丁度、着替え終わった頃、
ノックの音がした。
『お姉ちゃん、まだ?入っていい?』
翔様が来て、テンションが上がったのか、明るくて大きな美咲の声がした。
『いいよ。』
と言うと、美咲は、入ってきて、何かを私の足元に放り投げると、いきなり叫び出した。
『キャー何をしてるのお姉ちゃん。酷い‼︎
辞めて‼︎来ないで‼︎痛いっ』
ダダダダダダダッ、と階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、ドアがバンっと開いた。
翔様だった。
美咲が、すぐさま縋りついて、
『お姉ちゃんを呼びに来たら、
お姉ちゃんが、今日、お揃いで着ようってプレゼントした服を破ってて…、
今まで、酷いことしてきたくせに、花姫になるのが許せないって掴みかかってきて…』
と言って泣き出した。
美咲の右腕の袖が破れ、
下には、切り裂かれた服みたいなものと、ハサミが落ちていた。
頭が真っ白だった。
『貴方って子は…』
バシンという音と共に、頬に痛みが走った。
前を見ると、お母さんが、ニコッと笑った。
バンッと音がして振り返ると、タンスの中から火が出ていた。
『美咲。下に行こう。手当てしないとね。』
大事そうに肩を抱き寄せて翔様が出て行った。
『翔君、火、火っ』
『大丈夫。すぐ消える。』
扉が閉まるバシンという音にハッとして、
タンスの引き出しを開け火の中に手を突っ込んだ。
『熱っ』
隠すようにしまっていた容器を取り出し、服や容器の火を消そうと叩いていると、フッと、全ての火が消えた。
急いで容器の中身を確認する。
無事だった。
ホッとして、薄汚れた手の平サイズのクマのぬいぐるみを両手で握り締めて座り込んだまま、呆然としていた。
バンッとまた、扉が開く音がした。
『いい気味。今、翔が花姫会に電話してるわ。お姉ちゃんを花姫にさせては置けないってね。』
花姫なんて、元々、なる気なかったからどうでも良かった。
『どうして…どうしてこんなことをするの?』
『欠陥品の親にも相手にされないお姉ちゃんが花紋も出ないくせに花姫だって言われてチヤホヤされてるから、立場を思い知らせてあげたのよ。』
『そんなくだらないことのために、こんなことを…。』
『くだらないですって…‼︎
負け惜しみでしょ。まあ、いいわ…
急に、美咲の視線が私の手に注がれた。
『お姉ちゃん、まだ、そんなもの持ってたの?へぇ。それを取るために、火傷したの?
バカじゃないの?
そうだ。翔は、傷を治せるの。ホラッ』
と、切り傷や火傷をしたはずの手を見せた。
『泣いて謝るなら、翔に治してあげてって頼んであげるわよ。さあ、早く泣いて謝って、お願いしなさいよ。おねぇちゃんっ。』
『いい。』
『何言ってるの‼︎治してあげるって言ってるじゃない。』
『治して貰わなくていいから。』
美咲がギュッと唇を噛んだ。
ふと美咲の手の甲が目に入った。
あれ、花の色、あんなに濃かったっけ?
気を取られていると、
バタバタと足音を立ててお母さんが来た。
『何してるの?美咲、早く下に戻りなさい。
翔様が心配してるわ。』
『仕方ないわね。まあ、そのうち、痛くて謝りに来るわね。』
そう言い残して、美咲が出ていった。
『忍葉、これで、寮に行けなくなったわね。良かったわ。忍ばは、これから、お母さんたちと住むのよ。』
そう言うとまた、出て行った。
暫く、閉まった扉を見ていた。
我に返って、手を見た。
両手が赤くなって水膨れがあちこちにできていた。
洋服のあちこちが焼け焦げていた。特に、両手の袖と胸の部分が焼けて無くなっていた。
もうどうなってもいい。
けど、ここには居たくない、
お母さんとお父さんに、このぬいぐるみを買って貰った楽しくて幸せだった光景や、
お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんと楽しくテレビを見ている光景が、
頭の中を流れて行った。
家に、家に帰りたい。
強くそう思った。
その時だった。
バタッと、部屋の窓が開いた。
私の部屋は物置用だから、下が斜めに10㎝位しか開かない。
その扉から何かが入って来たと思ったら、みるみる大きくなって、私を背に乗せて、宙を走り出し、私は意識を失った。
♢♢♢♢♢
落ち着いた雰囲気のリビングで、紗代子は、夫、和彦とTVを観ながら寛いで会話を楽しんでいた。
急に、リビングのサッシが音もなく、開いた。
夏の生暖かい風が入ってきたと思ったら、
目の前に、癖の強い長い金色の毛をした大きな生き物が入って来た。
『し、獅子っ』
と叫んで腰を抜かさんばかりに驚いている和彦と、同じ様に驚きながら、
『ポチ?』と呟く紗代子の目の前の床に、
大きな生き物の背に乗っていた何かが、ゆっくりと降りてきた。
『し、忍葉ちゃん。忍葉ちゃんよ。貴方。』
『えっ。あっ。ホントだ。』
『花姫が、お前たちを想い浮かべて、家に帰りたいと強く願ったから、連れて来た。』
床に寝そべる忍葉を2人が覗き込んだ。
『大変。火傷している。救急車、貴方、救急車呼んで。』
和彦が慌てて電話を掛け始める。
『火傷はしているが、気を失っているだけだ。救急車が来たら、花姫を桜坂総合病院に連れて行け。』
『貴方、ポチ?』
『そうだ。』
『忍葉ちゃんに何があったの?』
