「そんなの」


 うろたえたわたしは、思わず椅子から立ち上がる。


 どうしていいかわからず、勉強部屋の中を歩き回り、歩き回りすぎて階段の下から「ちょっと美織、ドタバタうるさい!」と叫ぶ、母の声が聞こえた。


 膝から力が抜けて、再び椅子に座り込む。


「そんなの、明日会うならその時直接言ってよ……」


 耳が熱くて、心臓が自分のものじゃないみたいにどくどく音を立てて、携帯電話を持ったままの手が震えて、わたしの視界は潤みはじめる。


 嘘でしょう、そんなの。


 そんなのって。


「……嬉しすぎるんだけど、どうしよう、神様……」


 ラジオから、「19時をお知らせします」と言うパーソナリティの声が聞こえた。その時。


 下手くそな棒人間の持つ花束の上に、火照った頬を伝ったわたしの涙がぽとりと落ちた。





「先生、バイタルが!」


 その声にはっと我に返る。


 ――白く冷えた壁にかけられた時計が「19:00.00」を指していた。


『どうやら、君の勝ちみたいだね。末長くお幸せに』


 耳元で、黒い男の声が響く。


 その瞬間、わたしの右掌から、小さな砂時計がすうっと滑り出て、空に溶けた。