第5話「彼の者は『勇者』」
クラム達が日常の平和を謳歌しつつあったあの日々。
しかし、世界は少しづつ歪み始めていた。
どこからともなく聞こえてくる戦争の噂。
その気配を一民草のクラムでさえ、微かに感じ取っていたその頃──。
そう。
クラムが絶望の底でのた打ち回っているあの時から、遡ること……──約数年前。
──北の大地に英雄現る。
『魔王』
そう名乗る彼の者は、北の大地で群雄割拠していた魔族を統一し、中央集権の強大な国を作り上げたという。
そして、それまでは殆ど関わりのなかった人類の文化圏に接触。
……度々衝突を起こすに至る。
北の大地にほど近い、辺境の国々。そして村と街は叫喚した。
燃える村々……。
踏み荒らされる田畑……。
連れ去られた牛馬に……婦女子────。
対応が後手後手に回り、荒れるに任せていればドンドンと増長する魔王軍。
それをみて、辺境の国の対応の不味さに業を煮やした国々は『魔王討伐軍』を編成──俗に言う第一次「北伐」を開始。
類を見ない程の大軍勢で、魔王軍を攻撃した。
しかし、結果は大敗。
噂で聞くだけでは、にわかに信じられないほどの精強無比な魔王軍。
彼らは鬼のように強かったという。
それもそうだろう。
近年まで国内で内戦とも征服ともつかぬ戦争を繰り返していた魔王軍は……凄まじく強大で、戦慣れしていた。
緩やかな連帯のもと、弾の小競り合い程度の戦しか経験していない人類。
要するに、平和ボケしていた人類の「北伐」軍はあっという間に蹴散らされ、蹂躙しつくされた。
そして、散り散りに逃げる内に霧散消滅……。
結果、
兵力を失った人類は策源地を逆進され、……まるで、死体のあとを追うかのように追撃する魔王軍によって、壊乱と壊滅と全滅を繰り返し……次第に国土を失っていった。
陥落する城塞と更地にされる城壁、そして踏みにじられる田畑と民草。……人類は、大敗を機に徐々に追い詰められて行く。
滅びの時が近いと悟り、危機感を抱いた国々は協議した。
魔王を──魔王軍を打ち破るには、伝説の英雄を復活させる必要があると。
──すなわち『勇者』を呼び寄せることで『魔王』に対抗しようと決定した。
国々の宝物庫や書物庫を漁り、長老から伝承を聞き……遂に異世界から『勇者』を呼び寄せることに成功した。
十代の頃と思われる東洋系の青年は、
────名を「テンガ・ダイスケ」と言った。
召喚されし男は、まさに勇者だった。
最強の人類……!
救国の英雄の証と言わんばかりに、初戦で王都を襲った巨竜を落として見せた。
ドラゴンの背に乗っていた多数のオーガを素手で引き裂いた。
その腹を破って表れた醜悪なゴブリンを滅して見せた。
彼は、ただの一戦で人類を魅了し、世界最強を見せしめた。
その後の活躍も目覚ましく。
誰も扱えないと言われた「宝剣」を軽々と使いこなしてみせた。
大賢者でも扱うことの困難であった「魔法」を行使して見せた。
何でもかんでもやって見せた。
そして、こなしてみせた。
「これぞ勇者────」
誰もがそう思い、最強の人類を讃えていた。
しかし、技量は未熟。
剣も、魔法も、扱うことはできるが、それは熟練のものではなく。
あたかも、先ほど急に使えるようになったと言わんばかりのものであったという。
力の由来は彼をして、よくわからないという。
また精神のほどはまだまだ幼く、10代の見た目そのものであった。
度々、召喚される前の故郷を思い、望郷の念に捕らわれることがあり、国の重鎮は扱いに腐心したという。
だが、人類の最終勝利のため───『勇者』を完全な人間兵器とするべく、彼の者にはあらゆる特権を与えた。
その代わりに人類への奉仕を約束させることに成功し、この時より、『勇者テンガ』は誕生した。
こうして彼の者は、人類を救うべく打倒『魔王』の尖兵となった。
それが勇者。
勇者テンガの由来────。
…………。
……。
そう、彼はなんでもできる権利を手に入れたのだ。
※※※
そんな世の中の事情なんてロクに知らない一庶民の俺は、ただ日々を謳歌していられればそれでよかった。
良かったんだ……。
世界を救うとか、世界を滅ぼすとか──。そんな大それたことを考えたこともない。
……勇者も魔王も知らない。
ただ、普通の日々を送っていたかっただけ。
それだけなんだ。
本当に何でもない平和な日々を────。
ただ、ただ──まんじりと……。
それが突然終わったのは──。
いつだったっけ……。
第6話「終わりの日の朝」
たしか──……その日は、よく晴れた日だった。
そして、クラムがどん底人生に落ちるまでの、幸せだった最後の朝──。
それはいつものように晴れた日で。いつも通りの……なんてことのない日だったはず。
そう、いつも通りの……。
※
チュンチュン……。
チュン、チチチッ。
柔らかな朝日を受け、気だるげに瞼を開ける。
途端に目を刺す陽光に、いつもの朝が来たことを理解した。
「ふわぁぁぁああ……」
ゴキゴキと首を鳴らして身を起こすクラム。
まさか、今日この日に訪れる危機など気付く由もなくベッドの中で目を覚ました。
そして、隣に眠る人影に優しく触れ、耳元で声をかける。
「──おはようネリス」
「……んぅ?」
腕の中でゆっくりとした寝息を立てているネリス。少しむずがるが、まだ起きない。
「朝だよネリス? ネリース……」
揺すっても起きない嫁。
その額に軽く口づけをして起こそうとする。
昨夜も割とハッスルしたが、そんなことで寝坊するほど柔ではない。……多分。
少々腰がきついが、うん……頑張り過ぎたか?
お相手たるネリスも、疲れきっているのだろう。
全く起きないネリスには、幾度となくキスの雨を降らせる。
そのうちに「う~ん」と気怠そうな声を上げつつ、その美しい双眸を開き、クラムを真正面から見上げた。
「……おはよ」
ポッと顔を染めたネリスはいつもの如く美しく可憐だ。
これが俺の嫁なんだから、嬉しくないわけがない。
そして、お互一糸纏わぬ姿であることに気付くと、ネリスは更に顔を染める。
その仕草は一々初々しく可愛い。
「あ、あの先に行ってて……」
ボンッ! と、顔を真っ赤にしながらシーツで体を覆い隠すネリス。
「ん。わかった。義母さんの食事の手伝いをしてくる。──ネリスはコーヒー飲むよな?」
「うん!」
パァっと花が咲くような笑み。
綺麗過ぎるにもほどがある。
見ていてこっちまで恥ずかしく……そして幸せになる。
「先に行くよ」
手早く着替えを済ませると、リビングへ。
短い廊下を挟んでリビングに向かう途中。
ちょうど子供部屋から出てきた──姪っ子リズと、愛娘ルゥナと克ち合う。
「叔父ちゃんおはよー!」「おはよーです」
ショボショボとした眼のルゥナと手を繋ぎ、行儀よく挨拶するリズ。
……。
本当にミナの娘かね?
「おはよう二人とも。今日は学校か?」
「はい!」と元気よく返事するリズ。
二人は王国内の庶民学校に通っている。
聞けばなかなかの優等生だとか。
我が家は決して裕福というわけではないが、既定の授業料くらいは払える蓄えもある。
そのため、エンバニア家では子供を学校に通わせていた。
──教育は絶対に必要! というのが、亡くなった父の方針だ。クラムをそう思う。
そして、父が亡くなったあとも、後妻である義母さんは頑なにそれを守り、エンバニア家は全員初級教育は受けさせてもらった。
おかげで読み書きには困らない。
さらには、どれもこれも仕事に役立つ事ばかりだ。
つまり我が家の教育方針は、常に正しいということだろう。
「でも、午後はお休みです……。そ、その、先生の数が足りないらしくって」
シュンと顔色を落とすリズ。
なんでも、最近では兵隊に取られる青年が多いという。
北だか辺境だか、どこか遠い場所で随分と派手な戦争が起こっているらしい。
それは酷い戦いらしく、どこへ行ってもあまりいい噂は聞かなかった。
クラムは戦争とは無縁だが、周囲はそうではないらしい。
噂では、どの家庭からも家長を除いた次男坊以下は、次々に徴兵されているとか?
