好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


「……いい加減『たいおん』って呼ばないと、また怒り散らすんじゃないか?」

「あいつの言い分を一方的に聞くのは嫌だ」

子どものようにそっぽを向いた。黒はまたため息をつく。

たいいん、たいおん――太陰。月の化身。

「海雨も死なせらんねえが、黎も死なせらんねえな」

黒は話を戻した。黙然と肯く。

「黎の方にはさっき、無月を遣(や)った。無月は黎に逢ったことがあるから、異常があれば知らせてくる。海雨の方は……」

黒が言いよどむと、俺は視線を黒藤に戻した。

「真紅が自分から言い出したんだが、浄化を真紅がやるのも手じゃないか?」

「……それは、出来るようになるまで時間がかかるだろう」

真紅は生来の力は強いだろうが、それを扱うことは一切経験していない。それが出来なくてはただの『霊感の強い人』だ。

「海雨の方が、時間がかかるのは承知してもらうしかない。十年以上の瘴気なんだ、俺らでもすぐにとはいかない。……それに、本体を退治たのは真紅の霊力だ。同じ者が解きにかかった方が、海雨への反動は少ないはず」

「そりゃそうだけど……」

「真紅は、お前のとこに行くよ」

「……俺が

「小路流に入るっつー意味だぞ? 舌を噛む準備はいいか?」

「先読みし過ぎだろ! 拳握るな!」

黒が言いそうなことは大体察しがつくので、俺は言わせないだけだ。今だってどうせ、嫁どうの宣う気だったろう。


「紅緒様は、真紅を術師として育てるおつもりなんだろう? なら、真紅は誕生日を迎えても死なないってことだ」

俺の楽観的な言葉に、黒は否(いな)を唱えた。

「それは母上の希望的観測に過ぎない。……真紅の力を封じることは、無涯が亡いなって大分弱っておられたときの決断でもある」

「………」

苦い顔をする黒を、横目に見た。永遠の恋人を失くした紅緒様。家のことが嫌いな、小路流の先代当主。

「お前の」

俺の落ち着いた声に、黒が顔をあげた。

「お前の母君は、お強い方だ。小路を護り、鬼神(きしん)を婿とされたほどに、な」

「………」

黒は表情を変えない。それは、俺以外が口にすれば簡単に暴発する、黒の地雷だ。

――黒の父もまた、人間(ひと)ではない。

「……百合姫は、変わりないか?」

俺のもと――月御門で預かっている物忌(ものいみ)の少女。黒はあからさまに話題を逸らした。

「百合姫は問題ない。……今のところ、だが」

「……俺が逢いに行っても百合姫には嫌われるだけで、あちらの気分転換にもならないだろう。……白にばかり百合姫のことは任せきりにしてすまない」

「じい様が請(う)けた案件だ。大事ない」

百合姫の件は、俺が先代の祖父から受け継いだ仕事だ。

百合姫は物忌(ものいみ)――百合姫の場合は、生まれついて憑き物があるということ――であるために、生家である水旧(みなもと)家より、旧縁の月御門家に預けられている。

