好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


「本家にいる、母上です」

「――、って、紅緒さん?」

まさか、本家に勝手に繋いでいるの? そんなことしていいんだろうか……。

「ああ。母上は本家の最奥に置かれている。影小路の本家は天龍(てんりょう)って山ん中にあってな。一応影小路家の拠点にはなってるんだけど、現当主も居つくことはなく、東京にある別邸にいる。さすがに山ん中じゃ利便さはないんだ」

「……ずっと、眠ってらっしゃるんだっけ?」

「母上の御身体は厳重に庇護(ひご)されている。母上が眠られた理由を知るのは、本家筋の人間と十二家当主とその周辺だけだ」

「じゅうにけ? って?」

私の問いかけに、黒藤さんは肯いた。

「影小路は小路流の宗家(そうけ)だが、長い歴史の中で多くの分家が出来た。本家を含めて十二の家が有力な幹部格の家としてある。小路十二家と呼べば、つまりは小路流の中心核ってことだ」

「じゃあ……その人たちは私のことも知ってるんだ?」

「ああ。十二家の一つに小埜という家がある。知っているか?」

「おの? ……って、黎が最初に言った名前……」

黎は初めて出逢ったとき、『小埜黎』と名乗っていた。

「小埜家は小路十二家であり、その縁で桜城家より黎を預かっている家だ。まあ、現当主の古人翁で小埜家は絶えるだろう。子どもも孫も、陰陽師となれるほど霊力がなくてな。あとはほかの十二家より養子と取るしかないんだが……他にもあまり余裕はない。真紅の存在が公にされていない現状、本家筋のガキも俺一人だ」


「………」

黒藤さん一人ということは、ママの存在はどう認識されているんだろう……。

「……ママ――お母さんが、影小路姓に戻ることはないの?」

「紅亜様が復帰されるということか?」

つと、黒藤さんはママに視線を遣った。

「……恐らくは、ないな。出来ていたら、母上が当主であった間にやっている」

「それはどうかしら」

黒藤さんの言葉に、ママは首を傾げた。

「どういう意味です?」

黒藤さんが問い返すと、ママは難しい顔で答えた。

「黒ちゃんがどの程度知ってるかはわからないけど、紅緒は誰より影小路が嫌いな子だったわ。何度も家出して、私のところへ来ていた。けれど、正統後継者という地位からは逃れられないで、当主に就いた。……無涯を連れて行ったのは、影小路への意趣返しでもあったと思うわ」

「……姉君様から見てもそういう母でしたか……」

黒藤さんは糸目になってむずむずするような顔をしている。

私の生まれに合わせて眠ったと言うのなら、黒藤さんがお母さんと過ごせたのはほんの一年ほどだ。

「影小路が嫌いって……後継にならないっていう選択肢はなかったの?」

私が疑問を口にすれば、黒藤さんは表情を変えないで答えた。

「あったには、あった。だが、母上は無涯を連れて来て、なおかつ家にいさせたいがために取引条件を出して当主になったと聞く」

また出た。『むがい』。ママは知っているようだけど、私は知らない名だ。

「……何回かその、むがいって名前を聞いたけど……」

「俺の父の名だ。今はいない。母上はよく、永遠(とわ)の恋人だと言っていた」

「………」

永遠の恋人。

「……映ったな。真紅、見えるか?」

黒藤さんに問われて、沈みかけていた意識がはっとする。

黒藤さんが示した水鏡を、黒藤さんとは反対側から覗き込む。

そこには、ママと同じ顔の女性が――祭壇? のようなところに横たわっていた。この人が……

「紅緒様……」

ふと口をついたのはそんな呼び方だった。

今まで誰かを『様』扱いなんてしたことないし、そういう家風とは縁遠かったのに、この女性はそう呼ぶ対象な気がした。


「紅亜様とよく似ていらっしゃるだろう。だが、性格は真反対というべきか。紅亜様のように穏やかな気性ではなく、荒々しく物々しい母だ」

「も、物々しいの?」

それって性格に対する評価でいいの?

