藤原家を訪れるようになってわかったことは、凛風の家族は凛風を見放していることだった。一日凛風につきあっても、家族と会うことはなく、全ての世話は梶木が取り仕切っていた。
梶木によれば、藤原家の当主はかなりの合理主義であり、凛風が政略結婚に使えるから生かしているだけという状況もなんとなく理解できた。
「で、梶木さんは凛風に仕えるために雇われたんですか？」
医者による定期診断の間、居間で待つ時間を利用して梶木とやりとりをしていた俺は、今回の依頼について梶木がどう考えているか探ってみることにした。
「私は、元々藤原社長の右腕だった。もう十年以上前になるが、専務として藤原家の会社を支えていた」
コーヒーを飲む姿に品が漂う梶木が、かすかにだが表情を崩して俺の雑談に応じていた。
「じゃあ、どうして今は凛風の面倒をみているんですか？」
その質問に、なぜか梶原のコーヒーカップを持つ手が止まった。さらに、ひどく咳込んだ後、せっかく緩んだ表情も険しくなっていった。
「お嬢様の面倒をみることになる前、私には家族がいた。妻は病気で、娘は事故で他界したがな」
遠くを見る眼差しになった梶木が、昔を思い出すかのように語り始める。時折苦しそうに咳込むのは、胸の内の苦しさからきいているようにみえた。
梶木によると、家族を失って失意の底にいた梶木は、会社を辞めて自暴自棄になっていたらしい。そのことを見かねた藤原社長が、凛風の執事として藤原家に仕えるよう説得してきたという。
「最初は断ったが、まだ四歳だったお嬢様に出会い、残りの人生をお嬢様の成長に捧げると覚悟を決めた」
以来、梶木は常に凛風のそばにおり、その関係は実の親子以上だと梶木は苦笑してみせた。
「でしたら、凛風が今度の外出でなにをするつもりか聞いていますか？」
「お嬢様が死ぬつもりということをか？」
間髪容れずに答えた梶木の目に、力強い光が宿る。やはり、今回の依頼は凛風と梶木だけで仕組んでいる内容で間違いなかった。
だとすれば、周りにいるメイドを使わずに便利屋に頼む理由もわかる。寝たきりで見放されているとはいえ、藤原家の長女を見殺しにしたとなれば、その場にいた者はただではすまないだろう。
「安心しろ。今回の件の責任は全て私が背負う。お前は知らなかったと言えばいい」
不意にわいた恐怖を見抜くように、梶木は淡々と告げた。
「一つ、聞いてもいいですか？」
「なんだ？」
「反対はしなかったんですか？」
「お嬢様がお決めになられたことだ。私が口を挟むことではない」
「でも」
「お嬢様も、あのようになられて苦しまれたのだ。その上での覚悟にとやかく言うことはない」
完全に無表情になった梶木が、ゾッとするような冷たい声で切り捨てる。さっきまで柔らかな口調で語っていただけに、そのギャップに言葉を失った。
――世話をするのが嫌になったとか？
不意にわいた疑問に、胸の中がざわついていく。寝たきりの凛風の世話は、想像以上に大変なはず。だとすれば、梶木にとってこの話は好都合の話だったのかもしれない。
「私が、お嬢様が亡くなることをいい事だと思っていると考えているだろ？」
「あ、いえ」
「確かに、お嬢様は寝たきりになられて以来、かつてのお嬢様ではなくなられた。藤原社長にも見捨てられ、婚約の道具としてしか生かされていないからな」
どきりと核心をついてくる梶木の言葉には、妙な重みがあった。
「だが、私にはお嬢様はお嬢様であることに変わりはない。この意味がわかるか？」
「すみません、わからないです」
「お嬢様は、あのようなお姿になられて当初は絶望されておられた。そのため、安楽死という選択肢もあったが、私が全力で阻止した。あのようなお姿で生きることは過酷だとわかっていたが、それでも私はお嬢様に生きてほしかったのだ」
淡々と語ってはいるが、梶木の握りこぶしがテーブルの上で震えていた。よく見ると、その目にはうっすらと光るものがあった。
「藤原家の中には、もはやお嬢様に生きる価値はないと揶揄する者もいた。だが、それは間違いなのだ。人の価値は、そんなことでなくなったりはしない。現に、私にとってはあのようなお姿になられても必要な存在に変わりはない。お嬢様が生きてあの場所におられるということが、私にとってはかけがえのない心の支えなのだ」
テーブルに肘をつき、頭を抱える梶原の声が震えて我慢しているようだが、苦悩に満ちた言葉の端に、梶原の涙が見えた気がした。
「どうして今になって命を断つ選択をなされたのかはわからないが、私にとっては娘同様の心の支えを失うことになるということだけはわかっていてくれ」
おさえきれなくなったのか、梶木は咳き込みながらテーブルに顔を伏せた。