『説明している暇はない。わしは行くところがある。』
そう言うと、宙を駆けるように消えて行った。
電話を終えた和彦が、忍葉の様子を見ている紗代子に
『紗代子。忍葉ちゃんに何があったの?あの獅子、何?何処へ行ったの?ポチって?』
と混乱した様子で、問いかける。
『貴方、落ち着いて。救急車が来たら、忍葉ちゃんを桜坂総合病院に連れて行けって。
何処かへ行かなきゃ行けないから何があったか話す暇はないって。』
『全然、わからないな。とにかく、
桜坂総合病院に連れて行くしかないね。』
少し気持ちが落ち着いたのか、
『なあ、紗代子、さっき、獅子を見て、ポチって言って無かったか?』
『獅子じゃないわ。松山神社の狛犬様よ。』
か
『松山神社って、忍葉ちゃんのお祖父さんの家の側にある?』
『ええ。忍葉ちゃん。狛犬とか、精霊とか、霊獣が見える子だった。
よくポチ、ポチって話しをしてくれた。
私には、見えたこと無かったけど…。
クリックリの長い金色の毛でね、獅子みたいなお顔をしているんだよ。』
って忍葉ちゃん、言ってたわ。
救急車のサイレンが聞こえてきた。
『中に案内するから、忍葉ちゃんについてて。』
『ええ。』
忍葉と一緒に、和彦、紗代子夫妻が救急車に乗り桜坂総合病院に向かった。
途中で、紗代子がハッと気づく。
『貴方、紫紺様と忍葉ちゃんのお祖父ちゃん達に、連絡した方がいいわよね。』
『あー、そうだな。』
紗代子が、救急隊員にスマホを使って良いか聞いて、電話をかけ始めた。
♢♢♢♢♢
その頃、美月と藍蓮と夕食中だった柘榴の元に、花姫会から連絡が入った。
電話を終えると、
『忍葉が、美咲のプレゼントした服を引き裂いて、美咲に襲い掛かったそうじゃ。』
『えっ‼︎お姉ちゃんがそんなことするわけない。』
『そうじゃろな。』
その言葉に、美月と藍蓮が顔を見合わせた。
『行こう。美月ちゃん。ごめん。母さん。今度、また、ゆっくりご飯食べよう。』
そう言うと、美月の手を引いて車に向かった。
『忙しない子よの。』
美咲は、愚かなことをしたみたいなだな。あのまま、千虎家に入れば、花姫でいられたものを。
『ほんに、人間とは愚かな生き物よのう。』
柘榴は、一人呟いた。
♢♢♢♢♢
一方、美月の家に向かう車の中で、藍蓮のスマホが鳴った。
『ちょっと待っててね。』
と電話に出た藍蓮の表情が強張った。
電話を終えると、
『神蛇先生が、今、救急車で、忍葉ちゃんが、桜坂総合病院へ向かっているって。』
『何で病院?お姉ちゃんに何があったの?』
『三枝という夫妻が、忍葉ちゃんが火傷して気を失っていると救急車を呼んだらしいんだ。
今、そのご夫婦も、忍葉ちゃんと一緒に、病院に向かってるそうだから、桜坂総合病院に行こう。』
美月は、藍蓮様の話しがどういうことか全く分からず、不安そうな顔を浮かべながら、
『うん。』
とだけ返事をした。
『きっと大丈夫だからね。』
そう言って藍蓮は、震えて蒼白になっている美月を抱き寄せた。
抱き寄せられて、少し、落ち着いた美月が、
『うん。そうだよね。』
と心もとなげに呟いた。
♢♢♢♢♢
紫紺は、取引先のレセプションパーティに、秘書の道忠と来ていた。
歓談中、急に、哀しみとともに、ハッキリと『家に帰りたい。』
と忍葉の声が聞こえた。
歓談をなんとか失礼がないように切り上げた紫紺は、足早に会場を出て行く。
急に様子が変わった紫紺を不審に思いながら、道忠も後を追いかけた。
忍葉に何かあったんだ。
浅井家に急ごうと車に乗り込むと、
運転手に、
『『鬼頭、浅井家に急いでくれ。』
と告げた。
『家に帰りたい。』
と聞こえた。
忍葉が家と言えば…と三枝夫妻を思い浮かべた。その時、紫紺のスマホが鳴った。
こんな時に誰だと思いながら、表示画面を見た紫紺は慌てて電話を受けた。
『あっ、紫紺様ですか?』
掛けてきた相手の慌てたような様子を感じ取り、紫紺の表情に緊張が走った。
『そうだ。何かあったのか?』
『忍葉ちゃんが、火傷をして、今、私たちと救急車に乗って、桜坂総合病院に向かっています。』
『どういうことだ?』
『それが私たちも何がなんだか…、信じて貰えるかわかりませんが、聞いて貰えますか?』
『あー、勿論だ。話してくれ。』
『主人とTVを見ていたら、急に、サッシが開いて、狛犬がリビングに入ってきて…、背に乗せた忍葉ちゃんを下ろして、火傷をして気を失っている。桜坂総合病院に行けと。
それで今、主人と救急車に乗って、忍葉ちゃんと病院に向かっているんですけど…信じて貰えます?』
窓の外を見ながら、
『ああ。獅子みたいな顔をした狛犬か?』
『ええ。ええ。どうしてそれを。』
『今、俺の所に来ている。』
『あー、そうなのね。ポチに何があったの?って聞いたら、
「花姫が、お前たちを思い浮かべて、家に帰りたい。と言う声が聞こえたから、連れて来た。話している暇は無い。行く所がある。」
そう言って、何処かへ行ってしまったけど、紫紺様の元へ呼びに行ったのね。』
『ポチ?昨日、話しをしていた松山神社の狛犬のポチか?』
『そう、そうです。』
『忍葉は、まだ、目を覚さないか?』
『ええ。眠ったままです。』
『何があったかはわからないんだな。』
『はい。』
『わかった。連絡ありがとう。すぐ病院に向かう。では、後で。』