「ああ。短気だ」

今度は一言で片づけられた。

どんな人なのだろう。ママと同じ顔の、双児の妹さん――

「逢ってみたい」

「うん?」

「私、紅緒様に逢ってみたい」

私の言葉に、黒藤さんは片眉をあげた。


「――――っ⁉」

血が、逆流する。

いきなり襲って来た感覚に、胸元を摑んで膝を折ってしまった。

場所が院長秘書室だったのは幸いか。病棟でこんなことになっていたら……。

今は誰もいない。院長である澪の父も、澪も、院長秘書も。土曜日の昼の少し前の時間、一人で雑務をしていた。

な、んだ? これは……。

血が焼かれているようだ。思わず咳込んでしまう。

手で口を押さえようとして、はっとした。

――……血?

口を押さえた手が、まだらに紅く染まっている。

咳込みは続く。手では押さえきれなくなって、一際大きく咳込んだとき、床にまで飛び散るほどの血がこぼれた。

血が焼かれていく。もしかして今、真紅の血が覚醒されたのだろうか。

「……は……」

思わず苦笑がもれる。

短い時間でさえ、あの子の傍は許されなかったのか。

桜城の家とは縁切りして、退鬼されるまでの少しの時間でも傍にいられたらと願った。真紅に出逢えたことだけでも幸福だと思って、死ぬことに諦めるつもりだった。

だが、そうするなと本人が厳しく言って来た。


真紅の言葉を願いと受け取って、真紅がかけてきた将来の言葉を約束にしたくて、血に抗おうと思っていた矢先にこのこと。

俺がこのまま果てれば、真紅は自分を責めてしまうだろう。

そんなこと、全然ないんだ。ただ、自分が勝手に、真紅に生きてほしいと思ったから。

いずれはこうなることは覚悟していた。でも、少しでも真紅と一緒にいたくて、いえをすてた。あんな偶発的なであいではなく、自分のいしで、また逢いたかった。だからもう少し、だけ……ここ、に、

こんなに、早いんなら、もっと……たくさん、逢いに―――……。

意識は、最後まで言葉を繰れずに闇に落ちた。


「……母上……?」

ふと、黒藤さんの声が揺れた。

「黒ちゃん? どうしたの?」

ママが呼びかける。

水鏡を見つめる黒藤さんは、だんだん目を見開いてゆく。ママには水鏡は視えない。私は、黒藤さんが何に驚いているのかと、もう一度水鏡を覗き込んだ。

そこに映るのはさっきまでと変わらず、ママと同じ顔をした女性――え? 今……

「くろとさん……紅緒様が……」

「………」

黒藤さんは私には答えず、拳を握って水鏡を消した。水滴は床に落ちることなく空中で霧散した。

「真紅、紅亜様、病院に行く」

「病院?」

「黒ちゃん? 紅緒がどうかしたの?」

黒藤さんは先に歩き出してしまう。私たちは戸惑って顔を見合わせたあと、すぐに追うことにした。

「今、水鏡の向こうで母上が目を覚まそうとしている」

玄関まで来ると、黒藤さんがいきなりそう言った。

「目を覚ますって……それは明日じゃないの?」

戸惑いを隠せないママに、黒藤さんは肯いた。

「母上の算段では、そうでした。ですが、それを決断された当時の母上は、無涯を失い傷心でもあられた。どこかに隙があったのかもしれない。……母上の予定とは、時間がずれたようです」


「では――真紅ちゃんはどうなるの? 紅緒が目覚めたら……」

「母上の目覚めとともに真紅の力への封じは解かれるという術です。真紅の力は一気に戻るでしょう。封じられていたものに桜木の血があれば効力も目覚め、その反動は黎のところへ行く。退鬼の力が黎の身を駆ける。紅亜様は申し訳ありませんが、見鬼でない者を涙雨の力で送ることは出来ない。真紅と先に病院へ行っておりますので、縁とともにいらしてください。――涙雨」

