好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


架くんの言葉が甦る。一人になることを、選んできた。……選ばざるを得なかったのかもしれない。

「お兄さんとは付き合ってるの?」

「ま、ママっ!」

「いいじゃない、そのくらい教えてくれても。ママ、もうそういう話とは無縁なんだもの」

「………」

ママは可愛い不満顔で言ってくる。

ママと父は、家の決めた結婚だったそうだ。しかも父の方ときたら……。

「……私が、一方的にすきなだけだよ」

「告白しないの?」

「~~~まだすきだって自覚したばっかなんだよ……。ねえ、ママは……すきな人っていたの?」

「ママに? それって、旦那様のことをすきだったかってこと?」

ママは、父を『旦那様』と呼んでいる。そう呼ぶくらいだってことは……。ママは中空を見つめて話し出した。

「特に旦那様に恋愛感情はなかったわねえ。許嫁にされてはいたけど、兄妹みたいに育った人だったし、男の人がすきなのも知っていたし」

「えっ、知ってたのっ?」

「ええ。だから、こんな結婚やめようって言ったこともあるんだけどね。旦那様、生真面目気質だったから、肯かなかったわ。それが一気に爆発して蒸発しちゃった感じかしらねえ」

「………」

ママはのんびりと話すけど、私はそこまでは知らなかった。


「……怒ってないの?」

「旦那様に? 別にないわ。今更っていうほどの年数経っちゃったし、わたしに真紅ちゃんをくれたしね」

「――じゃあ、ママがすきだった人って、ほんとに今までいないの?」

「んー、それはヒミツかな?」

「……私には言わせたくせに」

「それは年の功よ。誘導尋問」

にっこりと言われた。悔しい。

「ってかママって、影小路のおうちから出てる割には色々知ってるよね? 黒藤さんとか白ちゃんとか、架くんのことも」

「紅緒が色々話しに来たのよ。紅緒も、結構家のことが嫌いだったから、よく影小路の邸(いえ)を抜け出して私のところに来てたの。黒ちゃん連れて来たり、白ちゃんのお母様と一緒に来たり」

郷愁(きょうしゅう)するように、掛け布団の上で膝を抱えるママ。私は思ったことを訊いてみた。

「白ちゃんのお母さんって、もしかして御門の先代さんとかだったりするの?」

するとママは、淋しそうに顔をゆがめた。

「……白ちゃんのお母様は、白ちゃんを産んだすぐ後に亡くなられたの。出産が直接の原因ではないのだけど……。それは当主を襲名する前のことだったから、御門の先代は白ちゃんのお祖父様になるの」

「お母さん……いないんだ……」

「ええ。だから余計に、紅緒は白ちゃんも大すきなの。……絶対に秘密だけど、白ちゃんが本当は女の子だっていうのも、紅緒に聞いたのよ」

「……それはほんとーに、秘密なんだよね?」

「絶対ね。御門の家の中でも、知ってる人少ないらしいから。でも……真紅ちゃん、どうしてわかったの?」

「なんとなく」

私の返答に、ママは大きく瞬いた。正直私には、それ以外の答えはなかった。

最初から、白ちゃんは女の子だと思っていたから。

架くんに『白桜さん男だよ?』と言われて、『女の子でしょ?』と返したあとに、『あ、制服が男子だ』と気づいたくらいだ。

「……やっぱり影小路の子なのねえ」

呟かれて私は、「うん」と肯きたくなった。


るうちゃんが傍にいてくれる――ママにはるうちゃんは、黒い小鳥にしか見えないそうだ――からか、嫌な気配を感じたりはしない。

ただ、現状では視えることだけが続行している。

部屋にはカーテンがかけられていて外は見えないし、私のすぐ傍には丸くなったるうちゃんがいるから、部屋の中には何もいない。

けど、明日に――もう今日か――の朝陽に窓を開ければ、昨日視えていたものと同じものが視えるのだろう。

私はそれを、当然だと感じている。

人間ではないモノが居ても違和感はないし、否定しようとも思わない。

否定する理由がない。だってそれは居るのだから。

「なんてゆうか、今まで気づかなかったのが申し訳ない感じ」

そこに、確かに居たのに。私は気づかなかった。私の意識が、認識していなかった。

恐怖はなかった。ただ、私をじっと見てくる妖異たち。その姿に最初は驚いたけど、怖いとは思わなかった。

ママは、そっと私の肩を抱き寄せた。

「……いつか、真紅ちゃんの旦那様が見たいわ。私とも仲良くしてくれたら嬉しいわね」

「………うん」

叶うなら、あの人がそう在ってくれたら。

ママの肩に、額を押し付けた。


「お疲れ」

「待ち伏せやめろ」

もう昏い中、御門別邸への道すがら黒に遭遇した。

「……大丈夫か?」

気遣うように言われたが、俺は睨みをもって返した。

「……紅亜様はちゃんと送り届けたんだろうな?」

「それはもちろん。……あの、怒ってる? 真紅にばらしちゃったこと……」

「ああ?」

思いっきり睨むと、黒は大きく肩を跳ねさせた。

「ご、ごめん……」

「謝るくらいなら言うんじゃねえよ」

「ごめん……でもまさか、真紅が気付いてるとは思わなくて……てっきり白が先に言ってたのかと……」

「言うわけねえだろ。……お前、梨実海雨、見て来たか?」

「一応、涙雨を通してだけど。けど、あれって……」

眉をしかめる黒に、はっきりと告げた。

「十中八九、真紅の所為だ」

黒はため息をつく。

「………梨実海雨についた妖異を喰らったのは、真紅か……」

「今は紅緒様によって封じられてるから、真紅というよりは真紅の潜在能力とでもいうべきかもしれない。幼稚園から一緒だと言っていたから、恐らく海雨の命は、その頃に尽きるはずだった」