電話を終えると、
運転手も、さっきの狛犬に気づいていた様で、
『珍しくデカイのいましたね。』
と言った。
『鬼頭、桜坂総合病院に行ってくれ。』
『えっ。あっ。はい。桜坂総合病院ですね。』
いつの間にか、電話をしていた秘書の道忠が、電話を終え、話しかけて来た。
『桜坂総合病院ってまさか忍葉様に何か?』
『三枝夫妻から今、電話があった。火傷を負って気を失っている忍葉を桜坂総合病院に搬送中だと。』
『えっ?今、花姫会から、
千虎家の翔坊ちゃんが、花姫に忍葉様が襲いかかったと連絡が来たと…。浅井家にいるはずの忍葉様がどうして三枝家に?』
『忍葉の幼い頃の知り合いの狛犬が、忍葉の声を聞いて、三枝家に連れて行ったようだ。』
『狛犬ってさっきの、金色のくせっ毛でもじゃもじゃの?』
『ああ、そうだ。花王子よ、お前の花姫が火傷を負っている。桜坂総合病院に急げ。と言っていたぞ。聞こえなかったか?』
『いえ。私は、何も。』
『そうか。俺にだけ、念を送ったか。』
『それより火傷とは?忍葉様に一体何が?』
『それは、わからない…。』
『あの妹、何かやりそうだと思いましたが、案の定、やらかしてくれたみたいですね。』
『そのようだな。それより、忍葉の状態が酷くなければいいが…。』
♢♢♢♢♢
桜坂総合病院近くに居た紫紺と秘書の道忠がいち早く病院に到着した。
忍葉が桜坂総合病院に搬送されると、紫紺のの霊力により、すぐ火傷と、頬の腫れや唇の傷は、何事もなかったように手当てされた。
その後、医師の神蛇によって他に外傷がないか検査に回された。
花姫会から駆けつけた櫻葉と神蛇先生が、
忍葉に付き添ってきたご夫妻や、
何か知っていそうな紫紺、道忠らに事情を聞き始めた頃、
藍蓮と美月が病院に到着し、神蛇先生の元に案内されて来た。
『先生、忍葉ちゃんは?』
『火傷や頬を殴られたみたいだな、唇が切れた傷やほぼの腫れは、紫紺君が治したよ。今、検査している。まだ、気を失っているからなんとも言えないけど、無事だよ。』
安心したのか、力が抜けた美月を藍蓮が支えた。
『こちらが忍葉ちゃんを見つけて救急車を呼んでくれた三枝夫妻だ。
紫紺君たちは、何か知っているみたいで、忍葉ちゃんより、早く病院に来たよ。
今、丁度、事情を聞き始めたところだ。一緒に聞くか?』
『うん。聞く。』
と美月。
『えっと、紫紺君、三枝夫妻って、紫紺君が会いに行ったご夫妻だよね?』
『ああ、そうだ。』
『美月ちゃんには、車の中でだいたいのことを話したけど、神蛇先生は、三枝夫妻が誰かわかっていないようだね。
忍葉ちゃんが入院した夜に話していた、幼い頃の忍葉ちゃんの面倒をよく見ていたご夫妻だよ。紫紺君が昨日、会いに行っている筈だよ。』
『ああ。そうだ。』
『ええ。ええ。紫紺様とは、昨日、お会いしたばかりです。』
『ああ、何処かで聞いた名前だと思っていたよ。そうか…。なるほどね。
だけど、忍葉君は、今日、自宅で、千虎の坊ちゃんを招いて、家族で夕食を食べていたんじゃなかったかい?櫻葉。』
『あ、はい。そのはずですし、翔様から花姫会にきた連絡では、忍葉様が火傷を負っていることも、浅井家から居なくなったとも、伝えられていません。』
『浅井家と三枝家は、歩いて行けるような距離じゃなかったと思うが、どういうことだい?紫紺君、三枝夫妻。』
『俺が話す。忍葉の幼い頃の知り合いの狛犬のポチが、
『ポチ‼︎』
『美月ちゃん知ってるの?』
『ほら、話したじゃない。ポチは、見たことはないけど、お姉ちゃんが小さな頃に、何もいない所でポチって呼んで話をしているのを見たことがあるの。
犬の幽霊か何かだと思っていたけど、狛犬だったのね。』
『その狛犬のポチが、忍葉の家に帰りたい。という声を聞いて、三枝夫妻の家まで、忍葉を連れて来て、桜坂総合病院に連れていけ。と言ったそうだ。
それで、救急車を呼んで、搬送中に、俺に連絡をくれた。
俺は、その時、「忍葉の家に帰りたい。」という声が聞こえて、』
この言葉に神蛇と藍蓮、道忠が一様に驚き、感嘆の声をあげた。
『流石、御霊還りだ。』
『本当だね。』
そうか、あの時、忍葉様の声が聞こえて、紫紺様は、浅井家に向かおうとしたのかと道忠は、やっと得心がいったと思った。
『忍葉の声を聞いて、浅井家に向かい始めた時、三枝 紗代子さんから連絡を受けた。
丁度、その時、俺の元にも狛犬が来て、
花王子よ、お前の花姫が火傷を負っている。桜坂総合病院に急げ。
と念を送って来た。だが、忍葉に何があったかは、わからない。』
『経緯は、わかったけど、
狛犬が忍葉ちゃんの家に帰りたいという声を聞いて、三枝夫妻の家に連れて行ったんだろう?忍葉ちゃんの父方の祖父母の家の方じゃなくて。』
その時だった。
部屋の窓がサーッと開くと、
皆んなの前に、
金色の長い癖っ毛をした大きな狛犬が現れた。
皆が一様に驚く中、
『ポチ』
と美沙子が言った。
藍蓮が吹き出して、笑いながら、
『随分、似合わない可愛い名前だね。』
と言った。
『失礼な奴だな。花姫がつけた名だ。気に入っている。』
『そうなんだ。ごめんね。花姫って忍葉ちゃん?』
『そうだ。』
『聞きたいことが、一杯だよ。
ポチはどうして、忍葉ちゃんを三枝夫妻の家に連れて行ったの?
