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「あの時。手術室の中でずっと聞いていた気がするんだ」


 彼の乗る車椅子を押しながら、わたしたちは病院の中庭をゆっくりと散歩する。


 今日、非番のわたしは、秀和の家族としてここにいる。


 肌触りのさらさらとした風が吹き抜けていく。


 遊歩道から見上げた空は高く、もう季節はすっかりと秋に変わったことを感じさせた。


「美織とさ、よくわかんない黒い男との会話」


 ――夢見てたんだと思ったんだけど、でも、夢じゃないだろ?


 そうやって彼は聞くけれど。わたしは曖昧に笑い返す。


 手術から一か月。


 あの日の記憶は、すでにぼんやりとしてしまって、わたし自身がもはや術中に見たタチの悪い白昼夢としか思えなくなってきていた。


「別に死にたかったわけじゃないし、生きられるもんなら生きたかったし、今こうして美織といられるのは本当に嬉しいけれど。それでも、絶対引き受けないでくれって叫ぼうとした。できなかったけど」


「……引き受けるに決まってる」


「知ってる」


 彼が振り返り、車椅子を押すわたしの右手を、ギュッと握り締めた。


 わたしは足を止める。


「目の前で傷ついている人を、君は絶対に放っておけないこと、俺が一番よく知ってる。あなたが美織先生である時も、普段の美織さんである時も。それでどれだけ、自分が傷つくことになっても」


「……そんなかっこいいもんじゃないよ」


 そうだ。そんないい人っぽい理由なんかじゃない。


 わたしが引き受けたのは、ただ。


 ただ、何と引き換えにしても。


 あとたった五分でも。


 あなたの生きる世界にいたかったから。それだけだ。