第11話「囚人兵」
その年──第2次「北伐」が始まった年は、酷い凶作が続き、人々が飢えに飢えた年だという。
しかし、それはまだ恐ろしい飢餓の幕あけであった。
人類史上はじまって以来の大飢饉……。
それが全世界で同時多発的に発生し、南北問わずを世界中を襲ったという───……。
おまけに折に始まり、大失敗した「北伐」により、世界の農村部は荒れに荒れ、食料自給率は危険なまでに低下。
各国は戦争準備にために国民を動員し、「北伐」軍を編成していたのだ。
──あらゆる食料を前線へ。あらゆる人員を前線へ。
残った人々にも重税が課せられ、さらには糧秣の供出を求められたため、農村部ではたちまち食糧難に陥った。
その結果──世界は滅びの危機に瀕していた。
末期を迎えた国家は、
──反乱、
──隠蔽、
──賄賂、
ありとあらゆる不正が蔓延り、滅びに拍車をかけていく。
辻々に転がる餓死者と凍死者。そして、それらを食らう人々で地獄の様相を呈している。
逞しい人々は、あらゆる手段で滅びを回避する村もあったが───大半は逃散《ちょうさん》を選び、それ良しとしない村はまるごと野盗化した。
そして、明日の生死をも知れない村人が多数発生。
あとは泥沼だ……。
野盗を追うために徴兵、徴発。
それに反発した村が反乱、野盗化……。
そのサイクルを何度も繰り返し、国も民も疲れ果てていた。
国も座して見ていたわけではないが、少しでも豊かな国があれば人々は流れ、あっという間に難民化する。
そして、各国はその対策に追われていたという。
しかし、そんななかでも「北伐」は強行された。
事情はやはり食糧難にある。
北部の大地からジワジワと人類の領域を侵食している魔族のため、いくつかの穀倉地帯がその手に落ちていることも凶作の原因であると考えられているのだ。
なんとしてでも、魔族を駆逐し───人類を救う。
その目的のために第二次「北伐」は行われた。
文明と文化の衝突から、……生存闘争へと──戦いの在り方は変わりつつあった。
南方の国々からも兵が掻き集められ、前線となる国家に援軍として参戦。
そして、主攻撃となる中央突破の大部隊は『勇者テンガ』を先頭とした王国軍の近衛兵団と、臨時編成の「野戦師団」を持って行われた。
全世界、人類文化圏から同時に全戦線での攻撃を開始だ。
一見して人類軍の総攻撃に見える攻撃。
だが、これはあくまでも助攻撃。
目的は一つ───魔族の攻撃を誘引分散し、主攻撃の『勇者テンガ』をもって失地の奪還を目指すのだ。
そして、戦線を突破し、一気に魔族の首都エーベルンシュタットを強襲、魔族にとって象徴たる『魔王』を討つ作戦に出た。
もっとも、誰がどうみても───ただのごり押し。
だが、それを可能とするだけの実力を『勇者テンガ』は持っていると判断され、各国とも第二次「北伐」に乗り出した。
満を持して───。
第二次「北伐」開始
そして、主攻撃となる王国軍の兵の中に、あのクラム・エンバニアの姿はあった。
粗末な鎧と古びた短槍一本携え──彼は数週間の訓練を経て、戦場にたつ。
そう、
たったの数週間の訓練で戦場に立つ!!
元はタダの鍛冶見習い。
エルフの血は薄く魔術も使えない。
それでもクラムはいた。
いたのだ……。
戦争で手柄を立て、特赦を得るために。
理不尽と戦うために───!
ジャラリ……ジャラリ……と、鎖付きの鉄球を引き摺る『囚人《プリズナーズ》大隊《・バタリオン》』の一歩兵として、だ。
長い、
長い隊列。
王国からずっと伸びる隊列の中にクラムはおり、黙々と歩いている。
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッ!!
ジャラリ……ジャラリ……ジャラリ……!!
異なる足音の響く、歪な隊列は延びに延びていた。
それを監視するかのように様相の違う兵が、いかにもみすぼらしい兵隊をみて言う。
「け……! 栄えある、我が近衛兵団の側面に配置されたのが、何で囚人どもなんだ?」
忌々しいとばかり……。
彼ら近衛兵団の下っ端歩兵は、反吐を吐きつつ──辛気臭い顔で足枷についた鉄球を引き摺る囚人兵を睥睨した。
「あー……! そりゃあれだ。一番接敵が多い我々にためのな。いわば尖兵の……盾だよ」
「盾?……あーー!! なるほど、どーりで!」
ようやく合点が言ったという様子の近衛兵は、一転して憐れむ目を囚人兵に向ける。
「戦闘開始と同時に、一番前に並べて……突撃ー! て、やつか?」
「そーそー……戦闘の風向きが悪くなれば置いてきぼり、勝ちそうな時は後方から重装騎兵が敵味方関係なく押し潰す。そん時の盾だよ、こいつらは」
「ひでぇ、話じゃねぇか……ゲハハハ!」
ちっとも酷く感じない雰囲気で、ゲラゲラ笑う兵達。
むろん聞こえている囚人兵もたくさんいるし、近衛兵も殊更聞こえるように言っていた。
──お前等は捨て石だ、と。
特赦なんてのは体のいいお話でしかない。
実際の生存率がどれほどかなんてものは誰も聞いたことがないし、聞くまでもないと分かる。
ただ……。全滅してもおかしくはない、とだけは分かる。
……勝っても負けても、生き残りが困難なのが──囚人部隊の宿命だろう。
クラムも暗~い顔で、歩き続けた。
牢を出られたのは良かったのだが……。今にして思えば牢で刑死するか、敵か味方に殺されて戦死するかだけの違いしかないように思う。
だが、逃げることは能わない。
足枷もそうだが、行軍中はさらに拘束が厳しくなる。
見ればわかると思うが、クラムたちの間には長い紐が垂れている、どうやらそれが囚人同士を紐で繋《つな》いでいるらしい。
止まることも倒れることもできない。
ただただ、将校の指示に従って歩き続けるのみ。
支給されたのは短い槍と、皮鎧だけ。
槍もボロボロで、激しく扱えば折れてしまうかもしれない。
耐久性はなし。一度でも刺突すればそれで終わりといった感じだ。
いや……。実際そうなんだろう。
囚人兵の命も、一度の刺突まで……そう考えられているのだ。
クソ!
負けるものか!
特赦だ!
手柄を立てて無罪を勝ち取る!!
そして、家族の元へ……。
なんとしてでも、彼女らの行方を───!
第12話「家族の絆」
あの日。牢獄で囚人兵にならないかと唆されてから幾数日。
クラムはその他多数の囚人たちとともに、王国の練兵所に送り込まれていた。
さすがにド素人を戦場に立たせるわけにもいかないという事で、囚人兵としての募兵に当たり、なんとか、志願が認められたクラム達は、王国内の練兵所で数週間の訓練を受けたわけだが……。
簡易寝床のある宿舎と練兵所を往復するだけの日々。
その途中で────。
「これが王都?」
久しぶりに見る娑婆の様子は、随分と様変わりしていた。
勇者召喚に成功した王国は、各国の中でも特別重視され、国家としての位は最上位に上り詰めていた。
優秀な人材も集中し、さらには魔王軍や飢饉からの庇護を求めて傘下に入る国も多数に昇り、経済は好景気に沸きに沸いた。
さらには『勇者テンガ』の持つ、この世界にない優れた知識は、国のあらゆる分野で活用されており、『勇者テンガ』は国家に貢献した英雄と持て囃《はや》されている始末。
……あの強姦野郎が、だ。
くそっ…! 忌々しいッ。
「…………」
それにしても……。
牢から出されて練兵場への移送途中、クラムたち囚人兵は目も眩むような思いでその光景を見ていた。
囚人兵ゆえ、自由は少なかったが、街中の移動であったので、その変化をまざまざとみることができた。
あちこちに貼られる『勇者テンガ』の肖像画に、銅像、石像───タイル張り、何でもござれだ……!
テンガ、テンガ、てんてんがー……だとさ。
もちろん、多少は不穏な噂もある。
まぁ主に、婦女子関連のソレだが、王国では上手くもみ消しているのか、それほど表に出ているわけではない。
それどころか、勇者のイケメンがゆえの甘いマスクと、強さ、賢さ、富、名誉……そして権力のおかげで人気の絶頂だ。
魔王討伐の暁には、国王位もあり得る──な~んて言う話もある。
現国王がどこまで本気かは知らないが、実子である王太子らは、現状──王位継承権を停止されているらしい。
はく奪ではなく「停止」らしいが、……テンガの国王就任の準備ではないかという──その噂は留まることを知らない。
実際、王女は既にテンガと男女の中だとか? いわゆる、公然の秘密らしい。
……ケッ!──お盛んなこって!
英雄色を好むとして、そのへんのスキャンダラスな話は寧ろ酒の肴程度にしか考えられていない。
最初の頃こそ、良い噂ではなかったが、王国の情報操作とダメージコントロールが実に巧妙なのだろう。最近では女の方からすり寄っていくとか?
自分からテンガにすり寄る女もいる、と。
いわゆる玉の輿《こし》狙いらしく、実際に念願が叶った女も大量にいるんだと──。
もちろん全員がそうではない。たま~に、テンガに体を許さない貞操観念の強い女性がいたり、中には無理やり迫られたというものもあるにはあるらしいが──。
なんらかの被害を受けたと噂された女性たちも、十分な補償を受けたり、ハレムに迎え入れられ王城の後宮に住むようになっているなんて言う話もある。
「……色狂いめ」
本当に嫌な話だ。
そして、クラム同様に勇者の横暴を咎めようとして逮捕拘束されたものは数知れず。
それもほぼ裁判なしの死刑コースだという。
裁判ありというのは非常に珍しく、……クラムの例はかなり特殊だったようだ。
というのも、当時の王国の上部では『勇者』の倫理感についてあまり真剣に考えられていなかったらしい。
そして、突如として世界の命運を背負わされた『勇者』の心のケアのために、特別な権利を与えただけだ。
今さら驚く事でもないが、当時は、まさか『勇者』が権利を盾に横暴を働くとは考えもしていなかったらしい。
故に、『勇者特別法』なるものがあったのだが……。それが完全に裏目に出た形だ。
内容としては、
端的に言えば──勇者の権利を大幅に認めるものであった。……ただし、そこには「但し書き」が明記されていた。
それは、勇者の権利を認めるが、「但し個人の生命、財産、名誉に関わらないこととする」───というものだ。
要するに、自分が勇者に襲われたりして……反撃しても『勇者特別法』に抵触しないというものだった。
しかし、横暴に過ぎる『勇者』は留まることを知らず。
『勇者』に対する訴えの件数が通常のソレを大きく上回ることになった。
それがために──王国側では一計を案じた。
そう────「いっそ好きにさせては?」、と。
それがそのまま、国王への意見具申へと通り、──件の但し書きは削除……。
これにより、勇者は正真正銘何をしてもいいと決まった。
……決まってしまったのだ。
ちなみに、その法律の後押しをしたのが、当時の審問院最高責任者で、あの時のデブ裁判長「ブーダス・コーベン」その人らしい。
そして、
法律改正の意見書を強引に国王へと提出したのが、当時軍部最高位にいた近衛兵団長「イッパ・ナグルー」であったと……。
そうとも、なんのことはない。
当時のクラムは特別法庇護下にあるにも関わらず裁かれ───ブーダスとイッパによって死刑一号とされたらしい。
いわば連中の出世の肥やしにされたのだ。
勇者をヨイショして、好待遇を得る。
なるほど……。実に効果的だ。
おかげで、条文の但し書きは削除されて、クラムは裁かれてしまった。
もちろん、これはいわゆる事後法なわけだが──。
たかだか、一市民の裁判にそこまでかまける奴などいない
それよりは、さっさと面倒を事を片付けたいと考えるのが普通だろうさ。
もっとも、それだけではなく、この辺りの事情は、『勇者』の醜聞をもみ消すのに王国が躍起になっていたのが関係しているとか?
いずれにしても、もはや『勇者』の存在があれば何でもゴリ押しできる時点で国家の体制はある意味崩壊していたのだろう。
──国は『勇者テンガ』に乗っ取られたも同然。
『勇者特別法』は──その気になれば、国王すら殺しても彼には罪とならないと言っているようなものなのだから。
まったく……国王も一体何を考えているのか──。
移送される馬車の中でボンヤリと景色を眺めつつ、クラムは教えられた現状を反芻した。
ちなみに、これらを教えてくれたのは、牢番どもの雑談のほか、あの看守から教えて貰ったものだ。
あの日、あの時、あの瞬間──クラムを生かすため、囚人部隊への志願と「特赦」について教えてくれた看守……。
彼は名前こそ名乗らなかったが、
後に再会したときは、囚人兵の訓練教官も務めており、皆に『教官』と呼ばれて慕われていた。
本心の分からないところはあるが、彼の口添えで「志願兵」になることのできた死刑囚は多い。
そして、
クラムとしては、そんな国の様子よりも、最も気になっていたのが家族のこと。
だが、それだけは知り得ない情報。
しょうがないだろ? 未だ一囚人でしかないクラムには知りえることができないものも多数ある。
それでも、家族に会いたい!
会いたい。
会いたいッ!
会いたい!!
その一心で……。
一度だけ……本当に一度だけ、クラムは宿舎を抜け出し生家に帰ったことがある。
それは、ほんの出来心だったが後悔はしていない。
それ以上に家族に会えるという期待に心が躍っていた。
だから、宿舎を抜け出し、街中をソロリソロリと行き……。あの家に着いた瞬間──クラムは、懐かしさのあまり涙が出た。
──あぁ、帰ってきた。……帰ってこれた!
ボロボロと零れ落ちる涙。
そうして、一人でワンワンと男泣きしていたものだから、あっという間に近所の住民に通報されたらしい。
けれども一度たりとも隣近所から人が出てくる気配はない。
つまりそういう事────近所の住人は、誰一人顔を見せようとはしなかったところを見るに、皆、犯罪者となったクラムと関わりたくないと考えていることだけは、察せられた。
隣近所の住人と会話することもなく、
仕方なく、ひとり家に入ったが──……一目見て人が住んでいないことだけは分かった。
そりゃあ、……これだけ荒れていればね。
割れたガラス窓に、
埃の積もった床、
壁は湿ってカビている。
その荒れ具合を見て、未だ人が住んでいるなんて考えるほど、俺も愚かではないつもりだ。
それでも、家族の手掛り……──または行方に繋がる物をと探し続けた。
だが、囚人兵が住宅街をうろつき、一軒家を物色していれば当然の帰結として──捕まる。
当たり前だ。
駆けつけた衛士と「教官」に、取り押さえられ、雁字搦めにフン縛られて、結局連行されるに至った。
──当たり前のこと、至極当然の帰結だ。
ただ、幸いにも『教官』のおかげで大した罰を受けなかった。それだけは感謝しなければならないだろう。
だがクラムの心中にあったのは、掴まった事や通報されたことよりも気になることがただ一つ。
あの家に……誰一人として家族がおらず、荒れ放題になっていたこと。
それはつまり、あの温かい家がもう元に戻らないことであり、────クラムを支え続けていた希望が……微かにあったはずの希望が潰えた瞬間でもあった。
(皆……どこへ行ったんだ?────無事なんだよな?)
あれ以来、考えることはこればかり。
……クラムの心に穴が開いたような状態になる。
ネリス、
義母さん、
ミナ、
リズ、
……ルゥナ───。
皆、どこへ?
家の荒れ具合から見て、風雨に晒されたためのものとわかる。
確かに、無人の家屋は物盗りが入ったような形跡はあるにはあったが、どう見ても、あれは金目のものがないと知りすぐに引き返していた様子だ。
つまり……。
家で何か異変が起こって出ていったわけではない。
何らかの事情で、自主的に出ていったと……そういうことになる。
そこまで考えてクラムの心が妙にざわついた。
そう、
────嫌な予感が、あった………。いや、確信と言ってもいい。
きっと俺のせいだ。
……俺のせいで、犯罪者の家族扱いを受けたのだろう。
それは牢に囚われて以来ずっと心にシコリとして残っていた。
面会に顔を見せなくなった家族。最後にあったあの日の義母さんの暗い表情を思い出せばわかることだ。
当時は分けも分からず怒鳴り散らしていたけど……。今ならわかる。
王都とはいえ、狭い界隈だ。
犯罪者の家族扱いでロクに生活もままならなくなったに違いない。
そして、夜逃げ同然で逃げざるを得なかった………きっと、そんなところ。
そうとも……それなら、突然に面会に来なくなった理由も察することができる。
「くそぉ!」
……ダンっ!
──畜生!!
畜生、畜生、畜生!!
「俺は何もしていないッッ!」
強姦野郎を誅しただけだぞ!
「ふざけやがって……!」
勇者テンガ!
近衛兵団長のイッパ!
裁判長のブーダス!!
お前らを絶対に許さない────!
必ず、
必ず……。
無罪を勝ち取って───!
そして、いつの日か、思いっきり一発ぶん殴ってやる!
…………その後は、探す。
探してやるさ……。皆を!
きっと見つけてみせる。
俺たちは家族だ。
切れない絆がある───。
そうだろ?
ネリス……。義母さん……。ミナ……。
リズ、そして───ルゥナ……待っててくれ。
必ず戻る……!
そして見つけてみせる!
また、
また……家族みんなで暮らそう。
そしてらさ、『勇者』達とはもう関わらない。
あれには───勝てない……!
絶対に勝てない────!!
だから、どれほど悔しくとも、あの権力には二度と逆らわない。
どれほど悔しくとも、あの暴力には近づかない。
諦めたわけでも、悔しくないわけでもないけど……──俺には家族の方が大事だ!
だから、さ。
……無罪になったら、この国を出る。
誰も知らない……どこか小さな村で、皆で平和に暮らそう──。
また、
あの頃のように───……。
練兵場へ向かう場所の中で、クラムは一人──誓う。
家族に再会する──。そして、慎ましく暮らしたい、と──。
そう、
本当に……、
本当に小さな幸せだけを願い……。
クラムは戦争に赴く。
無罪を……。
特赦を得るために──いわれなき罪を払うために……!
生きるため、
生き残るため、
生きていくため、
そして家族のために……と。
第13話「第二次北伐」
そうして、訓練を終えてクラムたち囚人兵は、武装を支給され、臨時野戦師団の囚人大隊に配属された。
そして、重い足枷を着けられ、惨めな囚人兵となったクラム。
まだまだ、戦場の現実を知らない多くの囚人兵とともに、延々と北の大地へと……──魔族の占領地へと歩かされていた。
ジャラリ、ジャラリ……と鎖を響かせながら。
「ほらほら! 歩け歩けッッ!!」
容赦ない鞭が囚人兵に降り注ぐ。
だが、痛みから逃れようと身を捩ることすらできない。
数珠繋がりに縛られた囚人は、密集した単縦陣のまま黙々と歩くしかないのだ。
そうして、近衛兵達の陰湿な嫌がらせや、少ない食料、襲い来る病魔に耐え───ついに魔族の占領地目前まで到達。
北の大地攻略までに、まずは元の国境まで魔族を押し返し──。
そして穀倉地帯を奪い返す。
実にシンプルな侵攻作戦だ。
旧国境を回復したならばそこで再編成し、部隊を整えてからの再攻撃。
最後は魔族の首都へと進軍だ。
大丈夫……!
出来るさ、
生き残って見せるさ。
……何があっても、何があっても死ぬものか!!!
「皆、もうすぐだ────」
もうすぐ、無罪を勝ち取って見せる!
決意を秘めるクラム。
そして、延々延々と歩かされること───……幾数日。
もはやろくに考えられない。今は、ただただ前へ前へと進むことしか考えられない日々、
だが、そんな日も終わりが来る。
────全軍停止ぃぃぃい!!!
「全軍、停止!」
「全軍、停止!」
「「「全軍、停止!!」」」
野戦師団の将軍が停止を命じ、と伝令兵が各部隊を走り回って停止を告げていく。
さざ波の様に命令が伝わっていく。
それは囚人大隊にも届き────。
「や、やっとか?!」
「クタクタだぜ……」
「歩くだけで何人死んだんだ?」
次々に漏れる安堵の息。
囚人兵だけでなく、近衛兵団やらの兵士も混じって一息ついていた。
そうとも────ようやく、最前線へ到達。
そこには喜びなどなく、ただ、ただ……漸く休むことができるという、疲労からの解放しかなかったのだが──。
そこで、ふと周囲を見渡すと────まぁ凄い人数。
人、人、人、馬、人、人──!!!!
世界中が大飢饉に襲われているなんて、嘘としか考えられないくらいの人間の数。そして、規模だ。
クラムを含む、人類の大部隊は、
魔族の築いた防壁が目視できる位置まで到達していた。
近衛兵団はともかく、下っ端の野戦師団や……。ましてや囚人大隊など、その間殆ど野営なしで歩き通しだ。
その分、脱落者も多いが……全人類同時攻撃に合わせるためには、速度が優先された。
結果として、馬を使えない野戦師団の兵は、無理やりの強行軍。攻撃開始に間に合わせるため歩き続けるしかなかったのだ。
一方の重装騎兵の近衛兵に──ついで、勇者殿は後方から悠々と。
噂では、移動酒保やら、大型天幕に、蒸し風呂まで準備しながらの移動らしい。
ハッ!……良い身分なこって───。
『勇者』テンガの野郎ぉぉ……。
俺は忘れていないからな!
貴様の所業。
例え、勝ち目などなくとも……。本音では関わり合いになりたくないと感じてはいてもっ!
戦場でチャンスがあったら、背後からでも刺殺してやる!!
ギリリリと、槍を握りしめる手に力が入る。
……そうとも、ここにきてようやくお前を射程に捉えることができたんだ。
勇者テンガ────!
クラムは、凄まじい敵意の籠った視線を後方へ投げている。それはもちろん、敵ではなく、勇者に……『勇者テンガ』にだ!
常日頃から、憎しみを募らせてクラムは今日も生きている。
……だが、今じゃない。
今じゃないんだ────。
ドロドロと地鳴りのように響く軍の足音。
先頭集団が停止したのを見計らって後方の支援部隊が陣形を整えているのだろう。
その気配を感じながらクラムたちも否応なしに戦いへと巻き込まれていく。
「総員、戦闘隊形に移行せよッッ」
────おうッッ!!!
そして始まる。
第二次「北伐」───。
魔族と人類の生存をかけた世紀の大戦争が起こる。
今宵はその手始め。
歴史に残る大戦争の──その初戦が目の前で起ころうとしていた。
「やるしかない…………手柄を──特赦を得るために!」
その先に、家族がいる!!
だから、行く。
征く!
──逝くともさ!!
さぁ、立て!
走れ!!
手柄を、
生を、
自由を掴むんだ!!
……───家族のために!
決意を固めるクラムの耳に歓声が響く。
それは、雷鳴のように、地鳴りのように響き渡り、──除々に除々にと、
小から大へ、
少から多へ、
……ぁぁぁ!
──ぁぁああ!!
わぁぁぁぁぁ!!
うわぁぁぁぁ!!
声、
声、
声だ。
それは、
歓喜の声、
喚起の声、
感極まる声、
勇者、勇者、勇者、勇者!!!
と───。
勇者、勇者、勇者!
勇者、
勇者、
勇者、
ゆーしゃゆーしゃ、ゆーしゃ、ゆーしゃ!!!!
勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者!!!!!
勇者……!
勇者……!
勇者……!
うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
(……ユゥシャ───か、)──ギリリリリッッ!
感極まる声をあげるのは近衛兵達。
それに対して囚人大隊の目は冷え切っている。
どれも、誰も彼も……皆───。
ほぼ皆が同じ目をしている。
「教官」の選抜した囚人大隊。
勇者によって死刑の宣告を受けるに至った者達だ。
彼らの覚悟も、恨みも……そして怒りも!
───歓喜の声に負けないくらい強い。
……近衛兵達のあげる声に逆らうように、彼らは心の中で呪詛を上げる。
ユーシャ……ユーシャ……。
ユーシャ……ユーシャ……ッ。
ユーシャ……ユーシャ……!!
ユぅぅぅぅぅうシャぁぁぁぁぁああ、テンガぁぁぁあああああ!!!!
その温度は近衛兵達の熱気を打ち消し、彼らに雪国に迷い込みでもしたかのような錯覚と悪寒を走らせるもの……。
皆がみんな、暗い瞳と表情で、歓喜とその熱の出元である───『勇者テンガ』の跨乗する馬を睨み付け……その上の、この世で最も醜悪な存在を憎悪の籠った目で睨みつけていた。
……よぉ、久しぶりだな───『勇者テンガ』……!
お前の顔だけは絶対に忘れないよ……。
親の顔を忘れたとしても、お前の顔だけは───。
──絶対にな!!!!!
暗い視線が勇者一行を睨み付けるなか、そいつ等は現れた。
背後に何頭曳きかわからない豪奢な馬車。
さらには、後方部隊を引きつれ、その後ろに酒保商人やら軍楽隊やら、どう見ても戦闘に関係ない者までついて来ている。
それが全て勇者のためにあるらしい。
良い身分だよ。
聞けば自慢のハレムまで戦場に持ち込んだとか。
ケッ……お前らしいよ。
よほど女が好きらしい。
お前らしいよ───……。
憎しみの目と、
期待の目と、
敵意と、
戦場にある様々な思惑の籠った視線は───。
かの『勇者テンガ』に集約していた。
かくして、役者は揃い。
ほどなく、
第二次「北伐」は開始された。
第14話「囚人たち」
第二次「北伐」は開始された。
それはもう、あっけなく。
何の前触れもなく。
「総員、攻撃準備────!」
将軍の声が静まり返った戦場に朗々と響く。
全ての軍が整列し、静まり返った戦場ではもはや伝令は必要ない。
幸いにも魔族側からの応射も反撃も妨害もない。
そして、始まった。
進軍ラッパを吹き鳴らすべく、軍のラッパ手が高らかにホーンを鳴らす
パーラパラパラパラッパッパッパー!!!
戦闘──────開始ッッ!
白馬に乗った野戦師団の将軍が声を張り上げる。
すぅぅ……。
「野戦師団前へ!」
そして、麾下の部隊長である黒馬に乗った将校が声を張り上げる。
「野戦連隊前へ!」
命令は下へ下へと。
さらに、『教官』が声を張り上げる。
「囚人大隊前へ」
来た!!
クラムの部隊に攻撃前進の命令が下る。
その命令を聞いた瞬間、体中の血液が沸騰したような気分になり、自然に体が動き出す。
まるで巨大な蛇が動くように、ズルリと地面を這うようにして──……。
────ワッ!!!
ワッ! ワッ! ワッ! ワッ! ワッ!
ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ!!
掛け声を上げつつ大軍が動き出す。
囚人大隊だけでなく、野戦連隊、弓兵隊に将校団!
ザッザッザッザッザ!
ザッザッザッザッザ!!
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
「お、おい?」
「な、なんで俺達が先頭なんだよ?!」
ノロノロとした連隊歩兵は、足音だけは威圧的で──囚人兵は後ろから押されるように、前へ前へ……。
ほぼ全面で、囚人大隊の兵が前へ前へと押し出されていく。
ジャラリ、ジャラリ、ジャラリ、と……足枷の鎖を響かせながら!!
「ふ、ふざけんなよ!」
「た、たたた、盾くらいよこせよ!!」
後ろにも下がれず、前に行くしかない状態。
そして、前には魔族の築いた防壁───!
防壁に隠されて姿は見えないが……恐ろしいまでの殺気を放っている。
その様子に躊躇する囚人兵たち。
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
一方では、大盾に身を隠した野戦連隊が槍先を揃えて、その切っ先を囚人大隊の背中に突きつけつつ前進、前進、前進!!
「おい! 聞いてんのか!」
「や、ヤバいッ! やばいやばい!!」
ぬぅ、と魔族側防壁上に多数の兵の姿が現れる。
チラチラと見えるのは強弓のそれ!!!
このまま進めばどうなるのか────!
「て、てめぇらぁぁぁあ!!」
「ヤメロ! 敵の射程に入っちまうだろうが!!」
次々に抗議する囚人大隊の兵。
しかし、野戦連隊は盾に身を隠して、槍先で囚人兵の背中をつつくのみ。
こ、これじゃまるで────!!
「足を止めるな! 走れ走れ! 突撃ぃぃぃ!!」
そこでついに指揮官たる『教官』があらわれた。
前進を躊躇う囚人に向かって容赦なく鞭を振るう。
「ぎゃああ!!」
「うるさい! さっさと突っ込めぇぇぇえ!!」
『教官』が馬にも乗らず、徒歩で後ろから叱咤激励する。
「進め、進め!」と囚人を鞭打つ際に使う乗馬鞭だけを手に、囚人大隊を前へ前へと駆り立てる。
だが、目の間には魔族の防壁……!!
そして、囚人たちには槍があるのみ。
おいおい……?!
や、槍一本で攻城戦だぁ?
──どうしろってんだよ!!
「突撃ぃぃぃぃ!!」
ええい、うるさい!!
わかってるさ!
行くしか…………逝くしか道はないッてことくらいはな!
そして───!
ついに、反撃が……、
「て、敵しゅ───ブホ……」
クラムの隣にいた、名前も知らない囚人兵が矢に貫かれて倒れる。
だが、脚は止められない。
「くそ! 始まった!!」
射程内に入ったのだろう。
チラチラ見えていた魔族の兵が一斉に防壁から身を乗り出す。
人類のもつ弓とは少々意匠の異なるそれがキリリリリ──と引き絞られ、
バァィン……!!
バァイン、バァィン!!
バ、バ、バババババババババババァァァィン!
「ひ!」
「て、敵襲! 敵襲ぅぅぅう!!」
ザァァァ──────!!
「うぎゃああああああ!!!」
「ひぃ! ひぃいいいい!!」
次々に降り注ぐ矢。
どうやら敵の射程内に入ったようだ。
「じょ、冗談じゃないぞ!?」
クラムはようやく異常事態に気付く。
初めての戦場で右も左もわからないことを差し引いても、この扱いは────!
(ま、まさか……)
今も、目の前で囚人兵が頭部を貫かれて崩れ落ちる。
右も左も前も、次々と囚人兵が倒れていき、クラムの周囲にはポッカリと穴が開いたように戦場が開けてしまった。
そこに、さらにさらにと──まるで雨の様に矢が容赦なく降り注ぎ、防ぐ手段のない囚人兵が次々に矢に貫かれて倒れていく。
クラムにも、その洗礼はもれなく降り注ぎ────!!
ビュバッッ!
「ぐあッ」
危うい所を矢が掠めていく……!
しびれるような痛みを感じて、思わず手で押さえて見れば……ベッタリと血が!
「嘘だろッ?!」
──命中こそしなかったものの、肩を掠った矢が粗末な服を切り裂き、素肌に鋭い擦過傷を残していた。
「よーし……!──良い頃合いだ! 囚人大隊、停止!!」
と、『教官』から、この期に及んで静止せよとの命令が降る。
ただでさえ足枷のせいで素早く走れない囚人たちは、敵前でノロノロとして──いい的だ。
そう、いい的だ!!!
次々に倒れる囚人兵。
動いて、躱してさえいてもそれ──ただでさえ、その有様だ……!
黙っていても命中するというのに……──それが停止? 停止だと!?
「『教官』殿…───!?」
クラムは驚いて教官を振り返る。……そして見た。見てしまった!!
『教官』の顔───あの顔を!
あ、ありゃ……!
あの顔はぁぁッッッ!!
見たことが、──あぁそうとも、あれは見たことのある顔だ。
『勇者テンガ』や、『近衛兵団長のイッパ』…そして『裁判長のブーダス』らの───あの顔だ。
してやったり──と、
そして、
貴様らなんぞ、心底どーーーーでもいいという……、あの顔!!
あぁ畜生!!
『教官』もか!?
アイツもそうなのか?!
───少しでも信じた俺が──俺達囚人兵が馬鹿だった!
あの醜悪極まりない顔は、勇者や近衛兵団長ども同じ顔だ!!
畜生!!
あああ!?
あああああああああ!!??
畜生ぅぅぅうううう!!!
「ど、どういうことだ?」
「おいおい! 停止なんかできるかよ! なぁ、教官よぉぉぉ!?」
まだ事態の読めていない囚人兵は無情な命令を下す『教官』に慈悲を乞う。
「……アンタ『勇者』が嫌いで、囚人に同情してたんじゃないのか!?」
「なぁ! なんとか言えよ────えぶッ」
信じられないと言った顔で倒れ行く囚人兵たち。
誰も彼もが、次々に倒れていく。
魔族側も容赦などしない。
彼らからすれば等しく人類軍というわけだ。
囚人兵の事情など知った事か────。
そして、これを幸いとばかりに、敵の射手の位置を確認した野戦師団が停止。
野戦連隊の指揮官がサーベル引き抜いて防壁上を指す。
「敵射手確認! ロングボウ前へ!!」
ザザザザザザザザザ!
野戦連隊の大盾の背後に多数の気配が浸透していく。
盾の風にチラチラと見えるのは王国軍製のロングボウ!
しかも、ただのロングボウではない────特殊な飛距離の長い矢を番えることのできる強弓だ!
今さら支援?!
キリリリリリリリリリ……!
「射てぇぇぇええ!」
バァィン!!
バババババババババババババババババババババババババァィン!!!
まるで過去の映像の逆廻しのように、人類側に降り注いでいた矢が、今度は逆に人類側から魔族の防壁へと降り注ぐ!!
だが、今更!!??
有利な態勢で、有利な射程から、そして敵の位置を暴露した状態で!!
ようやく野戦連隊が敵射程外から射撃戦を展開し始めた。
あーあーあー! そうかい! そうかい……!
ロングボウも、特殊な長射程の矢も、今考えた作戦じゃぁない!
そんなことは戦争の素人であるクラムにもわかる。
つまり、最初からそれだけが目的だったのだ。
囚人たちを前に出し、敵の射撃を誘発し……味方のロングボウを有利な体勢で攻撃させて敵を減殺!
ある程度、敵の射手を制圧したら攻城兵器を出し、防壁を突破する───と?
囚人兵の命を使い捨てにして、悠々自適に安心安全な位置から攻略というわけか────。
「ふ……」
ふ、
ふざけんな!!
俺たちは、ただ、ただ──死んでいくだけじゃないか!?
そんな、
そんなことを、
そんなことを「無実の俺たち」にさせるのか!?
なぁ、
おい!
「答えろよ……!!!」
───答えろよ『教官』!
「俺達に死ねって言うのかよぉぉおおおお!!!」
当然……敵の射程外にいる『教官』。
彼にクラムの声など届くはずもない。
はずもないが……!
しかし、
しかしだ…確かに口が動き──……『教官』の言っている言葉が耳に届いたのだ。
……ニィと口を歪め、真っ直ぐにクラムを見ていやがる。
そして、
「────恨むなら、不運なお前らを自身を恨みな」
は?
「『勇者』殿はな、なかなか死刑が執行されないお前等に扱いに業を煮やして、この策を思いついたらしいぞ?」
は?
え?
──お、おい……?
「はははは!──……恨みは根から絶つんだとさ、『勇者』殿の世界の歴史ではそう言うらしいぞ? 根切りってな……」
こ、この野郎……!
この野郎!!!
この野郎ぅぅぅぅぅおおお!!
「─────……ッッッ!!」
クラムは叫ぶ!
矢の雨の中、一心叫ぶ!!
それは、声にならない声……!
そして胸中にあるのは、たった一つの恨むだけ!!
またしても、
またしても、
またしても『勇者』テンガ……!!!
あーあーあーあーあーあー!!
あーーーーーーーそうかよ!!
そんなに俺達を殺したいのか?
目障りなのか!?
牢屋の中で擦り切れていくのも待てないのか!?
どこまで……!
どこまでお前は卑怯なクソ野郎なんだ!!
──畜生!
畜生ぅぅぅおおおおおおお!!
なんのことはない。
クラム達が牢の中で生き延びていたのは、法を司る部門の、見知らぬ誰かの良心があったからなのか……?
その誰かが、死刑を先延ばしにし、
なんとか、
そう、なんとか釈放しようと策を巡らせてらせてくれていたのかもしれない。
真相などわからないだろうが……。
少なくとも数年間は、クラム達──勇者絡みの死刑囚は生きていた。
生き延びていた……!
泥をすすり、
恥辱にまみれ、
怒りに身を焦がしながらも───!
生きていたんだ!!!!
それを、
それを、
それを、
それをぉぉぉぉぉおおおお!!
おぉぉぉおあぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!!
「テンガぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
許すまじ……。
許すまじッッ。
許すまじ!!!
絶対に、許すまじ!
テンガぁぁぁぁぁぁぁああああああああッッッ!!!
叫ぶクラムを他所に、バタバタと倒れていく囚人たち。
しかし、徐々に矢の雨も収まっていく。
野戦師団の長距離射撃が敵の射手を制圧しているのだろう。
この時点で囚人大隊……半数が死傷。
クラムも負傷。
戦力と呼べるものはもはや囚人大隊には残っていない……。
あの悪魔のような男のせいで、皆────。
て、
「テンガぁぁぁああ…………!」
血まみれのクラムが喉から絞り出した怨嗟の呻き────。
「呼んだか?」
そして、
クラムと『勇者』が再び邂逅する───……。
第15話「残り香」
「呼んだか?」
いかにも生意気そうな声と顔。
そんな態度で、クラムを不躾に睨んでいるのは、豪奢な鎧を着込み、宝剣を担いだ青年──かの『勇者』だ。
勇者テンガ……。
あぁ、コイツだ。
間違いない。
顔も体格も───声も……! 間違うはずがない!!
あ、あの時の強姦野郎だ。
あの、あの、あのクソ野郎だ!!!
「──テンガぁぁぁ!!!」
そして、クラムも激高した感情のまま、テンガに向き直る。
「お? 呼び捨てかー……んー? 誰だっけお前???……っはっはー。──大方どこかで恨みを買った囚人だろうな」
何でもないように言う様をみて、やはりこの囚人大隊の使い捨てを思いついたのがコイツだと確信する。
「それにしても、運が良いなーお前? 今日は生き延びられそうじゃねぇか?」
へへへ、とニヤ付く顔に槍をぶち込んでやればどれほど───おああああああぁぁぁぁぁあ!! と、言うほどに意識もせず手に持つ短槍を、奴の顔面にぶち込んでいた。
「あん?」
しかし、宝剣の柄をちょいっと動かしただけで、槍を止めて見せるテンガ。
絶妙な角度で防がれ、ビクともしない。
「ぐ……! こ、このぉぉお!!」
「ばーか……。囚人Aに『勇者』が倒せるわけねぇええ、だろッ──とぉ」
ボコォン! と、軽~く放つ蹴り。
その喧嘩キックを腹に頂戴したクラムはゲロをまき散らしながら転がり、仲間の死体の上をバウンドしていく。
ドン! ボン──グシャ……!!
「おええええええ……」
吐しゃ物をまき散らすクラム。
「勇者殿! いかがされました!」
そこに『教官』がヘコヘコしながら勇者に揉み手せんばかりにすり寄る。
「んー……。馬鹿が突っかかってきたんで、蹴散らしただけさ。なんでもねぇよ」
と、それだけ言うと───。
「さ、仕上げと行くか!!」
退いてろよお前らぁ……! と、気合も高らかに、ズラリと宝剣を引き抜くと、ヒュンヒュンと手の中で弄んで見せる───。
そして、
「──うらぁぁぁ!!!」
ブワァ!!!! と目にも鮮やかな───真っ赤なブーメラン状の巨大な衝撃刃を生み出しッッ!!
「お! 直撃コーーーーーース」
──ドガァァァァン!!!!!
盛大に爆音が巻き起こり、魔族の築いた防壁を木っ端みじんに吹っ飛ばした。
「あえ?」
「ぐ、お?」
「あぴゃ……?!」
衝撃波の射線にいた囚人兵達。
哀れで、健気で、果敢な囚人兵達が……!
バタン……。
ドサッ。
バタバタバタ………!!
「な、なんてことを!!」
クラムの目の間で、射線にいた囚人兵たちが大量に体を真っ二つにされて倒れる。
生存者なんているもんか!
そして、何の因果か……。不幸中の幸いにも、クラムはテンガによって蹴り転がされていたため無事だった。
「あーらら……。ちょ~っとばかし味方も巻き込んじまったなー? まいっか。はっはっは」
全然悪びれない様子で飄々と宣うテンガ。
「ま、一応警告したしぃ……? 俺悪くないよね?」
ニカッと、歯を光らせながらテンガは『教官』に笑いかけた。
一方、『教官』はと言えば、凄まじい勇者の攻撃に慄いているのか、
「え、ええ! ゆ、『勇者』殿は全く悪くありませんとも」
ダラダラと冷や汗を流しながら『教官』は壊れた人形の様に頭をヘコヘコとさせている。
それを聞いたテンガは、いい気分のまま、
「ん~だろぉ? よっしゃ! お前ら突破口は開けたぞ!」
──とっとと、行けやぁぁ!!
仁王立ちになって、偉そうに指示を出す。
それに答えたのは、近衛兵団と野戦師団───そして、いつの間にか集まっていた『勇者』の女達。
「きゃー!」「勇者様ー!!」「テンガ様ー!」「キャーかっこいー!」「抱いてー!」
と、まぁ、喧しいほどに黄色い声援を送ってくる。
ここが最前線とは思えないほどだ。
冗談のような有様。
そのバカげた事態を見て、まるで毒気を抜かれた様に、ノロノロと動き出す野戦師団。
そして、勇者への黄色い声援など気にもしていないとばかりに近衛兵団が突撃する。
彼らの自慢の重装騎兵だ。
歩兵も援護位置につき、ロングボウで支援準備をしている。
そこに、
「お見事なり勇者殿!」
ガツン! と、胸甲を叩き誠意を示すのは────……。
「……こ、こいつは!」
あぁ、コイツも忘れるものか!
そして、俺は知っているぞ────クラムを絶望に叩き落としてくれた首謀者の一人、……近衛兵団長のイッパ・ナルグー!!
「ん? あーそー…?」
しかし、最敬礼を受けてもテンガは飄々とした調子を崩さず、イッパには視線も向けない。
心底、どーでもいいとばかりに近衛兵団長の誠意を受け流し、あろうことか女たちに手を振っている始末。
その様子に、イッパが軽く震えたような気がしたが……?
気のせいだろうか。
「ぐ……。で、では、我らは先陣を! 勇者殿も支援を頼みます」
「へーへー、畏まり~」
顔も見ないで生返事。
お気に入りの子はどこかな~なんて言いながら手を振り続けるテンガに、イッパは肩をいからせながら見せつけるかの如く声を張り上げる。
「近衛兵団、突撃!!」
いくぞぉぉぉおおおおおおおお!!!!
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」
そのクソ重いフルプレートアーマー姿で、大剣を引き抜いたイッパが指揮官先頭とばかりに突撃を開始!
兵団には、俺の後を追ってくれと言わんばかりに見事な突撃を見せるッ。
「行くぞ! 近衛兵団!」
「「おう!!!!」」
「団長に続けぇぇぇえええ!!!」
重装騎兵、重装歩兵、ロングボウ部隊!!
それぞれが突撃を開始ッ。
──人類のために!
────勇者のために!!
「「「「「人類のために! 勇者のために!」」」」」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
ドドドドドドッドドドドドドドドド!
まるで地響きの如く、突撃が振動となって伝わってくる。
連中と来たら、それぞれが掛け声を上げ遮二無二突撃。
勇者!
勇者!
勇者!
それはもう、盛大に声を合わせる近衛兵団。
もはや、勇者親衛隊だ。
「「「「「突撃ぃぃぃぃいい」」」」」
ドドド……!
ドドドドドドドドド──……!!
ドドドドドオドドドドドドドドオッドドドド!!!!!!!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
振動で散らばる死体が躍り始めるほど。
それはそれは凄まじい圧力だ!
人が、鎧が、軍馬が、そして軍隊が!!!──そう、一斉に駆け出すのだ。
点ではなく……。
線となって──!!!
いや、線なものか!!
あれは面だ。
一面の人馬と槍と剣と弓と軍隊の原っぱだ!!
大地を埋め尽くす人類の主力攻撃。
重装備の騎馬兵が繰り広げる人馬一体の、鉄と生物の絨毯の如き攻撃戦力。
機動力のある騎馬が先陣を切り、イッパに追いつく。
そして、先頭の騎手が二頭連れにしていた一頭をイッパに差し出すと、あの野郎はその様子も見もせずにひらりと跨る。
そして、高らかに大剣を天に翳すと告げる!
「行け!! 我が精鋭よ! 魔族に一遍の慈悲も与えるなッッ!」
サァァァァアア……────と、風が流れて、先頭の騎槍の屹立する林を駆け抜けたかと思うと──。
天を向き───煌いていた騎槍が、ズザザザン!! と、水平に!
真っ直ぐに揃った騎槍!……それはそれは整然とした動きで、破壊された防壁に向けられる。
さらに後ろに騎馬。その後ろも騎馬! 騎馬騎馬騎馬!!
その、控える騎兵の騎槍はやや斜めに、さらに後ろの控える騎兵は槍を真上に───その様はまるで剣山だ。
いや、ハリネズミの如く───!!!!
「貫けぇぇぇえええ!!!」
騎槍の穂先が太陽光を反射し、ギラギラと輝いて……!