忍葉ちゃんはなんで火傷を負っていたの?
忍葉ちゃんに何があったの?
どうして忍葉ちゃんが花姫で、花王子が紫紺君だって知ってるの?』
『やかましい奴だな。
花姫があそこの夫妻を思い浮かべて、家に帰りたいと強く願ったから、迎えに行った。
随分、悲痛な声だった…、
その夫妻の家は、花姫の家より病院に近い。
救急車とやらで、病院に一緒に行けば、花姫が目を覚ました時にすぐ会えるだろ。
人間は移動にやたらと時間がかかるからな。
ついでに、花王子も呼びに行ってやったが、着いた時には、花姫の居所を知ってたようだな。通信は早うなったな…。
人の世はコロコロ変わるでな…。
わしが花姫の所に着いた時には、火傷を負って狭い部屋に一人で居た。
花姫に何があったかは、知らん。
わしはこれを届けに来た。そう言って頭を振ると何かが落ちてきた。
『花姫の大事なものだ。』
転がったものを見た紗代子が手に取って、
『忍葉ちゃん、まだ、持っていてくれたのね。』
と涙を浮かべ、
『貴方これ見て。』
と夫に見せる。
『何、それ。ぬいぐるみ?』
『ええ。くまのぬいぐるみ。預けられていた忍葉ちゃんが、ご両親の元に行くことになったから最後に主人と忍葉ちゃんと一緒に、出かけて、その時に買ってあげたものよ。』
『このおなごは、忍葉を、自分の娘のように可愛がっていたからな。』
『お姉ちゃんが預けられていたってどういうこと?』
『さっきから気になっているんだけど、ねぇ。貴方、ひょっとして忍葉ちゃんの双子の妹の美月ちゃん?』
『えっ。そうですけど、なんで、知っているの?』
『やっぱりそうなのね。忍葉ちゃんに、似てるからそうかなと思っていたの。
会ったことはないけど、年子の双子の姉妹の美月ちゃんと美咲ちゃんがいることは知ってたから。』
『えっと、紗代子さんは、どうしてそんなにお姉ちゃんに詳しいの?私たちのことまで知ってるし…。』
『あー、そうだね。美月ちゃんには、車の中で、簡単に話しただけだからね。』
『あ〜、ビックリさせちゃってごめんなさいね。私は、美月ちゃんのお父さんのご両親の
旅館で昔、中居をしていたことがあるの。
私は、三枝 紗代子、彼は夫の和彦。』
『美月ちゃんは知ってるかしら?
忍葉ちゃんが生まれて半年後から、忍葉ちゃんが4歳くらいまで、忍葉ちゃんは、お父さんのご両親が預かっていたの。』
『えっ。お父さんの方のおじいちゃんたちが、旅館をしているのは知っていたけど、お姉ちゃんが預けられていたなんて知らなかった…。私は、おじいちゃんたちの家には行ったことがないし…。』
『小さな頃の話しだからそうよね…。
ポチは、忍葉ちゃんのお祖父さん家の近くの松山神社の狛犬なの。
私は、忍葉ちゃんのお祖父さんたちが、忍葉ちゃんを預かった時、お祖父さんの旅館の中居をしていたの。
お祖父さんたちも、旅館の仕事をしているから、日中、忍葉ちゃんの子守りをしてくれる人を探していて、
子どもが欲しかった私が、頼んで、お祖父さんの家で家事と忍葉ちゃんの子守りをさせて貰っていたのよ。
主人も子どもが好きで、仕事が休みの日や、
仕事が終わって私を迎えに来た時に、忍葉ちゃんのお祖父さんの家で一緒に過ごしたりしてたの。
小さな頃の忍葉ちゃんは、ポチが大好きで、忍葉ちゃんと、よく松山神社へポチに会いに行ってたのよ。
と言っても、私がポチの姿を見たのは、今日が初めてなんだけど…、
なんで今日は、見えるのかしら…。』
『わしが姿を見せておるからな。』
『あ〜、そうなのね。』
紗代子は、納得した顔をするとまた、話し始めた。
『忍葉ちゃんが小さい頃、ポチは、クリックリの長い金色の毛でね、獅子みたいなお顔をしているんだよ。
と言っていたので、すぐわかったわ。』
『えっと、お姉ちゃんが、お母さんたちと暮らすことになった時に、3人で出掛けて、
その時、このぬいぐるみを買ったってこと?』
『ええ、そう。あの時、動物園に行ったのよ。忍葉ちゃん、白熊が水浴びするのが気に入って…。それで、何か一つお土産を買って帰ろうって言ったら、そのぬいぐるみをえらんだのよ。ね、貴方。』
『ああ。嬉しそうに握りしめてたよ。』
その時、ノックの音がした。
『どうぞ。』
『失礼します。』
と看護師が入って来た。
『忍葉様の検査が終わりました。』
『目を覚ました?』
『いえ。指示された特別室に移って頂きましたが、まだ、眠っています。』
『お姉ちゃんの所に行きたい。』
『私たちもいいですか?』
『美月君、いいかい?』
『はい。お姉ちゃんにとって大切な人たちだと思うから。』
『それじゃ、皆んなで忍葉君の病室に行きましょうか?』
『僕は、一度、母さんと千景に連絡してくるよ。美月ちゃん、先に行って待ってて。』