いやな話だ。
「先生も兵隊かー……大丈夫なんだろうか」
国の未来とも言うべき子供。それを教育する教師まで動員しなければならないほどの時代らしい。
本当に嫌な話だ。
幸い、クラムはエンバニア家の家長───徴兵はない、はず。
それもいつまでも続くか分からないけどね。
ま、今気にしてもしょうがない。
少なくとも今日明日ということは無いはずだ。
「──だから、午後はお母さんのお手伝いをしてます!」
ニコっと元気よく答えるリズ。
手先が器用なリズの母──ミナは木工所の細工部で働いている。
切り出した木を加工し、家具にしたり装飾品を作る部門だ。
稼ぎは、俺よりいい。──ちくせぅ……!
「そうか、そうか──リズは偉いな!」
ナデリコナデリコと、頭を撫で回すと顔をピンク色に染めて恥ずかしそうに俯く。
ホンマに、ミナの娘かよ。……くぅぅ──かわええのー。
リズもクラムに撫でられると、目を細めて気持ちよさげだ。
「むールゥナもー」
撫でて撫でてーという娘。
これで撫でない選択肢などない。
ナデリコナデリコ×10──。
「叔父ちゃん……ルゥナだけ長いです」
ジトっとした眼のリズ。
おぅふ。やり過ぎか!?
「な、長かったかな?」
「い、いえ……ちょっと羨ましかっただけです」
いいなーとばかりに、指を口に咥えて羨ましがるリズ。
ルゥナは眠そうな顔になっている。うーむ、どっちも……天使じゃの。
っと、廊下でイチャイチャしてても仕方がない。
「よっと!」
そのルゥナを抱き上げリビングに向かう。
既に良い香りが漂っている。
食欲が激しく刺激される、それ。
義母さんの料理は超絶品、嫁に欲しいくらいだ。
「おはよう。皆」
空気が緩むような温かさと抱擁感のある声がした。
その美しい声の持ち主であるシャラが、目を細めてクラムと孫娘たちを見つめる。
「おはよう義母さん」
クラムも微笑み、挨拶を返す。
そして、テーブルのいつもの席に着くと、隣の少し椅子の嵩を上げた子供用のそれにルゥナを座らせる。
「おはよー。……昨夜はお楽しみでしたね」
ジロっと、非難気な目を向けるのは、目のまえで庶民紙に目を通しているミナだ。
健康的な脚線美を見せつけるように、脚を組み替えつつ──ペラペラの庶民紙を読んでいる。
そして、器用に読みながらも、クラムを揶揄おうとする我が妹。
「ちょっと……。ミナ!」
義娘が何を言わんとしているかを察したシャラが、顔を赤くしながらヤンワリと止めようとする。
義母が顔を真っ赤っかにしている。
うわ。昨夜の家中に聞かれてたのか……。
チラチラと上目遣いにクラムを観察するシャラの視線をうけると、微妙な恥ずかしさがこみ上げる。
見た目は母どころか、年下にすら見えるシャラだ。
そんな女性が頬を染めてクラムとミナの猥談に顔を赤らめている。
うわ。やめてー、そういう反応……!
恥ずかしいわッ!
やっぱり家中に響いていたらしい。
昨夜……ネリスとかなりハッスルしたからな。
小さな家の事。
聞こえないわけがない。
「まったく、ウチのバカ兄貴と来たら……。何人ジュニアを作るつもりよ」
チ……! 羨ましい、とばかりにミナが拗ねている。
ミナは旦那を亡くしてから随分ご無沙汰なのだろう。
だから本気で揶揄っているわけではないのだ。
「まぁ……男の子が欲しいからな」
「そりゃ……まぁ、ね」
エンバニア家に男はクラムしかいない。
何れ、ミナや義母さんも再婚するかもしれない。だが将来のことを考えると、跡継ぎはいたほうが良い。
別に、継ぐほどの大した家系ではないが、義母さんのこともある。
彼女はエルフ。
悠久の時を生きると言われるエルフなのだ。
それも、さらに特殊なエルフであり、シャラはエルフ族の中でも、高位の種族──ハイ・エルフだという。
つまり、確実にクラム達が先に死ぬ。
それは仕方のないこと。
だから、クラム達が死んだ後もシャラにはエンバニア家の一員として末永く幸せに暮らしてほしい……。
子孫たち全員の母として。
ハイエルフが母というのは、クラムをして違和感のある事実だが、そんなことよりもシャラの母性はずば抜けている。
クラムの父とも、おそらく何人か結婚したうちの一人なのだろう。彼女はそれくらい長く生きているのだ。
もちろん、前夫のことなど聞かない。聞く気もない。
だが、興味はある。
クラムとは、父親のこともあり義理の息子という関係になってしまったが、長命種たる彼女は人間社会に溶け込んで以来、常に自分より年下の人間と結婚しているのだ。
何かが違えば、クラムと結ばれていた可能性もゼロではない。
シャラと結婚するというのも、人生の何かが違えばあり得たのかとふと思ったりする。
美しい人────シャラ・エンバニア。
そして、クラムの初恋の人でもある。
誰もが持つ、母に対する愛情以上に、義理の母であり、若々しい容姿で常にクラムの傍にいてくれた人だ。
幼いクラムが恋心を持ったとておかしなことではない。
だが、シャラは義理の母。クラムにとって決して届かない愛しい人────。
でもそれでいい。クラムにとって重要なのは、優しい義母ができたという事のみ。
それでいいと思う。彼女に育てられたクラム。
その愛情に感謝を。
そして、目の前に並べられた食事に感謝を捧げる。
──うむ、旨そうです!
シャラが作ってくれた料理に不味いものなどないッ!
早速、シャラから皿や鍋を受け取り手早く配膳。
炒ったコーヒー豆をミルですり潰し、布で濾して人数分を準備する──子供たちはミルクだ。
準備が整った頃には、着替えを済ませて行為の残滓を綺麗に洗い終えたネリスが食卓に着いた。
「おはようございます!」
元気な声に目を向けると、ネリスは少し顔を赤らめながらもクラムの隣につく。
「ネリスおはよー、昨夜は──」
「やめい!」「やめなさい」
またもや、兄嫁を揶揄おうとするミナに、シャラ&クラムの母子が絶妙なコンビネーションで突っ込みを入れる。
「てへー」
ペロっと舌を出して誤魔化すミナ。
可愛くない……───いや結構可愛いな。ちくしょうめ。
ちんまいミナのこと、子供っぽい仕草がいちいち様になる。
これでも、20代ゴニョゴニョのはず。
歳を聞くと烈火の如く怒るので口にはしないし、冷静に数えることもしない。
「?? はい、御姉さんおはようございます!」
「ん、おはよ」
ニコっと笑顔を合わせる二人。ちなみにネリスとミナは仲が良い。
……そりゃ、俺を含めて、みんな幼馴染だしね。
ミナからすれば、ネリスは可愛い妹分といったところか。
「──はいはい。それじゃぁ、ご飯にしましょ!」
パンパンと手を叩いて、シャラが注目を集める。
「──日々の糧に感謝を。八百屋の安売りに感謝を……」
軽いお祈りを食事に捧げ。
「「「「「「いただきます!」」」」」」
美しい朝が始まった────。
そう、この瞬間までは本当に美しかったのだ……。
本当に……。
第7話「その汚ぇケツを!」
あの日の朝を迎え──。
全てが狂った日のその瞬間がやってきた。
それは夕方のことだったか……。確か夕方だ。
クラムは帰宅し、鍛冶の仕事でヘトヘトになって家の扉をあけた時のこと────。
「ただいま~……」
クタクタになったクラムは声にも張りがなく、いかにも疲れた声で帰宅を報告。
慣れない鍛冶の仕事は体力を消耗するから、致し方なし。
その日は仕事が早く終わったため、いつもより上がりが早く、まだ夕食というには随分と早い時間帯だった。
この時間帯なら、シャラは買い物でいないだろうが、内職をしているネリスはいると思う。
疲れ切った体をネリスに癒してもらおうと、つい早足になる。
美しく可愛い嫁さんと過ごす夕暮れを思い……意図せず顔が緩んだクラム。
早く、ネリスの顔が見たい。
彼女に頼んで、絞った果汁を冷えた井戸水で割ったフレーバージュースを作ってもらおう。
そいつを……グイっと呷るんだ。
……──なぁぁんて、考えていた。
いたんだ。
「────あれ? 誰もいないのかな」
小さな家のこと。
いくら疲れていたからと言って、クラムの「ただいま」が聞こえない者などいないはずだが……?