その輝きが草原を───戦場を疾駆していくッッッ。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
そして、
「ひ、ひぃぃ!!」「逃げろおぉ!」「ふざんけんなよ!!」「味方だ! 味方だぞ!」「止まれぇぇ!」
魔族の築いた防壁と、近衛兵団の重装騎兵の波!!
哀れな囚人兵達は…その二つに挿まれ右往左往するのみ。
もはや絶体絶命。死出の旅に行くのは、囚人大隊の兵士たち。
魔族の矢の雨も、テンガの衝撃波も辛うじて躱して、僅かに残った囚人兵。その運命もついに尽きようとしていた。
予想通り、軍馬は囚人など気にせず突進する。
矢も、勇者の斬撃も躱してもまだまだ彼らの受難は続く!
せっかく、辛うじてい逃げ延び、なんとか這う這うの体で後方へ到達しようとしていた囚人たちだが……!!
「ああああああああああああああああ!!」
「逃げろぉぉおおおおおおおおおおお!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
グシャ、グシャ、グチャアア!!
ドカバキ……ボキボキビキィ!!
ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!
物凄い絶叫を残してバラバラに巻き散らかされる囚人兵たち。
血煙と臓物だけを残して、あっという間に近衛兵団の重装騎兵の馬蹄に、文字通り蹴散らされていく。
「あーあーあー……ありゃ、ひでぇな」
テンガはその様を悠々と眺めつつも、囚人たちがみるみるうちに数を減らしていくのを心透くとばかりに見ている。
「あーーーーーーはっはっは! そーかい、そーかい! 大爽快! あっはっはっは!」
『教官』は引き攣った顔で見ているが、一切逆らわない。
「あ、そういや、お前にゃ苦労かけたね。うん──そのうち褒美でもやるよ、あはははは」
チラッと『教官』の顔を見て、「ん、一応覚えた」と一言……。
後は知らんとばかりに、戦場に入るも──「うげ、バッチィなー」とばかり踵を返し、近衛兵そっちのけで女たちの元へ言ってしまった。
「あー汚いから今日はいいや。お前らだけでやれよ。……うっし、今日はここまででいいーだろ。天幕立てろやー!」
あっはっはーと、大笑いして戦闘中にも拘らず野営準備に入る。
そして黄色い声援を上げる女達とじゃれ合い始めた。
呆気に取られた『教官』だったが、
顔を歪めて一言───……、
「屑が……!」
しかし、それっきり何も言わない。
そして生き残りの囚人達を再び指揮し始める。
まだまだ、
まだまだ、だ……。
味方に踏み潰される───そんな目に会いつつも……囚人たちの戦いが終わったわけではない。
「おらぁぁ! 突撃再開だ! 野戦師団についていけ!」
いけいけいけ! と、呷り、蹴りつけながらも放心状態の囚人を駆り立てていく。
ここまでされても囚人大隊は全滅していない。
どうやって生き残ったのか疎らに人影があるのだ。
そして、
勇者に転がされ、辛うじて生き延びていた一人に───クラム・エンバニアもいる。
泥と、囚人兵たちの臓物を浴びながらも生きている。
生きている!!!
ぐ、
ぐがぁぁぁあ──。
て、
「──テンガぁぁぁああ……!!!」
死体の山から体を起こし、憎々し気に『勇者』を睨みつけるクラム。
次々に駆け抜け、目前に迫りつつある重装騎兵の突撃!
しかし、クラムはそんなものなど、知らぬ! とばかりに視線で射殺そうと、去り行くテンガの背を睨む。
視界を覆い尽くす騎兵どもが邪魔だ!
ウジャウジャと集まる女どもが邪魔だ!
邪魔だ!
邪魔だぁぁあ!!
退ぉぉぉぉおッッけぇぇぇええ!
あの野郎!
あの野郎!
あの野郎ぉぉお!!
テぇぇぇぇぇえンガをぉぉぉぉぉ!
この目に焼き付けてやる、睨み殺してや───
る…………。
え、あ?
に、
睨み、殺して────……や、る。
「え…………?」
テンガに群がる女たち。
邪魔で邪魔で邪魔でしょうがない女たち。
だけど、
あれ、は……………。
「……ス?」
一瞬、
自分の言った言葉が分からなかった。
でも、
自然に、
意識せず、
無意識に、
漏れた言葉───。
「……う、」
嘘だ。
なんで?
なんで、そこにいる?
なぁ、なんで、……だ?
「う……嘘だよ、な?」
なぁ?!
自問するクラム。
だが、無情にも彼の目には、紛れもない事実。
そう、
勇者に群がっていた女達の中に……見知った顔を見た気がした。
第16話「最前線」
───ス?
え?
なんで?
そこは……?
え?
え、え?
ま、まさか……?
いや、いやいやいや!!
間違いだ!───見間違いだ!!
見間違いに決まってる! そうだろ?!
そうだよな?!
か、
彼女がそこにいるはずがない……!
いるはずないんだ!!
だけど、
だけどぉぉおお!
ち、
「……畜生ぅぅぅううああああああ!!」
臓腑を搾るように叫ぶクラム。
あり得ない!
あり得ない!
あり得ない!
そうだ! あり得ないッッ!
そうとも!
今は、有り得ないことを考えている場合じゃない!
今は───。
今は、
今は、手柄だ!!
なんとしても手柄だ!
女のことも、
『教官』のことも、
勇者テンガのことも───!
今は忘れろッッッ!
今大事なのは、特赦!!
特赦を得るための手柄だ!!
色々グチャグチャ考えるのはあとでいい!
まずは、この場を切り抜けてからだ。
激昂しても考えろ、
絶望しても抗え、
決死を覆せ、
それが生存への……。
自由と無罪への……。
そして、家族との再開への近道だ。
生き残れ、
生き残れ、
生き残れ、
生き残れッッッ!!
生きて、生きて、生きて生きて生きて──手柄を立ててッッ!!
帰るッ。
帰る!!!
俺は帰る!!!
何があっても、俺は家族の元へ!
「……俺はぁぁぁぁぁぁあああああ────帰るッッ!!」
叫ぶクラム、
だが───……相手は軍隊。
無慈悲で傲慢でクソの塊! そんな奴らが、囚人兵の──クラムの叫びなど異にも介すはずがない。
そして、感情とは無縁の軍隊ってやつは、人と鉄と生物たちだ。
そいつら相手にどう抗おうってんだ!
「やる……。やるさ。諦めないッ。挫けない! 俺は死なない!!」
ドドドドドドドドオドドドドドド!!! と、大地を揺らす様に突っ込んでくる近衛兵団《ロイヤルガーズ》、
その中核を成す重装騎兵たち───!
隊列の中には、豪奢な鎧兜に身を包み、軍旗をはためかせる近衛兵団長のイッパの姿も見える。
あぁ、あの野郎だ!
あの憎き、首謀者の一人、……────イッパだ!
だが、今は忘れろ。
あれは復讐相手じゃない。
憎さを置いて考えろ!!
………………あれは誰だ?
重装騎兵か?
それとも、指揮官か?
決まっている。
奴は指揮官だ。
そう……団長であるイッパが先陣を切るくらいだ。
それはつまり、勝利を確信しているのだろう。
だから指揮官が先頭を切るのだ。
自分が殺されるなんて微塵も考えていないに違いない。
それもこれも、囚人兵の犠牲があったればこそ。
囚人達の、屍の上の栄光を……。
血塗られた栄光だ。
俺の、俺達の──クラムたちの血と死体の上に輝く栄光だ!
そんなものクソ食らえだ!
勝手に食らってろ!!
俺は俺で手柄を立ててやる!!
(──まだ時間はある! 騎兵で防壁を越えるのは難しいはずだ)
攻城戦に騎兵を持ち出すのもどうかと思うが、戦争の素人であるクラムにも想像の付かない考えがあるのかもしれない。
それよりも、今は敵の首級を上げることを考えねば……。
それも近衛兵団よりも先にだ。
「……いっそ、内部に突入するか? 敵の攻撃は止んでいるし、もしかして魔族も思った以上に被害を受けているのかもしれない」
実際に、魔族側からの反撃はほとんどない。
だが、
「さすがに、敵が一人もいないってことはないよな……単身で行ってどうなるとも思えないが──」
クラムの目指す先では、彼ら魔族の築いた防御施設である長大な防壁は倒壊破損している。
──さらには、勇者の攻撃による余波で、防壁の背後にあった櫓や防塁なども破壊しつくされていた。
魔族側の戦死者もかなりいるのだろう……。
ここまで濃密な血の匂いと、重傷者らしき呻きが聞こえる。
応射もなく、防壁の修理される気配もない。
つまり────ここに至り、重装騎兵の突撃を防ぐものは何もないのだ。
半壊した防壁と、狭い空堀があるのみ。
早晩この戦線は突破されるだろう。
だが……。
それじゃダメだ!
それじゃダメだ!
それじゃダメなんだ!
クラムにとって、人類の勝利なんぞどうでもいい───。
囚人兵の目的はただ一つ。
特赦。
そのためには……。
そうだ、俺が稼がないと意味がない!
手柄だ……!
手柄を立てるんだ!
しかし、まんじりと突っ立っていても手柄はできない。
ボーっとしているだけなら、ここでは死ぬ!!
ドドドドドドドドドドドドオドドドドドドドオドドドド!!!
背後に迫る重装騎兵。
タイムリミットは刻一刻と近づいてくる。
そうとも……。
騎兵に踏みつぶされるか。
手柄を立てる間もなく、戦いは終わってしまうか……。
何もしなければ、そのどちらかしかないのだ。
そして、何もしない囚人兵達の大半は騎兵に分断されてしまった。
散り散りになった囚人兵。
彼らは自然に、いつの間にか小グループに別れて固まり始めた。
当然クラムの周りにも徐々に生き残りが集まり始める。
ここにいるのは、少数の負傷者のみ……。もちろん、クラムを含めてだ。
「ど、どうする?」
「もう逃げるしか!」
「どこにだよ!」
不安そうな顔で、陰気のボソボソと話す囚人兵達。
だが、クラムはもう覚悟を決めていた。
「……………前だ」
「「「は?」」」
冷静な───。そして、無謀とも思えるクラムの声に、生き残りの連中が首をかしげる?
「ば、馬鹿いうなよ! 俺達だけじゃ、死ぬぞ!?」
そんな声にクラムが耳を貸すはずがない。
……もう、覚悟は決めた。
だから、
「下がっても死ぬ───ここにいても死ぬ!…………なら?」
ならばどうする?!
今のクラムに仲間のことなど気にかけている余裕などない。
いや、そもそも仲間と言ってもいいのかどうか……。
だからこそ、クラムはただ一人でも行く所存だった。
チャキリと槍を構えると、高らかに叫ぶ!
すぅぅぅ……、
「────俺は生き残る!!」
足に力を籠め、
手に槍を握りしめ、
覚悟を心に───……蛮勇と蛮声を振り絞る!!
ああああああああああああああああああああああああああ!!
たった一人の鬨の声ッッ!!
あとは征くのみ!!
征くのみ!!
「うううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
走り出す、
駆け出す、
突撃す──!
足枷についている鉄球を激しくバウンドさせながら駆けていく。
駆けていく。
駆けていく!
駆けていく!!
重い、
重い───。
重いッッッ!!
だが、
「そのくらいで死ぬかぁぁぁああああああ!!」
鉄球が重いからどうした!
足枷が何だ!!
槍一本あれば十分だッッ!!
突撃す!
突撃す!
我、突撃す!!
「死んで……」
────死んでたまるか!!
「ぎぃぃええええああああああああ!!!」
ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
自分でも、どこでどう声をだして叫んでいるか分からない大音量でもって、防壁に取りつく。
そして、そんなクラムに感化されたのか、生き残りの囚人兵も次々にクラムの後へと続く。
「うごおおおおお!!」
「りゃあああああ!!」
「あはははははは!!」
「ひゃあああああ!!」
蛮声と奇声と大声を張り上げて、囚人兵が駆け抜ける。
そのまま、破壊された防壁を越え──その先に広がる敵陣地に躍り込む。
「「「「うおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」
槍を振り回し、飛び越えた防壁の内部。
「な、なんだこりゃ?」
「す、すすすすげー威力だったんだな」
目に入った惨状は悲惨そのもの。
それほどに勇者の一撃は強力無比だったらしい。
燃え上がる施設に、胴を切られて事切れている者。
そして、倒れた防壁に潰され圧死している者。
これが勇者の力──。
まさに圧倒的だ。
「お、おい! これならいけるぞ!?」
「お、おぉ! 一番槍だ」
そ、そうだ!
いける! いける、いけるいける!
いけるぞ!!
手柄だ!
手柄を立てるぞ!
「敵を探せ!!」
防壁内に入り、掃討戦に移った今なら囚人兵にもやり様はある。
施設内で騎馬突撃も何もないだろう。
今ここにはクラムたちしかいない。これは早期に突撃したクラム達にとってのチャンスだった。
「敵将がいるはずだ! 見つけて、ぶっ殺せ!」
わーわーわーと、囚人たちは分散して、敵を探す。
やはり一番の手柄は大将首だ。
敵将を討たんとギラギラと目を光らせるクラムたちの前にバラバラと敵兵が湧き出してくる。
負傷者も含めて生き残りが数十人。魔族の軍が応援に駆け付けたようだ。
とはいえ、囚人兵も魔族の兵も全員ボロボロ……。例外なく、連中も負傷しているようだ。
そして、魔族の兵の面といえば……!
「ご、ゴブリンか?! ざ、雑魚だ! みんな、やれぇぇ!! うらぁぁぁぁあ、なめんなああ!!」
囚人の一人が、ヨタヨタと歩くゴブリンを刺し貫く───が、刺された拍子に暴れ回るゴブリンによって、槍はあっさり折れる。
「な、この! オンボロ槍め、がぁぁぁあ……」
そして、武器を失った囚人兵がゴブリンの剣兵によって首を撥ねられる。
「ちぃ! この槍はやべぇぞ!! 安物めがぁ!」
そのゴブリンを更に仕留めるも、後詰めの魔族の兵が囚人兵を貫く。
また一人相打ちになる。
くそ……! まともな武器もなくて戦えるかよぉぉ!
それでも、なんとか討ち倒して見せる囚人たち。
一人殺して、一人殺され。
一人と一人が相打っていく。
しかし、もう囚人達の数もまた、幾人も……。
いや───ほとんど残っていない?!
どうにかこうにか、第一波を凌いで敵を殲滅したものの、囚人兵もかなりの被害を受けている。
クラムも馬乗りになって、魔族の兵を一人絞め殺していたものの、
「くそ! こんなんじゃ手柄になるかよ!」
下級兵らしきゴブリンの魔族兵。
どう見ても雑魚だ。リーダー格のホブゴブリンですらない……!
ガツッ! と、クラムは悔し気に地面を蹴り飛ばす。
「だ、大丈夫だ! 首を持っていけば多少は認められるはず!」
自分に言い聞かせるように囚人の一人は言っているが……どうだろうな。
この後に突入してくる近衛兵の連中が囚人の手柄など認めるとは思えない。
こういった戦争での手柄の認定は物凄く曖昧だ。
紋章官といった、手柄認定の役人が同行して初めて手柄足りえるのだ。
それがいないならば首級を上げるしかないのだが、このざまだ。
勇者の手柄にはなっても、クラムの手柄になるかどうか……。
それに、俺はまだ大物を一人も倒してない!
貧弱な槍に恐れをなして、腰が引けていたというのもあるが……ゴブリン相手に、一撃で倒せないなら反撃を受けると初撃で分かってしまったからだ。
このままではマズイ……!
クラムが焦りを募らせていた時のこと。
「お、おい! これ見ろよ!」
囚人兵が仲間に注視を促す。
そいつは、いかにも悪人然とした強面の男──。
彼は、この中の囚人兵でも異色の存在。
いわゆる根っからの犯罪者で、由緒正しき? 囚人兵だった。
囚人兵は大隊規模で集められていた。
それはつまり、囚人兵は『勇者』による被害で囚人になった者ばかりではないということ。
例にもれず、この強面のような生粋の犯罪者もいる。
確か、元盗賊だというが──……沢山いる通常の犯罪者なかの一人だ。
それにしても、そいつが言う「これ」とは?
「手伝え──おらッ……!」
強面の元盗賊の男が、ズルリとゴブリンの死体を引き起こすと───……チャリン♪ キィン……! と、澄んだ音を立てて、金貨らしきものが零れ落ちる。
な?!
こ、これは、
「──魔族の金……か?」
誰ともなく漏れた呟きに、ニッ、と元盗賊の男は笑う。
慣れた仕草で、ゴブリンから回収した金貨を懐に納め───……宣った。
お前ら聞け──!
「いい方法がある───」
と。
…………いい方法?
半信半疑のクラムと囚人兵たち。
だが、彼らは元盗賊の男の話を聞いていくうちに表情を変えていく。
……なるほど──と!
それから、僅かな時間を最大限生かして囚人兵は無茶苦茶に動き回った。
疲労も負傷も忘れたかのように、無茶苦茶にだ。
そして、近衛兵団が堀の空堀を突破して突入してくるまでの間、クラム達は残党に警戒しつつもそれぞれの獲物を手にしていた。
囚人兵達の手にあるもの。
それは首級。
手柄認定に絶対必要なものだ。
ゴブリンやオーク等の首……多数。
なかには、魔族側の将校らしきものもいくつかある。
「チ……囚人兵どもめ。なんだ? 一番槍のつもりか?」
「ハッ。まるでハイエナの如き浅ましさだ……」
ゾロゾロと魔族の陣地に侵入してくる近衛兵団。
彼らは馬首を巡らせると、クラム達と僅かに生き残った囚人兵を取り囲む。
「汚らわしい囚人兵め!」
ペッ!
わざわざ、フェイスガードをあけて唾を吐いてくる連中までいる。
「なんだと!? ここに一番に突入し占領したのは俺達だ!」
元盗賊の囚人兵が勇ましく反論する。
同調した囚人兵が そうだそうだ! と気勢をあげ追従する。
だが囚人兵ゆえ、その実、内心は怯えていた。
なんといっても、紙よりも軽い囚人兵の命だ。
エリートたる近衛兵たちのの機嫌を損ねて殺されても───誰も何も言わない気がする。
囚人兵の指揮官である『教官』も………。
もはや信用ならない。
そして、事実として挑発された近衛兵が殺気を放ち始める。
中には剣に手を掛ける兵もいる。
こ、これは不味いのでは……?!
誰もがそう思ったとき、
ザッザッザッザッザ!! と後続の野戦師団が突入してきた。
それを見て忌々しそうに舌打ちをした近衛兵たち。
覚えていろよとばかりに、クラム達を睥睨《へいげい》するが、それきり何も言わず馬首を返し去っていった。
さすがに、友軍の兵に「味方殺し」を見られるのはまずいという事か……。
それにしても危なかった──……。
決して囚人兵達が野戦師団に好かれているというわけではないが、わざわざ殺す程のことでもないのは確か。
今は間の良いタイミングで現れた野戦師団に感謝しよう。
「ふー……」
寿命が縮んだぜ、と元盗賊が漏らす。
同感だ……。
まったく──。
今日だけで、どれほどの死線を潜り抜けたのか……。
だが、生き延びた。
なんとか、生き延びた───。
「一応、生きてるな……」
ホッと息をつくクラム。
そして、生き残った僅かな囚人たちは互いに目を見合わせ、軽く頷き合わせると、無言で所属部隊へと引き返していった。
手柄を引っ提げて───……。
第17話「手柄認定」
夕暮れの近付く午後───。
戦場からは人が履け……屍肉を漁る鳥だけが喧しく鳴いていた。
クラムの所属する囚人大隊の損害は甚大。
大隊と形容するのも烏滸がましいほどに戦力を減衰していた。
もはや小隊以下に落ち込んだ兵力は、部隊としての体は成しておらず、壊滅と言って言い程のそれ。
そのため、囚人大隊は一度解体。戦力回復に努めることとなった。
しかし、囚人兵に休みなどあるはずもなく、補充兵が来るまでは後方で補助兵として勤務することが決定。
後々、王国各地から送り込まれる補充の囚人が来るまで、後方勤務をしながら待機することとなった。
ちなみに、この決定を伝えた『教官』だが、囚人たちの目を見て話すことは無かった。
実際、囚人たちはその男──『教官』に対する信頼など、すでにを微塵も持ち合わせていなかったからだ。
いずれにしても、次の補充が来るまでクラム達の僅かな生き残りはかろうじて生存を赦された形になった。
今は、それぞれの軍の下級兵として補助任務を与えられるにとどまっている。
もっとも、苛酷な任務を課せられることにかわりはない。
命の危険があるか、ないかの違いで、やることと言えば死体整理に、便所などの準備と後始末。
誰も彼もが嫌ってやらない仕事ってやつだ。
とはいえ、戦場で盾にされるよりは何万倍もマシというもの。
クラムを含めて僅かな生き残りは、当面の間しばらくは生き残れそうだ……。
なんとか、助かった────。
囚人達の思いはそれに尽きる。
そして、敵陣の掃討が終わり──。
いよいよ、待ちに待った時が来た。
そう────紋章官たちによる褒章業務が開始されたのだ。
それは公称としては平等に行われるという事で、近衛兵団や、野戦師団だけでなく、一応軍の部隊である囚人兵もその対象である。
──むしろ、それがあるからこその囚人部隊への志願なのだが……。
さて、どうなることやら──。
そうして、クラムたちがボロボロの格好で野営地に引き上げて見れば、ガヤガヤと騒がしい一角に、長い行列ができている。
それぞれ近衛兵団や野戦師団で別れた行列らしい。
キョロキョロしていると、役人らしい一団によって、クラムたち囚人兵は野戦師団の最後尾に並ばされた。
一応は野戦師団所属ということらしい。
あとは、本当に手柄を立てたかを、ここで認定するわけだ。
近衛兵や一般歩兵が、敵の首級や、鹵獲品、そして口頭にて戦果を申告している。
野戦師団に混じるのは正規兵ばかりではなく。傭兵もいる。
彼らには、その場で報奨金の支払いも行われていた。
「これが褒章場か……」
クラムの呟きを聞きつけた元盗賊の男が振り返る。
「なんだ? オメェ戦場は初めてか?」
「──まぁな」
ぶっきら棒に堪えるクラムに気を悪くした風でもなく、経験者として元盗賊の男が教えてくれた。
紋章官の後ろには、山積みになった鹵獲品があり、敵の首やら口頭申告によって戦果を確認し、それに準じた褒章を授与するらしい。
クラムたち囚人兵の場合は減刑と僅かな金子と決まっているとか。
そして───それらの支払い用の金が詰まった樽が紋章官の背後に準備されているらしい。
なるほど……シンプルだ。
それらは、全て王国の準備した物らしく、各国の中でも王国のそれは比較的恵まれているそうだ。
(どうりでな……)
正規兵ばかりでなく、チンピラ一歩手前の傭兵の姿も多数ある。
どうやら、金銭的に余裕のある王国では、傭兵もこぞって参加しているらしい。そのため部隊の規模としてはかなりに上るようだ。
そうして、こうして、──延々と待たされること数時間。
囚人兵が立ちっぱなしでフラフラになってきたころ……時間にして、夕方近くになってようやく順番が来た。
もう、ほとんどの手柄の認定は終わり、残っているのは囚人兵ばかり。
後は近くで金の計算をしている傭兵やら、手柄が認められず憤慨している兵がいるくらい。
そして、目の前には疲れ切った顔の紋章官と補助員がおり、何度も見比べた戦場の戦いの様子を描いた帳面を広げている。
「次!……あ?」
彼らは目の前に並んでいたのが囚人兵と気付かなかったのだろう。
どうやら、仕事が長引いており、うんざりした様子。
そのうちに機械的に作業をしていたらしく、小汚い恰好をした囚人兵を見て、怪訝《けげん》そうな顔をする。
鼻をヒクヒクさせているということは、どうやら囚人兵の匂いに閉口しているようだ。
だが、そんな様子にもお構いなしに、クラムたち囚人兵の先頭に立つのは、あの元盗賊だという男だ。
「──何だ貴様ら? 残念だが、……貴様らの戦闘の記録はないぞ?」
そう言って、追い払おうとする紋章官。
ウンザリした様子の補助員も呆れ顔だ。
「へへへ…ソイツはこれを見てから言ってくださいよ」
ドンドンドンッ! と、敵陣地で切り取った魔族の首を並べていく。
それもこれも恨めしげな顔をしている。中には苦痛やら、呆気に取られた様子で──最期の表情を浮かべていた。
「んんんん? なんだこれは……。お前ら──……他人の手柄を持ってきても意味はないぞ、帰れ帰れ」
シッシと追い払おうとするが、
「何言ってんですかちゃんとみてくださいよ───ほら」
そう言って、切り取った首級の口をそっと開ける。
「馬鹿を言うな、お前らの首は勇者が攻撃した─────……む?」
そして、驚き口を噤む紋章官。
並べられた首級の口を少しずつ開き……じーーーッと、確認しているようだ。
そして、
「──う、うむ……。よく見れば、こいつらは魔族の将校だな、うむ、うむ……。記録にはないが証拠がある以上間違いない」
そう言って、首を近くの籠に放り込み、背後の首の山とは別にする。
「紋章官どの?」
不思議そうな顔をする補助官に、
「何をボケッとしておる。既定の金を払ってやれ──私は上申書に記入しておく」
それだけ言うとさっさと作業に入る紋章官。
減刑につながる上申書にサラサラと名前と具体的な手柄を記入していく。
仕方なく、補助官は金の詰まった樽をあけ、チャラチャラと音を立てて革袋に移し替えると元盗賊の男に渡した。
「へへへへ……どうも、これからも骨身を惜しまず働きますよ」
ニカっと気持ち悪い笑みを浮かべるとさっさと、立ち去る。そして、背後で「ひーふーみー……」と金を数え始めた。
「次!……お前もか?」
クラムが目の前に立つと、紋章官は目をギラッと光らせ、クラムを視線で射抜く。
一瞬怯みそうになるが、
「──ああ、同じだ」
そう言って、首を並べた。
「ふむ……! 高級将校もいるな……よしよしよし、上出来だ。いいぞー。減刑は期待していい」
また首級の口を軽く指で開くと、ニヤニヤと笑う。
手柄認定はそれだけ。口頭審問もなく、無造作に首を籠に放り込むと、補助官に指示を出す。
そして、あっけないほど簡単に報奨金と上申に漕ぎつけることができた。
「次!……────」
次、
次、
次ぃ!
背後で同じようなやり取りが続く。
しかし、残りの人数からしてすぐ終わるだろう。
元囚人兵たちは、それぞれが手柄を上手く受け取っているらしい。
(上層部も腐ってやがる──)
クラムは空を仰ぎ、一人思う。
何はともあれ……今日、生き残ることができた。
それだけで十分、
「──明日へと………自由へと繋がる!」
家族と再会できる日を夢想して、クラムは──グググと金の詰まった革袋を握りしめた。
そこに、
「──よぉよぉ? 聞いたぜ~。俺は無期懲役だが……お前らは死刑なんだって?」
元盗賊の囚人兵が気安く声を掛けてくる。
さすがに無下にもできないので、
「あぁ、どっかの英雄さんのおかげでな」
ペッ! と唾を吐かんばかりに、暗に『勇者』を揶揄する。
「かー……あれか。例の評判の悪い『勇者』さんの件かー! ま、俺も今日殺されかけたから……いい気はしねぇな」
「あぁ、最低な野郎さ……!」
ギリリと歯を噛み締め、拳に力を入れる。
「ま、雲の上の人のこった……。今は大人しくしてようや」
バンバンと気安く背中を叩きつつ、豪快に笑い退ける元盗賊の囚人兵。
……友達になった覚えはないんだがな、と──呆れているものの。
「飯にしようぜ」と気安く誘われれば断る気も起きない。
やけに慣れた様子の元盗賊が先頭に立って、紋章官から報酬を受け取った残りの囚人兵達ともに、酒保へと向かう。
飯を食うならやぶさかではないとばかり全員がゾロゾロと連れ立って歩き始めた。
囚人兵にも、一応……飯も支給されるのだが、まぁ、一応ね。
当然、量も味もお察しだ。
それくらいなら、金を払ってでもしっかりと食べたほうがいい。
戦場では体が資本。むしろ囚人兵にはこれしかない。
だから、食べようじゃないか。
久しぶりに人間らしい飯をな。
ちょうど、遠征軍には移動酒保商人も同行しているらしいし、何かしら食えるだろう。
囚人兵とはいえ、軍の野営地ではかなり行動の自由が許されている。
野営地そのものが檻と言えば檻だし、足枷の付いた状態では、遠くに逃げるのは無理だ。
(……久しぶりにまともなものにあり付けそうだ)
ヨロヨロとした足取りだが、それでも囚人兵達は大地を踏みしめ──今日この日生きていることを、噛み締めながら飯にあり付く……。
第18話「闇市」
移動酒保商人にはさまざまな種類がいる。
飯に、酒、保存食の他に、菓子にコーヒーなどの嗜好品、さらにはタバコや麻薬も販売している。
また消耗品以外にも、武器防具や、その修理───なんでもござれ。
ついでに馬や、服なんかも売っている。
もっと奥まで行けば、おーおーあるわあるわ。ダークでグレーなお店がいっぱい……。
風俗として春を売る女も同行しているし、その衛生管理の医者や薬師もいる。
怪しい所では占い屋、呪術師、神父までいる始末。
そういったサービス業もあれば、普通の店をあったりと移動酒保商人の集まる一画は、不思議空間を形成していた。
例えば、通常の大店から出向している貸本屋や、代筆、洗濯、仕立て屋と、一見して軍隊と全く関わりの無さそうな店まである。
言ってみれば、まるで街が丸々移動してきたようなものだ。
そして、当然の流れとして……人と金がの集まるところには裏家業もそこについてくるわけで、いわゆる大っぴらには取引できない闇市も派生する。
そんな怪しい一角を除いてみると、まぁ──あるわあるわ。
戦利品の裏取引や……捕虜の売買、さらには怪しい肉や、雇い人の斡旋───果ては奴隷の売買まで行われていた。
だが、この「奴隷」の出所の怪しさと言ったらない……。
これまた捕虜から派生した魔族の奴隷なら──まだわかる。
人類どうしの戦争でも、身代金も取れないような捕虜なら、時には紋章官が正式に奴隷認定をして、そのまま捕虜を権利者に与えることもある。
しかし……。
時には、戦争とは関係のない場所で誘拐した者や、戦いの最中のどさくさに紛れて、敵の奴隷をそのまま商品にしたりなど──もうやりたい放題だ。
本日も、ご多分に漏れず──世界は通常運転。すなわち腐っている。
「おう、まずこっちだ」
クイクイと、元盗賊の囚人の案内をうけて、ブラックマーケットの中に足を運ぶ。
表の商店で飯を食っている時に、近衛兵にでも絡まれでもしたら厄介だというのもあるが、
「飯もそうだが、これもなんとかしないとな?」
へっへっへ…と、取り出したのは、紋章官に渡し切れなかった戦利品。
──……そう、クラムたちは、手柄認定の際に、紋章官には戦利品を渡していた。
あの時、クラムたちはせっかく手にした首級を前に途方に暮れていたのだ。
クラム達は囚人兵。当然のことながら、手柄にしても冷遇されるのは目に見えている。
命を賭して、首級をあげたとて───……通る筈がない。
しかも手元にあるのは下級兵士の首ばかり。
仮にその戦果が認められても、それだけの価値。下級兵士を渡しただけでは手柄としては少ないわけだ。
そもそも認定されるか非常怪しい。
だから、悪知恵の働く元盗賊の男が一計を案じた。
つまり──獲った魔族の首に付加価値をつけて出したわけだ。
そのままでは手柄認定されない首だが、口の中に賄賂を仕込んで渡せばあら不思議。
下級兵士の首級があっという間に大手柄。
──見事、囚人兵の手柄に変化したわけだ。
からくりは実に簡単極まりない。
バレなければ紋章官には、賄賂が丸々手に入ることになるので、基本的にはどちらにもウィンウィンの関係というわけ。
もっとも、紋章官は貴族が務めるのが普通であるため、そんなリスキーなことをするのかという疑問もあった。
だが、紋章官といえど人間であったらしい。
なるほど……大変欲望に忠実だ。
なんたって通常の戦果として認定してしまえば、囚人兵の戦利品は王国の国庫に入るだけ。紋章官にはなんの利益もない。
しかし、こっそり懐に入れてしまえば……それは、紋章官のものになるわけだ。認定外の戦利品ならバレることもないと──……聞きしに勝るほど、想像以上に腐っていやがる。
ちなみに、賄賂の出どころは、魔族の兵が持っていた金品だ。
意外なことに、魔族が物持ちなことには囚人兵も皆が驚いたもの。
かなり裕福なのか、ゴブリンであっても彼らは例外なく金銭を身に着けていた。しかも大金……。
一見、無防備過ぎる気もしたが、預ける先もない以上、戦場では持ち歩くしかないという事情も分かる。……わかるのだが、それにしても凄い額だ──人間の感性から言うとかなりの金持ちにあたる。
たまたま、あの戦場にいた魔族が金を持っていただけなのか、それとも全体的に魔族が金持ちなのかはわからない。
だが、短時間で集められる量としては結構な額を集めることができた。
戦闘で仕留めた兵や防壁の下敷きになった兵以外にも、地面に遺棄されている死体のそれからは、囚人兵達がほとんどを回収してしまった。
証拠がなければ、そもそも探そうとすら思わないだろう──というのが元盗賊の囚人兵の言い分だ。
(──まったく……随分《ずいぶん》と手慣れていやがる)
呆れ半分、関心半分───ま、そのおかげで助かったのは事実だ。
その元盗賊の男だが、闇市をまるで自分の家の様に勝手知ったる様子で、ヒョイヒョイと歩いていく。
勇者によって死刑にされた囚人兵らは勝手がわからず、必死で元盗賊についていくだけ。
そして、
「──お。ここだ、ここだ」
元盗賊の囚人兵が案内したのは、何でもない酒屋だった。
簡単な小屋掛けを作り、地面に茣蓙を敷いただけの簡易店舗。
食料は供されるらしいが、──直に座って食べるスタイルらしい。
奥は暗く、壁の代わりに樽や木箱が積み上げられいた。
チロチロと火を覗かせているのは簡易竈らしく、その竈の中と上で何かが調理されていた。
「──初めて来た場所なのに詳しいな? って言うかここ、飯屋だよな? 戦利品は、」
「しッ!」
皆まで告げさせず、元盗賊の囚人兵はクラムの口を塞ぐ。
「滅多なこと言うな!……見ろ」
クイっと、元盗賊の囚人兵が指刺す先を見ると、ソーセージが炙られているイラストの看板がある。
「飯屋だろ?」
「その下だ」
???
クラムが意味が分からず首を傾げていると、
「ったくぅ……。どこのボンボンだ、お前は? ほれ、あれだあれ。……看板の下。小さくトカゲの絵があるだろ?」
「……あぁ。それが?」
「はぁ……まったく。あれは盗賊ギルドのマークだ。世界中共通だぜ?」
へー……。
「ったくよぉ、興味ねーって顔しやがって。いいか?──こういうところで売らなければ足が付くだろうが、まったく……」
そう言って、元盗賊はさっさと中に入ってしまう。
他の囚人兵達も顔を見合わせつつ、オズオズと中についていくしかない。
入ってみれば、内部は暗く……どこか空気が籠った感じがする。だが、思ったよりも内は広く温かかった。
「……らっしゃい」
何も言わずとも、奥にいたキツネのような顔をした店主がジョッキに盛ったエールを突き出してくる。
「おう、ウォッカを人数分と、後は適当に──腹に溜まるもんを出してくれや……。あーあと、山の香辛料を頼む」
ピクリと表情筋を動かした男は、「あいよ」といって引き下がりすぐに、注文の品を出してくれた。
店内には他に客はおらず、囚人兵達は足枷をジャラジャラ鳴らしながら思い思いに座り、料理に舌鼓を打った。
暫く食事と酒を楽しんでいると、
「ダンナさん、山の香辛料は裏に在りますよ」
と、
店主が然り気無く近づき、元盗賊の囚人兵に──そう、こっそり耳打ちするのを聞いていた。
「ん、おう。飯食ったらいく」
……あーなるほど。少しわかってきたぞ。
「……山の香辛料ってのは、スラングか?」
元盗賊たちのやりとりに気付いたクラムは、それとなく聞く。
「へ……。ま、そんなとこだ。飯が終わったら裏に行くぞ」
ガハハハと笑いつつも、元盗賊の囚人兵は、たいして気負った様子もなくガツガツと飯を食っていく。
緊張しっぱなしの囚人兵は顔を見合わせるばかり。
んーむ。この元盗賊は、頼りになるんだか、ならないんだか……。
微妙に不安になりながらも、クラムは久しぶりの酒と、腹に溜まる食い物をモソモソと押し込んでいった。
そして───。
「へー……! こいつぁ、なかなかの品だね!」
キツネのような男は、囚人兵達が出した金品を鑑定していた。
小さなメガネで表面を観察したり、齧ったりして──それはもう、試つ眇めつだ。
「おーおー、こりゃ純金だ。それに細工物の宝石か!」
へへへへへと、笑いが止まらない様子で、
「いや、いいもの見たよ。魔族の連中──……いいものもってやがる。連中の技術力は半端じゃないぞ」
もしかして人類を凌駕しているんじゃないか? とまで絶賛。
その品々をすべて買い上げ、次々と対価を払っていった。
その額は、紋章官から受け取った金銭を遥かに上回るもの!
囚人兵全員が目を剥いて驚いている。
……おいおい、マジかよ───と言わざるを得ない額だった。
「へへへへ……! 旦那方、またウチを御贔屓に」
揉み手する店主に、元盗賊の囚人兵は渋い顔をしていたが、
「今は初回だからな……次はボるなよ!」
と、不機嫌に言い放つ。
「そんなことはー……」と言い訳染みたことを言っている店主を放置して、元盗賊の囚人兵はノッシノッシと店を後にした。
元盗賊の様子とは裏腹に、皆ホクホク顔だ。
さぁ、あとは、寝床に帰るだけだ。
……だけど、その前に、
「──さっきの額……あれは安いのか?」
クラムが気になって尋ねると、元盗賊からジロリと睨まれる。
……──おいおい、八つ当たりするなよ。
「くそッ。予想の半分以下だ……! ボッタクリやがって、あのキツネ野郎ぉ」
不機嫌な元盗賊の男だが、競合店が少ないから、やむを得ない……と、諦めているらしい。
それを見てもクラムたちにはぴんと来ない。
元盗賊の囚人兵は憤慨していたが、クラム達囚人兵からすれば望外の金額だ。
これで十分だとすら思っていた。
だが、
「──おめぇらは、おめでたいな……」
ハァとため息を付く元盗賊の囚人兵。
その様子に、何を言っているんだと全員が顔を見合わせるが、
「あのな? ……金さえあれば、自由になることもできるんだぞ?」
と、何気なくそういうが──。
「無理だろう?」
クラムは即座に返す。
ほかの囚人兵の方も呆れ交じりに答えれば、
「ハッ。ま、昔はそうでもなかったがな。……最近は例の勇者特別法のごり押し以来な、法律やら司法関係者も屑ばっかに入れ替わっちまったのさ。でだ……そんな状況なもんだから、わりと金で何とかなる場合もある」
ま、マジかよ。
それが本当だとすると……もしかして、かなり損をしたことになる。
しかも───自由が金で買える!?
金が「自由」に繋がるなら……あの野郎ぉぉお!!
クラムから、思わず込み上げる殺気。
それを並々と漲らせて、すぐさま先ほど店に引き返そうとする、が──。
「おいおいおいおいおい! 何考えてる! 一度買い取ったものを、ギルドがそう簡単に返すわけがないだろう!」
と、そう言って止められてしまえば……どうしようもない。
もっとも納得はしていないけどな!
その様子に元盗賊はため息交じり、
「──はぁぁ……。戦場の時から見てたがよ。お前は意外と短気だよな?」
困ったやつだ。と、頭を掻きつつ言う男に、「元盗賊に言われたくない!」と乱暴な口調で反射的に返してしまった。
「だから落ち着け……。少なくとも、いまあるだけの金でも減刑はできる。最低でも死刑は免れると思うぞ?」
と、そう言う。
言うが────……。クラムにとっては減刑ではダメなのだ。
そう、一刻も家族と再会したいクラムにとっては無罪放免しか道はない。
他の囚人も皆同じ立場……暗い顔だ。
「はー……。しみったれた連中だぜ」
あーやだやだ。
そう言って、元盗賊の囚人兵は、さっさと先に立って歩きだす。
土地勘のない囚人兵たちは仕方なく追従するが、ブラックマーケットは雑多な人込みで混雑している。
囚人兵達は足枷が邪魔になってなかなか前に進めないので皆随分苦労していた。
闇市自体は、迷うほど広いわけではないが、野営地といっても数万規模の人間がゴチャゴチャと集まっているものだから…ちょっとした街のようなものだ。
「おら、早く来いよ!」
言われて、なんとかノロノロと前に進みだす囚人兵達。
そして、ようやく追いついた時、突然横の広場が「ワッ!!」と沸き返る。
うお?!
な、なんだ……?
第19話「奴隷市場」
突然、横の広場が「ワッ」と沸き返る。
───なんだ?
「お……! 見ろよ。奴隷市場だぜ」
元盗賊の囚人兵が指し示す先。
地形を利用した天然のステージに、簡易柵や馬車に乗った檻が広場をぐるりと囲んでいる、ちょっとした市が立っていた。
「へへ……。久しぶりに若い女を見たな」
視線の先には、暗い顔をした男女が檻に入れられて下を向いている。
「あーは、なりたくないな……」と、元盗賊の囚人兵は言うが───うーむ。囚人兵も大概だと思うぞ……?
余計にドンヨリしたクラム達を尻目に、視線の先では「大金」と「人間」が熱気も顕に、やり取りされていく。
そして、次々に競売が実施されて───クラムたちの目の前で商品が売れていく……。
屈強な男は戦闘奴隷として、
痩せた男は鉱山奴隷として、
老婆は薬の実験台として高価で、
若い子供は男女問わず、性奴隷として……、
なお、男の子は鉱山奴隷や戦闘奴隷にも変更可能らしい。
そして、同じ商品でも扱いによって値段がべらぼうに違う。
「なんだ? あの婆さんや小さい子、若い娘より高いじゃないか?」
興味を覚えた別の囚人兵が、元盗賊の囚人兵に訊ねている。
「なんだなんだ? 知らないのか?」
ふふふん、と鼻高々に説明し始める元盗賊の囚人兵。
その間にも、ドンドンと奴隷は売れていく。
子供、男、女、老女、
人、人、ヒト、ひと……───。
「奴隷ってのは、基本的に国のもんだ。売買によって一時的に所有はできるが、最終的な権利は国が持つ、」
あー……。そういや、奴隷は国の財産だって、どっかで聞いたことがあるな。
「──それでだ。人間様が生きている期間に応じて、最終的な値段として売買されるわけだ。つまり、死ぬのが早い戦闘奴隷は高価になるが、死ぬ危険が少ない性奴隷は安価と……まぁ、かわりに毎年更新料が必要になるわけだがな」
そして、性奴隷、鉱山(重労働)奴隷、戦闘奴隷、酷使奴隷の順で高価になる。
とはいえ、生きている間は年度ごとの更新料も必要となり、支払いできなければ奴隷は国に返却することになる。
つまり、最終的な人間の値段はほぼ同じになるという事。
(ちなみに、奴隷が子供を生んだ場合は国が権利者になる)
性奴隷は、死ぬまでのお金を計算して比較的安く……。
薬や兵器の実験台、拷問趣味の変態のための酷使奴隷はすぐに死ぬため値段は高い……。───ということらしい。
故に、酷使奴隷の老女が高かったり(それでも寿命換算で言えば安い)、
鉱山奴隷や戦闘奴隷にされる男の子のほうが高かったり(性奴隷にすれば安くなる)、
つまり、命を天秤の乗せて、奴隷の残り寿命をお金で換算して値段が決まるというわけだ。
実に人類愛に満ちた制度。
人間の命は平等で、その価値は同じなんだよ! と、まぁそういうことらしい。
それが、この世界での奴隷売買の基準なんだとか?
まぁ、お優しい世界なこって──。
ちなみに、これを誤魔化して性奴隷として購入(この場合はレンタルに近い)した者を、酷使奴隷や戦闘奴隷として使用した場合──……購入者が厳罰に処させる。
そのうえ───仮に死んだ場合は、本来発生する代金に罰金を上乗せした額が徴収されるらしい。
故に、しっかりと使用目的に合わせた奴隷を買う必要があるのだとか?