――百合姫の憑き物は、祓ってはいけない類のもの。

そして百合姫は、黒との仲が険悪だ。

俺にとっては、生まれた時より傍にいる妹のような親友。

百合姫も俺が女だと知る数少ない一人なのだが、その俺を、嫁にする! と堂々と宣言する黒に対しては反感しかないようだ。

三人集まれば自分だけが護られる対象であるのも嫌らしい。

「ん?」

ふと、耳に言霊が届いた。

式に下していなくても、《契約》した妖異や、神や鬼の類と声の送り合いが出来る。

妖力が高いものではないとその声は人語にはならないが、俺はそうではないものの声も聞くことが出来た。

それは母様ゆずりらしい。


――今の声は、黒の式のものだった。だから俺に向けられたものだが、波動で黒にもわかっているだろう。

「戻る」

言い置き、家に向けて歩き出した。

黒は現在、影小路の所有する庵(いおり)にいる。

月御門の本家は京都に構えているが、影小路は天龍(てんりょう)という山の中に本邸がある。

本家に次ぐ高位に『小路十二家』というほど、格の高い分家が十二もある流派なので、影小路所有の家は各地にある。

黒がいるのは、その中の一つだ。

「白――」

「うちに来たら」

顔だけで黒を振り返る。

「天音がいるからな」

「……今度こそ首を掻っ切られる気しかしない……」

俺の忠告に、黒は顔色を悪くさせた。

天音は俺の式として、護衛のために百合姫の傍にいることが多い。

今は無炎が隠形して俺の傍にいるので天音が今のやり取りを知ることはないが、カンペキに俺に下心のある黒は最重要警戒対象なのだろう。

天音は、母の頃より仕えている。

月御門に、ではなく、俺の母・白桃個人に。

だが天音が母様の式であったことはなく、使役に下ったのは俺が初めてだった。

天音という名も母様が与えたもので、かつての通り名は『鬼神の天女(きしんのてんにょ)』という。

「お前も夜警終わったら、大人しく帰って少しは寝て置け。いくら睡眠時間少なくていいって言ったって、身体は人間だ。無理は積もるぞ」

「おー。白はこのまま帰邸(きてい)?」

「客人だ」

すげなく返して、そのまま家に向かった。

涙雨が寄越した伝令。どうやらこれから来客がありそうだ。


隣でママが寝ている。私の方を向いて、絶対に寝返りを打っていないのだ。

ある種の根性を感じる。

私はなかなか寝付けないでいて、コロコロしていた。

そのうちうつ伏せになって頬杖をつきながら、枕元のカゴで丸くなっているるうちゃんを見遣った。

ママが、この部屋で唯一の娯楽だったような観葉植物を入れていたカゴを空けてくれたものだ。タオルを敷いた即席のお部屋に、紫色の小鳥は収まっている。

ママを気遣ってか、白ちゃんと別れてからるうちゃんは一言も喋っていない。

……ねえ、るうちゃん。

頭の中で話しかける。ママを起こすのは忍びないし、声にしていいかもわからない。架くんに忠告されたばかりだ。

……私さ、黎がすきなんだ。るうちゃんは、黎のこと知ってるかな?

紫色の小鳥はぴくりともしない。寝入っているのだろうか。

……でもね、私は、黎にとって毒なんだって。

毒は殺人の方法の一つだ。近代ではそうでもないが、古来、腕力で劣る女性による殺害の道具であったらしい。

毒に魅入られた歴史上の人物なんて、危ない人しかいない。

……私も、自分の血が嫌い。

すきな人を殺してしまいかねない血で生きているなんて。

……けど私、この血でなかったら、黎に逢えてたのかな……?

そこを天秤にかける意味はない。少しでもこの血を正当化したいだけだ。じゃないと、自分でこの血を、狩り尽くしてしまいたい気持ちになる。

『真紅嬢よ』


ふと、るうちゃんの声がした。考えに浸って視界がぼんやりしている間にるうちゃんは起きていた。

『白(しろ)の姫君のところへ、ゆかれるか?』

「る―――」

声に出しかけて、はっとつぐんだ。るうちゃんの声は私にしか聞こえないから、ママを起こしてしまうかもしれない。

るうちゃんは翼の先で、とんとんと自分の頭を叩いた。もしかして……

……るうちゃん、聞こえてるの?

さっきまでと同じように頭の中で話しかけた。

『真紅嬢が最初に涙雨に呼びかけてから考え始めたからな。申し訳ないが距離も近いゆえ届いてしまうのだ。考えていることが筒抜けなわけではないから安心されよ。それでだが、白の姫君のところへゆかれるか? 涙雨が案内(あない)するぞ』

………。

もしかして。

……るうちゃん、さっき白ちゃんのことそう呼ぼうとして怒られたの?

『………』

るうちゃんから返事はなかった。かわりにがっくりうなだれた。

……大丈夫?

『……涙雨は、黒の若君の式の中で新参者ゆえ、幼き頃のお二人を知らなんだ。白の姫君のことも、若君からの話しか聞いていなかったゆえ、おなごじゃと思っておった。しかし逢ってみたらあの様でのぉ。黒の若君との話の中ではずっと『白の姫君』と呼んでおったゆえ、なかなか癖が抜けなんだ』

……大変そうだね。


『大変じゃが、黒の若君を主とさだめたのは涙雨じゃ。白の姫君に関しては残念な主様じゃが、陰陽師としては強者に違いない。涙雨は、黒の若君の御為(おんため)に生きると決めたゆえ』

………。

誰かの為に、生きる。

……こんな時間に訪ねても迷惑じゃない?

『白の姫君にこれから向かう旨、伝えることも出来る。真紅嬢さえゆく気になれば、白の姫君は待っておられよう。……我が主様が好いたのは、そういう御方じゃ』

……るうちゃんのご主人は黒藤さんなんでしょ? そっちに行くって思わなかったの?

『先刻、ことの概要を白の姫君に話したのは真紅嬢じゃろうて。黒の若君より話しやすかったのではないか?』

………。

話しやすかったと言うか、白ちゃんなら聞いてくれると感じた。初対面の人に勝手に持った印象だけれど、間違いではなかったと思う。

「……行っても、いいかな?」

『よいじゃろう。御母堂(ごぼどう)が目覚められる前に帰ってこような』


+++


「………」

……ここ、東京……? この門の中、全部樹海だったらどうしよう……。

るうちゃんに先導されて訪れた月御門別邸とやらは、広すぎた。ずっと同じ木の壁が続いているなあなんて思っていたら、月御門別邸を囲む塀だったらしい。やっと門までやってきたのだけど、見えるのは樹ばかり。

『真紅嬢? どうされた』

「えと……白ちゃん、ここに住んでるの?」

『白のひ――若君だけではないぞ? 御門の人間も何人かおる。無炎殿や天音殿も一緒じゃ』


あまね、に、むえん?