『わかった。藍蓮君、忍葉君の病室は、この前と同じだよ。』
『了解。美月ちゃん。神蛇先生たちと、先に行ってて。』
『うん。わかった。』
『わしは、一足先に行ってくる。』
そう言うと、狛犬ポチは、宙に飛び上がったと思ったら、消えてしまった。
♢♢♢♢♢
藍蓮は、神蛇先生たちが出て行くのを見送ると、スマホを取り出し、電話を掛ける。
『母さん、 忍葉ちゃんは、まだ目は覚さないみたいだけど、火傷の手当ては、紫紺君がしたみたいだし、検査も済んで病室に移ったよ。』
『そうかえ。大事がないようで良かったえ。
浅井家におった翔は、白虎の当主に呼ばれたえ。』
『琥珀様に?どうして?』
『桜の花姫が桜坂病院に搬送されたことを知った悠然が、琥珀に、何か言ったようじゃな。』
『え?悠然って、紫紺君の父上は、忍葉ちゃんが、紫紺君の花姫って知ってたの?』
『ああ、花姫がみつかったら、知らせてくれと、随分昔に頼まれとったでの。
千虎家の花姫の一報を受け、姉の忍葉の存在を知った時に、悠然の若の花姫だとわかったでの。知らせておいた。』
『はあ〜。驚いたな…。それ紫紺君知らないよね。』
『悠然のことだから、若には、言っておらんじゃろうな。』
『そう。他に何かある?』
『ないぞ。』
『わかった。ありがとう。母さん。』
そう言って電話を切ると、藍蓮は、また、電話を掛け始めた。
♢♢♢
『あっ、千景、今、何処?』
『浅井家に向かう途中です。』
『そう。忍葉ちゃんは、病院について、火傷の治療はしたし、検査も終わった。ただ、まだ眠ったままだよ。』
『そうですか…。心配ですね。』
『忍葉ちゃんのスマホ多分、浅井家にあるから持って来てくれる?』
『かしこまりました。』
♢♢♢
忍葉ちゃんが目覚めないことには、何があったかはわからないな。
それに、狛犬は、忍葉ちゃんや紫紺君との関係だけは答えなかった。
随分前から、忍葉ちゃんが花姫なのも、花王子が誰かも、知ってる様子だったから、
忍葉ちゃん小さい頃の知り合いってだけじゃ無さそうなんだけどな…。
あっ、そういえば、騒ぎのせいで忘れていた。
忍葉ちゃんが目を覚ました時、紫紺君が側に居て大丈夫だろうか?
だけど、今、離れろと言うのは酷だよなぁ。
でも、目を覚ました忍葉ちゃんを、怯えさせるわけにもいかいよな…
早く花姫になることへの抵抗をなんとかしないと。これじゃあ、2人が可哀想だ。
美月ちゃんも、こないだ忍葉ちゃんが気を失ってかなりショックを受けたばかりだ。
早く側に戻らないと…そう思いながら、藍蓮は、忍葉の病室に急いだ。
♢♢♢♢♢
美月たちが忍葉の病室に着いた。
ベッドに横たわって眠っている忍葉を見ると美月は、側まで駆け寄った。
『お姉ちゃん、何も起きない。大丈夫。って言ったのに。この間、倒れたばっかりなのに…。もうこんなの嫌。早く目を覚まして。
お願い。お姉ちゃん。』
そう言って大きな涙の粒をポロポロ溢している。
紗代子が近くにあった椅子を持ってきて、美月を座らせ、頭を撫でた。
隣に、紗代子と和彦も座って眠っている忍葉を見守る。
美月たちより一足先に病室に来て、美月とは反対側のベッドサイドで、忍葉の様子を見ていた狛犬が、紫紺が近づいて来ると、
飛び上がって、仔犬ほどの大きさになると、忍葉の眠るベッドの足元に横たわった。
紫紺は、狛犬が退いたベッドサイドに駆け寄ると、愛おしそうに眠っている忍葉の顔を覗き込み、頬を撫でながら、
『何があったんだ。忍葉。早く目を覚ましてくれ。』
と悲痛そうに呟いた。
紫紺の放つ神気と真剣な眼差しに、美月たちは、惚けたように紫紺を見つめた。
紫紺は徐に顔をあげると、
『神蛇先生、忍葉を頼みます。目を覚ました忍葉を恐がらせたくないので、俺はこれで。』
と言って立ち上がった。
『ああ、そうだね。紫紺君。病院にまだ居るつもりなら、僕の部屋に居るといいよ。』
『そうさせて貰います。』
そう言うと、紫紺は、
病室の入り口に控えていた道忠に
『後は頼む。』
と言って病室を出て行った。
紫紺の後ろ姿を見送りながら、
『こんな時に、お姉ちゃんが、紫紺様の側に居られないなんて、花王子は、誰よりも、花姫を大事にしてくれるのに…。なんでお姉ちゃんばっかり辛い思いをしなきゃいけないの‼︎』
と悔しそうに言った。
病室内が一瞬、鎮まり返ったが、
すぐに、紗代子が、静けさを破って口を開いた。
『そう。大事なことを伝えてなかったわ。
美月ちゃん、救急車の中で、美月ちゃんのお祖父ちゃんたちに忍葉ちゃんを、この病院に搬送することを連絡したの。
明日、朝一で、家を出て病院に見舞いに来るっておっしゃってたけど…。
良かったかしら?』
『はい、大丈夫です。
