夕飯の片付けを終え、サッとシャワーを浴びて、家族が入れるようにお風呂の用意を済ませ、忍葉は、やっと自分の部屋に戻った。

そして、自分用に、こっそり入れておいたアイスミルクティーを、机に置くと、また、部屋を出た。

美月の部屋をノックして、
『美月。後、10分位でお風呂入れるよ。お母さんたちは、まだ、TV観てるから、先に入りなよ。』
とドア越しに声を掛ける。

ドアから美月が顔を出した。

『お姉ちゃんは、入ったの?』

『うん。シャワー済ませたよ。』

『もう、お姉ちゃんも、バカなこと言ってる美咲に気兼ねしないで、お風呂に浸かったらいいのに‼︎』

『うん。でも…。今は、夏だし…』

『はぁ〜。』

美月は、凄い大きな溜息をつくと、

『わかった。ありがと、お姉ちゃん。』

と言ってドアを閉めた。


♢♢♢♢♢

自分の部屋に戻って、風呂上がり、と言っても、シャワーのみだけど、
風呂上がりのアイスミルクティーを飲む。

この家でできる数少ない息抜きの時間だ。

時々、こっそり飲み物を持ち込んでいるのがバレて嫌味を言われたり、
母親の機嫌次第では、食事を抜かれることもあるけど、

半年前、忍葉の母、晶子の両親と同居していた家から、今の家に越して来てから、忍葉は、毎晩のように、家族たちの目を盗んで、

家族の食後のコーヒータイムに、自分の飲み物も作って置き、それを部屋に持ち込み、夜こっそり部屋でドリンクタイムをしている。

忍葉が暮らすこの家は、
思ったことを口にすること、飲み物を飲むこと、TVを観ること、そんなささやかなことすら、自由に出来ない。

祖父母と同居していた家も、今とそう変わらない息苦しい家だったけれど、

商才がある祖父が、継いだ老舗の呉服屋をあっという間に、大きな事業へと成長させ、財を築いたらしく裕福だった。

なので、家には何人かお手伝いさんが居て、家族に煩わされず、飲み物を飲むひとときは、持てていた。

大人が父親と母親しか居ないこの家は、
母親の独壇場と化し、そんな息を吸えるひとときすら、
バレたらそれなりの仕打ちをされる覚悟をしなければ、持てなくなった。

それでも、ドリンクタイムを続けるのは、

忍葉には、幼い頃、夜、TVを囲って、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんと、皆んなで、楽しく飲み物を飲んでいた記憶があるからだ。

夜、その光景、その時の楽しかった思いを、思い出してドリンクタイムをする時間が、
息苦しさに今にも窒息してしまいそうな忍葉の心をなんとか支えている。

息苦しさを増したこの家に越してから、半年あまり、忍葉の心は、本人も気づかぬ内に、限界を迎えつつある。

♢♢♢♢♢

甘いアイスミルクティーを飲んで、一息ついた忍葉は、
美月の様子を思い出し、現実の悩みに、思いを巡らし始めた。

半年前まで、一緒に住んでた祖母は、凄く意地悪な人だった。

『忍葉が入った風呂に入ったらアザがうつるゾ。』

『忍葉が着た服を着たらアザがうつるゾ。』

と私を横目で見ながら、美月や美咲によく言ってた。

その影響なのか?いつの頃からか、
『えー‼︎お姉ちゃん。先に、お風呂入ったの。やめてよ‼︎アザがうつったらどうしてくれるの‼︎』
『お姉ちゃん、私の服は触らないでね。』
と美咲が言うようになった。

美月は、家族を気にして、湯船に入らない私の態度が、癪に障るみたいで、時々、突っ掛かってくる。

美咲に遠慮しているというより、そういう言葉を投げられていても、お母さんも、お父さんも、そのことについて何にも言わない…、

庇われも、守られもせず、放置される、あの惨めな気持ちになるのが嫌で、つい避けちゃうだけなんだけど…

湯船に入ろうと、シャワーだけにしようと、言われる時は、言われるから同じなんだけど…湯船に入るのをどうしても、避けてしまうのだ。


『はぁ〜。花姫かあ〜。』

美月と美咲は小さい頃から、
お母さんとお父さんに
『美月と美咲は、可愛いから、大きくなったら、花紋が出るかもね〜。』

『あ〜。そうだぞ。』

と言われていたけど、

私は、決まって、

『忍葉は、花姫どころか嫁にもいける訳ないんだから、しっかり勉強して、見た目が悪い分、家事ができなきゃダメよ。』
と言われてきた。

お母さんは、普通とは違う見た目で生まれてきた忍葉の為とか、忍葉を思ってという言葉を使って、
家の手伝いをさせているとか、
厳しい言い方をするとか、
言っているけど、