黒藤さんが式の名を呼ぶと、玄関先に人よりも大きな、それこそ鳳凰のような金色の鳥が現れた。

「――るうちゃん?」

私はただ、その姿に驚きの目を見開く。

『若君、お嬢。涙雨はばっちしおうけいじゃ。涙雨の翼に寄れ。一息にびょういんまでゆくぞ』

そう、るうちゃんの声が聞こえて、鳥は翼を広げた。黒藤さんが金色の鳥の羽に手を載せる。

「涙雨は時空を駆ける妖異だ。一秒後には病院にいる」





るうちゃんの翼に掴まって、その周りを突風が巻いたかと思うと、すぐに『お嬢よ』とるうちゃんの声がした。

風の勢いで瞑った目を開ければ、そこはいつか、黎と話した病院の中庭だった。

「ほんとに来ちゃっ……」

――ドクンッ

自分の呟きが終わる前に、心臓が一際大きく脈打った。思わず胸の辺りを押さえる。同時に、真昼を告げるまちの放送の鐘が鳴った。

――正午。私が生まれた、ちょうど一日前だ。

「――――!?」

全身をつんざくように襲って来たあまりの痛みに、今度は両手で頭を押さえた。

頭の中を風が駆け抜ける。何かが思い起こされていく。記憶、断片、集まって『真紅』になっていく。

――桜木真紅は、ここにいる。


『紅(くれない)のちい姫』

見えてくる映像の端々に映る、月の色をした女性の口がそう囁いた。

そして一番大きく、ママと同じ顔をした、けれど別の人が私に向けて手を差し伸べる映像が見えた。

――私は、その手を取った。

「桜木真紅っ?」

現実から聞こえた声に呼び戻されるように、私の意識は一気にクリアになった。

痛みは引いている。見えるのは黒藤さんと――知らない青年だった。中性的な容姿だけど、白ちゃんのときにもわかったように、彼は男性だとわかる。

「澪」

黒藤さんがその名を呼ぶと、青年は萎縮したように顔を強張らせた。けど、すぐに私を見て来た。そして大きく舌打ちをした。

「若君! これは一体どういうことですか!」

「黎に異変か」

「血を吐いて倒れました。その血は、蒸発するように消えました」

血が、蒸発……? 今、黎が倒れたって――? 背筋が冷えあがる。そんな―――

「真紅、行くぞ」

意識がはっきりしてなお、知らないはずの映像が頭の中を流れた浮遊感の残る私の腕を引いたのは、白い陰陽師だった。

「はくちゃ……」

「白。情勢は」

「ここに来るまでに頭(かしら)を捕らえて来た。やはり真紅を狙ったのは烏天狗だ」

いつの間に来たのか、白ちゃんと黒藤さんが話している。

白ちゃんに手を引かれてあげた視界には、白ちゃんの式の天音さん、無炎さん、そして金色の大鳥のままのるうちゃんと、紫色の髪をした青年――黒藤さんと無炎さんによく似た造形だから、この人が『無月』さんだろう――がいた。

天音さんは身の丈より長い大きな鎌を、無炎は日本刀を手にしている。――何かと戦闘があったのが見てとれる。


「真紅、危急の事態、気分が回復しないのはすまないが、行くぞ」

「うん……」

黎に、何かあったんだ。切羽詰った様子は、この場にいる全員からわかる。

「天音、無炎、残党がいるかもしれん。総て捕らえておいてくれ」

「承知した」

「承りましたわ」

「無月は無炎たちと一緒に。涙雨、お前は縁のところへ。紅亜様をお護りしてお連れしろ」

「ああ」

『あいわかった』

白ちゃんと黒藤さんは、それぞれ式に命を出した。

「白ちゃん……何があったの?」

白ちゃんは、まだふらつきの残る私の手を引いて走る。先導するのは『みお』と呼ばれた青年。非常階段を駆け上がる。

「真紅を狙う一番の危難は退治てきた。しばらくは妖異に狙われる心配はしなくていい」

それが、先ほど話していた烏天狗という妖異のことだろうか。

「だが、黎明のは状況ははっきりしない。とにかく、行くしかない」

「若君、御門の主、こちらです!」

みおさんは非常階段から棟内へ繋がる扉を開けた。そして一番近くにあった部屋へ導く。

「父さん、若君たちが」

「ああ」

部屋の中にいたのは壮年の白衣の男性。その傍にはソファがあって、黎が横たわっていた。

「黎!」

白ちゃんの手を離れて駆けよった私は、勢いのまま膝をついてその頬へ手を当てた。冷た――くはない。むしろ、緩やだが鼓動が伝わってくる。

「黎! 黎! ごめん、なさい……っ」

まだ命が続いていると言っても、血を吐いて倒れたんだ。そして同時間に私に起きたこと。無関係なはずはない。

「ごめんなさい……黎……!」

視界が涙で揺らぐ。

指が、黎の口元に残った血に触れた。その瞬間、血は弾けるように消えた。そして――

「っ……まこ………?」

大すきな、声が自分の名前を呼んだ。