第31話「プロローグへ」
勇者の寝所番───。
その日から数日間、クラムは「任務」のため勇者のキャンプ地を訪れ──彼のものの寝所で番兵として立哨した。
とはいえ、まじめな立哨を求めらているわけではない。
警備計画もなければ、歩哨や動哨との連携を求められることもなかった。
彼に求められていることはただ一つ。
『勇者テンガ』に抱かれている女が恥じたり、興奮したりと……、要するに普段よりも違う反応をすることを求められているだけだ。
すぐ近くで、見知らぬ男がいるというのは、やはり女をして意識するようで、戸惑った顔を向けられつつも、「ハレム」の女達はテンガに抱かれていた。
その様を、ボンヤリと突っ立ち───案山子になっている様子のクラムを見て、勇者の野営地にいるキャンプの構成員はあざ笑う。
そして、近衛兵や非戦闘員の勤務員に笑われ蔑まれるクラム。
誰も彼もが緩やかに無視するなか、クラムは毎日通い続けた。
『勇者』が目覚める朝の遅い時間帯よりも早く───。
目覚めの一発よろしく、と──ヤリ始める『勇者』を楽しませるためだけに………。
そして、日中も気まぐれに女を呼ぶ『勇者』のために寝所の前に突っ立つのだ。
それがクラムの日常。
勇者が寝付く深夜に漸く帰っていくというローテーション。
バカバカしいけど、それが仕事なのだ。
いっそ、本来の囚人兵としての勤務方がよほど楽だとすら思える───。
だが、進軍はまだない。
予想以上に人類連合軍の損害は大きいらしい。
今回は、奇襲攻撃であったが、魔族側の反撃は熾烈であり、勇者のいる「主攻撃」正面以外は手酷い反撃を受けて壊滅状態だという噂だ。
そのため、作戦の練り直しと再編成が急ピッチで行われていた。
拍子抜けするほどに遠ざかる戦争の足音を聞いて、クラムは日々寝所とキャンプを行き交うのみ。
だが、それはクラムの心を蝕む日々でもあった。
まだ、たったの数日ではあるが、彼の精神は日毎に荒んでいった。
しかも、その様子を面白がった『勇者』は、他の女よりもクラムの家族だった3人を集中的に抱くようになっていた。
途切れることなく聞こえる、ネリスとシャラとミナの嬌声。
喘ぎ声に、その情事の激しさを思う。
見せつけるように天幕の中は明るく、浮かび上がった影絵がその行為の様子をクラムにまざまざと示して見せる。
ネリスの熱い声、
シャラの甘い声、
ミナの激しい声、
どれも……。
クラムをして知らないものだ───。
ネリスでさえ、あんな声を出すなんで知らなかった。
それは、男として情けなく、悔しく───惨めだった。
最初は、なんとか辞めさせようと寝所に入る彼女たちに声をかけたが、最近ではそれもしない。
言っても聞かれないばかりか、酷い罵声を浴びるだけ────それも聞くに堪えない罵詈雑言だ……。
「ゴミ」
「犯罪者」
「囚人兵」
誰だって、知り合いに罵られて嬉しいわけがない。
それが愛する家族なら、なおさら……。
だから、もう、クラムに話す気力はどこにもなかった。
今はただ、時間が過ぎていくのを暗い暗い表情で眺めるだけ。
昨日はミナ……。
あ、いや……一昨日だったかな?
……今日はシャラか。
───そして明日はネリス、と………。
激しく交わる男女のそれを聞きながらも、ギリギリと歯を噛みしめ…勇者への憎しみを募らせる。
そして………そんな男に抱かれる3人に苛立ちと憤りを感じた。
なにより……。
彼女らの言葉が辛い───。
ネリスは決して言葉を発しないし、
シャラは挑発する……。
ミナは、リズのことを話そうともしない……。
そして、
ルゥナのことは……誰も教えてくれない。
それでも、
それでも、だ。
今日も、クラムは寝所の番をする。
だって、他にどうしろっていうだ?
だって、しょうがないじゃないか……。
だって、俺にも──────家族がいる。
最後の、
たった一人だけの家族が………………。
あぁ───。
雨が降る………………。
第32話「クラムの日常」
そうして、冒頭へ─────シャラと別れたあの日の夜にクラムの思考は戻ってきた。
(ちくしょう……)
呻くクラムの顔に冷たい水滴が降り注ぐ。
ポツリ、
ポツリポツリ……。
と───、
また、あの冷たい雨が降り始めたのだ。
(どうして……────)
ザァァァァァァァァ……。
ザァァァァァァァァ……。
そんな中でも、クラムはいつの間に寝入ってしまっていたらしい。
怒りに震え叩き続けた拳は割け、血だらけになっていた。
だが、
「あれ? こ、これは──……」
ドロドロに汚れていると思った手はいつの間に包帯が巻かれており、血だらけに見えたのは、雨に濡れてそれがあふれ出しただけのようだった。
「?」
───いったい、誰が?
自分で手当てをした覚えもないし、囚人兵である自分には、包帯なんてものは支給されない。
雨が降りしきる中、疑問に首をかしげるクラムの傍に人の気配があった。
(う……マズい!)
気づかないうちに誰かがいる。
近衛兵か?
もしや、眠ていたことを咎められるのかとビクリとする。
「彼………眠ったわ」
そう言葉が降ってくるが……。
こんな言葉───。
今の彼女が………?
「義母さん……?」
雨に濡れることも厭わず───シャラがほんのすぐそばに佇んでいた。
見上げると、上気していたであろう頬は冷め、やや青くなっていた。
ぐっしょりと濡れた髪と服。
それは、今さっきここにいたというものではないようだ。
「手……───大事になさい」
フと──シャラの……義母さんの懐かしい声を久しぶりに聞いた気がして、気が解れてしまった。
思わず、不意にジワリと涙が溢れた。
だが、幸い雨だ。よほど近くでもない限り気づかれることもないだろう。
「じゃ……。行くわね───。彼、しばらくは起きないから、今日は帰りなさい」
それだけ言うと、踵を返し、「ハレム」へと帰っていく。
その背がひどく小さくなり、また震えているように見えた。
「───待って! 待ってくれ義母さんッ」
思わず呼び止めるクラム───。
でも……。
特に何かを言いたいわけでも、何かをしたいわけでもなかった。
ただ、
「……何?」
振り向いた彼女の顔は雨に濡れ、まるで泣いているようにも見えた。
彼女に限って、それはあり得ないだろうが……。
「あ……。その───や、あ、そ、ありがとう!……義母さん」
手を示して、手当を感謝すると伝えた。
「ん……」
コクリと頷き今度こそ帰ろうとするシャラ。
しかし、クラムは声だけでは……満足できなかった。
どうしようと思ったわけではないが──。
シャリンと鎖を鳴らして一歩たたらを踏み、思わずシャラの手を掴んでしまった。
「ま、待ってくれ……義母さん!」
そのまま、強く引き寄せ、思いっきり抱きとめてしまう。
彼女は……華奢で、驚くほど軽い。
そして、鼻腔いっぱいに広がる匂いは、情事のそれではなく、シャラの───彼女だけの香りだった。
雨が、テンガとのそれを洗い流してくれていたようだ。
「きゃ……!」
小さく悲鳴を上げるシャラを腕に抱き、間近で見ると雨に濡れた衣服は透けており、もともと薄い夜着のせいでほぼ全裸に近くも見えた。
あまりにも煽情的に過ぎるそれに、思わず唾を飲み込むクラム。
背徳的なまでに……。
そう、───恐怖すら感じる美貌だった。
「は、離しなさい!」
小さく抵抗するシャラを見て───なんと言えば……?
いま、何て言えばいいんだよ──?
「あ、ぅ……。あ、か、風邪……ひく、よ。義母さん」
「離して!」
それでも、離さずギュウゥゥと思いっきり抱きしめ……彼女の肌に顔を埋める。
毎日毎日、情事を見せつけられ……甘い声を聞かされて、家族が「女」になるその様をまざまざと見せつけられて──クラムとて劣情を催さないわけではない。
そんな感情を持ち得てはいけないと知りつつも───……どうしようもなく、日々の精神的な負荷は、クラムの中に澱として溜まっていく。
しかし───シャラは、だめだ!
こんななりで……『勇者』の「女」でも───家族だった人。
愛おしい、在りし日の幸せの残滓であっても、───たしかに家族だった。
家族。
家族……。
かぞく──。
カゾクダッタヒト───。
シャラ……。
「ごめん。ただ、お礼が言いたくて───」
「ッ……───」
バっと身を翻すと、もう振り返りもしないでシャラは去っていった。
ただ、離れた「ハレム」に入る瞬間、一度だけクラムを見る。
その目が……。
口が──────。
声が─────────!
あぁ、なんだクソ!
……雨で煙りよく見えない───。
「──────……」
口が動いて何かを言った気がするが……聞こえない。
聞きたくない。
もう何も───…………。
第33話「泥を啜ってでも───」
シャラを見送り、暫く雨に打たれるに任せたクラム。
冷たい雨が体温を奪うと共に、束の間感じれたシャラの温もりをあっという間に洗い流していった。
「……帰ろう」
思いを振り払うようにクラムは顔の水滴を拭った。
体の芯は鉛のように思い───。
きっと、風邪だろう。
こんな場所で風邪をひくと言う失態。
だが、寝所番を命じられている以上、避けられない事態でもある。
だから今は眠りたかった。
あの狭い不衛生な天幕に戻って、リズの温もりも感じながら泥の様に眠りたかった。
「帰ろう……」
誰に言うでもなく、クラムの呟きは闇に溶けていった。
そうとも、帰る──────帰るんだ。
あの小さな「家」に。
ノロノロと動き、今日の「仕事」を終えるクラム。
シャラの助言のおかげで睡眠時間が多少稼げた。………それだけでも、今日はまだマシかもしれない。
ちょっとした怪我と、風邪により体調を崩したことはさておき……だ。
ジンと痺れる拳。
冷え切った体の中、そこだけが燃える様に熱い。
おかげでふらつく頭も少しはまともに働いてくれる。
ゆっくりと周囲を振り返ると、どこもかしこも闇に閉ざされている。
ボンヤリ天幕から明かりが漏れているところもあるが、遮光性の高い軍用天幕はテンガの使うそれとは違い、暗く闇に溶け込んでいる。
雨の日の野営地は本当に暗い───。
激しい水滴の応酬に、篝火ひとつ焚けないキャンプ地は、本当に暗いのだ。
光源といえば近衛兵たちの天幕内で灯っている小さな明かりくらいなもの。それすらほとんど見えない。
「飯───確保しないとな」
そんな中、幽鬼のような表情でクラムは歩いていく。
すぐに帰りたいところだが、食料を得ねばクラムもリズも飢えてしまう。
無理を推してでも給食を摂る必要がある。
お金はあるが、なるべく取っておきたいし、なにより「勤務時間」のせいで闇市にも寄れない。
仕方がないので支給される給食を当てにしているのだが、どうにもこうにも、ここのところそれがまた一段と酷くなってきた。
だが、食わねば死ぬ───。
リズと二人で死んでしまう。
それでもいいと思えるのは、クラムだけの独り善がりだろう。
リズは………………。
あの子だけは、なんとしてでも救いたい。
……だから、どんなに酷い飯でも取らねばならぬ。
クラムの向かう先、厨房設備のある天幕はさらに人気がなかった。
飯の準備と配食時以外にここは人気がない。
早朝ならば朝飯を準備するため殺気だった勤務員が怒鳴りながら仕込み作業をしているが、この時間は無人だ。
火もついておらず、一層暗い空間。
そんな中、クラムは厨房の脇へと近づき、地面に掘られた穴に近づく。
そこは、雨に濡れて拡散してはいるが、……ひどく生臭い匂いが漂っていた。
そうとも、
ここはゴミ捨て場───近衛兵どもの残飯やら、なんやらが山と捨てられたとこで、そのうちの生ゴミ捨て場だ。
このキャンプ地にはそんなのがいくつかある。
そして、今クラムが覗きこんでいるのは、比較的古い穴だった。
「……う」
ツンと鼻をつく刺激臭。
底のほうでは腐敗が始まっているのだろう。
厨房では、生ゴミや食べ残しを処理するため定期的に穴を掘っているらしく、ここ以外にも埋め立てられた穴がいくつかあった。
この野営地はかなりの大所帯のため、掘った穴はすぐ埋まる。
だが、大きめの穴を掘れば2、3日は使えるのだ。
そして、これがクラムへの支給された給食でもあった。
「今日は、一段と酷いな……」
覗き込んだクラムにはとても、食べ物があるようには見えなかった。
運が良かったり、穴が新しければ比較的程度の良いものが手に入るのだが、雨のお陰でこの様だ。
しかも、古い穴のせいで発酵と腐敗が余計に進んでいる。
当然のこと捨てられた食材はゴミだ。そして誰にも触れられないゴミは古くなっていき、中身は腐敗したもので溢れかえる。
そして、捨てたばかりの生ごみもそれと交じり合い、中々ひどい状態になるのだ。
今日は、その上雨……───。
雨で匂いは誤魔化されているが、水没した食料は底のほうの腐敗汁と混ざり合い、状態は最悪だ。
しかも、最近ではクラムがこれを食べていることを知った幾人かの奴らが、わざわざここに汚物を放り込んだり土を入れたりする。
しかも、手の込んだ悪戯をする連中に至っては、わざわざ棒を使って穴のなかを攪拌しやがる……!
くそ!!
おかげで上のほうにある新しい生ごみも、腐敗した食材と混ざって──もうひどいものだ。
近衛兵だか、後方の非戦闘員の連中か…はたまた「ハレム」の女たちか知らないが、面倒なことをするものだ。
───よほど暇らしい。
何がしたいのか全く分からない。
クラムのみじめな姿を見たいと言うならまだわかる。
わかりたくもないが、そういう人間もいる。
だが、この時間にゴミを漁っているクラムの姿など見ることもできないのにそんなことをするのだ。
───その……なんだ? なんていう心理状態なのか知らないが、例え嫌がらせをしたとしても結果が見れないのが分かっていて、なぜやるのか理解に苦しむ。
しかし、実際にこれだ───。
とりわけ今日は強烈だ。
雨の中、生ごみの穴を覗き込めば、プカプカと浮いている生ゴミに交じり、茶色の固形物も……。
信じられるか?
わざわざここまでク〇を運んできて投げ込む面倒さを、惜しまない連中がいるのだ。
考えられない阿呆だ。
オマケでタダでさえ汚い食材に、流れ込んだ泥が含まれて、泥と〇ソの区別もつかなくなる。
「くそ……!」
これを食べろという。
たしかに食べ物だ。
栄養価の高いものもなかにはある。
だが、腐敗したものや、危険なものも含まれている。
それに、悪戯が度を越せば、ここに毒やら刃物を入れられる可能性もある。
ここの食料を生命線とするクラムたちにとって、それは致命的過ぎる。
…………それでも───。
それでも、これしかないのだ。
これを、食うしかないのだ。
「食ってやるさ……! なんとしてでも食ってやるさ!!」
何処かの天幕から漏れる、かすかに見える程度の薄明りの中でクラムは屈みこみ、食材らしきものをかき集めていく。
自分で食べる分と───リズの分。
それを集め、……毒見するのだ。
そうしないとリズが危険だ。
あの子のためなら、この身など惜しくはない。
だから、クラムが体を張る───。
それしか方法はない。
さぁ、今日も頂きます───クソ近衛兵ども!
そして、クソ勇者め!!
かき集めた食材を、まずは目視で確認するクラム。
異物の混入や、付着物を確認し、大丈夫そうなら、次は匂いだ。
当然、糞便の匂いがするものは捨てる。
それは腐敗臭も同じ。
ただ、大きな塊状のものは、その限りではない。
槍の穂先で表面をこそぎ落とせば、いくらかは食える場合がある。
ただ、この雨のせいでパンはだめだ。
汚物と腐敗汁がしみ込んでしまっている。ゆえにパンはあきらめて主に硬いもの。
肉や、野菜類、果物を狙う。
お…………これはいけるか?
……う、クソがついてやがる。
だが…食えるな。リズではなく、洗って俺が食うしかない。
自分が今食べる用と、リズ用、そして保存食用だ。
優先順位はリズが一番高く、次に保存食。そして、俺だ。
土やちょとした汚れた程度のものを選別する。
しかし、暗くてほとんど色がわからないので、明らかに食えないものや──。
時折、人糞を思いっきり握ってしまったりと、なかなか作業は進まない。
雨のせいでもあるが、雨のおかげで手が洗えるのはありがたい。
そういえば久しぶりの雨だ。
………あとでリズと一緒に体を洗おうかなと、ふと思いつき、その方法を画策する。
石鹸なんて手に入るはずもないが、ハーブくらいならなんとか摘むことができる。
汚れを落とし、ハーブで傷を癒しつつ、匂いを刷り込む───。
きっと気持ちいいだろう。
リズも喜ぶに違いない。
うん。そうと決まれば急がないとな───。
それにしても、降ったり止んだりと忙しない雨だ。
「天に誰かいるなら、そいつは実に頭がいい」
塩でも、矢でも、炎でもない。
「───水なら、誰も死なないからな……」
そんなことを気にしながら、クラムはようやく食材を集め終わり、懐に収めていく。
これらは毒見……。何とか食べられる。
残飯漁りのクラム。
まったく卑しい姿だろう。そしてそれを食うしかないクラムとリズ。
だが、……悔しいが、中にはなかなか旨いものもある。
なんせ、近衛兵の食事の残飯。
なかには勇者やハレムのそれもあるのだろう。
当然、平民出の野戦師団や、囚人兵のそれとは違う。
「……御綺麗な近衛兵たちの食い物なだけはある。中身はクソ野郎だが、いいもの食ってやがるぜ───」
っと、大分集まったな。
今日はなんだかんだで、上々だ。
シャラのお陰で残飯漁りの時間が大きく確保できたためか……。
(義母さん……)
頭をふり、クラムは扇情的な恰好をしたシャラの姿を隅に追い出す。
今はその姿に囚われているときじゃない……。
リズを優先しよう───。
俺の最後の家族……。
リズ───。
「……さて、行くか!」
カラ元気のように声を出すと、ヨロヨロと立ち上がり、自分用の食い物を口に詰め込む。
なにか苦い味が混じったりして……不潔なものだが、これを食わねば生きていけない。
そうだ。
泥を啜ってでも……生きなければ。
何が何でも生きなければならない……。
何度───。
何度死にたい。
殺してくれ。
それが無理なら、殺してやる! なんて考えたが……。
今はもうできない。
クラムには未練ができてしまった。
守るものができてしまった。
憎しみだけではなくなってしまった───。
リズのこと。
ネリスや、シャラや、ミナのこと。
そして、ルゥナの行方───。
そして、なによりも……憎しみだ!
諸悪の根源である『勇者』をこの手で──────!!
そのためにも、飢えで死ぬわけにもいくものか。
早晩、体調を崩す可能性もあるが、それでも食ってさえいればなんとかなる。
───何とかして見せる!
さぁ、
……だから帰ろう。
リズの………───家族の元へ。
第34話「それはとても美しいヒト」
ザァァァァァァァァァァァァ……!!
雨の降る中。
クラムは持てるだけの食料と、支給品の槍を手にして勇者のキャンプ地を後にした。
まるで、冷たい雨に追いやられるように、
そして、それは者達の嘲笑にすら聞こえた───。
だが、それがどうした?
もう、クラムの心はとっくに冷えきっていた。
彼にあるのは、向ける対象の定まらぬ怒りのみ。
それとて──疲れきった今はもう……。
ただ、リズと過ごす僅かな時間への歓びに覆いつくされ、気にならなかった。
疲れに鈍る足を引きずり、盆地を上り、囚人大隊のキャンプ地へたどり着く。
「ふぅ……」
今日も今日とて、誰も起きてはいない。
ただでさえ雨の中だ。
明かりのない囚人たちのキャンプは真っ暗だった。
雨音で鼾や寝息は聞こえないが、人の気配だけはある。
このところ勤務時間の違いで顔を合わせることは少ないが、彼らは彼らで「後方地域」の「後方任務」で扱き使われているようだ。
たまたま、勇者のキャンプ地に作業で駆り出されていた彼らに遭遇したことがあるが、件の生ゴミ捨て用の穴を掘らされていた。
例の元盗賊の囚人兵かいたので、二、三話をしたのだが、彼らの仕事は主に先の戦いで死んだ兵士(ほぼ囚人兵)の死体やら、魔族の死体整理をさせられているらしい。
腐敗の始まったそれらは酷い臭いで、病の温床となるため、それらに接し続けていた
囚人兵のなかには、体調を崩しているものも多いと言う。
ただ、魔族の死体整理を命じられた際は、運が良ければ死体漁りもできるとか。
ほとんどが回収されたらしいが、防護施設の下敷きになり、潰された死体なんかは未発見のそれだ。
うまく見つけると金銭を得ることができる──と、ニヒルな笑い顔で宣っていた。
なるほど……。
それなりに稼いでいるようだ。
───本当に抜け目がないな。
そして、気になる事として、クラム不在間のリズの様子をそれとなく聞いてみた。
……要は、不届きものが手を出そうとしていないか、だ。
ーーーーーーーーー
元盗賊の囚人兵はそれを聞いたとき、
「おいおい……。いくら何でもあんな小さい子に俺は食指は動かんぜ? 他の奴はどうか知らんが」
なるほど。
元盗賊の囚人兵は、子供には興味なし───と……どこまで本当かはわからんが。
「まぁ、俺の知ってる限り不埒を働いたやつはいねぇよ? ぶっちゃけ、日中の重労働に疲れ切っててな……。帰ったら皆、すぐに眠ってるからよ」
それは本当だろうな。
実際、みんな深い眠りについている。
リズにも不埒な真似をされたような、そんな様子はなかった。
ならば、今のところは大丈夫だということ。
今のところは…………な。
それよりも、と元盗賊の囚人兵は続けた。
「そろそろ、進軍再開だとよ。囚人の補充も来るっていうしな。───それに、連合軍の斥候が前に出たらしいんだが、魔族は大幅に撤退していて、この先はガラ空きらしい」
嫌な話だった。
人類としては、失地の奪還につながるのだろうが……。
クラムたち囚人兵としては──また、死地に投入されることになる。
リズを連れていくことができるのかも、不安だ。
今は比較的自由だが、移動ともなれば囚人は繋がれる。
───どうしたものか。
「じゃぁ行くぜ」
そういって疲れた顔の元盗賊の囚人兵は穴掘り作業へと戻っていった。
クラムは再び寝所番へ───。
ーーーーーーーーーー
そうだ。
あの元盗賊の囚人兵と話したのはいつだったか?