また、純粋に労働力や家事手伝いとして雇いたい場合は生活奴隷と言って───これまた高い。
生活奴隷は、奴隷というよりも通常市民に近い扱いとなるため、市民権を与えるのが通例らしい。
そのため、一市民の権利を与えることになるので、これまた王国の財産を買うという事で酷使奴隷なみの金額が必要になる。
それくらいなら、と。
性奴隷として購入したものに家事手伝いをさせることが一般的だった。
それ自体は別に罪ではないが、最終的な扱いが問題になる。
つまり、そんな法律逃れを防ぐため──きちんと年間の更新時にちゃんと「使用」していることを証明せねばならない。
証明できない場合は奴隷の回収と、最悪の場合、違反金を取られることになる。
昔の笑い話に、こんな話がある。
奴隷の代金をケチるため、一時金逃れを画策した男がいたらしい。
生活奴隷として使っていた値段の安い女を性奴隷として購入した結果──醜女を、役人の前で抱く羽目になったとかなんとか……。
性奴隷として(当然品質により性奴隷の中でも安く購入できるわけだが)購入した場合……そういった危険もあるわけだ。
もっとも、失礼な話ではあるけどね。
とは言え、昔話の戒めは中々身につまされるものだ。
下手な代金逃れは後々大変ということ。違反した購入者は結局は自分が大変な目にあうのだから、なかなかよくできたシステムだ。
そんなこんなで、奴隷は財産──とはよく言ったものだ。
ぼんやりと、奴隷の流れる様子を見ていると、さらにさらにと奴隷が奥から追加されていく。
その様子に、会場中のボルテージも上昇していき、熱気が凄いことになってきた。
「さぁ、ドンドン売れてまいります! 今の戦闘奴隷は、金貨60枚でのお買い上げです!」
屈強な男が絶望的な顔で牢から引き出され、
金と交換で傭兵団に引き渡されている。
絶望的な顔をした男。
彼には戦闘奴隷として過酷な運命しか待っていないのだろう。
囚人兵とどっちがいいかと言われてもクラムには答えようもなかったが……。
そして、高値の交渉をまとめた司会は上機嫌に次の奴隷を紹介する。
「──さぁ、お次はぁぁーーー!!」
ダラララララララララララララ、……ダァン!
と、場を盛り上げる太鼓の音に続き──サッと、檻の垂れ幕が取り払われる。
「彼の『勇者』テンガのハレムで飼われていた、美しい少女だぁぁぁぁぁぁ!!」
え?
リ──────。
第20話「煉獄での再会」
り、
「リズ……?」
檻から引き出され、焦点の定まらぬ視線でボンヤリと虚空を眺める少女。
記憶にある姿よりも成長しており───妹に……よく似ている。
別人?
……いや、
リズ、だ。
間違いない……。
リズだ……───。
───リズ………………………。
「さぁさ、お買い得! こんな上物二度と手に入らないよ! 当初、金貨10枚から参ります」
バァン! と、太鼓を叩き値段を示す。
そのあまりの高さに会場がザワツク。
通常相場の3倍以上らしい。
確かに……。
確かに美しい。
「おいおい……。誰がガキの性奴隷にそこまで出すかよ? ま、……確かに上物ではあるが──」
客をバカにすんなよ、と元盗賊の囚人兵がせせら笑う。
それは会場の客も同じ思いだったのか、誰も手を上げない。
「いないか!? さぁさ、まだ始まったばかり、値段分の損はさせないよ!」
司会の男が何かを言っているが、クラムの耳には入っていない。
ヨロヨロと、鎖を鳴らしながらステージへと歩いていく。
嘘、だろ……?
なぁ?
なんでそんなとこにいるんだ?
リズ……。
俺の家族、リズ───。
「お、おい!」
クラムの様子に気付いた囚人兵達が、慌てて止めに入る。
しかし、人ごみに阻まれて思うように前に進まない。
「いないか!? 誰もいないか?」
確かに、『勇者』のハレムから流れた来ただけあり──かなりの美しさだ。
まだ幼さを残すそれは、十二分に今後の成長も望めるだろう。
ただ……。
そう、ただ余りにも汚い。
垢汚れに、フケまみれ。泥だか糞尿がこびりついてさえいる。
それはもう、乞食以上の汚れ──。しかも、生気のない顔色は買うものを躊躇させる。
ガリガリに痩せ……。
目は隈がくっきりと映えている。
若く美しいはずの少女だが、その瞳は暗く……、まるで地獄の底の様に沈み込んでいた。
しかし───。
それを差し引いても映える美しさ。
少女から大人へと向かう段階のアンバランスな背徳的な美を兼ね備えた───美しき少女……。
クラムの家族。
大事な姪っ子のリズ────。
たしかに、これなら……。
だが、躊躇する客も多いらしく、司会が二の足を踏んでいる。
どうする?
どうする──、と。
「さぁさいないか! いないか!? ん~~~。皆さまお悩みの様子!」
では、ご覧あれ──と、何を思ったか、司会がリズを檻から引っ張り出す様に店の者指示を出した。
すると手慣れた様子でリズを引っ張りだした男達。
「う……」
呻くリズにはお構いなしにやや乱暴な手つきで客のまえにズイズイと引き出す。
そして、
「まだまだ、使えますよ! 実際使用していたのかさえ疑わしいほどの一品です!」
そういって、男達に命じてボロきれの様な服を引っぺがさせる。
たちまちあらわになる少女の裸体。
それは……。
それは美しい肢体だ。
確かに汚れて、痩せてはいるものの、クビレとそして出るところのでた新鮮で可愛らしい少女そのものだ。
ツンと上を向く形の良い胸には、頂点にピンク色の綺麗な乳首がひっそりと咲いている。
恥丘にはほとんど毛が生えておらず、プックリト健康的に膨らむ、外気を浴びてしっとりと輝いていた。
まだ幼い少女。
美しさと可愛らしさのバランスの危うさが、たまらなく淫靡だった。
「さぁさ! どうだ! これがハレムの少女の美しさだぁっぁ!! 買わないか? 買わないかぁぁあ!?」
司会は、少女の顔に手を這わしつつ、少し疲れた表情をしたリズの幼さをよーーーく見えるように示してみせた。
「……10枚! 買うぞ!」
そこに──エェイ! とばかりに好色染みた老人が手を上げる。
「でた! そこな紳士から10枚です! さぁさ、いないか? 他にいないか!?」
10枚出すという老人の顔は引き攣ってはいるが……。なるほど、裕福そうな外観からも、出せない額ではないのだろう。
きっと老い先の短い枯人だ。
例え更新期間までの一年でも、十分に楽しめればいいという考えも明け透けに見える。
───ゲスめ。
そこを、クラムがよろよろと歩き、人々をかき分けると、
「────リズ?」
そう呟き、まるで幽鬼のようにステージに近づく。
あぁ、やっぱりだ。
リズ………。
リズがいた────。
「さぁさ、いないか? いないなら、もう決まるぞ! さぁ!」
司会の男がさらに値段を上げようと場を盛り上げようとするが、やはり高い……!
誰も彼も、欲しくないわけではないだろうが───あまりにも高い。高すぎる。
客が二の足を踏んでいる中、
「リズ……………………」
彼女の叔父────そして、囚人兵であるクラムがステージに一歩踏み入れた。
安っぽい板床がミシミシと音を立てる。
だが、クラムのあまりにも自然な歩みに誰もそれと気づかない。
「リズ……!」
なぁ?
なんでそこにいる?
……何があった?
なぁ?
ネリスは?
義母さんは……?
お前の母ちゃんや………。俺の娘のルゥナは!?
─────なぁ?
「リズぅぅぅ!」
「……ッ……!?」
虚空を見つめていたリズ。その目が──口が──少女が……。
僅かに、ほんの僅かに反応する。
焦点の合わない瞳に光が……。
「……ぁ」
───確かに、光が灯り、
「……ぉ……ん」
ほんの僅かに口が動き、クラムを見る。
「──リズ、リズ!! 俺だ! 俺だ!」
わかるよなリズ?
「クラムだ、……叔父ちゃんだぞッ!」
足がもつれて倒れるクラム。
ドサッ! ジャリぃぃいンと───盛大に鳴り響く鎖と足枷。
くそぉおお! 足枷が重い……もどかしい!
それでも!
リズの前まで、張って近づくクラム。
そして……。
「……ぉぃ……ぁん?」
リズの視線がクラムを捉える。
その瞳は濁り……───暗い闇に沈み、一見して……クラムを映してはいないが───!!
「ぉ……ぁ……あぁう」
確かに……。
そう、微かに……!
僅かに……!
瞳にクラムを映した───。
「リズ───────」
だがそこまでだった。
ステージに乗り込んで、しかも、盛大に鎖の音を鳴らして気付かれないわけがない。
「おい、なんだ?──邪魔だ、早く取り押さえろ!」
突然叫び出し、ステージに踏み込んできた男───クラムに、司会の男が気づく。
その顔は何事かと驚いていたが……存外冷静だ。
周りはと言えば、クラムの様子に会場の警備にいた男達が今さらながら動き始め、こん棒やサスマタを手に取り押さえようと近づいてきた。
「んー? あ、さてさて……えー! 金貨10枚! 金貨10枚だ!? 他にいないか? いないな!?」
さすがは闇市の奴隷市場の司会。
不測事態にも同様しないだけの肝をもっているらしい。
クラムに気付いていながら、半ば無視をする形で、司会の男は最後の最後で、何とか値段を釣り上げようとする。
しかし、
「は、離せ!! 離せごらぁぁぁ!!」
あっという間に制圧されたクラム。
だが、それで黙るはずもなく、
「リズ!!!! リズぅぅぅぅうううう!!」
司会がせっかく値段を上げようと頑張る中、その涙ぐましい努力を邪魔するのは、叫び続けるクラム。
手を伸ばし、やかましく叫ぶクラムに辟易し、うるさいな、と──! 口を塞がせようする。
だが、リズとクラムにはそんなことは関係ない……。
関係ない!!
リズは、今ようやくクラムを───。
クラムはここで初めて家族を──リズを!!
えぇい、
「取り押さえろ!」
業を煮やした増援の警備が飛び出し、わらわらクラムに取りつくと、ステージから引きずり降ろそうとする。
しかし、石に噛り付くように意地でも動かないクラム。
そこに、囚人兵達も到着し、警備の男と共にクラムを引き摺って行こうとする。
「この野郎!」
「おい! 行くぞっ」
「離れろって!」
乱暴に掴まれる肩や腕───!
だが、行ってなるものか。
離れてなるものか!!
二度と失ってたまるか!!
「がぁぁっぁぁ!! 離せぇぇぇ!!!」
リズが、
リズが!
リズがいるんだ!
「リぃぃぃぃぃぃぃぃぃズぅぅぅぅ!!!」
あああああああああああ!!!!
「金貨10枚! 金貨10枚で決───」
さ、
させるか!
「金貨15枚!!!」
クラムは懐にあった金と、
「あ! てめぇ!!」
後ろから抑え込んでいる元盗賊の囚人兵から、金の袋を奪い取り───纏めて司会の男の足元に投げた。
そいつは綺麗な放物線を描き、司会の足元に転がって行き、チャリンと言う音に反応した司会は、
「お……? 金貨……」
チラッと中身を確認した司会の男。
すると、
「出ました! 金貨15枚! 金貨15枚だぁぁ!!! いないか? 他にいないか??」
クラムの金額が通ったらしく、一気に値段の上がったリズ。
それを聞いて、金貨10枚出すといった老人は、渋い顔をして躊躇っている。
性奴隷に金貨10枚というのは、彼にとってギリギリの金額だったのだろう。
暫く黙り込み、随分考えこんでいたようだが、
「ま、他を当たるとしようかの──」
フルフルと首を振ると諦めたようだ。
「むーーー!!……いないか!? いないか!! いないな?!…………それでは、金貨15枚で決定ぇぇえ!」
────うぉぉぉぉぉぉ!!!!
猛烈な熱気と共に、会場が沸きたち───……。
リズはクラムによって、「性奴隷」として金貨15枚で落札された。
第21話「小さな帰宅」
「はぁ!? 囚人兵ぃぃ???」
リズを受け取る段階で、
奴隷市場の事務員に金額を支払い終えたとき、彼が素っ頓狂な声を上げる。
「なんだよ? 金なら払っただろう」
クラムは何でもない様に言うが、
「いやアンタねぇ……。金を払うなら、別に鬼畜野郎でも、ロリコンにでも売るがね……」
彼は言う。
「だけど、アンタらみたいな身元の不確かなものに売るのはちょっとだな……」
「なんだと!?」
奴隷の売買に置いて、特に性奴隷であるが───年間の更新料の徴収が発生する。
そのため、徴収者がその人物のところに徴収に行くわけだが、この際、身元の不確かなものの場合───徴収は著しく困難になり、最悪奴隷を持ち逃げされる可能性がある。
───奴隷は国の持ち物であり、財産である。
そのため、必ず身元が保証できる人物に売るのが条件となる。
例外としては、一括で支払われる戦闘奴隷や、酷使奴隷であるが……、基本的に性奴隷はその制約が著しく厳しい。
どうしても、終身で買いたい場合は高額な金を支払って生活奴隷にする方法があるのだが、これは市民権を与えたり、王国財産を買うという前提でもあり……、なかなか性奴隷として使うのは外聞が悪くなるのだ。
もっとも、よほどの大金持ちならそう言ったこともあるのだろうが───。
市民権を得た少女らを家に囲うというのは、中々に世間の目がよろしくないのだ。
その点、性奴隷ならば一年更新。
半死半生のボロボロにしなければ、基本何をしても良い。
それこそ、身内で姪っ子であろうとも、だ。
最悪、飽きれば一年で返却すればよいだけのこととして、比較的気軽に購入されている。
しかし、その安価で気軽な分……購入者側の制約はそれなりにハードルが高い。
高いのだが……、それなりの数が流通しているということは、しっかりと職を持ち──家があれば大抵問題ないということでもある。
性奴隷を囲うというリスクにさえ目をつぶれば、一市民でも安価で買うことができるのだ。
もっとも、その奴隷を持ち逃げしたと嫌疑を掛けられれば、担保となるのは家や財産、またはその親族にまで及ぶこともある。
故に、よほどのバカでなければ性奴隷は性奴隷として「活用」するものだ。
そして、クラムの場合はいずれにせよ───。
「家はあるといっただろう! さっきの住所だ。調べればわかる!」
「いやさ、だから調べたよ? 近くに住んでるやつも結構いたからね……でだ、」
ジロっと事務員がクラムを睨む。
「その家ってのは、随分前から空き家らしいじゃないか? 家主も……まぁなんだ?」
チラリとクラムの足枷を見る。
「なんだよ!」
「いや、まぁそれでだ──その家の家主だという事を証明できない以上だな……」
事務員としても折角高値で売れた商品をまた元に戻すというのはできるだけやりたくない様だ。
「だったら、役所に問い合わせろよ! クラム! 俺はクラム・エンバニアだ」
「だからぁ……。役所に問い合わせて……それから回答来るまでどれだけ時間がかかると思っているんだよ」
事務員のいう事は一々もっともだ。
たしかに、遠く離れた最前線と南方の王国だ。
往復でどれほどかかるのか。
そして、例え遠方であっても───事務員としては問い合わせても良かったのだ。
ただ、それが無駄骨に終わる可能性を考慮すると、軽々に頷くこともできない。
問い合わせるだけ、問い合わせて、
そんな奴は知らん……と役所に回答されれば、結局クラムに奴隷を売ることはできなくなる。
「悪いけど……今回は、」
そう言ってリズを引き戻そうとする事務員。
リズは、屈強な男に取り押さえられ奴隷市場に連れ戻されそうになる。
「くそ! そんなバカな話が──」
「───まて」
そこに一人の男が割って入る。
こいつは……。
「───てめぇ……」
成り行きを見守っていた元盗賊の囚人兵が、凄みのある声で威嚇する。
「私が身元保証人になろう」
「『教官』……!?」
クラムが鋭い目でその男──『教官』を睨む。
「へ? あんた誰だよ」
突然割って入った『教官』に事務員の男が怪訝そうな顔をする。
それに取り合わずに、『教官』男とはニ、三会話すると──。
「はぁ、まぁ、そういうことなら……おい」
それだけで納得したのか、あっけなくリズをクラムに引き渡す事務員。
屈強な男に連れられてリズがズルズルと引き摺られて、クラムに渡される。
「リズっ!!」
ガシリを抱き留めた少女は……間違いなくリズだ。
「……ぁ……」
「……リズぅぅぅ」
ぐぐぅぅと抱き留めた少女の軽さに驚くとともに、
やっと……。
やっと家族に会えた喜びに体が震える。
しかし、その再開劇の裏で囚人兵と『教官』は一触即発状態だ。
代表して元盗賊の囚人兵がズイと近づくと、
「よぅ……なんのつもりだ」
クラムとリズを尻目に、元盗賊の囚人兵は『教官』にズンズンと詰め寄っているが、彼は一切相手にしない。
囚人どもを一切無視すると、冷たい目でリズとクラムを見下ろす。
「……あんたのことは許せないが……今、この瞬間だけは感謝するよ」
「そうか……」
クラムの言葉などどうでもいいとばかりに踵を返すとどこかへ消えていく『教官』。
敵意の溢れる囚人兵の視線を受け流すとさっさと何処かへ行ってしまった。
「はい。お釣り」
ポイっと事務員の男は残った金の入った革袋をクラムに投げ渡す。
チャリっと音のするそれは随分と減っていた。
「これ……。その、すまなかったな」
クラムはリズを片手で抱きかかえ、革袋を元盗賊の囚人兵に渡す。
「……なにを、今さら……。──あーあーあーあー……。随分とまぁ、減っちまって」
本当にがっくりと言った様子でションボリする元盗賊の囚人兵。それを見て、クラムはすまない気持ちになった。
「か、必ず返す!……だから、」
「当たり前だ!───ったくぅ。……ほら、もう行くぜ?」
そう言って囚人兵達を連れ立って歩いていく。
野営地の中では囚人兵の自由も大きいが───いい加減、自分たちのキャンプ地に戻らないと、あとで何を言われたものか……。
ズンズンと歩いていく元盗賊の囚人兵を追って、囚人兵達はゾロゾロと連なり、ジャラジャラと足枷の音をたてて歩いていく。
「───帰ろう……リズ」
腕の中の少女を優しく抱き留めるとクラムは歩き出す。
リズはろくに歩けないのか、ヨロヨロとクラムに寄りかかってほぼ引き摺られるような形だ。
身体は悲しいくらいに軽い……。
囚人生活で衰えたクラムでさえ容易に支えられてしまうほど───。
一体……。一体、この子に何があったのか……?
身体を見れば、薄汚れてドロドロだ。
ただの汚れが、これまでの様々な環境のせいで肌に染みつき、……記憶にある彼女の健康的に日焼けした体に滲みこみ、……その色を暗く濃く、汚していた。
「……ぅぁ」
おまけに、鼻を衝くのは垢じみた……きつい体臭だ。
それでも……───。
「何も言わなくていい……」
その髪に鼻を寄せると──フワリと。
垢と、汗と、僅かに血の混じった匂いに──……。確かに、リズの…、家族の匂いがした。
懐かしい……。愛おしい……、それ。
「ただいま……リズ」
「ぉ……ぁ……」
あぁ……。
リズ……お前声が───。
ショックか、病気か、その両方か……リズが声を失っていることに気付くクラム。
その痛ましい姿に、思わず抱き留める手に力が籠る。
「ぉ…………」
そして、記憶の中にあるリズが成長していることに気付いた。
……これまでの時間の流れの残酷さと、その流れの果てに家族が生きて……そして成長していたこと。
それら全てに一抹の不安と安堵を覚えた。
リズは、かすかに言った。
震える唇で、言葉を紡ぎ───「叔父ちゃん」ではなく「叔父さん」といった。
その言葉だけで、彼女がクラムがいない年月にも確かに成長し……そして、クラムを記憶の中の「叔父ちゃん」ではなく、ちゃんと生きて……ともに成長した「叔父さん」と呼び、認めてくれたことに喜び、悲しくなった。
ゴメン……リズ。
待たせたね……
目をあわせると震え、潤む瞳……。
その容姿は、この子の母───おれの妹によく似ている。
だが、それとは異なる成長をしていることもまた、ミナではなく……この子が、リズというクラムの姪であり、一個人だという事に気付く。
そして、囚人に身をやつして以来初めて再開した家族。
だから、リズには……色々聞きたいこともある。
家族の事──。
ネリスや、
義母さんや、
この子の母親のことや、
ルゥナのこと……。
色々聞きたい。
聞きたい……!
聞たくて聞きたくて、仕方がない。
だが、それを堪える。
きっと、この子はギリギリの縁にいる。
絶望を経験した俺だからわかる。
そして知っている……。
だから、
だから……。
今は心穏やかに……。
ただ、
ただ再会を喜ぼう。
ただ、
ただ温もりを分かち合おう。
ただ、
ただ愛しさを感じ合おう。
ただいまリズ……───。
おかえり叔父さん……───。
よろめく人影は、野営地の喧騒など気にも留めないで、まるで一つの塊のように寄り添い溶けあっていた。
ただいま……。
おかえり……。
第22話「残り香達」
「よぉー。実際、どうすんだ? その子」
追いついた先で、元盗賊の囚人兵がゆっくりと歩き、囚人大隊のキャンプ地に向かっていく。
野営地の中にいる限り、囚人兵の行動は比較的自由だった。
それはひとえに、野営地全体が檻のようなものだからで、逃げ出したところで足枷付きでは、どこまでも行けないだろう。そう思われているからだ。
実際に、機動力のある騎馬に追跡されれば、あっという間に捕まるのは目に見えている。
それくらいなら大人しくしている方が身のためだ。
逃亡して無残に殺されるよりも、
戦って、戦って、戦って……───特赦を。無罪を勝ち取るのだ。
そうとも、どうせ死ぬなら、生き残りの可能性に賭けるのは自明の理だろう。
しかし、だ。
「───どうするって?」
クラムは言われていることの意味を、なんとなく分かっていつつも返す、
「いやさ、俺たちは囚人兵だぜ? 連れて歩くわけにはいかんだろう? それに、」
それに……、
「飯とか、ションベンとか、風呂とかよー」
──まぁ、風呂は俺たちも入ってないけどな、ガハハハハハ!
と、豪快に笑ってのける元盗賊の囚人兵。
しかし、彼の懸念することはもっともだ。
風呂は諦めるしかないとしても……───飯はどうするべきか。
比較的自由と言っても、他の兵に比べて劣悪な環境にあるのは間違いない。
まさか、奴隷を買ったから飯を二人分くれと言って──くれるはずもなし……。
かと言って、一人分のメシを二人で分け合っても、すぐに共倒れになるだろう。
それにリズの状態から見るに、一刻も早く滋養が必要だ。
ガリガリに痩せ衰えている。
さらには、目つきや、髪、肌つやから見ても、病気か───あるいは極度の疲労と栄養失調に陥っているだろう。
そうとも。誰の目にも、滋養が必要とわかる。
それがどうだ……。
囚人兵に与えられる飯と言えば、一人分でさえ、量も、滋養も、……味もない。
滋養なんて逆立ちしても見つからない──。
「なんとか……。なんとか、するさ」
とはいえ、全くあてはない。
……ないが、なんとかしなければならないだろう。
───なんとか……。
ったくよー……と、
元盗賊の囚人兵が呆れた声を出す。
「ほら! これ、持ってけ」
元盗賊の囚人兵は懐から、金の入った袋を取り出すと、銀貨を数枚、クラムに握らせた。
「これは……?」
「釣りだ。お前が払った金貨8枚と銀貨。俺のとこから抜かれた金貨7枚……銀貨でもらっても、ややこしいからよ……きっちりと金貨8枚で返してくれや」
そういって、さっさと袋を仕舞ってしまった。
「すまん……」
「いいってことよ」
貰った銀貨に感謝しつつ、
「なぜここまで?」
どうしても疑問が沸く。
元々善良な一市民ならともかく、彼は生粋の犯罪者だ。
「なぜっていうか……。まぁ、あの戦場でな──……お前がいなければ俺たちは死んでいたと思うぜ?」
その言葉に周りにいた囚人兵も、うんうんと頷いている。
「お前が覚悟を決めて前へ進めと鼓舞しなければ……皆、その場所で近衛兵どもに踏み潰されてた」
……それは、事実なのかもしれないが、
「だとしても、生き残ったのは、皆の運と……タダの偶然だろ?」
「だとしても、だ」
そう言って、
「まぁ、金のことがアレだが……感謝してるし、その礼だと思ってくれ」
なんだろうな……。
彼は──元盗賊の囚人兵は、完全に犯罪者だったのは間違いないというのに……いい奴だ。
「そうか……。すまん。かねは───金は、必ず。……必ず、返す」
「───当たり前だ! ったく……俺から借りるとかふざけんじゃねぇっ、て話だぜ」
ブツブツという元盗賊の囚人兵。しかし、そこに嘲りなどは感じられない。
「それで、旨いもんでも食わしてやんな……えーっと、」
「リズだ……」
あーそー……と、
「……その代わり、偶には俺にも貸してくれや」
……あ゛?!
「───あ゛ぁ゛ん!?」
ブワっと迸った殺気に、元盗賊の囚人兵が仰け反る。
ほんの軽い冗談か、軽口…………あるいは、ちょっとした本気もあったのかもしれないが……聞き捨てならない!
「な、なんだよ……? そういうつもりで───」
「この子は姪だ……! 俺の……俺の家族なんだ……」
あー……。
ポリポリ……───。
まずいこと言ったな~とか言って頭を掻く元盗賊の囚人兵。
「すまん───。なんていうか……ひでぇ話だな」
適当にごまかした言葉だろうが……正直同感だ。
「本当にすまん」
素直に謝る元盗賊の囚人兵。
「あ、あぁ……、俺もムキになった、……すまん」
クラムはクラムで軽口に過剰に反応し過ぎただろう。
「まぁなんだ……これでも食わしてやれや……」
詫びだ。と、懐から大きなパンをちぎって寄越し、小さな酒の小瓶や、ベーコン、果物なんかを次々に取り出し、クラムの懐に押し込んだ。
「これは?」
こんなものを買っている所は見ていない。
「そりゃあれよ。……ほれ、あの店でボラれたからな、」
釣りだよ釣り……といって、まだまだありそうな食料をチラッと見せてニヤリと笑う。
呆れた……どうやらあのキツネ男の店からくすねて来たらしい。
たしかにボラれたと憤っていたが……そりゃ捕まるわけだ。
なるほど……元盗賊か。
「すまん、いただくよ」
リズの鼻がヒクヒクと動き……食べ物の匂いに反応していた。
サラリと彼女の髪を撫でてやり、首筋に唇と落とすと囁く。
あとでな……。
撫でりこ、撫でりこ───と姪っ子の頭を撫でてやる。
リズはボンヤリとした眼でどこを見ているか分からないが……少し細められたソレは気持ちよさげに見える。
フワリと香る、姪の匂いは垢染みており、決していい匂いではなかったが……なぜか心が穏やかになる。
小さな家庭がそこにあるのだ。確かな感触として───。
(リズ───……)
随分と日が落ち、暗くなりはじめた空のもと───ジャラリジャラリと囚人兵は歩く。
ゆっくりと歩いてくれる元盗賊の囚人兵の歩幅にあわせて、野営地を歩いていく。
その先の、立地の悪い所に囚人大隊の野営地はあった。
そして、少し離れた位置にそれがある───
「おーおー、見ろよ。『勇者』殿のキャンプ地だぜ」
元盗賊の囚人兵が指し示す先、
「ケッ、豪勢なもんだぜ」
巨大な天幕が立ち離れた位置に近衛兵団の天幕が点在している。
そして、立哨する近衛兵がちらほらと、
「見ろよ───あのデカいのが『勇者』殿の寝所だってな」
勇者……。
ゆ、
『勇者』の寝所……───。
遠目にもわかるほどに、巨大な天幕。
あそこに奴が……。
ビクリとリズが震えるのが体越しに伝わる。
……?
…………リズ?
(そうか……見たくないんだな───)
『勇者』のキャンプ地が身に入らぬように体で塞ぎ覆ってやる。
いい。
──見なくてもいい……。
「胸糞悪いぜ……。見ろよ、その奥の派手な天幕が『勇者』どの御用達のハレムってやつさ」
『勇者』のハレム、
噂では、国中で見繕った女たちを、王国の後宮にある「ハレム」で囲っているとか?
女好きの『勇者』らしく、国ではやりたい放題。
それでも、寄ってくる女もいるらしく、もう訳が分からなくなっているとか。
時には、女を「手籠め」にして王国が揉み消す。
あるいは女の方から玉の輿狙ってすり寄る。そして、どっちもうまくいけば「ハレム」入り。
手籠めにされた女も、最初は訴えを起こすが国が上手く取りなして……最終的には仲良く後宮暮らし。
女にとっても悪い話ではないとか……?
クソみたいな話だが……その過程で死刑囚にされた夫や恋人も数知れず。
先の戦いで死んだ者も、そういった死刑囚たちだ。
「特にお気に入りの女を戦場まで持ち込んで、ヨロシクやってるらしいぜ……」
元盗賊の囚人兵は、ヒュッ!──と槍の穂先を『勇者』の寝所にむけ、その周囲に散らばる近衛兵を指し示す。
「見な……護衛兵の位置……随分中途半端だろ?」
「あぁ……それが?」
リズが怯えているようなので、あまりこの子の前でしたい話題ではないが……興味はある。
そう……興味が──な。
「『勇者テンガ』がヨロシクやっている最中は、兵を寝所から遠ざけてるのさ。……今も運動中なんだろうさ」
ケッ……いいご身分で、と唾を吐きつつ忌々し気に言う。
(まったくだ……)
「まー……。陽の高いうちから、お盛んなことで」
それだけ言うと、また歩き出す元盗賊の囚人兵。
……『勇者』の寝所───。
そして、
……リズが奴隷に流されるまでいたという……「ハレム」───。
クラムの頭に嫌な考えが浮かぶ。
先の戦いの前……勇者に黄色い声援を送る女の中に……───……彼女がいた気がしたのだ。
あの……愛しい人が──。
見間違いだと思うが、
見間違いであってほしいが……。
見間違いであればいい───。
第23話「素晴らしきかな愛」
「ぐぁあああ……疲れたぜぇ……!」
ドサドサっと、
囚人兵達は、キャンプ地にたどり着くと皆が一斉に地面にへたり込む。
キャンプ地と言っても、だたっ広い土地が与えられているだけで、何か特別な施設があるわけではない。
閑散とした寂しげな広場が、彼らに与えられたキャンプ地だ。
大隊規模の兵が使うため、それなりの平地が与えられているのだが……。
今や大隊は壊滅も壊滅……。現状では、小隊以下の兵力しか残っていない。
(死にも死んだものだな───)
それは──酷く寂しい景色だった。
ロクに言葉を交わしていたわけではないが、確かに数百人の男たちの息遣いがあったというのに───今はこのありさま。
その閑散とした野営地の隅ッこ。そこに、後方部隊が運んで来た天幕と寝具が無造作に置かれていた。
本来なら軍事行動に際には、野戦師団や近衛兵団なら、主力の戦闘中に後方から来た兵站部隊なんかが天幕の設営を行ってくれるのだが……。
囚人大隊にそんな気が利くことをしてくれるはずもなし。
一応、兵站部隊はついているのだが、
見ての通り、扱いは雑だ。
囚人は自分でやれ、とばかりに──寝具や天幕などが荷車で運び込まれ、そのまま放置されているだけだ。
酷い所では、わざと湿地の上でその荷物をぶちまけられたりする。
実際、いくつかの天幕は水没していた。
幸いにも、クラムの使う天幕は荷車に梱包された状態だ。
それを開梱して準備していくわけだが……。
誰もかれも疲れ切っていて、なかなか動こうとしない。
しかし、クラムは疲れた体に鞭を打って動く。
囚人兵の中にはリズをチラチラ見ているものもいるわけで……。
あまり連中の目に晒したくない。
事情を知っていたとしても……囚人だ。
例え謂われなき罪を負わされた人々が大半だとしても……長い投獄生活で心が荒み切っている───それはクラムをして、よくわかる話だった。
そのため、大慌てで天幕を準備する。
リズはリズで、ボロボロの衣服。
そのため……その───なんというか、色々見えて…………その、困る。
酷く汚れているのに、その溢れる色香がどうしても劣情を催すのだ。
彼女は姪で、クラムの実の家族だとは、頭では理解しているのだが……。
長い投獄生活と、囚人兵暮らしで溜まりに溜まったものが弾けそうになる。
……クラムでこれなのだから、他の囚人兵ならいわんや……ということ。
彼らには悪いが、警戒して警戒しすぎることはないだろう。
そのため、まずは一刻も早く天幕を設営し、彼女をその視線から隠してやりたかった。
傍から見れば、早く少女を引っ張りこみたくてウズウズしているオッサンに見えなくもないのだが……──クラムには知る由もない。
そのため、わき目もふらず天幕を準備していく。
幸いにも、天幕のサイズはもともと3~4人で使用するため比較的大きい。
リズ一人増えても困ることはない。
何より……同室の囚人兵は全て戦死していた。
そのため、彼らの寝具をそのままリズに与えても問題ないだろう。
進軍が始まればどうなるかまだ分からないが……そのへんは追々考えよう。
───今は、この瞬間をリズのために尽くす。
それだけを考えて準備していく。
主柱と支柱を起て、キャンバス地の分厚い覆い幕を被せていく。
その後は紐で引っ張りつつ、ペグで固定だ。
逃亡防止のため、天幕設営の道具さえ貧弱なものばかり、───木槌に、小さなペグ。
装備も貧弱……。
囚人兵には皮鎧と、短い折れそうな槍───それだけだ。
いかにも使い捨て、といった感じで、徹底して足枷を破壊できそうなものは与えられない。
しかし…………それでも、ギリギリの生活が可能だ。
リズも……。
そうさ、リズのことも何とかしてやれるさ。
木槌がカンカンと、小さなペグを打ち込んでいる様を、ペタンと地面に座ったリズが、虚ろな視線でボーっと見ているのが分かった。
なんとはなしに……むず痒いものを感じたが、消耗しているらしいリズに手伝わせる気はなかった。
クラム自身も疲れているうえ……天幕を一人で準備するのは酷く骨が折れたが、他の囚人兵に手伝わせると、都合そいつと同室になりかねない。
故に一人でやるわけだが、その苦労もなんのその……!
背後に感じるリズの瞳をムズ痒く──そして、温かく感じるとともに……心に満たされる多幸感のようなものがあった。
自然と緩む口に、家族と再会できた嬉しさが滲み出ている。
まだ何も、そう……何ひとつ解決していない。
何も解決していないし、
何も分からないし、
何もない……。
それでも、
それでも、だ!
リズが……。
リズに会えた。
───家族に会えた。
家族と眠り、食べ、同じ屋根の下で過ごせる……。
それだけでも、心が満たされ──嬉しくなる。
ネリスや、
義母さんや、
ミナや、
ルゥナのことも、気に掛からないわけではない──。
だけど……。
今はリズと過ごそう、
彼女に尽くそう、
愛そう、
───そう思う。
そして、完成した天幕に、リズを誘う。
ほとんど動けない彼女を抱えるようにして天幕に引き入れた。
暗い天幕の中で、何とか採光用の窓を開け僅かな明かりの中……彼女を抱き寄せ、寝具に潜り込ませる。
毛皮を縫い合わせただけの、簡素な寝具巻(寝袋みたいなもの)だが、防寒だけは問題ない。
以前使っていたであろう囚人兵の体臭が漂っているが……それに負けず劣らずリズも酷く臭う。
ツンと体臭が鼻をつくが……まぁクラムも実際は酷い匂いだろう。
洗ってやりたいところだが……今は勘弁しておくれ。
クラムも寝具に潜り込み、二つの寝具をぴったりとくっつけると、徐々にだが瞳に正気の光を取り戻していると思しきリズと正面から見つめ合う。
「おやすみ……リズ」
「……ぉ…………ぃ……」
小さく口を動かすリズ。
表情はさほど変化がないが……少なくとも怯える様子はない。
軟らかく微笑むクラムは、リズの頭を優しく撫で、懐からパンやベーコンを取り出し千切って彼女に与えてやる。
固いパンはクラムですら中々噛み切れないので、小さく小さくちぎってやり、その手に乗せる。
ベーコンも細く……細かく、食べやすいサイズに割いて与えてやる。
なんとか震える手で口に運ぶリズを見て、胸が締め付けられる思いだ。
こんな小さな子に───……。
ギリリと、思わず歯が鳴るが、その音にリズが微かに怯えを見せたため、慌てて笑顔を取り繕う。
……本当にこの子の心はギリギリなんだろう。
家族の行方を聞いてみたいが───……。
それが引き金となってはダメだ。
なにが弾みになるかわからないが……下手をすれば彼女の心は壊れる。
……一度壊れる寸前まで追い詰められたクラムにはそれが良く分かった。
──痛い程分かった。
だから、聞かないし、言わない……。
その気配も匂わせない。
リズ……。
ゆっくりお休み。
今はただゆっくりお休み……。
弱々しく咀嚼するリズの頭を撫でつつ、彼女が目を閉じ、ゆっくりと眠りに落ちるのをクラムは見続けていた。
彼女の寝息が聞こえる頃には、クラムの意識もまた……闇に沈んでいった。
お休みリズ───。
お休み叔父さん……。
第24話「同衾するのは誰」
暑い……。
きつい……。
狭い……。
───臭い……!
ううぅ───!!
寝苦しさに目を覚ますクラム。
しかし、開いた目には闇。
周囲は闇に沈みこみ……寝息と遠くに聞こえる鼾以外は無音だ。
狭苦しくて狭苦しくて……。
まるで拘束されているかのようだ。
な、
なんだ?
(この身動き取れないほどの圧迫感と、寝苦しさ……まるで───)
………………。
………。
「リズ……?」
採光用の窓から差し込む夜光に、ようやく慣れた視界。
そこに見えたのは……───。
クラムの姪っ子、リズその人。
いや、彼女は確かにクラムの隣で寝ていたので別におかしくはないのだが……───なんで、俺の寝具に!?
どうりで寝苦しいわけだ。
一人用の寝具に二人の人間が潜り込んでいるのだ。
狭いを通り越して、密着度MAXで苦しい。
スッと視線を落として彼女の顔を覗き込むと、完全に眠っている。
顔は…………頬がこけ、目が落ち窪み……その目尻は隈がくっきりと浮かんでいる。
──酷く不健康なそれだ。
また、髪はパサパサで油染みている。艶など全くない。
なにより、…………体臭が酷い。
口臭や、
汗に涎、
糞尿の匂いも含まれたそれは、どんな環境にいればそうなるのか……。
そして、垢じみた匂いは──密着した彼女から絶えず立ち上っている。
ゆっくりと上下する胸を見るに、自らの有様など気付かないくらいに深い眠りに落ちている様だ。
リズには悪いが……流石にキツイ……。
いや、臭いとかでなくて、ゴニョゴニョ……体勢が、ね。
なんたって密着度MAXです。
色々当たっちゃってます。
色々当てちゃってます。
リズは母親譲りのチッパイで──ひどく小柄ではあったが……彼女の父の遺伝も間違いなく受け継いでいるのだろう。
そのおかげか、ミナよりもやや生育が良い。
ガリガリに痩せてはいるものの、出るとこは出ており、それなりに良い体だ。あ───うん、ごめん。
別に、疚しい気持ちはないです。はい。
ただ、間が悪いことに、その、なんだ。
起きた直後の、男の生理現象でアレがあーなってこうなってます。
めっちゃ、姪っ子に押し付けているわけですが……。
何をって?
……ナニをです。
───何ぃ……!?
うん……。
───!!!
これは倫理的にまずいです!
そう、不味いわけです!
と、いうわけで───クラムは這い出そうとする。
よっこいしょ……。
「ごめんなリズ」
そう言って優しく頭を撫でてやると、僅かに口に端を緩ませる。
表情の変化には乏しいが……なにやら嬉し気に見える。
さて……。
うむ……。
こう──ズリズリと密着度MAXの状態で這い出すものですから、
色々当たっちゃって、触っちゃってます。
いや、
わざとじゃないですよ!!
──叔父さん、そういうことしません!
といいつつも、色々抜け出す過程で、ナニを思いっきりリズの体で擦ってしまって、なかなかやばい状態だ。
オパイあたりを抜け出すときは、心臓に悪い…………悪すぎる。
チラリと見ればリズは全く目覚めないが、なんとなく色っぽく見えてしまって困る。
「ぅぅ…………ん──ぁ……?」
とか、止めてくれ!
どうしても湧き上がる劣情を押し殺し、なんとか、最後まで抜け出す。
あとは、尻さえ出せばかなり楽なのだが……。
最後の最後で尻とか、いろいろ引っかかって抜け出せない。
無理やり引っ張り出した際に、ナニでリズの顔をバィィンと叩いてしまったが……───不可抗力です!
そう、不可抗力なのです!
…………。
……。
くぅぅ……ちょっとぉぉ、Myサンがのっぴきならないことになっておりますが……!!
叔父さん平常心。
美少女が横に?
……だーかーらーどうした!!
…………。
……。
ひっひっふー、ひっひっふー……。
この子は、姪!
この子は姪!
姪です!
メイーーー!!!
あ、ダメだ!
なんか余計にぃ……!
ヤバイヤバイ!!!
母ちゃんッ!
義母ちゃんを思い出すんだ!
シャラ………………──。
───って、
なんでMyサンは凄く起っきしてるねん!!
ひっひっふー、ひっひっふー……。
ミナは、ちっパイです!!
ちっパイぃぃ!
……。
…………。
うん、落ち着いた。
「悪いなリズ……」
髪をサラリと撫でてやる。
正直、一人にしてしまうのは不安だったが……。
目が覚めた以上──クラムは、どうしても確かめたい事情を思い出した。
そう、生涯において最大の天敵にして、怨敵───
「…………テンガ──」
奴の居場所……。
その場所は、そう離れた位置でもない。
元盗賊の囚人兵の言葉が頭に響く───。
やはり……。
やはり、確かめないと…………!
クラムは、荷物を置いてスゥ……と天幕を抜け出した。
外は闇に沈んでいたが、中よりはまだ明るく見える。
これなら、行動に支障はない。
後ろを振り返ると、リズは全く目覚める様子もなく眠りこけている。
……。
「ちょっと、出てくるな……」
そう言い置くと、天幕の入り口から這い出る。
そろりと抜け出た先は囚人大隊のキャンプ地で、そこは相変わらず閑散としていた。
──いくつか天幕が立っている他は静かなものだ。
そりゃそうか……。
クラムは昼間の酷い戦いを思い出す。
戦死、
戦死、
そして、圧死───。
死………………。
容赦なく、ゴミのように死んでいった男たち……。
一歩間違えれなクラムもあそこにいた。
「考えるな……。今はそうじゃないだろ───」
頭を振り、改めて周囲を見る。
大隊が使う予定の土地には……実質小隊以下の数しかいないのだ。
荷車に乗った寝具が大量に残っていた。
さらに見回せば、周囲には天幕がいくつか立っており、中からは複数の気配がする。
寝息や鼾が聞こえるところを見るに、全員眠りこけているだろう。
とはいえ、油断はできない。
リズのことをチラチラ見ていたものもいるし、何より連中は囚人だ。
その生活を知っている以上、元々が善人あったとしても……今は、どうなっているか分かったものじゃない。
幸いというか……なんというか……。
囚人兵には、明かりは与えられない。
そのため、暗くなれば全員眠っているはずだ。
あの戦いの後だ……なおのこと、皆疲れ切っているだろう。
しかし、リズに手を出そうと狙っている輩が息を潜めて機会を窺っていないとも限らない。
───今一人にするのは危険ではある……。
しかし………………。
しかし、だ───。
確かめないわけにはいかない。
あの……。
あそこにある『勇者』の寝所を───。
───そして「ハレム」を……だ。
『勇者』のハレム……奴隷商がいうところの───リズ流されたと、……以前までいたという……そこ。
そして、彼女……のこと。
ネ──────……。
…………。
……。
…………いや、そんなはずはない。
彼女がいるはずはない!
あれは……。
あれは───タダの他人の空似だ!
だから!
だからこそ確かめて、彼女が居たなんていう馬鹿げた考えを否定する。
クラムの家族の居場所。
それは、きっとここではない、どこか良いところ。
いいところに決まっている!!
それはきっとリズが知っているさ。
今、聞かなくても!
たとえ今、聞けなくても───!
彼女が心を取り戻した時……。
その日に……。
その時に……
その刹那に───リズに尋ねればよい。
きっと……。
きっと無事だし。
きっと、待っていてくれる。
きっと……。
きっと、さ。
だからさ……───違うよな?
そう言ってクラムは往く。
リズ、すまん。
少しだけ、……離れるな?
気をつけろよ。
……俺には今、お前しかいないんだ。
おまえにも今は俺しかいないんだ……!
だからッ!
もう一度囚人兵達の様子を窺うが、誰も起きているような気配はない。
仲間を疑うのは心苦しいが、油断して、リズに何かあっては事だ。
───警戒して警戒しすぎることはない。
「リズ……何かあった使えよ───」
そのため、クラムはリズの枕元に槍をおいてきた。
護身用に……と。
リズが扱えるかどうかは別にしても、牽制にはなるだろう。
本来ならクラムがそこにいればいいだけのこと──。
だけど、この今のひと時だけは許してくれ。
(……ごめんリズ。今だけなんだ)
今しかないんだ───。
明日をも知れぬ囚人兵。
補充が来るまでは、後方任務だというが……どうだかな。
信用するだけバカを見る。
だから、機会があれば逃してはならない。
そうだ……。
だから、今しかない。
───今しかないんだ!