玄関をくぐり、リビングへ。しかし、予想通りシャラの姿はなく。
ミナとリズもまだ仕事のようだ。
ルゥナは……?
────いた。
だが、クラムを見ても目は虚ろ。
見たこともない恐怖の表情を浮かべている。
??
「ルゥナ?」
パッと顔をあげたルゥナが無言でクラムにしがみ付く。
「どうした? お母さんは?」
「あ、あかーたま…あぅあ」
ガタガタと震えるルゥナ。
小さな指で寝室を指さす。
クラム達のそれだ。
「え? ……寝てるのか? こんな時間に? まさか……病気か!?」
こんな時間に寝室にいるとは、ちょっと普通じゃない。
生活道具のほとんどはリビング周りに集約しているのだ。
それに……この、ルゥナの怯えよう。
まさか、
まさか、まさか───。
ネリスに何か!?
「ネリスッ!」
──ネリぃぃぃぃス!!
慌てて、寝室に走るクラム。
それを一瞬だけとは言え、ルゥナが引き留めようとしたが、クラムは手を振り払い。一足飛びに駆け抜ける。
さして、広くもない家。
短い廊下……!!
あっという間だ。
ダッダッダッダッダッダン!!!
──……ネリス!
ドアを…………開け──!
「おらぁああ! さっさと飲めよぉぉお!」
……人の声がした。
ネリスと──────。
「ネリス!」───バン!!!
勢いよくドアを開ける。
そこには……。
ベッドに横たわるネリスと───……。
え??
は?
半裸に剥かれたネリスを組み敷く男が一人──。
──ああ♡
と、声を上げるネリスを強引に組み敷いている。
……。
一瞬頭が真っ白になる。
…………な、何が起こっている?
は?
ネリスが、
は?
誰だコイツ?
は?
え? あ?
は?
はぁぁっぁ????
「ッ……誰だテメェ!!」
言うが早いが、一足飛びに躍りかかる。
「うおぉ!?」
驚きの表情を上げるも、その直前まで愉悦に浸っていたクソ野郎の──その顔………覚えた!!
そして、二度と必要ない──クソ情報だ!
そりゃあ、当然───……。
ぶっ殺す!!!!!
全力で、
容赦も、
情けもなく、
許しなど与える隙もなく、
思いッッッッッきり!
そのケツを………小汚いケツを蹴り上げてやった。
「死ねぇ! クソ野郎がぁぁァァ!!」
スッパーン!!
──とばかりに、思いっきりなッ!!
「うぎゃぁぁ!!」という男の声を聞くと、
「キャアァァ!」と、ネリスの悲鳴もそこに混じる。
ドロドロに汚されたネリス。
クラムの愛妻ッ!
ふっざけんなよ!!
なんだテメェ、
なんだテメェ!
ふざけんな!
フザケンナ!
ふっざけんじゃねぇぇぇ!
おぅら、
死ね死ね死ね死ね死ね!!!
一度、二度、三度……何度も何度も何度も───!!
蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る!
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!
ナンドモナンドモナンドモぉぉぉぉぉおおおお!
おぁぁぁぁっぁぁ!!!!
跨っていたネリスから転がり落ちるその男を足蹴にする。
まだだ、
このボケぇぇ!
腹ぁぁ、肩ぁぁ、腹ぁぁ、
腕、足、顔、頭、
おぁあああああ!!!!
止まない打撃に、その男が体を丸めてカメになる。
……そんなんで許すかよ、このガキィィィィ!!!
うがぁぁぁぁぁ!!
まだまだぁぁぁ!!
頭、背中、頭、背中、
頭、肩、肩、頭、頭ぁぁぁっぁぁ、
頭、頭、頭、顔、顔ぁぁぁあああああああああああああぁぁぁ背中、背中、背中、背中、背中、背中、背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中!!!
がぁぁぁぁぁ!!
叫ぶクラムと、耳を塞ぎシーツで体を隠しているネリス───!
そして、
「いってぇぇな……」
いててて、と──あれ程の打撃を加えたはずが、何でもないとばかりに男が────。
そして、
バン、ダダダッダダダダダ───!
「勇者殿!? 何事ですか!!」
豪奢な鎧を着こんだ大柄の兵が駆けこんでくる。
兜も、
鎧も、
剣も、
超一級品と一目でわかる。
──何だコイツ!?
どう見ても、その辺を警邏する衛士のものではない。
確か───。
「いって~~……おい、近衛兵ぉぉ…おっせぇんだよ!」
──おー痛ぇ……、と起き上がる男に対して、「すみません……」と謝る一方で──。
その兵は、なぜか──ガンッ! と、ばかりにクラムを取り押さえる。
──は?
「いた……! お、おい! 何をする、離せッ」
「黙れ下郎ッッ!」
………は? なんで俺が。
「お、おい! なんだお前ら! 人の家で──」
抗議の声を上げるクラムを完全無視。
「ったく、このノロマどもがぁ……」
体についた埃を払いつつ、近衛兵を口汚く罵る男。
「も、申し訳ありません。『勇者』殿が離れて居ろとおっしゃりましたので…」
な、に?
────なんて言った……コイツ?
「『勇者』の危機を守るのもテメェ等の仕事だろうが! あと、女抱くときは気を使えやボケェ!」
コィンといい音をさせて近衛兵の兜を小突く。
傍目にもかなり理不尽な言い草だ。
そして、一番理不尽を感じているのは──クラム。
ゆ、勇者?
え……?
あの勇者……?
最近話題になっていた…世界の救い手とかいう? あの伝説の───『勇者』??
こいつが!?
「それで、何がありました!?」
近衛兵はクラムのことなど一切取り合わずに、
「コイツがよぉぉ、俺が女としっぽり楽しんでる時に、暗殺しようとしやがった」
…………。
……。
は?
「あ、暗殺ですか……? その『勇者』殿を?」
「そうだよぉ。──見ろよ、これ……。傷だらけだぜぇ?」
下半身丸出しで、ちょこっと青くなった程度の肌を示す。
「そ、そうですか……『聖女』様を捜索中の『勇者』殿の隙を狙った犯行、と」
何故か、ジロリと見下ろされるクラム。
はぁ?
「あーうん。そんなとこでいいんじゃない?」
なんだよ! おい!?
いや、それより!
「ネリス!!」
……ネリス───!?
顔面蒼白のネリスと目が合う。
あられもない痴態を晒しながらもネリスは、ハッキリと告げる──。
「──ち、違います! クラムは何も!」
「売女が口を出すな!!」
「ひっ!」
近衛兵の一喝を受けて、ネリスは顔を青ざめさせて口を噤む。
余りに迫力に目が虚ろに……。
なんでそんなこと言われなきゃならない?!
ね、ネリスは被害者だぞ……!
「ったくよぉ……興が削がれたぜ……。おい、帰るぞ。『聖女』の下見は済んだ。もういい」
床に転がっているクラム等、気にも留めないで下だけ履き終えると、ノッシノッシと上着を肩に、口笛交じりに部屋を出ていく。
「おい、待て、てめぇぇ!!」
「黙れッ! 抵抗するな」
ガツンと、羽交い絞めされたまま後頭部に手痛い一撃を喰らう。
グワングワンと回る景色に、意識が朦朧とする───。
そして、
「現行犯逮捕だ。連行する!」
クラムは近衛兵に引きずられて何処かへと連行されていく。
「……ネ、」
───ネリス……。
遠のく意識の外で、ネリスがガタガタと震えている。
そして、引き摺られる廊下にはルゥナの姿も。
「おとーたま……?」
まずい……。
こ、
このまま連れて行かれたらとんでもないことに、……なる。
なぜか、二度と会えなくなるような……恐ろしい予感があった。
いやだ……!
ああ……ルゥナ!──と、……手を伸ばすが、クラムのような一般人が現役兵士の加減なしの打撃を受けて……無事なはずがない。
カクンと抜けた力では、もう体に力がはいらず、全身の自由が利かない。
そして、外へ───。
「集合完了!!」
ガシャっ! と、整列した近衛兵の一個分隊が完全武装で立っていた。
「イッパ団長? その男は?」
イッパ団長───……?
