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お祖父ちゃんたちの家に近づくと、温泉街独特の硫黄の臭いが車の中にも、漂い始めた。

窓の外から覗く景色に覚えはないけど、独特な硫黄の香りには、懐かしいような、温かさいような思いを感じた。

車の窓にかじりつくように窓の外を眺める私を、仕方なさそうに眺めていた紫紺様が、
口を開いた。

『もうすぐ着く。挨拶が済んだら、後で、一緒に神社へ行こう。俺は明日の夜には、帰らないといけないからな。帰るまでに一緒に行っておきたい。』

『うん。』

いつのまにかポチは居なくなってたけど、松山神社に行けば、ポチにも会えるかな…。

お祖父ちゃんの家に着くと、旅館に車を止め、そこから、車を降りて、お祖父ちゃんの家まで歩いた。

家に着くと、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、沙代ちゃんと和君が出迎えてくれた。

好きに見ていいと言われて、家の中を、紫紺様と美月たちと見て回った。

家のあちこちに朧げな覚えがあって、確かにここに小さい頃の私はいたんだと思った。

お祖母ちゃんがアルバムを用意してくれていて、紗代ちゃんと美月と一緒に、アルバムを見せて貰った。

その間、紫紺様たちは、お祖父ちゃんたちと話しをしていた。

夕方、紫紺様と2人で神社まで行こうと外に出た。

空が橙色に染まって綺麗だった。

手を繋いで、神社までの細い道を歩いた。

その道だけは、しっかり覚えていた。

通りのあちこちに覚えがあって、立ち止まっては記憶を確認して、紫紺様に話しながら、歩いた。懐かしさを強く感じて胸が高鳴った。

神社が近くなって来たら気持ちがはやって、駆けていた。

神社の手前の家を確認する。

あー、思った通り、石垣に、椿の木に、屋根には、ポチの顔そっくりな鬼瓦。

私、ここを通って、これを目印にして、角を曲がるとポチの家って覚えてた。

その時、帽子を被って、スマホを片手に歩いている女の子が見えた。

旅行に来ている子かなと思ったら、私を見た途端、その女の子が私に向かって駆けてきた。

『お姉ちゃん‼︎こんなところに居たんだ。
やっぱり花姫じゃなかったんだ。良かった。

家に帰ろう。お姉ちゃん。
早く、このことを翔に知らせないと‼︎』

美咲が掴もうとした手を振り払って、

『何を言っているの?』
と言った。

いつの間にか横に来ていた紫紺様が、私の肩を引き寄せ、

『大丈夫か?忍葉。』
と言って顔を覗きこんだ。

『誰よ。その神獣人。』

体が(こわば)っていた。

『忍葉、妹か?』
と紫紺様が訊いた。

『そう…。でも…なんでここに…。』

それにその格好。美咲は、家でも、女の子らしい格好をいつもしていた。

なのに、今、目の前にいる美咲は、髪を一つに縛って、帽子を被り、カジュアルな格好をしている。

目に入った時、美咲だとは思わなかった。

『俺は、忍葉の花王子の紫紺だ。』
と紫紺様が言った途端、

『そんなはずない‼︎』
と言って、掴みかかってきた。

胸を、両手で掴まれたけれど、紫紺様が美咲の手を振り払ってくれた。

驚いた顔をして美咲が
『何それ。』
と言った。

視線の先を見ていると先に紫紺様が、

『俺の花姫の証。番の花紋だ。』
と言った。

美咲がその場に崩れるように座り込んで、

『そんなはずない。そんなはずない。』
と言っていた。

その姿がショックで固まったまま、私は動けずにいた。

紫紺様がスマホで誰かと話していた。

電話を終えると、
『旅客の周りを警備していた者がすぐ来る。
美咲を連れて行って貰ったら、俺たちも、祖父母の家へ戻ろう。』
と言った。

警備の人たちは、本当にすぐやって来た。

美咲は、両脇に抱えられるようにして、やって来た車に乗せられ、車はすぐ何処かへ行ってしまった。

呆けたように車を見ていた。

『忍葉、忍葉。』
と呼ばれて振り向くと、紫紺様が、

『帰ろう。』
と言った。

『美咲は何処に連れて行かれたの?』

『家に送らせた。この辺をうろうろされるわけに行かないかな。』

家に着くと、美月たちが心配そうに待っていた。

私はなんだか話す気分になれなくて、お祖母ちゃんが用意してくれた部屋で、少し休ませて欲しいと言って部屋に行った。

美咲があそこまで、私が花姫だということを否定していたのがショックだった。

暫くして、紫紺様が部屋に来た。

『道忠と警備について相談していた。一人にしてすまない。大丈夫か?』
と言うと、抱き寄せてくれた。

『あんな崩れるほど、美咲にとって、私が花姫だということが受け入れられないんだって、ショックだった。

美咲にとって私は、何をしてもいい欠陥品で、何の価値もない。
それしか無かったんだって。

きっとお母さんにとっても、そう。

私があの家で暮らしていた時間はなんだったんだろう…。』

『すまない。俺がもっと早く、見つけられたら良かったのに…すまない。』

…紫紺様は何も悪くないのに、そう言って、抱き寄せたまま、私の頭を撫でていてくれた。暖かくて、離れたくなかった。

どれくらい経ったか、すっかり外が暗くなっていた。

もたれていた紫紺様から身を起こすと、
『もういいのか?』
と紫紺様が訊いた。

『うん。ありがとう。…甘えてばかりでごめんなさい。』

『謝らなくていい。甘えていろ。そのために俺が居るんだ。』
そういうと徐に、頬にキスをした。

驚きと恥ずかしさで、のけぞったら、揶揄うように笑いながら、

『そろそろ戻ろうか?』
と言って、立ち上がると手を差し出した。

紫紺様の手に引かれて立ち上がると、一緒に、皆んなのいる居間に行った。

座卓の上にはご馳走が並び始めていて、皆がワイワイと、夕飯の準備をしていて活気があった。

美月が私を見つけて、
『あ、お姉ちゃん、そろそろ呼びに行こうって話してたんだよ。こっちこっち。』

と私を座卓の真ん中に座らせた。

『紫紺様は、隣ね。皆んなが、お姉ちゃんと私の歓迎会をしてくれるんだって。』

『じゃあ、私も何か手伝ってくる。』
と立ちあがろうとしたら、

『お姉ちゃん、主役が働いたら、皆んなが気をつかうでしょ。座ってて。

夏休みだし、土曜だから、旅館が忙しいらしいんだけど、昔から働いていた人たちがお姉ちゃんに会いたいって来てくれるんだって。

お姉ちゃん、ここで、凄く大事にされてたんだね。色々、話し聞いてそう思った。

来たばかりだけど、来て良かった。』

『藍蓮様と櫻葉さんは?』

『藍蓮様は、道忠さんと話してる。
櫻葉さんは、紗代ちゃんたちと、旅館に料理を取りに行ってる。』

『そうなんだ。』

玄関が賑やかになった。

『戻って来たんじゃない?』

櫻葉さんと、旅館の人たちが、料理を手に、居間に入ってきた。

『本当だ。』

お祖父ちゃんたちや、紗代ちゃんたちも、揃って、歓迎会が始まった。