私は、お母さんの言葉をその通りに素直に受け取ったことはない。

お母さんの言葉には、
普通とは違う見た目で生まれてきた私を、嫌う思いがハッキリ篭っているから、
言葉通りに受け取りたくても、受け取りようがなかった。

もう少しでも、隠した言い方をしてくれたらどれだけいいか…、
何にも感じ取らず、言葉通り信じられたらどれだけいいか…と小さな頃から、何度となく思いに思ってきた。

小さい頃は、ただ、お母さんの言葉に、傷ついてきただけだったけど、
大きくなるにつれてそれだけじゃ済まない事態になってきた。

あれだけ私への嫌悪があからさまなのに、
お母さんは、忍葉のため、忍葉を思ってと絶対に譲らないからだ。

幼稚園に通うようになると、
忍葉が傷つくと可哀想だからと、
外では必ず帽子を被らせ、半袖や水着を着せないように幼稚園の園長先生や先生たちに頼んだそうだ。

泣きながら訴える母親に強いことが言えなかった幼稚園の先生たちに、
私は、外で遊ぶ時は、帽子を被っているか常に気にされ、水遊びはさせて貰えなかった。

この頃は、まだ良かった。

私が、大きくなってきて、
あまり外にでないことや、長袖しか着ないことや、家族と出掛けないことを誰かに聞かれると、
私が見た目を気にして、外に出たがらない。見劣りするとおしゃれもせず、家にばかりいるけど、普通の見た目に生めなかった私が悪いから、娘の思うようにさせている。
そのうち娘もわかってくれるから、
娘をそっとしておいと欲しいと周りに言うようになったらしい。

時々、鵜呑みにした近所の人に、
いきなり注意されたりして知った。

物心ついた時には、私の見た目を気にして、髪の色やアザが人目につかないよういつも気にするお母さんがいた。

私には、見た目など気にする暇すら無かった。

半袖を着たくないとか、水着を着たくないとか思う前に、半袖も、水着も着てはいけないものだった。

本当は自分がどう思っているのかすら、私にはよくわからない。

それなのに、周りからは、お母さんが言っている言葉を間に受けた言葉や、何かを感じて、家の中が大変そうだけど、大丈夫か?というような言葉が、やってくるようになった。

その頃から、息苦しさを実感することが増えた。

お父さんはそんなお母さんに、呆れたのか、ずっと前に何も言わなくなったし、
お父さんだけじゃなく、周りの誰も口を出せないでいた。

お父さん側のおじいちゃん、おばあちゃんは、私のことを心配して、私が小さい頃は、お母さんにあれこれ言ったり、私にと着物や洋服をプレゼントしてくれたり何かと気にかけてくれていたらしいけど、
私宛ての着物や洋服は、お母さんが、
『こういう良い物は、着る人を選ぶのだから。忍葉じゃなくて、美咲が着るのか相応しい。お義母さん、お義父さんは、どうしてそれがわからないのかしら。』
と言って、いつも美咲に着せていた。

何があったか知らないけど、今は、全く付き合いがないみたいだし…。

まぁ、こんなことばかり続いたら、嫌になると思うけど…。

学校の先生も、お母さんの言葉を鵜呑みにしたり、臭いものには蓋をと、お母さんが望むように融通するので、
『お母さんが凄く心配していらっしゃったわ。』
と言って、いつまでも見た目を気にせず、半袖や水着を着るよう注意されたり、
忍葉ちゃんは、水着を着なくていいからいいね。
とか、
『親に心配かけて。うちの子は、そんな子じゃなくて良かった。ってお母さんが言ってたわ。』
とか、わざわざ言いに来られたり、
本当、色々なことを言われた。