三枝夫妻の名前やお姉ちゃんが預けられていたことは知らなかったので、驚いたけど、
藍蓮様から、
お姉ちゃんの心理的抵抗を解く鍵になる、
お父さん側のお祖父ちゃんたちや、
小さい頃のお姉ちゃんの面倒をよく見ていたご夫妻に、紫紺様は会いに行く。
ってことは聞いて知っていたし、
お姉ちゃんの心理的な抵抗が解けて花姫になれるなら、そうなって欲しい。
だから、会いに来てくれるのは嬉しいし、
私もお祖父ちゃん、お祖母ちゃんに会ってみたいです。』
『じゃあ、紫紺様が、私たちに会いに来たことは、知ってるのね。』
『はい。』
『紫紺様が、忍葉ちゃんの花紋が現れることへの抵抗を解決したいから協力して欲しいと、お祖父ちゃんたちや私たちのところへわざわざ来てくれて、
美咲ちゃんが花姫になってから経緯や、
忍葉ちゃんがご実家に引き取られてからの家庭環境や生活のことなんかを話してくれたの。
紫紺様には伝えたけど、
私たちも、お祖父ちゃんたちも、貴方たち姉妹に協力出来ることがあるなら何でもするつもりだから、遠慮なく言ってね。』
『ありがとうございます。』
ノックの音がして、
『藍蓮だけど、入っていいかい?』
と声が聞こえた。
美月が嬉しそうに、
『どうぞ。』
と声を掛けた。
藍蓮が、病室に入ると、
ベッドに近寄って、忍葉の様子を見る。
『まだ、目覚めないみたいだね。』
『うん。でも、今日は、前みたいにうなされていなくて、顔が穏やかだよ。』
『そうだね。美月ちゃん、大丈夫だった?』
『うん。大丈夫。』
『道忠、紫紺君は?』
『紫紺様は、忍葉様が目覚めた時に、恐がらせたくないとお顔を見るとすぐ、病室を出られて、今、先生の部屋にいらっしゃいます。』
『そう。僕もそのことが心配だったんだ。辛いね…。』
『藍蓮様、紫紺様の話を聞いて、三枝夫妻も、おじいちゃんたちも、協力してくれるって…。』
『そう、良かった。』
『僕はそろそろ、仕事に…
髪蛇先生が話し始めたとき、目を覚ました忍葉が、目でキョロキョロと周りを見回し始めた。
皆が忍葉の様子を伺っている中で、意識をゆっくり取り戻してきた忍葉が、手を持ち上げたかと思ったら、ガバッと起き上がった。
『お姉ちゃん…、良かった。目を覚ました。
私、わかる?』
『わかるよ。美月でしょ。それより、紫紺様は?紫紺様は何処?』
紫紺を恐がっていたはずの忍葉が、目覚めた途端、紫紺を探したことに、皆が驚いた。
『忍葉君。落ち着いて、目を覚ましたようだね。ここが何処かわかるかい?』
落ち着いた穏やかな声で、神蛇先生が話し掛けた。
美月の方を向いていた忍葉が、反対側に来ていた神蛇先生の方を向いた。
それからゆっくり周りを見渡して、
『こないだと同じ病室…、私、何かもじゃもじゃしたのに乗って…、
その時からずっと紫紺様の私を呼ぶ声が聞こえてたような…
後、誰か…懐かしい声が、忍葉ちゃん、忍葉ちゃんって言っているのが、聞こえてて…、紫紺様が、火傷?…熱くて、痛いのとってくれた気がしたんだけど…。
気のせいかと思って手を見たら、綺麗になっていたから…。
紫紺様は、居ない…の?』
『驚かされてばかりだ。紫紺君に忍葉君の声が聞こえた時、忍葉君も、紫紺君の声が聞こえていたんだね。』
『えっ?』
『紫紺君なら居たよ。忍葉君の火傷を治したのは紫紺君だ。
目を覚ました忍葉君が、紫紺君を見て、
恐がるといけないから、離れたんだよ。』
『気分はどうだい?忍葉君。』
『少しぼんやりしてるけど、他はなんともないです。
火傷、紫紺様が治してくれたんだ…。
そう言えば、美咲、翔様が治せるって言ってた…。』
『得意不得意があるけど、霊力である程度の傷は治せるからね。
他に痛いところはあるかい?』
『いえ。何処も痛くないです。』
『そうかい。なら良かった。
忍葉君が、病院に搬送された時、火傷を負い、頬が腫れ、唇の端が切れていた。殴られたみたいだったよ。
頭や身体に怪我を負うようなことをされてないかい?』
『それ以外は何も…。』
『なら良かった。念のため、他に頭や身体に外傷がないか検査したよ。もうすぐ、結果がでるはずだ。君に何があったかわからなかったからね。でも、その話だと大丈夫そうだね。』
『はい。』
『それじゃ、どうしようか…、紫紺君を呼んでも、大丈夫かい?』
『呼んでくれるの…?』
そう言って神蛇先生を見た忍葉は、大丈夫かと聞かれたことに気づいて、
『あっ…、わからないけど、…会いたい、側にいて欲しい…。』
と言った。
神蛇先生の言葉を皆が待った。
『道忠君、紫紺君を呼んで来てくれるかい?』
というと周りにいた皆が安堵の表情を浮かべた。
今まで黙っていたポチが、
『それには及ばんよ。わしが呼ぶ。あやつなら念が、聞こえる。』