そう決意して、クラムは囚人兵のキャンプを抜け出した。
リズも、囚人兵も、闇も……。
何も起こさぬよう……。
ジャラリ……ジャラリと、静かな足枷の音を響かせて……クラムは勇者のキャンプへと向かう。
第25話「勇者の野営地」
地形の陰に身を潜ませながら、スルスルと忍び寄っていく。
囚人兵だからといって、野営地をうろついているだけで、別に殺されるわけでもないだろうが……油断はできない。
とくに、勇者のキャンプは別だ。
近衛兵が監視していることからも分かる。
普通なら、外周に沿って監視するもの。その様ならわかるのだが……勇者のキャンプは野営地の最中にありながら、内部からの侵入を警戒して兵を立てているのだ。
───それだけでもわかる。
侵入者に弁明の機会など与える気はないのだろう。
近づくものは害なすもの……。そう言っているのだ。
少なくとも、勇者への接見を制限するためなら──彼の天幕の入り口にだけ兵を立てればよいのだ。
それをせずにキャンプ地をグルリと囲っているということは……まぁそういうことだ。
近づくにつれて全容が明らかになるキャンプ地。
そこはかなり広く───ちょっとした盆地状であり、そこだけは水捌けが良い。
そのうえ、ふきっさらしの風が入らないため、キャンプ場所の立地としては理想的だ。
おそらくあれならば、高所に兵を置けば、さらに遠くまで監視できるだろう。
しかし、意外にも高所に兵は配されておらず、盆地の底に作られた簡易柵に従って作られた陣地に「動哨」と「歩哨」を組み合わせた兵が配されてるのみ。
そして、キャンプ地内にも兵が立哨しており、外周と内周の二重の構えだった。
蟻の這い出る隙間もないように見える。だが今は草木も眠る丑三つ時───……闇がその警戒網を侵食していた。
当然闇を払うため、要所要所で篝火が多数焚かれており、闇を圧するような威圧を放っているが……。
──そこを警戒する兵もまた、人間なのだ。
昼間に聞いた通り、『勇者テンガ』が寝所で女を抱いている時は……兵を遠ざける。
まさにその通りらしく……本来あるべき警戒線をむりやり移動させられているため、内部の警戒線は歪な、形をしていた。
昼間ならそれでもよかったのだろうが……。夜の闇は、その中途半端な警戒線を侵食している。
キャンプ地の中には闇溜まりも多く、そこには兵の目が行き届かない。
本来であればその闇を避けるための兵の配置なのだが……『勇者テンガ』の油断なのだろう。
女を抱くときのみ発生するその隙───。
……好都合だった。
そしてなによりも……。
この警戒線は見た目以上に、おざなりだった。
そう。近衛兵とは言え人間。
最強と称される勇者を護衛する意味も見いだせず、その意気は下がっているらしい。
しかも、本日は戦勝の日だ。
報奨を受け取ったものも多く、見張りですら酒を飲んでいる始末だ。
篝火に照らされる兵の足元には複数の酒瓶が見られるし……外周の歩哨陣地に至っては宴会中だ。
動哨として彷徨いている連中も、酒瓶片手に千鳥足。
とても警戒しているようには見えない。
しかし、いくつかは真面目な陣地や兵もいるようで、不動の姿勢を崩さないところもある。
……だが言ってみれば、そういうところを避ければ侵入は容易だった。
盆地の特性もあり、高所にいる限り内部は丸見えだ。
侵入経路と、目的地を割り出すと──クラムは行動に出る。
不安要素はたくさんある。
偵察不足と、情報不足。そして、練度不足と覚悟の不足───おまえけに撤収時の段取り不足。極めつけは……この足枷。
───この音だけはどうしても消せないのだ。
道具があれば体に巻き付けたりもできるが……中途半端な長さの鎖のため、手で押さえながら行動というのも難しい。
(くそ……忌々しい!)
トコトンこいつは人の行動を阻害する様に作られている。
それが、この足枷というもの。
まぁそのための道具だから、ある意味正しいのだろうが……。
しかし、今この瞬間は絶好のチャンスである。
クラムは躊躇いを捨て、闇溜まりを拾うように徐々に接近していく。
そしてあっさりと外周を乗り越え内部に侵入できた。
あきれたことに、歩哨陣地は眠りこけていた。
場所によっては娼婦を連れ込んでいる陣地まである。
(くだらねぇ……)
……これで王国軍最強だというのだからお笑い草だ。
暗い笑みを浮かべながら近づくと……───内部にいる兵もやる気はゼロ。
多少の不審な音がしても確かめる気すらないようだ。
それ以上に……アレのせいか。
ここまで離れていても聞こえる情事の声───。
噂通り、『勇者』殿は女を連れ込んでいる様だ。
ならば、やはりあの豪奢な天幕は「ハレム」──女用らしい。
そして、あのデッカイ天幕は『勇者テンガ』の寝所らしい。
あぁ♡ あーーー♡───と、
激しく絡み合うあっているらしい女の声が響く。
そこに交じる男の低い声。
内部の兵をすり抜けてしまえば……もう障害は無かった。
──ドクンドクンと、心臓が高鳴る。
武器は何もないので……勇者を害することはできない。
さすがに素手であの化け物に敵《かな》うとは思えないし……今の目的は、情報収集……──いや、ただの確認。
自らに沸いた下種《げす》な考えの否定のためだ。
彼女がいるはずがない。
いるはずがないんだ……。
でもッ!
…………。
……。
──……ネリス。
君は……。
君は、今どこにいる?
チャリチャリと音を立てる足枷に、心の臓を掴まれる思いで近づいていく。
その音で今にも兵に気付かれそうで……。
天幕の先の『勇者』に気付かれそうで……───。
くそ……!
落ち着け俺…………。
場所からして、「ハレム」がやや遠い、
『勇者』の寝所はすぐ傍だ。
影絵のように浮かぶ内部の人影は、随分と激しく絡み合っているらしい。
バチュンバチュンと、肉を打つ音がここまで聞こえて来る。
「女の影」は逆に男を組み敷くように、上に跨っているらしく……激しく体を動かしていた。
男は逆に余裕そうに寝そべり、談笑交じりに……激しく動く女を詰っている様だ。
はしたない女だ、とか──。
いやらしい女だ、とか──。
昔の男が泣いているぞ、……だとか──。
それを聞いた女が、感極まった様子で、激しく喘ぎつつも、「言わないでっ」と懇願しつつもそこには悦びが交じって聞こえる。
…………。
……。
どうする?
「ハレム」にいる人物を確かめるなら───……「ハレム」の天幕を確認する方が確実だろう。
今『勇者』の寝所にいるのは一人だ。
クラムの目的からすれば「ハレム」に向かうべきだろう……。
そっちのほうが女の数は多いはずだ───。
だが、なぜだ……。
なぜ、だ……。
なぜ……。
女。
女の……。
女の声がッ!
あの『勇者の寝所』から聞こえる、女の声がぁ……!!
オンナノコエガミミカラハナレナイ───。
───……。
不意に、
……。
あの日の、情景が───。
……。
ッ───。
※ ※
「何ヤラシイ顔してるのよー!」
ぶー……と子供っぽく頬を膨らませプリプリしているMy嫁……ネリス。
結構本気で殴られた。
「めっちゃ痛いです……」
「天罰」
あらら、
機嫌を損ねたようだ。
「癒してくれよー」
むーとキスをせがむと、途端に顔を赤くしてブンブンと拒否する。
「わひゃ……! こ、こんなとこでしないでよー……みんな見てるし!」
はわわわ、と小動物チックに慌てているネリス……うん、愛おしい。
※ ※
そう、
愛おしい……。
彼女──。
ネリス……。
────……。
……。
「あぁ♡ ああーー♡♡ テンガ♡ テンガぁぁぁ♡」
女の声が絶頂に近づいていく様を……。
なぜか……なぜか、脳裏にまざまざと浮かべることができた。
その香り、
その嬌声、
その身体───!!
彼女の顔を……。
「テンガぁぁぁぁ♡♡」
……。
……あぁぁ、これは幻聴だ。
彼女を疑った俺の醜い心が聞かせる幻聴……!!!
「ははははははは、お前はいい女だよ___ぅぅ!!」
───は?
い、今。
今なんつった?
おい、
おい、
おい! ─────クソ『勇者』さんよ……!?
イマ、オレノシッテイルヒトノナマエヲヨバナカッタカ??
第26話「そこは煉獄」
──────よみがえる記憶……。
彼女の掛ける甘い声は、俺だけのものだったはず。
…………。
……。
───……ッ!!
「……おはよ」
ポッと顔を染めたネリスはいつもの如く美しく可憐だ。
これが俺の嫁なんだから、嬉しくないわけがない。
そして、お互一糸纏わぬ姿であることに気付くと、ネリスは更に顔を染める。
その仕草は一々初々しく可愛い。
「あ、あの先に行ってて……」
ボンっと、顔を真っ赤にしながらシーツで体を覆い隠すネリス。
「うん……わかった、義母さんの食事の手伝いをしてくる……コーヒー飲むよな?」
「うん!」
パァっと花が咲くような笑み。
……花のような。
華の様な。
ハナノヨウナ……。
&%’&’#$#な……。
──────。
───。
※ ※
それが……!?
……ああ?!
……ああああああ?!
「───とどめだぞ、ネリぃぃぃぃス」
「あぁ? テンガぁぁぁっっ?」
ネ・リ・ス───だと…………?
……。
ねりす。
ねりす。
Nerisu。
…………ネリス!!??
……クラムの人生が終わったあの日。
ネリスを組み敷く男と───……組み敷かれるネリスの姿とぉぉぉぉあああ?
ええあああああああおおおあああ????
その二つの光景がフラッシュバックし……。
テンガ?
テンガぁぁ??
と、ねっとりとした肉欲の混じる声を出しているソノオンナノコエが……?
ソノ──オンナガ……?
あー……。
その先の「女」がネリスだと確信し、クラムは──ジャラリジャラリと足枷を鳴らしながら『勇者』の寝所に近づいていく。
……
だが、この時点でクラムは目的を達成していた。
情報の収集、
真偽の確認、
今日の……あの酷い戦いの前に見た人影。あれが、誰であったのか……!
その確認はもう終わったと言えるだろう。
だって、
だってそうだろ??
お、俺が彼女の声を忘れるはずがない! 間違えるはずがないッッ!
ない。
ない。
ないんだ。
なにもない、
もう、
なにも残っていない。
ッ、───叔父さん、
……叔父さん!
ふと───、リズの声が耳を打った気がした。
でも、そんなはずはない。
リズは「叔父ちゃん」って、言うはずだし……今のリズはろくに話せない。
それよりも、もう……何を信じればいいんだ?
無罪を勝ち取ればと……。
「特赦《とくしゃ》」を得ればと……。
家に帰れば……と───。
全部元通りで───!!!!!
みんなで一緒に暮らす。
もう一度あの平和な日々に戻れると───……。
あの日に……か・え・れ・る──と、そう思っていた!!!!
だけど!!!!!
チャリ、チャリ、チャリと、鎖の音を立ててクラムは歩く。
『勇者』の寝所には入り口にさえ番兵はいない。
無防備そのものだ。
響く金属音に気付く者もいない。
最強の『勇者』様とやらは、ネリスに夢中だ。
ネリスはテンガに夢中だ。
ふ……。
ネリス……。
ネリス、ネリス、ネリス……。
ネぇぇリス──!!
ネ……───は、はは……!!
ははははははははははははははははははははは!!!!
ネぇぇぇぇリぃぃぃぃぃぃスぅぅ!!!
いるんだろ?
ここにいるんだろ?
会いたい、
会いたい、
会いたい、
会いたかった。
会いたかったぞぉぉぉぉ!!
ネリぃぃぃぃス!!!
ずっと、
ずっと、
ずっと、
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、
ずぅぅぅぅっと、
君を想っていた。
家族と思っていた。
皆を想っていた。
義母さんも、
ミナも、
リズも、
ルゥナも、
家族みんなのことを、想っていた!!
だからさ、……今も想っているぞぉぉぉぉぉ!!!
ネリぃぃぃぃいいス!!
さぁ帰ろう!
皆と帰ろう?
ネリス……迎えに来たよ!
チャリ、チャリ、チャリ……。
こんなところにいちゃいけない。
こんなところ……。
こんな…………?───あ?!
ああ!?
そうか、そうか、
そうだよ!!
そうだそうだそうだそうだそうだ───!
ソウダソウダ、ソウダヨナ──……!!!
姿を見るまで……もしかしたらネリスじゃないかもしれない。
ははは──。
その時は、覗いてしまった人に謝るよ。
でも、ネリスならさ…………帰ろう?
な?
それとも……あれかな?
また……。
また『勇者』に無理矢理犯されているんならさ……。
今度は、
今度こそはぶち殺してやるよ……!
今度こそは、な!
チャリ、チャリ、チャリ……!
───叔父さん!!
また、リズの幻聴が聞こえる……。
まるでそっちへ行くなと言っているかのように聞こえる───。
リズ……ゴメンな。
大丈夫───。
すぐ戻るから!
今さ……。
お前のこと、考えられないんだ。
だって、ネリスがいるんだ。……この布をめくった先に───!!
「あああああ? テンガぁ?」
「いいぞネリス! ……ん?」
ふと、『勇者』の声のトーンが変わる。
「あん? テンガ? ……どうしたの? ……何か音が」
「……鎖の音か? なんだ? おい、近衛兵!! 近づくなって言ってんだろが、いつもよぉ!」
「ったく、覗き野郎が……」と、テンガが忌々しそうにつぶやく。
そして、その声がぶつけられた先にいたクラム……──彼は、天幕の薄布をゆっくりと捲る。
今なら十分に逃げられただろう……。
そのチャンスは十二分にあった。
だが、
ネリス……。
君は……そこに……?
…………。
……。
二重になった入り口の最後の最期の一枚を捲る。
「おい、近衛兵! 誰が勝手に──」
捲った垂れ幕の先──。
一糸まとわず抱き合い、じゃれ合いながら絡み合う男女がそこに──。
『勇者テンガ』と……。
「ネリス……──」
…………。
……。
「………………くらむ……?」
ネリスが、
そこにいた。
第27話「ここも煉獄」
「あぁ!? 誰だテメェ! おい、近衛兵じゃねぇな! 誰だってんだよ!」
うるさい……。
「ネリス……帰ろう」
ワナワナと震えるネリス……。
上気し、赤くなった身体は昔と変わらず可憐で美しい。
空気には酸えた……「行為」の最中の匂いが漂っているが、ネリスの良い香りもする。
「ネリス……帰ろう」
「く、クラ…………クラ……ム」
ガクガクと顔面蒼白のネリスは、まるで幽霊でも見たかのよう……。
テンガに抱き着き、クラムの視線を避けようとする。
「? あぁ? ……ネリスの知り合いか? ……兵じゃねぇな……その、足枷───」
ジッと繋がったまま、微動だにせずテンガはクラムを観察する。
近くには剣があるが手に取る様子もない。
「……んん? あー、今日───戦場で見た顔だな?……それに……んん?」
テンガは、クラムとネリスを交互に見る。
「───……あッ! あぁぁぁ!! 思い出した。思い出したぜ!……お前ぇ……お前ぇぇえ、ネリスの昔の男じゃねぇか!!」
ニヤぁと笑うテンガは合点が言ったぜと言わんばかりに、顔を歪める。
「おいおいおい、なんだ? なんだ? なんだよ??───まさか、わざわざネリスに会いに来たのか?」
あぁ、そうだ。
そうだ。
そうだよ───!!
「%R&%$%$!!!」
舌が回らず何を叫んだのかクラムにも分からない。
「ははは? 残念だったな、見ろよ。もう、ネリスは俺のもんだ……だろ?」
再び試合再開とシャレこむテンガに、ネリスは嬌声を持って答える。
少し控えめになった気もするが、それは女の喜びに満ちたもので、何処か媚びている。
「と、いうわけだ。わ、ざ、わざッ、ここッ、までッ、来てッ、ごくろッ、うだなッ、だけッ───うぉぉネリス!」
……なんだぁ、いつもより激しいな!
と、テンガが驚くほど……二人はクラムの前で激しく試合を演じる。
「おいおいおいおい。なんだなんだ? どうした!?……まさか? おいおいまさか、昔の男の前で興奮しているのか?」
そう言うテンガは、興奮にさらにも興奮しているのか、あっという間に天辺へ登頂を迎える───。
「ふぅぅ……♪──はは! 久しぶりに満足したぜ! おい、テメェ! 気にいった───ッぜ!!」
満足した顔で……ついでだとばかりに、ブンと何かを投げつける。
それは湿ったネリスの肌着だったらしいが───その威力たるや!
「ガハッ!」
今にも飛び掛かろうとしていたクラムの腹部に直撃し、思いっきり仰け反り──吹っ飛ぶ!
下着をぶつけられただけで、ドカン!! と、一度地面にぶつかりバウンド。
そして、そのまま天幕の外へとゴロゴロと───!!
───ズザザザと、地面で体をすり激痛が襲う。
「ゲホ……げぇぇ……」
く、クソッ!!!
すばやく起き上がろうとするが、思った以上にダメージが激しく、脚に力が入らない……!
「───く、逃げなければ!」
ここまでして逃げるもの何もないのだが、クラムは痛みでようやく我に返った。
ここで、
ここで死ねば───!!
「リズが───!!」
───叔父さん!!
ようやく、リズの幻聴に耳を傾けることができた。
彼女が、あの小汚い天幕で待っている。
待っている……!
待っている───……。
家族が待っている……!
帰らなければ……。
帰らなければ───!
帰らなければッッ!!!
ちくしょう! はやく、はやく!
帰らなければ、
逃げなければ、
生きなければ、
───ああああああああああああああ!!!
愚かな自分を呪う。
なんとか体を起こすが、こんな異変に近衛兵が気付かぬはずもない。
『勇者』は兵を遠ざけてはいるものの、薄っぺらい布で女の嬌声が防げるはずもなく、かなり広範にわたっての近衛兵は聞き耳を立てていた。
その声に変化があれば、異変に気付くというもの。
酒に酔った者はともかく、そうでない者はすぐさま抜刀し、駆けつけてくる。
にわかに騒がしくなった『勇者』のキャンプ地では、あちこちで篝火が分配され、昼間のように明るくなりはじめた。
眠っていた非番の者も起き、「ハレム」の中からも女の悲鳴が響く。
どこもかしこも目覚めてしまったようだ。
「ぐぅ……」
ヨロヨロと起き上がったクラムの前に松明が近づく。
そして、それ以上に背後の天幕から───ドンドン人の気配が沸きだしてくる。
「侵入者だ!」「ここだ、出い! 出い!!」
ザザザザとあっという間に取り囲まれる。
既に全員が抜刀済み、松明によって明々と照らされたクラムに逃げ場などない。
兵以外にも、飯炊きやら非戦闘員もゾロゾロと集まる。
中には見目麗しい女たちが数人……「ハレム」の女たちだろう。
そして、
「おーおーおー、近衛兵ぉぉぉ……職務怠慢だな。コイツ中まで入ってきたぜ?」
素っ裸を隠しもせずに、ネリスを抱いたまま素手で近づくテンガ。
その様子に、何人かの近衛兵は顔面蒼白。
ネリスの眩しい肌に目を向ける余裕もないようだ。
「こいつ、囚人兵だろ? よくもまぁ、そんなのに侵入されたもんだぜ……。おい、今日の当直は……わかってるな?」
ギロっと睨まれた近衛兵は腰を抜かしている者もいる。
そして、
「し、しかし……元々の警戒線を動かせといったのはテンガ殿では!」
と、言い訳と弁明をする。
「あ? 俺が悪いのか? おーおー、言うねぇ。ほーほーほー……まぁいいや、で、───よぉ」
ズイっとかがみ込み、クラムを見下ろすテンガ。
抱かれたネリスが間近に迫り、その瑞々しい肌が目の前に──。
「ネリ……ス」
震える声で話しかけるネリスは、テンガの首に回した手に力を籠めしがみ付き、少しでもクラムから離れようとし、顔は一切見せなかった。
「へぇ……ネリス。お前、ちゃんと覚えてるじゃん? 忘れたんじゃなかったのか?」
意地悪そうに話すテンガの声に、イヤイヤをするように首を振るネリス。
「ぎゃはははははは! こりゃいい! こういう楽しみ方もあったとはなー!」
うひゃはははっは、と機嫌よさげに笑うテンガと、肌をあらわにしつつ上気したそれを隠す様にしがみ付くネリス……。
その姿は───実に醜悪だ。
「ネリス……どうし、て」
もう、ここに至ってクラムの命運は尽きただろう。
早晩、首を撥ねられて終わりだ。
友軍だからなんて言い訳は聞かない。そのための内部の警備だ。
近づけば即──死と。
貴人への接近はそう言ったものだ。
許可なき接触が許されるはずもない。
「どうしても、こうしてもあるかよ……見ての通りだ、ひゃははは」
これ見よがしにネリスを抱いたままその場でクルクルと回り出すテンガ。
それに釣られてネリスの甘い匂いと……行為の後の匂いが撒き散らされる。
混じったその匂いに胸がムカつく思い───。
ね、
「ネリぃぃぃス!!!」
叫ぶクラム──……!!
「おいおいおい、ネリスぅぅ……返事してやれよ」
それでも、彼女は首を振って答えない。
まるで、目を塞ぐように、テンガの胸に顔を埋め頑なにクラムの視線から逃れようとする。
「あーあーあー……可哀想になーお前さん。ネリスは話したくないとさ」
ゲラゲラと何がおかしいのか終始笑い続けているテンガ。その機嫌は最高潮だ。
近衛兵も、取り囲んだはいいが……どうしていいか分からず抜刀した状態で固まっている。
テンガの許可なく動くことはできない様だ。
その時……、
「……うそ、クラム……──?」
また……懐かしい声が……。
そう。懐かしい声がした。
し、た……?
した? ここで?
え?
なんで?
今の声……。
「あ……か───」
スッと近衛兵を割って少しだけ近づいた人影……。
煽情的な服を纏い、色香が最高潮まで漂う───美と魅と神秘が顕現したかのような……人。
え?
こんな、
こんな人……。
知らな──。
「アナタ……生きて……?」
スっと体を屈めるその人は、とても美しく───。
シャラララと流れる金糸の如き髪と……懐かしい、匂い。
ふと───……。
あの家の食卓が脳裏に、
「義母さん…………………………?」
声の先にいたのは、
紛れもなく、クラム・エンバニアの義母───…………シャラだった。
第28話「煉獄の底(後編)」
3人の「女」…………───。
なんだこれ……?
なんだここ……?
なんだおれ……?
なぁ。
ここは───、
───地獄か?
「いーえー! 天国よぉぉぉ」
うふふふふふふふふふふふふ、と怪しく笑うシャラ──。
あはははははははははははは、とせせら笑うミナ───。
ブルブルと肉の悦びに震える、かつての嫁ネリス───。
ぎゃははははははははははは、と『勇者テンガ』───……!
…………間違いない……ここは、地獄だ。
あはははははははははははははははははっははは!
「いやーーーーー! ひっさしぶりに楽しいぞぉぉ! おい、決めた! 決めたぞ」
ひとしきり笑った後、テンガは告げる。
「……今日の当直、来い」
と、声のトーンを急に変えて、近衛兵に向き直る。
途端にビクリと震える近衛兵の群れ……。
一人ではなく、全体があからさまに揺れた。
「聞こえねぇのか? それとも……」
ジィーと全体を見渡して、
「全員、当直だったかな?」
ヒィと、声を震わせた近衛兵たちが、すぐさま蠢き、
「こ、こいつです! 分隊長のコイツが当直長です」
「お、おい! てめぇら!!」
ドンと突き出され、クラムを思いっきり踏みながら前に押し出された近衛兵の一人。
確かに恰好はだらしなく、剣を持ってはいるが、鎧も何もつけていない。
……顔は赤く、明らかに酒に酔っていた。
テンガはその兵の肩を二、三度ポンポンと叩き、
「あー、そー……お前かぁ? ふーん…………さてと、無能はぁぁ」
死ね───、
「やめ───あびゅ」
メシリと五指を揃えて顔の中心に突き立てると……グボッと音を立てて、赤やら白やら……ピンクの何かを引き抜きポイすと捨てた。
近衛兵は、妙な悲鳴を上げたきり声を発せず───ただ、バターン! と、仰向けに倒れると、手足をバタバタさせはじめた。
───そして、……やがて息絶えた。
シン──……と、その死体を見ているのは青ざめた顔の兵士たち。
取り巻きの女たちは気にした様子もなく、眠そうな顔。
飯炊きたちや非戦闘員は、いち早く離脱していた。
そして、テンガに絡みつく、3人は陶然とした顔でテンガを見つめている。
「あふぅん♡」
艶めかしい声を立てるシャラは、チュパチュパ♡と水のような音を立てて血にまみれたテンガの指をしゃぶっていた。
その顔は蕩けんばかりで───美しく、艶めかしく……醜悪だった。
「はは、シャラぁぁぁはしたないぞ。あとで可愛がってやるか待ってな」
ニュプっとシャラの口から指を引き抜くと、糸を引くそれ……。
ヌラリと照らつく指を一舐めしてから、テンガは言う。
「でよー……思うんだわ。ロクに警備もできない無能なお前らより……───」
クイっと足を使って……血だらけのクラムの顎を持ち上げ無理やり上を向かせる。
テンガとクラムの目が合う。
すると、その瞳の奥で奴が心底楽しんでいる様がまざまざと見えた。
この男は、演技でもなんでもなく、───素でこれなのだ……!!
上を向くクラムとシャラ、そしてミナの視線のそれが絡み合う。
一人は、上気した艶のある色香を振りまく醜悪な瞳を、
一人は、過去も我子も顧みない男に媚びる醜悪な目を、
どうして……?
そんな目を……?!
「──コイツ一人に、番をさせた方がよっぽど建設的だ、ぜ!?」
そうして、そのままクラムを蹴り抜く。
凄まじい衝撃に脳が揺さぶられ、視界がブラックアウトしかける。
だが、無理やり反転させられたクラムは、ボロボロの状態で今度はあおむけにさせられると───。
「で、よぉ? なんつーかあれだ、お前───今からおれ専属の番兵に決定なー」
……………………は?
「え? ちょっと、テンガ?」
「えええ!」
シャラとミナが抗議の声を上げると、ネリスもビクリと体を震わせる。
「ぎゃはははは! そーそーそういう反応が見たいんだよ! 絶対、燃えるぜぇぇ」
そう言って交互に3人の唇を奪うテンガ、それだけで腰砕けになるシャラとミナ。
「どうよー……えー? 昔の家族や男の前でヤルってのはよぉぉ?」
楽しいぜー! と宣うテンガに、
「ふ、ざけるな……誰が、そん、な」
精一杯反抗して見せるが、
「拒否権なんてねぇよ? どーすんだ? 今すぐ死ぬか? 俺としては、それはそれで残念なんだがー……」
と言いつつも、凄まじい殺気を向けられる。
情けないことにそれをまともにぶつけられたせいで、クラムは委縮してしまう……。
だが、
「ぐ……なら───殺せ! こんな地獄を見るくらいなら、…………地獄で生きるくらいなら! 殺せぇぇぁ!!」
虚勢でもなんでもなく、心からこの醜い世界とおさらばしたくなった。
もう、何も見たくない───。
何も聞きたくない!
何も言いたくない!
だから、殺せよぉぉぉ!!
「そうか?……ま、ち~っとばかし残念だが、」
グワっと、振り上げるテンガよ足がクラムに向く───。
『勇者』ならあの足だけで、ただの凡人でしかないクラムなど一瞬で殺してしまえるのだろう。
「あばよ!」
ブンと、足が空を切る音を聞いた時───……。
「むぅぅ……──あ♡」
テンガの口をシャラが塞ぐ。
そしてミナが下半身に縋りつき絡める。
ネリスは、首に回した腕に力を籠める。
「プハッ……おいおいおい、なんだなんだ? 邪魔だぞ」
ズンと外れた足がクラムのすぐ傍に落ちる。
耳が少し切れていたが……頭も……脳みそも無事だ。
「テンガぁぁぁ……そんな汚いもの踏んじゃ、この後で楽しめないでしょぉぉ」
と、
瑞っぽさの混じる、聞くものを蕩けさせるような甘い声で囁くシャラ。
「んー……でもなぁ、コイツ言うこと聞く気ないみたいだしな」
「ふふふふ……テンガったら……忘れたの?」
キュロロ……っとその美しい碧眼を輝かせながらタイガの目を覗き込むシャラは、フー……と甘い息を吐きつつテンガの耳に口を寄せる。
「ん? あー……そっか! そういや、ネリスとコイツの───」
「ふふふ……貴方って、女の子の素性とか全然気にしないんですもの」
何を言ったのか、
突然閃いたと言わんばかりのテンガに、寄り添うシャラ……。
「よー……クラムつったか?」
「……ッ」
ギリリと歯を軋ませることで肯定する。
「……ルゥナってのはお前のガキだろ?」
ッ!!!!!!!
「───ぐ!」
思わず体を起こすクラム。
彼方此方が悲鳴を上げるが───知るかぁ!!
その怒りの先で、ネリスが益々テンガに縋りついている。
る、
「───ルゥナはどこだ!」
「お、めっちゃ反応。……いいねぇ」
ニヤっと笑ったタイガは続ける。
「ガキの身が心配なら……いう事聞けや? あ?」
そう宣いやがる……!
クラムが心配して、
気に病んで、
抱締めて、
愛している──────!!
愛して愛して愛してやまない、我が子のことを……!!!
「か、義母さん……」
こ、
こいつになにを……?
ニィィ───と口を歪めるシャラ。
確かに、命は助かったが…………!
助かったが───!
そうだ、確かに……子供のことを忘れて、激情に飲まれてしまっていたが!!!
なぁ、
なぁ、
なぁ義母さん!!
何を!?
なぁ、なんで……。
なんで、そんな楽しそうなんだよ!!
子供を……ダシにして!?
なんでそんなことをコイツに吹き込めるんだよ!
一体、なんて言ったんだよ!!!
なぁぁぁぁぁ、言えや、
「シャぁぁぁぁぁぁぁぁぁラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
このクソアマがぁぁぁ!!!
こいつが、
こいつが、
こいつが、
こいつが、あの義母さんだって!?
「……おバカな子」
クスっと笑う様。
そして、クラムにしか聞こえない嘲り…………!!
「おー効果てきめんだな。じゃーいいな? お前番兵だ。良かったなー昇格だぜー」
ヒヒヒヒヒと、笑うテンガだが、クラムはそれを突っぱねることは、もう……できない。
グググググググと、歯を食いしばる。
そして、絞り出す。
「わか……った」
起こしていた体を、ドサリと横たえ──どうにでもなれ、とばかりに投槍に答える。
「おい、聞いたな? 後はお前らで、適当に都合つけとけや?」
そう言って、近衛兵にクラムを押し付けると、
「じゃー明日から来いよ? 今日は……ハハハハハ、お前の家族で楽しむさー」
それだけ言うと、さっさと3人を連れて寝所に戻っていく。
もはや、その姿を追う気はなかったが───。
ボロボロの体で、一言だけ……。そう一言だけ。
ジッと視線を向けているシャラの意味深な視線など受け流しクラム。
糞のようになり下がった女のことなど知らん!
今は一言──!
そうだ……! これだけは、あの、もう一人の肉親に聞かなければ……。
そう、どうしてもこれだけは!
「ミナ。…………リズに何をしたんだ?」
これだけは聞かないと、───。
テンガにしな垂れかかっていたミナが、ピクリと反応し、その恰好のまま硬直して、
「──────…………知らないわ」
そっけなく言ったきり、クラムを見もしないで去っていった。
そして、影絵になった天幕でベッドに放り投げられた3人の女。
そこにテンガの影がむしゃぶりついている様が明々と照らし出されていた。
すぐに響きだす嬌声に、誰もが顔を背ける。
「ハレム」の女たちは呆れた様に自分達の天幕へ帰って行き。
残されたのは、クラムと近衛兵たち。
「立て!」
衛兵に、グイッっと乱暴に引き起される。
そのまま無造作に近衛兵たちの天幕へと連行されていくクラム。
その目はどこまでもどこまでも暗く濁り…………なにも写さない。
そして怒りは───?
そいつはもう、…………もはやどこに向かっていくのかもわからない。
さっきまで、クラムを突き動かしていた衝動は、テンガ一人にだけ向けられていた怒り。
だがその矛先は、もはやどこに向ければいいのか───……。
拡散する怒りは絶望に染まり、向けるべき対象は誰なのか。
そして、
それは…………───いま、どこに?
……そして、誰に向ければいい───?
勇者の寝所では、3人の嬌声と一人の狂ったような笑い声が響き渡っていた。
第29話「世界は美しくも残酷で」
クラムは、傷だらけの体を引きづるようにして囚人大隊へのキャンプに向かっていた。
それは連行でも、放逐でもない。
ただの帰隊だ。
よろよろと歩む足には、いまだ足枷がついており、身分は囚人のまま。
勇者の寝所専属の番兵の話はどうなったのだろうか?
クラムはキャンプに向かう短い距離を歩きながら、先ほどのやり取りを思い出す。
※
近衛兵に乱暴に引き立てられて、向かった天幕の先、
酸えた匂いのする天幕では、散らばった酒瓶に交じり、女性の下着が放置され──端っこには戦利品として誘拐されたのであろう、少女の死体が転がっていた。
魔族から解放された村落では、こうして戦利品を漁るのが当たり前のようだ。
解放された村落には、「魔族」がいたらしく……───この少女も「魔族」なのだろう、か?
…………そんなわけはない。
その───奴隷市場でも見たが……売られている人々や、捕虜は……どう見ても人間だ。
彼らは、恐らく元の住民だろう。
あれが魔族のはずがない……。
どうやら北進する軍の所業は熾烈を極めているらしい。
軍の予想と違ったのは、魔族の支配地域を占領後に残置されていた大量の元住民達だった。
とっくに、魔族によって殺し尽くされたと思われていたが、そのほとんどは無傷。
いつも通りの生活を謳歌していたという。
予想とは違ったものの、無防備な民がいれば軍のやることなど……───。
解放したのは土地と金持ちのみ……土着の民は、魔族に殺されつくしたと結論。
……残っていたのは、当然魔族というわけだ。
なんでも理由はいい。適当に、入植した魔族だという理屈をつけたのだ。
暴論には違いないが、こうでもして略奪を繰り返さねば軍の士気は上がらないのだろう。
結果、この地域の住民は軍に蹂躙されることとなった。
この、オモチャにされたであろう哀れな少女もまた───……。
く…………。
その死体がリズの姿と重なり胸が痛んだ。
だが、クラムにできることなど何もない。
そうして、死体に目を背け、近衛兵に言われるがまま床に転がされたのだが……。
「しつこい男だな」
どこか聞き覚えのある声。
こ、この声……───。
近衛兵団の団長だという男───イッパ・ナルグーかそこにいた。
(こいつ…………!)
どうやら、クラムのことを覚えているらしい。
あの日、勇者の言う通りにクラムを痛めつけ、一方的に決めつけた理由で俺を捕らえた男だ。
「まったく……。悪運だけは強いらしい」
まぁ、いい。と───イッパは完結に説明して見せた。
クラムのような反抗的な者が一人二人いたところで、脅威たらん、と思っているのだろう。
「『勇者』の我が儘はいつものこと、でお前の処遇だが───」
曰く、
「『勇者』の言うことは絶対。なので、今後クラムは寝所番として勤務せよ、と」
曰く、
「囚人から、名目上の臨時措置のため今後の身分を保証するものではない、と」
つまりは、
「どうせ『勇者』は途中で飽きるだろうから、それまでは生かしておいてやる、と」
そういうことらしい……。
「後は知らん。適当にやればいいさ───」
投槍な様子で言うと、イッパは酒を飲み始め死体を足で弄るのみ。
もうクラムに興味を払っていなかった。
シッシと、虫でも払うようにして、それだけわかったら出ていけと、あっけなく追い出された。
どうやら、見張りには話が通っているらしく、クラムがキャンプ地の柵に設けられた通用門に近づいても、鼻を鳴らすだけで特に何も言わず通してくれた。
明日からは、『勇者』が起きている限り、番兵として寝所の外へ配置されることになった。
自由時間はなし。
『勇者』が眠るまでは、ずっと勤務時間だ。
勇者テンガは、おおよそで深夜まで起きているらしく、朝は遅い。
ただ、深夜もそうだし、朝方も女とよろしくヤルため、その時間には外に立っていなければならないらしい。
そして、日中も……いつおっぱじめるかわからないので、常に寝所で待機することになると───そういった無茶苦茶な勤務だ。
唯一取れる時間は、深夜から早朝までの短い時間と、時には勇者が遠出する時などの、明らかに不在のときのみだ。
それ以外は、『勇者』の女遊びの刺激増進のために……案山子になれということらしい。
クソったれ……!
唯一の救いは……長時間の配置ゆえ、飯があたることだろうか。
囚人大隊の薄い飯ではなく。近衛兵達が食べている豪華な飯───の残飯だ。
それでも、
それでも───!
ないよりはマシで…………栄養価も高い!
今のクラムには喉から手が出るほど欲しいものでもあった。
金もあるにはあるが、わずか数枚の銀貨のみで使ってしまえばもう後はない。
元盗賊の囚人兵も早々面倒は見てくれないだろう。
基本的に、囚人兵というのは、自分のことで手一杯なのだ。
それに、下手に隙を見せればリズがどんな目に合うかわからない。
クラム不在間の彼女の身柄だけが心残りだが……こればかりはどうしようもない。
囚人兵の理性に期待するしかないが……かなり厳しい状況だ。
「はぁ……」
それでも、なんとかするしかない……。
そう、なんとか生き延びることができた。
だが───クラムの心中はグチャグチャだ……。
何かの拍子に首をくくりたくなりそうで、どうしようもない。
正直───……怒りや憤りや悲しみや、絶望を感じていたが──今となってはもう、戸惑いしかない。
一周回って、もうワケが分からなくなっていた。
あの優しい義母に向けられた嘲りと、
妹に向けられた無関心さと軽蔑のそれ……。
そして、ネリスのあの態度……!
どう見ても肉欲に溺れる「女」で、クラムを顧みることもなかった。
一見すれば、罪悪感で顔を見れないのではないかとも考えたが……あの愉悦の声は単純な言葉では説明できない。
ましてや───ルゥナのことはどう説明するというのか。
今も彼女の姿は見ていない。
さすがに、『勇者』もまだまだ幼いはずのルゥナに、食指を向けているとは思えないが……リズのあり様を見ると……。
くそ!
……自分の女の子供だからと言って甘いわけではないようだ。
ルゥナが無事だといいのだが……。
リズがあの「ハレム」から流されたというのなら……ルゥナもあそこにいるのだろうか……。
母の爛れた姿を見ながら日々を過ごしているのだろうか?
ゾッとする……。
リズといい、ルゥナといい。
子供のいていい環境じゃない。
そして、リズのこと……。
彼女は、
そう…………リズの有り様は、まるでゴミ扱いとしか───。
ミナもあの様子から見るに、リズのことは知っているに違いない。
あれほど仲の良かった親子だったはずなのに……娘が奴隷として売られていて何も感じないのか!?
俺の妹は───ミナはそんな薄情な人間だっただろうか?
一体……。いったい何があったんだ?!
シャラも、あんな表情をする人だったか?
美しく、まるで少女のような外見だが……彼女は紛れもなくクラムの義母だったはず。
幼少から育て、慈しんでくれていたはず……。
それが、
それが、
それが───!!
なんて顔をするんだよ。
「くそぉぉ!」
誰に向けるでもない毒を空に吐きつつ、叫んだ先には───囚人大隊のキャンプ地だ。
そこは暗く、酷く疲れた雰囲気が漂っていた。
そう……まだまだ夜は続き──、周囲は完全に暗い闇に沈んでいる。
そこを、ジリジリと歩くクラム。
天幕までの短い距離を、絶望と憎悪と寂寥と無力と……残酷なまでの現実に身を焦がしながら歩く───。
なにもかもが、わからないことだらけ……。
理不尽なことだらけ……。
クソのような出来事だらけ……。
あぁ、
なんて世界だ───……。
こんな世界……滅びちまえ─────。
第30話「最後の残照」
囚人大隊のキャンプ地は闇に沈んでおり、まだ起きだしている者は誰もいないようだ。
暗く沈んだキャンプ地は、クラムが出て行った時と変わらない。
鼾やら、寝息が盛大に聞こえるのみで、広場の規模に比して数の少ない天幕が寂しげなだけだ……。
リズ───無事だよな?
一度は、激情に飲まれて顧みることすらしなかったのに、我ながら虫のいい話だ。
だが、心配する気持ちは本気───。
焦りの気持ちを隠すことも出来ずに荒々しく天幕の覆いを跳ねあげる。
スルリと天幕に潜り込めば、あの人間の出す、垢臭~い匂いが鼻を突いた。
人の気配もある─────が、寝具にはだれもいない。
…………?
り、リズ!?
姿の見えない姪に、いやな汗がブワっと溢れ出す。
ど、どこだ!
「リ───」
声を出そうとしたクラムのすぐ近くで気配が膨らむ。
その気配は剣呑な気配を保っており、手には得物が…………───俺の槍!?
ビュっと突き出されたそれを辛うじて躱す。
だ、だれだ!
外よりも暗い天幕の中では相手の正体はわからない。
まさか、『勇者』の手先や、近衛兵がさっきの事態を収めるために俺を暗殺しようというんじゃ───?!
カランと落ちる槍に……。
不意にドカリと腰に抱き着く人の気配……──。
「リズ……」
姪が…………リズがそこにいた。
震える目は、クラムを捉えて離さない。
グググ、と込められる力は悲しいくらい弱々しかった。
「ごめん……リズ」
ポンと頭に手を置き謝罪するクラム。
彼女のことを何も考えていなかった。
一時くらいは、頭の片隅にあったが……。
『勇者』憎しと、家族の裏切りともいえる現場に遭遇し──彼女の今後の在り方なんて全く考えてもいなかった。
俺はバカだ……。
「ごめん、ごめんな……」
リズの背中に手をまわし、優しく抱きしめる。
そして、ゆっくりと抱き上げた。
やはり……悲しいくらい──軽い。
「怖かったよな……寂しかったよな……──腹が立ったよなぁぁぁ……」
ボロボロと涙を流し、自分の境遇に、リズのそれが重なる。
わかる……。
わかるよ……。
義母さんや、ネリスや、お前の母さんと違って───!!
お前は、
……リズは、リズは俺を待っていてくれた。
きっと……彼女は「ハレム」で飼われていたのだろう。
『勇者』の相手をするべく……。
実際に相手をしたかどうかはわからない。
知らない。知りたくもないし。知る気もない。
聞きたくないし、聞く気もない。
───どうでもいい……!
大事なことは……リズがあの三人の中にいなかったことだ。
もし、何かが違っていれば……。
あそこには、リズも含めて四人だったのかもしれない。
あの『勇者』のことだ。
リズに目を付けないはずがない。
最近になって奴隷市場に流されたというなら……ほんの最近までリズは飼われていたということ。
それは、『勇者』が飽きたか……手を出すのをやめたか、いずれにせよ……あの媚びる女たちのようには……リズはなっていなかった。
クラムに、嘲るような目や、蔑んだ目や、男に媚びて目を合わせないような───そんな卑怯な真似はしなかった。
リズは……最後まで、そして今も俺の家族だった。
「ありがとう、リズ」
ありがとう───。
抱きしめ、寝具に入れてやり、その髪を撫でつつ───……額にキスを落とし込む。
垢の匂いが鼻孔の奥に流れ込んできたが……不思議と落ち着くものだった。
ありがとう……。
ありがとう、リズ───。
「……ぁ……ぅ」
その濁り切った瞳にも、僅かに……人の温かさの通った光を取り戻しながらリズがクラムの首筋に顔を埋める。
声にならない声で泣き……そして、眠った。
おやすみリズ……。
───リズ、今度は……今度は、君が起きるまでこのままでいるよ───。
今度こそは、──もう……!
家族を見捨てない。
家族のために今だけは、生きるよ───。
リズ……。
リズ……。
お前がいてくれてよかった……。
一度は、リズのことなど知らんとばかりに、『勇者』に歯向かったが……。
あぁそうとも、あれは軽率だった。
すまない。
だが、これからも機会があれば───……ッ!
奴は殺してやるつもりだ。
その時はリズ───。
ゴメン。
俺を詰ってくれてもいい。
殺してくれてもいい。
勇者に殺されたとしても、最後はお前に殺されるから、さ。
『勇者』を憎むのだけは───自由にさせてくれ。
それ以外は、俺の全てはお前にやる。
血も肉も、心も体も……全部お前にやる───。
そして、お前に尽くそう……。
だから──……。
だから、
一個だけ我儘を聞いてくれ───!
俺は……。
俺は勇者を──────殺す……!
