。

「……うん。怪我はしてないよ」

「……真紅?」

私のヘンにに落ち着いた表情と声に、海雨は不安げな声を出した。

「真紅……すきな人でも出来た?」

「……うえっ!?」

いきなり核心を衝かれて、それまでの平静が消えた。海雨は俄然ノリノリだ。

「ねえっ、そうだよねっ? 真紅恋してるよねっ? 誰? あたし知ってる人? もしかして桜城くん? だからあんなこと訊いてきたの?」

矢継ぎ早な質問に、顔が火照るのばかりを感じる。海雨の目は鋭い。

たった今気づいた自分の心は、もう親友に見透かされている。

「~~っ、わ、私飲物買ってくる!」

「あっ! 逃げるなー!」

逃げさせてくれー!

心の中で叫んで、海雨の病室を飛び出した。



「はー……」

時間を稼ぐためと、同じ階にいては海雨に見つかってしまうと思ったので、自販機で買うのではなく売店のある一階まで降りた。はー……困った。

海雨の分もお水買っていこ。

海雨は過度の糖度やカフェインの摂取が制限されているので、ミネラルウォーターを選ぶ。

自分も同じもの手にして、会計を済ませた。けど、海雨も普通の女子なんだよねぇ。

恋バナ大すきか。

でも、まさか黎のことは何と説明していいのだろうか。助けられた、だけなら言えるけど……。

海雨のことだから、いつ、どこでどんな状況で――と話を掘り下げてくるだろう。

そうしたら言える言葉がない。

もう逢えない人なのだと。

どこにいるかも知らない人なのだと。

「え」

思わず声を出してしまった。

すれ違った人がいた。

「れ」

背中しか見えない。でも、

追いかけた。

「………いな、い……?」

その先には誰もいない。

「ま……そだよね……」

こんな偶然で都合よく逢えるわけがない。

そんな物語の中を生きてはいない。

そこに大すきな人がいるなんて。

妄想が見せた幻だろう。

………。

どこにいるの?

淋しく、そう思う。


背中を張り付けた壁に、自分の脈動が移ってしまったようだ。

今目にした、愛しい子。

「何でここにいんだ……」

ここは紛れもなく病院。しかもかなりの病床数を誇る大病院だ。

「まさか……傷、治らなかったとか……」

いや、あの折の傷は完治させたし、今も調子が悪そうなところはなかった。

「にしても」

何で。

逢わないと決めた子に、逢ってしまうのだろう。

そこにいたのは間違いなく真紅だった。

昨日、気紛れに見つけて本心から助けた子。

真紅に似た長い黒髪を見ただけで心臓が跳ねた。まさか本人ではないだろうと思って、でも真紅だったら……そんなことを思い、書類に顔を伏せ気味に廊下の端を通り抜けた。

真紅は何やら売店の袋を下げて、憂い気な顔をしていた。

……もしかして自分を?

そんなことを思ってしまった。

あの憂いの理由が自分だったら?