クラムが寝所番をするようになってからは、日々の感覚が曖昧だ───。
帰るべき家と、依るべき家族の大半が消えたからだろう。
もう、彼女たちは……。
それ以来、ただ「任務」を熟なすのみ。
クラムの望みは、生きて……。
そう、生きて──────あとは、リズと安寧な日々を過ごしたい……。
ただ、それだけが生きる意味になり始めていた。
そんな折だった、あの元盗賊の囚人兵の話を聞いたのは───。
(また、戦争か……)
今度は生きて帰れるか、どうか───。
とはいえ、まだ進軍再開の話もないし、補充の囚人兵も来ない。
できればずっと来ないでほしいものだ。
進軍の話も、補充兵も───。
雨が降りしきるなか、暗いキャンプ地を暗い顔をしたクラムが歩いていく。
そして───。
彼の安らげる、唯一の……。
そして、最後の家族の元へと───「家」へと帰ってきた。
「ただいま、リズ」
プンと垢の匂い。
リズの体臭のそれが鼻をつく。
「ぉぁ…い、なさぃ」
弱々しいがかすかに聞き取れる声でリズが迎えてくれる。
ここ何日かで、リズは少しずつ話せるようになってきた。
良い兆候だと思う。
目も、相変わらず酷く濁って闇に沈んでいるが───徐々に光を取り戻している気がする。
ぎこちないが、笑みも浮かべてくれていた。
更に飯のおかげか、血色も戻り目の隈も薄くなっている。
日に日に回復し───。
驚くほどの美少女に近づいていくリズ。
家族ゆえの贔屓目もあるが…………綺麗だ。
とても綺麗だ。
ガリガリだった体も、あれから少しずつ肉付きが良くなり、出るとこが出てきて───その、なんだ。色々と体のラインの主張が激しくなってきている。
とは言え、可哀そうだが、ミナの血を引いている所はどうしようもない……。
普通より少し控えめだと言っておこう。
「今日も何もなかったか?」
「ぅん…」
ニコっと微笑むそれは、痛々しくもあるが、どこか蠱惑的だ。
病んだような雰囲気と、少女の持つ元の明るさが交じり合い、不思議な魅力になっている。
───やはり……この子は綺麗だ。
それは家族として嬉しくもある一方、不安でもある。
こんな美少女を、禁欲を強いられてきた囚人兵が放っておくだろうか。
予防線を張ろうにも、クラムは日中ここにはいない。
辛うじて、囚人兵も日中は遅くまで作業に駆り出されているので、彼女は陽の高いうちはココに一人でいる。
が……。
陽が落ちてからの数時間が、彼女と囚人兵が接触しかねない時間帯だ。
その時間が怖い。
せめて身を守る武器でもあればいいのだが……。
せいぜい天幕を作るためのペグや木槌くらいなもの。これでは護身用としては心もとない。
槍は番兵として持つことを義務付けられた。
ないほうが『勇者』としては安心だろうに、まぁ───槍一本では相手にもならないんだけどね。
悩んでいる間にも、リズがクラムに身を寄せ甘えてくる。
スキンシップにしては近すぎるが、こう暗いと触れ合える距離でないと互いがほとんど見えないのだ。
それくらいなら、くっついていたほうがいいか──とクラムも思っていた。
そして、寝具をクッション代わりにして、リズを胡坐の上に乗せると食料を取り出し与えてやった。
今日の収穫は肉の塊と、野菜の切れ端、食べかけの果物だ。
そこに、酸っぱくなってしまったワインが瓶ごと捨てられていた。
とは言え、元が高級品なのだろう。
庶民が飲むものより、十分にうまいものだ。
それをリズが嬉しそうに頬張っていく。
クラムも肉を齧りつつ、ワインを二人で交互に飲む。
「ぉぃ、…い」
すぐ近くの息のかかる距離でリズがほほ笑む。
薄暗い中で、リズの顔がアルコールで上気しているのが分かった。
不意に催す劣情に、自分を絞め殺したくなる……。
随分、そういったところの垣根が低くなりつつあるようだ。
そりゃそうか……。
毎日毎日、
あの三人の嬌声と情事……───その痴態を見せつけられているのだ。
意識するなというほうが無理だ。
しかし、そんな対象にこの子を見るのは倫理観と、クラムの人間性が許しはしなかった。
それを認めてしまえば、この子の身を案じているのはただの偽善に成り下がる。
そう、
ただの独占欲だと───。
邪な思考を追い出すようにクラムが頭を降ると、「ケプッ」とリズがオクビを漏らす。
それほどの量はなかったはずだが、リズの体格からすれば十分な量だった。
「美味かったか?」
「ぅ、ん」
コクコクと素直に頷く姪を見てしまい、自分で聞いていながら惨めな気持ちになる。
元は残飯だ……。
それを美味いなんて───。
「そうか。明日はなにか……リズの好きなものを持ってくるよ」
「ぉ、んと?」
「あぁ」
「…ん、とぇ、じゃ、ぃーズ」
───チーズか。
………探せばあるだろうな。
「そんなんでいいのか? もっといいものを持ってくるぞ?」
できるかどうかは別だが、聞くだけ聞いて悪いことはない。
近衛兵どもは、実に様々なものを食っていやがるからな。
「ぅぅ、ん。チ…ぅで、ぃい」
「そうか、わかったチーズだな! まかせとけ」
ナデリコ、ナデリコと姪っ子の頭を撫でてやる。
その際にムワっと垢の匂いが漂う。
囚人兵の目に触れさせたくないので、リズは人気のいない日中を除き、基本この中にいる。
日中も、人の気配を感じたら隠れるように言い置いているが、この様子だとほとんど中で過ごしているのだろう。
遊び道具もないし、
話し相手も、遅くに帰るクラムしかいない。
およそ、子供の暮らす環境ではないが、リズは不満も漏らさない。
それどころか、こうして幸せそうに微笑む。
それにしても、だ。
やはり少々汚れすぎだろう。
だから、この雨を利用して体を洗おうと考えていた。
幸い、人目はないものと思っていい。
いつもなら、クラム自身疲れているので、食事を終えたらリズと一緒に寝ていた。
ほとんど過ごす時間はないが、それでも十分に満たされていた。
だが、今日は『勇者』に殴られ、意図せず眠ってしまったので、多少は無理ができる。
シャラの助言もある。
「リズ───外に出るか?」
「??」
どうしたの? という目を向けてくる姪。
「あー、いや体を洗おうかと……な」
そういうと、リズは自分の腕やボロボロの布の中を嗅ぐ………。
そして、クラムを見て───シュンとしてしまった。
「あ、や……! り、リズが臭いって意味じゃなくてだな!」
実際そうなのだが、年頃の女の子に言う言葉じゃない。
「せ、せっかくの雨だ。そうだろ?」
な!? と誤魔化しつつリズを誘う。
クラムももう少し言葉を選べるのだが、久しぶりの酒は疲れた体に沁みすぎて悪い方向に行ってしまったようだ。
リズもちょっと頬をふくらませてみせたが、
「ぅ、ん…ぃこ!」
と、金貨100枚に匹敵する笑顔を見せてくれた。
思わず見とれてしまうほどそれはそれは可愛らしい笑顔だった。
「よし、スカっとしようぜ!」
わざとらしくウキウキした声を出してクラムは先に立って天幕を出る。
リズの匂いやら、自分の出すそれ。
そして、生活の澱(リズの排泄は、天幕の隅に穴を掘ってしている……)の溜まった、小さな天幕の澱んだ匂いと違い───雨に降る外は、水と湿った土の匂いがしていた。
「きぉ、ちぃぃ」
ザァァァァァァァァァ……と、降り続ける雨を顔全体で受け止めるリズ。
クラムも、真似をして天を仰ぐ。
少し前に『勇者』の寝所でも同じようなことをしていたが、まったく感じ方が違う。
隣にリズがいてくれるだけでこうも違うのか。
僅かに肌寒さを感じるのは、やはり風邪を引いたせいかもしれない。
ワインのおかげで体は温まっているが、あまり良く無い兆候だ。
それでも、リズが笑ってくれるなら…無理もできる。
パシャっという音に目を向けると、
ボロ布を脱ぎ捨てたリズが一糸纏わぬ姿で雨の中をクルクルと回っていた。
暗い闇のなかで浮かぶシルエット───少女の体のラインがよく見えた。
そして、ゴシゴシと体をこする様まで、………ほんとによく見えた。
はしたないと、普通なら叱るところだろうけど───。
ここは地獄の一丁目───。今さら恥だの、なんだの……。
逆に、リズが美しくあるなら…囚人兵の目は怖いが、クラムとしては成長を見ることができるようで嬉しい。
失われたはずの家族が、ここにいて───今も成長しているとお思えば、こんな嬉しいことはない。
洗い終えた体を惜しげもなく晒し、小さな声で笑うリズ───。
踊るように、
跳ねるように、
女神のごとく───。
サァァと……! と、一瞬だけ雨が上がり───雲が切れ月明かりが不意に差し込んだ。
それはまるで天の梯子のように一筋の光を差し伸べて………リズを明々と照らしだす。
美しい笑顔を浮かべたリズが、
洗い終えた体の雫をキラキラと反射させ、
本当に美しくそこにあった───。
第35話「新たな攻勢」
それから暫《しば》らくの後《のち》───……。
人類は再編成を終え、魔族を追って失地を進み始めた。
以前のような全面大規模攻勢を控え、二個軸からなる作戦を実施。
『勇者テンガ』と王国軍を中心とした主攻撃と、漸減した部隊を再編し、無理矢理に軍としての体裁を整えた臨時の連合部隊を主軸とした助攻撃。
その2本の攻撃軸をもって攻め上がることとした。
作戦は当初、奇襲効果を失ったため激しい抵抗が道中予想されると見積もられていたが、実際はほとんど抵抗らしい抵抗もなく、あっさりと各地の主要拠点を奪取していった。
呆れるほど簡単に進む人類軍。
彼らは、失われた土地を回復し、順調に魔族の住む北の大地へと近づきつつあった。
途中ある村落に、町───それを「解放」しつつ、戦利品を山ほど抱えての進軍である。
魔族の捕虜や、新しい入植者らを捕らえて売買し、ときには使用し、士気が高まる巨大な軍団。
その中に───クラムのいる囚人大隊も……また、居た。
───臨時編成囚人大隊。
それは、再教育と再編成を終えた大隊で、新たな囚人を加えた第二線級の部隊として使用されていた。
ザッザッザッザッザッザッ!
ジャラジャラジャラジャラ!
足音と鎖の音が混じる独特の音は、延々と進み続ける。
クラムも囚人大隊の最中にあり、傍らにリズを伴っての行軍だった。
それは───……一種異様な光景だ。
囚人に寄り添う一人の少女。
囚人の身分では、到底ありえないが、事実としてあり、疲れ切ってはいても、欲望に忠実な囚人兵の目がリズを肉欲のそれに濁った目で見ていた。
だが、殺気を放つクラムと並走する軍隊の目を恐れて手をだすものは皆無だった。
そんな状況を知ってか知らずか、『教官』は補充の囚人兵を連れてくると囚人大隊を再編成し、行軍の列に加え、自らはそれを指揮していった。
リズについては、特に何も言わずクラムが警戒するのをよそに、そのまま少女がついていくに任せていた。
言ってみれば放置だ。
彼が何も言わなければ、誰も何も言わない。
しかし、今回は少々事情が異なる。見れば、それとわかるくらいに、囚人の質はかなり落ちている。
以前は『勇者』の被害で死刑になったものを中心に集められた志願兵だが、今回は数合わせの募兵。
なかには志願ではなく兵役経験だけを見て本人の意思とは関係なしに投入された者もいるため、従順さという意味では著しく危うい状態だった。
そのため監視の兵が投入され、囚人兵の動向を見張る始末。
彼等は囚人兵たちの左右に配置され、その数は少ないながらも、騎乗しながら威圧するように鋭い目を囚人たちに向けていた。
初期の囚人大隊を知っているクラム達からすれば、監視の目は窮屈この上ないが……──クラム個人としては、リズの身の安全を考える上では、監視の目は非常にありがたかった。
監視が信用できるかどうかは別にして、一応……とはいえ秩序を維持するために監視の兵がつくなら、クラムの目の届かないところでも多少ないしマシな気がする。
僅かしかないが、金で買収もできるだろう。
何も難しいことではない。
リズに目を向けておいてもらうか、宿営中の天幕を監視役の傍に立てさせてもらうだけでもいい。
もとより、監視の役の傍で寝たい連中はいないので、簡単に話は通るだろう。
そうして、こうして──クラムとリズは、北へ北へと征く。
魔族の戦線は抵抗も乏しく、
人類は、どんどんどんどん前へ前へと進んでいく───。
そしてクラムは、
いつもどおりに夜は、番兵の仕事をし、
乏しい睡眠時間を削ってリズと話し、
シャラ達の痴態を見続ける異常な日常───。
その間も、戦線は徐々に進んでいく。
移動間はクラムも囚人大隊の一員として前進する。
リズを伴い、そして囚人毎、鎖で繋がれて歩いていく。
疲れ切っても、到着した先で───『勇者』のお遊びに付き合わされる毎日……。
今日も今日とて、
クラムは『勇者』の寝所番につく───。
それは、魔族の本拠地を前にしての最後の休養期間。
旧国境を前にした、大規模な戦線整理の合間のこと。
そう、
終わりなき進軍の先──……。
久しぶりの、長いキャンプ生活となる。
それはクラムの番兵としての、長い長い屈辱の時間の幕開けでもあるのだが──……。
第36話「愛ゆえに残酷」
色気と肉欲が混じる、粘ついた矯声が響いている……。
あぁ……♡
はぁぁー♡
と───。
「ぁぁぁ♡」
今日も、激しく絡み合う一組の男女……。
いつものことながら───あの3人が、かつてあったはずのあの温かい日溜まりの家の人々が、世界で一番醜悪な男に抱かれている思うと身が張り裂けそうになる。
今日は………………ミナの日だ。
「はぁはぁ……あぁ♡」
ねっとりと絡み合っているらしいその様子が、声だけでもわかる。
テンガもミナの絶技の前には果てるのが早く、余裕はないようだ。
それだけに、ローテーションの中にミナの入る確率は高い。
とはいえ、最近のテンガは本当にクラムの知る3人ばかりを抱く。
よほど、クラムが外にいるだけで違うのだろう。
その介もあってか、テンガときたら終始ご機嫌だ。
戦争そのものが、上手くいっているのもあるのだろう。
この戦いが終わり、『魔王』の首級を上げれば、彼は晴れて人類の救世主。
本国では次期国王もありうると───。
───冗談じゃない!!
悔しいが、そりゃ、シャラ達がテンガに溺れるわけだ。
未来が約束された最強の男。
顔とて悪くはない。いや、むしろ美青年。
そして、若く、富も名声も力もある……。
かたや、クラムは囚人兵。
仮に「特赦」され、自由の身になったとて───彼には、何もない。
「っあぁぁぁぁッッ──♡」
絶頂を迎えたミナの声が、天幕から派手に漏れる。
耳を塞ぎたくなるが、塞いだところで聞こえなくなるわけでもない。
「ふぅぅ………! はは、今日のミナはすげぇな!? どうしたんだ?」
同時に果てたらしく、テンガも満足気にに吐息を漏らす。
そして、しばらくのち復活して──またおっぱじめるのだ。
……もう何度もこんな日を送れば、いい加減覚える。
微塵も慣れはしないが……。
そして、インターバルを挟むためのピロートーク───ウンザリだ。
ギリリリと、槍を握り込む手に爪が突き刺さる。
もう、爪は血にまみれてボロボロだ。
ろくに爪を切る道具もないので、噛みちぎっているため──それはギザギザと尖り……容易に皮膚を破った。
「んーん。特に何も……? テンガも凄かったわよ♡ るぁぁ♡」
んー、と唇をむさぼるその姿さえ、天幕の薄い生地では影絵として映えてしまう。
「いやー誤魔化すなよ。俺はいつも通りだぜ?……激しいのはお前さ」
チュポン♡と音を立てて離れるそれ。
わざと聞かせているとしか思えない。
いや、わざとなんだろうさ。
しかし、ふいに周囲の空気が冷えたような感覚に襲われた。
なぜかテンガの纏うそれが、劇的にかわる。
おい……───。
「話せよ……」
と、
突然、声のトーンが変わり、テンガのそれに冷徹な響きが混じった。
「ヒ………ッ」
そして、ミナの声にも脅えが、
「何を隠してる? 言えよ?」
男女のそれとは明らかに異なる動き。
テンガの手がミナの首に伸びて───。
それは、
食肉を絞めるが如く…………!
───絞る!!
「ぎ、ぐ……ィガぁ───」
あぐぐ……と、ミナが呻く。
は? な、なにしてんだよ! テンガ!
あ、ありゃ喘ぎ声じゃないぞ?
え? な、なんで?
なんでミナが首を絞められている!?
おい!!
「…………っ───」
「聞いてんだよ!」
影絵からもわかるくらい、ミナの体が痙攣している。
……くっ!
いくらなんでも、やりすぎだろう!?
───ミナに思うところがないわけじゃないが……。
少なくとも、死んで欲しいわけじゃない!
「テンガ!」
思わず叫ぶクラムに、
「テメェはすっこんでろ!」
ビシっ! と天幕を突き破って何か細いものが飛び出してきた。
「ガフぅ!」
肩口に刺さったそれはオードブル用の、小さな楊枝だ。
それでも、肩がはじけ飛ぶんじゃないかと思ったほどの威力。
実際、動けないほど強かに頭を打ち、あお向けにぶっ倒れる。
「ギィ………ッ───ィ───」
ミナの呼吸は途切れる───。
そのまも、肺から酸素は届かず、ミナの脳が……意識が───………落ちる。
「かは………………」
そして、糸の切れた人形のように、華奢な体がブラン……と、
「ミ……ミナぁぁ!!」
動かなくなったミナの影。
それを片手で釣り上げているテンガ。
後悔も、罪悪感も微塵も感じさせない声で───、
「あーあー……。しょんべんまで漏らしやがって、キッタねぇ……」
彼女に慮ることもなく、まるでゴミのようにドサリと───、
「ゲホゲホゲホゲホ……! オェェェ……」
あ……!
み、
「ミナ! ミナぁ!」
咳き込むミナを見て、生きていた事に安堵し、声をかける。
駆け寄りたくて、クラムはグググと起き上がろうとするも、体が言うことを───、
「すっこんでろっ、つってんだろが!」
一喝されたとて、止めるものか。
うぐおぉぉおぉ……!
今いくぞ、ミナぁ!!
「──聞き分けねぇと……こいつ殺すぞ?」
楊枝が突き破った天幕の隙間から、ミナの土気色になった顔を突きつけクラムを黙らせる。
ぐ───!
「ち……気分悪ぃぜ」
「ゴホゴホ……!」
せき込むミナに苛立ったのか、
「大げさなんだよ! ちょっと落としただけだろうが、あぁ!!」
「ひぃ!……ち、違うの。その、き、気持ちよくて──」
「はぁぁ?」
お、おいおい……!
「そ、その首を絞められて、ボーっとしちゃって……♡」
「は? あー……──ほほー。ミナぁぁ、お前Mの気があるのか? はは、こりゃいい。新しいプレイができそうだ」
途端に上機嫌になるテンガ。
そして、
「うふふ…………た、楽しみだわぁ」
そう言ってしな垂れかかるミナ。だがその顔は青ざめている。
明らかに無理をしているのがわかった。
隙間から見える細い体の線と、少女と見間違えんばかりの小さなそれは、白く美しく眩しいが───その顔は恐怖に濁っていた。
しかし、
その中にも確かに愉悦の表情もある───。
なんなんだ。
俺の……───俺の知る3人はどうなってしまったんだ!?
「でー……。もっかいだけ聞くぜ? なんで今日はそんな積極的だったんだ?」
テンガはしつこい。
いつもいつも、自分が満足するまでネチっこく女の体を貪ることからもわかるが、こいつはこういう性格なんだ。
わざわざ、囚人大隊を編成させてまで、すでに獄中にいる「恨みの根源」を断とうとするほどに、しつこく、ジメジメとネチネチとしている。
だからこそ、クラムの顔も覚えていたのだろう。
それで、こんな嫌がらせであって、かつ───その延長上にある自分の快楽へとつなげる手段を思いつく。
なるほど……屑だ。
正真正銘、人間の屑だ。
だが、そこじゃない。
クラムが気に病むのは、そこじゃないんだ───。
そう『勇者テンガ』は、紛うことなく屑だ。
それはいい。
それよりも、なぜ?
なぜなんだ?
あんな屑におちるような家族じゃなかったはず!!
なのに……なぜ、
なぜだ!
なぜ、シャラもネリスもミナもこんな奴に体を許す!?
なぜ俺の知る3人は───絶対にこんな奴に靡くはずがないというのに!!
───金や、地位や、名誉……!
そんなものに釣られるような人達じゃなかったよな?
なぁ……。
なぁ……?
なぁ!?
「えっと───その、」
ミナは背後から緩く首を絞められつつ、おずおずといった様子で答える。
「んー……早く言えよ」
「き、今日、リズを見たの───」
え?
「んんー? りず……リズぅぅ? リズリズリズ──……あーーーー! あの小さいガキか!……ま、お前よりデカいけどな」
ひゃははは、とせせら笑うテンガに、
「ちょっとぉぉ……! テンガは小さいのも好きなんでしょ?」
「おーおー、いうねぇ……お前ら3人は、いろいろ楽しめて最高だけどよ」
テンガは、何か思い出すように、
「あーリズか……。確かいい感じに熟れてきてたなー」
な!
こ……コイツ!
「あの子がいいの?──残念だけど、」
「んー? まぁ、そろそろってね──」
「───とっくに売ったわよ」
……は?
「はぁぁ? おいおいおい、確か、お前の子だろ? マジか?」
テンガをしてさすがに意外だったようで、マジマジとミナの顔を覗き込む。
途端に媚びる女の目で──
「だってー……。あの子いつまでたってもテンガに股を開こうとしないんですもの、それに、」
「おいおい……」
「あの子がいたら、テンガ。───私を捨てちゃわない?」
「………ぶはははは! ひぃーひっひっひっ! そ、それが母親の言うことかよ、ぐひゃはははは!───あー親子丼もやって見たかったんだがな~」
下種が!!
……そのままリズのことは忘れろ!
「んー? でも今日見たってのは?」
「え、えぇ…………その、」
グググっとテンガが首に力を込めている。
まったく躊躇しないその動きに、この手の詰問は初めてではないだろうと思わせる。
「囚人と歩いていたわ……」
う……。
「囚人~~?? なんでだ?」
「さぁ? 売る直前まで、言うことを聞かないし、話もしないし、頭もおかしくなってたからね……。安く売られたんじゃない?」
囚人どもの玩具として───。
と、そう告げる。
……ミナ───。
一体、どこまでが本心だ?
「あー。そりゃ壊れちまうなー。さすがに囚人のものをなー。うん、それはないわ。ばっちいしな! ぎゃははは」
そう言えば、ハレムが臭かったなーと告げるテンガ。
……なるほど、
ハレムにいた頃から、リズの扱いは酷かったのだろう。
そして───。
ミナ……。
───ミナぁぁ……!
おまえ………!
「それにしても子供を売る母親かー。ギャハハハハ、お前それ最低の奴がすることじゃねぇの?」
その言葉に一瞬だけ、ミナの顔色が暗く落ちる。
そして、隙間から覗くクラムと目が合い──反らした。
「そんな薄情じゃないわよ。死ぬような目に合わないように、性奴隷専門で売ったから」
それを聞いて、なおも笑うテンガ。
「ギャハハハハハハハハッハハ!! お前イカレてるよ。……お? なんだよ? 詰られてヤル気になってんじゃねぇかぁ!」
そういってミナを組み敷くテンガ。
醜悪な、
醜悪な宴が展開される……!
隙間から除くミナは美しい。
とても美しいが……。
この世のなによりも醜悪なそれに映る。
子供を売る。
自分の保身のために?
股を開かない?
言うことを聞かない?
………それに、
───頭がおかしくなったから?
それは、
それは、
それはぁぁぁあああ!!
「───おまえらのせいだろうが!!!!」
がぁぁぁぁ、と叫ぶクラムの声を聴いて、ますます嬌声を上げるミナと嗤うテンガ。
なんでだ?
なんでだよ!?
誰も彼も、イカレてやがる───!
リズが、
リズが……おかしくなった?
………違う。
違う違う違う違う違う違う違う!
違うだろ!!!
「──おかしいのはオマエらだろうか!」
リズは───。
リズは正常だ。
正常だから、ああなってしまったんだ!!
ああああああああああああああああ!!!
くそったれ!!!
こんな世界……………滅びてしまえ!!!
第37話「譲れぬ一線」
クラムの慟哭など、誰も動かしはしない。
世界を呪ったとしても、
世界はクラム等知らない。
世界に救いなど何処にもないから───。
それでも、
それでも、リズは美しい。
どれ程の目に遭《あ》おうとも───。
リズは高潔で、純粋で、清廉だった。
家族の有り様への絶望と、クラムへの思慕との間をさ迷いつつも……彼女は「何か」を守った。
そして、リズはここにいる。
偶然でも、
神でも、
母でもなく───。
必然として、クラムと再開した。
そして……リズは、また笑う。
クラムに笑顔を向ける。
ともに食べ、
ともに眠り、
ともに生きる。
おかしくなんてない……。
おかしいものか!
リズは、もう───昔の……あの頃のリズそのものだ。
仕事を終えて帰るクラムを、柔らかな笑みで迎えるリズ。
この空間だけは温かく──まさに家庭だった。
「ぉしぃたの? 叔父ぁん?」
リズを膝の間に座らせるいつもの体制をとると、食事を取りながらリズが可愛らしく首を傾げクラムの目を覗き込んでくる。
「ん? いや、なんでもないよ。リズが可愛いな~って」
そういっても褒めてやると、顔を真っ赤にしてブンブン首を振る。
「ぁぁぁわ、わぁし、ぁぃくなんて、ぁいよ!」
……うん、
超可愛い。
カイグリ、カイグリと頭を撫でてやる。
現在は、囚人大隊のキャンプ地。
クラムの天幕の中だ。
珍しく、『勇者』は日中出かけるようだ。
おかげでクラムの「任務」はお休み。こうして、久しぶりにリズとのんびり過ごしていられる。
そして、キャンプにも変化が訪れていた。
まず、囚人兵の補充があって以来天幕など寝具も新たに補充されたがため、旧囚人大隊の野営具は宙に浮いた存在となった。
そのため、小隊以下になった彼らは元の古参特権としてそれらを自由に使えることになり、今はこうしてクラムとリズの二人の天幕が確保できていた。
これが、誰かと共有スペースとして使うならば、非常にまずいことになっていた。
誰かとこの空間を共有するなど真っ平だ!