絶対に、だ。
……絶対に───。
クラムは───特赦を得て、自由になり、そして家族を探し……。
『勇者』を忘れて、どこかの田舎で誰も知らないところで───家族ともう一度暮らすという小さな望みを……。
今日、捨てた。
クラムの家族は……今や、リズのみ。
あとは行方の知れないルゥナと、「女」として家族を捨てた3人のみ───。
今の、あの3人は……もはや家族ではない。
『勇者』の「女」だ。
……女だ。
ギリリリリリと歯を鳴らしながらも……。
顔の近くで穏やかな寝息を立てるリズの香りに───クラムもいつしか眠りに落ちた……。
明日から彼は、
───勇者の寝所番だ。
その年──第2次「北伐」が始まった年は、酷い凶作が続き、人々が飢えに飢えた年だという。
しかし、それはまだ恐ろしい飢餓の幕あけであった。
人類史上はじまって以来の大飢饉……。
それが全世界で同時多発的に発生し、南北問わずを世界中を襲ったという───……。
おまけに折に始まり、大失敗した「北伐」により、世界の農村部は荒れに荒れ、食料自給率は危険なまでに低下。
各国は戦争準備にために国民を動員し、「北伐」軍を編成していたのだ。
──あらゆる食料を前線へ。あらゆる人員を前線へ。
残った人々にも重税が課せられ、さらには糧秣の供出を求められたため、農村部ではたちまち食糧難に陥った。
その結果──世界は滅びの危機に瀕していた。
末期を迎えた国家は、
──反乱、
──隠蔽、
──賄賂、
ありとあらゆる不正が蔓延り、滅びに拍車をかけていく。
辻々に転がる餓死者と凍死者。そして、それらを食らう人々で地獄の様相を呈している。
逞しい人々は、あらゆる手段で滅びを回避する村もあったが───大半は逃散《ちょうさん》を選び、それ良しとしない村はまるごと野盗化した。
そして、明日の生死をも知れない村人が多数発生。
あとは泥沼だ……。
野盗を追うために徴兵、徴発。
それに反発した村が反乱、野盗化……。
そのサイクルを何度も繰り返し、国も民も疲れ果てていた。
国も座して見ていたわけではないが、少しでも豊かな国があれば人々は流れ、あっという間に難民化する。
そして、各国はその対策に追われていたという。
しかし、そんななかでも「北伐」は強行された。
事情はやはり食糧難にある。
北部の大地からジワジワと人類の領域を侵食している魔族のため、いくつかの穀倉地帯がその手に落ちていることも凶作の原因であると考えられているのだ。
なんとしてでも、魔族を駆逐し───人類を救う。
その目的のために第二次「北伐」は行われた。
文明と文化の衝突から、……生存闘争へと──戦いの在り方は変わりつつあった。
南方の国々からも兵が掻き集められ、前線となる国家に援軍として参戦。
そして、主攻撃となる中央突破の大部隊は『勇者テンガ』を先頭とした王国軍の近衛兵団と、臨時編成の「野戦師団」を持って行われた。
全世界、人類文化圏から同時に全戦線での攻撃を開始だ。
一見して人類軍の総攻撃に見える攻撃。
だが、これはあくまでも助攻撃。
目的は一つ───魔族の攻撃を誘引分散し、主攻撃の『勇者テンガ』をもって失地の奪還を目指すのだ。
そして、戦線を突破し、一気に魔族の首都エーベルンシュタットを強襲、魔族にとって象徴たる『魔王』を討つ作戦に出た。
もっとも、誰がどうみても───ただのごり押し。
だが、それを可能とするだけの実力を『勇者テンガ』は持っていると判断され、各国とも第二次「北伐」に乗り出した。
満を持して───。
第二次「北伐」開始
そして、主攻撃となる王国軍の兵の中に、あのクラム・エンバニアの姿はあった。
粗末な鎧と古びた短槍一本携え──彼は数週間の訓練を経て、戦場にたつ。
そう、
たったの数週間の訓練で戦場に立つ!!
元はタダの鍛冶見習い。
エルフの血は薄く魔術も使えない。
それでもクラムはいた。
いたのだ……。
戦争で手柄を立て、特赦を得るために。
理不尽と戦うために───!
ジャラリ……ジャラリ……と、鎖付きの鉄球を引き摺る『囚人《プリズナーズ》大隊《・バタリオン》』の一歩兵として、だ。
長い、
長い隊列。
王国からずっと伸びる隊列の中にクラムはおり、黙々と歩いている。
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッ!!
ジャラリ……ジャラリ……ジャラリ……!!
異なる足音の響く、歪な隊列は延びに延びていた。
それを監視するかのように様相の違う兵が、いかにもみすぼらしい兵隊をみて言う。
「け……! 栄えある、我が近衛兵団の側面に配置されたのが、何で囚人どもなんだ?」
忌々しいとばかり……。
彼ら近衛兵団の下っ端歩兵は、反吐を吐きつつ──辛気臭い顔で足枷についた鉄球を引き摺る囚人兵を睥睨した。
「あー……! そりゃあれだ。一番接敵が多い我々にためのな。いわば尖兵の……盾だよ」
「盾?……あーー!! なるほど、どーりで!」
ようやく合点が言ったという様子の近衛兵は、一転して憐れむ目を囚人兵に向ける。
「戦闘開始と同時に、一番前に並べて……突撃ー! て、やつか?」
「そーそー……戦闘の風向きが悪くなれば置いてきぼり、勝ちそうな時は後方から重装騎兵が敵味方関係なく押し潰す。そん時の盾だよ、こいつらは」
「ひでぇ、話じゃねぇか……ゲハハハ!」
ちっとも酷く感じない雰囲気で、ゲラゲラ笑う兵達。
むろん聞こえている囚人兵もたくさんいるし、近衛兵も殊更聞こえるように言っていた。
──お前等は捨て石だ、と。
特赦なんてのは体のいいお話でしかない。
実際の生存率がどれほどかなんてものは誰も聞いたことがないし、聞くまでもないと分かる。
ただ……。全滅してもおかしくはない、とだけは分かる。
……勝っても負けても、生き残りが困難なのが──囚人部隊の宿命だろう。
クラムも暗~い顔で、歩き続けた。
牢を出られたのは良かったのだが……。今にして思えば牢で刑死するか、敵か味方に殺されて戦死するかだけの違いしかないように思う。
だが、逃げることは能わない。
足枷もそうだが、行軍中はさらに拘束が厳しくなる。
見ればわかると思うが、クラムたちの間には長い紐が垂れている、どうやらそれが囚人同士を紐で繋《つな》いでいるらしい。
止まることも倒れることもできない。
ただただ、将校の指示に従って歩き続けるのみ。
支給されたのは短い槍と、皮鎧だけ。
槍もボロボロで、激しく扱えば折れてしまうかもしれない。
耐久性はなし。一度でも刺突すればそれで終わりといった感じだ。
いや……。実際そうなんだろう。
囚人兵の命も、一度の刺突まで……そう考えられているのだ。
クソ!
負けるものか!
特赦だ!
手柄を立てて無罪を勝ち取る!!
そして、家族の元へ……。
なんとしてでも、彼女らの行方を───!
第12話「家族の絆」
あの日。牢獄で囚人兵にならないかと唆されてから幾数日。
クラムはその他多数の囚人たちとともに、王国の練兵所に送り込まれていた。
さすがにド素人を戦場に立たせるわけにもいかないという事で、囚人兵としての募兵に当たり、なんとか、志願が認められたクラム達は、王国内の練兵所で数週間の訓練を受けたわけだが……。
簡易寝床のある宿舎と練兵所を往復するだけの日々。
その途中で────。
「これが王都?」
久しぶりに見る娑婆の様子は、随分と様変わりしていた。
勇者召喚に成功した王国は、各国の中でも特別重視され、国家としての位は最上位に上り詰めていた。
優秀な人材も集中し、さらには魔王軍や飢饉からの庇護を求めて傘下に入る国も多数に昇り、経済は好景気に沸きに沸いた。
さらには『勇者テンガ』の持つ、この世界にない優れた知識は、国のあらゆる分野で活用されており、『勇者テンガ』は国家に貢献した英雄と持て囃《はや》されている始末。
……あの強姦野郎が、だ。
くそっ…! 忌々しいッ。
「…………」
それにしても……。
牢から出されて練兵場への移送途中、クラムたち囚人兵は目も眩むような思いでその光景を見ていた。
囚人兵ゆえ、自由は少なかったが、街中の移動であったので、その変化をまざまざとみることができた。
あちこちに貼られる『勇者テンガ』の肖像画に、銅像、石像───タイル張り、何でもござれだ……!
テンガ、テンガ、てんてんがー……だとさ。
もちろん、多少は不穏な噂もある。
まぁ主に、婦女子関連のソレだが、王国では上手くもみ消しているのか、それほど表に出ているわけではない。
それどころか、勇者のイケメンがゆえの甘いマスクと、強さ、賢さ、富、名誉……そして権力のおかげで人気の絶頂だ。
魔王討伐の暁には、国王位もあり得る──な~んて言う話もある。
現国王がどこまで本気かは知らないが、実子である王太子らは、現状──王位継承権を停止されているらしい。
はく奪ではなく「停止」らしいが、……テンガの国王就任の準備ではないかという──その噂は留まることを知らない。
実際、王女は既にテンガと男女の中だとか? いわゆる、公然の秘密らしい。
……ケッ!──お盛んなこって!
英雄色を好むとして、そのへんのスキャンダラスな話は寧ろ酒の肴程度にしか考えられていない。
最初の頃こそ、良い噂ではなかったが、王国の情報操作とダメージコントロールが実に巧妙なのだろう。最近では女の方からすり寄っていくとか?
自分からテンガにすり寄る女もいる、と。
いわゆる玉の輿《こし》狙いらしく、実際に念願が叶った女も大量にいるんだと──。
もちろん全員がそうではない。たま~に、テンガに体を許さない貞操観念の強い女性がいたり、中には無理やり迫られたというものもあるにはあるらしいが──。
なんらかの被害を受けたと噂された女性たちも、十分な補償を受けたり、ハレムに迎え入れられ王城の後宮に住むようになっているなんて言う話もある。
「……色狂いめ」
本当に嫌な話だ。
そして、クラム同様に勇者の横暴を咎めようとして逮捕拘束されたものは数知れず。
それもほぼ裁判なしの死刑コースだという。
裁判ありというのは非常に珍しく、……クラムの例はかなり特殊だったようだ。
というのも、当時の王国の上部では『勇者』の倫理感についてあまり真剣に考えられていなかったらしい。
そして、突如として世界の命運を背負わされた『勇者』の心のケアのために、特別な権利を与えただけだ。
今さら驚く事でもないが、当時は、まさか『勇者』が権利を盾に横暴を働くとは考えもしていなかったらしい。
故に、『勇者特別法』なるものがあったのだが……。それが完全に裏目に出た形だ。
内容としては、
端的に言えば──勇者の権利を大幅に認めるものであった。……ただし、そこには「但し書き」が明記されていた。
それは、勇者の権利を認めるが、「但し個人の生命、財産、名誉に関わらないこととする」───というものだ。
要するに、自分が勇者に襲われたりして……反撃しても『勇者特別法』に抵触しないというものだった。
しかし、横暴に過ぎる『勇者』は留まることを知らず。
『勇者』に対する訴えの件数が通常のソレを大きく上回ることになった。
それがために──王国側では一計を案じた。
そう────「いっそ好きにさせては?」、と。
それがそのまま、国王への意見具申へと通り、──件の但し書きは削除……。
これにより、勇者は正真正銘何をしてもいいと決まった。
……決まってしまったのだ。
ちなみに、その法律の後押しをしたのが、当時の審問院最高責任者で、あの時のデブ裁判長「ブーダス・コーベン」その人らしい。
そして、
法律改正の意見書を強引に国王へと提出したのが、当時軍部最高位にいた近衛兵団長「イッパ・ナグルー」であったと……。
そうとも、なんのことはない。
当時のクラムは特別法庇護下にあるにも関わらず裁かれ───ブーダスとイッパによって死刑一号とされたらしい。
いわば連中の出世の肥やしにされたのだ。
勇者をヨイショして、好待遇を得る。
なるほど……。実に効果的だ。
おかげで、条文の但し書きは削除されて、クラムは裁かれてしまった。
もちろん、これはいわゆる事後法なわけだが──。
たかだか、一市民の裁判にそこまでかまける奴などいない
それよりは、さっさと面倒を事を片付けたいと考えるのが普通だろうさ。
もっとも、それだけではなく、この辺りの事情は、『勇者』の醜聞をもみ消すのに王国が躍起になっていたのが関係しているとか?
いずれにしても、もはや『勇者』の存在があれば何でもゴリ押しできる時点で国家の体制はある意味崩壊していたのだろう。
──国は『勇者テンガ』に乗っ取られたも同然。
『勇者特別法』は──その気になれば、国王すら殺しても彼には罪とならないと言っているようなものなのだから。
まったく……国王も一体何を考えているのか──。
移送される馬車の中でボンヤリと景色を眺めつつ、クラムは教えられた現状を反芻した。
ちなみに、これらを教えてくれたのは、牢番どもの雑談のほか、あの看守から教えて貰ったものだ。
あの日、あの時、あの瞬間──クラムを生かすため、囚人部隊への志願と「特赦」について教えてくれた看守……。
彼は名前こそ名乗らなかったが、
後に再会したときは、囚人兵の訓練教官も務めており、皆に『教官』と呼ばれて慕われていた。
本心の分からないところはあるが、彼の口添えで「志願兵」になることのできた死刑囚は多い。
そして、
クラムとしては、そんな国の様子よりも、最も気になっていたのが家族のこと。
だが、それだけは知り得ない情報。
しょうがないだろ? 未だ一囚人でしかないクラムには知りえることができないものも多数ある。
それでも、家族に会いたい!
会いたい。
会いたいッ!
会いたい!!
その一心で……。
一度だけ……本当に一度だけ、クラムは宿舎を抜け出し生家に帰ったことがある。
それは、ほんの出来心だったが後悔はしていない。
それ以上に家族に会えるという期待に心が躍っていた。
だから、宿舎を抜け出し、街中をソロリソロリと行き……。あの家に着いた瞬間──クラムは、懐かしさのあまり涙が出た。
──あぁ、帰ってきた。……帰ってこれた!
ボロボロと零れ落ちる涙。
そうして、一人でワンワンと男泣きしていたものだから、あっという間に近所の住民に通報されたらしい。
けれども一度たりとも隣近所から人が出てくる気配はない。
つまりそういう事────近所の住人は、誰一人顔を見せようとはしなかったところを見るに、皆、犯罪者となったクラムと関わりたくないと考えていることだけは、察せられた。
隣近所の住人と会話することもなく、
仕方なく、ひとり家に入ったが──……一目見て人が住んでいないことだけは分かった。
そりゃあ、……これだけ荒れていればね。
割れたガラス窓に、
埃の積もった床、
壁は湿ってカビている。
その荒れ具合を見て、未だ人が住んでいるなんて考えるほど、俺も愚かではないつもりだ。
それでも、家族の手掛り……──または行方に繋がる物をと探し続けた。
だが、囚人兵が住宅街をうろつき、一軒家を物色していれば当然の帰結として──捕まる。
当たり前だ。
駆けつけた衛士と「教官」に、取り押さえられ、雁字搦めにフン縛られて、結局連行されるに至った。
──当たり前のこと、至極当然の帰結だ。
ただ、幸いにも『教官』のおかげで大した罰を受けなかった。それだけは感謝しなければならないだろう。
だがクラムの心中にあったのは、掴まった事や通報されたことよりも気になることがただ一つ。
あの家に……誰一人として家族がおらず、荒れ放題になっていたこと。
それはつまり、あの温かい家がもう元に戻らないことであり、────クラムを支え続けていた希望が……微かにあったはずの希望が潰えた瞬間でもあった。
(皆……どこへ行ったんだ?────無事なんだよな?)
あれ以来、考えることはこればかり。
……クラムの心に穴が開いたような状態になる。
ネリス、
義母さん、
ミナ、
リズ、
……ルゥナ───。
皆、どこへ?
家の荒れ具合から見て、風雨に晒されたためのものとわかる。
確かに、無人の家屋は物盗りが入ったような形跡はあるにはあったが、どう見ても、あれは金目のものがないと知りすぐに引き返していた様子だ。
つまり……。
家で何か異変が起こって出ていったわけではない。
何らかの事情で、自主的に出ていったと……そういうことになる。
そこまで考えてクラムの心が妙にざわついた。
そう、
────嫌な予感が、あった………。いや、確信と言ってもいい。
きっと俺のせいだ。
……俺のせいで、犯罪者の家族扱いを受けたのだろう。
それは牢に囚われて以来ずっと心にシコリとして残っていた。
面会に顔を見せなくなった家族。最後にあったあの日の義母さんの暗い表情を思い出せばわかることだ。
当時は分けも分からず怒鳴り散らしていたけど……。今ならわかる。
王都とはいえ、狭い界隈だ。
犯罪者の家族扱いでロクに生活もままならなくなったに違いない。
そして、夜逃げ同然で逃げざるを得なかった………きっと、そんなところ。
そうとも……それなら、突然に面会に来なくなった理由も察することができる。
「くそぉ!」
……ダンっ!
──畜生!!
畜生、畜生、畜生!!
「俺は何もしていないッッ!」
強姦野郎を誅しただけだぞ!
「ふざけやがって……!」
勇者テンガ!
近衛兵団長のイッパ!
裁判長のブーダス!!
お前らを絶対に許さない────!
必ず、
必ず……。
無罪を勝ち取って───!
そして、いつの日か、思いっきり一発ぶん殴ってやる!
…………その後は、探す。
探してやるさ……。皆を!
きっと見つけてみせる。
俺たちは家族だ。
切れない絆がある───。
そうだろ?
ネリス……。義母さん……。ミナ……。
リズ、そして───ルゥナ……待っててくれ。
必ず戻る……!
そして見つけてみせる!
また、
また……家族みんなで暮らそう。
そしてらさ、『勇者』達とはもう関わらない。
あれには───勝てない……!
絶対に勝てない────!!
だから、どれほど悔しくとも、あの権力には二度と逆らわない。
どれほど悔しくとも、あの暴力には近づかない。
諦めたわけでも、悔しくないわけでもないけど……──俺には家族の方が大事だ!
だから、さ。
……無罪になったら、この国を出る。
誰も知らない……どこか小さな村で、皆で平和に暮らそう──。
また、
あの頃のように───……。
練兵場へ向かう場所の中で、クラムは一人──誓う。
家族に再会する──。そして、慎ましく暮らしたい、と──。
そう、
本当に……、
本当に小さな幸せだけを願い……。
クラムは戦争に赴く。
無罪を……。
特赦を得るために──いわれなき罪を払うために……!
生きるため、
生き残るため、
生きていくため、
そして家族のために……と。
第13話「第二次北伐」
そうして、訓練を終えてクラムたち囚人兵は、武装を支給され、臨時野戦師団の囚人大隊に配属された。
そして、重い足枷を着けられ、惨めな囚人兵となったクラム。
まだまだ、戦場の現実を知らない多くの囚人兵とともに、延々と北の大地へと……──魔族の占領地へと歩かされていた。
ジャラリ、ジャラリ……と鎖を響かせながら。
「ほらほら! 歩け歩けッッ!!」
容赦ない鞭が囚人兵に降り注ぐ。
だが、痛みから逃れようと身を捩ることすらできない。
数珠繋がりに縛られた囚人は、密集した単縦陣のまま黙々と歩くしかないのだ。
そうして、近衛兵達の陰湿な嫌がらせや、少ない食料、襲い来る病魔に耐え───ついに魔族の占領地目前まで到達。
北の大地攻略までに、まずは元の国境まで魔族を押し返し──。
そして穀倉地帯を奪い返す。
実にシンプルな侵攻作戦だ。
旧国境を回復したならばそこで再編成し、部隊を整えてからの再攻撃。
最後は魔族の首都へと進軍だ。
大丈夫……!
出来るさ、
生き残って見せるさ。
……何があっても、何があっても死ぬものか!!!
「皆、もうすぐだ────」
もうすぐ、無罪を勝ち取って見せる!
決意を秘めるクラム。
そして、延々延々と歩かされること───……幾数日。
もはやろくに考えられない。今は、ただただ前へ前へと進むことしか考えられない日々、
だが、そんな日も終わりが来る。
────全軍停止ぃぃぃい!!!
「全軍、停止!」
「全軍、停止!」
「「「全軍、停止!!」」」
野戦師団の将軍が停止を命じ、と伝令兵が各部隊を走り回って停止を告げていく。
さざ波の様に命令が伝わっていく。
それは囚人大隊にも届き────。
「や、やっとか?!」
「クタクタだぜ……」
「歩くだけで何人死んだんだ?」
次々に漏れる安堵の息。
囚人兵だけでなく、近衛兵団やらの兵士も混じって一息ついていた。
そうとも────ようやく、最前線へ到達。
そこには喜びなどなく、ただ、ただ……漸く休むことができるという、疲労からの解放しかなかったのだが──。
そこで、ふと周囲を見渡すと────まぁ凄い人数。
人、人、人、馬、人、人──!!!!
世界中が大飢饉に襲われているなんて、嘘としか考えられないくらいの人間の数。そして、規模だ。
クラムを含む、人類の大部隊は、
魔族の築いた防壁が目視できる位置まで到達していた。
近衛兵団はともかく、下っ端の野戦師団や……。ましてや囚人大隊など、その間殆ど野営なしで歩き通しだ。
その分、脱落者も多いが……全人類同時攻撃に合わせるためには、速度が優先された。
結果として、馬を使えない野戦師団の兵は、無理やりの強行軍。攻撃開始に間に合わせるため歩き続けるしかなかったのだ。
一方の重装騎兵の近衛兵に──ついで、勇者殿は後方から悠々と。
噂では、移動酒保やら、大型天幕に、蒸し風呂まで準備しながらの移動らしい。
ハッ!……良い身分なこって───。
『勇者』テンガの野郎ぉぉ……。
俺は忘れていないからな!
貴様の所業。
例え、勝ち目などなくとも……。本音では関わり合いになりたくないと感じてはいてもっ!
戦場でチャンスがあったら、背後からでも刺殺してやる!!
ギリリリと、槍を握りしめる手に力が入る。
……そうとも、ここにきてようやくお前を射程に捉えることができたんだ。
勇者テンガ────!
クラムは、凄まじい敵意の籠った視線を後方へ投げている。それはもちろん、敵ではなく、勇者に……『勇者テンガ』にだ!
常日頃から、憎しみを募らせてクラムは今日も生きている。
……だが、今じゃない。
今じゃないんだ────。
ドロドロと地鳴りのように響く軍の足音。
先頭集団が停止したのを見計らって後方の支援部隊が陣形を整えているのだろう。
その気配を感じながらクラムたちも否応なしに戦いへと巻き込まれていく。
「総員、戦闘隊形に移行せよッッ」
────おうッッ!!!
そして始まる。
第二次「北伐」───。
魔族と人類の生存をかけた世紀の大戦争が起こる。
今宵はその手始め。
歴史に残る大戦争の──その初戦が目の前で起ころうとしていた。
「やるしかない…………手柄を──特赦を得るために!」
その先に、家族がいる!!
だから、行く。
征く!
──逝くともさ!!
さぁ、立て!
走れ!!
手柄を、
生を、
自由を掴むんだ!!
……───家族のために!
決意を固めるクラムの耳に歓声が響く。
それは、雷鳴のように、地鳴りのように響き渡り、──除々に除々にと、
小から大へ、
少から多へ、
……ぁぁぁ!
──ぁぁああ!!
わぁぁぁぁぁ!!
うわぁぁぁぁ!!
声、
声、
声だ。
それは、
歓喜の声、
喚起の声、
感極まる声、
勇者、勇者、勇者、勇者!!!
と───。
勇者、勇者、勇者!
勇者、
勇者、
勇者、
ゆーしゃゆーしゃ、ゆーしゃ、ゆーしゃ!!!!
勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者勇者!!!!!
勇者……!
勇者……!
勇者……!
うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
(……ユゥシャ───か、)──ギリリリリッッ!
感極まる声をあげるのは近衛兵達。
それに対して囚人大隊の目は冷え切っている。
どれも、誰も彼も……皆───。
ほぼ皆が同じ目をしている。
「教官」の選抜した囚人大隊。
勇者によって死刑の宣告を受けるに至った者達だ。
彼らの覚悟も、恨みも……そして怒りも!
───歓喜の声に負けないくらい強い。
……近衛兵達のあげる声に逆らうように、彼らは心の中で呪詛を上げる。
ユーシャ……ユーシャ……。
ユーシャ……ユーシャ……ッ。
ユーシャ……ユーシャ……!!
ユぅぅぅぅぅうシャぁぁぁぁぁああ、テンガぁぁぁあああああ!!!!
その温度は近衛兵達の熱気を打ち消し、彼らに雪国に迷い込みでもしたかのような錯覚と悪寒を走らせるもの……。
皆がみんな、暗い瞳と表情で、歓喜とその熱の出元である───『勇者テンガ』の跨乗する馬を睨み付け……その上の、この世で最も醜悪な存在を憎悪の籠った目で睨みつけていた。
……よぉ、久しぶりだな───『勇者テンガ』……!
お前の顔だけは絶対に忘れないよ……。
親の顔を忘れたとしても、お前の顔だけは───。
──絶対にな!!!!!
暗い視線が勇者一行を睨み付けるなか、そいつ等は現れた。
背後に何頭曳きかわからない豪奢な馬車。
さらには、後方部隊を引きつれ、その後ろに酒保商人やら軍楽隊やら、どう見ても戦闘に関係ない者までついて来ている。
それが全て勇者のためにあるらしい。
良い身分だよ。
聞けば自慢のハレムまで戦場に持ち込んだとか。
ケッ……お前らしいよ。
よほど女が好きらしい。
お前らしいよ───……。
憎しみの目と、
期待の目と、
敵意と、
戦場にある様々な思惑の籠った視線は───。
かの『勇者テンガ』に集約していた。
かくして、役者は揃い。
ほどなく、
第二次「北伐」は開始された。
第14話「囚人たち」
第二次「北伐」は開始された。
それはもう、あっけなく。
何の前触れもなく。
「総員、攻撃準備────!」
将軍の声が静まり返った戦場に朗々と響く。
全ての軍が整列し、静まり返った戦場ではもはや伝令は必要ない。
幸いにも魔族側からの応射も反撃も妨害もない。
そして、始まった。
進軍ラッパを吹き鳴らすべく、軍のラッパ手が高らかにホーンを鳴らす
パーラパラパラパラッパッパッパー!!!
戦闘──────開始ッッ!
白馬に乗った野戦師団の将軍が声を張り上げる。
すぅぅ……。
「野戦師団前へ!」
そして、麾下の部隊長である黒馬に乗った将校が声を張り上げる。
「野戦連隊前へ!」
命令は下へ下へと。
さらに、『教官』が声を張り上げる。
「囚人大隊前へ」
来た!!
クラムの部隊に攻撃前進の命令が下る。
その命令を聞いた瞬間、体中の血液が沸騰したような気分になり、自然に体が動き出す。
まるで巨大な蛇が動くように、ズルリと地面を這うようにして──……。
────ワッ!!!
ワッ! ワッ! ワッ! ワッ! ワッ!
ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ、ワッ!!
掛け声を上げつつ大軍が動き出す。
囚人大隊だけでなく、野戦連隊、弓兵隊に将校団!
ザッザッザッザッザ!
ザッザッザッザッザ!!
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
「お、おい?」
「な、なんで俺達が先頭なんだよ?!」
ノロノロとした連隊歩兵は、足音だけは威圧的で──囚人兵は後ろから押されるように、前へ前へ……。
ほぼ全面で、囚人大隊の兵が前へ前へと押し出されていく。
ジャラリ、ジャラリ、ジャラリ、と……足枷の鎖を響かせながら!!
「ふ、ふざけんなよ!」
「た、たたた、盾くらいよこせよ!!」
後ろにも下がれず、前に行くしかない状態。
そして、前には魔族の築いた防壁───!
防壁に隠されて姿は見えないが……恐ろしいまでの殺気を放っている。
その様子に躊躇する囚人兵たち。
ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!!!!
一方では、大盾に身を隠した野戦連隊が槍先を揃えて、その切っ先を囚人大隊の背中に突きつけつつ前進、前進、前進!!
「おい! 聞いてんのか!」
「や、ヤバいッ! やばいやばい!!」
ぬぅ、と魔族側防壁上に多数の兵の姿が現れる。
チラチラと見えるのは強弓のそれ!!!
このまま進めばどうなるのか────!
「て、てめぇらぁぁぁあ!!」
「ヤメロ! 敵の射程に入っちまうだろうが!!」
次々に抗議する囚人大隊の兵。
しかし、野戦連隊は盾に身を隠して、槍先で囚人兵の背中をつつくのみ。
こ、これじゃまるで────!!
「足を止めるな! 走れ走れ! 突撃ぃぃぃ!!」
そこでついに指揮官たる『教官』があらわれた。
前進を躊躇う囚人に向かって容赦なく鞭を振るう。
「ぎゃああ!!」
「うるさい! さっさと突っ込めぇぇぇえ!!」
『教官』が馬にも乗らず、徒歩で後ろから叱咤激励する。
「進め、進め!」と囚人を鞭打つ際に使う乗馬鞭だけを手に、囚人大隊を前へ前へと駆り立てる。
だが、目の間には魔族の防壁……!!
そして、囚人たちには槍があるのみ。
おいおい……?!
や、槍一本で攻城戦だぁ?
──どうしろってんだよ!!
「突撃ぃぃぃぃ!!」
ええい、うるさい!!
わかってるさ!
行くしか…………逝くしか道はないッてことくらいはな!
そして───!
ついに、反撃が……、
「て、敵しゅ───ブホ……」
クラムの隣にいた、名前も知らない囚人兵が矢に貫かれて倒れる。
だが、脚は止められない。
「くそ! 始まった!!」
射程内に入ったのだろう。
チラチラ見えていた魔族の兵が一斉に防壁から身を乗り出す。
人類のもつ弓とは少々意匠の異なるそれがキリリリリ──と引き絞られ、
バァィン……!!
バァイン、バァィン!!
バ、バ、バババババババババババァァァィン!
「ひ!」
「て、敵襲! 敵襲ぅぅぅう!!」
ザァァァ──────!!
「うぎゃああああああ!!!」
「ひぃ! ひぃいいいい!!」
次々に降り注ぐ矢。
どうやら敵の射程内に入ったようだ。
「じょ、冗談じゃないぞ!?」
クラムはようやく異常事態に気付く。
初めての戦場で右も左もわからないことを差し引いても、この扱いは────!
(ま、まさか……)
今も、目の前で囚人兵が頭部を貫かれて崩れ落ちる。
右も左も前も、次々と囚人兵が倒れていき、クラムの周囲にはポッカリと穴が開いたように戦場が開けてしまった。
そこに、さらにさらにと──まるで雨の様に矢が容赦なく降り注ぎ、防ぐ手段のない囚人兵が次々に矢に貫かれて倒れていく。
クラムにも、その洗礼はもれなく降り注ぎ────!!
ビュバッッ!
「ぐあッ」
危うい所を矢が掠めていく……!
しびれるような痛みを感じて、思わず手で押さえて見れば……ベッタリと血が!
「嘘だろッ?!」
──命中こそしなかったものの、肩を掠った矢が粗末な服を切り裂き、素肌に鋭い擦過傷を残していた。
「よーし……!──良い頃合いだ! 囚人大隊、停止!!」
と、『教官』から、この期に及んで静止せよとの命令が降る。
ただでさえ足枷のせいで素早く走れない囚人たちは、敵前でノロノロとして──いい的だ。
そう、いい的だ!!!
次々に倒れる囚人兵。
動いて、躱してさえいてもそれ──ただでさえ、その有様だ……!
黙っていても命中するというのに……──それが停止? 停止だと!?
「『教官』殿…───!?」
クラムは驚いて教官を振り返る。……そして見た。見てしまった!!
『教官』の顔───あの顔を!
あ、ありゃ……!
あの顔はぁぁッッッ!!
見たことが、──あぁそうとも、あれは見たことのある顔だ。
『勇者テンガ』や、『近衛兵団長のイッパ』…そして『裁判長のブーダス』らの───あの顔だ。
してやったり──と、
そして、
貴様らなんぞ、心底どーーーーでもいいという……、あの顔!!
あぁ畜生!!
『教官』もか!?
アイツもそうなのか?!
───少しでも信じた俺が──俺達囚人兵が馬鹿だった!
あの醜悪極まりない顔は、勇者や近衛兵団長ども同じ顔だ!!
畜生!!
あああ!?
あああああああああ!!??
畜生ぅぅぅうううう!!!
「ど、どういうことだ?」
「おいおい! 停止なんかできるかよ! なぁ、教官よぉぉぉ!?」
まだ事態の読めていない囚人兵は無情な命令を下す『教官』に慈悲を乞う。
「……アンタ『勇者』が嫌いで、囚人に同情してたんじゃないのか!?」
「なぁ! なんとか言えよ────えぶッ」
信じられないと言った顔で倒れ行く囚人兵たち。
誰も彼もが、次々に倒れていく。
魔族側も容赦などしない。
彼らからすれば等しく人類軍というわけだ。
囚人兵の事情など知った事か────。
そして、これを幸いとばかりに、敵の射手の位置を確認した野戦師団が停止。
野戦連隊の指揮官がサーベル引き抜いて防壁上を指す。
「敵射手確認! ロングボウ前へ!!」
ザザザザザザザザザ!
野戦連隊の大盾の背後に多数の気配が浸透していく。
盾の風にチラチラと見えるのは王国軍製のロングボウ!
しかも、ただのロングボウではない────特殊な飛距離の長い矢を番えることのできる強弓だ!
今さら支援?!
キリリリリリリリリリ……!
「射てぇぇぇええ!」
バァィン!!
バババババババババババババババババババババババババァィン!!!
まるで過去の映像の逆廻しのように、人類側に降り注いでいた矢が、今度は逆に人類側から魔族の防壁へと降り注ぐ!!
だが、今更!!??
有利な態勢で、有利な射程から、そして敵の位置を暴露した状態で!!
ようやく野戦連隊が敵射程外から射撃戦を展開し始めた。
あーあーあー! そうかい! そうかい……!
ロングボウも、特殊な長射程の矢も、今考えた作戦じゃぁない!
そんなことは戦争の素人であるクラムにもわかる。
つまり、最初からそれだけが目的だったのだ。
囚人たちを前に出し、敵の射撃を誘発し……味方のロングボウを有利な体勢で攻撃させて敵を減殺!
ある程度、敵の射手を制圧したら攻城兵器を出し、防壁を突破する───と?
囚人兵の命を使い捨てにして、悠々自適に安心安全な位置から攻略というわけか────。
「ふ……」
ふ、
ふざけんな!!
俺たちは、ただ、ただ──死んでいくだけじゃないか!?
そんな、
そんなことを、
そんなことを「無実の俺たち」にさせるのか!?
なぁ、
おい!
「答えろよ……!!!」
───答えろよ『教官』!
「俺達に死ねって言うのかよぉぉおおおお!!!」
当然……敵の射程外にいる『教官』。
彼にクラムの声など届くはずもない。
はずもないが……!
しかし、
しかしだ…確かに口が動き──……『教官』の言っている言葉が耳に届いたのだ。
……ニィと口を歪め、真っ直ぐにクラムを見ていやがる。
そして、
「────恨むなら、不運なお前らを自身を恨みな」
は?
「『勇者』殿はな、なかなか死刑が執行されないお前等に扱いに業を煮やして、この策を思いついたらしいぞ?」
は?
え?
──お、おい……?
「はははは!──……恨みは根から絶つんだとさ、『勇者』殿の世界の歴史ではそう言うらしいぞ? 根切りってな……」
こ、この野郎……!
この野郎!!!
この野郎ぅぅぅぅぅおおお!!
「─────……ッッッ!!」
クラムは叫ぶ!
矢の雨の中、一心叫ぶ!!
それは、声にならない声……!
そして胸中にあるのは、たった一つの恨むだけ!!
またしても、
またしても、
またしても『勇者』テンガ……!!!
あーあーあーあーあーあー!!
あーーーーーーーそうかよ!!
そんなに俺達を殺したいのか?
目障りなのか!?
牢屋の中で擦り切れていくのも待てないのか!?
どこまで……!
どこまでお前は卑怯なクソ野郎なんだ!!
──畜生!
畜生ぅぅぅおおおおおおお!!
なんのことはない。
クラム達が牢の中で生き延びていたのは、法を司る部門の、見知らぬ誰かの良心があったからなのか……?
その誰かが、死刑を先延ばしにし、
なんとか、
そう、なんとか釈放しようと策を巡らせてらせてくれていたのかもしれない。
真相などわからないだろうが……。
少なくとも数年間は、クラム達──勇者絡みの死刑囚は生きていた。
生き延びていた……!
泥をすすり、
恥辱にまみれ、
怒りに身を焦がしながらも───!
生きていたんだ!!!!
それを、
それを、
それを、
それをぉぉぉぉぉおおおお!!
おぉぉぉおあぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!!
「テンガぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
許すまじ……。
許すまじッッ。
許すまじ!!!
絶対に、許すまじ!
テンガぁぁぁぁぁぁぁああああああああッッッ!!!
叫ぶクラムを他所に、バタバタと倒れていく囚人たち。
しかし、徐々に矢の雨も収まっていく。
野戦師団の長距離射撃が敵の射手を制圧しているのだろう。
この時点で囚人大隊……半数が死傷。
クラムも負傷。
戦力と呼べるものはもはや囚人大隊には残っていない……。
あの悪魔のような男のせいで、皆────。
て、
「テンガぁぁぁああ…………!」
血まみれのクラムが喉から絞り出した怨嗟の呻き────。
「呼んだか?」
そして、
クラムと『勇者』が再び邂逅する───……。
第15話「残り香」
「呼んだか?」
いかにも生意気そうな声と顔。
そんな態度で、クラムを不躾に睨んでいるのは、豪奢な鎧を着込み、宝剣を担いだ青年──かの『勇者』だ。
勇者テンガ……。
あぁ、コイツだ。
間違いない。
顔も体格も───声も……! 間違うはずがない!!
あ、あの時の強姦野郎だ。
あの、あの、あのクソ野郎だ!!!
「──テンガぁぁぁ!!!」
そして、クラムも激高した感情のまま、テンガに向き直る。
「お? 呼び捨てかー……んー? 誰だっけお前???……っはっはー。──大方どこかで恨みを買った囚人だろうな」
何でもないように言う様をみて、やはりこの囚人大隊の使い捨てを思いついたのがコイツだと確信する。
「それにしても、運が良いなーお前? 今日は生き延びられそうじゃねぇか?」
へへへ、とニヤ付く顔に槍をぶち込んでやればどれほど───おああああああぁぁぁぁぁあ!! と、言うほどに意識もせず手に持つ短槍を、奴の顔面にぶち込んでいた。
「あん?」
しかし、宝剣の柄をちょいっと動かしただけで、槍を止めて見せるテンガ。
絶妙な角度で防がれ、ビクともしない。
「ぐ……! こ、このぉぉお!!」
「ばーか……。囚人Aに『勇者』が倒せるわけねぇええ、だろッ──とぉ」
ボコォン! と、軽~く放つ蹴り。
その喧嘩キックを腹に頂戴したクラムはゲロをまき散らしながら転がり、仲間の死体の上をバウンドしていく。
ドン! ボン──グシャ……!!
「おええええええ……」
吐しゃ物をまき散らすクラム。
「勇者殿! いかがされました!」
そこに『教官』がヘコヘコしながら勇者に揉み手せんばかりにすり寄る。
「んー……。馬鹿が突っかかってきたんで、蹴散らしただけさ。なんでもねぇよ」
と、それだけ言うと───。
「さ、仕上げと行くか!!」
退いてろよお前らぁ……! と、気合も高らかに、ズラリと宝剣を引き抜くと、ヒュンヒュンと手の中で弄んで見せる───。
そして、
「──うらぁぁぁ!!!」
ブワァ!!!! と目にも鮮やかな───真っ赤なブーメラン状の巨大な衝撃刃を生み出しッッ!!
「お! 直撃コーーーーーース」
──ドガァァァァン!!!!!
盛大に爆音が巻き起こり、魔族の築いた防壁を木っ端みじんに吹っ飛ばした。
「あえ?」
「ぐ、お?」
「あぴゃ……?!」
衝撃波の射線にいた囚人兵達。
哀れで、健気で、果敢な囚人兵達が……!
バタン……。
ドサッ。
バタバタバタ………!!
「な、なんてことを!!」
クラムの目の間で、射線にいた囚人兵たちが大量に体を真っ二つにされて倒れる。
生存者なんているもんか!
そして、何の因果か……。不幸中の幸いにも、クラムはテンガによって蹴り転がされていたため無事だった。
「あーらら……。ちょ~っとばかし味方も巻き込んじまったなー? まいっか。はっはっは」
全然悪びれない様子で飄々と宣うテンガ。
「ま、一応警告したしぃ……? 俺悪くないよね?」
ニカッと、歯を光らせながらテンガは『教官』に笑いかけた。
一方、『教官』はと言えば、凄まじい勇者の攻撃に慄いているのか、
「え、ええ! ゆ、『勇者』殿は全く悪くありませんとも」
ダラダラと冷や汗を流しながら『教官』は壊れた人形の様に頭をヘコヘコとさせている。
それを聞いたテンガは、いい気分のまま、
「ん~だろぉ? よっしゃ! お前ら突破口は開けたぞ!」
──とっとと、行けやぁぁ!!
仁王立ちになって、偉そうに指示を出す。
それに答えたのは、近衛兵団と野戦師団───そして、いつの間にか集まっていた『勇者』の女達。
「きゃー!」「勇者様ー!!」「テンガ様ー!」「キャーかっこいー!」「抱いてー!」
と、まぁ、喧しいほどに黄色い声援を送ってくる。
ここが最前線とは思えないほどだ。
冗談のような有様。
そのバカげた事態を見て、まるで毒気を抜かれた様に、ノロノロと動き出す野戦師団。
そして、勇者への黄色い声援など気にもしていないとばかりに近衛兵団が突撃する。
彼らの自慢の重装騎兵だ。
歩兵も援護位置につき、ロングボウで支援準備をしている。
そこに、
「お見事なり勇者殿!」
ガツン! と、胸甲を叩き誠意を示すのは────……。
「……こ、こいつは!」
あぁ、コイツも忘れるものか!
そして、俺は知っているぞ────クラムを絶望に叩き落としてくれた首謀者の一人、……近衛兵団長のイッパ・ナルグー!!
「ん? あーそー…?」
しかし、最敬礼を受けてもテンガは飄々とした調子を崩さず、イッパには視線も向けない。
心底、どーでもいいとばかりに近衛兵団長の誠意を受け流し、あろうことか女たちに手を振っている始末。
その様子に、イッパが軽く震えたような気がしたが……?
気のせいだろうか。
「ぐ……。で、では、我らは先陣を! 勇者殿も支援を頼みます」
「へーへー、畏まり~」
顔も見ないで生返事。
お気に入りの子はどこかな~なんて言いながら手を振り続けるテンガに、イッパは肩をいからせながら見せつけるかの如く声を張り上げる。
「近衛兵団、突撃!!」
いくぞぉぉぉおおおおおおおお!!!!
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」
そのクソ重いフルプレートアーマー姿で、大剣を引き抜いたイッパが指揮官先頭とばかりに突撃を開始!
兵団には、俺の後を追ってくれと言わんばかりに見事な突撃を見せるッ。
「行くぞ! 近衛兵団!」
「「おう!!!!」」
「団長に続けぇぇぇえええ!!!」
重装騎兵、重装歩兵、ロングボウ部隊!!
それぞれが突撃を開始ッ。
──人類のために!
────勇者のために!!
「「「「「人類のために! 勇者のために!」」」」」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
ドドドドドドッドドドドドドドドド!
まるで地響きの如く、突撃が振動となって伝わってくる。
連中と来たら、それぞれが掛け声を上げ遮二無二突撃。
勇者!
勇者!
勇者!
それはもう、盛大に声を合わせる近衛兵団。
もはや、勇者親衛隊だ。
「「「「「突撃ぃぃぃぃいい」」」」」
ドドド……!
ドドドドドドドドド──……!!
ドドドドドオドドドドドドドドオッドドドド!!!!!!!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
振動で散らばる死体が躍り始めるほど。
それはそれは凄まじい圧力だ!
人が、鎧が、軍馬が、そして軍隊が!!!──そう、一斉に駆け出すのだ。
点ではなく……。
線となって──!!!
いや、線なものか!!
あれは面だ。
一面の人馬と槍と剣と弓と軍隊の原っぱだ!!
大地を埋め尽くす人類の主力攻撃。
重装備の騎馬兵が繰り広げる人馬一体の、鉄と生物の絨毯の如き攻撃戦力。
機動力のある騎馬が先陣を切り、イッパに追いつく。
そして、先頭の騎手が二頭連れにしていた一頭をイッパに差し出すと、あの野郎はその様子も見もせずにひらりと跨る。
そして、高らかに大剣を天に翳すと告げる!
「行け!! 我が精鋭よ! 魔族に一遍の慈悲も与えるなッッ!」
サァァァァアア……────と、風が流れて、先頭の騎槍の屹立する林を駆け抜けたかと思うと──。
天を向き───煌いていた騎槍が、ズザザザン!! と、水平に!
真っ直ぐに揃った騎槍!……それはそれは整然とした動きで、破壊された防壁に向けられる。
さらに後ろに騎馬。その後ろも騎馬! 騎馬騎馬騎馬!!
その、控える騎兵の騎槍はやや斜めに、さらに後ろの控える騎兵は槍を真上に───その様はまるで剣山だ。
いや、ハリネズミの如く───!!!!
「貫けぇぇぇえええ!!!」
騎槍の穂先が太陽光を反射し、ギラギラと輝いて……!
その輝きが草原を───戦場を疾駆していくッッッ。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!!!