「妖異によって落命するはずだったものが、なまじ力のある真紅が近くにいたから、妖異の方が真紅に負け残滓のみを残して滅んだ」

「……真紅には言っていないが、現在海雨の命は、残滓で繋がれているフシがある。十年も前に終わるはずだった命を、今まで繋いできたんだ。いくら始祖の転生とはいえ、無意識でそこまで出来るとは考えにくい。妖異が遺した力が生きていることによって、海雨の命も、また……」

そこまで言って、歯噛みした。

皮肉だ。

海雨を殺すはずだったものが、今、海雨を生かしている。

それを浄化しなければ、海雨の病状回復は望めない。

だが、海雨を生かしているものを取り払うということは――。

「白……」

「わかってる。何も『自分じゃないものに生かされている』ことは悪いことじゃない。……俺だって、自分の中に太陰(たいいん)が居なければ、母様(かあさま)の腹の中で朽ちていた命だ」

そっと胸のあたりを――心臓のあたりを握った。

俺の中にいる異形(いぎょう)のもの。それが、胎児の段階で死ぬはずだった白桜(おれ)を助けた。


「……いい加減『たいおん』って呼ばないと、また怒り散らすんじゃないか?」

「あいつの言い分を一方的に聞くのは嫌だ」

子どものようにそっぽを向いた。黒はまたため息をつく。

たいいん、たいおん――太陰。月の化身。

「海雨も死なせらんねえが、黎も死なせらんねえな」

黒は話を戻した。黙然と肯く。

「黎の方にはさっき、無月を遣(や)った。無月は黎に逢ったことがあるから、異常があれば知らせてくる。海雨の方は……」

黒が言いよどむと、俺は視線を黒藤に戻した。

「真紅が自分から言い出したんだが、浄化を真紅がやるのも手じゃないか?」

「……それは、出来るようになるまで時間がかかるだろう」

真紅は生来の力は強いだろうが、それを扱うことは一切経験していない。それが出来なくてはただの『霊感の強い人』だ。

「海雨の方が、時間がかかるのは承知してもらうしかない。十年以上の瘴気なんだ、俺らでもすぐにとはいかない。……それに、本体を退治たのは真紅の霊力だ。同じ者が解きにかかった方が、海雨への反動は少ないはず」

「そりゃそうだけど……」

「真紅は、お前のとこに行くよ」

「……俺が

「小路流に入るっつー意味だぞ? 舌を噛む準備はいいか?」

「先読みし過ぎだろ! 拳握るな!」

黒が言いそうなことは大体察しがつくので、俺は言わせないだけだ。今だってどうせ、嫁どうの宣う気だったろう。


「紅緒様は、真紅を術師として育てるおつもりなんだろう? なら、真紅は誕生日を迎えても死なないってことだ」

俺の楽観的な言葉に、黒は否(いな)を唱えた。

「それは母上の希望的観測に過ぎない。……真紅の力を封じることは、無涯が亡いなって大分弱っておられたときの決断でもある」

「………」

苦い顔をする黒を、横目に見た。永遠の恋人を失くした紅緒様。家のことが嫌いな、小路流の先代当主。

「お前の」

俺の落ち着いた声に、黒が顔をあげた。

「お前の母君は、お強い方だ。小路を護り、鬼神(きしん)を婿とされたほどに、な」

「………」

黒は表情を変えない。それは、俺以外が口にすれば簡単に暴発する、黒の地雷だ。

――黒の父もまた、人間(ひと)ではない。

「……百合姫は、変わりないか?」

俺のもと――月御門で預かっている物忌(ものいみ)の少女。黒はあからさまに話題を逸らした。

「百合姫は問題ない。……今のところ、だが」

「……俺が逢いに行っても百合姫には嫌われるだけで、あちらの気分転換にもならないだろう。……白にばかり百合姫のことは任せきりにしてすまない」

「じい様が請(う)けた案件だ。大事ない」

百合姫の件は、俺が先代の祖父から受け継いだ仕事だ。

百合姫は物忌(ものいみ)――百合姫の場合は、生まれついて憑き物があるということ――であるために、生家である水旧(みなもと)家より、旧縁の月御門家に預けられている。