だ、団長だ、と? こいつが?
勇者に小突かれていた男が───。
……王国最高峰の騎士団である、近衛兵団の団長。
勇者を除けば国内最強と名高い、イッパ・ナルグー!?
「──『勇者』殿を暗殺未遂の現行犯だ。連れていけ!」
乱暴に突き出されて、首根っこを掴まれたクラム。
「は、はぁ? ……りょ、了解です」
釈然としない顔をした近衛兵たち。
だが、命令は命令だ。
近衛兵たちの手で、まるで荷物のように積まれるも、なんとか抵抗しようともがいてみせる。
だが、数人に取り押さえられ──馬車の後部にある物入れに、ゴミか何かの如く、引き摺られて行く。
抵抗するクラムを相手に、近衛兵たちは面倒臭げにしつつも、荷物の如く乗せようと────、
「く……クラム!?」
「兄さん!」
「叔父ちゃん??」
3人の……。
家族の声が───!!
シャラ、ミナ……リズ。
「た、たすけ──」
「黙れッ!」
ガツン! と思いっきり殴られ、遂に意識を失うクラム。
うぅ……。
義母さん……。
義母さん……。
落ち行く意識の底で、シャラたちが抗議しているのが微かに聞こえたが………。
後は闇の中だ。
こうして、
クラム・エンバニアは『勇者』暴行の咎で拘束された───。
第8話「この世の理不尽」
クラム・エンバニアは…『勇者』暴行の咎で拘束された───。
※
そして、二日後。
王国、審問部───高等裁判長ブーダス・コーベンの開設する特設裁判所にて……。
バンバンバン!
───判決ッ!
「被告、クラム・エンバニアは有罪とするッ!!」
「はっ??」
この一言が俺の頭の浮かんだもの。
え? ……なに、なんなの??
いや……、「はぁ?!」ですよ……!!
「はっ? ではない!! 有罪。有罪だ! クラム・エンバニア。君の罪は審問官による正式な調査と証言、そして申告により………裁定は下った!」
バンバンバン! 木槌で判決を言い渡す。
聞く耳は持たないとばかりに、でっぷりと太った裁判長のブーダスは宣う。
クラムとしては、黙って聞くわけにはいかない話だ。
「よって、君は本日──たった今より罪人だ。そして王国におけるあらゆる権利を失うものとする!」
そして、あれよあれよと言う間に犯罪者。
先日、拘束されてから2日という異例の速度。
ロクに捜査も何もあった物じゃない。
尋問という名の拷問に近い口頭試問と、勇者テンガ・ダイスケの証言、近衛兵団長イッパ・ナルグーの証言の一致。
そして、勇者本人からの申告。
……被害者は、『勇者』のみ───。
は?
ネリスは!?
────俺は!?
「……おい!!!」
聞けよ、おぃ!!!
バンバンバン!!
裁判長のブーダスは、手に持つ木のハンマーを木台に叩きつけ、注目を促すと、
「判決…──────『勇者』暴行罪により、」
いや、
ちょっと待てって!
おい、おかしいだろ!!
なぁ!!!!
「───死刑!!!!」
ッッ!!
「……はぁぁぁぁ!?」
ば、
馬鹿な…!?
う、嘘だろ…?????
「──ま、待ってください!!」
屈強な衛士に挟まれて被告人席に無理やり座らされている俺の背後で、若い女性の声がする。
ネリス?!
「裁判長!! お願いです、待ってください!!」
他にも鈴を転がすような綺麗な声───義母さんの声も。
「おかしい! おかしいよ! なんで兄さんが有罪なの!?」
これは、ミナ?!
「叔父ちゃんは悪くないよ! ねぇ、そうでしょ!」
「おとーたん、悪くない……!」
姪っ子のリズ、
そして俺の子…まだまだ小さな子までが───。
当たり前だ! 俺が何をした??!!
「黙れ!! 傍聴人は静粛にしろ! 君らに発言を許可した覚えはない!」
顔を真っ赤にした裁判長のブーダスが、木のハンマーのようなもので「バンバンバン!」と机を叩いている。
抗議の声は尚も続く。
しかし、どれもこれも俺の近親者のみ。
義母さん、嫁、妹、姪、娘───。
おいおい……なんで、誰も何も言わないんだよ!?
おかしいだろ?
俺が悪いのか……? なぁ!?
振り返った俺の抗議の目に、誰もがそっぽを向く。
真っ向から見返してくる奴も中にはいるが……ニヤニヤと楽し気だ。
視線の先には、家族もいた。俺の味方で、愛すべき人々──。
美しい容姿の義母さん、
彼女は俺が悪くないと言い張ってくれている。
──当然だ!……俺は何も悪くない。
そして、ネリス。愛し、愛されている……最愛の人───ネリス。
当たり前の話だが、彼女もまた俺を擁護してくれている。
──至極当然。彼女は今回の一連の騒動の被害者でもある。
『勇者』に強姦されたのだ……!
むしろ、彼女が傍聴人席にいるのはどうかしている───。
キンキンと騒がしいのは俺の妹。──普段はぶっきらぼうだが、とても優しく家族思いのミナだ。
そして、妹とのその亡き夫の良い所を受け継いだ可愛い姪っ子───リズ。
ミナとリズは共に気勢を上げているが、少々チンマイため、子供がヤイのヤイのと声を上げているだけにも見える。
そして、リズに後ろから抱きしめられている小さな子。
俺の子、愛しい愛娘の───……ルゥナ。
小さな目に涙を溜めて、おとーたん、おとーたんと……。
けれども、愛しき女達の擁護の声も虚しくクラムの刑は確定した。
……。
し、死刑……───?!
死刑とか……嘘だろッ?
おいおい、おい!!
くそ、くそぉぉ!! おかしいだろうがぁぁ!!?
他にも傍聴人はいる。
近所の人も、
───なぁ!? おかしいだろ?
友人も、
───おい!? どう思うよ?
職場の人間や、
───ほら!? 何とか言えよ?
見知らぬ人も……、
───なぁ? どうなんだ……って、
あ、あああ───アイツ!!?? 『勇者』だ……!?
なんで、
なんで、
なんで『勇者』が───!! 『勇者テンガ』がここにいる!?
「あ、あああ、あーー!!」
あいつだ。
あいつを捕まえろよ!!
「ふざけるな! ネリスを強姦したのはあいつだろ! あそこにいる『勇者テンガ』だろうが!!」
「黙れ!! 被告人が……! いや、罪人が勝手に発言することは許可しておらん! 判決は下った。それは覆らん!」
バァン! と一際大きく机を叩く裁判長。
クソがぁ!
その太った脂肪に火を点けてやりてぇぜ!
ギリリと憎しみの籠った眼を、裁判長のブーダスと、『勇者』に交互に浴びせるが、どこ吹く風。
『勇者」に至っては、むしろ面白気にクラムを見ているくらいだ。
「ええい!……さっさと、しょっ引けぃ!!」
見苦しいわぁ! とブーダスが、クラムを囲んでいる衛士に言いつける。
命令を受けた衛士はガタガタ音を立てて立ち上がり、クラムの脇を掴み立ち上がらせた。
──くそ、ふざけんな!
「放せ! 離しやがれ!!」
ジタバタと暴れるが、訓練された屈強な衛士を振り解くことなどできるはずもなく、
「見苦しいぞ!! 刑が執行されるまで自分のやったことを反省したまえ!」
反省!?
反省だと!?
何を、反省する。
反省する中身を教えろよ!!
「うがぁぁぁ! 離せぇぇえええ!!」
俺が……。
俺が何をした!
「うがぁぁぁ!!! 離せ、離せぇぇぇ!!──ネリス、ネリぃぃぃぃス!」
ぎゃあああ、と暴れまくるクラム。
それを抑え込み無理矢理連行しようとする衛士たち。
暴れながらも、クラムの目はネリスを見つめて離れない。
「クラム! クラぁぁぁム!!」
近所の人に抱き留められているネリスがクラムへと手を伸ばす。
「クラム……!」
「兄さん!」
「叔父ちゃん!」
「おとーたま!」
義母さん、
ミナ、
リズ、
ルゥナ、
皆……!
みんなぁぁぁぁぁぁ!!
家族が、
俺の家族がぁぁぁ!!