リズとの空間に、異物はいらない。
今は、幸運に感謝───。
色々、不運だらけの人生だが……なんとか、か細く、小さな幸運を掴むことができている。
……それにしても、こうしてリズと過ごしていて、思い出すのはミナの言葉───。
彼女の真意はわからない。
テンガ曰く、ミナの様子が違ったという日───彼女はリズ見たと言っていた。
つまり、どこか場面でリズを見たということ。
だが……どこで?
まぁ行軍中にせよ、囚人大隊でのキャンプにせよ───クラムと一緒にいるということは知っているはずだ。
それをテンガには申告していない。
ただ囚人と、そう言った。
それは明らかに間違いではないが、肝心の情報を欠いているもの。
囚人は囚人でも、クラムと、そんじょそこらの囚人とでは意味が違う。
そこらの囚人に下げ渡されているなら、テンガやミナが言うように、玩具として扱われているだろう。
汚い囚人の玩具───さすがにテンガとて、それを横取りはしまい。
御綺麗な女が溢れるなか、無理に小汚ない小娘を相手にするか?──ないだろうな。
多分、テンガは食指を動かそうとしない。
だが、リズが下げ渡されたのがクラムなら?
そりゃ、手厚く保護するに決まっている。
もちろん囚人兵としてのできる範囲だが。
しかも ミナならクラムが親族を抱くような腐ったマネをしないことだけは知っているはずだ。
つまり、リズは綺麗な身として無防備にあることがわかる。
ならば、女好きのテンガが手を出さない保障などない。
むしろ、クラムの反応を楽しむために、綺麗な身としてリズが持ち去られる可能性も十分にある。
だから、誤魔化した?
………わからない。
ミナが何を考えているのかわからない。
いずれにしても、ミナの手によってリズが無体に扱われ、挙句奴隷商に売り下げられたのは間違いないようだ。
それも、話が本当ならば───だが。
そう、母親の手でだ。
あぁ、いつから世界はこんなに腐ってしまったんだろうな……。
ナデナデとリズの頭を撫でながら、心に沸くどす黒い感情を押し殺していく。
ミナのやったことを許すことはできない。
できないが……本心がわからない。
いつか聞くことができるだろうか。
まぁ、無理か。
先の命すら知れない囚人兵。
しかも、だ。
───そろそろ、次の戦いが始まる……。
勇者専属の番兵とはいえ、囚人兵は囚人兵。
所属は囚人大隊。
また戦いが始まれば、盾代わりに前に押し立てられるのだ。
今度こそ死ぬかもしれない。
……いやだな。
この娘を……。
リズを残して──ルゥナにも会えず……。
3人を奪われたまま───!
なにより、
勇者を殺せずに!!!!!
「ひぅ……!」
リズが小さく脅えた声を出す。
クラムから迸る殺気がこの子にも伝わってしまったようだ。
慌てて取り繕うクラム。
笑顔を浮かべてリズの額に、自分のそれを付ける。
吐息のかかる距離でいえば伝わるはずだ。
「ゴメンよ、リズ……。なんでもない」
そう、なんでもない……。
勇者に復讐することなんて、
なんでもない───。
そう、当たり前のことだ!
「おじぁん、ぉこってぅ?」
目を潤ませるリズと顔を近づけたまま、
「うん。少し、だけね……。色々、大人は大変なんだ」
額をグリグリと擦りあわせながら、そう言って誤魔化すが───リズは賢い子だ。
察してくれたようで、キュッとクラムの頭を抱きしめてくれた。
「ぉじさん、リズは……ぅっとぃっしょぁよ!」
……そう言って、いつもクラムがするように頭を撫でてくれた。
不意に緩む涙腺に───クラムも思わず、リズの胴を抱きしめる。
その時、
サクサクサク───と、土を踏む音が近づき、
「よぉ? いるか?」
元盗賊の囚人兵が顔を突き込んで来ていた。
……ぅ。
「あー……」
抱き合う叔父と姪。
微妙な顔をしてクラムと目が合う。
リズは脅えて視線から隠れようと、ますますクラムを抱きしめる。
「……お楽しみ中?」
「ちゃうわ、ボケ!!」
第38話「絶望への足音」
「へー……あの時の子が、これか……」
そういえば、コイツとはリズの面識はほとんどない。
奴隷市場で購入したきりで、行軍時も野営時も、とにかくなるべく囚人の目に触れさせないようにするため、監視の傍に自ら進んで近づいていたためだ。
当然、元盗賊であるこの囚人兵もわざわざ監視のもとには近づきたがらない。
色々と裏で金も稼いでいるようだし……下手にバレて監視に巻き上げられても困るんだろう。
まぁ、時折見て感じでは、うまく監視ともつるんでいる姿もあるので、適時適切な付き合いというやつなのだろうが……。
「いや、別嬪だなー」
「ぃや………」
リズは、ジロジロと不躾な視線をぶつけてくる元盗賊の囚人兵の視線が怖いとばかりに、クラムの背後に隠れてしまう。
……一応、リズの恰好は以前より多少マシになっている。
ボロ布はツギハギが当てられ、破れ目も縫い合わせられている。
材料は勇者のキャンプ地にある生ゴミ捨て場だ。
なかには、手拭きなどの布も落ちていることがあり、それを使った。
糸もソレを解したものと───針は先日テンガに投げつけられた楊枝を使っている。
そして、なにより……シャラがテンガに──と置いていった、例の下着(二話参照)と、同じくシャラがクラムに巻いてくれた包帯で、上と下はなんとか最低限、隠すことができている。
ちょっと前まで色々見えて本当にやばかった………なにがって?
───聞くなや……。
「あまりジロジロ見ないでやってくれ。……人見知りなんだ」
嘘ではない。
「あ、あぁ、スマンすまん」
素直に謝ってくる元盗賊の囚人兵。
「で、何の用だ?」
露骨に邪魔しないでくれ──という態度を示しているのだが……。
「いや、さっき監視から噂話を仕入れてきたんだがよ、」
もったぶって話す内容は───、
「明日………………攻撃だとよ」
絶望の足音だった───。
※
彼の話は、こうだ。
元盗賊の囚人兵はできる限りの準備をするため、今まで集めた金で情報の収取やらで、こっそりと武器に防具等をそろえていた。
装備の類いは直前まで隠しておき、肉壁として部隊の盾にされることがわかっている無謀な突撃に備える。
そして、いざ攻撃という段階で身に着けるわけだ。
い並ぶ軽装の囚人のフリをしつつ、手早く装着。
全軍の攻撃に紛れこめば、早々に咎められることもない──と。
そして、そのまま囚人の、只中に潜り込み攻撃開始を待つ。
あとは、流れるまま。
攻撃が開始されれば、員数外の装備を身に着けた囚人がいたとしても、それくらいで軍を停止はさせない。
気づきはしても、已む無く全体に合わせて攻撃を続行するはずだ。
元盗賊の囚人兵の考えでは、
「盾一つあるだけでも、生存率はあがる。で、俺は昔の誼で、前からいた囚人大隊の連中にだけは、こうして教えて回ってるのさ」
そう言って、服に隠した盾と皮の兜やハンマーを見せる。
「な、なるほど…………。それはありがたい情報だが───」
「新しく入った連中には言うなよ? あいつら、自分がいい目を見るためなら簡単に仲間でも売るような、生粋の屑だからな」
それでか……。
元々は罪のない囚人を多く集めた、前囚人大隊の仲間に話しているのは、
「それで、攻撃が開始したなら──旧囚人大隊の古参のやつらは固まって防御する。俺の手引きで、既に何人かはもう闇市で防具を仕入れているぜ」
元盗賊の囚人兵らは、以前のキャンプ地でそれなりに稼いでいる。
なるほど、装備品を買う余裕もあったかもしれない。
だが……。
「人数が多ければ生存率も上がる。一度目の攻撃を凌いだら、敵の要塞に前回の戦いの時みたいに突入して……あとは、これよ──」
これ、と言って示したのはハンマーだ。よく見ればやっとこやちょっとした工具まである……!
「だ、脱走するのか!?」
「ばっ!? シーシー! 声が大きい!」
クラムの天幕は監視のすぐそばだ。
時には監視がすぐそばをうろついていることもある。
「す、すまん……しかし───俺は、」
「おまえ……特赦の話なんか信じてるのか?」
そうだ……。
クラムは脱走なんて手段よりも、手柄を立てて特赦を得たいのだ。
「悪いか?」
クラムの言葉に元盗賊の囚人兵はため息をつきながら、
「───あの『勇者』がいるんだぜ?」
……む。
「俺はともかく……。お前ら前囚人大隊の連中のほとんどは、『勇者テンガ』絡みの罪人なんだろ?」
言いたいことはわかる……。
『教官』の策略で、殺されかけた囚人兵たち。
いや、実際はほとんど殺された。
クラムも含めて、
死刑の執行が遅れていた『勇者テンガ』による特別法の被害者が前囚人大隊の大半を占めていた。
それをわざわざ特赦を餌に戦場へ連れ出し、敵と味方両方に殺させたのだ。
それほどまでにして殺したい………「根切り」をしたい人間を───。
わざわざ特赦を与えて解放するだろうか……?
可能性は、少ない───。
限りなく、少ない。
所詮は囚人と結んだ約束事……──事が済めば、知らぬ存ぜぬで貫き通せば、クラムたちにできることなど、なにもない。
結局はお偉いさんの胸先三寸なのだ……。
そして、お偉いさんとやらは件の『勇者テンガ』───。
なるほど……。
これは、巧妙な……いや、溺れる者を泥船に乗せただけだ。
流れに乗って拡散した溺者を一か所にあつめておいて、泥船に乗せてから───谷底へドボン……。
元々溺れているのだ、簡単に引っかかるだろうさ。
実際、クラムもそうだった。
「…………くそッ!」
「……わかっただろ。他の連中はもう脱走する気でいる。あとは───」
───お前だけだ。
元盗賊の囚人兵はそう言ってクラムを見る。
「情報も……そして、その誘ってくれたことも嬉しい……」
そうだ、だけど俺には───
「───だけど、できない……。できないんだ」
リズ……。
震えているリズをゆっくり抱えて膝の間に乗せる。
まるで猫のように丸くなって元盗賊の囚人兵の目から隠れようとする。
「あー……そうだ、よな……うん」
ポリポリと頭を掻く、元盗賊の囚人兵に、
「でも、ありがとう。礼を言うよ……。恩に着る」
少なくとも、何かできることはあるかもしれない。
それに、覚悟があるだけでも違う。
「わぁったよ……。だけど、気が変わったら、突入時は俺のとこに来い? いいな」
「あぁ」
それと、だ。と元盗賊の囚人兵は告げた。
「防具だけは買っとけ──」
そうだ、それなんだよ。
「──あ、あぁ……」
クラムは、文無しだった。
「おう、じゃあな、明日は生き残るぞ」
「あぁ!」
監視の買収工作に、金は全て使った。
だから、もう銅貨一枚残ってやしない。
元盗賊の囚人兵に借りるという手もあるかもしれないが───。
彼には、すでに金の借りがある。それに、もう彼とて金はないだろう。
このためだけに金を集めていたのだ……。
幾らか余裕があったとして、彼の計画に必要な金。
それを自分の都合で歪めることはできない。
彼には十分以上に礼がある。
もう、これ以上ないくらいに……!
あとはクラムの努力次第。
少すくなくとも、一度は生き延びた命。
そして、経験がある。
リズのためにも、生き残りを諦めるつもりは微塵もない。
そして、いつの日か─────────!
──────あの『勇者』に復讐の鉄槌を!!!
その日までは、
死ねない。
死なない。
──────死んでたまるか!
第39話「旧国境会戦」
その日は、蒸し暑い日だった。
陽は早いうちから昇り───湿った大地の朝露を蒸発させ、すべて湿度に変えていく。
徒歩主体の歩兵たちは、すでに疲れ果て士気は危険なくらい低下していた。
一方、クラムはといえば、戦い前夜の景気づけと言わんばかりに3人を同時に抱くテンガのバカ騒ぎに付き合った後、寝不足のまま───この戦場にいた。
そうだ……。
ここにいる。
俺はいるんだ………………。
昨夜のこと───!
思い出すのもおぞましい……だが、忘れる筈もない、昨夜の屈辱───。
いつもは、外での立哨を命じるくせに、勇者テンガの野郎が、昨日に限ってクラムは勇者の寝所の中に通した。
豪奢な天幕には、金銀財宝に酒池肉林の様相を呈している。
悪趣味な絵画には、悪魔やら天使やら裸婦が投げつけたクソのように意味なく絡み合うようにして描かれており、
成金趣味な食器類は金銀のみならず、使用に邪魔だと一目でわかる宝石が散りばめてあった。
更には、魔族やら捕虜の生首が防腐処理を施されて棚にところ狭しと並べられ、恨めしげな表情でこちらを見下ろしている。
床には、スノコが敷かれているため、少々の体液やら腐敗汁やら、その他のドロドロとした液状の何かは地面に染み込むように考慮されているようだ。
それでも、顔をしかめずにはいられない強烈な異臭が漂っている。
酒や、
血や、
体液や、
吐瀉物の入り交じった匂い───。
地獄の香りとでもいうのだろうか……?
男女の混じりのソレが加わり、クラムをして臓腑を搾るような吐き気を押さえるのでやっとであった。
そして、あろうことか……。
拘束されたクラムは、その床に転がされていた。
その目の前で絡み合い、挑発する男一人と、女三人───。
クラムを中に引き摺りこんだのはテンガ、
クラムを縄で拘束したのはシャラ、
クラムを嘲笑うのミナ、
クラムを無視するのはネリス、
ゲラゲラと、
ゲラゲラと、
ゲラゲラと───!!
醜悪な宴はいつまでも続き、唇が割けるほど、きつく口を噛み締めたクラムを面白がったテンガが尿をかけた。
それにも飽くと、行為の果てにでたそれを───クラムにわざわざかけ回す。
家族の───家族だった彼女らのあられもない姿を見せつけ、彼女達のその身すら匂い立つ距離で物のように扱い、それを悦ぶ様を見せつける勇者。
クラムの反応を楽しみ、散々に汚物やら、彼女らのモノすら浴びせて嗤う。
テンガも彼女達もわかっているのだろう。
明日が激戦の日であり───クラムの命が尽きる日であろうと……。
だから、最後な最後に憐れな男の様を弄んでいる。
玩具たれ、と───。
そうして、明け方近くまで続いたバカ騒ぎに身も心もボロボロになったクラムは、頼りない足取りで「家」に帰った。
そして、リズを抱き締め、
リズから抱きすくめられ───。
僅かな癒しを得て、ほんの少し眠りに落ちた。
ドロドロでベタベタで、
悪臭漂うクラムを───リズはただ、だだ、だだ優しく抱き締め、髪を撫でていた。
「ぉやすみなぁさぃ……」
───それが昨夜出来事……。
屈辱とともに、リズの温かさが肌を撫でる。
屈辱には報復を。
思慕には愛情を。
勇者には酷死を。
家族には─────。
ギリリリ……と、槍を握る手に力がこもる。
今は、
今だけは戦場に集中しろ───!
クラムの視線の先。
ギラギラと照りつける太陽のもと、人類は圧倒的物量と人海戦術をもってここに集結していた。
桁違いの数をそろえた人類に対し、元の国境線まで引いた魔族は、長大な城壁を築き───そのうえにズラリと布陣している。
両者一歩も退かぬ構えだ。
魔族側の布陣は完璧で、その城壁上には、ところどころに本来なら攻城に使うべき兵器もチラホラと並んでいる。
鍛冶の見習いであったクラムも、多少なりとも触った経験のある巨大兵器が───燦然と配置されているのだ。
人類を睨み付ける兵器群。
シャフトまで鉄でできた大型のボウガン───バリスタ。
スプーンのお化けの様なものに石やら鉄球やら油壷やらを乗せた投石器───マンゴネル。
城壁の裏には明らかに巨大さゆえに隠しきれていない、超大型の投石器まで見えていた。
それらがずらりと───!!
対する王国軍は、兵士の補充こそされたものの、総数は初期の攻撃の頃より変化はなし……。
相も変わらず『勇者』を押し立てて攻める戦いのようだ。
まともな兵力としては、
野戦師団と近衛兵団が並び立つ。
歩兵中心の野戦師団は、遠距離射撃戦を演じるべく、同じみの囚人の盾を前に押し出す構え。
そして、近衛兵団は重装騎兵を待機させ機動打撃の構え。
どちらも囚人など、ただの道具……。それ以下程度にしか思っていないのが明け透けだった。
囚人兵たちは戸惑いつつも、味方の殺気に押しやられて、ぐいぐいと前に出る。
クラム達───先の戦いを生き延びた古参の囚人兵はここぞとばかりに準備に勤しみだした。
すなわち、隠し持った防具の準備だ。
ごそごそと服から取り出した盾やら胸当て、兜を見て新人の囚人兵が目を丸くしている。
その視線をすべて無視して、元盗賊の囚人兵を中心とした古参の囚人兵は着々と準備を整えていた。
その様子に気づいた監視の兵が何か言おうとしていたが───。
軍のラッパ手が、高らかにホーンを鳴らした。
パッパカパー!
パーラパラパラパラッパッパッパー!!!
先の戦いで、近衛兵団に手柄の大半を奪われた! と、息巻いている野戦師団はここぞとばかりに張り切りだす。
もはや、囚人の命を軽視していることを隠す様子もなく、囚人兵を前へ前へと押し出し始めた。
そして、野戦師団の将軍が声を張り上げる叫ぶ、
「総員! 王国の栄光はこの戦いにあり! 野戦師団接敵前進へ!」
そして、
つられるように、隷下の将校も声を張り上げ叫ぶ、
「我らに栄光を! 『勇者』とともに! 野戦連隊接敵前進へ!」
さらに、
『教官』が声を張り上げる。
「特赦を! 貴様らに自由を! 戦って生き残れ、囚人大隊接敵前進へ」
おおおおおおおおおッ!!
おおおおおおおおお!!!
ザッ! ザッ! ザッ!
ガシャガシャガシャガシャ!!!
ガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャ!!!
甲冑の音がけたたましく鳴り響き、囚人大隊の軽装ゆえの無音をかき消していく。
唯一、比較的音の出る防具を身にまとった元盗賊の囚人兵達も、背後からの圧力に足枷を引きずりつつ前に出る。
いや、押し出される。
防具を準備していた元盗賊の囚人兵を咎めようとしていた監視兵も、戦いが始まるにつれてその場から距離を取り始めた。
そうだ……。
この先は死出の旅路───!
半端な奴らは、ただ見るだけ──端から鑑賞するだけだ。
「いいな! 生き残るぞ!」
「「「おう!!」」」
防具に身を包んだ元盗賊の囚人兵達は密集し、防御力を高めようとする。
しかし、目立つのは避けようと姿勢は低い───。
前の囚人大隊の生き残りたちも、先の戦いを思い出しつつ、今にも城壁から射撃戦が始まりそうで気が気ではない。
いつだ。
いつくる……?
今か?
───そろそろか!?
城壁から降り注ぐであろう矢の嵐に備える元盗賊の囚人兵。
まるで生き地獄を味わっているかのように顔は蒼白で、今にも白目をむいてぶっ倒れそうだ。
なにせ、先の戦いを知っているのだ。
……この後に訪れる死の恐怖を!
一方、クラムは?
クラムはいた。
彼は、何もしない。動かない。
いや、正確には動いているが、圧力に押される囚人兵たちの群れに抗うように牛歩でノロノロと歩いている。
前に行けば行くほどに矢の射程に入ることを知っていたからだ。
しかし、後ろは後ろで危険でもある。
例え矢の脅威から逃れても、近衛兵団による突撃で、背後からの馬蹄に踏みしだかれる明白だからだ。
一番の理想は、なるべく前面で攻撃をしのぎ───……『勇者』の一撃で城壁を破壊させて、その隙に中へ突入すること。
それしか、生き残る術はない。
だが、クラムが前に出て生き残る可能性はいかほどか?
はっきり言えば、ほぼゼロだろう。
前回は、本当に前回は偶々だ。
運が良かっただけ……。
同じことを二度やれと言われて、できるはずもない。
元盗賊の囚人兵達はその確率を上げるために腐心し、今のところ成功している。
クラムはそれができなかった。
矢から身を守る防具は彼の手にはないのだ。
ならば、頭を凝らして生き残るしかない。
リズ───。
リズ、リズ、リズ……!
愛しき最後の家族………………!
リズ───……。
俺は絶対生き残る……。
お前の元へ、必ず帰るからな───!
狭く汚い囚人大隊のキャンプ地で待つ姪の事を思い……。
テンガに抱かれる3人に心を痛め───。
『勇者』を刺し殺すその日を思い描き、心を焦がす。
生き残る───。
生き残る───!
───絶対にッ!
そして。
クラムの思いを尻目に、第二次北伐による、旧国境での戦いが今───。
始まった───……!
第40話「激戦」
「ギャァァァァアァァ!!」
ドサリと倒れた、名も知らぬ囚人兵の姿を見て、元盗賊の囚人兵はその時が来たことを知った。
「始まったぞ! 全員密集、隙間を作るな」
「「「おう!!」」」
ついに、魔族側から弓矢の応酬が始まったらしい。
予想した展開に、古参の囚人兵は予定行動にうつる。
足枷をジャラジャラと引き摺りながらも、古参の囚人兵はなるべく素早く動き、密集するのだ。
そして買い揃えた防具を頼りに、亀のように身を小さくし、固まった。
カン! ガン!
矢が命中しても、簡単には盾は射抜けない。
「ひひ! た、助かったぜ」
「あぁ! 買っといてよかった!」
矢を防ぐ古参たち。
だが、その周囲では次々に囚人兵が射抜かれていく。
ギャアア! ウギャアア! グワァアァ!
と、耳を覆いたくなるような絶叫が響き……負傷者の呻きでたちまち溢れかえる。
「動くな! 動くなよ!」
「お、おう…」「任せとけ!」「おう───な、なんだ?」
しかし、上手くいったのも最初だけ。
突如、防御姿勢を取る元盗賊の囚人兵達の中に、強引に分け入る者がいた。
……ほかの囚人兵だ。
血走った眼で元盗賊の囚人兵らの作る防御の傘の下に潜り込もうとする者や、果ては防具を奪おうとする者まで───!
そういった連中の大半は、擦った揉んだしているうちに矢に射抜かれていくが、中には、中々しぶとい連中もいる。
そうこうしているうちにもスカァァン、と矢が盾に集中して突き刺さり、古参たちが目標にされていることを知る。
「てめぇらどけ! ここは俺らの場所だ!」
ドカン、バキィ! と足癖悪く蹴飛ばし追い出すが、外の囚人兵も必死だ。
何とか潜り込もうと──もう何が何だか!
そうこうするうちに、あらかたの囚人が魔族側の弓矢の攻撃圏内におさまり、射ぬかれていく。
つまり、人類側の狙いどおりだ。
この瞬間を待っていたのか、ようやく野戦師団の反撃が始まった。
パーパラパーパー!!