と言った。
そして、黙ったかと思ったら、
『直ぐ行く。と言っておったぞ。』
と言った。
狛犬ポチに見慣れてきた紗代子が、
『ポチって何でもできるのね…。』
と感心したように言った。
『人間は、肉体に縛られとるからな。わしに肉体はないからな。』
ほどなくして、病室にノックの音が響いた。
『入っていいか?』
紫紺の声を聞いた忍葉が先生を見る。
『入って来てくれるかい?』
紫紺は入って来ると、ゆっくり忍葉の方に近づいた。道忠が場所を譲った。
紫紺が忍葉の真横のベッドサイドまで来た。
忍葉の様子に変化はない。
『忍葉、側に居て大丈夫か?』
『わからない、少し恐い…だけど、
そう言って手を伸ばすと紫紺のスーツの袖を持ち、
『…側に居て…
とか細く言った。
紫紺は、衝動的に抱きしめてしまいたくなる思いを堪え、自分の袖を持つ忍葉の手をとり、椅子に座ると、両手で握り、
『ここに居る。』
と言った。
忍葉の緊張が少し緩んだように見えた。
『大丈夫かい?』
『はい。少し恐いけど…。』
『うん。そうなんだろう。
こちらから見ても、少し不安定に見える。
けど、紫紺君が居た方が良さそうだね。』
『はい。』
『話をすることはできそうかい?』
『はい。大丈夫です。』
『それなら、これから話すことを落ち着いて聞いてくれるかい?』
『はい。』
『実は、忍葉君が、美咲君のプレゼントした服を引き裂いて、美咲君に襲い掛かったと、千虎家の翔坊ちゃんから、花姫会に連絡があったんだ。
『知ってる…。』
その場に居る殆どの者は、気を失って病院に運ばれてきた忍葉が、
翔が花姫会に電話をしたことや、電話の内容を知っていると思っていなかった。
美月は、驚きに息を飲みなから、
一体どういうことなのかと混乱した。
櫻葉は、驚いてはいるが落ち着いて、神蛇と忍葉を見守っている。
三枝夫妻は、思いがけない展開に驚き、言葉を失ったまま、成り行きを固唾を飲んで見守っている。
神蛇は、忍葉の言葉に驚きつつも、冷静に言葉を紡ぐ。
『知ってるんだね。君は、どうして知っているんだい?』
『美咲が言ってたから。
翔様が、私を花姫にさせて置けないって、花姫会に電話してる。いい気味って…、』
『そうなんだね。美咲君がそう言っていたんだね。』
『はい。』
『今日は、家に、翔坊ちゃんを招いて家族で食事をする予定だったよね。そこで、忍葉ちゃんに何があったか?
どうして火傷を負っていたか?
話してくれるかい?』
『はい…。』
と答えると忍葉が、訥々と話し出した。
『チャイムが鳴って、翔様が、家に来た時に、美咲に部屋で着替えて来るように言われて、着替えに行って、
えっと…、美咲とお母さんは、朝から、買い物に行ってて…帰ってきた時に、
美咲が、柘榴様が私にくれた服を返してくれて、夕飯の席で着て欲しいと頼まれていたから。
それで部屋で着替えたら、
美咲が
『お姉ちゃん、まだ?入っていい?』
って来て、
『いいよ。』
って言ったら、
美咲がガチャって部屋に入るなり、キャーって叫んで、何かを私の方に投げて、
「何をしてるのお姉ちゃん。酷い。辞めて‼︎来ないで‼︎痛いっ。」
って叫ぶみたいに言って…
階段を駆け上がる凄い足音がして、
翔様がドアに来たら、
美咲が、翔様に縋りついて、
「お揃いで着ようってプレゼントした服を私が破って、
今まで、酷いことしてきたくせに、花姫になるのが許せない。
って掴みかかってきた。」って、
泣き出したの…
もう頭が真っ白で…
美咲をみたら、
美咲の右腕の袖が破れて、
私の足元には、切り裂かれた服と、ハサミが落ちていた。
気づいたらお母さんが目の前にいて
お母さんが私を殴って…
バンッと音がして振り返ったら、タンスの中から火が出てて、
お父さんが、翔君、火、火って言う声がしたけど、
すぐ消えるって、
みんなが居なくなっだ…
私、タンスの中に大事な物をしまっていて…
夢中で手を入れて取り出して、
火が服に燃え移って、消そうとしてたら、
急に、パッと嘘みたいに消えて…
ぬいぐるみを握りしめて呆然としてた。
その時、美咲が来て、
翔様が花姫会に電話してるって、
いい気味だって、嘲笑うみたいに言った。
私…花姫になんてなりたくなかったし…
そんなこと別にどうでもよくて、
それよりもなんで、こんなことをしたのかが、わからなくて、許せなくて、
美咲に聞いたら、
欠陥品の私が花紋も出ないのに、花姫だとチヤホヤされてるから、立場を思い知らせてあげたって…
そんなくだらないことのためにこんなことをしたのかって…
その時、火傷して、クマのぬいぐるみを持っていることに気づいた美咲が、
それを取るために、火傷したの?
バカじゃないの?