――百合姫の憑き物は、祓ってはいけない類のもの。

そして百合姫は、黒との仲が険悪だ。

俺にとっては、生まれた時より傍にいる妹のような親友。

百合姫も俺が女だと知る数少ない一人なのだが、その俺を、嫁にする! と堂々と宣言する黒に対しては反感しかないようだ。

三人集まれば自分だけが護られる対象であるのも嫌らしい。

「ん?」

ふと、耳に言霊が届いた。

式に下していなくても、《契約》した妖異や、神や鬼の類と声の送り合いが出来る。

妖力が高いものではないとその声は人語にはならないが、俺はそうではないものの声も聞くことが出来た。

それは母様ゆずりらしい。


――今の声は、黒の式のものだった。だから俺に向けられたものだが、波動で黒にもわかっているだろう。

「戻る」

言い置き、家に向けて歩き出した。

黒は現在、影小路の所有する庵(いおり)にいる。

月御門の本家は京都に構えているが、影小路は天龍(てんりょう)という山の中に本邸がある。

本家に次ぐ高位に『小路十二家』というほど、格の高い分家が十二もある流派なので、影小路所有の家は各地にある。

黒がいるのは、その中の一つだ。

「白――」

「うちに来たら」

顔だけで黒を振り返る。

「天音がいるからな」

「……今度こそ首を掻っ切られる気しかしない……」

俺の忠告に、黒は顔色を悪くさせた。

天音は俺の式として、護衛のために百合姫の傍にいることが多い。

今は無炎が隠形して俺の傍にいるので天音が今のやり取りを知ることはないが、カンペキに俺に下心のある黒は最重要警戒対象なのだろう。

天音は、母の頃より仕えている。

月御門に、ではなく、俺の母・白桃個人に。

だが天音が母様の式であったことはなく、使役に下ったのは俺が初めてだった。

天音という名も母様が与えたもので、かつての通り名は『鬼神の天女(きしんのてんにょ)』という。

「お前も夜警終わったら、大人しく帰って少しは寝て置け。いくら睡眠時間少なくていいって言ったって、身体は人間だ。無理は積もるぞ」

「おー。白はこのまま帰邸(きてい)?」

「客人だ」

すげなく返して、そのまま家に向かった。

涙雨が寄越した伝令。どうやらこれから来客がありそうだ。


隣でママが寝ている。私の方を向いて、絶対に寝返りを打っていないのだ。

ある種の根性を感じる。

私はなかなか寝付けないでいて、コロコロしていた。

そのうちうつ伏せになって頬杖をつきながら、枕元のカゴで丸くなっているるうちゃんを見遣った。

ママが、この部屋で唯一の娯楽だったような観葉植物を入れていたカゴを空けてくれたものだ。タオルを敷いた即席のお部屋に、紫色の小鳥は収まっている。

ママを気遣ってか、白ちゃんと別れてからるうちゃんは一言も喋っていない。

……ねえ、るうちゃん。

頭の中で話しかける。ママを起こすのは忍びないし、声にしていいかもわからない。架くんに忠告されたばかりだ。

……私さ、黎がすきなんだ。るうちゃんは、黎のこと知ってるかな?

紫色の小鳥はぴくりともしない。寝入っているのだろうか。

……でもね、私は、黎にとって毒なんだって。

毒は殺人の方法の一つだ。近代ではそうでもないが、古来、腕力で劣る女性による殺害の道具であったらしい。

毒に魅入られた歴史上の人物なんて、危ない人しかいない。

……私も、自分の血が嫌い。

すきな人を殺してしまいかねない血で生きているなんて。

……けど私、この血でなかったら、黎に逢えてたのかな……?

そこを天秤にかける意味はない。少しでもこの血を正当化したいだけだ。じゃないと、自分でこの血を、狩り尽くしてしまいたい気持ちになる。

『真紅嬢よ』


ふと、るうちゃんの声がした。考えに浸って視界がぼんやりしている間にるうちゃんは起きていた。

『白(しろ)の姫君のところへ、ゆかれるか?』

「る―――」

声に出しかけて、はっとつぐんだ。るうちゃんの声は私にしか聞こえないから、ママを起こしてしまうかもしれない。

るうちゃんは翼の先で、とんとんと自分の頭を叩いた。もしかして……

……るうちゃん、聞こえてるの?

さっきまでと同じように頭の中で話しかけた。

『真紅嬢が最初に涙雨に呼びかけてから考え始めたからな。申し訳ないが距離も近いゆえ届いてしまうのだ。考えていることが筒抜けなわけではないから安心されよ。それでだが、白の姫君のところへゆかれるか? 涙雨が案内(あない)するぞ』

………。

もしかして。

……るうちゃん、さっき白ちゃんのことそう呼ぼうとして怒られたの?

『………』

るうちゃんから返事はなかった。かわりにがっくりうなだれた。

……大丈夫?

『……涙雨は、黒の若君の式の中で新参者ゆえ、幼き頃のお二人を知らなんだ。白の姫君のことも、若君からの話しか聞いていなかったゆえ、おなごじゃと思っておった。しかし逢ってみたらあの様でのぉ。黒の若君との話の中ではずっと『白の姫君』と呼んでおったゆえ、なかなか癖が抜けなんだ』

……大変そうだね。