合図のラッパが鳴り響き、ようやく動き出した正規のロングボウ部隊。
ビュンビュンと頭の上を飛び交う矢に、時折降り注ぐ流れ矢。
だが、目標となっているのは囚人兵だけだ。
それをほくそ笑みながら、野戦師団は悠々と、王国軍得意のロングボウで反撃を開始。
「射れ、射れぇぇえ!!」
「魔族どもに教育してやれ!」
嵩にかかって反撃をするも、今回は少し様相が違った。
なぜか敵の防御が異様に固く、さすがに城壁の防御もあり魔族側もなかなか崩れない。
どうも、魔族側も準備していたらしい。
やつらとて馬鹿ではない。二度も同じ手にかかるとは限らないらしい。
魔族側も、囚人兵が死兵だと既に気付いているのだろう。
それに気付かないのは人類側のみ。
二匹目のドジョウを掬わんと狙っているのだろうが───世の中そんなに甘くはない。
白馬に乗った将軍が陣頭指揮をする中、
「将軍! 危険です、お下がりください!」
ガキュン……! と巨大な弓を弾く音がしとかと思うと───。
「何を言っとる! 魔族領に攻め込む一番槍を得るチャンスだぞ。後ろでコソコソしておられ───ガハア! ぶふ、」
ドサっと倒れる伏す将軍。
軍旗がカランと落ち、驚いた馬が走り去っていく。
将軍の下半身だけ乗せて……。
「は?」
唖然としているのは、将軍付の将校で、
「え? な! し、将軍!?……って、あれ? 俺も何か、変だ、ぞ?」
将軍をぶっ貫き、将校の腹に突き刺さった巨大な矢───。
それは、致命傷を負い、倒れる寸前の将校が目にした最期の光景。
彼は、グリン──と、目を白目にしつつ叫ぶ、まだ死んだことに気付かずに。
「ば、バリスタだぁぁぁぁ!」ドサリ……。
──ガキュン!
ガキュン……!
ガキュン!!!
直後、一斉に放たれる巨大な矢の嵐。
それは王国軍の野戦師団───ロングボウ部隊に降り注ぐ、鉄の雨だ!
「ギャアアアアア」
「いでぇぇぇ!」
「腕が腕がぁぁぁ…!」
たちまち阿鼻叫喚の地獄と化した前線。
ロングボウ部隊は瓦解し、後詰の近衛兵団の歩兵が交替する。
しかし、その致命的な時間ロスの間に、囚人大隊は壊滅的損害を受け───城壁と味方の間に取り残されてしまった。
もとより顧みられることもない死兵だ。
救出など万にひとつもありえない。
自分でやるしかないのだ。
だが……。
すでに逃走するほどの兵力も残っておらず、走り抜けた囚人兵もいるにはいたが、城壁の下で狙撃を受けて絶命していた。
生き残りは、まだ後ろでノロノロしていた一部の囚人兵と、亀のように縮こまっている元盗賊の囚人兵達くらいなもの。
他の生存者は、死体を盾にして震えているのみ。
「何をしている貴様ら! 早く行け!」
後ろでノロノロしていた囚人兵を蹴りだす『教官』に、監視の兵達。
しかし、行けと言われて大人しく従うはずもない。
「無茶苦茶いうなよ!」
「死んじまわぁ!」
「そーだ、そーだ!!」
既に背後で圧力をかけていた野戦師団は壊滅的なダメージを受けている。
無傷なのは近衛兵団ばかり───。
ならば、囚人兵に行けと言っても誰が言うことを聞くものか。
クラムも後方でノロノロしていたことが幸を制して、辛うじて生き延びていた。
はっきり言って人類が勝利しようが、敗北しようがクラムにとってはどうでもいい。
生き残ることを目的にしていれば、無茶な攻撃すら避けることができるはずと、あえて後ろで牛歩により戦いを避けていた。
だが、いつまでもそうしてはいられない。
もちろん、そんなにことが簡単に許されるはずもなく───痺れを切らせた監視の兵が槍を突き出し、脅し始めた。
「進まないと、殺すぞ! わかってるのか…!」
…………頃合いだな。
十分に時間を稼いだクラムは、前に出る。
未だ矢の降り注ぐその戦場へ。
だが、さっきとは状況が違う。
何もない城壁前とは違い、今は遮蔽物だらけ。
他にも生き残っている囚人兵がいるように、彼らと同じように隠れるのだ。
そうとも、
死体がそこここに!
「死んで………──死んでたまるかぁぁ!」
うおおおおおおお!
足枷を引き摺り、駆ける。
駆ける、駆ける、駆ける!
ジャリンジャリン! と、鉄球と鎖が鬱陶しい。
足がもつれそうになる…………だが、止まるな!
生きろ。
生き抜けッ!
たとえ、血反吐を溢し、泥に塗れようとも!!
生きる!!!
俺は生きる!!!
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ジャリンジャリン──ビュン、ズバっ……と際どい所を矢が貫いていく。
だが辛うじて、無傷。
止まるなッ!
目星はつけている。
そこぉぉ───!
その折り重なった死体の間だぁぁぁ!!
バッと飛び込む死体の隙間。
零れた腸と、溢れた体液やら血でベチャベチャのそこに躊躇せず飛び込むクラム。
バシャっ! と、赤い飛沫が立ち、頭から腸を被るが───知るかぁぁぁぁ!
もともと『勇者』の糞尿に体液で、とっくにドロドロのガビガビだ。
今更、気にもならない。
そこを目掛けて───!
ビュンビュン! ドドドズズ! と、直後に突き刺さる矢の雨。
だが、死体の盾は有効!
クラムは生きている……。
生きている!
生きているぞぉぉおおお!!
そして、
さぁ、ここからだ…………。
もう、わかってるよ!
………………来るんだろ?
目立ちたがりの『勇者』さんよぉぉぉ。
第41話「彼の者───」
───クラムは聞いていた。
主にリズの身の安全のためだが、キャンプ地ではワザと監視の傍で宿営していた。
その介もあって、監視たちの雑談もよく耳に入った。
その中で聞いたふざけた話の一つに……『勇者』の戦い方というものがあった。
一騎当千。
最強の戦士。
その勇者が───。
並の兵など意にも介せぬ勇者が、何故、最初から戦場に立たないのか……?
初めから『勇者』が戦場で立ち振る舞えば、軍の先駆けなど必要ないのでは───というもの。
では、何故───初めから勇者は戦わないのか?
監視ども曰く、理由は簡単。
嘘か本当か知らねども。
ピンチに颯爽と登場する───あるいは、戦いの決着のつく場面の一番カッコイイ場面に登場したいというものだ、と……。
雑談していた監視の兵は、「そんなわけねぇよなー」とゲラゲラ笑っていたが、クラムはわかった。
わかりすぎた───。
あの、テンガなら在り得ると……!
むしろ、ひどく正解をついている話だ。
あの色ボケカス野郎なら、絶対にヤル。と……。
クラムには、それだけは確信できた。
……………………だから、さ。
来るんだろ!?
今がまさにお前が求めていた瞬間!
そうだろ? イイ格好しぃのぉぉおお!!
テンガよぉぉぉおおお!!
ビュンビュンと飛び交っていた矢が一瞬だけ、止まっ……た。
戦場の空気が明らかに変わったのが、身に染みてわかる。
そして、来た。
後方で控えている近衛兵団の声が高らかに上がる。
やはり、来た……!!
───勇者!
───勇者!
───勇者!
勇者、勇者と……!!
「ついに、来たな……」
死体の中から這い出ると、クラムは近衛兵団のほうを睨みつける。
その視線の先───!
まるで、海を割るかの如く、近衛兵の群れを割り───現れたのは、やはり『勇者テンガ』その人だ。
豪奢な鎧と、業物とみえる宝剣を担いだ、如何にも強者然とした様子。
腰にまとわりつくシャラの髪を撫でながら悠々と歩き───……。
そして、なぜか、死体に隠れるクラムを見つける。ニィと……顔を歪めて!
「あ、あの野郎……!」
そういう技でもあるのだろうか? と勘繰りたくなるほど。
そうれはもう、クラムが初めから生き残るのを知っていたかのようにこっちを見ていた。
それはもう、鼻につく仕草で……!
ニィィィと口角をゆがめ、シャラを抱き上げると激しく口づけして見せる。
「はッ! 『勇者』の力を見せてやるぜ!」
そう言い置くと、シャラの手をとり気障ったらしく地面に降ろすと、宝剣を構えた。
しかし、その攻撃の瞬間を待っていたかの如く、魔族側から砲撃が始まった。
図ったかのように絶妙のタイミングでだ。
勇者よ───死ねッ!!……と。
バンバン、ギュンギュン、ガキュン!
と、激しく弦を打つ音に、重りが動く音が響き───……!
その後を継ぐように、巨大な矢と岩石と、油壷と鉄球がテンガ目掛けて飛び込んでくる。
魔族側の遠距離攻撃───大型投石器の一斉射撃だ!!
「ははははっはは! 甘いぜぇぇ」
だが、テンガは少しも慌てることもなく、グッ───! と、宝剣の刃先下に向け、切っ先を後ろにしてフルスイングの構えを取ると、
「───オオオラァァァァッァァアァ!!」
ブワァ! とすさまじい衝撃波を生み、砲弾を払いやがった!
ゴガパパァァァンズガングシャっ!!
と、空中で───そのことごとくが破裂される!
鉄球も岩石も、油の詰まった壺も───ほぼ全て、細かな破片に分解し───……少なくとも、テンガの周りには何一つ降り注がない。
いくつかの取りこぼしや、油壷から燃え広がった炎が近衛兵団に降り注ぎ、ものすごい絶叫が上がっていたが、テンガは気にするそぶりもない。
その光景をみて、うっとりとした表情のシャラとじゃれ合いつつ、
「さって、仕上げだなっと!!」
次に構えるのは大上段に構える大雑把なそれ。剣技というよりもガキ大将のこん棒の如くだが───、
「ぶっとべやぁぁぁ!!!」
ギャンンンっ!! と、ブーメラン状の衝撃波が、地面を波立たせてまるで津波のように死体と土を巻き上げつつ迫る!
「ぐぉぉぉぉ!」「ぎゃあああああ!!!」
と防御姿勢で固まっていた元盗賊の囚人兵達が射線に捕らわれ凪ぎ払われていた。
そして、何の抵抗もできぬまま、ごと城壁にぶち当たり四散する。
立っていたもの例外なく死に絶え───。
低い姿勢と、死体に埋もれていたクラムだけは何とか無事だっだ。
だが……テンガの目を見るに、わざとクラムだけ外したのかもしれない。
そして、ズガァァァァァッァァァン!! と轟音が響き、
続けて、ガラガラガラ──と、崩れる城壁。
当然ながら、城壁上の魔族の兵もバラバラと落ち息絶える。
「はははは、見ろ! 魔族がゴミのようだ。ははははは!!」
大笑いするテンガは悠々と歩き、クラムに声が届きそうなくらいのぎりぎりの距離で笑う。
その傍には『教官』がヘコヘコしながら追従している。
その『教官』の手には……。
え?
その手には……。
な、なんで?
───なんで、リズがそこにいる?
茫然とするクラムに顧みるものなどなく、勇者どもの背後からは、近衛兵団の重装騎兵が余勢を駆って突撃を開始した。
「城壁は崩れた! 今が千載一遇のチャンス!!」
「「「おおおおう!!」」」
「突撃ぃぃぃいい!!」
ドドドドドドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドドドドド!
大地が沸き立つような馬蹄の騒音!
ついに王国の最大戦力が総攻撃を開始したのだ。
だが、その様子に興味もなさげなテンガは、リズを連れた『教官』と笑い合っていた。
『教官』の媚びた笑いと、テンガの醜悪な笑い声───。
「よぉぉぉ? クラムぅぅう…! お前、処女飼ってたんだってな? えー、この子は姪だってー??」
おい、止せよ!
触るなッ!!
俺のリズに触れるんじゃない!!
だが、クラムの慟哭など届くはずもない。
その間にも、ドンドン迫る重装騎兵。
あの馬蹄がクラムを引き裂くまでが彼の命の最後の時間───。
「くそぉ!! ここまで、生き残ってきたのにぃぃい!!」
クラムの予定では、勇者の攻撃まで予想していた。
そして、それが城壁を破るところまでは。
そこまでは予想通り、そして、うまく距離も稼げたし───五体満足、生きている。
生き延びた!!
だから、あとは重装騎兵の突撃に巻き込まれないように、敵の城内へ突っ込み、うまくすれば元盗賊の囚人兵と合流して、それと分からぬように足枷を破壊してもらい、後ほど脱走するつもりだった。
足枷さえなければ、リズと一緒に………。
あの子と、リズとなら……いくらでも、どこへでも逃げ出せる、と───。
「コイツあれだろ? たしか、俺のとこの中古じゃねぇか? ははは。悪いなー」
綺麗にしてくれてよー、と。
リズの顎に触れ、馴れ馴れしく手をまわすテンガ。
震えるリズは気丈にもテンガを睨む。
それは怯えと憎しみのこもった眼ではあったが、リズはテンガを真っ正面から見据える。
負けないと言う意思と───!
まるで汚物を見るかのように……視線でせいいっぱいの抵抗をする。
リズ、よせっ!
おまえの………リズの心が傷ついたのは、テンガのせいなんだろ?
戦うな!
逃げてくれ!
生きてくれ───!!
また、絶対に迎えにいく!!
お前を守る──────!
リ───、
ドドドドドドドドドド!!!! と、馬蹄が響く。
無情にもクラムの命の時間は尽きて、予定は狂い……もはや、逃げることはできない。
早晩、あの近衛兵団の重装騎兵の馬蹄に牽き潰されて死ぬ───!
まるでボロ切れや石ころのように、なんの興味もひくことなく───死ぬ。
リズの無事を見ることもなく、家族を奪われたまま───…………勇者を、殺すこともないままに!!!
あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛──!
テンガ!!
テンガ!!!
テぇぇンんんガがぁぁぁぁぁ……!!
「すまねぇぇな? シャラはよぉ、まぁだ、お前の事は残しとけっていうんだけどよ、」
え?
そういわれて、シャラの顔を見たクラム。
何の感情見見えないそれは、前髪を下ろし…………表情をかくしたシャラのもの。
「───いい加減よぉ、俺はお前に飽きてきたんでな! だけどまぁ、ギャハハハハ! このガキは貰ってくぜぇぇ? 中古の中古だけど上玉だしな! よぉ、抱き心地は良かったか? 身内の処女は旨かったかぁぁ? ヒャハハ!」
───ゲスがぁぁ!!
クラムの怒りなど目に入らぬかのように、ボロボロの服を破いて、下着姿同然のリズを抱き上げるテンガ。
その姿に、
「テぇぇぇンガぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!!」
喉が破れんばかりに声を振り絞り叫ぶ。
だが、その声もかき消えそうになるほど迫る馬蹄───!!
ああああああ!!
頼む!
頼む!
頼むよ!
リズだけは……!
リズだけはぁぁぁぁあ!!
「シャラ、シャラぁぁ…──か、義母さん…それで、それでいいのかよ! なぁ!? なぁぁ!!」
最後には泣き言のようにシャラに縋る。……縋るしかないクラム。
しかし、微動だにしないシャラ。
だが、その口が薄く笑っているようにさえ見えて───クラムの心は絶望に包まれる。
シャラは………助けてくれない。
なら、
なら、リズは?
奪われる唯一の心の拠り所───リズ。
俺のリズ───。
その平穏を思うこともできずに……!!
俺は、
クラムはここで死ぬ───?!
「ごめんよ……リズ」
最後まで握りしめていた槍。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!
だが、目の前に迫る重装騎兵の前にはなんの役にもたたず、いつか、勇者の顔面に突き立ててやろうと画策していたその槍も、地面に落と……。
───ブゥゥン……!
『──困るのぉぉぉ……招かれざる客人よ』
その時、…………空が震えた。
第42話「その名は『魔王』」
『困るのぉぉぉ───招かれざる客人よ』
ブゥンと、空気が震えるような音が響く。
すると、まるで空間が割れて、そこに窓でも開いたかのように、綺麗な四角の額縁の様なものが浮かび上がり───少女がそこに映し出される。
突然に、なんの脈絡もなく。
突撃の興奮状態に陥っている重装騎兵隊を除き、この戦場に全ての将兵がポカンと空を見上げた。
ドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドド!!
まるで空気を読まない重装騎兵隊だったが、それを鬱陶しそうに空から見下ろす少女。
───彼女は言った、
『───まずは、……我が領は土足厳禁じゃ……。去ねぃ』
パチンっと、空間に映し出された少女が額縁の中で指を鳴らすと─────チカチカチカッ! と、城壁の一部が輝いた。
その、瞬間。
───ヴァァァァァァッァァァァァァァッァァァァァアアアアアアアアアンン!!!
───ヴァァァァァァッァァァァァァァッァァァァァアアアアアアアアアンン!!!
と、巨大な蜂の羽音の様なものが響いた!
「ひぃ!?」
クラムの頭上を何か圧倒的な質量が駆け抜けていき……突如、人類の軍勢の目の前に真っ赤な花が咲いた。
いや、花ではない。
花なものか───!!
否………、花だ。
真っ赤な、真っ赤な───血の赤い花だ。
赤く、
鮮明で、
生臭い、
人体と、
軍馬と、
英霊と、
暴力と暴力と暴力と暴力が生み出す、理不尽で圧倒的で驚異的な、酷く汚い──真っ赤で、真っ黒な血だ……!!
それが、
───ヴァァァァァァアアアアアアアアアンン、ヴァァァァァァアアアアアアアアアン、ヴァァァァァァアアアアアアアアアンン!!
狂おうしく鳴く獣の咆哮のようなそれは、人々を食らいつくし、赤黒い絨毯を丁寧に、余さず敷き詰めていく。
それはそれは、圧倒的で……。
それはそれは、暴力的で……。
それはそれは、魅力的だった───。
なんと言えばいいのか……こう───掃き清める?
その表現が正しいのかどうかは知らない。
ただ、クラムを───。
生き残った囚人兵をまるで路傍の石の如く踏みしだこうと、圧倒的な突進力で威圧していた、あの恐ろしい近衛兵団の重装騎兵が───グッチャグチャに……。
そうだ、もう……なんていうか、グッチャグチャに──だ。
まるで巨大な圧搾機にでも掛けられたかのように──グチャグチャに潰れた近衛兵団。
強大で、軍の象徴たるべき最強兵力の重装騎兵が壊滅するほどに───何かが起こった。
その結果、彼らの大半は──潰れた果実のようなありさまとなり、その場に───。
ブチ撒けられた───……!!!
「うそ…………だろ?」
一体、何が……!?
『まったく。これで少しは話ができるか?』
映し出された少女。その姿は───!
まるで、
ル……。
「ルゥナ?」
クラムの娘。
天使の名を与えた愛しき娘──。
そう、行方の知れない………会いたくて会いたくて、会いたくて堪らない存在が、
───そこにいた。
クラムの記憶の中にある姿に、成長していたらこうだろうな──という姿がありありと映し出されており。
愛娘は、空の窓から顔を見せ、クツクツと笑い、美しい声を振りまいている。
あぁ……。
ルゥナ───そこにいたのか……!
しかし、映し出されている少女はクラムには目もくれず、
どうやって話しているのか知らないが、王国軍の指揮官クラスに話しかけているようだ。
そこには、当然『勇者』も含まれる。
「──おいおいおいおいおい? なんだ? 誰だこのワガママボディの美人は!?」
突然の事態に、さすがの勇者も動揺しているのか、捕まえているリズをボトリと、腕からずり落としてしまう。
それに気付くこともなく、訝しげな顔を浮かべた。
答えを知っていたのは、すかさずリズを取り押さえた『教官』だ。
「───あぁぁ、ま、『魔王』だ……!?」
は?
ま、
まお?
──────魔王ぅ?
……え?
ま、魔王って……? この少女が??
まさか……ルゥナが!?
『ふむ。如何にも、儂が魔王じゃ。………………もっとも、お前らが勝手にそう呼んでおるだけじゃがな』
フフンと不敵な笑みを浮かべる魔王に、
「ゆ、勇者殿……──『魔王』は認識阻害の技を使います! おそらく、それぞれが見る姿が違うかと───」
コソコソと話しているつもりのようだが、『魔王』には筒抜けのらしく、
『───ほぉ? お主少々は訳知りのようだな? ふむふむ……? ほほぅ……面白い経歴だ』
ツツーと視線を『教官』に飛ばしているらしく、
『なるほどのー……。かなり高位の人物か。よかろう。この場は貴様らを相手に交渉しようかの?』
「交渉だぁぁ!?」
テンガはすぐに調子を取り戻したらしく、
「おい何だこりゃ? SFの立体映像《ホログラム》ってやつか?」
『んー? ほぉう……お主が今回の『勇者』か』
フムフムと、
少女は『勇者』を恐れもせずに、揶揄《からか》うようにいう。
『どぉれ、経歴は……っと。フーム、まるでクズじゃのー……。女に、権力か。カッカッカッ! 子供じゃのー』
下らないとばかりにテンガそのものを笑い飛ばす少女。
いや、『魔王』か。
「───ゆ、『勇者』殿! こ、ここは、」
私に任せて───と、教官は言う。
この場での権力順位。
状況的には、野戦師団の将軍だが、彼が戦死した以上──階級順になるはずだ。
その上でみて、高位のものは王国内でいうと───軍なら、勇者や近衛兵団長のはずだ。
だが、『教官』はそれを差し置いて話をしようという。
「『魔王』よ! 我らは王国軍。人類の代表たる『勇者』を擁した軍です。あなたの言う交渉とは如何に?」
先の近衛兵団の重装騎兵を一瞬で滅した威力に脅えているのか、『教官』は真っ青になりながら、空に映し出される『魔王』に向かって話す。
『何……簡単なことじゃ。ここは、我らと貴様らとの国境……住み分けるべき境界線じゃ───』
ゴクリと唾を飲み込む『教官』に対し、
『……貴様ら、失った土地は取り戻したじゃろ? 失地奪還。それでよいではないか? 故に、以後の不可侵を求める』
「不可侵です、か?」
『いかにも──』
ツツと垂れる汗をぬぐいもしない『教官』に対し、
「はははははははっはははははは!!!」
テンガはどうでもいい、とばかりに笑い飛ばした。
「なんだなんだぁぁ!? 戦争吹っ掛けておいて、負けそうになったから、引き分けにしましょうってか?」
バカバカしいとテンガは吐き捨てる。
『はぁ? 負けそうになった? はて……なんのことだろうかの?』
『魔王』は可愛らしげに首をかしげているが、見るものからすれば挑発にも見えるだろう。
「はぁぁん? 手も足も出なくて、ここまで逃げ回ってたじゃねぇかよ……。そんで今日また負けそうになってるだろうが?」
『んーー?? もしかして、国境まで兵を退いたことをいっておるのか?……呆れたのー』
はぁ、と移しだされる映像越しに、大きなため息───。
『……手加減してやったのじゃろうが? 元々喧嘩を吹っかけてきたのはそっちじゃしのー?』
その声に、見てわかるくらいに『教官』がギクリと体を震わせる。
『あー……。お前らのところでは第一次「北伐」というのか? 人様の領土に踏み入ってきての、無礼千万の行為!』
え……?
北伐って?
それは、魔族の跳梁に直面した人類の防衛策だったはず──………。
「歴史の講義なんざ興味はねぇ! 俺はお前を討つのが使命らしいからな。……ヤらせてもらうぜ、ビィィッチ!」
そういって、テンガを『教官』を押しのけると、
「おらぁぁ! 近衛兵! 何ビビってやがる!!」
まるで発破でもかけるかのように、残存する近衛兵団の歩兵達に怒鳴り散らす。
同時に、後方で予備待機の各国軍にも呼び掛ける。
「聞けぇぇえ! 『勇者』である、俺が先陣をきる! 魔族領に踏み込むぞぉ!」
宝剣を高らかの掲げると、「宣戦布告だ!」と、すでに攻撃しておいて、今さら宣戦布告もなにもないのだが、
容赦のない一撃を「おらぁぁぁぁ!」とばかりに、さらに追加と城壁に叩きつけた。
その一撃で、まだまだ健在であった城壁がさらに崩れ、魔族側に被害が広がっていく。
そして、
「突撃ぃぃぃぃいい!!」
と、テンガの奴が、本当に先陣を切って走り始めた。
その目にはすでにクラムは映っておらず、『勇者』の使命とでもいうのか……それは『魔王』の首を討たんとする強者のものだった。
それに続く近衛兵と、予備部隊。
騎兵の攻撃がなくなり、クラムは圧死の危機こそ免れてはいたが───!