そして、
「ひ、ひぃぃ!!」「逃げろおぉ!」「ふざんけんなよ!!」「味方だ! 味方だぞ!」「止まれぇぇ!」
魔族の築いた防壁と、近衛兵団の重装騎兵の波!!
哀れな囚人兵達は…その二つに挿まれ右往左往するのみ。
もはや絶体絶命。死出の旅に行くのは、囚人大隊の兵士たち。
魔族の矢の雨も、テンガの衝撃波も辛うじて躱して、僅かに残った囚人兵。その運命もついに尽きようとしていた。
予想通り、軍馬は囚人など気にせず突進する。
矢も、勇者の斬撃も躱してもまだまだ彼らの受難は続く!
せっかく、辛うじてい逃げ延び、なんとか這う這うの体で後方へ到達しようとしていた囚人たちだが……!!
「ああああああああああああああああ!!」
「逃げろぉぉおおおおおおおおおおお!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
グシャ、グシャ、グチャアア!!
ドカバキ……ボキボキビキィ!!
ギャアアアアアアアアアアアアアアア!!
物凄い絶叫を残してバラバラに巻き散らかされる囚人兵たち。
血煙と臓物だけを残して、あっという間に近衛兵団の重装騎兵の馬蹄に、文字通り蹴散らされていく。
「あーあーあー……ありゃ、ひでぇな」
テンガはその様を悠々と眺めつつも、囚人たちがみるみるうちに数を減らしていくのを心透くとばかりに見ている。
「あーーーーーーはっはっは! そーかい、そーかい! 大爽快! あっはっはっは!」
『教官』は引き攣った顔で見ているが、一切逆らわない。
「あ、そういや、お前にゃ苦労かけたね。うん──そのうち褒美でもやるよ、あはははは」
チラッと『教官』の顔を見て、「ん、一応覚えた」と一言……。
後は知らんとばかりに、戦場に入るも──「うげ、バッチィなー」とばかり踵を返し、近衛兵そっちのけで女たちの元へ言ってしまった。
「あー汚いから今日はいいや。お前らだけでやれよ。……うっし、今日はここまででいいーだろ。天幕立てろやー!」
あっはっはーと、大笑いして戦闘中にも拘らず野営準備に入る。
そして黄色い声援を上げる女達とじゃれ合い始めた。
呆気に取られた『教官』だったが、
顔を歪めて一言───……、
「屑が……!」
しかし、それっきり何も言わない。
そして生き残りの囚人達を再び指揮し始める。
まだまだ、
まだまだ、だ……。
味方に踏み潰される───そんな目に会いつつも……囚人たちの戦いが終わったわけではない。
「おらぁぁ! 突撃再開だ! 野戦師団についていけ!」
いけいけいけ! と、呷り、蹴りつけながらも放心状態の囚人を駆り立てていく。
ここまでされても囚人大隊は全滅していない。
どうやって生き残ったのか疎らに人影があるのだ。
そして、
勇者に転がされ、辛うじて生き延びていた一人に───クラム・エンバニアもいる。
泥と、囚人兵たちの臓物を浴びながらも生きている。
生きている!!!
ぐ、
ぐがぁぁぁあ──。
て、
「──テンガぁぁぁああ……!!!」
死体の山から体を起こし、憎々し気に『勇者』を睨みつけるクラム。
次々に駆け抜け、目前に迫りつつある重装騎兵の突撃!
しかし、クラムはそんなものなど、知らぬ! とばかりに視線で射殺そうと、去り行くテンガの背を睨む。
視界を覆い尽くす騎兵どもが邪魔だ!
ウジャウジャと集まる女どもが邪魔だ!
邪魔だ!
邪魔だぁぁあ!!
退ぉぉぉぉおッッけぇぇぇええ!
あの野郎!
あの野郎!
あの野郎ぉぉお!!
テぇぇぇぇぇえンガをぉぉぉぉぉ!
この目に焼き付けてやる、睨み殺してや───
る…………。
え、あ?
に、
睨み、殺して────……や、る。
「え…………?」
テンガに群がる女たち。
邪魔で邪魔で邪魔でしょうがない女たち。
だけど、
あれ、は……………。
「……ス?」
一瞬、
自分の言った言葉が分からなかった。
でも、
自然に、
意識せず、
無意識に、
漏れた言葉───。
「……う、」
嘘だ。
なんで?
なんで、そこにいる?
なぁ、なんで、……だ?
「う……嘘だよ、な?」
なぁ?!
自問するクラム。
だが、無情にも彼の目には、紛れもない事実。
そう、
勇者に群がっていた女達の中に……見知った顔を見た気がした。
第16話「最前線」
───ス?
え?
なんで?
そこは……?
え?
え、え?
ま、まさか……?
いや、いやいやいや!!
間違いだ!───見間違いだ!!
見間違いに決まってる! そうだろ?!
そうだよな?!
か、
彼女がそこにいるはずがない……!
いるはずないんだ!!
だけど、
だけどぉぉおお!
ち、
「……畜生ぅぅぅううああああああ!!」
臓腑を搾るように叫ぶクラム。
あり得ない!
あり得ない!
あり得ない!
そうだ! あり得ないッッ!
そうとも!
今は、有り得ないことを考えている場合じゃない!
今は───。
今は、
今は、手柄だ!!
なんとしても手柄だ!
女のことも、
『教官』のことも、
勇者テンガのことも───!
今は忘れろッッッ!
今大事なのは、特赦!!
特赦を得るための手柄だ!!
色々グチャグチャ考えるのはあとでいい!
まずは、この場を切り抜けてからだ。
激昂しても考えろ、
絶望しても抗え、
決死を覆せ、
それが生存への……。
自由と無罪への……。
そして、家族との再開への近道だ。
生き残れ、
生き残れ、
生き残れ、
生き残れッッッ!!
生きて、生きて、生きて生きて生きて──手柄を立ててッッ!!
帰るッ。
帰る!!!
俺は帰る!!!
何があっても、俺は家族の元へ!
「……俺はぁぁぁぁぁぁあああああ────帰るッッ!!」
叫ぶクラム、
だが───……相手は軍隊。
無慈悲で傲慢でクソの塊! そんな奴らが、囚人兵の──クラムの叫びなど異にも介すはずがない。
そして、感情とは無縁の軍隊ってやつは、人と鉄と生物たちだ。
そいつら相手にどう抗おうってんだ!
「やる……。やるさ。諦めないッ。挫けない! 俺は死なない!!」
ドドドドドドドドオドドドドドド!!! と、大地を揺らす様に突っ込んでくる近衛兵団《ロイヤルガーズ》、
その中核を成す重装騎兵たち───!
隊列の中には、豪奢な鎧兜に身を包み、軍旗をはためかせる近衛兵団長のイッパの姿も見える。
あぁ、あの野郎だ!
あの憎き、首謀者の一人、……────イッパだ!
だが、今は忘れろ。
あれは復讐相手じゃない。
憎さを置いて考えろ!!
………………あれは誰だ?
重装騎兵か?
それとも、指揮官か?
決まっている。
奴は指揮官だ。
そう……団長であるイッパが先陣を切るくらいだ。
それはつまり、勝利を確信しているのだろう。
だから指揮官が先頭を切るのだ。
自分が殺されるなんて微塵も考えていないに違いない。
それもこれも、囚人兵の犠牲があったればこそ。
囚人達の、屍の上の栄光を……。
血塗られた栄光だ。
俺の、俺達の──クラムたちの血と死体の上に輝く栄光だ!
そんなものクソ食らえだ!
勝手に食らってろ!!
俺は俺で手柄を立ててやる!!
(──まだ時間はある! 騎兵で防壁を越えるのは難しいはずだ)
攻城戦に騎兵を持ち出すのもどうかと思うが、戦争の素人であるクラムにも想像の付かない考えがあるのかもしれない。
それよりも、今は敵の首級を上げることを考えねば……。
それも近衛兵団よりも先にだ。
「……いっそ、内部に突入するか? 敵の攻撃は止んでいるし、もしかして魔族も思った以上に被害を受けているのかもしれない」
実際に、魔族側からの反撃はほとんどない。
だが、
「さすがに、敵が一人もいないってことはないよな……単身で行ってどうなるとも思えないが──」
クラムの目指す先では、彼ら魔族の築いた防御施設である長大な防壁は倒壊破損している。
──さらには、勇者の攻撃による余波で、防壁の背後にあった櫓や防塁なども破壊しつくされていた。
魔族側の戦死者もかなりいるのだろう……。
ここまで濃密な血の匂いと、重傷者らしき呻きが聞こえる。
応射もなく、防壁の修理される気配もない。
つまり────ここに至り、重装騎兵の突撃を防ぐものは何もないのだ。
半壊した防壁と、狭い空堀があるのみ。
早晩この戦線は突破されるだろう。
だが……。
それじゃダメだ!
それじゃダメだ!
それじゃダメなんだ!
クラムにとって、人類の勝利なんぞどうでもいい───。
囚人兵の目的はただ一つ。
特赦。
そのためには……。
そうだ、俺が稼がないと意味がない!
手柄だ……!
手柄を立てるんだ!
しかし、まんじりと突っ立っていても手柄はできない。
ボーっとしているだけなら、ここでは死ぬ!!
ドドドドドドドドドドドドオドドドドドドドオドドドド!!!
背後に迫る重装騎兵。
タイムリミットは刻一刻と近づいてくる。
そうとも……。
騎兵に踏みつぶされるか。
手柄を立てる間もなく、戦いは終わってしまうか……。
何もしなければ、そのどちらかしかないのだ。
そして、何もしない囚人兵達の大半は騎兵に分断されてしまった。
散り散りになった囚人兵。
彼らは自然に、いつの間にか小グループに別れて固まり始めた。
当然クラムの周りにも徐々に生き残りが集まり始める。
ここにいるのは、少数の負傷者のみ……。もちろん、クラムを含めてだ。
「ど、どうする?」
「もう逃げるしか!」
「どこにだよ!」
不安そうな顔で、陰気のボソボソと話す囚人兵達。
だが、クラムはもう覚悟を決めていた。
「……………前だ」
「「「は?」」」
冷静な───。そして、無謀とも思えるクラムの声に、生き残りの連中が首をかしげる?
「ば、馬鹿いうなよ! 俺達だけじゃ、死ぬぞ!?」
そんな声にクラムが耳を貸すはずがない。
……もう、覚悟は決めた。
だから、
「下がっても死ぬ───ここにいても死ぬ!…………なら?」
ならばどうする?!
今のクラムに仲間のことなど気にかけている余裕などない。
いや、そもそも仲間と言ってもいいのかどうか……。
だからこそ、クラムはただ一人でも行く所存だった。
チャキリと槍を構えると、高らかに叫ぶ!
すぅぅぅ……、
「────俺は生き残る!!」
足に力を籠め、
手に槍を握りしめ、
覚悟を心に───……蛮勇と蛮声を振り絞る!!
ああああああああああああああああああああああああああ!!
たった一人の鬨の声ッッ!!
あとは征くのみ!!
征くのみ!!
「うううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
走り出す、
駆け出す、
突撃す──!
足枷についている鉄球を激しくバウンドさせながら駆けていく。
駆けていく。
駆けていく!
駆けていく!!
重い、
重い───。
重いッッッ!!
だが、
「そのくらいで死ぬかぁぁぁああああああ!!」
鉄球が重いからどうした!
足枷が何だ!!
槍一本あれば十分だッッ!!
突撃す!
突撃す!
我、突撃す!!
「死んで……」
────死んでたまるか!!
「ぎぃぃええええああああああああ!!!」
ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
自分でも、どこでどう声をだして叫んでいるか分からない大音量でもって、防壁に取りつく。
そして、そんなクラムに感化されたのか、生き残りの囚人兵も次々にクラムの後へと続く。
「うごおおおおお!!」
「りゃあああああ!!」
「あはははははは!!」
「ひゃあああああ!!」
蛮声と奇声と大声を張り上げて、囚人兵が駆け抜ける。
そのまま、破壊された防壁を越え──その先に広がる敵陣地に躍り込む。
「「「「うおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」
槍を振り回し、飛び越えた防壁の内部。
「な、なんだこりゃ?」
「す、すすすすげー威力だったんだな」
目に入った惨状は悲惨そのもの。
それほどに勇者の一撃は強力無比だったらしい。
燃え上がる施設に、胴を切られて事切れている者。
そして、倒れた防壁に潰され圧死している者。
これが勇者の力──。
まさに圧倒的だ。
「お、おい! これならいけるぞ!?」
「お、おぉ! 一番槍だ」
そ、そうだ!
いける! いける、いけるいける!
いけるぞ!!
手柄だ!
手柄を立てるぞ!
「敵を探せ!!」
防壁内に入り、掃討戦に移った今なら囚人兵にもやり様はある。
施設内で騎馬突撃も何もないだろう。
今ここにはクラムたちしかいない。これは早期に突撃したクラム達にとってのチャンスだった。
「敵将がいるはずだ! 見つけて、ぶっ殺せ!」
わーわーわーと、囚人たちは分散して、敵を探す。
やはり一番の手柄は大将首だ。
敵将を討たんとギラギラと目を光らせるクラムたちの前にバラバラと敵兵が湧き出してくる。
負傷者も含めて生き残りが数十人。魔族の軍が応援に駆け付けたようだ。
とはいえ、囚人兵も魔族の兵も全員ボロボロ……。例外なく、連中も負傷しているようだ。
そして、魔族の兵の面といえば……!
「ご、ゴブリンか?! ざ、雑魚だ! みんな、やれぇぇ!! うらぁぁぁぁあ、なめんなああ!!」
囚人の一人が、ヨタヨタと歩くゴブリンを刺し貫く───が、刺された拍子に暴れ回るゴブリンによって、槍はあっさり折れる。
「な、この! オンボロ槍め、がぁぁぁあ……」
そして、武器を失った囚人兵がゴブリンの剣兵によって首を撥ねられる。
「ちぃ! この槍はやべぇぞ!! 安物めがぁ!」
そのゴブリンを更に仕留めるも、後詰めの魔族の兵が囚人兵を貫く。
また一人相打ちになる。
くそ……! まともな武器もなくて戦えるかよぉぉ!
それでも、なんとか討ち倒して見せる囚人たち。
一人殺して、一人殺され。
一人と一人が相打っていく。
しかし、もう囚人達の数もまた、幾人も……。
いや───ほとんど残っていない?!
どうにかこうにか、第一波を凌いで敵を殲滅したものの、囚人兵もかなりの被害を受けている。
クラムも馬乗りになって、魔族の兵を一人絞め殺していたものの、
「くそ! こんなんじゃ手柄になるかよ!」
下級兵らしきゴブリンの魔族兵。
どう見ても雑魚だ。リーダー格のホブゴブリンですらない……!
ガツッ! と、クラムは悔し気に地面を蹴り飛ばす。
「だ、大丈夫だ! 首を持っていけば多少は認められるはず!」
自分に言い聞かせるように囚人の一人は言っているが……どうだろうな。
この後に突入してくる近衛兵の連中が囚人の手柄など認めるとは思えない。
こういった戦争での手柄の認定は物凄く曖昧だ。
紋章官といった、手柄認定の役人が同行して初めて手柄足りえるのだ。
それがいないならば首級を上げるしかないのだが、このざまだ。
勇者の手柄にはなっても、クラムの手柄になるかどうか……。
それに、俺はまだ大物を一人も倒してない!
貧弱な槍に恐れをなして、腰が引けていたというのもあるが……ゴブリン相手に、一撃で倒せないなら反撃を受けると初撃で分かってしまったからだ。
このままではマズイ……!
クラムが焦りを募らせていた時のこと。
「お、おい! これ見ろよ!」
囚人兵が仲間に注視を促す。
そいつは、いかにも悪人然とした強面の男──。
彼は、この中の囚人兵でも異色の存在。
いわゆる根っからの犯罪者で、由緒正しき? 囚人兵だった。
囚人兵は大隊規模で集められていた。
それはつまり、囚人兵は『勇者』による被害で囚人になった者ばかりではないということ。
例にもれず、この強面のような生粋の犯罪者もいる。
確か、元盗賊だというが──……沢山いる通常の犯罪者なかの一人だ。
それにしても、そいつが言う「これ」とは?
「手伝え──おらッ……!」
強面の元盗賊の男が、ズルリとゴブリンの死体を引き起こすと───……チャリン♪ キィン……! と、澄んだ音を立てて、金貨らしきものが零れ落ちる。
な?!
こ、これは、
「──魔族の金……か?」
誰ともなく漏れた呟きに、ニッ、と元盗賊の男は笑う。
慣れた仕草で、ゴブリンから回収した金貨を懐に納め───……宣った。
お前ら聞け──!
「いい方法がある───」
と。
…………いい方法?
半信半疑のクラムと囚人兵たち。
だが、彼らは元盗賊の男の話を聞いていくうちに表情を変えていく。
……なるほど──と!
それから、僅かな時間を最大限生かして囚人兵は無茶苦茶に動き回った。
疲労も負傷も忘れたかのように、無茶苦茶にだ。
そして、近衛兵団が堀の空堀を突破して突入してくるまでの間、クラム達は残党に警戒しつつもそれぞれの獲物を手にしていた。
囚人兵達の手にあるもの。
それは首級。
手柄認定に絶対必要なものだ。
ゴブリンやオーク等の首……多数。
なかには、魔族側の将校らしきものもいくつかある。
「チ……囚人兵どもめ。なんだ? 一番槍のつもりか?」
「ハッ。まるでハイエナの如き浅ましさだ……」
ゾロゾロと魔族の陣地に侵入してくる近衛兵団。
彼らは馬首を巡らせると、クラム達と僅かに生き残った囚人兵を取り囲む。
「汚らわしい囚人兵め!」
ペッ!
わざわざ、フェイスガードをあけて唾を吐いてくる連中までいる。
「なんだと!? ここに一番に突入し占領したのは俺達だ!」
元盗賊の囚人兵が勇ましく反論する。
同調した囚人兵が そうだそうだ! と気勢をあげ追従する。
だが囚人兵ゆえ、その実、内心は怯えていた。
なんといっても、紙よりも軽い囚人兵の命だ。
エリートたる近衛兵たちのの機嫌を損ねて殺されても───誰も何も言わない気がする。
囚人兵の指揮官である『教官』も………。
もはや信用ならない。
そして、事実として挑発された近衛兵が殺気を放ち始める。
中には剣に手を掛ける兵もいる。
こ、これは不味いのでは……?!
誰もがそう思ったとき、
ザッザッザッザッザ!! と後続の野戦師団が突入してきた。
それを見て忌々しそうに舌打ちをした近衛兵たち。
覚えていろよとばかりに、クラム達を睥睨《へいげい》するが、それきり何も言わず馬首を返し去っていった。
さすがに、友軍の兵に「味方殺し」を見られるのはまずいという事か……。
それにしても危なかった──……。
決して囚人兵達が野戦師団に好かれているというわけではないが、わざわざ殺す程のことでもないのは確か。
今は間の良いタイミングで現れた野戦師団に感謝しよう。
「ふー……」
寿命が縮んだぜ、と元盗賊が漏らす。
同感だ……。
まったく──。
今日だけで、どれほどの死線を潜り抜けたのか……。
だが、生き延びた。
なんとか、生き延びた───。
「一応、生きてるな……」
ホッと息をつくクラム。
そして、生き残った僅かな囚人たちは互いに目を見合わせ、軽く頷き合わせると、無言で所属部隊へと引き返していった。
手柄を引っ提げて───……。
第17話「手柄認定」
夕暮れの近付く午後───。
戦場からは人が履け……屍肉を漁る鳥だけが喧しく鳴いていた。
クラムの所属する囚人大隊の損害は甚大。
大隊と形容するのも烏滸がましいほどに戦力を減衰していた。
もはや小隊以下に落ち込んだ兵力は、部隊としての体は成しておらず、壊滅と言って言い程のそれ。
そのため、囚人大隊は一度解体。戦力回復に努めることとなった。
しかし、囚人兵に休みなどあるはずもなく、補充兵が来るまでは後方で補助兵として勤務することが決定。
後々、王国各地から送り込まれる補充の囚人が来るまで、後方勤務をしながら待機することとなった。
ちなみに、この決定を伝えた『教官』だが、囚人たちの目を見て話すことは無かった。
実際、囚人たちはその男──『教官』に対する信頼など、すでにを微塵も持ち合わせていなかったからだ。
いずれにしても、次の補充が来るまでクラム達の僅かな生き残りはかろうじて生存を赦された形になった。
今は、それぞれの軍の下級兵として補助任務を与えられるにとどまっている。
もっとも、苛酷な任務を課せられることにかわりはない。
命の危険があるか、ないかの違いで、やることと言えば死体整理に、便所などの準備と後始末。
誰も彼もが嫌ってやらない仕事ってやつだ。
とはいえ、戦場で盾にされるよりは何万倍もマシというもの。
クラムを含めて僅かな生き残りは、当面の間しばらくは生き残れそうだ……。
なんとか、助かった────。
囚人達の思いはそれに尽きる。
そして、敵陣の掃討が終わり──。
いよいよ、待ちに待った時が来た。
そう────紋章官たちによる褒章業務が開始されたのだ。
それは公称としては平等に行われるという事で、近衛兵団や、野戦師団だけでなく、一応軍の部隊である囚人兵もその対象である。
──むしろ、それがあるからこその囚人部隊への志願なのだが……。
さて、どうなることやら──。
そうして、クラムたちがボロボロの格好で野営地に引き上げて見れば、ガヤガヤと騒がしい一角に、長い行列ができている。
それぞれ近衛兵団や野戦師団で別れた行列らしい。
キョロキョロしていると、役人らしい一団によって、クラムたち囚人兵は野戦師団の最後尾に並ばされた。
一応は野戦師団所属ということらしい。
あとは、本当に手柄を立てたかを、ここで認定するわけだ。
近衛兵や一般歩兵が、敵の首級や、鹵獲品、そして口頭にて戦果を申告している。
野戦師団に混じるのは正規兵ばかりではなく。傭兵もいる。
彼らには、その場で報奨金の支払いも行われていた。
「これが褒章場か……」
クラムの呟きを聞きつけた元盗賊の男が振り返る。
「なんだ? オメェ戦場は初めてか?」
「──まぁな」
ぶっきら棒に堪えるクラムに気を悪くした風でもなく、経験者として元盗賊の男が教えてくれた。
紋章官の後ろには、山積みになった鹵獲品があり、敵の首やら口頭申告によって戦果を確認し、それに準じた褒章を授与するらしい。
クラムたち囚人兵の場合は減刑と僅かな金子と決まっているとか。
そして───それらの支払い用の金が詰まった樽が紋章官の背後に準備されているらしい。
なるほど……シンプルだ。
それらは、全て王国の準備した物らしく、各国の中でも王国のそれは比較的恵まれているそうだ。
(どうりでな……)
正規兵ばかりでなく、チンピラ一歩手前の傭兵の姿も多数ある。
どうやら、金銭的に余裕のある王国では、傭兵もこぞって参加しているらしい。そのため部隊の規模としてはかなりに上るようだ。
そうして、こうして、──延々と待たされること数時間。
囚人兵が立ちっぱなしでフラフラになってきたころ……時間にして、夕方近くになってようやく順番が来た。
もう、ほとんどの手柄の認定は終わり、残っているのは囚人兵ばかり。
後は近くで金の計算をしている傭兵やら、手柄が認められず憤慨している兵がいるくらい。
そして、目の前には疲れ切った顔の紋章官と補助員がおり、何度も見比べた戦場の戦いの様子を描いた帳面を広げている。
「次!……あ?」
彼らは目の前に並んでいたのが囚人兵と気付かなかったのだろう。
どうやら、仕事が長引いており、うんざりした様子。
そのうちに機械的に作業をしていたらしく、小汚い恰好をした囚人兵を見て、怪訝《けげん》そうな顔をする。
鼻をヒクヒクさせているということは、どうやら囚人兵の匂いに閉口しているようだ。
だが、そんな様子にもお構いなしに、クラムたち囚人兵の先頭に立つのは、あの元盗賊だという男だ。
「──何だ貴様ら? 残念だが、……貴様らの戦闘の記録はないぞ?」
そう言って、追い払おうとする紋章官。
ウンザリした様子の補助員も呆れ顔だ。
「へへへ…ソイツはこれを見てから言ってくださいよ」
ドンドンドンッ! と、敵陣地で切り取った魔族の首を並べていく。
それもこれも恨めしげな顔をしている。中には苦痛やら、呆気に取られた様子で──最期の表情を浮かべていた。
「んんんん? なんだこれは……。お前ら──……他人の手柄を持ってきても意味はないぞ、帰れ帰れ」
シッシと追い払おうとするが、
「何言ってんですかちゃんとみてくださいよ───ほら」
そう言って、切り取った首級の口をそっと開ける。
「馬鹿を言うな、お前らの首は勇者が攻撃した─────……む?」
そして、驚き口を噤む紋章官。
並べられた首級の口を少しずつ開き……じーーーッと、確認しているようだ。
そして、
「──う、うむ……。よく見れば、こいつらは魔族の将校だな、うむ、うむ……。記録にはないが証拠がある以上間違いない」
そう言って、首を近くの籠に放り込み、背後の首の山とは別にする。
「紋章官どの?」
不思議そうな顔をする補助官に、
「何をボケッとしておる。既定の金を払ってやれ──私は上申書に記入しておく」
それだけ言うとさっさと作業に入る紋章官。
減刑につながる上申書にサラサラと名前と具体的な手柄を記入していく。
仕方なく、補助官は金の詰まった樽をあけ、チャラチャラと音を立てて革袋に移し替えると元盗賊の男に渡した。
「へへへへ……どうも、これからも骨身を惜しまず働きますよ」
ニカっと気持ち悪い笑みを浮かべるとさっさと、立ち去る。そして、背後で「ひーふーみー……」と金を数え始めた。
「次!……お前もか?」
クラムが目の前に立つと、紋章官は目をギラッと光らせ、クラムを視線で射抜く。
一瞬怯みそうになるが、
「──ああ、同じだ」
そう言って、首を並べた。
「ふむ……! 高級将校もいるな……よしよしよし、上出来だ。いいぞー。減刑は期待していい」
また首級の口を軽く指で開くと、ニヤニヤと笑う。
手柄認定はそれだけ。口頭審問もなく、無造作に首を籠に放り込むと、補助官に指示を出す。
そして、あっけないほど簡単に報奨金と上申に漕ぎつけることができた。
「次!……────」
次、
次、
次ぃ!
背後で同じようなやり取りが続く。
しかし、残りの人数からしてすぐ終わるだろう。
元囚人兵たちは、それぞれが手柄を上手く受け取っているらしい。
(上層部も腐ってやがる──)
クラムは空を仰ぎ、一人思う。
何はともあれ……今日、生き残ることができた。
それだけで十分、
「──明日へと………自由へと繋がる!」
家族と再会できる日を夢想して、クラムは──グググと金の詰まった革袋を握りしめた。
そこに、
「──よぉよぉ? 聞いたぜ~。俺は無期懲役だが……お前らは死刑なんだって?」
元盗賊の囚人兵が気安く声を掛けてくる。
さすがに無下にもできないので、
「あぁ、どっかの英雄さんのおかげでな」
ペッ! と唾を吐かんばかりに、暗に『勇者』を揶揄する。
「かー……あれか。例の評判の悪い『勇者』さんの件かー! ま、俺も今日殺されかけたから……いい気はしねぇな」
「あぁ、最低な野郎さ……!」
ギリリと歯を噛み締め、拳に力を入れる。
「ま、雲の上の人のこった……。今は大人しくしてようや」
バンバンと気安く背中を叩きつつ、豪快に笑い退ける元盗賊の囚人兵。
……友達になった覚えはないんだがな、と──呆れているものの。
「飯にしようぜ」と気安く誘われれば断る気も起きない。
やけに慣れた様子の元盗賊が先頭に立って、紋章官から報酬を受け取った残りの囚人兵達ともに、酒保へと向かう。
飯を食うならやぶさかではないとばかり全員がゾロゾロと連れ立って歩き始めた。
囚人兵にも、一応……飯も支給されるのだが、まぁ、一応ね。
当然、量も味もお察しだ。
それくらいなら、金を払ってでもしっかりと食べたほうがいい。
戦場では体が資本。むしろ囚人兵にはこれしかない。
だから、食べようじゃないか。
久しぶりに人間らしい飯をな。
ちょうど、遠征軍には移動酒保商人も同行しているらしいし、何かしら食えるだろう。
囚人兵とはいえ、軍の野営地ではかなり行動の自由が許されている。
野営地そのものが檻と言えば檻だし、足枷の付いた状態では、遠くに逃げるのは無理だ。
(……久しぶりにまともなものにあり付けそうだ)
ヨロヨロとした足取りだが、それでも囚人兵達は大地を踏みしめ──今日この日生きていることを、噛み締めながら飯にあり付く……。
第18話「闇市」
移動酒保商人にはさまざまな種類がいる。
飯に、酒、保存食の他に、菓子にコーヒーなどの嗜好品、さらにはタバコや麻薬も販売している。
また消耗品以外にも、武器防具や、その修理───なんでもござれ。
ついでに馬や、服なんかも売っている。
もっと奥まで行けば、おーおーあるわあるわ。ダークでグレーなお店がいっぱい……。
風俗として春を売る女も同行しているし、その衛生管理の医者や薬師もいる。
怪しい所では占い屋、呪術師、神父までいる始末。
そういったサービス業もあれば、普通の店をあったりと移動酒保商人の集まる一画は、不思議空間を形成していた。
例えば、通常の大店から出向している貸本屋や、代筆、洗濯、仕立て屋と、一見して軍隊と全く関わりの無さそうな店まである。
言ってみれば、まるで街が丸々移動してきたようなものだ。
そして、当然の流れとして……人と金がの集まるところには裏家業もそこについてくるわけで、いわゆる大っぴらには取引できない闇市も派生する。
そんな怪しい一角を除いてみると、まぁ──あるわあるわ。
戦利品の裏取引や……捕虜の売買、さらには怪しい肉や、雇い人の斡旋───果ては奴隷の売買まで行われていた。
だが、この「奴隷」の出所の怪しさと言ったらない……。
これまた捕虜から派生した魔族の奴隷なら──まだわかる。
人類どうしの戦争でも、身代金も取れないような捕虜なら、時には紋章官が正式に奴隷認定をして、そのまま捕虜を権利者に与えることもある。
しかし……。
時には、戦争とは関係のない場所で誘拐した者や、戦いの最中のどさくさに紛れて、敵の奴隷をそのまま商品にしたりなど──もうやりたい放題だ。
本日も、ご多分に漏れず──世界は通常運転。すなわち腐っている。
「おう、まずこっちだ」
クイクイと、元盗賊の囚人の案内をうけて、ブラックマーケットの中に足を運ぶ。
表の商店で飯を食っている時に、近衛兵にでも絡まれでもしたら厄介だというのもあるが、
「飯もそうだが、これもなんとかしないとな?」
へっへっへ…と、取り出したのは、紋章官に渡し切れなかった戦利品。
──……そう、クラムたちは、手柄認定の際に、紋章官には戦利品を渡していた。
あの時、クラムたちはせっかく手にした首級を前に途方に暮れていたのだ。
クラム達は囚人兵。当然のことながら、手柄にしても冷遇されるのは目に見えている。
命を賭して、首級をあげたとて───……通る筈がない。
しかも手元にあるのは下級兵士の首ばかり。
仮にその戦果が認められても、それだけの価値。下級兵士を渡しただけでは手柄としては少ないわけだ。
そもそも認定されるか非常怪しい。
だから、悪知恵の働く元盗賊の男が一計を案じた。
つまり──獲った魔族の首に付加価値をつけて出したわけだ。
そのままでは手柄認定されない首だが、口の中に賄賂を仕込んで渡せばあら不思議。
下級兵士の首級があっという間に大手柄。
──見事、囚人兵の手柄に変化したわけだ。
からくりは実に簡単極まりない。
バレなければ紋章官には、賄賂が丸々手に入ることになるので、基本的にはどちらにもウィンウィンの関係というわけ。
もっとも、紋章官は貴族が務めるのが普通であるため、そんなリスキーなことをするのかという疑問もあった。
だが、紋章官といえど人間であったらしい。
なるほど……大変欲望に忠実だ。
なんたって通常の戦果として認定してしまえば、囚人兵の戦利品は王国の国庫に入るだけ。紋章官にはなんの利益もない。
しかし、こっそり懐に入れてしまえば……それは、紋章官のものになるわけだ。認定外の戦利品ならバレることもないと──……聞きしに勝るほど、想像以上に腐っていやがる。
ちなみに、賄賂の出どころは、魔族の兵が持っていた金品だ。
意外なことに、魔族が物持ちなことには囚人兵も皆が驚いたもの。
かなり裕福なのか、ゴブリンであっても彼らは例外なく金銭を身に着けていた。しかも大金……。
一見、無防備過ぎる気もしたが、預ける先もない以上、戦場では持ち歩くしかないという事情も分かる。……わかるのだが、それにしても凄い額だ──人間の感性から言うとかなりの金持ちにあたる。
たまたま、あの戦場にいた魔族が金を持っていただけなのか、それとも全体的に魔族が金持ちなのかはわからない。
だが、短時間で集められる量としては結構な額を集めることができた。
戦闘で仕留めた兵や防壁の下敷きになった兵以外にも、地面に遺棄されている死体のそれからは、囚人兵達がほとんどを回収してしまった。
証拠がなければ、そもそも探そうとすら思わないだろう──というのが元盗賊の囚人兵の言い分だ。
(──まったく……随分《ずいぶん》と手慣れていやがる)
呆れ半分、関心半分───ま、そのおかげで助かったのは事実だ。
その元盗賊の男だが、闇市をまるで自分の家の様に勝手知ったる様子で、ヒョイヒョイと歩いていく。
勇者によって死刑にされた囚人兵らは勝手がわからず、必死で元盗賊についていくだけ。
そして、
「──お。ここだ、ここだ」
元盗賊の囚人兵が案内したのは、何でもない酒屋だった。
簡単な小屋掛けを作り、地面に茣蓙を敷いただけの簡易店舗。
食料は供されるらしいが、──直に座って食べるスタイルらしい。
奥は暗く、壁の代わりに樽や木箱が積み上げられいた。
チロチロと火を覗かせているのは簡易竈らしく、その竈の中と上で何かが調理されていた。
「──初めて来た場所なのに詳しいな? って言うかここ、飯屋だよな? 戦利品は、」
「しッ!」
皆まで告げさせず、元盗賊の囚人兵はクラムの口を塞ぐ。
「滅多なこと言うな!……見ろ」
クイっと、元盗賊の囚人兵が指刺す先を見ると、ソーセージが炙られているイラストの看板がある。
「飯屋だろ?」
「その下だ」
???
クラムが意味が分からず首を傾げていると、
「ったくぅ……。どこのボンボンだ、お前は? ほれ、あれだあれ。……看板の下。小さくトカゲの絵があるだろ?」
「……あぁ。それが?」
「はぁ……まったく。あれは盗賊ギルドのマークだ。世界中共通だぜ?」
へー……。
「ったくよぉ、興味ねーって顔しやがって。いいか?──こういうところで売らなければ足が付くだろうが、まったく……」
そう言って、元盗賊はさっさと中に入ってしまう。
他の囚人兵達も顔を見合わせつつ、オズオズと中についていくしかない。
入ってみれば、内部は暗く……どこか空気が籠った感じがする。だが、思ったよりも内は広く温かかった。
「……らっしゃい」
何も言わずとも、奥にいたキツネのような顔をした店主がジョッキに盛ったエールを突き出してくる。
「おう、ウォッカを人数分と、後は適当に──腹に溜まるもんを出してくれや……。あーあと、山の香辛料を頼む」
ピクリと表情筋を動かした男は、「あいよ」といって引き下がりすぐに、注文の品を出してくれた。
店内には他に客はおらず、囚人兵達は足枷をジャラジャラ鳴らしながら思い思いに座り、料理に舌鼓を打った。
暫く食事と酒を楽しんでいると、
「ダンナさん、山の香辛料は裏に在りますよ」
と、
店主が然り気無く近づき、元盗賊の囚人兵に──そう、こっそり耳打ちするのを聞いていた。
「ん、おう。飯食ったらいく」
……あーなるほど。少しわかってきたぞ。
「……山の香辛料ってのは、スラングか?」
元盗賊たちのやりとりに気付いたクラムは、それとなく聞く。
「へ……。ま、そんなとこだ。飯が終わったら裏に行くぞ」
ガハハハと笑いつつも、元盗賊の囚人兵は、たいして気負った様子もなくガツガツと飯を食っていく。
緊張しっぱなしの囚人兵は顔を見合わせるばかり。
んーむ。この元盗賊は、頼りになるんだか、ならないんだか……。
微妙に不安になりながらも、クラムは久しぶりの酒と、腹に溜まる食い物をモソモソと押し込んでいった。
そして───。
「へー……! こいつぁ、なかなかの品だね!」
キツネのような男は、囚人兵達が出した金品を鑑定していた。
小さなメガネで表面を観察したり、齧ったりして──それはもう、試つ眇めつだ。
「おーおー、こりゃ純金だ。それに細工物の宝石か!」
へへへへへと、笑いが止まらない様子で、
「いや、いいもの見たよ。魔族の連中──……いいものもってやがる。連中の技術力は半端じゃないぞ」
もしかして人類を凌駕しているんじゃないか? とまで絶賛。
その品々をすべて買い上げ、次々と対価を払っていった。
その額は、紋章官から受け取った金銭を遥かに上回るもの!
囚人兵全員が目を剥いて驚いている。
……おいおい、マジかよ───と言わざるを得ない額だった。
「へへへへ……! 旦那方、またウチを御贔屓に」
揉み手する店主に、元盗賊の囚人兵は渋い顔をしていたが、
「今は初回だからな……次はボるなよ!」
と、不機嫌に言い放つ。
「そんなことはー……」と言い訳染みたことを言っている店主を放置して、元盗賊の囚人兵はノッシノッシと店を後にした。
元盗賊の様子とは裏腹に、皆ホクホク顔だ。
さぁ、あとは、寝床に帰るだけだ。
……だけど、その前に、
「──さっきの額……あれは安いのか?」
クラムが気になって尋ねると、元盗賊からジロリと睨まれる。
……──おいおい、八つ当たりするなよ。
「くそッ。予想の半分以下だ……! ボッタクリやがって、あのキツネ野郎ぉ」
不機嫌な元盗賊の男だが、競合店が少ないから、やむを得ない……と、諦めているらしい。
それを見てもクラムたちにはぴんと来ない。
元盗賊の囚人兵は憤慨していたが、クラム達囚人兵からすれば望外の金額だ。
これで十分だとすら思っていた。
だが、
「──おめぇらは、おめでたいな……」
ハァとため息を付く元盗賊の囚人兵。
その様子に、何を言っているんだと全員が顔を見合わせるが、
「あのな? ……金さえあれば、自由になることもできるんだぞ?」
と、何気なくそういうが──。
「無理だろう?」
クラムは即座に返す。
ほかの囚人兵の方も呆れ交じりに答えれば、
「ハッ。ま、昔はそうでもなかったがな。……最近は例の勇者特別法のごり押し以来な、法律やら司法関係者も屑ばっかに入れ替わっちまったのさ。でだ……そんな状況なもんだから、わりと金で何とかなる場合もある」
ま、マジかよ。
それが本当だとすると……もしかして、かなり損をしたことになる。
しかも───自由が金で買える!?
金が「自由」に繋がるなら……あの野郎ぉぉお!!
クラムから、思わず込み上げる殺気。
それを並々と漲らせて、すぐさま先ほど店に引き返そうとする、が──。
「おいおいおいおいおい! 何考えてる! 一度買い取ったものを、ギルドがそう簡単に返すわけがないだろう!」
と、そう言って止められてしまえば……どうしようもない。
もっとも納得はしていないけどな!
その様子に元盗賊はため息交じり、
「──はぁぁ……。戦場の時から見てたがよ。お前は意外と短気だよな?」
困ったやつだ。と、頭を掻きつつ言う男に、「元盗賊に言われたくない!」と乱暴な口調で反射的に返してしまった。
「だから落ち着け……。少なくとも、いまあるだけの金でも減刑はできる。最低でも死刑は免れると思うぞ?」
と、そう言う。
言うが────……。クラムにとっては減刑ではダメなのだ。
そう、一刻も家族と再会したいクラムにとっては無罪放免しか道はない。
他の囚人も皆同じ立場……暗い顔だ。
「はー……。しみったれた連中だぜ」
あーやだやだ。
そう言って、元盗賊の囚人兵は、さっさと先に立って歩きだす。
土地勘のない囚人兵たちは仕方なく追従するが、ブラックマーケットは雑多な人込みで混雑している。
囚人兵達は足枷が邪魔になってなかなか前に進めないので皆随分苦労していた。
闇市自体は、迷うほど広いわけではないが、野営地といっても数万規模の人間がゴチャゴチャと集まっているものだから…ちょっとした街のようなものだ。
「おら、早く来いよ!」
言われて、なんとかノロノロと前に進みだす囚人兵達。
そして、ようやく追いついた時、突然横の広場が「ワッ!!」と沸き返る。
うお?!
な、なんだ……?
第19話「奴隷市場」
突然、横の広場が「ワッ」と沸き返る。
───なんだ?
「お……! 見ろよ。奴隷市場だぜ」
元盗賊の囚人兵が指し示す先。
地形を利用した天然のステージに、簡易柵や馬車に乗った檻が広場をぐるりと囲んでいる、ちょっとした市が立っていた。
「へへ……。久しぶりに若い女を見たな」
視線の先には、暗い顔をした男女が檻に入れられて下を向いている。
「あーは、なりたくないな……」と、元盗賊の囚人兵は言うが───うーむ。囚人兵も大概だと思うぞ……?
余計にドンヨリしたクラム達を尻目に、視線の先では「大金」と「人間」が熱気も顕に、やり取りされていく。
そして、次々に競売が実施されて───クラムたちの目の前で商品が売れていく……。
屈強な男は戦闘奴隷として、
痩せた男は鉱山奴隷として、
老婆は薬の実験台として高価で、
若い子供は男女問わず、性奴隷として……、
なお、男の子は鉱山奴隷や戦闘奴隷にも変更可能らしい。
そして、同じ商品でも扱いによって値段がべらぼうに違う。
「なんだ? あの婆さんや小さい子、若い娘より高いじゃないか?」
興味を覚えた別の囚人兵が、元盗賊の囚人兵に訊ねている。
「なんだなんだ? 知らないのか?」
ふふふん、と鼻高々に説明し始める元盗賊の囚人兵。
その間にも、ドンドンと奴隷は売れていく。
子供、男、女、老女、
人、人、ヒト、ひと……───。
「奴隷ってのは、基本的に国のもんだ。売買によって一時的に所有はできるが、最終的な権利は国が持つ、」
あー……。そういや、奴隷は国の財産だって、どっかで聞いたことがあるな。
「──それでだ。人間様が生きている期間に応じて、最終的な値段として売買されるわけだ。つまり、死ぬのが早い戦闘奴隷は高価になるが、死ぬ危険が少ない性奴隷は安価と……まぁ、かわりに毎年更新料が必要になるわけだがな」
そして、性奴隷、鉱山(重労働)奴隷、戦闘奴隷、酷使奴隷の順で高価になる。
とはいえ、生きている間は年度ごとの更新料も必要となり、支払いできなければ奴隷は国に返却することになる。
つまり、最終的な人間の値段はほぼ同じになるという事。
(ちなみに、奴隷が子供を生んだ場合は国が権利者になる)
性奴隷は、死ぬまでのお金を計算して比較的安く……。
薬や兵器の実験台、拷問趣味の変態のための酷使奴隷はすぐに死ぬため値段は高い……。───ということらしい。
故に、酷使奴隷の老女が高かったり(それでも寿命換算で言えば安い)、
鉱山奴隷や戦闘奴隷にされる男の子のほうが高かったり(性奴隷にすれば安くなる)、
つまり、命を天秤の乗せて、奴隷の残り寿命をお金で換算して値段が決まるというわけだ。
実に人類愛に満ちた制度。
人間の命は平等で、その価値は同じなんだよ! と、まぁそういうことらしい。
それが、この世界での奴隷売買の基準なんだとか?
まぁ、お優しい世界なこって──。
ちなみに、これを誤魔化して性奴隷として購入(この場合はレンタルに近い)した者を、酷使奴隷や戦闘奴隷として使用した場合──……購入者が厳罰に処させる。
そのうえ───仮に死んだ場合は、本来発生する代金に罰金を上乗せした額が徴収されるらしい。
故に、しっかりと使用目的に合わせた奴隷を買う必要があるのだとか?