もう逢えないものと思っているから? ――いや、だからそんなことを。

考えるな。

考えては駄目だ。

あの子とは一緒にいてはいけない。

恋しいなら、愛しいなら。

だからあの子に逢うことは出来ない。

愛したら殺してしまいかねない自分の血。

もう、感情についた名前は知っている。だから、ここで止まれ。


「……はー」

息を吐いた。

この吐息に混じって今、胸にうずまく気持ちも流れ出てしまえばいいのに。

こんなにも自分に恋が似合わないと思わなかった。

何で自分は人間じゃないのか、とか、考えればいいのかもしれない。

でもそんな益体(やくたい)もないことを考えても時間潰しにもならない。

真紅。

たった二つのその音ですら、こんなに愛しい。

それが姿を伴って目の前に現れたら。

狂おしいほど愛してしまいたい。

……つったって、ここサボったらじじいがうっせーしな。

俺がここを離れることはできない。だから真紅は今日たまたま、病院にいただけであってくれ。





「黎、何してんの」

呆れた声をかけられ、意識は覚醒した。

「え、……ああ」

そこは院長秘書室の一角。

俺を《監視している》人物の息子がこの病院の院長を務めていて、俺は更に家にいる以外の時間も目のつくところに――ということで、病院で働かされていた。

大学に通い、時間が空けば病院にいる。

仕事は院長の補佐、そして心療医見習い。

血に触れることは赦されないので、けれど耐性をつけろとか意味のわからない理論を持ち出され、心療医を目指す身になっていた。

俺自身、望んだ自分がなかったから将来をどう決められようと構わない。

――はずだった。昨日までは。

「仕事遅いと怒鳴られるよ」

傍らに立つ長身の人物は、俺が「じじい」と呼ぶ人の孫。小埜澪(おの みお)。怜悧な声で言い置き離れようとしたが――

「……黎?」


ぼけーっとしている俺を不審に思ってか、振り返った。

「黎」

返事をしないでいると、また澪に名を呼ばれた。

「なんだよ?」

無視してるとうるさいので、眼鏡を押し上げ応じた。今は、瞳の色は銀ではない。

さっきまでぼけーっと書類に視線を落としていたけど、澪に呼ばれて意識ははっきりしている。

「ねえ黎。何かあった?」

……ありまくったよ。

「なんも」

素っ気なく返したけど、小さい頃から一緒に育った澪に隠し事、は意味のないことだった。

「……明後日で、いいんだよね?」

それは、じじいの決めた俺の食事の日。毎日ではなく、数日置いて与えられている。

たまに間隔を空けたり狭めたりして、じじいは俺を観察している。

「あー」と曖昧に肯いておいた。澪は顔を渋くする。

……何かしら、悟られたかもしれない。


一人の家。それが当たり前だったのに。

……淋しさを、初めて感じていた。

ママと仲が悪いわけではない。

料理があまり得意ではない私を心配して、ママは毎日ごはんを作ってきてくれる。入院施設のある個人医院で看護師をしているから時間はまちまちだけど。昨日は朝に来てくれていた。

その間だけはアパートに母子(おやこ)が揃って、一時の笑顔が飾られる。

だから、それ以外の時間が独りだというだけで、別段問題があることはなかった。

ママが早く来た日は、海雨にところへ行って帰りが遅くなっても怒られることもない。

海雨以外に深い付き合いの友達はいないから、友達のとこへお泊りー、なんてことにもならない。

私は大勢で群れるより、気の合うたった一人といる方が楽で、すきだった。

だから、今まで生きて来て淋しいなんて感情を知らなかった。

黎がいない朝に、初めて襲ってきた孤独。

淋しい。

独りは嫌だと、大声をあげて泣きたくなった。

その声は、たった一人のすきな人に届けばいい。

届かないと知っているから、私は声をあげて泣くことはしなかった。

ただ、ひっそり泣いた。

引き結んだ唇。

とめどなく頬を流れるだけの涙。

そういう泣き方をした。

淋しさをこらえた泣き方。

……ねえ、まだすきなんだよ……。

暁になれば消える、なんて……嘘じゃない。

全然、すきじゃなくならない。

すきだよ。

もっともっと……たった一日で、こんなにすきなれるのかってくらいに……。

逢いたいよ。


……どっちの差し金だ?

病院を出て、胡乱に思った。

澪とその父は小埜の血統であるが、相応の力はない。

このままだと、澪の祖父で現当主である、小埜古人(おの ふるひと)で小埜家の家業は途絶える。

小埜家は、陰陽道の大家、影小路(かげのこうじ)の流れを組む陰陽師一族だ。

だが、その滅びも抗えない時の流れか。

――恐らくはその使役が、俺を尾行(つけ)てきている。

真紅の血を吸ったことがバレたか?

いや、それならあのじじいなら正面切って殴りこんでくるだろう。変に思われた程度か。

……外の空気がすきだ。

閉じ込められていた時間が幼さの大半であるからか、ただ固定された空間の中にいない時間がすきだ。

夜の散歩で――

昨日は更に食事の日だったので、飲まされた不味い血の残り香を振り切るように月夜を歩いていた。

どこでもないところへ行きたいと。

――ああそうだ。

一度は母の育った家を見てみたい、とか、そんな益体もないことを考えながら。

そんなことで時間を潰していたら、香って来た。

たぶん、人生で初めて自分から探したもの。

月の香りの、少女。

……あの夜は、はっきり言って不可解だ。

真紅は実際、死にかけていた。真紅は深く考えていないようだったが――前後の状況が異常だ。

真紅は襲われた瞬間のことは憶えていないのか、見ず知らずの俺に対しても、恐怖していなかった。

警戒はされていたが、それは俺のアホな言動の所為かと思う。自分、吸血鬼とか普通に聞いたらまともではないことを初っ端から名乗っているし。

人間の世界で考えれば、通り魔だが……。


そうではないだろう。

でもあれ――俺が見たところ――真紅を殺しかけていた傷が問題だった。

普通の刃物ではない。

人間によるものではない。

傷にまとわりついていた妖気(ようき)がそれを教えた。

ならば俺たちと同じ、妖異怪異の類(たぐい)か。

……いや、それともどこか違う。完全な妖気ではなく、若干人間の持つ霊力の波動も感じていた。人間と妖異が混じった存在? そんなのは数多(あまた)といる。

人間を傷つけるだけの妖異怪異は存在しない。

それ相応の理由があって、人間を害する。

それ相応の理由がないと、妖異怪異は人間に危害を加える発想がない。

この世の理(ことわり)のようなものだ。

前提、人間に認知され、存在するのが妖異怪異であるから。

……もうあんな目に遭わなきゃいいけど。

真紅を傷つけたもの、調べよう。

最期の時に手を握っていると約束した。

だからその時は出来るだけ――未来(さき)の方がいい。

真紅の子供とか、見てみたい。

絶対、可愛い。

……俺、相当変か?

自分との間の子でなくても、真紅の子であるというだけで絶対可愛がれる自信がある。

……まあ、遠くから見守ることは出来ても、傍にいくことはないんだけど。

真紅に似た子供だったらいいなー、と、にやける顔を見られていたことには気づかなかった。