『やれやれ。……徹底的に戦いたい───ということで、いいのじゃな?』
「クドイぜビッチ! 震えて待ってろ! すぐに、ヒィヒィ言わせてやるぜッ」
『下品なガキじゃ……んんッ───機構全職員に次ぐ、警戒レベル2に移行。武装隊員は出動準備』
ノラリクラリとした喋りの『魔王』が、急に事務的な口調に移行したかと思うと、
『近接航空支援の制限を解除する───防衛予備行動を実施せよ』
……………………。
そして、国境に突撃した王国軍、各国軍の連合部隊は…………。
その日をもって消滅した。
勇者の寝所番───。
その日から数日間、クラムは「任務」のため勇者のキャンプ地を訪れ──彼のものの寝所で番兵として立哨した。
とはいえ、まじめな立哨を求めらているわけではない。
警備計画もなければ、歩哨や動哨との連携を求められることもなかった。
彼に求められていることはただ一つ。
『勇者テンガ』に抱かれている女が恥じたり、興奮したりと……、要するに普段よりも違う反応をすることを求められているだけだ。
すぐ近くで、見知らぬ男がいるというのは、やはり女をして意識するようで、戸惑った顔を向けられつつも、「ハレム」の女達はテンガに抱かれていた。
その様を、ボンヤリと突っ立ち───案山子になっている様子のクラムを見て、勇者の野営地にいるキャンプの構成員はあざ笑う。
そして、近衛兵や非戦闘員の勤務員に笑われ蔑まれるクラム。
誰も彼もが緩やかに無視するなか、クラムは毎日通い続けた。
『勇者』が目覚める朝の遅い時間帯よりも早く───。
目覚めの一発よろしく、と──ヤリ始める『勇者』を楽しませるためだけに………。
そして、日中も気まぐれに女を呼ぶ『勇者』のために寝所の前に突っ立つのだ。
それがクラムの日常。
勇者が寝付く深夜に漸く帰っていくというローテーション。
バカバカしいけど、それが仕事なのだ。
いっそ、本来の囚人兵としての勤務方がよほど楽だとすら思える───。
だが、進軍はまだない。
予想以上に人類連合軍の損害は大きいらしい。
今回は、奇襲攻撃であったが、魔族側の反撃は熾烈であり、勇者のいる「主攻撃」正面以外は手酷い反撃を受けて壊滅状態だという噂だ。
そのため、作戦の練り直しと再編成が急ピッチで行われていた。
拍子抜けするほどに遠ざかる戦争の足音を聞いて、クラムは日々寝所とキャンプを行き交うのみ。
だが、それはクラムの心を蝕む日々でもあった。
まだ、たったの数日ではあるが、彼の精神は日毎に荒んでいった。
しかも、その様子を面白がった『勇者』は、他の女よりもクラムの家族だった3人を集中的に抱くようになっていた。
途切れることなく聞こえる、ネリスとシャラとミナの嬌声。
喘ぎ声に、その情事の激しさを思う。
見せつけるように天幕の中は明るく、浮かび上がった影絵がその行為の様子をクラムにまざまざと示して見せる。
ネリスの熱い声、
シャラの甘い声、
ミナの激しい声、
どれも……。
クラムをして知らないものだ───。
ネリスでさえ、あんな声を出すなんで知らなかった。
それは、男として情けなく、悔しく───惨めだった。
最初は、なんとか辞めさせようと寝所に入る彼女たちに声をかけたが、最近ではそれもしない。
言っても聞かれないばかりか、酷い罵声を浴びるだけ────それも聞くに堪えない罵詈雑言だ……。
「ゴミ」
「犯罪者」
「囚人兵」
誰だって、知り合いに罵られて嬉しいわけがない。
それが愛する家族なら、なおさら……。
だから、もう、クラムに話す気力はどこにもなかった。
今はただ、時間が過ぎていくのを暗い暗い表情で眺めるだけ。
昨日はミナ……。
あ、いや……一昨日だったかな?
……今日はシャラか。
───そして明日はネリス、と………。
激しく交わる男女のそれを聞きながらも、ギリギリと歯を噛みしめ…勇者への憎しみを募らせる。
そして………そんな男に抱かれる3人に苛立ちと憤りを感じた。
なにより……。
彼女らの言葉が辛い───。
ネリスは決して言葉を発しないし、
シャラは挑発する……。
ミナは、リズのことを話そうともしない……。
そして、
ルゥナのことは……誰も教えてくれない。
それでも、
それでも、だ。
今日も、クラムは寝所の番をする。
だって、他にどうしろっていうだ?
だって、しょうがないじゃないか……。
だって、俺にも──────家族がいる。
最後の、
たった一人だけの家族が………………。
あぁ───。
雨が降る………………。
第32話「クラムの日常」
そうして、冒頭へ─────シャラと別れたあの日の夜にクラムの思考は戻ってきた。
(ちくしょう……)
呻くクラムの顔に冷たい水滴が降り注ぐ。
ポツリ、
ポツリポツリ……。
と───、
また、あの冷たい雨が降り始めたのだ。
(どうして……────)
ザァァァァァァァァ……。
ザァァァァァァァァ……。
そんな中でも、クラムはいつの間に寝入ってしまっていたらしい。
怒りに震え叩き続けた拳は割け、血だらけになっていた。
だが、
「あれ? こ、これは──……」
ドロドロに汚れていると思った手はいつの間に包帯が巻かれており、血だらけに見えたのは、雨に濡れてそれがあふれ出しただけのようだった。
「?」
───いったい、誰が?
自分で手当てをした覚えもないし、囚人兵である自分には、包帯なんてものは支給されない。
雨が降りしきる中、疑問に首をかしげるクラムの傍に人の気配があった。
(う……マズい!)
気づかないうちに誰かがいる。
近衛兵か?
もしや、眠ていたことを咎められるのかとビクリとする。
「彼………眠ったわ」
そう言葉が降ってくるが……。
こんな言葉───。
今の彼女が………?
「義母さん……?」
雨に濡れることも厭わず───シャラがほんのすぐそばに佇んでいた。
見上げると、上気していたであろう頬は冷め、やや青くなっていた。
ぐっしょりと濡れた髪と服。
それは、今さっきここにいたというものではないようだ。
「手……───大事になさい」
フと──シャラの……義母さんの懐かしい声を久しぶりに聞いた気がして、気が解れてしまった。
思わず、不意にジワリと涙が溢れた。
だが、幸い雨だ。よほど近くでもない限り気づかれることもないだろう。
「じゃ……。行くわね───。彼、しばらくは起きないから、今日は帰りなさい」
それだけ言うと、踵を返し、「ハレム」へと帰っていく。
その背がひどく小さくなり、また震えているように見えた。
「───待って! 待ってくれ義母さんッ」
思わず呼び止めるクラム───。
でも……。
特に何かを言いたいわけでも、何かをしたいわけでもなかった。
ただ、
「……何?」
振り向いた彼女の顔は雨に濡れ、まるで泣いているようにも見えた。
彼女に限って、それはあり得ないだろうが……。
「あ……。その───や、あ、そ、ありがとう!……義母さん」
手を示して、手当を感謝すると伝えた。
「ん……」
コクリと頷き今度こそ帰ろうとするシャラ。
しかし、クラムは声だけでは……満足できなかった。
どうしようと思ったわけではないが──。
シャリンと鎖を鳴らして一歩たたらを踏み、思わずシャラの手を掴んでしまった。
「ま、待ってくれ……義母さん!」
そのまま、強く引き寄せ、思いっきり抱きとめてしまう。
彼女は……華奢で、驚くほど軽い。
そして、鼻腔いっぱいに広がる匂いは、情事のそれではなく、シャラの───彼女だけの香りだった。
雨が、テンガとのそれを洗い流してくれていたようだ。
「きゃ……!」
小さく悲鳴を上げるシャラを腕に抱き、間近で見ると雨に濡れた衣服は透けており、もともと薄い夜着のせいでほぼ全裸に近くも見えた。
あまりにも煽情的に過ぎるそれに、思わず唾を飲み込むクラム。
背徳的なまでに……。
そう、───恐怖すら感じる美貌だった。
「は、離しなさい!」
小さく抵抗するシャラを見て───なんと言えば……?
いま、何て言えばいいんだよ──?
「あ、ぅ……。あ、か、風邪……ひく、よ。義母さん」
「離して!」
それでも、離さずギュウゥゥと思いっきり抱きしめ……彼女の肌に顔を埋める。
毎日毎日、情事を見せつけられ……甘い声を聞かされて、家族が「女」になるその様をまざまざと見せつけられて──クラムとて劣情を催さないわけではない。
そんな感情を持ち得てはいけないと知りつつも───……どうしようもなく、日々の精神的な負荷は、クラムの中に澱として溜まっていく。
しかし───シャラは、だめだ!
こんななりで……『勇者』の「女」でも───家族だった人。
愛おしい、在りし日の幸せの残滓であっても、───たしかに家族だった。
家族。
家族……。
かぞく──。
カゾクダッタヒト───。
シャラ……。
「ごめん。ただ、お礼が言いたくて───」
「ッ……───」
バっと身を翻すと、もう振り返りもしないでシャラは去っていった。
ただ、離れた「ハレム」に入る瞬間、一度だけクラムを見る。
その目が……。
口が──────。
声が─────────!
あぁ、なんだクソ!
……雨で煙りよく見えない───。
「──────……」
口が動いて何かを言った気がするが……聞こえない。
聞きたくない。
もう何も───…………。
第33話「泥を啜ってでも───」
シャラを見送り、暫く雨に打たれるに任せたクラム。
冷たい雨が体温を奪うと共に、束の間感じれたシャラの温もりをあっという間に洗い流していった。
「……帰ろう」
思いを振り払うようにクラムは顔の水滴を拭った。
体の芯は鉛のように思い───。
きっと、風邪だろう。
こんな場所で風邪をひくと言う失態。
だが、寝所番を命じられている以上、避けられない事態でもある。
だから今は眠りたかった。
あの狭い不衛生な天幕に戻って、リズの温もりも感じながら泥の様に眠りたかった。
「帰ろう……」
誰に言うでもなく、クラムの呟きは闇に溶けていった。
そうとも、帰る──────帰るんだ。
あの小さな「家」に。
ノロノロと動き、今日の「仕事」を終えるクラム。
シャラの助言のおかげで睡眠時間が多少稼げた。………それだけでも、今日はまだマシかもしれない。
ちょっとした怪我と、風邪により体調を崩したことはさておき……だ。
ジンと痺れる拳。
冷え切った体の中、そこだけが燃える様に熱い。
おかげでふらつく頭も少しはまともに働いてくれる。
ゆっくりと周囲を振り返ると、どこもかしこも闇に閉ざされている。
ボンヤリ天幕から明かりが漏れているところもあるが、遮光性の高い軍用天幕はテンガの使うそれとは違い、暗く闇に溶け込んでいる。
雨の日の野営地は本当に暗い───。
激しい水滴の応酬に、篝火ひとつ焚けないキャンプ地は、本当に暗いのだ。
光源といえば近衛兵たちの天幕内で灯っている小さな明かりくらいなもの。それすらほとんど見えない。
「飯───確保しないとな」
そんな中、幽鬼のような表情でクラムは歩いていく。
すぐに帰りたいところだが、食料を得ねばクラムもリズも飢えてしまう。
無理を推してでも給食を摂る必要がある。
お金はあるが、なるべく取っておきたいし、なにより「勤務時間」のせいで闇市にも寄れない。
仕方がないので支給される給食を当てにしているのだが、どうにもこうにも、ここのところそれがまた一段と酷くなってきた。
だが、食わねば死ぬ───。
リズと二人で死んでしまう。
それでもいいと思えるのは、クラムだけの独り善がりだろう。
リズは………………。
あの子だけは、なんとしてでも救いたい。
……だから、どんなに酷い飯でも取らねばならぬ。
クラムの向かう先、厨房設備のある天幕はさらに人気がなかった。
飯の準備と配食時以外にここは人気がない。
早朝ならば朝飯を準備するため殺気だった勤務員が怒鳴りながら仕込み作業をしているが、この時間は無人だ。
火もついておらず、一層暗い空間。
そんな中、クラムは厨房の脇へと近づき、地面に掘られた穴に近づく。
そこは、雨に濡れて拡散してはいるが、……ひどく生臭い匂いが漂っていた。
そうとも、
ここはゴミ捨て場───近衛兵どもの残飯やら、なんやらが山と捨てられたとこで、そのうちの生ゴミ捨て場だ。
このキャンプ地にはそんなのがいくつかある。
そして、今クラムが覗きこんでいるのは、比較的古い穴だった。
「……う」
ツンと鼻をつく刺激臭。
底のほうでは腐敗が始まっているのだろう。
厨房では、生ゴミや食べ残しを処理するため定期的に穴を掘っているらしく、ここ以外にも埋め立てられた穴がいくつかあった。
この野営地はかなりの大所帯のため、掘った穴はすぐ埋まる。
だが、大きめの穴を掘れば2、3日は使えるのだ。
そして、これがクラムへの支給された給食でもあった。
「今日は、一段と酷いな……」
覗き込んだクラムにはとても、食べ物があるようには見えなかった。
運が良かったり、穴が新しければ比較的程度の良いものが手に入るのだが、雨のお陰でこの様だ。
しかも、古い穴のせいで発酵と腐敗が余計に進んでいる。
当然のこと捨てられた食材はゴミだ。そして誰にも触れられないゴミは古くなっていき、中身は腐敗したもので溢れかえる。
そして、捨てたばかりの生ごみもそれと交じり合い、中々ひどい状態になるのだ。
今日は、その上雨……───。
雨で匂いは誤魔化されているが、水没した食料は底のほうの腐敗汁と混ざり合い、状態は最悪だ。
しかも、最近ではクラムがこれを食べていることを知った幾人かの奴らが、わざわざここに汚物を放り込んだり土を入れたりする。
しかも、手の込んだ悪戯をする連中に至っては、わざわざ棒を使って穴のなかを攪拌しやがる……!
くそ!!
おかげで上のほうにある新しい生ごみも、腐敗した食材と混ざって──もうひどいものだ。
近衛兵だか、後方の非戦闘員の連中か…はたまた「ハレム」の女たちか知らないが、面倒なことをするものだ。
───よほど暇らしい。
何がしたいのか全く分からない。
クラムのみじめな姿を見たいと言うならまだわかる。
わかりたくもないが、そういう人間もいる。
だが、この時間にゴミを漁っているクラムの姿など見ることもできないのにそんなことをするのだ。
───その……なんだ? なんていう心理状態なのか知らないが、例え嫌がらせをしたとしても結果が見れないのが分かっていて、なぜやるのか理解に苦しむ。
しかし、実際にこれだ───。
とりわけ今日は強烈だ。
雨の中、生ごみの穴を覗き込めば、プカプカと浮いている生ゴミに交じり、茶色の固形物も……。
信じられるか?
わざわざここまでク〇を運んできて投げ込む面倒さを、惜しまない連中がいるのだ。
考えられない阿呆だ。
オマケでタダでさえ汚い食材に、流れ込んだ泥が含まれて、泥と〇ソの区別もつかなくなる。
「くそ……!」
これを食べろという。
たしかに食べ物だ。
栄養価の高いものもなかにはある。
だが、腐敗したものや、危険なものも含まれている。
それに、悪戯が度を越せば、ここに毒やら刃物を入れられる可能性もある。
ここの食料を生命線とするクラムたちにとって、それは致命的過ぎる。
…………それでも───。
それでも、これしかないのだ。
これを、食うしかないのだ。
「食ってやるさ……! なんとしてでも食ってやるさ!!」
何処かの天幕から漏れる、かすかに見える程度の薄明りの中でクラムは屈みこみ、食材らしきものをかき集めていく。
自分で食べる分と───リズの分。
それを集め、……毒見するのだ。
そうしないとリズが危険だ。
あの子のためなら、この身など惜しくはない。
だから、クラムが体を張る───。
それしか方法はない。
さぁ、今日も頂きます───クソ近衛兵ども!
そして、クソ勇者め!!
かき集めた食材を、まずは目視で確認するクラム。
異物の混入や、付着物を確認し、大丈夫そうなら、次は匂いだ。
当然、糞便の匂いがするものは捨てる。
それは腐敗臭も同じ。
ただ、大きな塊状のものは、その限りではない。
槍の穂先で表面をこそぎ落とせば、いくらかは食える場合がある。
ただ、この雨のせいでパンはだめだ。
汚物と腐敗汁がしみ込んでしまっている。ゆえにパンはあきらめて主に硬いもの。
肉や、野菜類、果物を狙う。
お…………これはいけるか?
……う、クソがついてやがる。
だが…食えるな。リズではなく、洗って俺が食うしかない。
自分が今食べる用と、リズ用、そして保存食用だ。
優先順位はリズが一番高く、次に保存食。そして、俺だ。
土やちょとした汚れた程度のものを選別する。
しかし、暗くてほとんど色がわからないので、明らかに食えないものや──。
時折、人糞を思いっきり握ってしまったりと、なかなか作業は進まない。
雨のせいでもあるが、雨のおかげで手が洗えるのはありがたい。
そういえば久しぶりの雨だ。
………あとでリズと一緒に体を洗おうかなと、ふと思いつき、その方法を画策する。
石鹸なんて手に入るはずもないが、ハーブくらいならなんとか摘むことができる。
汚れを落とし、ハーブで傷を癒しつつ、匂いを刷り込む───。
きっと気持ちいいだろう。
リズも喜ぶに違いない。
うん。そうと決まれば急がないとな───。
それにしても、降ったり止んだりと忙しない雨だ。
「天に誰かいるなら、そいつは実に頭がいい」
塩でも、矢でも、炎でもない。
「───水なら、誰も死なないからな……」
そんなことを気にしながら、クラムはようやく食材を集め終わり、懐に収めていく。
これらは毒見……。何とか食べられる。
残飯漁りのクラム。
まったく卑しい姿だろう。そしてそれを食うしかないクラムとリズ。
だが、……悔しいが、中にはなかなか旨いものもある。
なんせ、近衛兵の食事の残飯。
なかには勇者やハレムのそれもあるのだろう。
当然、平民出の野戦師団や、囚人兵のそれとは違う。
「……御綺麗な近衛兵たちの食い物なだけはある。中身はクソ野郎だが、いいもの食ってやがるぜ───」
っと、大分集まったな。
今日はなんだかんだで、上々だ。
シャラのお陰で残飯漁りの時間が大きく確保できたためか……。
(義母さん……)
頭をふり、クラムは扇情的な恰好をしたシャラの姿を隅に追い出す。
今はその姿に囚われているときじゃない……。
リズを優先しよう───。
俺の最後の家族……。
リズ───。
「……さて、行くか!」
カラ元気のように声を出すと、ヨロヨロと立ち上がり、自分用の食い物を口に詰め込む。
なにか苦い味が混じったりして……不潔なものだが、これを食わねば生きていけない。
そうだ。
泥を啜ってでも……生きなければ。
何が何でも生きなければならない……。
何度───。
何度死にたい。
殺してくれ。
それが無理なら、殺してやる! なんて考えたが……。
今はもうできない。
クラムには未練ができてしまった。
守るものができてしまった。
憎しみだけではなくなってしまった───。
リズのこと。
ネリスや、シャラや、ミナのこと。
そして、ルゥナの行方───。
そして、なによりも……憎しみだ!
諸悪の根源である『勇者』をこの手で──────!!
そのためにも、飢えで死ぬわけにもいくものか。
早晩、体調を崩す可能性もあるが、それでも食ってさえいればなんとかなる。
───何とかして見せる!
さぁ、
……だから帰ろう。
リズの………───家族の元へ。
第34話「それはとても美しいヒト」
ザァァァァァァァァァァァァ……!!
雨の降る中。
クラムは持てるだけの食料と、支給品の槍を手にして勇者のキャンプ地を後にした。
まるで、冷たい雨に追いやられるように、
そして、それは者達の嘲笑にすら聞こえた───。
だが、それがどうした?
もう、クラムの心はとっくに冷えきっていた。
彼にあるのは、向ける対象の定まらぬ怒りのみ。
それとて──疲れきった今はもう……。
ただ、リズと過ごす僅かな時間への歓びに覆いつくされ、気にならなかった。
疲れに鈍る足を引きずり、盆地を上り、囚人大隊のキャンプ地へたどり着く。
「ふぅ……」
今日も今日とて、誰も起きてはいない。
ただでさえ雨の中だ。
明かりのない囚人たちのキャンプは真っ暗だった。
雨音で鼾や寝息は聞こえないが、人の気配だけはある。
このところ勤務時間の違いで顔を合わせることは少ないが、彼らは彼らで「後方地域」の「後方任務」で扱き使われているようだ。
たまたま、勇者のキャンプ地に作業で駆り出されていた彼らに遭遇したことがあるが、件の生ゴミ捨て用の穴を掘らされていた。
例の元盗賊の囚人兵かいたので、二、三話をしたのだが、彼らの仕事は主に先の戦いで死んだ兵士(ほぼ囚人兵)の死体やら、魔族の死体整理をさせられているらしい。
腐敗の始まったそれらは酷い臭いで、病の温床となるため、それらに接し続けていた
囚人兵のなかには、体調を崩しているものも多いと言う。
ただ、魔族の死体整理を命じられた際は、運が良ければ死体漁りもできるとか。
ほとんどが回収されたらしいが、防護施設の下敷きになり、潰された死体なんかは未発見のそれだ。
うまく見つけると金銭を得ることができる──と、ニヒルな笑い顔で宣っていた。
なるほど……。
それなりに稼いでいるようだ。
───本当に抜け目がないな。
そして、気になる事として、クラム不在間のリズの様子をそれとなく聞いてみた。
……要は、不届きものが手を出そうとしていないか、だ。
ーーーーーーーーー
元盗賊の囚人兵はそれを聞いたとき、
「おいおい……。いくら何でもあんな小さい子に俺は食指は動かんぜ? 他の奴はどうか知らんが」
なるほど。
元盗賊の囚人兵は、子供には興味なし───と……どこまで本当かはわからんが。
「まぁ、俺の知ってる限り不埒を働いたやつはいねぇよ? ぶっちゃけ、日中の重労働に疲れ切っててな……。帰ったら皆、すぐに眠ってるからよ」
それは本当だろうな。
実際、みんな深い眠りについている。
リズにも不埒な真似をされたような、そんな様子はなかった。
ならば、今のところは大丈夫だということ。
今のところは…………な。
それよりも、と元盗賊の囚人兵は続けた。
「そろそろ、進軍再開だとよ。囚人の補充も来るっていうしな。───それに、連合軍の斥候が前に出たらしいんだが、魔族は大幅に撤退していて、この先はガラ空きらしい」
嫌な話だった。
人類としては、失地の奪還につながるのだろうが……。
クラムたち囚人兵としては──また、死地に投入されることになる。
リズを連れていくことができるのかも、不安だ。
今は比較的自由だが、移動ともなれば囚人は繋がれる。
───どうしたものか。
「じゃぁ行くぜ」
そういって疲れた顔の元盗賊の囚人兵は穴掘り作業へと戻っていった。
クラムは再び寝所番へ───。
ーーーーーーーーーー
そうだ。
あの元盗賊の囚人兵と話したのはいつだったか?