また、純粋に労働力や家事手伝いとして雇いたい場合は生活奴隷と言って───これまた高い。
生活奴隷は、奴隷というよりも通常市民に近い扱いとなるため、市民権を与えるのが通例らしい。
そのため、一市民の権利を与えることになるので、これまた王国の財産を買うという事で酷使奴隷なみの金額が必要になる。
それくらいなら、と。
性奴隷として購入したものに家事手伝いをさせることが一般的だった。
それ自体は別に罪ではないが、最終的な扱いが問題になる。
つまり、そんな法律逃れを防ぐため──きちんと年間の更新時にちゃんと「使用」していることを証明せねばならない。
証明できない場合は奴隷の回収と、最悪の場合、違反金を取られることになる。
昔の笑い話に、こんな話がある。
奴隷の代金をケチるため、一時金逃れを画策した男がいたらしい。
生活奴隷として使っていた値段の安い女を性奴隷として購入した結果──醜女を、役人の前で抱く羽目になったとかなんとか……。
性奴隷として(当然品質により性奴隷の中でも安く購入できるわけだが)購入した場合……そういった危険もあるわけだ。
もっとも、失礼な話ではあるけどね。
とは言え、昔話の戒めは中々身につまされるものだ。
下手な代金逃れは後々大変ということ。違反した購入者は結局は自分が大変な目にあうのだから、なかなかよくできたシステムだ。
そんなこんなで、奴隷は財産──とはよく言ったものだ。
ぼんやりと、奴隷の流れる様子を見ていると、さらにさらにと奴隷が奥から追加されていく。
その様子に、会場中のボルテージも上昇していき、熱気が凄いことになってきた。
「さぁ、ドンドン売れてまいります! 今の戦闘奴隷は、金貨60枚でのお買い上げです!」
屈強な男が絶望的な顔で牢から引き出され、
金と交換で傭兵団に引き渡されている。
絶望的な顔をした男。
彼には戦闘奴隷として過酷な運命しか待っていないのだろう。
囚人兵とどっちがいいかと言われてもクラムには答えようもなかったが……。
そして、高値の交渉をまとめた司会は上機嫌に次の奴隷を紹介する。
「──さぁ、お次はぁぁーーー!!」
ダラララララララララララララ、……ダァン!
と、場を盛り上げる太鼓の音に続き──サッと、檻の垂れ幕が取り払われる。
「彼の『勇者』テンガのハレムで飼われていた、美しい少女だぁぁぁぁぁぁ!!」
え?
リ──────。
第20話「煉獄での再会」
り、
「リズ……?」
檻から引き出され、焦点の定まらぬ視線でボンヤリと虚空を眺める少女。
記憶にある姿よりも成長しており───妹に……よく似ている。
別人?
……いや、
リズ、だ。
間違いない……。
リズだ……───。
───リズ………………………。
「さぁさ、お買い得! こんな上物二度と手に入らないよ! 当初、金貨10枚から参ります」
バァン! と、太鼓を叩き値段を示す。
そのあまりの高さに会場がザワツク。
通常相場の3倍以上らしい。
確かに……。
確かに美しい。
「おいおい……。誰がガキの性奴隷にそこまで出すかよ? ま、……確かに上物ではあるが──」
客をバカにすんなよ、と元盗賊の囚人兵がせせら笑う。
それは会場の客も同じ思いだったのか、誰も手を上げない。
「いないか!? さぁさ、まだ始まったばかり、値段分の損はさせないよ!」
司会の男が何かを言っているが、クラムの耳には入っていない。
ヨロヨロと、鎖を鳴らしながらステージへと歩いていく。
嘘、だろ……?
なぁ?
なんでそんなとこにいるんだ?
リズ……。
俺の家族、リズ───。
「お、おい!」
クラムの様子に気付いた囚人兵達が、慌てて止めに入る。
しかし、人ごみに阻まれて思うように前に進まない。
「いないか!? 誰もいないか?」
確かに、『勇者』のハレムから流れた来ただけあり──かなりの美しさだ。
まだ幼さを残すそれは、十二分に今後の成長も望めるだろう。
ただ……。
そう、ただ余りにも汚い。
垢汚れに、フケまみれ。泥だか糞尿がこびりついてさえいる。
それはもう、乞食以上の汚れ──。しかも、生気のない顔色は買うものを躊躇させる。
ガリガリに痩せ……。
目は隈がくっきりと映えている。
若く美しいはずの少女だが、その瞳は暗く……、まるで地獄の底の様に沈み込んでいた。
しかし───。
それを差し引いても映える美しさ。
少女から大人へと向かう段階のアンバランスな背徳的な美を兼ね備えた───美しき少女……。
クラムの家族。
大事な姪っ子のリズ────。
たしかに、これなら……。
だが、躊躇する客も多いらしく、司会が二の足を踏んでいる。
どうする?
どうする──、と。
「さぁさいないか! いないか!? ん~~~。皆さまお悩みの様子!」
では、ご覧あれ──と、何を思ったか、司会がリズを檻から引っ張り出す様に店の者指示を出した。
すると手慣れた様子でリズを引っ張りだした男達。
「う……」
呻くリズにはお構いなしにやや乱暴な手つきで客のまえにズイズイと引き出す。
そして、
「まだまだ、使えますよ! 実際使用していたのかさえ疑わしいほどの一品です!」
そういって、男達に命じてボロきれの様な服を引っぺがさせる。
たちまちあらわになる少女の裸体。
それは……。
それは美しい肢体だ。
確かに汚れて、痩せてはいるものの、クビレとそして出るところのでた新鮮で可愛らしい少女そのものだ。
ツンと上を向く形の良い胸には、頂点にピンク色の綺麗な乳首がひっそりと咲いている。
恥丘にはほとんど毛が生えておらず、プックリト健康的に膨らむ、外気を浴びてしっとりと輝いていた。
まだ幼い少女。
美しさと可愛らしさのバランスの危うさが、たまらなく淫靡だった。
「さぁさ! どうだ! これがハレムの少女の美しさだぁっぁ!! 買わないか? 買わないかぁぁあ!?」
司会は、少女の顔に手を這わしつつ、少し疲れた表情をしたリズの幼さをよーーーく見えるように示してみせた。
「……10枚! 買うぞ!」
そこに──エェイ! とばかりに好色染みた老人が手を上げる。
「でた! そこな紳士から10枚です! さぁさ、いないか? 他にいないか!?」
10枚出すという老人の顔は引き攣ってはいるが……。なるほど、裕福そうな外観からも、出せない額ではないのだろう。
きっと老い先の短い枯人だ。
例え更新期間までの一年でも、十分に楽しめればいいという考えも明け透けに見える。
───ゲスめ。
そこを、クラムがよろよろと歩き、人々をかき分けると、
「────リズ?」
そう呟き、まるで幽鬼のようにステージに近づく。
あぁ、やっぱりだ。
リズ………。
リズがいた────。
「さぁさ、いないか? いないなら、もう決まるぞ! さぁ!」
司会の男がさらに値段を上げようと場を盛り上げようとするが、やはり高い……!
誰も彼も、欲しくないわけではないだろうが───あまりにも高い。高すぎる。
客が二の足を踏んでいる中、
「リズ……………………」
彼女の叔父────そして、囚人兵であるクラムがステージに一歩踏み入れた。
安っぽい板床がミシミシと音を立てる。
だが、クラムのあまりにも自然な歩みに誰もそれと気づかない。
「リズ……!」
なぁ?
なんでそこにいる?
……何があった?
なぁ?
ネリスは?
義母さんは……?
お前の母ちゃんや………。俺の娘のルゥナは!?
─────なぁ?
「リズぅぅぅ!」
「……ッ……!?」
虚空を見つめていたリズ。その目が──口が──少女が……。
僅かに、ほんの僅かに反応する。
焦点の合わない瞳に光が……。
「……ぁ」
───確かに、光が灯り、
「……ぉ……ん」
ほんの僅かに口が動き、クラムを見る。
「──リズ、リズ!! 俺だ! 俺だ!」
わかるよなリズ?
「クラムだ、……叔父ちゃんだぞッ!」
足がもつれて倒れるクラム。
ドサッ! ジャリぃぃいンと───盛大に鳴り響く鎖と足枷。
くそぉおお! 足枷が重い……もどかしい!
それでも!
リズの前まで、張って近づくクラム。
そして……。
「……ぉぃ……ぁん?」
リズの視線がクラムを捉える。
その瞳は濁り……───暗い闇に沈み、一見して……クラムを映してはいないが───!!
「ぉ……ぁ……あぁう」
確かに……。
そう、微かに……!
僅かに……!
瞳にクラムを映した───。
「リズ───────」
だがそこまでだった。
ステージに乗り込んで、しかも、盛大に鎖の音を鳴らして気付かれないわけがない。
「おい、なんだ?──邪魔だ、早く取り押さえろ!」
突然叫び出し、ステージに踏み込んできた男───クラムに、司会の男が気づく。
その顔は何事かと驚いていたが……存外冷静だ。
周りはと言えば、クラムの様子に会場の警備にいた男達が今さらながら動き始め、こん棒やサスマタを手に取り押さえようと近づいてきた。
「んー? あ、さてさて……えー! 金貨10枚! 金貨10枚だ!? 他にいないか? いないな!?」
さすがは闇市の奴隷市場の司会。
不測事態にも同様しないだけの肝をもっているらしい。
クラムに気付いていながら、半ば無視をする形で、司会の男は最後の最後で、何とか値段を釣り上げようとする。
しかし、
「は、離せ!! 離せごらぁぁぁ!!」
あっという間に制圧されたクラム。
だが、それで黙るはずもなく、
「リズ!!!! リズぅぅぅぅうううう!!」
司会がせっかく値段を上げようと頑張る中、その涙ぐましい努力を邪魔するのは、叫び続けるクラム。
手を伸ばし、やかましく叫ぶクラムに辟易し、うるさいな、と──! 口を塞がせようする。
だが、リズとクラムにはそんなことは関係ない……。
関係ない!!
リズは、今ようやくクラムを───。
クラムはここで初めて家族を──リズを!!
えぇい、
「取り押さえろ!」
業を煮やした増援の警備が飛び出し、わらわらクラムに取りつくと、ステージから引きずり降ろそうとする。
しかし、石に噛り付くように意地でも動かないクラム。
そこに、囚人兵達も到着し、警備の男と共にクラムを引き摺って行こうとする。
「この野郎!」
「おい! 行くぞっ」
「離れろって!」
乱暴に掴まれる肩や腕───!
だが、行ってなるものか。
離れてなるものか!!
二度と失ってたまるか!!
「がぁぁっぁぁ!! 離せぇぇぇ!!!」
リズが、
リズが!
リズがいるんだ!
「リぃぃぃぃぃぃぃぃぃズぅぅぅぅ!!!」
あああああああああああ!!!!
「金貨10枚! 金貨10枚で決───」
さ、
させるか!
「金貨15枚!!!」
クラムは懐にあった金と、
「あ! てめぇ!!」
後ろから抑え込んでいる元盗賊の囚人兵から、金の袋を奪い取り───纏めて司会の男の足元に投げた。
そいつは綺麗な放物線を描き、司会の足元に転がって行き、チャリンと言う音に反応した司会は、
「お……? 金貨……」
チラッと中身を確認した司会の男。
すると、
「出ました! 金貨15枚! 金貨15枚だぁぁ!!! いないか? 他にいないか??」
クラムの金額が通ったらしく、一気に値段の上がったリズ。
それを聞いて、金貨10枚出すといった老人は、渋い顔をして躊躇っている。
性奴隷に金貨10枚というのは、彼にとってギリギリの金額だったのだろう。
暫く黙り込み、随分考えこんでいたようだが、
「ま、他を当たるとしようかの──」
フルフルと首を振ると諦めたようだ。
「むーーー!!……いないか!? いないか!! いないな?!…………それでは、金貨15枚で決定ぇぇえ!」
────うぉぉぉぉぉぉ!!!!
猛烈な熱気と共に、会場が沸きたち───……。
リズはクラムによって、「性奴隷」として金貨15枚で落札された。
第21話「小さな帰宅」
「はぁ!? 囚人兵ぃぃ???」
リズを受け取る段階で、
奴隷市場の事務員に金額を支払い終えたとき、彼が素っ頓狂な声を上げる。
「なんだよ? 金なら払っただろう」
クラムは何でもない様に言うが、
「いやアンタねぇ……。金を払うなら、別に鬼畜野郎でも、ロリコンにでも売るがね……」
彼は言う。
「だけど、アンタらみたいな身元の不確かなものに売るのはちょっとだな……」
「なんだと!?」
奴隷の売買に置いて、特に性奴隷であるが───年間の更新料の徴収が発生する。
そのため、徴収者がその人物のところに徴収に行くわけだが、この際、身元の不確かなものの場合───徴収は著しく困難になり、最悪奴隷を持ち逃げされる可能性がある。
───奴隷は国の持ち物であり、財産である。
そのため、必ず身元が保証できる人物に売るのが条件となる。
例外としては、一括で支払われる戦闘奴隷や、酷使奴隷であるが……、基本的に性奴隷はその制約が著しく厳しい。
どうしても、終身で買いたい場合は高額な金を支払って生活奴隷にする方法があるのだが、これは市民権を与えたり、王国財産を買うという前提でもあり……、なかなか性奴隷として使うのは外聞が悪くなるのだ。
もっとも、よほどの大金持ちならそう言ったこともあるのだろうが───。
市民権を得た少女らを家に囲うというのは、中々に世間の目がよろしくないのだ。
その点、性奴隷ならば一年更新。
半死半生のボロボロにしなければ、基本何をしても良い。
それこそ、身内で姪っ子であろうとも、だ。
最悪、飽きれば一年で返却すればよいだけのこととして、比較的気軽に購入されている。
しかし、その安価で気軽な分……購入者側の制約はそれなりにハードルが高い。
高いのだが……、それなりの数が流通しているということは、しっかりと職を持ち──家があれば大抵問題ないということでもある。
性奴隷を囲うというリスクにさえ目をつぶれば、一市民でも安価で買うことができるのだ。
もっとも、その奴隷を持ち逃げしたと嫌疑を掛けられれば、担保となるのは家や財産、またはその親族にまで及ぶこともある。
故に、よほどのバカでなければ性奴隷は性奴隷として「活用」するものだ。
そして、クラムの場合はいずれにせよ───。
「家はあるといっただろう! さっきの住所だ。調べればわかる!」
「いやさ、だから調べたよ? 近くに住んでるやつも結構いたからね……でだ、」
ジロっと事務員がクラムを睨む。
「その家ってのは、随分前から空き家らしいじゃないか? 家主も……まぁなんだ?」
チラリとクラムの足枷を見る。
「なんだよ!」
「いや、まぁそれでだ──その家の家主だという事を証明できない以上だな……」
事務員としても折角高値で売れた商品をまた元に戻すというのはできるだけやりたくない様だ。
「だったら、役所に問い合わせろよ! クラム! 俺はクラム・エンバニアだ」
「だからぁ……。役所に問い合わせて……それから回答来るまでどれだけ時間がかかると思っているんだよ」
事務員のいう事は一々もっともだ。
たしかに、遠く離れた最前線と南方の王国だ。
往復でどれほどかかるのか。
そして、例え遠方であっても───事務員としては問い合わせても良かったのだ。
ただ、それが無駄骨に終わる可能性を考慮すると、軽々に頷くこともできない。
問い合わせるだけ、問い合わせて、
そんな奴は知らん……と役所に回答されれば、結局クラムに奴隷を売ることはできなくなる。
「悪いけど……今回は、」
そう言ってリズを引き戻そうとする事務員。
リズは、屈強な男に取り押さえられ奴隷市場に連れ戻されそうになる。
「くそ! そんなバカな話が──」
「───まて」
そこに一人の男が割って入る。
こいつは……。
「───てめぇ……」
成り行きを見守っていた元盗賊の囚人兵が、凄みのある声で威嚇する。
「私が身元保証人になろう」
「『教官』……!?」
クラムが鋭い目でその男──『教官』を睨む。
「へ? あんた誰だよ」
突然割って入った『教官』に事務員の男が怪訝そうな顔をする。
それに取り合わずに、『教官』男とはニ、三会話すると──。
「はぁ、まぁ、そういうことなら……おい」
それだけで納得したのか、あっけなくリズをクラムに引き渡す事務員。
屈強な男に連れられてリズがズルズルと引き摺られて、クラムに渡される。
「リズっ!!」
ガシリを抱き留めた少女は……間違いなくリズだ。
「……ぁ……」
「……リズぅぅぅ」
ぐぐぅぅと抱き留めた少女の軽さに驚くとともに、
やっと……。
やっと家族に会えた喜びに体が震える。
しかし、その再開劇の裏で囚人兵と『教官』は一触即発状態だ。
代表して元盗賊の囚人兵がズイと近づくと、
「よぅ……なんのつもりだ」
クラムとリズを尻目に、元盗賊の囚人兵は『教官』にズンズンと詰め寄っているが、彼は一切相手にしない。
囚人どもを一切無視すると、冷たい目でリズとクラムを見下ろす。
「……あんたのことは許せないが……今、この瞬間だけは感謝するよ」
「そうか……」
クラムの言葉などどうでもいいとばかりに踵を返すとどこかへ消えていく『教官』。
敵意の溢れる囚人兵の視線を受け流すとさっさと何処かへ行ってしまった。
「はい。お釣り」
ポイっと事務員の男は残った金の入った革袋をクラムに投げ渡す。
チャリっと音のするそれは随分と減っていた。
「これ……。その、すまなかったな」
クラムはリズを片手で抱きかかえ、革袋を元盗賊の囚人兵に渡す。
「……なにを、今さら……。──あーあーあーあー……。随分とまぁ、減っちまって」
本当にがっくりと言った様子でションボリする元盗賊の囚人兵。それを見て、クラムはすまない気持ちになった。
「か、必ず返す!……だから、」
「当たり前だ!───ったくぅ。……ほら、もう行くぜ?」
そう言って囚人兵達を連れ立って歩いていく。
野営地の中では囚人兵の自由も大きいが───いい加減、自分たちのキャンプ地に戻らないと、あとで何を言われたものか……。
ズンズンと歩いていく元盗賊の囚人兵を追って、囚人兵達はゾロゾロと連なり、ジャラジャラと足枷の音をたてて歩いていく。
「───帰ろう……リズ」
腕の中の少女を優しく抱き留めるとクラムは歩き出す。
リズはろくに歩けないのか、ヨロヨロとクラムに寄りかかってほぼ引き摺られるような形だ。
身体は悲しいくらいに軽い……。
囚人生活で衰えたクラムでさえ容易に支えられてしまうほど───。
一体……。一体、この子に何があったのか……?
身体を見れば、薄汚れてドロドロだ。
ただの汚れが、これまでの様々な環境のせいで肌に染みつき、……記憶にある彼女の健康的に日焼けした体に滲みこみ、……その色を暗く濃く、汚していた。
「……ぅぁ」
おまけに、鼻を衝くのは垢じみた……きつい体臭だ。
それでも……───。
「何も言わなくていい……」
その髪に鼻を寄せると──フワリと。
垢と、汗と、僅かに血の混じった匂いに──……。確かに、リズの…、家族の匂いがした。
懐かしい……。愛おしい……、それ。
「ただいま……リズ」
「ぉ……ぁ……」
あぁ……。
リズ……お前声が───。
ショックか、病気か、その両方か……リズが声を失っていることに気付くクラム。
その痛ましい姿に、思わず抱き留める手に力が籠る。
「ぉ…………」
そして、記憶の中にあるリズが成長していることに気付いた。
……これまでの時間の流れの残酷さと、その流れの果てに家族が生きて……そして成長していたこと。
それら全てに一抹の不安と安堵を覚えた。
リズは、かすかに言った。
震える唇で、言葉を紡ぎ───「叔父ちゃん」ではなく「叔父さん」といった。
その言葉だけで、彼女がクラムがいない年月にも確かに成長し……そして、クラムを記憶の中の「叔父ちゃん」ではなく、ちゃんと生きて……ともに成長した「叔父さん」と呼び、認めてくれたことに喜び、悲しくなった。
ゴメン……リズ。
待たせたね……
目をあわせると震え、潤む瞳……。
その容姿は、この子の母───おれの妹によく似ている。
だが、それとは異なる成長をしていることもまた、ミナではなく……この子が、リズというクラムの姪であり、一個人だという事に気付く。
そして、囚人に身をやつして以来初めて再開した家族。
だから、リズには……色々聞きたいこともある。
家族の事──。
ネリスや、
義母さんや、
この子の母親のことや、
ルゥナのこと……。
色々聞きたい。
聞きたい……!
聞たくて聞きたくて、仕方がない。
だが、それを堪える。
きっと、この子はギリギリの縁にいる。
絶望を経験した俺だからわかる。
そして知っている……。
だから、
だから……。
今は心穏やかに……。
ただ、
ただ再会を喜ぼう。
ただ、
ただ温もりを分かち合おう。
ただ、
ただ愛しさを感じ合おう。
ただいまリズ……───。
おかえり叔父さん……───。
よろめく人影は、野営地の喧騒など気にも留めないで、まるで一つの塊のように寄り添い溶けあっていた。
ただいま……。
おかえり……。
第22話「残り香達」
「よぉー。実際、どうすんだ? その子」
追いついた先で、元盗賊の囚人兵がゆっくりと歩き、囚人大隊のキャンプ地に向かっていく。
野営地の中にいる限り、囚人兵の行動は比較的自由だった。
それはひとえに、野営地全体が檻のようなものだからで、逃げ出したところで足枷付きでは、どこまでも行けないだろう。そう思われているからだ。
実際に、機動力のある騎馬に追跡されれば、あっという間に捕まるのは目に見えている。
それくらいなら大人しくしている方が身のためだ。
逃亡して無残に殺されるよりも、
戦って、戦って、戦って……───特赦を。無罪を勝ち取るのだ。
そうとも、どうせ死ぬなら、生き残りの可能性に賭けるのは自明の理だろう。
しかし、だ。
「───どうするって?」
クラムは言われていることの意味を、なんとなく分かっていつつも返す、
「いやさ、俺たちは囚人兵だぜ? 連れて歩くわけにはいかんだろう? それに、」
それに……、
「飯とか、ションベンとか、風呂とかよー」
──まぁ、風呂は俺たちも入ってないけどな、ガハハハハハ!
と、豪快に笑ってのける元盗賊の囚人兵。
しかし、彼の懸念することはもっともだ。
風呂は諦めるしかないとしても……───飯はどうするべきか。
比較的自由と言っても、他の兵に比べて劣悪な環境にあるのは間違いない。
まさか、奴隷を買ったから飯を二人分くれと言って──くれるはずもなし……。
かと言って、一人分のメシを二人で分け合っても、すぐに共倒れになるだろう。
それにリズの状態から見るに、一刻も早く滋養が必要だ。
ガリガリに痩せ衰えている。
さらには、目つきや、髪、肌つやから見ても、病気か───あるいは極度の疲労と栄養失調に陥っているだろう。
そうとも。誰の目にも、滋養が必要とわかる。
それがどうだ……。
囚人兵に与えられる飯と言えば、一人分でさえ、量も、滋養も、……味もない。
滋養なんて逆立ちしても見つからない──。
「なんとか……。なんとか、するさ」
とはいえ、全くあてはない。
……ないが、なんとかしなければならないだろう。
───なんとか……。
ったくよー……と、
元盗賊の囚人兵が呆れた声を出す。
「ほら! これ、持ってけ」
元盗賊の囚人兵は懐から、金の入った袋を取り出すと、銀貨を数枚、クラムに握らせた。
「これは……?」
「釣りだ。お前が払った金貨8枚と銀貨。俺のとこから抜かれた金貨7枚……銀貨でもらっても、ややこしいからよ……きっちりと金貨8枚で返してくれや」
そういって、さっさと袋を仕舞ってしまった。
「すまん……」
「いいってことよ」
貰った銀貨に感謝しつつ、
「なぜここまで?」
どうしても疑問が沸く。
元々善良な一市民ならともかく、彼は生粋の犯罪者だ。
「なぜっていうか……。まぁ、あの戦場でな──……お前がいなければ俺たちは死んでいたと思うぜ?」
その言葉に周りにいた囚人兵も、うんうんと頷いている。
「お前が覚悟を決めて前へ進めと鼓舞しなければ……皆、その場所で近衛兵どもに踏み潰されてた」
……それは、事実なのかもしれないが、
「だとしても、生き残ったのは、皆の運と……タダの偶然だろ?」
「だとしても、だ」
そう言って、
「まぁ、金のことがアレだが……感謝してるし、その礼だと思ってくれ」
なんだろうな……。
彼は──元盗賊の囚人兵は、完全に犯罪者だったのは間違いないというのに……いい奴だ。
「そうか……。すまん。かねは───金は、必ず。……必ず、返す」
「───当たり前だ! ったく……俺から借りるとかふざけんじゃねぇっ、て話だぜ」
ブツブツという元盗賊の囚人兵。しかし、そこに嘲りなどは感じられない。
「それで、旨いもんでも食わしてやんな……えーっと、」
「リズだ……」
あーそー……と、
「……その代わり、偶には俺にも貸してくれや」
……あ゛?!
「───あ゛ぁ゛ん!?」
ブワっと迸った殺気に、元盗賊の囚人兵が仰け反る。
ほんの軽い冗談か、軽口…………あるいは、ちょっとした本気もあったのかもしれないが……聞き捨てならない!
「な、なんだよ……? そういうつもりで───」
「この子は姪だ……! 俺の……俺の家族なんだ……」
あー……。
ポリポリ……───。
まずいこと言ったな~とか言って頭を掻く元盗賊の囚人兵。
「すまん───。なんていうか……ひでぇ話だな」
適当にごまかした言葉だろうが……正直同感だ。
「本当にすまん」
素直に謝る元盗賊の囚人兵。
「あ、あぁ……、俺もムキになった、……すまん」
クラムはクラムで軽口に過剰に反応し過ぎただろう。
「まぁなんだ……これでも食わしてやれや……」
詫びだ。と、懐から大きなパンをちぎって寄越し、小さな酒の小瓶や、ベーコン、果物なんかを次々に取り出し、クラムの懐に押し込んだ。
「これは?」
こんなものを買っている所は見ていない。
「そりゃあれよ。……ほれ、あの店でボラれたからな、」
釣りだよ釣り……といって、まだまだありそうな食料をチラッと見せてニヤリと笑う。
呆れた……どうやらあのキツネ男の店からくすねて来たらしい。
たしかにボラれたと憤っていたが……そりゃ捕まるわけだ。
なるほど……元盗賊か。
「すまん、いただくよ」
リズの鼻がヒクヒクと動き……食べ物の匂いに反応していた。
サラリと彼女の髪を撫でてやり、首筋に唇と落とすと囁く。
あとでな……。
撫でりこ、撫でりこ───と姪っ子の頭を撫でてやる。
リズはボンヤリとした眼でどこを見ているか分からないが……少し細められたソレは気持ちよさげに見える。
フワリと香る、姪の匂いは垢染みており、決していい匂いではなかったが……なぜか心が穏やかになる。
小さな家庭がそこにあるのだ。確かな感触として───。
(リズ───……)
随分と日が落ち、暗くなりはじめた空のもと───ジャラリジャラリと囚人兵は歩く。
ゆっくりと歩いてくれる元盗賊の囚人兵の歩幅にあわせて、野営地を歩いていく。
その先の、立地の悪い所に囚人大隊の野営地はあった。
そして、少し離れた位置にそれがある───
「おーおー、見ろよ。『勇者』殿のキャンプ地だぜ」
元盗賊の囚人兵が指し示す先、
「ケッ、豪勢なもんだぜ」
巨大な天幕が立ち離れた位置に近衛兵団の天幕が点在している。
そして、立哨する近衛兵がちらほらと、
「見ろよ───あのデカいのが『勇者』殿の寝所だってな」
勇者……。
ゆ、
『勇者』の寝所……───。
遠目にもわかるほどに、巨大な天幕。
あそこに奴が……。
ビクリとリズが震えるのが体越しに伝わる。
……?
…………リズ?
(そうか……見たくないんだな───)
『勇者』のキャンプ地が身に入らぬように体で塞ぎ覆ってやる。
いい。
──見なくてもいい……。
「胸糞悪いぜ……。見ろよ、その奥の派手な天幕が『勇者』どの御用達のハレムってやつさ」
『勇者』のハレム、
噂では、国中で見繕った女たちを、王国の後宮にある「ハレム」で囲っているとか?
女好きの『勇者』らしく、国ではやりたい放題。
それでも、寄ってくる女もいるらしく、もう訳が分からなくなっているとか。
時には、女を「手籠め」にして王国が揉み消す。
あるいは女の方から玉の輿狙ってすり寄る。そして、どっちもうまくいけば「ハレム」入り。
手籠めにされた女も、最初は訴えを起こすが国が上手く取りなして……最終的には仲良く後宮暮らし。
女にとっても悪い話ではないとか……?
クソみたいな話だが……その過程で死刑囚にされた夫や恋人も数知れず。
先の戦いで死んだ者も、そういった死刑囚たちだ。
「特にお気に入りの女を戦場まで持ち込んで、ヨロシクやってるらしいぜ……」
元盗賊の囚人兵は、ヒュッ!──と槍の穂先を『勇者』の寝所にむけ、その周囲に散らばる近衛兵を指し示す。
「見な……護衛兵の位置……随分中途半端だろ?」
「あぁ……それが?」
リズが怯えているようなので、あまりこの子の前でしたい話題ではないが……興味はある。
そう……興味が──な。
「『勇者テンガ』がヨロシクやっている最中は、兵を寝所から遠ざけてるのさ。……今も運動中なんだろうさ」
ケッ……いいご身分で、と唾を吐きつつ忌々し気に言う。
(まったくだ……)
「まー……。陽の高いうちから、お盛んなことで」
それだけ言うと、また歩き出す元盗賊の囚人兵。
……『勇者』の寝所───。
そして、
……リズが奴隷に流されるまでいたという……「ハレム」───。
クラムの頭に嫌な考えが浮かぶ。
先の戦いの前……勇者に黄色い声援を送る女の中に……───……彼女がいた気がしたのだ。
あの……愛しい人が──。
見間違いだと思うが、
見間違いであってほしいが……。
見間違いであればいい───。
第23話「素晴らしきかな愛」
「ぐぁあああ……疲れたぜぇ……!」
ドサドサっと、
囚人兵達は、キャンプ地にたどり着くと皆が一斉に地面にへたり込む。
キャンプ地と言っても、だたっ広い土地が与えられているだけで、何か特別な施設があるわけではない。
閑散とした寂しげな広場が、彼らに与えられたキャンプ地だ。
大隊規模の兵が使うため、それなりの平地が与えられているのだが……。
今や大隊は壊滅も壊滅……。現状では、小隊以下の兵力しか残っていない。
(死にも死んだものだな───)
それは──酷く寂しい景色だった。
ロクに言葉を交わしていたわけではないが、確かに数百人の男たちの息遣いがあったというのに───今はこのありさま。
その閑散とした野営地の隅ッこ。そこに、後方部隊が運んで来た天幕と寝具が無造作に置かれていた。
本来なら軍事行動に際には、野戦師団や近衛兵団なら、主力の戦闘中に後方から来た兵站部隊なんかが天幕の設営を行ってくれるのだが……。
囚人大隊にそんな気が利くことをしてくれるはずもなし。
一応、兵站部隊はついているのだが、
見ての通り、扱いは雑だ。
囚人は自分でやれ、とばかりに──寝具や天幕などが荷車で運び込まれ、そのまま放置されているだけだ。
酷い所では、わざと湿地の上でその荷物をぶちまけられたりする。
実際、いくつかの天幕は水没していた。
幸いにも、クラムの使う天幕は荷車に梱包された状態だ。
それを開梱して準備していくわけだが……。
誰もかれも疲れ切っていて、なかなか動こうとしない。
しかし、クラムは疲れた体に鞭を打って動く。
囚人兵の中にはリズをチラチラ見ているものもいるわけで……。
あまり連中の目に晒したくない。
事情を知っていたとしても……囚人だ。
例え謂われなき罪を負わされた人々が大半だとしても……長い投獄生活で心が荒み切っている───それはクラムをして、よくわかる話だった。
そのため、大慌てで天幕を準備する。
リズはリズで、ボロボロの衣服。
そのため……その───なんというか、色々見えて…………その、困る。
酷く汚れているのに、その溢れる色香がどうしても劣情を催すのだ。
彼女は姪で、クラムの実の家族だとは、頭では理解しているのだが……。
長い投獄生活と、囚人兵暮らしで溜まりに溜まったものが弾けそうになる。
……クラムでこれなのだから、他の囚人兵ならいわんや……ということ。
彼らには悪いが、警戒して警戒しすぎることはないだろう。
そのため、まずは一刻も早く天幕を設営し、彼女をその視線から隠してやりたかった。
傍から見れば、早く少女を引っ張りこみたくてウズウズしているオッサンに見えなくもないのだが……──クラムには知る由もない。
そのため、わき目もふらず天幕を準備していく。
幸いにも、天幕のサイズはもともと3~4人で使用するため比較的大きい。
リズ一人増えても困ることはない。
何より……同室の囚人兵は全て戦死していた。
そのため、彼らの寝具をそのままリズに与えても問題ないだろう。
進軍が始まればどうなるかまだ分からないが……そのへんは追々考えよう。
───今は、この瞬間をリズのために尽くす。
それだけを考えて準備していく。
主柱と支柱を起て、キャンバス地の分厚い覆い幕を被せていく。
その後は紐で引っ張りつつ、ペグで固定だ。
逃亡防止のため、天幕設営の道具さえ貧弱なものばかり、───木槌に、小さなペグ。
装備も貧弱……。
囚人兵には皮鎧と、短い折れそうな槍───それだけだ。
いかにも使い捨て、といった感じで、徹底して足枷を破壊できそうなものは与えられない。
しかし…………それでも、ギリギリの生活が可能だ。
リズも……。
そうさ、リズのことも何とかしてやれるさ。
木槌がカンカンと、小さなペグを打ち込んでいる様を、ペタンと地面に座ったリズが、虚ろな視線でボーっと見ているのが分かった。
なんとはなしに……むず痒いものを感じたが、消耗しているらしいリズに手伝わせる気はなかった。
クラム自身も疲れているうえ……天幕を一人で準備するのは酷く骨が折れたが、他の囚人兵に手伝わせると、都合そいつと同室になりかねない。
故に一人でやるわけだが、その苦労もなんのその……!
背後に感じるリズの瞳をムズ痒く──そして、温かく感じるとともに……心に満たされる多幸感のようなものがあった。
自然と緩む口に、家族と再会できた嬉しさが滲み出ている。
まだ何も、そう……何ひとつ解決していない。
何も解決していないし、
何も分からないし、
何もない……。
それでも、
それでも、だ!
リズが……。
リズに会えた。
───家族に会えた。
家族と眠り、食べ、同じ屋根の下で過ごせる……。
それだけでも、心が満たされ──嬉しくなる。
ネリスや、
義母さんや、
ミナや、
ルゥナのことも、気に掛からないわけではない──。
だけど……。
今はリズと過ごそう、
彼女に尽くそう、
愛そう、
───そう思う。
そして、完成した天幕に、リズを誘う。
ほとんど動けない彼女を抱えるようにして天幕に引き入れた。
暗い天幕の中で、何とか採光用の窓を開け僅かな明かりの中……彼女を抱き寄せ、寝具に潜り込ませる。
毛皮を縫い合わせただけの、簡素な寝具巻(寝袋みたいなもの)だが、防寒だけは問題ない。
以前使っていたであろう囚人兵の体臭が漂っているが……それに負けず劣らずリズも酷く臭う。
ツンと体臭が鼻をつくが……まぁクラムも実際は酷い匂いだろう。
洗ってやりたいところだが……今は勘弁しておくれ。
クラムも寝具に潜り込み、二つの寝具をぴったりとくっつけると、徐々にだが瞳に正気の光を取り戻していると思しきリズと正面から見つめ合う。
「おやすみ……リズ」
「……ぉ…………ぃ……」
小さく口を動かすリズ。
表情はさほど変化がないが……少なくとも怯える様子はない。
軟らかく微笑むクラムは、リズの頭を優しく撫で、懐からパンやベーコンを取り出し千切って彼女に与えてやる。
固いパンはクラムですら中々噛み切れないので、小さく小さくちぎってやり、その手に乗せる。
ベーコンも細く……細かく、食べやすいサイズに割いて与えてやる。
なんとか震える手で口に運ぶリズを見て、胸が締め付けられる思いだ。
こんな小さな子に───……。
ギリリと、思わず歯が鳴るが、その音にリズが微かに怯えを見せたため、慌てて笑顔を取り繕う。
……本当にこの子の心はギリギリなんだろう。
家族の行方を聞いてみたいが───……。
それが引き金となってはダメだ。
なにが弾みになるかわからないが……下手をすれば彼女の心は壊れる。
……一度壊れる寸前まで追い詰められたクラムにはそれが良く分かった。
──痛い程分かった。
だから、聞かないし、言わない……。
その気配も匂わせない。
リズ……。
ゆっくりお休み。
今はただゆっくりお休み……。
弱々しく咀嚼するリズの頭を撫でつつ、彼女が目を閉じ、ゆっくりと眠りに落ちるのをクラムは見続けていた。
彼女の寝息が聞こえる頃には、クラムの意識もまた……闇に沈んでいった。
お休みリズ───。
お休み叔父さん……。
第24話「同衾するのは誰」
暑い……。
きつい……。
狭い……。
───臭い……!
ううぅ───!!
寝苦しさに目を覚ますクラム。
しかし、開いた目には闇。
周囲は闇に沈みこみ……寝息と遠くに聞こえる鼾以外は無音だ。
狭苦しくて狭苦しくて……。
まるで拘束されているかのようだ。
な、
なんだ?
(この身動き取れないほどの圧迫感と、寝苦しさ……まるで───)
………………。
………。
「リズ……?」
採光用の窓から差し込む夜光に、ようやく慣れた視界。
そこに見えたのは……───。
クラムの姪っ子、リズその人。
いや、彼女は確かにクラムの隣で寝ていたので別におかしくはないのだが……───なんで、俺の寝具に!?
どうりで寝苦しいわけだ。
一人用の寝具に二人の人間が潜り込んでいるのだ。
狭いを通り越して、密着度MAXで苦しい。
スッと視線を落として彼女の顔を覗き込むと、完全に眠っている。
顔は…………頬がこけ、目が落ち窪み……その目尻は隈がくっきりと浮かんでいる。
──酷く不健康なそれだ。
また、髪はパサパサで油染みている。艶など全くない。
なにより、…………体臭が酷い。
口臭や、
汗に涎、
糞尿の匂いも含まれたそれは、どんな環境にいればそうなるのか……。
そして、垢じみた匂いは──密着した彼女から絶えず立ち上っている。
ゆっくりと上下する胸を見るに、自らの有様など気付かないくらいに深い眠りに落ちている様だ。
リズには悪いが……流石にキツイ……。
いや、臭いとかでなくて、ゴニョゴニョ……体勢が、ね。
なんたって密着度MAXです。
色々当たっちゃってます。
色々当てちゃってます。
リズは母親譲りのチッパイで──ひどく小柄ではあったが……彼女の父の遺伝も間違いなく受け継いでいるのだろう。
そのおかげか、ミナよりもやや生育が良い。
ガリガリに痩せてはいるものの、出るとこは出ており、それなりに良い体だ。あ───うん、ごめん。
別に、疚しい気持ちはないです。はい。
ただ、間が悪いことに、その、なんだ。
起きた直後の、男の生理現象でアレがあーなってこうなってます。
めっちゃ、姪っ子に押し付けているわけですが……。
何をって?
……ナニをです。
───何ぃ……!?
うん……。
───!!!
これは倫理的にまずいです!
そう、不味いわけです!
と、いうわけで───クラムは這い出そうとする。
よっこいしょ……。
「ごめんなリズ」
そう言って優しく頭を撫でてやると、僅かに口に端を緩ませる。
表情の変化には乏しいが……なにやら嬉し気に見える。
さて……。
うむ……。
こう──ズリズリと密着度MAXの状態で這い出すものですから、
色々当たっちゃって、触っちゃってます。
いや、
わざとじゃないですよ!!
──叔父さん、そういうことしません!
といいつつも、色々抜け出す過程で、ナニを思いっきりリズの体で擦ってしまって、なかなかやばい状態だ。
オパイあたりを抜け出すときは、心臓に悪い…………悪すぎる。
チラリと見ればリズは全く目覚めないが、なんとなく色っぽく見えてしまって困る。
「ぅぅ…………ん──ぁ……?」
とか、止めてくれ!
どうしても湧き上がる劣情を押し殺し、なんとか、最後まで抜け出す。
あとは、尻さえ出せばかなり楽なのだが……。
最後の最後で尻とか、いろいろ引っかかって抜け出せない。
無理やり引っ張り出した際に、ナニでリズの顔をバィィンと叩いてしまったが……───不可抗力です!
そう、不可抗力なのです!
…………。
……。
くぅぅ……ちょっとぉぉ、Myサンがのっぴきならないことになっておりますが……!!
叔父さん平常心。
美少女が横に?
……だーかーらーどうした!!
…………。
……。
ひっひっふー、ひっひっふー……。
この子は、姪!
この子は姪!
姪です!
メイーーー!!!
あ、ダメだ!
なんか余計にぃ……!
ヤバイヤバイ!!!
母ちゃんッ!
義母ちゃんを思い出すんだ!
シャラ………………──。
───って、
なんでMyサンは凄く起っきしてるねん!!
ひっひっふー、ひっひっふー……。
ミナは、ちっパイです!!
ちっパイぃぃ!
……。
…………。
うん、落ち着いた。
「悪いなリズ……」
髪をサラリと撫でてやる。
正直、一人にしてしまうのは不安だったが……。
目が覚めた以上──クラムは、どうしても確かめたい事情を思い出した。
そう、生涯において最大の天敵にして、怨敵───
「…………テンガ──」
奴の居場所……。
その場所は、そう離れた位置でもない。
元盗賊の囚人兵の言葉が頭に響く───。
やはり……。
やはり、確かめないと…………!
クラムは、荷物を置いてスゥ……と天幕を抜け出した。
外は闇に沈んでいたが、中よりはまだ明るく見える。
これなら、行動に支障はない。
後ろを振り返ると、リズは全く目覚める様子もなく眠りこけている。
……。
「ちょっと、出てくるな……」
そう言い置くと、天幕の入り口から這い出る。
そろりと抜け出た先は囚人大隊のキャンプ地で、そこは相変わらず閑散としていた。
──いくつか天幕が立っている他は静かなものだ。
そりゃそうか……。
クラムは昼間の酷い戦いを思い出す。
戦死、
戦死、
そして、圧死───。
死………………。
容赦なく、ゴミのように死んでいった男たち……。
一歩間違えれなクラムもあそこにいた。
「考えるな……。今はそうじゃないだろ───」
頭を振り、改めて周囲を見る。
大隊が使う予定の土地には……実質小隊以下の数しかいないのだ。
荷車に乗った寝具が大量に残っていた。
さらに見回せば、周囲には天幕がいくつか立っており、中からは複数の気配がする。
寝息や鼾が聞こえるところを見るに、全員眠りこけているだろう。
とはいえ、油断はできない。
リズのことをチラチラ見ていたものもいるし、何より連中は囚人だ。
その生活を知っている以上、元々が善人あったとしても……今は、どうなっているか分かったものじゃない。
幸いというか……なんというか……。
囚人兵には、明かりは与えられない。
そのため、暗くなれば全員眠っているはずだ。
あの戦いの後だ……なおのこと、皆疲れ切っているだろう。
しかし、リズに手を出そうと狙っている輩が息を潜めて機会を窺っていないとも限らない。
───今一人にするのは危険ではある……。
しかし………………。
しかし、だ───。
確かめないわけにはいかない。
あの……。
あそこにある『勇者』の寝所を───。
───そして「ハレム」を……だ。
『勇者』のハレム……奴隷商がいうところの───リズ流されたと、……以前までいたという……そこ。
そして、彼女……のこと。
ネ──────……。
…………。
……。
…………いや、そんなはずはない。
彼女がいるはずはない!
あれは……。
あれは───タダの他人の空似だ!
だから!
だからこそ確かめて、彼女が居たなんていう馬鹿げた考えを否定する。
クラムの家族の居場所。
それは、きっとここではない、どこか良いところ。
いいところに決まっている!!
それはきっとリズが知っているさ。
今、聞かなくても!
たとえ今、聞けなくても───!
彼女が心を取り戻した時……。
その日に……。
その時に……
その刹那に───リズに尋ねればよい。
きっと……。
きっと無事だし。
きっと、待っていてくれる。
きっと……。
きっと、さ。
だからさ……───違うよな?
そう言ってクラムは往く。
リズ、すまん。
少しだけ、……離れるな?
気をつけろよ。
……俺には今、お前しかいないんだ。
おまえにも今は俺しかいないんだ……!
だからッ!
もう一度囚人兵達の様子を窺うが、誰も起きているような気配はない。
仲間を疑うのは心苦しいが、油断して、リズに何かあっては事だ。
───警戒して警戒しすぎることはない。
「リズ……何かあった使えよ───」
そのため、クラムはリズの枕元に槍をおいてきた。
護身用に……と。
リズが扱えるかどうかは別にしても、牽制にはなるだろう。
本来ならクラムがそこにいればいいだけのこと──。
だけど、この今のひと時だけは許してくれ。
(……ごめんリズ。今だけなんだ)
今しかないんだ───。
明日をも知れぬ囚人兵。
補充が来るまでは、後方任務だというが……どうだかな。
信用するだけバカを見る。
だから、機会があれば逃してはならない。
そうだ……。
だから、今しかない。
───今しかないんだ!