「……だれ?」

「白桜が式の二基(にき)だ」

いきなり聞こえた男性の声に、思いっきり肩を跳ねさせた。

「!?」

誰っ? まさかつけられて――

振り返った視線の先に、急に青年が現れた。今まで誰もいなかった場所に、突如現れたように見えた。

私が大きく目を見開と、青年は軽く手をあげた。

「よう。お初にお目にかかる。……そう怯えないでくれ、真紅嬢。白桜が式で、無炎という」

「――黒藤さん、じゃないの?」

いきなり現れた青年は着物姿で、髪の色と少し背丈が違うけど、その面立ちは黒藤さんとうり二つだった。

『真紅嬢よ。そちらは白のひ――若君の式のお一人じゃ。面差しは黒の若君と同じじゃが、無炎殿は妖異、人ではない。無炎殿は、真紅嬢があぱーとを出られてから、ずっと護衛しておってくれたのじゃ』

「……護衛?」

白ちゃんの式で、妖異。……全然気づかなかった。

無炎――という名の青年は、くすりと笑った。

黒藤さんと双児かと思うほど似ている顔だち。髪はにごった紅で、黒藤さんより心持長めに見える。着物に袴といういで立ちで、装飾品の類はない。

「涙雨が、白桜に先触れをくれたからな。だが、いくら涙雨がいようと請負側としても、女性を夜道に歩かせるのは駄目だということで俺が遣わされた。居住から姿を見せては説明が面倒だから、ここまで隠形していた」

すまんな、紅い髪の、黒藤さんとそっくりな無炎さんは手を振った。

「え、と……ご存知かと思いますが、桜木真紅です」

「ああ。中へ入れ。天音が待ちくたびれている」

大きな木の門が開いた。私のいる外側からは誰も手を触れていない。

ゆっくりと動くそれを見つめていると、向こうに頭(こうべ)を垂れた――女性がいた。

「ようこそいらせられました。真紅お嬢様」

そう言ってから顔をあげたのは、天女もかくやというほど麗しい女性だった。


煌めくような銀色の髪は一度結い上げられてから背中を流れ、足元まで伸びている。纏っているのは着物だけど、重そうには見えない。腕にはそれこそ天女の羽衣のような領巾(ひれ)が巻かれていて、その面差しは優し気な透明感がある。瞳の色も、髪と同じ銀色だ。

……黎と似ている。

その瞳の色と、黎の瞳の色。そして、黒藤さんの髪に混ざった銀。

「白桜様がお待ちでいらっしゃいますわ。真紅お嬢様、涙雨殿」

「あっ、は、はいっ。……えーと……?」

いきなりお嬢様なんて言われて面喰ってしまったいた。

「わたくしは天音と申します。白桜様がお生まれになった頃よりの配下(はいか)ですわ」

さ、中へ、と天音さんは導くように身を翻した。

肩口のるうちゃんを見た。るうちゃんが肯いたのを見て、天音さんのあとに続いた。





「白桜様。真紅お嬢様がいらっしゃいました」

「ああ、ありがとう。天音、お前は百合姫の方へ」

「御意(ぎょい)にございますわ」

天音さんが庭を歩いて案内してくれたのは、池のある庭に面した部屋だった。とりあえず、やっぱりこの敷地も家も広かった。縁側から入っていいのかと迷っていると、着流し姿の白ちゃんが縁に腰をおろした。

「家の中へ通せなくてすまない。家の者には真紅のことは言ってないものでな」

「いえ――私こそこんな時間に、ごめんなさい……」

謝ると、白ちゃんはふっと笑みを見せた。

「構わない。真紅は大事な依頼人だ。それで――涙雨がここへ連れてくるとは、どうした?」

『真紅嬢は迷っておいでなのだ』

肩口のるうちゃんが、私より先に口を開いた。


「………」

『白のひ――若君なら察しておられよう。お嬢はご自分の血に迷っておられる』

「………」

るうちゃんの言い分に、私は反論も、しかし付け足しも出来なかった。

「……真紅」

白ちゃんは、自分の隣へ私を呼んだ。座るよう促され、そっと腰をかけた。

庭には、無炎さんだけがいる。

「……私、……」

「うん」

「影小路へ、入るつもりだった」

「うん」

「……白ちゃんに、問われるまでは、それが私に出来ることなら、て……」

「ああ」

けど、

「……こわく、なった」

「………」

「白ちゃんほどの覚悟なんて、わたしにはない。全然、持てそうにもない……」

「………」

「でも、海雨も黎も、失いたくない。助けたい――護りたいの。……私が」

「……ああ」

「そのために、一つ訊きたい」

「なんだ?」

「私にあるっていう力――血、かな……。捨てることは、出来るの?」

「……陰陽師やこちらの世界へは入らないということか?」

「……まだ、決めかねてる。今、私にとって一番大きい問題は、黎の中にある私の血。もし、私が影小路や桜木としての力を手放したなら、黎の中の血も、力を失ったりする?」

私の力が血によって定められているとしたら、その可能性はないだろうか。

「出来るよ」

「っ!」

「真紅が力を捨て、ただの人間になることは出来る。ただし、その代償として、真紅がこの先その力を取り戻すことは叶わないだろう」

「―――」