その頃からずっと、
現実が歪められた狭間に閉じ込められたような生き苦しさの中を私は生きているんだと思う。

家の外はまだいい。
時々、言われるだけだから。

家の中は毎日だ。

お母さんはずっと変わらずあの調子で、
お父さんは、決まって、スルーするし、
何か口にしても、
『そうだな。』
しか言わないし…。

美咲は、お母さんとおばあちゃんのクローンみたいになってきて、
図ったようなタイミングで、1番傷つく言葉を躊躇いもなく言うようになった。

美咲と双子の美月は、小さい頃は、いつも美咲と一緒に居て、お母さん、お父さんと、まるで4人家族みたいに仲が良かったけど、

いつ頃からか?あまり美咲やお母さんたちと一緒に居たがらなくなり、最近は、美咲に怒ってばかりだ。

毎日、家の中の空気がギスギスして、心に重い塊りが詰まっているみたいに息苦しい。

最近では、忍葉のためなんて言葉で濁さないで、いっそのことあんたなんか嫌いだ。と捨ててくれた方がどれ程、楽かとすら思うようになった。

きっと耐えられないとも思うけど…。

小さな頃から、自分を、この家の子どもでも、家族でもなく、小間使いだと思ってきた。

お母さんやお父さん、美咲の言葉や態度は、
お金を支払う必要のない、家族という名をした使用人だから、当たり前に、顎で使われて、文句は言われても、褒められることはないんだなと…嫌でもそう感じるしかないものだったから。

息苦しい…時々、窒息してしまうんじゃないかと思うほど、心が窮屈で、息苦しくて堪らなくなる。

だけど、それが幼い頃から続く、
私の当たり前の日常で、

この日常が、きっと変わることなく、これからも続くんだと思う。

家を出るチャンスがあるなら出てみたいけど、きっとお母さんは、私を家政婦か何かのようにして閉じ込め続ける気がする。


そんな私では、花王子と花姫なんて別世界の話だ。

別世界過ぎて、想像すらできないな…

『はぁ〜』
考えると憂鬱になる。
もう、寝ようと、ベッドに横になった。

バンッと部屋の扉が開いた。

『相変わらず、狭い部屋っ‼︎よくこんな所で寝れるわね。』

いきなり部屋に入って来た美咲が言った。

『あっ、そうそうお姉ちゃん。お風呂の中入った?』

『入ってないよ。』

『ならいいけど。』

『もうそろそろ、花紋が出るかもしれないから、お姉ちゃん、お風呂の中には、入らないでよ‼︎何かあったら困るから‼︎』

『美咲。バカなこと言うのいい加減やめなよ‼︎』

廊下から美月の声。

『馬鹿なことじゃないわよ‼︎あんなアザがうつったら困るじゃない‼︎』

『うつるわけないでしょ‼︎』

『何やっているんだ。2人とも。』

『美咲が、お姉ちゃんに、アザがうつるから風呂の中に入るなって馬鹿なこと言うから‼︎』

『もう花紋が出ておかしくない時だからね。
神経質になっているだけよ。
美月も、そんなことで、一々、めくじら立てないのよ。』

『そうだぞ、美月。もう遅いんだから、静かにしなさい。』

『そんなことでって…』

美咲がニヤニヤ笑っている。

『お姉ちゃんが、入ってないのわかったから、お風呂に入ってこよっと。』

そう言って、美咲は、鼻歌を歌いながら、階段を降りていく。

私は、ベッドから、下りて、美咲が開けっ放しにした扉を閉めてもう一度、横になった。

『はぁ〜。』

美咲はいつもノックをしないで、我が物顔で部屋に入ってくる。

狭い部屋か…

引っ越す前、
「家族で」この家の内覧をした。

「家族で」と、お母さんが言う時は、
その家族に、私は決まって入っていない。

だけど、その時は、私も、内覧に連れて行って貰えた。

部屋数を見て、私にも、美月と美咲たちと同じ部屋があるかも…と思って期待してた。
ほんの少し…。

だけど、引っ越しの荷物を運び込むために、
お母さんに、連れて来られた部屋は、2階の住居用に設けてある四畳ほどの物置だった。

『忍葉の部屋はここね。貴方は荷物が無いから広い部屋は要らないでしょ。
美咲たちは、衣裳持ちだから、部屋一つ衣装部屋にすることにしたの。』
と言って、お母さんは物置きの扉を開けた。