ああああ、ふざけんなよ!
──がああああああああ!!!
────あああああああああ!!
暴れる!
騒ぐ!
抗議する───
そして、クラムは気づく。……気付いてしまった。
ニヤニヤと、暴れまくる俺を見下すように見ている男───『勇者テンガ』の姿に。
視線は俺だけじゃない。
粘つくような目をネリスや───他の……俺の家族に向けている。
あの野郎ぉぉぉ、何を考えている───!
その目で、俺の家族を見るなぁぁ!!!!
ネリスの下へ……!
家族の下へ────全身全霊で暴れるクラムに向かってブーダスは冷ややかにい放つ。
「なんて男だ! 『勇者』に手を上げて置いて一分の反省も見せないとは! 刑死は過酷なものになるぞ! 覚悟したまえっ」
だ・か・ら……!
だから──何・の・反・省・だ・よ!!
俺は、
俺はァァ!!
ただ仕事から帰ってきたら、『勇者テンガ』が俺の家でぇぇ!!
ネリスを組み敷いていやがったから───その汚ねぇぇケツを、思いっきり蹴り飛ばしてやっただけだろうが!!
嫁が犯されているところを助けて、──なんで罪になるんだよ!
「勇者暴行罪」??
ゆぅーしゃーぼーこーざい、だぁぁぁ!!??
ふざけるな!
「──『勇者』だったら何をしてもいいのか!?」
そんな権利あるのか!
──あああああん!?
どうなんだよぉぉぉお!!
「そんなバカな話があるかぁぁぁ!!」
うぉぉぉと叫ぶクラムに、
「はっは~。馬鹿なやつだな? 知らないのか、いいんだよ…? 俺は『勇者』だからな。他人の家に入ってタンスやら壺を探したり、道具屋の裏から入って宝箱を開けたり、町娘や王女を宿屋に連れ込んでも───何をしてもいいのさ」
──知らないのか?
と、いつの間にか近づいてきた『勇者テンガ』が、俺を見下ろしそう宣う。
「いやー……! 痛かったぜぇぇえ──さすがにまだ鍛え方が足りないみたいだな。お前みたいな町人Aにダメージを受けるとは思わなかった」
て、
「テメぇぇ!!」
衛士を振り解いて掴みかかりたかったが、そうもいかない。屈強な衛士はクラムを押しつぶさんばかりに抑え込んでくる。
くそぉぉお!
せめてもの抵抗として、ジタバタと暴れるも、それは勇者をして笑わせるだけだ。
「お前ぇぇ、死刑になるのかー……。そりゃぁ、悪いことしたね、いやーはっはっは。それにしても、
──……良い女達だよなー。お前の家族……。
ニチャぁぁと顔を歪ませて笑う『勇者』。
その視線はクラムと、その嫁と……義母と妹……姪っこ達を交互に見ている。
こ、
コイツ…!! まさか…!?
おい……お、おいおいおい!!
じょ、
冗談じゃないぞ!?
お、
俺が拘束されている間……。
──誰が家族を守るんだ!?
……いや。
本当に死刑になったら、そのあとはどうなる……?
だれが、
だれが、
誰が家族を守るんだ!?
──ゾッとした悪寒がクラムを襲う。
なによりも……。コイツ──勇者テンガの目……。
ニヤァァ……と歪むその目は肉欲と征服欲に溺れている。
おいおいおい、本当に『勇者』なのかよ!
「なぁ、裁判長さんよー、コイツ死刑なのか?」
「むが?! さ、さいばんちょうさん?? な、なれなれしい……んぐぐ。───そ、そうです。『勇者暴行罪』など、『勇者』を害する行為は即刻、死刑になります」
「ふーん……そうだったっけ?」
こ、
この野郎ぉ…!
「ま、どーでもいいかぁ」
そして興味を失ったかのように、裁判所を悠々と歩いて出ていく。
入り口を守っている兵には最敬礼をされていやがる……───くそ!
「絶対に間違ってるわ……───」
「必ず救い出してあげるから、兄さん待ってて!」
ギリリと歯を噛みしめて勇者の後ろ姿を見送るクラムの家族。
その言葉と、力強い励ましにクラムは少しだけ落ち着くことができた。
義母さんの強い意志の籠った目と、ミナの力強い視線……!
誰も彼もが、クラムを責めているわけではない。
少なくとも俺の家族だけは、家族だけは……味方だ!
クラムを信じ、今も信頼してくれている。
だから、俺はまだ……──────。
「ええい、目障りだ! 早く連れて行け!」
バンバンバン!!
ブーダスの野郎が、クラムを追い払うように、衛士に命じる。
……覚えていろこの野郎。
こんな裁判不当だ!!
弁護人もいない。
証言も適当。
オマケに知っているぞ俺は!!
お前が賄賂を受け取っていることくらいなぁぁああ!!
だが、体制はクラムに味方しない。
勇者第一主義を掲げる王国では、クラムのような庶民の処遇など笑い話で決められることもある。
そして、
クラムは反体制ということらしい。
なにせ、強姦野郎を現行犯で捕まえようとしたら───逆に『勇者暴行罪』として死刑を宣告されたのだから。
それが、王国が決めたこと。
勇者に取り入り、操るために庶民に無理を強いる……。
体制と反体制。
クラムは、反体制だったのだ……。
第9話「蜘蛛の糸」
この世は理不尽。
控え目にみても、世界はクソだ──。
俺は……。
俺こと、クラム・エンバニアは、嫁を犯していた強姦野郎を誅し、現行犯で捕まえようとしたら───逆に『勇者暴行罪』として逮捕。
……死刑を宣告された。
なんだそりゃ……?
『死刑』だとさ。
死刑……。
シケイ───。
その言葉を脳内で何度も反芻しつつ、暗い天井を眺める。
(ここにきて……何日たった? 何ヶ月? ……それとも──)
ピチョン……。
──ピチョン……。
無精ひげだらけになったクラムの顔に水滴がぶつかる。
冷たく、暗い牢獄だ。
不衛生な牢屋の中では、ろくに日も差さず──……時間の感覚が狂っていく。
ただ、マンジリと時が過ぎ、飯とクソをするだけの存在に成り果てる。
思考は鈍く、
希望は薄く、
怒りは渦巻く、
どす黒い感情とともに───。
復讐……。
復讐してやる……!
こんな境遇に陥れた連中に死を望むのは、ごく自然な感情だろう。
それができるかどうかはともかくとして、何もやることもなくただただ死刑執行を待つだけのクラムには妄想の中で復讐する瞬間を夢想するくらいしかできなかった。
クラムを害した連中すべてを……!
もちろん、
一番殺してやりたいのは勇者。
アイツをギッタギタにして、無残に殺してやる……。
次に、無実の俺を死刑にした裁判長。
脂肪だらけの腹を掻っ捌いて、牢獄に叩き落としてやるッ。
そして、理不尽に俺を捕まえた挙句不利な証言をしやがった近衛騎士団長。
あの野郎は首根っこ引っこ抜いて犬の食わせてやらないと気が済まない!
あとは、王国そのものだ……!
俺を拘束した衛士、助けてくれない近所の人々。連行される俺を見て嘲笑った奴ら全員!
俺が何をした?
何もしていない!!
だけど、俺に死ねという国……。
だったら、
だったら、……こんな国────滅びちまえッ。
「皆、死ねばいいんだ……」
そんなことを来る日も来る日も考え続けているクラム。
目を窪み、頬はこけ、土気色をした顔色……。
すっかり見た目の変わった自分を見て、時の過ぎ去った重さを実感する。
そうだ……。
あれから、──あれからどれくらいの日が?
冷たい牢獄で、刑の執行を待つ日々………。
時折───面会は許されたが、再審の話もなく、助命の嘆願も虚《むな》しく、それを、聞くたびに……俺の顔は絶望に染まり───。
家族の悲痛な顔も、また……見られたものではない。
暗い顔、
悲痛、
憤り、
温かだったあの日々は残り香すら感じられず……。
家族は泣き、
家族はやつれ、
家族は寡黙に……
そして、面会の数も減って行き───。
ある日、義母さんが会いに来たのを最後に、……遂にはそれも途絶えた。
ピチョン……。
ピチョン……。
ピ……チョン───。
ポタリと、体を打つ水滴。
それは天井を伝う地下水ではなく、なぜか温かかった。
(あぁ……俺は悲しいんだな──)
久し振りに流れる涙に気づいたのは、いつ以来だろうか───何を泣いているのも自分ですらわからない。
……どうしてだ?