泣いているとわかった俺は、なにも言えずただ黙って梶木の広い背中をさすり続けた。
梶木によれば、藤原家の当主はかなりの合理主義であり、凛風が政略結婚に使えるから生かしているだけという状況もなんとなく理解できた。
「で、梶木さんは凛風に仕えるために雇われたんですか？」
医者による定期診断の間、居間で待つ時間を利用して梶木とやりとりをしていた俺は、今回の依頼について梶木がどう考えているか探ってみることにした。
「私は、元々藤原社長の右腕だった。もう十年以上前になるが、専務として藤原家の会社を支えていた」
コーヒーを飲む姿に品が漂う梶木が、かすかにだが表情を崩して俺の雑談に応じていた。
「じゃあ、どうして今は凛風の面倒をみているんですか？」
その質問に、なぜか梶原のコーヒーカップを持つ手が止まった。さらに、ひどく咳込んだ後、せっかく緩んだ表情も険しくなっていった。
「お嬢様の面倒をみることになる前、私には家族がいた。妻は病気で、娘は事故で他界したがな」
遠くを見る眼差しになった梶木が、昔を思い出すかのように語り始める。時折苦しそうに咳込むのは、胸の内の苦しさからきいているようにみえた。
梶木によると、家族を失って失意の底にいた梶木は、会社を辞めて自暴自棄になっていたらしい。そのことを見かねた藤原社長が、凛風の執事として藤原家に仕えるよう説得してきたという。
「最初は断ったが、まだ四歳だったお嬢様に出会い、残りの人生をお嬢様の成長に捧げると覚悟を決めた」
以来、梶木は常に凛風のそばにおり、その関係は実の親子以上だと梶木は苦笑してみせた。
「でしたら、凛風が今度の外出でなにをするつもりか聞いていますか？」
「お嬢様が死ぬつもりということをか？」
間髪容れずに答えた梶木の目に、力強い光が宿る。やはり、今回の依頼は凛風と梶木だけで仕組んでいる内容で間違いなかった。
だとすれば、周りにいるメイドを使わずに便利屋に頼む理由もわかる。寝たきりで見放されているとはいえ、藤原家の長女を見殺しにしたとなれば、その場にいた者はただではすまないだろう。
「安心しろ。今回の件の責任は全て私が背負う。お前は知らなかったと言えばいい」
不意にわいた恐怖を見抜くように、梶木は淡々と告げた。
「一つ、聞いてもいいですか？」
「なんだ？」
「反対はしなかったんですか？」
「お嬢様がお決めになられたことだ。私が口を挟むことではない」
「でも」
「お嬢様も、あのようになられて苦しまれたのだ。その上での覚悟にとやかく言うことはない」
完全に無表情になった梶木が、ゾッとするような冷たい声で切り捨てる。さっきまで柔らかな口調で語っていただけに、そのギャップに言葉を失った。
――世話をするのが嫌になったとか？
不意にわいた疑問に、胸の中がざわついていく。寝たきりの凛風の世話は、想像以上に大変なはず。だとすれば、梶木にとってこの話は好都合の話だったのかもしれない。
「私が、お嬢様が亡くなることをいい事だと思っていると考えているだろ？」
「あ、いえ」
「確かに、お嬢様は寝たきりになられて以来、かつてのお嬢様ではなくなられた。藤原社長にも見捨てられ、婚約の道具としてしか生かされていないからな」
どきりと核心をついてくる梶木の言葉には、妙な重みがあった。
「だが、私にはお嬢様はお嬢様であることに変わりはない。この意味がわかるか？」
「すみません、わからないです」
「お嬢様は、あのようなお姿になられて当初は絶望されておられた。そのため、安楽死という選択肢もあったが、私が全力で阻止した。あのようなお姿で生きることは過酷だとわかっていたが、それでも私はお嬢様に生きてほしかったのだ」
淡々と語ってはいるが、梶木の握りこぶしがテーブルの上で震えていた。よく見ると、その目にはうっすらと光るものがあった。
「藤原家の中には、もはやお嬢様に生きる価値はないと揶揄する者もいた。だが、それは間違いなのだ。人の価値は、そんなことでなくなったりはしない。現に、私にとってはあのようなお姿になられても必要な存在に変わりはない。お嬢様が生きてあの場所におられるということが、私にとってはかけがえのない心の支えなのだ」
テーブルに肘をつき、頭を抱える梶原の声が震えて我慢しているようだが、苦悩に満ちた言葉の端に、梶原の涙が見えた気がした。
「どうして今になって命を断つ選択をなされたのかはわからないが、私にとっては娘同様の心の支えを失うことになるということだけはわかっていてくれ」
おさえきれなくなったのか、梶木は咳き込みながらテーブルに顔を伏せた。
泣いているとわかった俺は、なにも言えずただ黙って梶木の広い背中をさすり続けた。