そう決意して、クラムは囚人兵のキャンプを抜け出した。
リズも、囚人兵も、闇も……。
何も起こさぬよう……。
ジャラリ……ジャラリと、静かな足枷の音を響かせて……クラムは勇者のキャンプへと向かう。
第25話「勇者の野営地」
地形の陰に身を潜ませながら、スルスルと忍び寄っていく。
囚人兵だからといって、野営地をうろついているだけで、別に殺されるわけでもないだろうが……油断はできない。
とくに、勇者のキャンプは別だ。
近衛兵が監視していることからも分かる。
普通なら、外周に沿って監視するもの。その様ならわかるのだが……勇者のキャンプは野営地の最中にありながら、内部からの侵入を警戒して兵を立てているのだ。
───それだけでもわかる。
侵入者に弁明の機会など与える気はないのだろう。
近づくものは害なすもの……。そう言っているのだ。
少なくとも、勇者への接見を制限するためなら──彼の天幕の入り口にだけ兵を立てればよいのだ。
それをせずにキャンプ地をグルリと囲っているということは……まぁそういうことだ。
近づくにつれて全容が明らかになるキャンプ地。
そこはかなり広く───ちょっとした盆地状であり、そこだけは水捌けが良い。
そのうえ、ふきっさらしの風が入らないため、キャンプ場所の立地としては理想的だ。
おそらくあれならば、高所に兵を置けば、さらに遠くまで監視できるだろう。
しかし、意外にも高所に兵は配されておらず、盆地の底に作られた簡易柵に従って作られた陣地に「動哨」と「歩哨」を組み合わせた兵が配されてるのみ。
そして、キャンプ地内にも兵が立哨しており、外周と内周の二重の構えだった。
蟻の這い出る隙間もないように見える。だが今は草木も眠る丑三つ時───……闇がその警戒網を侵食していた。
当然闇を払うため、要所要所で篝火が多数焚かれており、闇を圧するような威圧を放っているが……。
──そこを警戒する兵もまた、人間なのだ。
昼間に聞いた通り、『勇者テンガ』が寝所で女を抱いている時は……兵を遠ざける。
まさにその通りらしく……本来あるべき警戒線をむりやり移動させられているため、内部の警戒線は歪な、形をしていた。
昼間ならそれでもよかったのだろうが……。夜の闇は、その中途半端な警戒線を侵食している。
キャンプ地の中には闇溜まりも多く、そこには兵の目が行き届かない。
本来であればその闇を避けるための兵の配置なのだが……『勇者テンガ』の油断なのだろう。
女を抱くときのみ発生するその隙───。
……好都合だった。
そしてなによりも……。
この警戒線は見た目以上に、おざなりだった。
そう。近衛兵とは言え人間。
最強と称される勇者を護衛する意味も見いだせず、その意気は下がっているらしい。
しかも、本日は戦勝の日だ。
報奨を受け取ったものも多く、見張りですら酒を飲んでいる始末だ。
篝火に照らされる兵の足元には複数の酒瓶が見られるし……外周の歩哨陣地に至っては宴会中だ。
動哨として彷徨いている連中も、酒瓶片手に千鳥足。
とても警戒しているようには見えない。
しかし、いくつかは真面目な陣地や兵もいるようで、不動の姿勢を崩さないところもある。
……だが言ってみれば、そういうところを避ければ侵入は容易だった。
盆地の特性もあり、高所にいる限り内部は丸見えだ。
侵入経路と、目的地を割り出すと──クラムは行動に出る。
不安要素はたくさんある。
偵察不足と、情報不足。そして、練度不足と覚悟の不足───おまえけに撤収時の段取り不足。極めつけは……この足枷。
───この音だけはどうしても消せないのだ。
道具があれば体に巻き付けたりもできるが……中途半端な長さの鎖のため、手で押さえながら行動というのも難しい。
(くそ……忌々しい!)
トコトンこいつは人の行動を阻害する様に作られている。
それが、この足枷というもの。
まぁそのための道具だから、ある意味正しいのだろうが……。
しかし、今この瞬間は絶好のチャンスである。
クラムは躊躇いを捨て、闇溜まりを拾うように徐々に接近していく。
そしてあっさりと外周を乗り越え内部に侵入できた。
あきれたことに、歩哨陣地は眠りこけていた。
場所によっては娼婦を連れ込んでいる陣地まである。
(くだらねぇ……)
……これで王国軍最強だというのだからお笑い草だ。
暗い笑みを浮かべながら近づくと……───内部にいる兵もやる気はゼロ。
多少の不審な音がしても確かめる気すらないようだ。
それ以上に……アレのせいか。
ここまで離れていても聞こえる情事の声───。
噂通り、『勇者』殿は女を連れ込んでいる様だ。
ならば、やはりあの豪奢な天幕は「ハレム」──女用らしい。
そして、あのデッカイ天幕は『勇者テンガ』の寝所らしい。
あぁ♡ あーーー♡───と、
激しく絡み合うあっているらしい女の声が響く。
そこに交じる男の低い声。
内部の兵をすり抜けてしまえば……もう障害は無かった。
──ドクンドクンと、心臓が高鳴る。
武器は何もないので……勇者を害することはできない。
さすがに素手であの化け物に敵《かな》うとは思えないし……今の目的は、情報収集……──いや、ただの確認。
自らに沸いた下種《げす》な考えの否定のためだ。
彼女がいるはずがない。
いるはずがないんだ……。
でもッ!
…………。
……。
──……ネリス。
君は……。
君は、今どこにいる?
チャリチャリと音を立てる足枷に、心の臓を掴まれる思いで近づいていく。
その音で今にも兵に気付かれそうで……。
天幕の先の『勇者』に気付かれそうで……───。
くそ……!
落ち着け俺…………。
場所からして、「ハレム」がやや遠い、
『勇者』の寝所はすぐ傍だ。
影絵のように浮かぶ内部の人影は、随分と激しく絡み合っているらしい。
バチュンバチュンと、肉を打つ音がここまで聞こえて来る。
「女の影」は逆に男を組み敷くように、上に跨っているらしく……激しく体を動かしていた。
男は逆に余裕そうに寝そべり、談笑交じりに……激しく動く女を詰っている様だ。
はしたない女だ、とか──。
いやらしい女だ、とか──。
昔の男が泣いているぞ、……だとか──。
それを聞いた女が、感極まった様子で、激しく喘ぎつつも、「言わないでっ」と懇願しつつもそこには悦びが交じって聞こえる。
…………。
……。
どうする?
「ハレム」にいる人物を確かめるなら───……「ハレム」の天幕を確認する方が確実だろう。
今『勇者』の寝所にいるのは一人だ。
クラムの目的からすれば「ハレム」に向かうべきだろう……。
そっちのほうが女の数は多いはずだ───。
だが、なぜだ……。
なぜ、だ……。
なぜ……。
女。
女の……。
女の声がッ!
あの『勇者の寝所』から聞こえる、女の声がぁ……!!
オンナノコエガミミカラハナレナイ───。
───……。
不意に、
……。
あの日の、情景が───。
……。
ッ───。
※ ※
「何ヤラシイ顔してるのよー!」
ぶー……と子供っぽく頬を膨らませプリプリしているMy嫁……ネリス。
結構本気で殴られた。
「めっちゃ痛いです……」
「天罰」
あらら、
機嫌を損ねたようだ。
「癒してくれよー」
むーとキスをせがむと、途端に顔を赤くしてブンブンと拒否する。
「わひゃ……! こ、こんなとこでしないでよー……みんな見てるし!」
はわわわ、と小動物チックに慌てているネリス……うん、愛おしい。
※ ※
そう、
愛おしい……。
彼女──。
ネリス……。
────……。
……。
「あぁ♡ ああーー♡♡ テンガ♡ テンガぁぁぁ♡」
女の声が絶頂に近づいていく様を……。
なぜか……なぜか、脳裏にまざまざと浮かべることができた。
その香り、
その嬌声、
その身体───!!
彼女の顔を……。
「テンガぁぁぁぁ♡♡」
……。
……あぁぁ、これは幻聴だ。
彼女を疑った俺の醜い心が聞かせる幻聴……!!!
「ははははははは、お前はいい女だよ___ぅぅ!!」
───は?
い、今。
今なんつった?
おい、
おい、
おい! ─────クソ『勇者』さんよ……!?
イマ、オレノシッテイルヒトノナマエヲヨバナカッタカ??
第26話「そこは煉獄」
──────よみがえる記憶……。
彼女の掛ける甘い声は、俺だけのものだったはず。
…………。
……。
───……ッ!!
「……おはよ」
ポッと顔を染めたネリスはいつもの如く美しく可憐だ。
これが俺の嫁なんだから、嬉しくないわけがない。
そして、お互一糸纏わぬ姿であることに気付くと、ネリスは更に顔を染める。
その仕草は一々初々しく可愛い。
「あ、あの先に行ってて……」
ボンっと、顔を真っ赤にしながらシーツで体を覆い隠すネリス。
「うん……わかった、義母さんの食事の手伝いをしてくる……コーヒー飲むよな?」
「うん!」
パァっと花が咲くような笑み。
……花のような。
華の様な。
ハナノヨウナ……。
&%’&’#$#な……。
──────。
───。
※ ※
それが……!?
……ああ?!
……ああああああ?!
「───とどめだぞ、ネリぃぃぃぃス」
「あぁ? テンガぁぁぁっっ?」
ネ・リ・ス───だと…………?
……。
ねりす。
ねりす。
Nerisu。
…………ネリス!!??
……クラムの人生が終わったあの日。
ネリスを組み敷く男と───……組み敷かれるネリスの姿とぉぉぉぉあああ?
ええあああああああおおおあああ????
その二つの光景がフラッシュバックし……。
テンガ?
テンガぁぁ??
と、ねっとりとした肉欲の混じる声を出しているソノオンナノコエが……?
ソノ──オンナガ……?
あー……。
その先の「女」がネリスだと確信し、クラムは──ジャラリジャラリと足枷を鳴らしながら『勇者』の寝所に近づいていく。
……
だが、この時点でクラムは目的を達成していた。
情報の収集、
真偽の確認、
今日の……あの酷い戦いの前に見た人影。あれが、誰であったのか……!
その確認はもう終わったと言えるだろう。
だって、
だってそうだろ??
お、俺が彼女の声を忘れるはずがない! 間違えるはずがないッッ!
ない。
ない。
ないんだ。
なにもない、
もう、
なにも残っていない。
ッ、───叔父さん、
……叔父さん!
ふと───、リズの声が耳を打った気がした。
でも、そんなはずはない。
リズは「叔父ちゃん」って、言うはずだし……今のリズはろくに話せない。
それよりも、もう……何を信じればいいんだ?
無罪を勝ち取ればと……。
「特赦《とくしゃ》」を得ればと……。
家に帰れば……と───。
全部元通りで───!!!!!
みんなで一緒に暮らす。
もう一度あの平和な日々に戻れると───……。
あの日に……か・え・れ・る──と、そう思っていた!!!!
だけど!!!!!
チャリ、チャリ、チャリと、鎖の音を立ててクラムは歩く。
『勇者』の寝所には入り口にさえ番兵はいない。
無防備そのものだ。
響く金属音に気付く者もいない。
最強の『勇者』様とやらは、ネリスに夢中だ。
ネリスはテンガに夢中だ。
ふ……。
ネリス……。
ネリス、ネリス、ネリス……。
ネぇぇリス──!!
ネ……───は、はは……!!
ははははははははははははははははははははは!!!!
ネぇぇぇぇリぃぃぃぃぃぃスぅぅ!!!
いるんだろ?
ここにいるんだろ?
会いたい、
会いたい、
会いたい、
会いたかった。
会いたかったぞぉぉぉぉ!!
ネリぃぃぃぃス!!!
ずっと、
ずっと、
ずっと、
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、
ずぅぅぅぅっと、
君を想っていた。
家族と思っていた。
皆を想っていた。
義母さんも、
ミナも、
リズも、
ルゥナも、
家族みんなのことを、想っていた!!
だからさ、……今も想っているぞぉぉぉぉぉ!!!
ネリぃぃぃぃいいス!!
さぁ帰ろう!
皆と帰ろう?
ネリス……迎えに来たよ!
チャリ、チャリ、チャリ……。
こんなところにいちゃいけない。
こんなところ……。
こんな…………?───あ?!
ああ!?
そうか、そうか、
そうだよ!!
そうだそうだそうだそうだそうだ───!
ソウダソウダ、ソウダヨナ──……!!!
姿を見るまで……もしかしたらネリスじゃないかもしれない。
ははは──。
その時は、覗いてしまった人に謝るよ。
でも、ネリスならさ…………帰ろう?
な?
それとも……あれかな?
また……。
また『勇者』に無理矢理犯されているんならさ……。
今度は、
今度こそはぶち殺してやるよ……!
今度こそは、な!
チャリ、チャリ、チャリ……!
───叔父さん!!
また、リズの幻聴が聞こえる……。
まるでそっちへ行くなと言っているかのように聞こえる───。
リズ……ゴメンな。
大丈夫───。
すぐ戻るから!
今さ……。
お前のこと、考えられないんだ。
だって、ネリスがいるんだ。……この布をめくった先に───!!
「あああああ? テンガぁ?」
「いいぞネリス! ……ん?」
ふと、『勇者』の声のトーンが変わる。
「あん? テンガ? ……どうしたの? ……何か音が」
「……鎖の音か? なんだ? おい、近衛兵!! 近づくなって言ってんだろが、いつもよぉ!」
「ったく、覗き野郎が……」と、テンガが忌々しそうにつぶやく。
そして、その声がぶつけられた先にいたクラム……──彼は、天幕の薄布をゆっくりと捲る。
今なら十分に逃げられただろう……。
そのチャンスは十二分にあった。
だが、
ネリス……。
君は……そこに……?
…………。
……。
二重になった入り口の最後の最期の一枚を捲る。
「おい、近衛兵! 誰が勝手に──」
捲った垂れ幕の先──。
一糸まとわず抱き合い、じゃれ合いながら絡み合う男女がそこに──。
『勇者テンガ』と……。
「ネリス……──」
…………。
……。
「………………くらむ……?」
ネリスが、
そこにいた。
第27話「ここも煉獄」
「あぁ!? 誰だテメェ! おい、近衛兵じゃねぇな! 誰だってんだよ!」
うるさい……。
「ネリス……帰ろう」
ワナワナと震えるネリス……。
上気し、赤くなった身体は昔と変わらず可憐で美しい。
空気には酸えた……「行為」の最中の匂いが漂っているが、ネリスの良い香りもする。
「ネリス……帰ろう」
「く、クラ…………クラ……ム」
ガクガクと顔面蒼白のネリスは、まるで幽霊でも見たかのよう……。
テンガに抱き着き、クラムの視線を避けようとする。
「? あぁ? ……ネリスの知り合いか? ……兵じゃねぇな……その、足枷───」
ジッと繋がったまま、微動だにせずテンガはクラムを観察する。
近くには剣があるが手に取る様子もない。
「……んん? あー、今日───戦場で見た顔だな?……それに……んん?」
テンガは、クラムとネリスを交互に見る。
「───……あッ! あぁぁぁ!! 思い出した。思い出したぜ!……お前ぇ……お前ぇぇえ、ネリスの昔の男じゃねぇか!!」
ニヤぁと笑うテンガは合点が言ったぜと言わんばかりに、顔を歪める。
「おいおいおい、なんだ? なんだ? なんだよ??───まさか、わざわざネリスに会いに来たのか?」
あぁ、そうだ。
そうだ。
そうだよ───!!
「%R&%$%$!!!」
舌が回らず何を叫んだのかクラムにも分からない。
「ははは? 残念だったな、見ろよ。もう、ネリスは俺のもんだ……だろ?」
再び試合再開とシャレこむテンガに、ネリスは嬌声を持って答える。
少し控えめになった気もするが、それは女の喜びに満ちたもので、何処か媚びている。
「と、いうわけだ。わ、ざ、わざッ、ここッ、までッ、来てッ、ごくろッ、うだなッ、だけッ───うぉぉネリス!」
……なんだぁ、いつもより激しいな!
と、テンガが驚くほど……二人はクラムの前で激しく試合を演じる。
「おいおいおいおい。なんだなんだ? どうした!?……まさか? おいおいまさか、昔の男の前で興奮しているのか?」
そう言うテンガは、興奮にさらにも興奮しているのか、あっという間に天辺へ登頂を迎える───。
「ふぅぅ……♪──はは! 久しぶりに満足したぜ! おい、テメェ! 気にいった───ッぜ!!」
満足した顔で……ついでだとばかりに、ブンと何かを投げつける。
それは湿ったネリスの肌着だったらしいが───その威力たるや!
「ガハッ!」
今にも飛び掛かろうとしていたクラムの腹部に直撃し、思いっきり仰け反り──吹っ飛ぶ!
下着をぶつけられただけで、ドカン!! と、一度地面にぶつかりバウンド。
そして、そのまま天幕の外へとゴロゴロと───!!
───ズザザザと、地面で体をすり激痛が襲う。
「ゲホ……げぇぇ……」
く、クソッ!!!
すばやく起き上がろうとするが、思った以上にダメージが激しく、脚に力が入らない……!
「───く、逃げなければ!」
ここまでして逃げるもの何もないのだが、クラムは痛みでようやく我に返った。
ここで、
ここで死ねば───!!
「リズが───!!」
───叔父さん!!
ようやく、リズの幻聴に耳を傾けることができた。
彼女が、あの小汚い天幕で待っている。
待っている……!
待っている───……。
家族が待っている……!
帰らなければ……。
帰らなければ───!
帰らなければッッ!!!
ちくしょう! はやく、はやく!
帰らなければ、
逃げなければ、
生きなければ、
───ああああああああああああああ!!!
愚かな自分を呪う。
なんとか体を起こすが、こんな異変に近衛兵が気付かぬはずもない。
『勇者』は兵を遠ざけてはいるものの、薄っぺらい布で女の嬌声が防げるはずもなく、かなり広範にわたっての近衛兵は聞き耳を立てていた。
その声に変化があれば、異変に気付くというもの。
酒に酔った者はともかく、そうでない者はすぐさま抜刀し、駆けつけてくる。
にわかに騒がしくなった『勇者』のキャンプ地では、あちこちで篝火が分配され、昼間のように明るくなりはじめた。
眠っていた非番の者も起き、「ハレム」の中からも女の悲鳴が響く。
どこもかしこも目覚めてしまったようだ。
「ぐぅ……」
ヨロヨロと起き上がったクラムの前に松明が近づく。
そして、それ以上に背後の天幕から───ドンドン人の気配が沸きだしてくる。
「侵入者だ!」「ここだ、出い! 出い!!」
ザザザザとあっという間に取り囲まれる。
既に全員が抜刀済み、松明によって明々と照らされたクラムに逃げ場などない。
兵以外にも、飯炊きやら非戦闘員もゾロゾロと集まる。
中には見目麗しい女たちが数人……「ハレム」の女たちだろう。
そして、
「おーおーおー、近衛兵ぉぉぉ……職務怠慢だな。コイツ中まで入ってきたぜ?」
素っ裸を隠しもせずに、ネリスを抱いたまま素手で近づくテンガ。
その様子に、何人かの近衛兵は顔面蒼白。
ネリスの眩しい肌に目を向ける余裕もないようだ。
「こいつ、囚人兵だろ? よくもまぁ、そんなのに侵入されたもんだぜ……。おい、今日の当直は……わかってるな?」
ギロっと睨まれた近衛兵は腰を抜かしている者もいる。
そして、
「し、しかし……元々の警戒線を動かせといったのはテンガ殿では!」
と、言い訳と弁明をする。
「あ? 俺が悪いのか? おーおー、言うねぇ。ほーほーほー……まぁいいや、で、───よぉ」
ズイっとかがみ込み、クラムを見下ろすテンガ。
抱かれたネリスが間近に迫り、その瑞々しい肌が目の前に──。
「ネリ……ス」
震える声で話しかけるネリスは、テンガの首に回した手に力を籠めしがみ付き、少しでもクラムから離れようとし、顔は一切見せなかった。
「へぇ……ネリス。お前、ちゃんと覚えてるじゃん? 忘れたんじゃなかったのか?」
意地悪そうに話すテンガの声に、イヤイヤをするように首を振るネリス。
「ぎゃはははははは! こりゃいい! こういう楽しみ方もあったとはなー!」
うひゃはははっは、と機嫌よさげに笑うテンガと、肌をあらわにしつつ上気したそれを隠す様にしがみ付くネリス……。
その姿は───実に醜悪だ。
「ネリス……どうし、て」
もう、ここに至ってクラムの命運は尽きただろう。
早晩、首を撥ねられて終わりだ。
友軍だからなんて言い訳は聞かない。そのための内部の警備だ。
近づけば即──死と。
貴人への接近はそう言ったものだ。
許可なき接触が許されるはずもない。
「どうしても、こうしてもあるかよ……見ての通りだ、ひゃははは」
これ見よがしにネリスを抱いたままその場でクルクルと回り出すテンガ。
それに釣られてネリスの甘い匂いと……行為の後の匂いが撒き散らされる。
混じったその匂いに胸がムカつく思い───。
ね、
「ネリぃぃぃス!!!」
叫ぶクラム──……!!
「おいおいおい、ネリスぅぅ……返事してやれよ」
それでも、彼女は首を振って答えない。
まるで、目を塞ぐように、テンガの胸に顔を埋め頑なにクラムの視線から逃れようとする。
「あーあーあー……可哀想になーお前さん。ネリスは話したくないとさ」
ゲラゲラと何がおかしいのか終始笑い続けているテンガ。その機嫌は最高潮だ。
近衛兵も、取り囲んだはいいが……どうしていいか分からず抜刀した状態で固まっている。
テンガの許可なく動くことはできない様だ。
その時……、
「……うそ、クラム……──?」
また……懐かしい声が……。
そう。懐かしい声がした。
し、た……?
した? ここで?
え?
なんで?
今の声……。
「あ……か───」
スッと近衛兵を割って少しだけ近づいた人影……。
煽情的な服を纏い、色香が最高潮まで漂う───美と魅と神秘が顕現したかのような……人。
え?
こんな、
こんな人……。
知らな──。
「アナタ……生きて……?」
スっと体を屈めるその人は、とても美しく───。
シャラララと流れる金糸の如き髪と……懐かしい、匂い。
ふと───……。
あの家の食卓が脳裏に、
「義母さん…………………………?」
声の先にいたのは、
紛れもなく、クラム・エンバニアの義母───…………シャラだった。
第28話「煉獄の底(後編)」
3人の「女」…………───。
なんだこれ……?
なんだここ……?
なんだおれ……?
なぁ。
ここは───、
───地獄か?
「いーえー! 天国よぉぉぉ」
うふふふふふふふふふふふふ、と怪しく笑うシャラ──。
あはははははははははははは、とせせら笑うミナ───。
ブルブルと肉の悦びに震える、かつての嫁ネリス───。
ぎゃははははははははははは、と『勇者テンガ』───……!
…………間違いない……ここは、地獄だ。
あはははははははははははははははははっははは!
「いやーーーーー! ひっさしぶりに楽しいぞぉぉ! おい、決めた! 決めたぞ」
ひとしきり笑った後、テンガは告げる。
「……今日の当直、来い」
と、声のトーンを急に変えて、近衛兵に向き直る。
途端にビクリと震える近衛兵の群れ……。
一人ではなく、全体があからさまに揺れた。
「聞こえねぇのか? それとも……」
ジィーと全体を見渡して、
「全員、当直だったかな?」
ヒィと、声を震わせた近衛兵たちが、すぐさま蠢き、
「こ、こいつです! 分隊長のコイツが当直長です」
「お、おい! てめぇら!!」
ドンと突き出され、クラムを思いっきり踏みながら前に押し出された近衛兵の一人。
確かに恰好はだらしなく、剣を持ってはいるが、鎧も何もつけていない。
……顔は赤く、明らかに酒に酔っていた。
テンガはその兵の肩を二、三度ポンポンと叩き、
「あー、そー……お前かぁ? ふーん…………さてと、無能はぁぁ」
死ね───、
「やめ───あびゅ」
メシリと五指を揃えて顔の中心に突き立てると……グボッと音を立てて、赤やら白やら……ピンクの何かを引き抜きポイすと捨てた。
近衛兵は、妙な悲鳴を上げたきり声を発せず───ただ、バターン! と、仰向けに倒れると、手足をバタバタさせはじめた。
───そして、……やがて息絶えた。
シン──……と、その死体を見ているのは青ざめた顔の兵士たち。
取り巻きの女たちは気にした様子もなく、眠そうな顔。
飯炊きたちや非戦闘員は、いち早く離脱していた。
そして、テンガに絡みつく、3人は陶然とした顔でテンガを見つめている。
「あふぅん♡」
艶めかしい声を立てるシャラは、チュパチュパ♡と水のような音を立てて血にまみれたテンガの指をしゃぶっていた。
その顔は蕩けんばかりで───美しく、艶めかしく……醜悪だった。
「はは、シャラぁぁぁはしたないぞ。あとで可愛がってやるか待ってな」
ニュプっとシャラの口から指を引き抜くと、糸を引くそれ……。
ヌラリと照らつく指を一舐めしてから、テンガは言う。
「でよー……思うんだわ。ロクに警備もできない無能なお前らより……───」
クイっと足を使って……血だらけのクラムの顎を持ち上げ無理やり上を向かせる。
テンガとクラムの目が合う。
すると、その瞳の奥で奴が心底楽しんでいる様がまざまざと見えた。
この男は、演技でもなんでもなく、───素でこれなのだ……!!
上を向くクラムとシャラ、そしてミナの視線のそれが絡み合う。
一人は、上気した艶のある色香を振りまく醜悪な瞳を、
一人は、過去も我子も顧みない男に媚びる醜悪な目を、
どうして……?
そんな目を……?!
「──コイツ一人に、番をさせた方がよっぽど建設的だ、ぜ!?」
そうして、そのままクラムを蹴り抜く。
凄まじい衝撃に脳が揺さぶられ、視界がブラックアウトしかける。
だが、無理やり反転させられたクラムは、ボロボロの状態で今度はあおむけにさせられると───。
「で、よぉ? なんつーかあれだ、お前───今からおれ専属の番兵に決定なー」
……………………は?
「え? ちょっと、テンガ?」
「えええ!」
シャラとミナが抗議の声を上げると、ネリスもビクリと体を震わせる。
「ぎゃはははは! そーそーそういう反応が見たいんだよ! 絶対、燃えるぜぇぇ」
そう言って交互に3人の唇を奪うテンガ、それだけで腰砕けになるシャラとミナ。
「どうよー……えー? 昔の家族や男の前でヤルってのはよぉぉ?」
楽しいぜー! と宣うテンガに、
「ふ、ざけるな……誰が、そん、な」
精一杯反抗して見せるが、
「拒否権なんてねぇよ? どーすんだ? 今すぐ死ぬか? 俺としては、それはそれで残念なんだがー……」
と言いつつも、凄まじい殺気を向けられる。
情けないことにそれをまともにぶつけられたせいで、クラムは委縮してしまう……。
だが、
「ぐ……なら───殺せ! こんな地獄を見るくらいなら、…………地獄で生きるくらいなら! 殺せぇぇぁ!!」
虚勢でもなんでもなく、心からこの醜い世界とおさらばしたくなった。
もう、何も見たくない───。
何も聞きたくない!
何も言いたくない!
だから、殺せよぉぉぉ!!
「そうか?……ま、ち~っとばかし残念だが、」
グワっと、振り上げるテンガよ足がクラムに向く───。
『勇者』ならあの足だけで、ただの凡人でしかないクラムなど一瞬で殺してしまえるのだろう。
「あばよ!」
ブンと、足が空を切る音を聞いた時───……。
「むぅぅ……──あ♡」
テンガの口をシャラが塞ぐ。
そしてミナが下半身に縋りつき絡める。
ネリスは、首に回した腕に力を籠める。
「プハッ……おいおいおい、なんだなんだ? 邪魔だぞ」
ズンと外れた足がクラムのすぐ傍に落ちる。
耳が少し切れていたが……頭も……脳みそも無事だ。
「テンガぁぁぁ……そんな汚いもの踏んじゃ、この後で楽しめないでしょぉぉ」
と、
瑞っぽさの混じる、聞くものを蕩けさせるような甘い声で囁くシャラ。
「んー……でもなぁ、コイツ言うこと聞く気ないみたいだしな」
「ふふふふ……テンガったら……忘れたの?」
キュロロ……っとその美しい碧眼を輝かせながらタイガの目を覗き込むシャラは、フー……と甘い息を吐きつつテンガの耳に口を寄せる。
「ん? あー……そっか! そういや、ネリスとコイツの───」
「ふふふ……貴方って、女の子の素性とか全然気にしないんですもの」
何を言ったのか、
突然閃いたと言わんばかりのテンガに、寄り添うシャラ……。
「よー……クラムつったか?」
「……ッ」
ギリリと歯を軋ませることで肯定する。
「……ルゥナってのはお前のガキだろ?」
ッ!!!!!!!
「───ぐ!」
思わず体を起こすクラム。
彼方此方が悲鳴を上げるが───知るかぁ!!
その怒りの先で、ネリスが益々テンガに縋りついている。
る、
「───ルゥナはどこだ!」
「お、めっちゃ反応。……いいねぇ」
ニヤっと笑ったタイガは続ける。
「ガキの身が心配なら……いう事聞けや? あ?」
そう宣いやがる……!
クラムが心配して、
気に病んで、
抱締めて、
愛している──────!!
愛して愛して愛してやまない、我が子のことを……!!!
「か、義母さん……」
こ、
こいつになにを……?
ニィィ───と口を歪めるシャラ。
確かに、命は助かったが…………!
助かったが───!
そうだ、確かに……子供のことを忘れて、激情に飲まれてしまっていたが!!!
なぁ、
なぁ、
なぁ義母さん!!
何を!?
なぁ、なんで……。
なんで、そんな楽しそうなんだよ!!
子供を……ダシにして!?
なんでそんなことをコイツに吹き込めるんだよ!
一体、なんて言ったんだよ!!!
なぁぁぁぁぁ、言えや、
「シャぁぁぁぁぁぁぁぁぁラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
このクソアマがぁぁぁ!!!
こいつが、
こいつが、
こいつが、
こいつが、あの義母さんだって!?
「……おバカな子」
クスっと笑う様。
そして、クラムにしか聞こえない嘲り…………!!
「おー効果てきめんだな。じゃーいいな? お前番兵だ。良かったなー昇格だぜー」
ヒヒヒヒヒと、笑うテンガだが、クラムはそれを突っぱねることは、もう……できない。
グググググググと、歯を食いしばる。
そして、絞り出す。
「わか……った」
起こしていた体を、ドサリと横たえ──どうにでもなれ、とばかりに投槍に答える。
「おい、聞いたな? 後はお前らで、適当に都合つけとけや?」
そう言って、近衛兵にクラムを押し付けると、
「じゃー明日から来いよ? 今日は……ハハハハハ、お前の家族で楽しむさー」
それだけ言うと、さっさと3人を連れて寝所に戻っていく。
もはや、その姿を追う気はなかったが───。
ボロボロの体で、一言だけ……。そう一言だけ。
ジッと視線を向けているシャラの意味深な視線など受け流しクラム。
糞のようになり下がった女のことなど知らん!
今は一言──!
そうだ……! これだけは、あの、もう一人の肉親に聞かなければ……。
そう、どうしてもこれだけは!
「ミナ。…………リズに何をしたんだ?」
これだけは聞かないと、───。
テンガにしな垂れかかっていたミナが、ピクリと反応し、その恰好のまま硬直して、
「──────…………知らないわ」
そっけなく言ったきり、クラムを見もしないで去っていった。
そして、影絵になった天幕でベッドに放り投げられた3人の女。
そこにテンガの影がむしゃぶりついている様が明々と照らし出されていた。
すぐに響きだす嬌声に、誰もが顔を背ける。
「ハレム」の女たちは呆れた様に自分達の天幕へ帰って行き。
残されたのは、クラムと近衛兵たち。
「立て!」
衛兵に、グイッっと乱暴に引き起される。
そのまま無造作に近衛兵たちの天幕へと連行されていくクラム。
その目はどこまでもどこまでも暗く濁り…………なにも写さない。
そして怒りは───?
そいつはもう、…………もはやどこに向かっていくのかもわからない。
さっきまで、クラムを突き動かしていた衝動は、テンガ一人にだけ向けられていた怒り。
だがその矛先は、もはやどこに向ければいいのか───……。
拡散する怒りは絶望に染まり、向けるべき対象は誰なのか。
そして、
それは…………───いま、どこに?
……そして、誰に向ければいい───?
勇者の寝所では、3人の嬌声と一人の狂ったような笑い声が響き渡っていた。
第29話「世界は美しくも残酷で」
クラムは、傷だらけの体を引きづるようにして囚人大隊へのキャンプに向かっていた。
それは連行でも、放逐でもない。
ただの帰隊だ。
よろよろと歩む足には、いまだ足枷がついており、身分は囚人のまま。
勇者の寝所専属の番兵の話はどうなったのだろうか?
クラムはキャンプに向かう短い距離を歩きながら、先ほどのやり取りを思い出す。
※
近衛兵に乱暴に引き立てられて、向かった天幕の先、
酸えた匂いのする天幕では、散らばった酒瓶に交じり、女性の下着が放置され──端っこには戦利品として誘拐されたのであろう、少女の死体が転がっていた。
魔族から解放された村落では、こうして戦利品を漁るのが当たり前のようだ。
解放された村落には、「魔族」がいたらしく……───この少女も「魔族」なのだろう、か?
…………そんなわけはない。
その───奴隷市場でも見たが……売られている人々や、捕虜は……どう見ても人間だ。
彼らは、恐らく元の住民だろう。
あれが魔族のはずがない……。
どうやら北進する軍の所業は熾烈を極めているらしい。
軍の予想と違ったのは、魔族の支配地域を占領後に残置されていた大量の元住民達だった。
とっくに、魔族によって殺し尽くされたと思われていたが、そのほとんどは無傷。
いつも通りの生活を謳歌していたという。
予想とは違ったものの、無防備な民がいれば軍のやることなど……───。
解放したのは土地と金持ちのみ……土着の民は、魔族に殺されつくしたと結論。
……残っていたのは、当然魔族というわけだ。
なんでも理由はいい。適当に、入植した魔族だという理屈をつけたのだ。
暴論には違いないが、こうでもして略奪を繰り返さねば軍の士気は上がらないのだろう。
結果、この地域の住民は軍に蹂躙されることとなった。
この、オモチャにされたであろう哀れな少女もまた───……。
く…………。
その死体がリズの姿と重なり胸が痛んだ。
だが、クラムにできることなど何もない。
そうして、死体に目を背け、近衛兵に言われるがまま床に転がされたのだが……。
「しつこい男だな」
どこか聞き覚えのある声。
こ、この声……───。
近衛兵団の団長だという男───イッパ・ナルグーかそこにいた。
(こいつ…………!)
どうやら、クラムのことを覚えているらしい。
あの日、勇者の言う通りにクラムを痛めつけ、一方的に決めつけた理由で俺を捕らえた男だ。
「まったく……。悪運だけは強いらしい」
まぁ、いい。と───イッパは完結に説明して見せた。
クラムのような反抗的な者が一人二人いたところで、脅威たらん、と思っているのだろう。
「『勇者』の我が儘はいつものこと、でお前の処遇だが───」
曰く、
「『勇者』の言うことは絶対。なので、今後クラムは寝所番として勤務せよ、と」
曰く、
「囚人から、名目上の臨時措置のため今後の身分を保証するものではない、と」
つまりは、
「どうせ『勇者』は途中で飽きるだろうから、それまでは生かしておいてやる、と」
そういうことらしい……。
「後は知らん。適当にやればいいさ───」
投槍な様子で言うと、イッパは酒を飲み始め死体を足で弄るのみ。
もうクラムに興味を払っていなかった。
シッシと、虫でも払うようにして、それだけわかったら出ていけと、あっけなく追い出された。
どうやら、見張りには話が通っているらしく、クラムがキャンプ地の柵に設けられた通用門に近づいても、鼻を鳴らすだけで特に何も言わず通してくれた。
明日からは、『勇者』が起きている限り、番兵として寝所の外へ配置されることになった。
自由時間はなし。
『勇者』が眠るまでは、ずっと勤務時間だ。
勇者テンガは、おおよそで深夜まで起きているらしく、朝は遅い。
ただ、深夜もそうだし、朝方も女とよろしくヤルため、その時間には外に立っていなければならないらしい。
そして、日中も……いつおっぱじめるかわからないので、常に寝所で待機することになると───そういった無茶苦茶な勤務だ。
唯一取れる時間は、深夜から早朝までの短い時間と、時には勇者が遠出する時などの、明らかに不在のときのみだ。
それ以外は、『勇者』の女遊びの刺激増進のために……案山子になれということらしい。
クソったれ……!
唯一の救いは……長時間の配置ゆえ、飯があたることだろうか。
囚人大隊の薄い飯ではなく。近衛兵達が食べている豪華な飯───の残飯だ。
それでも、
それでも───!
ないよりはマシで…………栄養価も高い!
今のクラムには喉から手が出るほど欲しいものでもあった。
金もあるにはあるが、わずか数枚の銀貨のみで使ってしまえばもう後はない。
元盗賊の囚人兵も早々面倒は見てくれないだろう。
基本的に、囚人兵というのは、自分のことで手一杯なのだ。
それに、下手に隙を見せればリズがどんな目に合うかわからない。
クラム不在間の彼女の身柄だけが心残りだが……こればかりはどうしようもない。
囚人兵の理性に期待するしかないが……かなり厳しい状況だ。
「はぁ……」
それでも、なんとかするしかない……。
そう、なんとか生き延びることができた。
だが───クラムの心中はグチャグチャだ……。
何かの拍子に首をくくりたくなりそうで、どうしようもない。
正直───……怒りや憤りや悲しみや、絶望を感じていたが──今となってはもう、戸惑いしかない。
一周回って、もうワケが分からなくなっていた。
あの優しい義母に向けられた嘲りと、
妹に向けられた無関心さと軽蔑のそれ……。
そして、ネリスのあの態度……!
どう見ても肉欲に溺れる「女」で、クラムを顧みることもなかった。
一見すれば、罪悪感で顔を見れないのではないかとも考えたが……あの愉悦の声は単純な言葉では説明できない。
ましてや───ルゥナのことはどう説明するというのか。
今も彼女の姿は見ていない。
さすがに、『勇者』もまだまだ幼いはずのルゥナに、食指を向けているとは思えないが……リズのあり様を見ると……。
くそ!
……自分の女の子供だからと言って甘いわけではないようだ。
ルゥナが無事だといいのだが……。
リズがあの「ハレム」から流されたというのなら……ルゥナもあそこにいるのだろうか……。
母の爛れた姿を見ながら日々を過ごしているのだろうか?
ゾッとする……。
リズといい、ルゥナといい。
子供のいていい環境じゃない。
そして、リズのこと……。
彼女は、
そう…………リズの有り様は、まるでゴミ扱いとしか───。
ミナもあの様子から見るに、リズのことは知っているに違いない。
あれほど仲の良かった親子だったはずなのに……娘が奴隷として売られていて何も感じないのか!?
俺の妹は───ミナはそんな薄情な人間だっただろうか?
一体……。いったい何があったんだ?!
シャラも、あんな表情をする人だったか?
美しく、まるで少女のような外見だが……彼女は紛れもなくクラムの義母だったはず。
幼少から育て、慈しんでくれていたはず……。
それが、
それが、
それが───!!
なんて顔をするんだよ。
「くそぉぉ!」
誰に向けるでもない毒を空に吐きつつ、叫んだ先には───囚人大隊のキャンプ地だ。
そこは暗く、酷く疲れた雰囲気が漂っていた。
そう……まだまだ夜は続き──、周囲は完全に暗い闇に沈んでいる。
そこを、ジリジリと歩くクラム。
天幕までの短い距離を、絶望と憎悪と寂寥と無力と……残酷なまでの現実に身を焦がしながら歩く───。
なにもかもが、わからないことだらけ……。
理不尽なことだらけ……。
クソのような出来事だらけ……。
あぁ、
なんて世界だ───……。
こんな世界……滅びちまえ─────。
第30話「最後の残照」
囚人大隊のキャンプ地は闇に沈んでおり、まだ起きだしている者は誰もいないようだ。
暗く沈んだキャンプ地は、クラムが出て行った時と変わらない。
鼾やら、寝息が盛大に聞こえるのみで、広場の規模に比して数の少ない天幕が寂しげなだけだ……。
リズ───無事だよな?
一度は、激情に飲まれて顧みることすらしなかったのに、我ながら虫のいい話だ。
だが、心配する気持ちは本気───。
焦りの気持ちを隠すことも出来ずに荒々しく天幕の覆いを跳ねあげる。
スルリと天幕に潜り込めば、あの人間の出す、垢臭~い匂いが鼻を突いた。
人の気配もある─────が、寝具にはだれもいない。
…………?
り、リズ!?
姿の見えない姪に、いやな汗がブワっと溢れ出す。
ど、どこだ!
「リ───」
声を出そうとしたクラムのすぐ近くで気配が膨らむ。
その気配は剣呑な気配を保っており、手には得物が…………───俺の槍!?
ビュっと突き出されたそれを辛うじて躱す。
だ、だれだ!
外よりも暗い天幕の中では相手の正体はわからない。
まさか、『勇者』の手先や、近衛兵がさっきの事態を収めるために俺を暗殺しようというんじゃ───?!
カランと落ちる槍に……。
不意にドカリと腰に抱き着く人の気配……──。
「リズ……」
姪が…………リズがそこにいた。
震える目は、クラムを捉えて離さない。
グググ、と込められる力は悲しいくらい弱々しかった。
「ごめん……リズ」
ポンと頭に手を置き謝罪するクラム。
彼女のことを何も考えていなかった。
一時くらいは、頭の片隅にあったが……。
『勇者』憎しと、家族の裏切りともいえる現場に遭遇し──彼女の今後の在り方なんて全く考えてもいなかった。
俺はバカだ……。
「ごめん、ごめんな……」
リズの背中に手をまわし、優しく抱きしめる。
そして、ゆっくりと抱き上げた。
やはり……悲しいくらい──軽い。
「怖かったよな……寂しかったよな……──腹が立ったよなぁぁぁ……」
ボロボロと涙を流し、自分の境遇に、リズのそれが重なる。
わかる……。
わかるよ……。
義母さんや、ネリスや、お前の母さんと違って───!!
お前は、
……リズは、リズは俺を待っていてくれた。
きっと……彼女は「ハレム」で飼われていたのだろう。
『勇者』の相手をするべく……。
実際に相手をしたかどうかはわからない。
知らない。知りたくもないし。知る気もない。
聞きたくないし、聞く気もない。
───どうでもいい……!
大事なことは……リズがあの三人の中にいなかったことだ。
もし、何かが違っていれば……。
あそこには、リズも含めて四人だったのかもしれない。
あの『勇者』のことだ。
リズに目を付けないはずがない。
最近になって奴隷市場に流されたというなら……ほんの最近までリズは飼われていたということ。
それは、『勇者』が飽きたか……手を出すのをやめたか、いずれにせよ……あの媚びる女たちのようには……リズはなっていなかった。
クラムに、嘲るような目や、蔑んだ目や、男に媚びて目を合わせないような───そんな卑怯な真似はしなかった。
リズは……最後まで、そして今も俺の家族だった。
「ありがとう、リズ」
ありがとう───。
抱きしめ、寝具に入れてやり、その髪を撫でつつ───……額にキスを落とし込む。
垢の匂いが鼻孔の奥に流れ込んできたが……不思議と落ち着くものだった。
ありがとう……。
ありがとう、リズ───。
「……ぁ……ぅ」
その濁り切った瞳にも、僅かに……人の温かさの通った光を取り戻しながらリズがクラムの首筋に顔を埋める。
声にならない声で泣き……そして、眠った。
おやすみリズ……。
───リズ、今度は……今度は、君が起きるまでこのままでいるよ───。
今度こそは、──もう……!
家族を見捨てない。
家族のために今だけは、生きるよ───。
リズ……。
リズ……。
お前がいてくれてよかった……。
一度は、リズのことなど知らんとばかりに、『勇者』に歯向かったが……。
あぁそうとも、あれは軽率だった。
すまない。
だが、これからも機会があれば───……ッ!
奴は殺してやるつもりだ。
その時はリズ───。
ゴメン。
俺を詰ってくれてもいい。
殺してくれてもいい。
勇者に殺されたとしても、最後はお前に殺されるから、さ。
『勇者』を憎むのだけは───自由にさせてくれ。
それ以外は、俺の全てはお前にやる。
血も肉も、心も体も……全部お前にやる───。
そして、お前に尽くそう……。
だから──……。
だから、
一個だけ我儘を聞いてくれ───!
俺は……。
俺は勇者を──────殺す……!
絶対に、だ。
……絶対に───。
クラムは───特赦を得て、自由になり、そして家族を探し……。
『勇者』を忘れて、どこかの田舎で誰も知らないところで───家族ともう一度暮らすという小さな望みを……。
今日、捨てた。
クラムの家族は……今や、リズのみ。
あとは行方の知れないルゥナと、「女」として家族を捨てた3人のみ───。
今の、あの3人は……もはや家族ではない。
『勇者』の「女」だ。
……女だ。
ギリリリリリと歯を鳴らしながらも……。
顔の近くで穏やかな寝息を立てるリズの香りに───クラムもいつしか眠りに落ちた……。
明日から彼は、
───勇者の寝所番だ。