泣いて謝るなら、翔に頼んであげるって、
翔は、傷を治せるからって。
美咲の花紋…鮮やかなピンクになってて、
ギラギラするような…
美咲の様子とギラギラした色が被って見えた、
痛みなんかどうでも良かった…
いつも美咲は、私を踏みつけて屈服させようとする。
自分の思いとは違うことを言い続けられてきた。何も悪いことをしていないのに、謝ってしまったら…、もう、自分が壊れてしまいそうで、怖かった…
治して貰わなくていい。
って言う私に、
治してやるから謝れ。
って、いい合ってるとき…
お母さんが、
翔様が心配してるから早く戻るように美咲に言いに来て…
美咲がいなくなって、
忍葉、これで、寮に行けなくなったわね。良かったって…、 これから、お母さんたちと住むのよ。
って言い捨てて出て行った。
もうどうなってもよかったけど、
ここにだけは居たくない。って思って…
お母さんとお父さんに、ぬいぐるみを買って貰った楽しくて幸せだった光景や、
お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんと楽しくテレビを見ている光景が、
頭の中を流れて…
家に帰りたい。って思ったの。
そしたら、窓から何かが入ってきて、
背に乗せられたような…それから、ずっと紫紺様の声が聞こえていた気がするんだけど…
それと忍葉ちゃん、それと忍葉ちゃんって呼ぶ声が遠くに聞こえて…なんだか温かい気持ちがしてた…
あの大きな毛むくじゃらは、なんだったのかな……。』
忍葉の話が途切れると、静まり返っていた病室に、
『酷いっ‼︎』
と美月の大きな声が響いた。
ずっと下を向いて話していた忍葉は、驚いて顔を上げ、美月の方を見た。
『美咲の自作自演じゃない‼︎何やってるのよ。美咲は‼︎バカだ、バカだと思ってたけど、本当にバカ‼︎』
怒りながら、涙を流している美月を見て、忍葉は、複雑な気持ちに襲われた。
信じて貰えないかも知れない。
という恐さがあったから、美月の言葉は、正直、嬉しかった。同時に、辛かった。
私だって、変わってくれたら、このまま、千虎家に入って、花姫になって幸せになってくれたらいいと思っていたんだから…、双子の美月は尚更だろう…そう思うと、声を掛けられずにいた。
その時、
『大丈夫?』
と聞きなれない声が聞こえた。
美月の横、藍蓮様とは反対側に、
見知らぬ女の人が居て、美月を気遣うように声を掛けていた。
その隣にも、見知らぬ男の人がいることにやっと気づいた忍葉は、一瞬、藍蓮様のご両親かと思った。
でもすぐどう見ても神獣人には、見えないと気づいて、
『あの〜。その人たちは、誰ですか?』
と神蛇先生に訊いた。
忍葉の言葉に少し驚いた表情を浮かべながら、
『忍葉君は、三枝夫妻を覚えていないの?』
と神蛇先生が聞いた。
『えっ?』
驚いた顔をする忍葉を見て、
『救急車を呼んでこの病院に搬送するよう言ってくれたのは、この三枝ご夫妻だよ。』
『えっ‼︎』
忍葉は、更に驚き困惑した表情を浮かべた。
三枝夫妻、狛犬のポチと今、忍葉が話したことを聞いて、
忍葉がぬいぐるみを握りしめて、それを買った三枝夫妻を思い浮かべ家に帰りたいと願ったんだろうと理解した神蛇は、
このタイミングで、忍葉をよく知ってそうな狛犬が花王子を呼びに行ったことから、花紋が現れないことと何か繋がりがあるかもしれない。
現に、目覚めた忍葉君には、変化が起きてる。
と慎重に話し出した。
『忍葉君、これから話すことはちょっと驚くことだと思うけど、落ち着いて聞いてくれるかい?』
何を言われるのだろうと不安になりながら、
『はい。』
と忍葉が答えた。
忍葉のそんな様子を気に留めながら、神蛇は口を開いた。
『忍葉君は、ぬいぐるみを握りしめて、家に帰りたいと思ったら、窓から大きな毛むくじゃらが入ってきて、背に乗せられたような気がしたって、話してくれたね。』
やっぱりそんなあり得ないこと信じて貰えないのかと思いながら、
『はい。』
と答える。
『実はね、家に帰りたいという忍葉君の思いを聞いた狛犬がね、忍葉君を迎えに行って、
そこの三枝夫妻の自宅へ連れて行ったんだよ。』
『えっ‼︎どういうこと?』
その時、忍葉の足元で何かが動く気配がして驚いて、見ると、
パンッと何かが飛び上がった。
そして、神蛇先生の隣にトンっと音を立て降りた。
驚きつつ、なんだろうと目を凝らして見ている忍葉の前にみるみる大きくなった何かが姿を現した。
現れたのは、長いクリクリのくせっ毛に覆われた獅子のような顔の大きな狛犬だった。
『あっ、窓から入って来た大きくて毛むくじゃらの…』
『忍葉君の父親のご両親の家の近くの神社の狛犬様だよ。』
『お父さんの両親?何でそんな所の狛犬が…』
忍葉は、父方にも祖父母がいることは、知っていたが、会ったことは無かった。
どういうことかわからない忍葉は、混乱して言葉に詰まった。
『家に帰りたいと声が聞こえたから、てっきり、わしを思い出したと思っておった。
そうか、花姫は、わしを思い出しては、おらんのか。』
そう言って、狛犬は、ガッカリしたように項垂れた。
突然、話し出した狛犬に驚いた忍葉は、
一拍遅れて、
『思い出すってどう言うこと?』
と呟くように言った。
事情がわからない美月と櫻葉は、心配そうに成り行きを見守っている。
ポチの話を聞いて、自分たちのことを覚えていると思っていた三枝夫妻は、
忍派の様子から、忍葉が、幼い頃のことを覚えていないようだとわかり、落胆しつつも、これ以上、混乱させては可哀想だと話しかけることを躊躇っていた。