どうしてこうなった?
ただの、なんてことない日々だった。
なのに、クラムは今ここにいる。
幸せから絶望の果てへと……。
(もう、いっそ早く殺してくれよ……!)
絶望から、死を望むまでに至るクラム。
光の刺さない牢獄では、外の様子が分からない。
時間の曖昧な中、精神だけが徐々に毒されていく。
随分と季節が流れていったように感じるが……実際はどれだけの日が過ぎたのか、絶望に身を浸していたクラムには感じることができなかった。
刻一刻と、迫る「死刑執行」のその一声。
まだか……。
いつだ?
今日か?
いやだ──。
だが、クラムとて人間。
死を望みこそすれ、本音では助かりたい。
この手に家族を抱きしめたい。
……元の生活に戻りたい────。
いやだ。
いやだ、いやだ!
いやだ!!!
死にたくない、
死にたくない、
死にたくない、
──死にたくない!!
家族に、
家族に会いたい、家族に……。
ネリス、義母さん、ミナ、リズ、ルゥナ……。
「会いたいよ───……」
一目。
……一目でもいいから。
うぅ、
「うぅぅぅー……!」
会いたいんだ……。
だけど、もう──……もう一生会えないのだろうか?
二度とこの手に抱くことは叶わないのか?
そんなの嫌だ!
いやだ、いやだ!
俺が何をした?!
全部アイツが悪いんじゃないかッッ!
ゆ、
『勇者』……。
そうとも……『勇者テンガ』ぁぁぁ!
あ、ァ、アイツのせいで───!
悔しい……。
悔しい、
悔しい、
悔しい、
悔しい!!
「うぐ……」
う、
うぅ、
「ううううううう……」
──ううううううううううううう……。
ボロボロと涙を零すクラム。
拘束されて幾日かは、暴れ回ったものだが、最近では、すすり泣く位しか元気を残していなかった。
もはや絶望の淵──。
いっそ早く殺してくれとさえ……。
もう、
もう二度と家族と会えないくらいなら──。
もう早く終わりにしてくれ、と……。
暗い感情に意識が塗りつぶされていく中。
機会は巡る。
──クソのように苦く、苦しいものだが───……機会《チャンス》が、巡ってきた。
細い……小さな針の目を通すような機会が……!
それは、本当に唐突な出来事であった。
絶望に心を染めていたクラム。拘束されて、数年(!?)の月日が過ぎようとしていたある日のこと。
クラムに巡ってきた機会は、人類と魔王との戦争に密接の関連していたらしい。
彼が牢獄の中で一人慟哭していたその間……。
魔王軍との戦争は激化し、人類は「北伐」で壊滅した戦力の回復に努めていた。
訓練、
再編成、
徴兵、
募集、
兵器製造、
兵站整備、
そして、要《かなめ》───。
ようやく、
そう、ようやく『勇者』の訓練が終了したのだ。
それと時を同じくして、軍の再編成がなんとか……軌道に乗り始める。
壊滅した戦力の回復……それに数年の月日を費やしたのだ。
満を持《じ》して、人類は遂に反攻作戦、第二次「北伐」を開始。
──魔王軍を人類の文化圏から追い出す戦いの始まりだった。
その先兵は当然『勇者テンガ』──遠征軍を編成し、一挙に戦いを決めるらしい。
そして、戦争は金と物資と軍人を戦場へ流し込み……。
その流れは巡り巡り巡って───。
審問大臣の長い……長い長い、決裁の果てにある死刑の許可。
………その刑の執行を待つ俺の元へと、神は一本の細い糸を垂らしてくれた───……。
細い、
細い、
か細い蜘蛛の糸───。
第10話「溺れるものは……」
「特赦……?」
げっそりとやせ細り、頬がこけ……垢と髭だらけになったクラム。
眼は落ちくぼんで──以前の面影はない。
「──そうだ、特赦だ。どうにも、連合軍の上層部では、遠征軍を編成したものの、兵が足りず困っているらしい。第一次「北伐」は酷い有様だったからな」
そう言ってメシを差し込んでくる看守。
鉄扉の足元に僅かに開いた食事の挿入口。そこから飾り気のないトレイが差し込まれる。
木のトレイには、カチカチの黒パンに薄いスープ、そして…濁った一杯の水のみ。
「──それで、罪人からも兵を募っているらしい。むろん死刑囚もな」
それって、
「どうだ、クラム。お前……志願兵になってみないか?」
そう言って看守はそれっきり黙ってしまう。
だが、メシを入れる挿入口から漏れる光は遮られており、まだそこに人がいることを示していた。
死刑囚相手には、ほとん会話らしい会話もしない看守だが、最近では勇者絡みの死刑囚が多いらしく牢屋内では同情の声が徐々に大きくなり始めていた。
そのため、良識ある看守が任につくことが多くなり、こうして言葉をかけて来る者もたまにはいるのだ。
だからと言って刑が軽くなるわけでもないし、クラムも話をするのが億劫だったのでほとんど相手をしていなかったのだが……。
しかし、看守の入れ替えなどのおかげでこうして耳よりな話も手にすることができた。
一見当たり前の話にも思えたが、本当に極悪人を相手にするなら、看守はこういった話をすることはない──と、後々知ることになる。
そりゃ、極悪人を間近に見ていたらそう簡単に開放したくもないだろう。下手に釈放して御礼参りされちゃ敵わんということ。
──看守なんてのは恨みも買うからな。
だが、クラムが模範囚だったこともあり、こうして話が舞い込んできたという事らしい。……多分ね。
「──でも、俺は……ただの鍛冶屋見習いですよ」
多分聞いているだろうと思い、長い長い熟考の末───言葉を発した。
「関係ないさ」
思った通りすぐに反応がある。
「兵士なんてのは生まれつきになるもんじゃない。ちゃんと訓練をした末になるものだ」
とは言え───。
「ただ、今回は急遽の募兵だ。それなりに経験のある者が優先される」
……だよな。
「ただ、」
看守は言葉を一度切り、
「口添えくらいはしてやれるぞ」
え?
「お前……エルフなんだろ?」
はぁ?
いや、多少は血が混じってるけど……。
「人間に近いけど、その耳──」
耳と言われて、クラムはそっと自分の耳に触れる。
……少し長く尖っているが───。
「人間ですよ」
「ハーフエルフってやつか?」
やけに食い下がる看守だな。
「いえ、クォーターです」
クラムの親父がハーフエルフだ。
そして、お袋は人間だったと聞いている。つまりクラムはクォーターということになる。
別にどうでもいい事だが、血が薄まっているせいでクラムにはエルフのような長命のソレはないようだ。
見ての通り、普通に歳を取っているからな。
親父もハーフゆえか、老化がちょっと遅いくらいで普通に歳をとっていた。
後妻の義母さんは、まんま純血種なので全然見た目は変わらなかったけどね。
あー。シャラ────……義母さん、元気かな。
「あーなるほどな。……まぁいい、エルフってことにしとけば募兵に名前を乗せやすい」
え、
な!?
「い、いいんですか!? こ、ここを出られるんですか!」
う、嘘じゃないよな?
おい……。
おいおいおいおいおい……!
嘘じゃないよな!?
「あー任せとけ。囚人兵とは言え、働き次第で減刑、上手くすりゃ無罪放免もあり得る」
む、
無罪……。
無罪放免!?
ほんとか…!?
ほ、ほんとうなら────。
えぇ!
ええ!
ええ、えー、えーえーえー……ともさ!!
働きますとも。
何でもしますとも!!
「で、でもどうしてこんな。……いい話を?」
そうだ。そこだけが気に掛かる。
………………。
看守は長い熟考のすえ、
「──『勇者テンガ』な…………」
ポツリと漏らした言葉には、明らかに声のトーンが変わった気がする。
「……───控え目に言っても……あれは屑だな」
憎々し気に話される言葉に、急速に親近感がわく。
「か、看守さんも、何か……?」
──何かされたのか!