クラムが寝所番をするようになってからは、日々の感覚が曖昧だ───。
帰るべき家と、依るべき家族の大半が消えたからだろう。
もう、彼女たちは……。
それ以来、ただ「任務」を熟なすのみ。
クラムの望みは、生きて……。
そう、生きて──────あとは、リズと安寧な日々を過ごしたい……。
ただ、それだけが生きる意味になり始めていた。
そんな折だった、あの元盗賊の囚人兵の話を聞いたのは───。
(また、戦争か……)
今度は生きて帰れるか、どうか───。
とはいえ、まだ進軍再開の話もないし、補充の囚人兵も来ない。
できればずっと来ないでほしいものだ。
進軍の話も、補充兵も───。
雨が降りしきるなか、暗いキャンプ地を暗い顔をしたクラムが歩いていく。
そして───。
彼の安らげる、唯一の……。
そして、最後の家族の元へと───「家」へと帰ってきた。
「ただいま、リズ」
プンと垢の匂い。
リズの体臭のそれが鼻をつく。
「ぉぁ…い、なさぃ」
弱々しいがかすかに聞き取れる声でリズが迎えてくれる。
ここ何日かで、リズは少しずつ話せるようになってきた。
良い兆候だと思う。
目も、相変わらず酷く濁って闇に沈んでいるが───徐々に光を取り戻している気がする。
ぎこちないが、笑みも浮かべてくれていた。
更に飯のおかげか、血色も戻り目の隈も薄くなっている。
日に日に回復し───。
驚くほどの美少女に近づいていくリズ。
家族ゆえの贔屓目もあるが…………綺麗だ。
とても綺麗だ。
ガリガリだった体も、あれから少しずつ肉付きが良くなり、出るとこが出てきて───その、なんだ。色々と体のラインの主張が激しくなってきている。
とは言え、可哀そうだが、ミナの血を引いている所はどうしようもない……。
普通より少し控えめだと言っておこう。
「今日も何もなかったか?」
「ぅん…」
ニコっと微笑むそれは、痛々しくもあるが、どこか蠱惑的だ。
病んだような雰囲気と、少女の持つ元の明るさが交じり合い、不思議な魅力になっている。
───やはり……この子は綺麗だ。
それは家族として嬉しくもある一方、不安でもある。
こんな美少女を、禁欲を強いられてきた囚人兵が放っておくだろうか。
予防線を張ろうにも、クラムは日中ここにはいない。
辛うじて、囚人兵も日中は遅くまで作業に駆り出されているので、彼女は陽の高いうちはココに一人でいる。
が……。
陽が落ちてからの数時間が、彼女と囚人兵が接触しかねない時間帯だ。
その時間が怖い。
せめて身を守る武器でもあればいいのだが……。
せいぜい天幕を作るためのペグや木槌くらいなもの。これでは護身用としては心もとない。
槍は番兵として持つことを義務付けられた。
ないほうが『勇者』としては安心だろうに、まぁ───槍一本では相手にもならないんだけどね。
悩んでいる間にも、リズがクラムに身を寄せ甘えてくる。
スキンシップにしては近すぎるが、こう暗いと触れ合える距離でないと互いがほとんど見えないのだ。
それくらいなら、くっついていたほうがいいか──とクラムも思っていた。
そして、寝具をクッション代わりにして、リズを胡坐の上に乗せると食料を取り出し与えてやった。
今日の収穫は肉の塊と、野菜の切れ端、食べかけの果物だ。
そこに、酸っぱくなってしまったワインが瓶ごと捨てられていた。
とは言え、元が高級品なのだろう。
庶民が飲むものより、十分にうまいものだ。
それをリズが嬉しそうに頬張っていく。
クラムも肉を齧りつつ、ワインを二人で交互に飲む。
「ぉぃ、…い」
すぐ近くの息のかかる距離でリズがほほ笑む。
薄暗い中で、リズの顔がアルコールで上気しているのが分かった。
不意に催す劣情に、自分を絞め殺したくなる……。
随分、そういったところの垣根が低くなりつつあるようだ。
そりゃそうか……。
毎日毎日、
あの三人の嬌声と情事……───その痴態を見せつけられているのだ。
意識するなというほうが無理だ。
しかし、そんな対象にこの子を見るのは倫理観と、クラムの人間性が許しはしなかった。
それを認めてしまえば、この子の身を案じているのはただの偽善に成り下がる。
そう、
ただの独占欲だと───。
邪な思考を追い出すようにクラムが頭を降ると、「ケプッ」とリズがオクビを漏らす。
それほどの量はなかったはずだが、リズの体格からすれば十分な量だった。
「美味かったか?」
「ぅ、ん」
コクコクと素直に頷く姪を見てしまい、自分で聞いていながら惨めな気持ちになる。
元は残飯だ……。
それを美味いなんて───。
「そうか。明日はなにか……リズの好きなものを持ってくるよ」
「ぉ、んと?」
「あぁ」
「…ん、とぇ、じゃ、ぃーズ」
───チーズか。
………探せばあるだろうな。
「そんなんでいいのか? もっといいものを持ってくるぞ?」
できるかどうかは別だが、聞くだけ聞いて悪いことはない。
近衛兵どもは、実に様々なものを食っていやがるからな。
「ぅぅ、ん。チ…ぅで、ぃい」
「そうか、わかったチーズだな! まかせとけ」
ナデリコ、ナデリコと姪っ子の頭を撫でてやる。
その際にムワっと垢の匂いが漂う。
囚人兵の目に触れさせたくないので、リズは人気のいない日中を除き、基本この中にいる。
日中も、人の気配を感じたら隠れるように言い置いているが、この様子だとほとんど中で過ごしているのだろう。
遊び道具もないし、
話し相手も、遅くに帰るクラムしかいない。
およそ、子供の暮らす環境ではないが、リズは不満も漏らさない。
それどころか、こうして幸せそうに微笑む。
それにしても、だ。
やはり少々汚れすぎだろう。
だから、この雨を利用して体を洗おうと考えていた。
幸い、人目はないものと思っていい。
いつもなら、クラム自身疲れているので、食事を終えたらリズと一緒に寝ていた。
ほとんど過ごす時間はないが、それでも十分に満たされていた。
だが、今日は『勇者』に殴られ、意図せず眠ってしまったので、多少は無理ができる。
シャラの助言もある。
「リズ───外に出るか?」
「??」
どうしたの? という目を向けてくる姪。
「あー、いや体を洗おうかと……な」
そういうと、リズは自分の腕やボロボロの布の中を嗅ぐ………。
そして、クラムを見て───シュンとしてしまった。
「あ、や……! り、リズが臭いって意味じゃなくてだな!」
実際そうなのだが、年頃の女の子に言う言葉じゃない。
「せ、せっかくの雨だ。そうだろ?」
な!? と誤魔化しつつリズを誘う。
クラムももう少し言葉を選べるのだが、久しぶりの酒は疲れた体に沁みすぎて悪い方向に行ってしまったようだ。
リズもちょっと頬をふくらませてみせたが、
「ぅ、ん…ぃこ!」
と、金貨100枚に匹敵する笑顔を見せてくれた。
思わず見とれてしまうほどそれはそれは可愛らしい笑顔だった。
「よし、スカっとしようぜ!」
わざとらしくウキウキした声を出してクラムは先に立って天幕を出る。
リズの匂いやら、自分の出すそれ。
そして、生活の澱(リズの排泄は、天幕の隅に穴を掘ってしている……)の溜まった、小さな天幕の澱んだ匂いと違い───雨に降る外は、水と湿った土の匂いがしていた。
「きぉ、ちぃぃ」
ザァァァァァァァァァ……と、降り続ける雨を顔全体で受け止めるリズ。
クラムも、真似をして天を仰ぐ。
少し前に『勇者』の寝所でも同じようなことをしていたが、まったく感じ方が違う。
隣にリズがいてくれるだけでこうも違うのか。
僅かに肌寒さを感じるのは、やはり風邪を引いたせいかもしれない。
ワインのおかげで体は温まっているが、あまり良く無い兆候だ。
それでも、リズが笑ってくれるなら…無理もできる。
パシャっという音に目を向けると、
ボロ布を脱ぎ捨てたリズが一糸纏わぬ姿で雨の中をクルクルと回っていた。
暗い闇のなかで浮かぶシルエット───少女の体のラインがよく見えた。
そして、ゴシゴシと体をこする様まで、………ほんとによく見えた。
はしたないと、普通なら叱るところだろうけど───。
ここは地獄の一丁目───。今さら恥だの、なんだの……。
逆に、リズが美しくあるなら…囚人兵の目は怖いが、クラムとしては成長を見ることができるようで嬉しい。
失われたはずの家族が、ここにいて───今も成長しているとお思えば、こんな嬉しいことはない。
洗い終えた体を惜しげもなく晒し、小さな声で笑うリズ───。
踊るように、
跳ねるように、
女神のごとく───。
サァァと……! と、一瞬だけ雨が上がり───雲が切れ月明かりが不意に差し込んだ。
それはまるで天の梯子のように一筋の光を差し伸べて………リズを明々と照らしだす。
美しい笑顔を浮かべたリズが、
洗い終えた体の雫をキラキラと反射させ、
本当に美しくそこにあった───。
第35話「新たな攻勢」
それから暫《しば》らくの後《のち》───……。
人類は再編成を終え、魔族を追って失地を進み始めた。
以前のような全面大規模攻勢を控え、二個軸からなる作戦を実施。
『勇者テンガ』と王国軍を中心とした主攻撃と、漸減した部隊を再編し、無理矢理に軍としての体裁を整えた臨時の連合部隊を主軸とした助攻撃。
その2本の攻撃軸をもって攻め上がることとした。
作戦は当初、奇襲効果を失ったため激しい抵抗が道中予想されると見積もられていたが、実際はほとんど抵抗らしい抵抗もなく、あっさりと各地の主要拠点を奪取していった。
呆れるほど簡単に進む人類軍。
彼らは、失われた土地を回復し、順調に魔族の住む北の大地へと近づきつつあった。
途中ある村落に、町───それを「解放」しつつ、戦利品を山ほど抱えての進軍である。
魔族の捕虜や、新しい入植者らを捕らえて売買し、ときには使用し、士気が高まる巨大な軍団。
その中に───クラムのいる囚人大隊も……また、居た。
───臨時編成囚人大隊。
それは、再教育と再編成を終えた大隊で、新たな囚人を加えた第二線級の部隊として使用されていた。
ザッザッザッザッザッザッ!
ジャラジャラジャラジャラ!
足音と鎖の音が混じる独特の音は、延々と進み続ける。
クラムも囚人大隊の最中にあり、傍らにリズを伴っての行軍だった。
それは───……一種異様な光景だ。
囚人に寄り添う一人の少女。
囚人の身分では、到底ありえないが、事実としてあり、疲れ切ってはいても、欲望に忠実な囚人兵の目がリズを肉欲のそれに濁った目で見ていた。
だが、殺気を放つクラムと並走する軍隊の目を恐れて手をだすものは皆無だった。
そんな状況を知ってか知らずか、『教官』は補充の囚人兵を連れてくると囚人大隊を再編成し、行軍の列に加え、自らはそれを指揮していった。
リズについては、特に何も言わずクラムが警戒するのをよそに、そのまま少女がついていくに任せていた。
言ってみれば放置だ。
彼が何も言わなければ、誰も何も言わない。
しかし、今回は少々事情が異なる。見れば、それとわかるくらいに、囚人の質はかなり落ちている。
以前は『勇者』の被害で死刑になったものを中心に集められた志願兵だが、今回は数合わせの募兵。
なかには志願ではなく兵役経験だけを見て本人の意思とは関係なしに投入された者もいるため、従順さという意味では著しく危うい状態だった。
そのため監視の兵が投入され、囚人兵の動向を見張る始末。
彼等は囚人兵たちの左右に配置され、その数は少ないながらも、騎乗しながら威圧するように鋭い目を囚人たちに向けていた。
初期の囚人大隊を知っているクラム達からすれば、監視の目は窮屈この上ないが……──クラム個人としては、リズの身の安全を考える上では、監視の目は非常にありがたかった。
監視が信用できるかどうかは別にして、一応……とはいえ秩序を維持するために監視の兵がつくなら、クラムの目の届かないところでも多少ないしマシな気がする。
僅かしかないが、金で買収もできるだろう。
何も難しいことではない。
リズに目を向けておいてもらうか、宿営中の天幕を監視役の傍に立てさせてもらうだけでもいい。
もとより、監視の役の傍で寝たい連中はいないので、簡単に話は通るだろう。
そうして、こうして──クラムとリズは、北へ北へと征く。
魔族の戦線は抵抗も乏しく、
人類は、どんどんどんどん前へ前へと進んでいく───。
そしてクラムは、
いつもどおりに夜は、番兵の仕事をし、
乏しい睡眠時間を削ってリズと話し、
シャラ達の痴態を見続ける異常な日常───。
その間も、戦線は徐々に進んでいく。
移動間はクラムも囚人大隊の一員として前進する。
リズを伴い、そして囚人毎、鎖で繋がれて歩いていく。
疲れ切っても、到着した先で───『勇者』のお遊びに付き合わされる毎日……。
今日も今日とて、
クラムは『勇者』の寝所番につく───。
それは、魔族の本拠地を前にしての最後の休養期間。
旧国境を前にした、大規模な戦線整理の合間のこと。
そう、
終わりなき進軍の先──……。
久しぶりの、長いキャンプ生活となる。
それはクラムの番兵としての、長い長い屈辱の時間の幕開けでもあるのだが──……。
第36話「愛ゆえに残酷」
色気と肉欲が混じる、粘ついた矯声が響いている……。
あぁ……♡
はぁぁー♡
と───。
「ぁぁぁ♡」
今日も、激しく絡み合う一組の男女……。
いつものことながら───あの3人が、かつてあったはずのあの温かい日溜まりの家の人々が、世界で一番醜悪な男に抱かれている思うと身が張り裂けそうになる。
今日は………………ミナの日だ。
「はぁはぁ……あぁ♡」
ねっとりと絡み合っているらしいその様子が、声だけでもわかる。
テンガもミナの絶技の前には果てるのが早く、余裕はないようだ。
それだけに、ローテーションの中にミナの入る確率は高い。
とはいえ、最近のテンガは本当にクラムの知る3人ばかりを抱く。
よほど、クラムが外にいるだけで違うのだろう。
その介もあってか、テンガときたら終始ご機嫌だ。
戦争そのものが、上手くいっているのもあるのだろう。
この戦いが終わり、『魔王』の首級を上げれば、彼は晴れて人類の救世主。
本国では次期国王もありうると───。
───冗談じゃない!!
悔しいが、そりゃ、シャラ達がテンガに溺れるわけだ。
未来が約束された最強の男。
顔とて悪くはない。いや、むしろ美青年。
そして、若く、富も名声も力もある……。
かたや、クラムは囚人兵。
仮に「特赦」され、自由の身になったとて───彼には、何もない。
「っあぁぁぁぁッッ──♡」
絶頂を迎えたミナの声が、天幕から派手に漏れる。
耳を塞ぎたくなるが、塞いだところで聞こえなくなるわけでもない。
「ふぅぅ………! はは、今日のミナはすげぇな!? どうしたんだ?」
同時に果てたらしく、テンガも満足気にに吐息を漏らす。
そして、しばらくのち復活して──またおっぱじめるのだ。
……もう何度もこんな日を送れば、いい加減覚える。
微塵も慣れはしないが……。
そして、インターバルを挟むためのピロートーク───ウンザリだ。
ギリリリと、槍を握り込む手に爪が突き刺さる。
もう、爪は血にまみれてボロボロだ。
ろくに爪を切る道具もないので、噛みちぎっているため──それはギザギザと尖り……容易に皮膚を破った。
「んーん。特に何も……? テンガも凄かったわよ♡ るぁぁ♡」
んー、と唇をむさぼるその姿さえ、天幕の薄い生地では影絵として映えてしまう。
「いやー誤魔化すなよ。俺はいつも通りだぜ?……激しいのはお前さ」
チュポン♡と音を立てて離れるそれ。
わざと聞かせているとしか思えない。
いや、わざとなんだろうさ。
しかし、ふいに周囲の空気が冷えたような感覚に襲われた。
なぜかテンガの纏うそれが、劇的にかわる。
おい……───。
「話せよ……」
と、
突然、声のトーンが変わり、テンガのそれに冷徹な響きが混じった。
「ヒ………ッ」
そして、ミナの声にも脅えが、
「何を隠してる? 言えよ?」
男女のそれとは明らかに異なる動き。
テンガの手がミナの首に伸びて───。
それは、
食肉を絞めるが如く…………!
───絞る!!
「ぎ、ぐ……ィガぁ───」
あぐぐ……と、ミナが呻く。
は? な、なにしてんだよ! テンガ!
あ、ありゃ喘ぎ声じゃないぞ?
え? な、なんで?
なんでミナが首を絞められている!?
おい!!
「…………っ───」
「聞いてんだよ!」
影絵からもわかるくらい、ミナの体が痙攣している。
……くっ!
いくらなんでも、やりすぎだろう!?
───ミナに思うところがないわけじゃないが……。
少なくとも、死んで欲しいわけじゃない!
「テンガ!」
思わず叫ぶクラムに、
「テメェはすっこんでろ!」
ビシっ! と天幕を突き破って何か細いものが飛び出してきた。
「ガフぅ!」
肩口に刺さったそれはオードブル用の、小さな楊枝だ。
それでも、肩がはじけ飛ぶんじゃないかと思ったほどの威力。
実際、動けないほど強かに頭を打ち、あお向けにぶっ倒れる。
「ギィ………ッ───ィ───」
ミナの呼吸は途切れる───。
そのまも、肺から酸素は届かず、ミナの脳が……意識が───………落ちる。
「かは………………」
そして、糸の切れた人形のように、華奢な体がブラン……と、
「ミ……ミナぁぁ!!」
動かなくなったミナの影。
それを片手で釣り上げているテンガ。
後悔も、罪悪感も微塵も感じさせない声で───、
「あーあー……。しょんべんまで漏らしやがって、キッタねぇ……」
彼女に慮ることもなく、まるでゴミのようにドサリと───、
「ゲホゲホゲホゲホ……! オェェェ……」
あ……!
み、
「ミナ! ミナぁ!」
咳き込むミナを見て、生きていた事に安堵し、声をかける。
駆け寄りたくて、クラムはグググと起き上がろうとするも、体が言うことを───、
「すっこんでろっ、つってんだろが!」
一喝されたとて、止めるものか。
うぐおぉぉおぉ……!
今いくぞ、ミナぁ!!
「──聞き分けねぇと……こいつ殺すぞ?」
楊枝が突き破った天幕の隙間から、ミナの土気色になった顔を突きつけクラムを黙らせる。
ぐ───!
「ち……気分悪ぃぜ」
「ゴホゴホ……!」
せき込むミナに苛立ったのか、
「大げさなんだよ! ちょっと落としただけだろうが、あぁ!!」
「ひぃ!……ち、違うの。その、き、気持ちよくて──」
「はぁぁ?」
お、おいおい……!
「そ、その首を絞められて、ボーっとしちゃって……♡」
「は? あー……──ほほー。ミナぁぁ、お前Mの気があるのか? はは、こりゃいい。新しいプレイができそうだ」
途端に上機嫌になるテンガ。
そして、
「うふふ…………た、楽しみだわぁ」
そう言ってしな垂れかかるミナ。だがその顔は青ざめている。
明らかに無理をしているのがわかった。
隙間から見える細い体の線と、少女と見間違えんばかりの小さなそれは、白く美しく眩しいが───その顔は恐怖に濁っていた。
しかし、
その中にも確かに愉悦の表情もある───。
なんなんだ。
俺の……───俺の知る3人はどうなってしまったんだ!?
「でー……。もっかいだけ聞くぜ? なんで今日はそんな積極的だったんだ?」
テンガはしつこい。
いつもいつも、自分が満足するまでネチっこく女の体を貪ることからもわかるが、こいつはこういう性格なんだ。
わざわざ、囚人大隊を編成させてまで、すでに獄中にいる「恨みの根源」を断とうとするほどに、しつこく、ジメジメとネチネチとしている。
だからこそ、クラムの顔も覚えていたのだろう。
それで、こんな嫌がらせであって、かつ───その延長上にある自分の快楽へとつなげる手段を思いつく。
なるほど……屑だ。
正真正銘、人間の屑だ。
だが、そこじゃない。
クラムが気に病むのは、そこじゃないんだ───。
そう『勇者テンガ』は、紛うことなく屑だ。
それはいい。
それよりも、なぜ?
なぜなんだ?
あんな屑におちるような家族じゃなかったはず!!
なのに……なぜ、
なぜだ!
なぜ、シャラもネリスもミナもこんな奴に体を許す!?
なぜ俺の知る3人は───絶対にこんな奴に靡くはずがないというのに!!
───金や、地位や、名誉……!
そんなものに釣られるような人達じゃなかったよな?
なぁ……。
なぁ……?
なぁ!?
「えっと───その、」
ミナは背後から緩く首を絞められつつ、おずおずといった様子で答える。
「んー……早く言えよ」
「き、今日、リズを見たの───」
え?
「んんー? りず……リズぅぅ? リズリズリズ──……あーーーー! あの小さいガキか!……ま、お前よりデカいけどな」
ひゃははは、とせせら笑うテンガに、
「ちょっとぉぉ……! テンガは小さいのも好きなんでしょ?」
「おーおー、いうねぇ……お前ら3人は、いろいろ楽しめて最高だけどよ」
テンガは、何か思い出すように、
「あーリズか……。確かいい感じに熟れてきてたなー」
な!
こ……コイツ!
「あの子がいいの?──残念だけど、」
「んー? まぁ、そろそろってね──」
「───とっくに売ったわよ」
……は?
「はぁぁ? おいおいおい、確か、お前の子だろ? マジか?」
テンガをしてさすがに意外だったようで、マジマジとミナの顔を覗き込む。
途端に媚びる女の目で──
「だってー……。あの子いつまでたってもテンガに股を開こうとしないんですもの、それに、」
「おいおい……」
「あの子がいたら、テンガ。───私を捨てちゃわない?」
「………ぶはははは! ひぃーひっひっひっ! そ、それが母親の言うことかよ、ぐひゃはははは!───あー親子丼もやって見たかったんだがな~」
下種が!!
……そのままリズのことは忘れろ!
「んー? でも今日見たってのは?」
「え、えぇ…………その、」
グググっとテンガが首に力を込めている。
まったく躊躇しないその動きに、この手の詰問は初めてではないだろうと思わせる。
「囚人と歩いていたわ……」
う……。
「囚人~~?? なんでだ?」
「さぁ? 売る直前まで、言うことを聞かないし、話もしないし、頭もおかしくなってたからね……。安く売られたんじゃない?」
囚人どもの玩具として───。
と、そう告げる。
……ミナ───。
一体、どこまでが本心だ?
「あー。そりゃ壊れちまうなー。さすがに囚人のものをなー。うん、それはないわ。ばっちいしな! ぎゃははは」
そう言えば、ハレムが臭かったなーと告げるテンガ。
……なるほど、
ハレムにいた頃から、リズの扱いは酷かったのだろう。
そして───。
ミナ……。
───ミナぁぁ……!
おまえ………!
「それにしても子供を売る母親かー。ギャハハハハ、お前それ最低の奴がすることじゃねぇの?」
その言葉に一瞬だけ、ミナの顔色が暗く落ちる。
そして、隙間から覗くクラムと目が合い──反らした。
「そんな薄情じゃないわよ。死ぬような目に合わないように、性奴隷専門で売ったから」
それを聞いて、なおも笑うテンガ。
「ギャハハハハハハハハッハハ!! お前イカレてるよ。……お? なんだよ? 詰られてヤル気になってんじゃねぇかぁ!」
そういってミナを組み敷くテンガ。
醜悪な、
醜悪な宴が展開される……!
隙間から除くミナは美しい。
とても美しいが……。
この世のなによりも醜悪なそれに映る。
子供を売る。
自分の保身のために?
股を開かない?
言うことを聞かない?
………それに、
───頭がおかしくなったから?
それは、
それは、
それはぁぁぁあああ!!
「───おまえらのせいだろうが!!!!」
がぁぁぁぁ、と叫ぶクラムの声を聴いて、ますます嬌声を上げるミナと嗤うテンガ。
なんでだ?
なんでだよ!?
誰も彼も、イカレてやがる───!
リズが、
リズが……おかしくなった?
………違う。
違う違う違う違う違う違う違う!
違うだろ!!!
「──おかしいのはオマエらだろうか!」
リズは───。
リズは正常だ。
正常だから、ああなってしまったんだ!!
ああああああああああああああああ!!!
くそったれ!!!
こんな世界……………滅びてしまえ!!!
第37話「譲れぬ一線」
クラムの慟哭など、誰も動かしはしない。
世界を呪ったとしても、
世界はクラム等知らない。
世界に救いなど何処にもないから───。
それでも、
それでも、リズは美しい。
どれ程の目に遭《あ》おうとも───。
リズは高潔で、純粋で、清廉だった。
家族の有り様への絶望と、クラムへの思慕との間をさ迷いつつも……彼女は「何か」を守った。
そして、リズはここにいる。
偶然でも、
神でも、
母でもなく───。
必然として、クラムと再開した。
そして……リズは、また笑う。
クラムに笑顔を向ける。
ともに食べ、
ともに眠り、
ともに生きる。
おかしくなんてない……。
おかしいものか!
リズは、もう───昔の……あの頃のリズそのものだ。
仕事を終えて帰るクラムを、柔らかな笑みで迎えるリズ。
この空間だけは温かく──まさに家庭だった。
「ぉしぃたの? 叔父ぁん?」
リズを膝の間に座らせるいつもの体制をとると、食事を取りながらリズが可愛らしく首を傾げクラムの目を覗き込んでくる。
「ん? いや、なんでもないよ。リズが可愛いな~って」
そういっても褒めてやると、顔を真っ赤にしてブンブン首を振る。
「ぁぁぁわ、わぁし、ぁぃくなんて、ぁいよ!」
……うん、
超可愛い。
カイグリ、カイグリと頭を撫でてやる。
現在は、囚人大隊のキャンプ地。
クラムの天幕の中だ。
珍しく、『勇者』は日中出かけるようだ。
おかげでクラムの「任務」はお休み。こうして、久しぶりにリズとのんびり過ごしていられる。
そして、キャンプにも変化が訪れていた。
まず、囚人兵の補充があって以来天幕など寝具も新たに補充されたがため、旧囚人大隊の野営具は宙に浮いた存在となった。
そのため、小隊以下になった彼らは元の古参特権としてそれらを自由に使えることになり、今はこうしてクラムとリズの二人の天幕が確保できていた。
これが、誰かと共有スペースとして使うならば、非常にまずいことになっていた。
誰かとこの空間を共有するなど真っ平だ!