あの時も、美咲はニヤニヤ笑ってたな…。


はあ〜。寝よう。


枕元のライトを消した。


♢♢♢♢♢

お母さんは、何を言っても通じない‼︎

『そんなことでめくじらを立てるな。』
ってなんなんだろう。

お父さんは、お母さんの腰巾着みたいに、
いつも、
『そうだぞ。』
ばっかり言ってるし…

お姉ちゃんは、お母さんと美咲に気を遣ってばっかだし…

だから、美咲がどんどん調子に乗っていくんじゃない‼︎

昔は、あんなじゃなかったのに…

はあ〜。花姫なんて消えてなくなればいいのに……

昔は、
『一緒に、花姫になる。』
って美咲と笑って、
お母さんも、お父さんも、笑ってたのに…

『あーーーーー。』

毎日、毎日、家の中が、ギスギスしてる。

イライラして手に取ったぬいぐるみを投げて、ベッドにバタンと横になった。

『はあ〜。』

知らず、大きな溜息が出る。

ずっとこの家はこうなのかな……

いつから、こうなっちゃったんだろ…


答えが出ぬ問いに、思いを巡らしながら、美月は眠りについた。

♢♢♢♢♢

はぁ〜。未来様。幸せそうだったな。
冬夜様は、蕩ける顔して未来様を見てたし…
やっぱり花姫様なりたいなぁ。

お母さんが、いつも私ならなれる。って言ってたから、なれると思うんだけどな〜。

未来様は、16才で出たって言ってたから、私もそろそろ出るんじゃないかな?

早く出ないかな花紋。

そんなことを考えながら、美咲は身体を洗い終え、お風呂に浸かった。


美月は、最近、怒ってばっかり。
あの子、どうしちゃったんだろ?

昔は、いっつも一緒だったのに、最近は、一緒に居ても、すぐどっかいっちゃうし…
お姉ちゃんなんか庇っているし…。

私と美月と、親にも相手にされない、あんな見た目のお姉ちゃんじゃ、立場が違うんだから、庇ったりしたら、かえって可哀想よ。

これからずっと、誰にも相手になんかされないで生きていくんだから。

それよりも花紋早く出ないかな…

この家の娘で、只一人、
悩みも、将来の不安も考えることなく、無邪気な子どものまま、高校生になった美咲は、

同じ両親を持つ姉を、何の罪悪感も疑問もなく、湯船にも入れないよう追い込み、

さも、当然のことのように、自分は、優雅に入浴タイムをしていた。

♢♢♢♢♢

夫婦の寝室で、

『冬夜様と未来様夫妻、本当に、仲睦まじかったですね〜。』

『あー。』

『美月と美咲も、あんな旦那様が居たら、何にも心配要りませんよね〜。』

『それは、そうだ。大船に乗ったつもりって言葉があるけど、神獣人の旦那様は、つもりじゃなくて、正真正銘、大船だ。安泰だよなぁ。』

『未来様、16才で、花紋が現れたっておっしゃっていたから、あの子たちも、そろそろ現れるかもしれませんね。』

忍葉、美月、美咲、3人の娘の母親であるはずの晶子は、いつも、家族の前では、
忍葉を、娘や家族の数に入れずに話す。
都合の良い時は入れるのだが…。

そんな晶子に、何かを言うのを、ずっと前に諦めた夫、清孝は、
晶子の言葉に、いつものように、

『そうだな。』
とだけ答えた。

夫、清孝が腹の中で何を考えているかなど、思うことなく、晶子は、眠りについた。

♢♢♢♢♢

忍葉は、花姫になるわけない。
と決めつけてる晶子の手前、口には出したことがないが、

感情で物心を考え決めつける晶子と違い、
清孝は、忍葉だって女の子だ。花紋が現れたって何も、おかしくはない。
という当たり前の可能性を理解し、
美月や美咲より、忍葉に現れるのがいいに決まっていると常々、思ってきた。

器量良しの美月や美咲なら、花姫じゃなくても、いい相手はいくらでも、見つかる。

忍葉は、あの見た目だ。顔立ちは、整っているんだけどな…。あのアザがな…。

神獣人は、花紋さえあれば溺愛してくれるんだから、一番売れ残りそうなのが、高く売れれば、言うことないと密かに、思ってきた。

忍葉は、18。後、2年ある。これからだ。
諦めるのは、まだまだ早い。

一足先に、眠りについた晶子の横で、
清孝は、そんなことを思っていた。