そう聞こうとして、──パタンと、食料の挿入口が閉じられる。
そしてコツコツと足音が遠ざかっていく。
だが、それは関係ない。
クラムは掴むことができた。
細い……細い、か細い糸を掴むことができたようだ。
本当に、か細い糸……。
触れただけでも切れそうな糸だが……───。
掴んだ。
掴むことができた。
千載一遇の機会。
ありがたい。
……ココを出ることができる。
家に帰れる。
戦争を生き延びれば───…また家族に会える!
会えるんだ。
会えるんだ。
会える……!
みんなに会える……!
その喜びで、その日は心が温かくなり、
久しぶりによく眠れた。
「ん?」
そう言えば……。
あの看守の声───初めて聞いたな?
(新人か……? でも、新人があんな話をするわけがないよな……)
いや、関係ない。
誰であっても、俺にとっては福音を運んだ聖人だ──。
「ありがとう────」
閉じられた扉の先に言葉を投げるクラム。
特赦の話に感謝を……。
それが……。
まだ、本当の絶望の入り口だと知るのは……──まだまだ先のこと。
クラム達が日常の平和を謳歌しつつあったあの日々。
しかし、世界は少しづつ歪み始めていた。
どこからともなく聞こえてくる戦争の噂。
その気配を一民草のクラムでさえ、微かに感じ取っていたその頃──。
そう。
クラムが絶望の底でのた打ち回っているあの時から、遡ること……──約数年前。
──北の大地に英雄現る。
『魔王』
そう名乗る彼の者は、北の大地で群雄割拠していた魔族を統一し、中央集権の強大な国を作り上げたという。
そして、それまでは殆ど関わりのなかった人類の文化圏に接触。
……度々衝突を起こすに至る。
北の大地にほど近い、辺境の国々。そして村と街は叫喚した。
燃える村々……。
踏み荒らされる田畑……。
連れ去られた牛馬に……婦女子────。
対応が後手後手に回り、荒れるに任せていればドンドンと増長する魔王軍。
それをみて、辺境の国の対応の不味さに業を煮やした国々は『魔王討伐軍』を編成──俗に言う第一次「北伐」を開始。
類を見ない程の大軍勢で、魔王軍を攻撃した。
しかし、結果は大敗。
噂で聞くだけでは、にわかに信じられないほどの精強無比な魔王軍。
彼らは鬼のように強かったという。
それもそうだろう。
近年まで国内で内戦とも征服ともつかぬ戦争を繰り返していた魔王軍は……凄まじく強大で、戦慣れしていた。
緩やかな連帯のもと、弾の小競り合い程度の戦しか経験していない人類。
要するに、平和ボケしていた人類の「北伐」軍はあっという間に蹴散らされ、蹂躙しつくされた。
そして、散り散りに逃げる内に霧散消滅……。
結果、
兵力を失った人類は策源地を逆進され、……まるで、死体のあとを追うかのように追撃する魔王軍によって、壊乱と壊滅と全滅を繰り返し……次第に国土を失っていった。
陥落する城塞と更地にされる城壁、そして踏みにじられる田畑と民草。……人類は、大敗を機に徐々に追い詰められて行く。
滅びの時が近いと悟り、危機感を抱いた国々は協議した。
魔王を──魔王軍を打ち破るには、伝説の英雄を復活させる必要があると。
──すなわち『勇者』を呼び寄せることで『魔王』に対抗しようと決定した。
国々の宝物庫や書物庫を漁り、長老から伝承を聞き……遂に異世界から『勇者』を呼び寄せることに成功した。
十代の頃と思われる東洋系の青年は、
────名を「テンガ・ダイスケ」と言った。
召喚されし男は、まさに勇者だった。
最強の人類……!
救国の英雄の証と言わんばかりに、初戦で王都を襲った巨竜を落として見せた。
ドラゴンの背に乗っていた多数のオーガを素手で引き裂いた。
その腹を破って表れた醜悪なゴブリンを滅して見せた。
彼は、ただの一戦で人類を魅了し、世界最強を見せしめた。
その後の活躍も目覚ましく。
誰も扱えないと言われた「宝剣」を軽々と使いこなしてみせた。
大賢者でも扱うことの困難であった「魔法」を行使して見せた。
何でもかんでもやって見せた。
そして、こなしてみせた。
「これぞ勇者────」
誰もがそう思い、最強の人類を讃えていた。
しかし、技量は未熟。
剣も、魔法も、扱うことはできるが、それは熟練のものではなく。
あたかも、先ほど急に使えるようになったと言わんばかりのものであったという。
力の由来は彼をして、よくわからないという。
また精神のほどはまだまだ幼く、10代の見た目そのものであった。
度々、召喚される前の故郷を思い、望郷の念に捕らわれることがあり、国の重鎮は扱いに腐心したという。
だが、人類の最終勝利のため───『勇者』を完全な人間兵器とするべく、彼の者にはあらゆる特権を与えた。
その代わりに人類への奉仕を約束させることに成功し、この時より、『勇者テンガ』は誕生した。
こうして彼の者は、人類を救うべく打倒『魔王』の尖兵となった。
それが勇者。
勇者テンガの由来────。
…………。
……。
そう、彼はなんでもできる権利を手に入れたのだ。
※※※
そんな世の中の事情なんてロクに知らない一庶民の俺は、ただ日々を謳歌していられればそれでよかった。
良かったんだ……。
世界を救うとか、世界を滅ぼすとか──。そんな大それたことを考えたこともない。
……勇者も魔王も知らない。
ただ、普通の日々を送っていたかっただけ。
それだけなんだ。
本当に何でもない平和な日々を────。
ただ、ただ──まんじりと……。
それが突然終わったのは──。
いつだったっけ……。
第6話「終わりの日の朝」
たしか──……その日は、よく晴れた日だった。
そして、クラムがどん底人生に落ちるまでの、幸せだった最後の朝──。
それはいつものように晴れた日で。いつも通りの……なんてことのない日だったはず。
そう、いつも通りの……。
※
チュンチュン……。
チュン、チチチッ。
柔らかな朝日を受け、気だるげに瞼を開ける。
途端に目を刺す陽光に、いつもの朝が来たことを理解した。
「ふわぁぁぁああ……」
ゴキゴキと首を鳴らして身を起こすクラム。
まさか、今日この日に訪れる危機など気付く由もなくベッドの中で目を覚ました。
そして、隣に眠る人影に優しく触れ、耳元で声をかける。
「──おはようネリス」
「……んぅ?」
腕の中でゆっくりとした寝息を立てているネリス。少しむずがるが、まだ起きない。
「朝だよネリス? ネリース……」
揺すっても起きない嫁。
その額に軽く口づけをして起こそうとする。
昨夜も割とハッスルしたが、そんなことで寝坊するほど柔ではない。……多分。
少々腰がきついが、うん……頑張り過ぎたか?
お相手たるネリスも、疲れきっているのだろう。
全く起きないネリスには、幾度となくキスの雨を降らせる。
そのうちに「う~ん」と気怠そうな声を上げつつ、その美しい双眸を開き、クラムを真正面から見上げた。
「……おはよ」
ポッと顔を染めたネリスはいつもの如く美しく可憐だ。
これが俺の嫁なんだから、嬉しくないわけがない。
そして、お互一糸纏わぬ姿であることに気付くと、ネリスは更に顔を染める。
その仕草は一々初々しく可愛い。
「あ、あの先に行ってて……」
ボンッ! と、顔を真っ赤にしながらシーツで体を覆い隠すネリス。
「ん。わかった。義母さんの食事の手伝いをしてくる。──ネリスはコーヒー飲むよな?」
「うん!」
パァっと花が咲くような笑み。
綺麗過ぎるにもほどがある。
見ていてこっちまで恥ずかしく……そして幸せになる。
「先に行くよ」
手早く着替えを済ませると、リビングへ。
短い廊下を挟んでリビングに向かう途中。
ちょうど子供部屋から出てきた──姪っ子リズと、愛娘ルゥナと克ち合う。
「叔父ちゃんおはよー!」「おはよーです」
ショボショボとした眼のルゥナと手を繋ぎ、行儀よく挨拶するリズ。
……。
本当にミナの娘かね?