リズとの空間に、異物はいらない。
今は、幸運に感謝───。
色々、不運だらけの人生だが……なんとか、か細く、小さな幸運を掴むことができている。
……それにしても、こうしてリズと過ごしていて、思い出すのはミナの言葉───。
彼女の真意はわからない。
テンガ曰く、ミナの様子が違ったという日───彼女はリズ見たと言っていた。
つまり、どこか場面でリズを見たということ。
だが……どこで?
まぁ行軍中にせよ、囚人大隊でのキャンプにせよ───クラムと一緒にいるということは知っているはずだ。
それをテンガには申告していない。
ただ囚人と、そう言った。
それは明らかに間違いではないが、肝心の情報を欠いているもの。
囚人は囚人でも、クラムと、そんじょそこらの囚人とでは意味が違う。
そこらの囚人に下げ渡されているなら、テンガやミナが言うように、玩具として扱われているだろう。
汚い囚人の玩具───さすがにテンガとて、それを横取りはしまい。
御綺麗な女が溢れるなか、無理に小汚ない小娘を相手にするか?──ないだろうな。
多分、テンガは食指を動かそうとしない。
だが、リズが下げ渡されたのがクラムなら?
そりゃ、手厚く保護するに決まっている。
もちろん囚人兵としてのできる範囲だが。
しかも ミナならクラムが親族を抱くような腐ったマネをしないことだけは知っているはずだ。
つまり、リズは綺麗な身として無防備にあることがわかる。
ならば、女好きのテンガが手を出さない保障などない。
むしろ、クラムの反応を楽しむために、綺麗な身としてリズが持ち去られる可能性も十分にある。
だから、誤魔化した?
………わからない。
ミナが何を考えているのかわからない。
いずれにしても、ミナの手によってリズが無体に扱われ、挙句奴隷商に売り下げられたのは間違いないようだ。
それも、話が本当ならば───だが。
そう、母親の手でだ。
あぁ、いつから世界はこんなに腐ってしまったんだろうな……。
ナデナデとリズの頭を撫でながら、心に沸くどす黒い感情を押し殺していく。
ミナのやったことを許すことはできない。
できないが……本心がわからない。
いつか聞くことができるだろうか。
まぁ、無理か。
先の命すら知れない囚人兵。
しかも、だ。
───そろそろ、次の戦いが始まる……。
勇者専属の番兵とはいえ、囚人兵は囚人兵。
所属は囚人大隊。
また戦いが始まれば、盾代わりに前に押し立てられるのだ。
今度こそ死ぬかもしれない。
……いやだな。
この娘を……。
リズを残して──ルゥナにも会えず……。
3人を奪われたまま───!
なにより、
勇者を殺せずに!!!!!
「ひぅ……!」
リズが小さく脅えた声を出す。
クラムから迸る殺気がこの子にも伝わってしまったようだ。
慌てて取り繕うクラム。
笑顔を浮かべてリズの額に、自分のそれを付ける。
吐息のかかる距離でいえば伝わるはずだ。
「ゴメンよ、リズ……。なんでもない」
そう、なんでもない……。
勇者に復讐することなんて、
なんでもない───。
そう、当たり前のことだ!
「おじぁん、ぉこってぅ?」
目を潤ませるリズと顔を近づけたまま、
「うん。少し、だけね……。色々、大人は大変なんだ」
額をグリグリと擦りあわせながら、そう言って誤魔化すが───リズは賢い子だ。
察してくれたようで、キュッとクラムの頭を抱きしめてくれた。
「ぉじさん、リズは……ぅっとぃっしょぁよ!」
……そう言って、いつもクラムがするように頭を撫でてくれた。
不意に緩む涙腺に───クラムも思わず、リズの胴を抱きしめる。
その時、
サクサクサク───と、土を踏む音が近づき、
「よぉ? いるか?」
元盗賊の囚人兵が顔を突き込んで来ていた。
……ぅ。
「あー……」
抱き合う叔父と姪。
微妙な顔をしてクラムと目が合う。
リズは脅えて視線から隠れようと、ますますクラムを抱きしめる。
「……お楽しみ中?」
「ちゃうわ、ボケ!!」
第38話「絶望への足音」
「へー……あの時の子が、これか……」
そういえば、コイツとはリズの面識はほとんどない。
奴隷市場で購入したきりで、行軍時も野営時も、とにかくなるべく囚人の目に触れさせないようにするため、監視の傍に自ら進んで近づいていたためだ。
当然、元盗賊であるこの囚人兵もわざわざ監視のもとには近づきたがらない。
色々と裏で金も稼いでいるようだし……下手にバレて監視に巻き上げられても困るんだろう。
まぁ、時折見て感じでは、うまく監視ともつるんでいる姿もあるので、適時適切な付き合いというやつなのだろうが……。
「いや、別嬪だなー」
「ぃや………」
リズは、ジロジロと不躾な視線をぶつけてくる元盗賊の囚人兵の視線が怖いとばかりに、クラムの背後に隠れてしまう。
……一応、リズの恰好は以前より多少マシになっている。
ボロ布はツギハギが当てられ、破れ目も縫い合わせられている。
材料は勇者のキャンプ地にある生ゴミ捨て場だ。
なかには、手拭きなどの布も落ちていることがあり、それを使った。
糸もソレを解したものと───針は先日テンガに投げつけられた楊枝を使っている。
そして、なにより……シャラがテンガに──と置いていった、例の下着(二話参照)と、同じくシャラがクラムに巻いてくれた包帯で、上と下はなんとか最低限、隠すことができている。
ちょっと前まで色々見えて本当にやばかった………なにがって?
───聞くなや……。
「あまりジロジロ見ないでやってくれ。……人見知りなんだ」
嘘ではない。
「あ、あぁ、スマンすまん」
素直に謝ってくる元盗賊の囚人兵。
「で、何の用だ?」
露骨に邪魔しないでくれ──という態度を示しているのだが……。
「いや、さっき監視から噂話を仕入れてきたんだがよ、」
もったぶって話す内容は───、
「明日………………攻撃だとよ」
絶望の足音だった───。
※
彼の話は、こうだ。
元盗賊の囚人兵はできる限りの準備をするため、今まで集めた金で情報の収取やらで、こっそりと武器に防具等をそろえていた。
装備の類いは直前まで隠しておき、肉壁として部隊の盾にされることがわかっている無謀な突撃に備える。
そして、いざ攻撃という段階で身に着けるわけだ。
い並ぶ軽装の囚人のフリをしつつ、手早く装着。
全軍の攻撃に紛れこめば、早々に咎められることもない──と。
そして、そのまま囚人の、只中に潜り込み攻撃開始を待つ。
あとは、流れるまま。
攻撃が開始されれば、員数外の装備を身に着けた囚人がいたとしても、それくらいで軍を停止はさせない。
気づきはしても、已む無く全体に合わせて攻撃を続行するはずだ。
元盗賊の囚人兵の考えでは、
「盾一つあるだけでも、生存率はあがる。で、俺は昔の誼で、前からいた囚人大隊の連中にだけは、こうして教えて回ってるのさ」
そう言って、服に隠した盾と皮の兜やハンマーを見せる。
「な、なるほど…………。それはありがたい情報だが───」
「新しく入った連中には言うなよ? あいつら、自分がいい目を見るためなら簡単に仲間でも売るような、生粋の屑だからな」
それでか……。
元々は罪のない囚人を多く集めた、前囚人大隊の仲間に話しているのは、
「それで、攻撃が開始したなら──旧囚人大隊の古参のやつらは固まって防御する。俺の手引きで、既に何人かはもう闇市で防具を仕入れているぜ」
元盗賊の囚人兵らは、以前のキャンプ地でそれなりに稼いでいる。
なるほど、装備品を買う余裕もあったかもしれない。
だが……。
「人数が多ければ生存率も上がる。一度目の攻撃を凌いだら、敵の要塞に前回の戦いの時みたいに突入して……あとは、これよ──」
これ、と言って示したのはハンマーだ。よく見ればやっとこやちょっとした工具まである……!
「だ、脱走するのか!?」
「ばっ!? シーシー! 声が大きい!」
クラムの天幕は監視のすぐそばだ。
時には監視がすぐそばをうろついていることもある。
「す、すまん……しかし───俺は、」
「おまえ……特赦の話なんか信じてるのか?」
そうだ……。
クラムは脱走なんて手段よりも、手柄を立てて特赦を得たいのだ。
「悪いか?」
クラムの言葉に元盗賊の囚人兵はため息をつきながら、
「───あの『勇者』がいるんだぜ?」
……む。
「俺はともかく……。お前ら前囚人大隊の連中のほとんどは、『勇者テンガ』絡みの罪人なんだろ?」
言いたいことはわかる……。
『教官』の策略で、殺されかけた囚人兵たち。
いや、実際はほとんど殺された。
クラムも含めて、
死刑の執行が遅れていた『勇者テンガ』による特別法の被害者が前囚人大隊の大半を占めていた。
それをわざわざ特赦を餌に戦場へ連れ出し、敵と味方両方に殺させたのだ。
それほどまでにして殺したい………「根切り」をしたい人間を───。
わざわざ特赦を与えて解放するだろうか……?
可能性は、少ない───。
限りなく、少ない。
所詮は囚人と結んだ約束事……──事が済めば、知らぬ存ぜぬで貫き通せば、クラムたちにできることなど、なにもない。
結局はお偉いさんの胸先三寸なのだ……。
そして、お偉いさんとやらは件の『勇者テンガ』───。
なるほど……。
これは、巧妙な……いや、溺れる者を泥船に乗せただけだ。
流れに乗って拡散した溺者を一か所にあつめておいて、泥船に乗せてから───谷底へドボン……。
元々溺れているのだ、簡単に引っかかるだろうさ。
実際、クラムもそうだった。
「…………くそッ!」
「……わかっただろ。他の連中はもう脱走する気でいる。あとは───」
───お前だけだ。
元盗賊の囚人兵はそう言ってクラムを見る。
「情報も……そして、その誘ってくれたことも嬉しい……」
そうだ、だけど俺には───
「───だけど、できない……。できないんだ」
リズ……。
震えているリズをゆっくり抱えて膝の間に乗せる。
まるで猫のように丸くなって元盗賊の囚人兵の目から隠れようとする。
「あー……そうだ、よな……うん」
ポリポリと頭を掻く、元盗賊の囚人兵に、
「でも、ありがとう。礼を言うよ……。恩に着る」
少なくとも、何かできることはあるかもしれない。
それに、覚悟があるだけでも違う。
「わぁったよ……。だけど、気が変わったら、突入時は俺のとこに来い? いいな」
「あぁ」
それと、だ。と元盗賊の囚人兵は告げた。
「防具だけは買っとけ──」
そうだ、それなんだよ。
「──あ、あぁ……」
クラムは、文無しだった。
「おう、じゃあな、明日は生き残るぞ」
「あぁ!」
監視の買収工作に、金は全て使った。
だから、もう銅貨一枚残ってやしない。
元盗賊の囚人兵に借りるという手もあるかもしれないが───。
彼には、すでに金の借りがある。それに、もう彼とて金はないだろう。
このためだけに金を集めていたのだ……。
幾らか余裕があったとして、彼の計画に必要な金。
それを自分の都合で歪めることはできない。
彼には十分以上に礼がある。
もう、これ以上ないくらいに……!
あとはクラムの努力次第。
少すくなくとも、一度は生き延びた命。
そして、経験がある。
リズのためにも、生き残りを諦めるつもりは微塵もない。
そして、いつの日か─────────!
──────あの『勇者』に復讐の鉄槌を!!!
その日までは、
死ねない。
死なない。
──────死んでたまるか!
第39話「旧国境会戦」
その日は、蒸し暑い日だった。
陽は早いうちから昇り───湿った大地の朝露を蒸発させ、すべて湿度に変えていく。
徒歩主体の歩兵たちは、すでに疲れ果て士気は危険なくらい低下していた。
一方、クラムはといえば、戦い前夜の景気づけと言わんばかりに3人を同時に抱くテンガのバカ騒ぎに付き合った後、寝不足のまま───この戦場にいた。
そうだ……。
ここにいる。
俺はいるんだ………………。
昨夜のこと───!
思い出すのもおぞましい……だが、忘れる筈もない、昨夜の屈辱───。
いつもは、外での立哨を命じるくせに、勇者テンガの野郎が、昨日に限ってクラムは勇者の寝所の中に通した。
豪奢な天幕には、金銀財宝に酒池肉林の様相を呈している。
悪趣味な絵画には、悪魔やら天使やら裸婦が投げつけたクソのように意味なく絡み合うようにして描かれており、
成金趣味な食器類は金銀のみならず、使用に邪魔だと一目でわかる宝石が散りばめてあった。
更には、魔族やら捕虜の生首が防腐処理を施されて棚にところ狭しと並べられ、恨めしげな表情でこちらを見下ろしている。
床には、スノコが敷かれているため、少々の体液やら腐敗汁やら、その他のドロドロとした液状の何かは地面に染み込むように考慮されているようだ。
それでも、顔をしかめずにはいられない強烈な異臭が漂っている。
酒や、
血や、
体液や、
吐瀉物の入り交じった匂い───。
地獄の香りとでもいうのだろうか……?
男女の混じりのソレが加わり、クラムをして臓腑を搾るような吐き気を押さえるのでやっとであった。
そして、あろうことか……。
拘束されたクラムは、その床に転がされていた。
その目の前で絡み合い、挑発する男一人と、女三人───。
クラムを中に引き摺りこんだのはテンガ、
クラムを縄で拘束したのはシャラ、
クラムを嘲笑うのミナ、
クラムを無視するのはネリス、
ゲラゲラと、
ゲラゲラと、
ゲラゲラと───!!
醜悪な宴はいつまでも続き、唇が割けるほど、きつく口を噛み締めたクラムを面白がったテンガが尿をかけた。
それにも飽くと、行為の果てにでたそれを───クラムにわざわざかけ回す。
家族の───家族だった彼女らのあられもない姿を見せつけ、彼女達のその身すら匂い立つ距離で物のように扱い、それを悦ぶ様を見せつける勇者。
クラムの反応を楽しみ、散々に汚物やら、彼女らのモノすら浴びせて嗤う。
テンガも彼女達もわかっているのだろう。
明日が激戦の日であり───クラムの命が尽きる日であろうと……。
だから、最後な最後に憐れな男の様を弄んでいる。
玩具たれ、と───。
そうして、明け方近くまで続いたバカ騒ぎに身も心もボロボロになったクラムは、頼りない足取りで「家」に帰った。
そして、リズを抱き締め、
リズから抱きすくめられ───。
僅かな癒しを得て、ほんの少し眠りに落ちた。
ドロドロでベタベタで、
悪臭漂うクラムを───リズはただ、だだ、だだ優しく抱き締め、髪を撫でていた。
「ぉやすみなぁさぃ……」
───それが昨夜出来事……。
屈辱とともに、リズの温かさが肌を撫でる。
屈辱には報復を。
思慕には愛情を。
勇者には酷死を。
家族には─────。
ギリリリ……と、槍を握る手に力がこもる。
今は、
今だけは戦場に集中しろ───!
クラムの視線の先。
ギラギラと照りつける太陽のもと、人類は圧倒的物量と人海戦術をもってここに集結していた。
桁違いの数をそろえた人類に対し、元の国境線まで引いた魔族は、長大な城壁を築き───そのうえにズラリと布陣している。
両者一歩も退かぬ構えだ。
魔族側の布陣は完璧で、その城壁上には、ところどころに本来なら攻城に使うべき兵器もチラホラと並んでいる。
鍛冶の見習いであったクラムも、多少なりとも触った経験のある巨大兵器が───燦然と配置されているのだ。
人類を睨み付ける兵器群。
シャフトまで鉄でできた大型のボウガン───バリスタ。
スプーンのお化けの様なものに石やら鉄球やら油壷やらを乗せた投石器───マンゴネル。
城壁の裏には明らかに巨大さゆえに隠しきれていない、超大型の投石器まで見えていた。
それらがずらりと───!!
対する王国軍は、兵士の補充こそされたものの、総数は初期の攻撃の頃より変化はなし……。
相も変わらず『勇者』を押し立てて攻める戦いのようだ。
まともな兵力としては、
野戦師団と近衛兵団が並び立つ。
歩兵中心の野戦師団は、遠距離射撃戦を演じるべく、同じみの囚人の盾を前に押し出す構え。
そして、近衛兵団は重装騎兵を待機させ機動打撃の構え。
どちらも囚人など、ただの道具……。それ以下程度にしか思っていないのが明け透けだった。
囚人兵たちは戸惑いつつも、味方の殺気に押しやられて、ぐいぐいと前に出る。
クラム達───先の戦いを生き延びた古参の囚人兵はここぞとばかりに準備に勤しみだした。
すなわち、隠し持った防具の準備だ。
ごそごそと服から取り出した盾やら胸当て、兜を見て新人の囚人兵が目を丸くしている。
その視線をすべて無視して、元盗賊の囚人兵を中心とした古参の囚人兵は着々と準備を整えていた。
その様子に気づいた監視の兵が何か言おうとしていたが───。
軍のラッパ手が、高らかにホーンを鳴らした。
パッパカパー!
パーラパラパラパラッパッパッパー!!!
先の戦いで、近衛兵団に手柄の大半を奪われた! と、息巻いている野戦師団はここぞとばかりに張り切りだす。
もはや、囚人の命を軽視していることを隠す様子もなく、囚人兵を前へ前へと押し出し始めた。
そして、野戦師団の将軍が声を張り上げる叫ぶ、
「総員! 王国の栄光はこの戦いにあり! 野戦師団接敵前進へ!」
そして、
つられるように、隷下の将校も声を張り上げ叫ぶ、
「我らに栄光を! 『勇者』とともに! 野戦連隊接敵前進へ!」
さらに、
『教官』が声を張り上げる。
「特赦を! 貴様らに自由を! 戦って生き残れ、囚人大隊接敵前進へ」
おおおおおおおおおッ!!
おおおおおおおおお!!!
ザッ! ザッ! ザッ!
ガシャガシャガシャガシャ!!!
ガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャガッチャ!!!
甲冑の音がけたたましく鳴り響き、囚人大隊の軽装ゆえの無音をかき消していく。
唯一、比較的音の出る防具を身にまとった元盗賊の囚人兵達も、背後からの圧力に足枷を引きずりつつ前に出る。
いや、押し出される。
防具を準備していた元盗賊の囚人兵を咎めようとしていた監視兵も、戦いが始まるにつれてその場から距離を取り始めた。
そうだ……。
この先は死出の旅路───!
半端な奴らは、ただ見るだけ──端から鑑賞するだけだ。
「いいな! 生き残るぞ!」
「「「おう!!」」」
防具に身を包んだ元盗賊の囚人兵達は密集し、防御力を高めようとする。
しかし、目立つのは避けようと姿勢は低い───。
前の囚人大隊の生き残りたちも、先の戦いを思い出しつつ、今にも城壁から射撃戦が始まりそうで気が気ではない。
いつだ。
いつくる……?
今か?
───そろそろか!?
城壁から降り注ぐであろう矢の嵐に備える元盗賊の囚人兵。
まるで生き地獄を味わっているかのように顔は蒼白で、今にも白目をむいてぶっ倒れそうだ。
なにせ、先の戦いを知っているのだ。
……この後に訪れる死の恐怖を!
一方、クラムは?
クラムはいた。
彼は、何もしない。動かない。
いや、正確には動いているが、圧力に押される囚人兵たちの群れに抗うように牛歩でノロノロと歩いている。
前に行けば行くほどに矢の射程に入ることを知っていたからだ。
しかし、後ろは後ろで危険でもある。
例え矢の脅威から逃れても、近衛兵団による突撃で、背後からの馬蹄に踏みしだかれる明白だからだ。
一番の理想は、なるべく前面で攻撃をしのぎ───……『勇者』の一撃で城壁を破壊させて、その隙に中へ突入すること。
それしか、生き残る術はない。
だが、クラムが前に出て生き残る可能性はいかほどか?
はっきり言えば、ほぼゼロだろう。
前回は、本当に前回は偶々だ。
運が良かっただけ……。
同じことを二度やれと言われて、できるはずもない。
元盗賊の囚人兵達はその確率を上げるために腐心し、今のところ成功している。
クラムはそれができなかった。
矢から身を守る防具は彼の手にはないのだ。
ならば、頭を凝らして生き残るしかない。
リズ───。
リズ、リズ、リズ……!
愛しき最後の家族………………!
リズ───……。
俺は絶対生き残る……。
お前の元へ、必ず帰るからな───!
狭く汚い囚人大隊のキャンプ地で待つ姪の事を思い……。
テンガに抱かれる3人に心を痛め───。
『勇者』を刺し殺すその日を思い描き、心を焦がす。
生き残る───。
生き残る───!
───絶対にッ!
そして。
クラムの思いを尻目に、第二次北伐による、旧国境での戦いが今───。
始まった───……!
第40話「激戦」
「ギャァァァァアァァ!!」
ドサリと倒れた、名も知らぬ囚人兵の姿を見て、元盗賊の囚人兵はその時が来たことを知った。
「始まったぞ! 全員密集、隙間を作るな」
「「「おう!!」」」
ついに、魔族側から弓矢の応酬が始まったらしい。
予想した展開に、古参の囚人兵は予定行動にうつる。
足枷をジャラジャラと引き摺りながらも、古参の囚人兵はなるべく素早く動き、密集するのだ。
そして買い揃えた防具を頼りに、亀のように身を小さくし、固まった。
カン! ガン!
矢が命中しても、簡単には盾は射抜けない。
「ひひ! た、助かったぜ」
「あぁ! 買っといてよかった!」
矢を防ぐ古参たち。
だが、その周囲では次々に囚人兵が射抜かれていく。
ギャアア! ウギャアア! グワァアァ!
と、耳を覆いたくなるような絶叫が響き……負傷者の呻きでたちまち溢れかえる。
「動くな! 動くなよ!」
「お、おう…」「任せとけ!」「おう───な、なんだ?」
しかし、上手くいったのも最初だけ。
突如、防御姿勢を取る元盗賊の囚人兵達の中に、強引に分け入る者がいた。
……ほかの囚人兵だ。
血走った眼で元盗賊の囚人兵らの作る防御の傘の下に潜り込もうとする者や、果ては防具を奪おうとする者まで───!
そういった連中の大半は、擦った揉んだしているうちに矢に射抜かれていくが、中には、中々しぶとい連中もいる。
そうこうしているうちにもスカァァン、と矢が盾に集中して突き刺さり、古参たちが目標にされていることを知る。
「てめぇらどけ! ここは俺らの場所だ!」
ドカン、バキィ! と足癖悪く蹴飛ばし追い出すが、外の囚人兵も必死だ。
何とか潜り込もうと──もう何が何だか!
そうこうするうちに、あらかたの囚人が魔族側の弓矢の攻撃圏内におさまり、射ぬかれていく。
つまり、人類側の狙いどおりだ。
この瞬間を待っていたのか、ようやく野戦師団の反撃が始まった。
パーパラパーパー!!
合図のラッパが鳴り響き、ようやく動き出した正規のロングボウ部隊。
ビュンビュンと頭の上を飛び交う矢に、時折降り注ぐ流れ矢。
だが、目標となっているのは囚人兵だけだ。
それをほくそ笑みながら、野戦師団は悠々と、王国軍得意のロングボウで反撃を開始。
「射れ、射れぇぇえ!!」
「魔族どもに教育してやれ!」
嵩にかかって反撃をするも、今回は少し様相が違った。
なぜか敵の防御が異様に固く、さすがに城壁の防御もあり魔族側もなかなか崩れない。
どうも、魔族側も準備していたらしい。
やつらとて馬鹿ではない。二度も同じ手にかかるとは限らないらしい。
魔族側も、囚人兵が死兵だと既に気付いているのだろう。
それに気付かないのは人類側のみ。
二匹目のドジョウを掬わんと狙っているのだろうが───世の中そんなに甘くはない。
白馬に乗った将軍が陣頭指揮をする中、
「将軍! 危険です、お下がりください!」
ガキュン……! と巨大な弓を弾く音がしとかと思うと───。
「何を言っとる! 魔族領に攻め込む一番槍を得るチャンスだぞ。後ろでコソコソしておられ───ガハア! ぶふ、」
ドサっと倒れる伏す将軍。
軍旗がカランと落ち、驚いた馬が走り去っていく。
将軍の下半身だけ乗せて……。
「は?」
唖然としているのは、将軍付の将校で、
「え? な! し、将軍!?……って、あれ? 俺も何か、変だ、ぞ?」
将軍をぶっ貫き、将校の腹に突き刺さった巨大な矢───。
それは、致命傷を負い、倒れる寸前の将校が目にした最期の光景。
彼は、グリン──と、目を白目にしつつ叫ぶ、まだ死んだことに気付かずに。
「ば、バリスタだぁぁぁぁ!」ドサリ……。
──ガキュン!
ガキュン……!
ガキュン!!!
直後、一斉に放たれる巨大な矢の嵐。
それは王国軍の野戦師団───ロングボウ部隊に降り注ぐ、鉄の雨だ!
「ギャアアアアア」
「いでぇぇぇ!」
「腕が腕がぁぁぁ…!」
たちまち阿鼻叫喚の地獄と化した前線。
ロングボウ部隊は瓦解し、後詰の近衛兵団の歩兵が交替する。
しかし、その致命的な時間ロスの間に、囚人大隊は壊滅的損害を受け───城壁と味方の間に取り残されてしまった。
もとより顧みられることもない死兵だ。
救出など万にひとつもありえない。
自分でやるしかないのだ。
だが……。
すでに逃走するほどの兵力も残っておらず、走り抜けた囚人兵もいるにはいたが、城壁の下で狙撃を受けて絶命していた。
生き残りは、まだ後ろでノロノロしていた一部の囚人兵と、亀のように縮こまっている元盗賊の囚人兵達くらいなもの。
他の生存者は、死体を盾にして震えているのみ。
「何をしている貴様ら! 早く行け!」
後ろでノロノロしていた囚人兵を蹴りだす『教官』に、監視の兵達。
しかし、行けと言われて大人しく従うはずもない。
「無茶苦茶いうなよ!」
「死んじまわぁ!」
「そーだ、そーだ!!」
既に背後で圧力をかけていた野戦師団は壊滅的なダメージを受けている。
無傷なのは近衛兵団ばかり───。
ならば、囚人兵に行けと言っても誰が言うことを聞くものか。
クラムも後方でノロノロしていたことが幸を制して、辛うじて生き延びていた。
はっきり言って人類が勝利しようが、敗北しようがクラムにとってはどうでもいい。
生き残ることを目的にしていれば、無茶な攻撃すら避けることができるはずと、あえて後ろで牛歩により戦いを避けていた。
だが、いつまでもそうしてはいられない。
もちろん、そんなにことが簡単に許されるはずもなく───痺れを切らせた監視の兵が槍を突き出し、脅し始めた。
「進まないと、殺すぞ! わかってるのか…!」
…………頃合いだな。
十分に時間を稼いだクラムは、前に出る。
未だ矢の降り注ぐその戦場へ。
だが、さっきとは状況が違う。
何もない城壁前とは違い、今は遮蔽物だらけ。
他にも生き残っている囚人兵がいるように、彼らと同じように隠れるのだ。
そうとも、
死体がそこここに!
「死んで………──死んでたまるかぁぁ!」
うおおおおおおお!
足枷を引き摺り、駆ける。
駆ける、駆ける、駆ける!
ジャリンジャリン! と、鉄球と鎖が鬱陶しい。
足がもつれそうになる…………だが、止まるな!
生きろ。
生き抜けッ!
たとえ、血反吐を溢し、泥に塗れようとも!!
生きる!!!
俺は生きる!!!
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ジャリンジャリン──ビュン、ズバっ……と際どい所を矢が貫いていく。
だが辛うじて、無傷。
止まるなッ!
目星はつけている。
そこぉぉ───!
その折り重なった死体の間だぁぁぁ!!
バッと飛び込む死体の隙間。
零れた腸と、溢れた体液やら血でベチャベチャのそこに躊躇せず飛び込むクラム。
バシャっ! と、赤い飛沫が立ち、頭から腸を被るが───知るかぁぁぁぁ!
もともと『勇者』の糞尿に体液で、とっくにドロドロのガビガビだ。
今更、気にもならない。
そこを目掛けて───!
ビュンビュン! ドドドズズ! と、直後に突き刺さる矢の雨。
だが、死体の盾は有効!
クラムは生きている……。
生きている!
生きているぞぉぉおおお!!
そして、
さぁ、ここからだ…………。
もう、わかってるよ!
………………来るんだろ?
目立ちたがりの『勇者』さんよぉぉぉ。
第41話「彼の者───」
───クラムは聞いていた。
主にリズの身の安全のためだが、キャンプ地ではワザと監視の傍で宿営していた。
その介もあって、監視たちの雑談もよく耳に入った。
その中で聞いたふざけた話の一つに……『勇者』の戦い方というものがあった。
一騎当千。
最強の戦士。
その勇者が───。
並の兵など意にも介せぬ勇者が、何故、最初から戦場に立たないのか……?
初めから『勇者』が戦場で立ち振る舞えば、軍の先駆けなど必要ないのでは───というもの。
では、何故───初めから勇者は戦わないのか?
監視ども曰く、理由は簡単。
嘘か本当か知らねども。
ピンチに颯爽と登場する───あるいは、戦いの決着のつく場面の一番カッコイイ場面に登場したいというものだ、と……。
雑談していた監視の兵は、「そんなわけねぇよなー」とゲラゲラ笑っていたが、クラムはわかった。
わかりすぎた───。
あの、テンガなら在り得ると……!
むしろ、ひどく正解をついている話だ。
あの色ボケカス野郎なら、絶対にヤル。と……。
クラムには、それだけは確信できた。
……………………だから、さ。
来るんだろ!?
今がまさにお前が求めていた瞬間!
そうだろ? イイ格好しぃのぉぉおお!!
テンガよぉぉぉおおお!!
ビュンビュンと飛び交っていた矢が一瞬だけ、止まっ……た。
戦場の空気が明らかに変わったのが、身に染みてわかる。
そして、来た。
後方で控えている近衛兵団の声が高らかに上がる。
やはり、来た……!!
───勇者!
───勇者!
───勇者!
勇者、勇者と……!!
「ついに、来たな……」
死体の中から這い出ると、クラムは近衛兵団のほうを睨みつける。
その視線の先───!
まるで、海を割るかの如く、近衛兵の群れを割り───現れたのは、やはり『勇者テンガ』その人だ。
豪奢な鎧と、業物とみえる宝剣を担いだ、如何にも強者然とした様子。
腰にまとわりつくシャラの髪を撫でながら悠々と歩き───……。
そして、なぜか、死体に隠れるクラムを見つける。ニィと……顔を歪めて!
「あ、あの野郎……!」
そういう技でもあるのだろうか? と勘繰りたくなるほど。
そうれはもう、クラムが初めから生き残るのを知っていたかのようにこっちを見ていた。
それはもう、鼻につく仕草で……!
ニィィィと口角をゆがめ、シャラを抱き上げると激しく口づけして見せる。
「はッ! 『勇者』の力を見せてやるぜ!」
そう言い置くと、シャラの手をとり気障ったらしく地面に降ろすと、宝剣を構えた。
しかし、その攻撃の瞬間を待っていたかの如く、魔族側から砲撃が始まった。
図ったかのように絶妙のタイミングでだ。
勇者よ───死ねッ!!……と。
バンバン、ギュンギュン、ガキュン!
と、激しく弦を打つ音に、重りが動く音が響き───……!
その後を継ぐように、巨大な矢と岩石と、油壷と鉄球がテンガ目掛けて飛び込んでくる。
魔族側の遠距離攻撃───大型投石器の一斉射撃だ!!
「ははははっはは! 甘いぜぇぇ」
だが、テンガは少しも慌てることもなく、グッ───! と、宝剣の刃先下に向け、切っ先を後ろにしてフルスイングの構えを取ると、
「───オオオラァァァァッァァアァ!!」
ブワァ! とすさまじい衝撃波を生み、砲弾を払いやがった!
ゴガパパァァァンズガングシャっ!!
と、空中で───そのことごとくが破裂される!
鉄球も岩石も、油の詰まった壺も───ほぼ全て、細かな破片に分解し───……少なくとも、テンガの周りには何一つ降り注がない。
いくつかの取りこぼしや、油壷から燃え広がった炎が近衛兵団に降り注ぎ、ものすごい絶叫が上がっていたが、テンガは気にするそぶりもない。
その光景をみて、うっとりとした表情のシャラとじゃれ合いつつ、
「さって、仕上げだなっと!!」
次に構えるのは大上段に構える大雑把なそれ。剣技というよりもガキ大将のこん棒の如くだが───、
「ぶっとべやぁぁぁ!!!」
ギャンンンっ!! と、ブーメラン状の衝撃波が、地面を波立たせてまるで津波のように死体と土を巻き上げつつ迫る!
「ぐぉぉぉぉ!」「ぎゃあああああ!!!」
と防御姿勢で固まっていた元盗賊の囚人兵達が射線に捕らわれ凪ぎ払われていた。
そして、何の抵抗もできぬまま、ごと城壁にぶち当たり四散する。
立っていたもの例外なく死に絶え───。
低い姿勢と、死体に埋もれていたクラムだけは何とか無事だっだ。
だが……テンガの目を見るに、わざとクラムだけ外したのかもしれない。
そして、ズガァァァァァッァァァン!! と轟音が響き、
続けて、ガラガラガラ──と、崩れる城壁。
当然ながら、城壁上の魔族の兵もバラバラと落ち息絶える。
「はははは、見ろ! 魔族がゴミのようだ。ははははは!!」
大笑いするテンガは悠々と歩き、クラムに声が届きそうなくらいのぎりぎりの距離で笑う。
その傍には『教官』がヘコヘコしながら追従している。
その『教官』の手には……。
え?
その手には……。
な、なんで?
───なんで、リズがそこにいる?
茫然とするクラムに顧みるものなどなく、勇者どもの背後からは、近衛兵団の重装騎兵が余勢を駆って突撃を開始した。
「城壁は崩れた! 今が千載一遇のチャンス!!」
「「「おおおおう!!」」」
「突撃ぃぃぃいい!!」
ドドドドドドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドドドドド!
大地が沸き立つような馬蹄の騒音!
ついに王国の最大戦力が総攻撃を開始したのだ。
だが、その様子に興味もなさげなテンガは、リズを連れた『教官』と笑い合っていた。
『教官』の媚びた笑いと、テンガの醜悪な笑い声───。
「よぉぉぉ? クラムぅぅう…! お前、処女飼ってたんだってな? えー、この子は姪だってー??」
おい、止せよ!
触るなッ!!
俺のリズに触れるんじゃない!!
だが、クラムの慟哭など届くはずもない。
その間にも、ドンドン迫る重装騎兵。
あの馬蹄がクラムを引き裂くまでが彼の命の最後の時間───。
「くそぉ!! ここまで、生き残ってきたのにぃぃい!!」
クラムの予定では、勇者の攻撃まで予想していた。
そして、それが城壁を破るところまでは。
そこまでは予想通り、そして、うまく距離も稼げたし───五体満足、生きている。
生き延びた!!
だから、あとは重装騎兵の突撃に巻き込まれないように、敵の城内へ突っ込み、うまくすれば元盗賊の囚人兵と合流して、それと分からぬように足枷を破壊してもらい、後ほど脱走するつもりだった。
足枷さえなければ、リズと一緒に………。
あの子と、リズとなら……いくらでも、どこへでも逃げ出せる、と───。
「コイツあれだろ? たしか、俺のとこの中古じゃねぇか? ははは。悪いなー」
綺麗にしてくれてよー、と。
リズの顎に触れ、馴れ馴れしく手をまわすテンガ。
震えるリズは気丈にもテンガを睨む。
それは怯えと憎しみのこもった眼ではあったが、リズはテンガを真っ正面から見据える。
負けないと言う意思と───!
まるで汚物を見るかのように……視線でせいいっぱいの抵抗をする。
リズ、よせっ!
おまえの………リズの心が傷ついたのは、テンガのせいなんだろ?
戦うな!
逃げてくれ!
生きてくれ───!!
また、絶対に迎えにいく!!
お前を守る──────!
リ───、
ドドドドドドドドドド!!!! と、馬蹄が響く。
無情にもクラムの命の時間は尽きて、予定は狂い……もはや、逃げることはできない。
早晩、あの近衛兵団の重装騎兵の馬蹄に牽き潰されて死ぬ───!
まるでボロ切れや石ころのように、なんの興味もひくことなく───死ぬ。
リズの無事を見ることもなく、家族を奪われたまま───…………勇者を、殺すこともないままに!!!
あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛──!
テンガ!!
テンガ!!!
テぇぇンんんガがぁぁぁぁぁ……!!
「すまねぇぇな? シャラはよぉ、まぁだ、お前の事は残しとけっていうんだけどよ、」
え?
そういわれて、シャラの顔を見たクラム。
何の感情見見えないそれは、前髪を下ろし…………表情をかくしたシャラのもの。
「───いい加減よぉ、俺はお前に飽きてきたんでな! だけどまぁ、ギャハハハハ! このガキは貰ってくぜぇぇ? 中古の中古だけど上玉だしな! よぉ、抱き心地は良かったか? 身内の処女は旨かったかぁぁ? ヒャハハ!」
───ゲスがぁぁ!!
クラムの怒りなど目に入らぬかのように、ボロボロの服を破いて、下着姿同然のリズを抱き上げるテンガ。
その姿に、
「テぇぇぇンガぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!!」
喉が破れんばかりに声を振り絞り叫ぶ。
だが、その声もかき消えそうになるほど迫る馬蹄───!!
ああああああ!!
頼む!
頼む!
頼むよ!
リズだけは……!
リズだけはぁぁぁぁあ!!
「シャラ、シャラぁぁ…──か、義母さん…それで、それでいいのかよ! なぁ!? なぁぁ!!」
最後には泣き言のようにシャラに縋る。……縋るしかないクラム。
しかし、微動だにしないシャラ。
だが、その口が薄く笑っているようにさえ見えて───クラムの心は絶望に包まれる。
シャラは………助けてくれない。
なら、
なら、リズは?
奪われる唯一の心の拠り所───リズ。
俺のリズ───。
その平穏を思うこともできずに……!!
俺は、
クラムはここで死ぬ───?!
「ごめんよ……リズ」
最後まで握りしめていた槍。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!
だが、目の前に迫る重装騎兵の前にはなんの役にもたたず、いつか、勇者の顔面に突き立ててやろうと画策していたその槍も、地面に落と……。
───ブゥゥン……!
『──困るのぉぉぉ……招かれざる客人よ』
その時、…………空が震えた。
第42話「その名は『魔王』」
『困るのぉぉぉ───招かれざる客人よ』
ブゥンと、空気が震えるような音が響く。
すると、まるで空間が割れて、そこに窓でも開いたかのように、綺麗な四角の額縁の様なものが浮かび上がり───少女がそこに映し出される。
突然に、なんの脈絡もなく。
突撃の興奮状態に陥っている重装騎兵隊を除き、この戦場に全ての将兵がポカンと空を見上げた。
ドドドドドドドドドドドド!
ドドドドドドドドドドドドドド!!
まるで空気を読まない重装騎兵隊だったが、それを鬱陶しそうに空から見下ろす少女。
───彼女は言った、
『───まずは、……我が領は土足厳禁じゃ……。去ねぃ』
パチンっと、空間に映し出された少女が額縁の中で指を鳴らすと─────チカチカチカッ! と、城壁の一部が輝いた。
その、瞬間。
───ヴァァァァァァッァァァァァァァッァァァァァアアアアアアアアアンン!!!
───ヴァァァァァァッァァァァァァァッァァァァァアアアアアアアアアンン!!!
と、巨大な蜂の羽音の様なものが響いた!
「ひぃ!?」
クラムの頭上を何か圧倒的な質量が駆け抜けていき……突如、人類の軍勢の目の前に真っ赤な花が咲いた。
いや、花ではない。
花なものか───!!
否………、花だ。
真っ赤な、真っ赤な───血の赤い花だ。
赤く、
鮮明で、
生臭い、
人体と、
軍馬と、
英霊と、
暴力と暴力と暴力と暴力が生み出す、理不尽で圧倒的で驚異的な、酷く汚い──真っ赤で、真っ黒な血だ……!!
それが、
───ヴァァァァァァアアアアアアアアアンン、ヴァァァァァァアアアアアアアアアン、ヴァァァァァァアアアアアアアアアンン!!
狂おうしく鳴く獣の咆哮のようなそれは、人々を食らいつくし、赤黒い絨毯を丁寧に、余さず敷き詰めていく。
それはそれは、圧倒的で……。
それはそれは、暴力的で……。
それはそれは、魅力的だった───。
なんと言えばいいのか……こう───掃き清める?
その表現が正しいのかどうかは知らない。
ただ、クラムを───。
生き残った囚人兵をまるで路傍の石の如く踏みしだこうと、圧倒的な突進力で威圧していた、あの恐ろしい近衛兵団の重装騎兵が───グッチャグチャに……。
そうだ、もう……なんていうか、グッチャグチャに──だ。
まるで巨大な圧搾機にでも掛けられたかのように──グチャグチャに潰れた近衛兵団。
強大で、軍の象徴たるべき最強兵力の重装騎兵が壊滅するほどに───何かが起こった。
その結果、彼らの大半は──潰れた果実のようなありさまとなり、その場に───。
ブチ撒けられた───……!!!
「うそ…………だろ?」
一体、何が……!?
『まったく。これで少しは話ができるか?』
映し出された少女。その姿は───!
まるで、
ル……。
「ルゥナ?」
クラムの娘。
天使の名を与えた愛しき娘──。
そう、行方の知れない………会いたくて会いたくて、会いたくて堪らない存在が、
───そこにいた。
クラムの記憶の中にある姿に、成長していたらこうだろうな──という姿がありありと映し出されており。
愛娘は、空の窓から顔を見せ、クツクツと笑い、美しい声を振りまいている。
あぁ……。
ルゥナ───そこにいたのか……!
しかし、映し出されている少女はクラムには目もくれず、
どうやって話しているのか知らないが、王国軍の指揮官クラスに話しかけているようだ。
そこには、当然『勇者』も含まれる。
「──おいおいおいおいおい? なんだ? 誰だこのワガママボディの美人は!?」
突然の事態に、さすがの勇者も動揺しているのか、捕まえているリズをボトリと、腕からずり落としてしまう。
それに気付くこともなく、訝しげな顔を浮かべた。
答えを知っていたのは、すかさずリズを取り押さえた『教官』だ。
「───あぁぁ、ま、『魔王』だ……!?」
は?
ま、
まお?
──────魔王ぅ?
……え?
ま、魔王って……? この少女が??
まさか……ルゥナが!?
『ふむ。如何にも、儂が魔王じゃ。………………もっとも、お前らが勝手にそう呼んでおるだけじゃがな』
フフンと不敵な笑みを浮かべる魔王に、
「ゆ、勇者殿……──『魔王』は認識阻害の技を使います! おそらく、それぞれが見る姿が違うかと───」
コソコソと話しているつもりのようだが、『魔王』には筒抜けのらしく、
『───ほぉ? お主少々は訳知りのようだな? ふむふむ……? ほほぅ……面白い経歴だ』
ツツーと視線を『教官』に飛ばしているらしく、
『なるほどのー……。かなり高位の人物か。よかろう。この場は貴様らを相手に交渉しようかの?』
「交渉だぁぁ!?」
テンガはすぐに調子を取り戻したらしく、
「おい何だこりゃ? SFの立体映像《ホログラム》ってやつか?」
『んー? ほぉう……お主が今回の『勇者』か』
フムフムと、
少女は『勇者』を恐れもせずに、揶揄《からか》うようにいう。
『どぉれ、経歴は……っと。フーム、まるでクズじゃのー……。女に、権力か。カッカッカッ! 子供じゃのー』
下らないとばかりにテンガそのものを笑い飛ばす少女。
いや、『魔王』か。
「───ゆ、『勇者』殿! こ、ここは、」
私に任せて───と、教官は言う。
この場での権力順位。
状況的には、野戦師団の将軍だが、彼が戦死した以上──階級順になるはずだ。
その上でみて、高位のものは王国内でいうと───軍なら、勇者や近衛兵団長のはずだ。
だが、『教官』はそれを差し置いて話をしようという。
「『魔王』よ! 我らは王国軍。人類の代表たる『勇者』を擁した軍です。あなたの言う交渉とは如何に?」
先の近衛兵団の重装騎兵を一瞬で滅した威力に脅えているのか、『教官』は真っ青になりながら、空に映し出される『魔王』に向かって話す。
『何……簡単なことじゃ。ここは、我らと貴様らとの国境……住み分けるべき境界線じゃ───』
ゴクリと唾を飲み込む『教官』に対し、
『……貴様ら、失った土地は取り戻したじゃろ? 失地奪還。それでよいではないか? 故に、以後の不可侵を求める』
「不可侵です、か?」
『いかにも──』
ツツと垂れる汗をぬぐいもしない『教官』に対し、
「はははははははっはははははは!!!」
テンガはどうでもいい、とばかりに笑い飛ばした。
「なんだなんだぁぁ!? 戦争吹っ掛けておいて、負けそうになったから、引き分けにしましょうってか?」
バカバカしいとテンガは吐き捨てる。
『はぁ? 負けそうになった? はて……なんのことだろうかの?』
『魔王』は可愛らしげに首をかしげているが、見るものからすれば挑発にも見えるだろう。
「はぁぁん? 手も足も出なくて、ここまで逃げ回ってたじゃねぇかよ……。そんで今日また負けそうになってるだろうが?」
『んーー?? もしかして、国境まで兵を退いたことをいっておるのか?……呆れたのー』
はぁ、と移しだされる映像越しに、大きなため息───。
『……手加減してやったのじゃろうが? 元々喧嘩を吹っかけてきたのはそっちじゃしのー?』
その声に、見てわかるくらいに『教官』がギクリと体を震わせる。
『あー……。お前らのところでは第一次「北伐」というのか? 人様の領土に踏み入ってきての、無礼千万の行為!』
え……?
北伐って?
それは、魔族の跳梁に直面した人類の防衛策だったはず──………。
「歴史の講義なんざ興味はねぇ! 俺はお前を討つのが使命らしいからな。……ヤらせてもらうぜ、ビィィッチ!」
そういって、テンガを『教官』を押しのけると、
「おらぁぁ! 近衛兵! 何ビビってやがる!!」
まるで発破でもかけるかのように、残存する近衛兵団の歩兵達に怒鳴り散らす。
同時に、後方で予備待機の各国軍にも呼び掛ける。
「聞けぇぇえ! 『勇者』である、俺が先陣をきる! 魔族領に踏み込むぞぉ!」
宝剣を高らかの掲げると、「宣戦布告だ!」と、すでに攻撃しておいて、今さら宣戦布告もなにもないのだが、
容赦のない一撃を「おらぁぁぁぁ!」とばかりに、さらに追加と城壁に叩きつけた。
その一撃で、まだまだ健在であった城壁がさらに崩れ、魔族側に被害が広がっていく。
そして、
「突撃ぃぃぃぃいい!!」
と、テンガの奴が、本当に先陣を切って走り始めた。
その目にはすでにクラムは映っておらず、『勇者』の使命とでもいうのか……それは『魔王』の首を討たんとする強者のものだった。
それに続く近衛兵と、予備部隊。
騎兵の攻撃がなくなり、クラムは圧死の危機こそ免れてはいたが───!
『やれやれ。……徹底的に戦いたい───ということで、いいのじゃな?』
「クドイぜビッチ! 震えて待ってろ! すぐに、ヒィヒィ言わせてやるぜッ」
『下品なガキじゃ……んんッ───機構全職員に次ぐ、警戒レベル2に移行。武装隊員は出動準備』
ノラリクラリとした喋りの『魔王』が、急に事務的な口調に移行したかと思うと、
『近接航空支援の制限を解除する───防衛予備行動を実施せよ』
……………………。
そして、国境に突撃した王国軍、各国軍の連合部隊は…………。
その日をもって消滅した。