「おはよう二人とも。今日は学校か?」
「はい!」と元気よく返事するリズ。
二人は王国内の庶民学校に通っている。
聞けばなかなかの優等生だとか。
我が家は決して裕福というわけではないが、既定の授業料くらいは払える蓄えもある。
そのため、エンバニア家では子供を学校に通わせていた。
──教育は絶対に必要! というのが、亡くなった父の方針だ。クラムをそう思う。
そして、父が亡くなったあとも、後妻である義母さんは頑なにそれを守り、エンバニア家は全員初級教育は受けさせてもらった。
おかげで読み書きには困らない。
さらには、どれもこれも仕事に役立つ事ばかりだ。
つまり我が家の教育方針は、常に正しいということだろう。
「でも、午後はお休みです……。そ、その、先生の数が足りないらしくって」
シュンと顔色を落とすリズ。
なんでも、最近では兵隊に取られる青年が多いという。
北だか辺境だか、どこか遠い場所で随分と派手な戦争が起こっているらしい。
それは酷い戦いらしく、どこへ行ってもあまりいい噂は聞かなかった。
クラムは戦争とは無縁だが、周囲はそうではないらしい。
噂では、どの家庭からも家長を除いた次男坊以下は、次々に徴兵されているとか?
いやな話だ。
「先生も兵隊かー……大丈夫なんだろうか」
国の未来とも言うべき子供。それを教育する教師まで動員しなければならないほどの時代らしい。
本当に嫌な話だ。
幸い、クラムはエンバニア家の家長───徴兵はない、はず。
それもいつまでも続くか分からないけどね。
ま、今気にしてもしょうがない。
少なくとも今日明日ということは無いはずだ。
「──だから、午後はお母さんのお手伝いをしてます!」
ニコっと元気よく答えるリズ。
手先が器用なリズの母──ミナは木工所の細工部で働いている。
切り出した木を加工し、家具にしたり装飾品を作る部門だ。
稼ぎは、俺よりいい。──ちくせぅ……!
「そうか、そうか──リズは偉いな!」
ナデリコナデリコと、頭を撫で回すと顔をピンク色に染めて恥ずかしそうに俯く。
ホンマに、ミナの娘かよ。……くぅぅ──かわええのー。
リズもクラムに撫でられると、目を細めて気持ちよさげだ。
「むールゥナもー」
撫でて撫でてーという娘。
これで撫でない選択肢などない。
ナデリコナデリコ×10──。
「叔父ちゃん……ルゥナだけ長いです」
ジトっとした眼のリズ。
おぅふ。やり過ぎか!?
「な、長かったかな?」
「い、いえ……ちょっと羨ましかっただけです」
いいなーとばかりに、指を口に咥えて羨ましがるリズ。
ルゥナは眠そうな顔になっている。うーむ、どっちも……天使じゃの。
っと、廊下でイチャイチャしてても仕方がない。
「よっと!」
そのルゥナを抱き上げリビングに向かう。
既に良い香りが漂っている。
食欲が激しく刺激される、それ。
義母さんの料理は超絶品、嫁に欲しいくらいだ。
「おはよう。皆」
空気が緩むような温かさと抱擁感のある声がした。
その美しい声の持ち主であるシャラが、目を細めてクラムと孫娘たちを見つめる。
「おはよう義母さん」
クラムも微笑み、挨拶を返す。
そして、テーブルのいつもの席に着くと、隣の少し椅子の嵩を上げた子供用のそれにルゥナを座らせる。
「おはよー。……昨夜はお楽しみでしたね」
ジロっと、非難気な目を向けるのは、目のまえで庶民紙に目を通しているミナだ。
健康的な脚線美を見せつけるように、脚を組み替えつつ──ペラペラの庶民紙を読んでいる。
そして、器用に読みながらも、クラムを揶揄おうとする我が妹。
「ちょっと……。ミナ!」
義娘が何を言わんとしているかを察したシャラが、顔を赤くしながらヤンワリと止めようとする。
義母が顔を真っ赤っかにしている。
うわ。昨夜の家中に聞かれてたのか……。
チラチラと上目遣いにクラムを観察するシャラの視線をうけると、微妙な恥ずかしさがこみ上げる。
見た目は母どころか、年下にすら見えるシャラだ。
そんな女性が頬を染めてクラムとミナの猥談に顔を赤らめている。
うわ。やめてー、そういう反応……!
恥ずかしいわッ!
やっぱり家中に響いていたらしい。
昨夜……ネリスとかなりハッスルしたからな。
小さな家の事。
聞こえないわけがない。
「まったく、ウチのバカ兄貴と来たら……。何人ジュニアを作るつもりよ」
チ……! 羨ましい、とばかりにミナが拗ねている。
ミナは旦那を亡くしてから随分ご無沙汰なのだろう。
だから本気で揶揄っているわけではないのだ。
「まぁ……男の子が欲しいからな」
「そりゃ……まぁ、ね」
エンバニア家に男はクラムしかいない。
何れ、ミナや義母さんも再婚するかもしれない。だが将来のことを考えると、跡継ぎはいたほうが良い。
別に、継ぐほどの大した家系ではないが、義母さんのこともある。
彼女はエルフ。
悠久の時を生きると言われるエルフなのだ。
それも、さらに特殊なエルフであり、シャラはエルフ族の中でも、高位の種族──ハイ・エルフだという。
つまり、確実にクラム達が先に死ぬ。
それは仕方のないこと。
だから、クラム達が死んだ後もシャラにはエンバニア家の一員として末永く幸せに暮らしてほしい……。
子孫たち全員の母として。
ハイエルフが母というのは、クラムをして違和感のある事実だが、そんなことよりもシャラの母性はずば抜けている。
クラムの父とも、おそらく何人か結婚したうちの一人なのだろう。彼女はそれくらい長く生きているのだ。
もちろん、前夫のことなど聞かない。聞く気もない。
だが、興味はある。
クラムとは、父親のこともあり義理の息子という関係になってしまったが、長命種たる彼女は人間社会に溶け込んで以来、常に自分より年下の人間と結婚しているのだ。
何かが違えば、クラムと結ばれていた可能性もゼロではない。
シャラと結婚するというのも、人生の何かが違えばあり得たのかとふと思ったりする。
美しい人────シャラ・エンバニア。
そして、クラムの初恋の人でもある。
誰もが持つ、母に対する愛情以上に、義理の母であり、若々しい容姿で常にクラムの傍にいてくれた人だ。
幼いクラムが恋心を持ったとておかしなことではない。
だが、シャラは義理の母。クラムにとって決して届かない愛しい人────。
でもそれでいい。クラムにとって重要なのは、優しい義母ができたという事のみ。
それでいいと思う。彼女に育てられたクラム。
その愛情に感謝を。
そして、目の前に並べられた食事に感謝を捧げる。
──うむ、旨そうです!
シャラが作ってくれた料理に不味いものなどないッ!
早速、シャラから皿や鍋を受け取り手早く配膳。
炒ったコーヒー豆をミルですり潰し、布で濾して人数分を準備する──子供たちはミルクだ。
準備が整った頃には、着替えを済ませて行為の残滓を綺麗に洗い終えたネリスが食卓に着いた。
「おはようございます!」
元気な声に目を向けると、ネリスは少し顔を赤らめながらもクラムの隣につく。
「ネリスおはよー、昨夜は──」
「やめい!」「やめなさい」
またもや、兄嫁を揶揄おうとするミナに、シャラ&クラムの母子が絶妙なコンビネーションで突っ込みを入れる。
「てへー」
ペロっと舌を出して誤魔化すミナ。
可愛くない……───いや結構可愛いな。ちくしょうめ。
ちんまいミナのこと、子供っぽい仕草がいちいち様になる。
これでも、20代ゴニョゴニョのはず。
歳を聞くと烈火の如く怒るので口にはしないし、冷静に数えることもしない。
「?? はい、御姉さんおはようございます!」
「ん、おはよ」
ニコっと笑顔を合わせる二人。ちなみにネリスとミナは仲が良い。
……そりゃ、俺を含めて、みんな幼馴染だしね。
ミナからすれば、ネリスは可愛い妹分といったところか。
「──はいはい。それじゃぁ、ご飯にしましょ!」
パンパンと手を叩いて、シャラが注目を集める。
「──日々の糧に感謝を。八百屋の安売りに感謝を……」
軽いお祈りを食事に捧げ。
「「「「「「いただきます!」」」」」」
美しい朝が始まった────。
そう、この瞬間までは本当に美しかったのだ……。
本当に……。
第7話「その汚ぇケツを!」
あの日の朝を迎え──。
全てが狂った日のその瞬間がやってきた。
それは夕方のことだったか……。確か夕方だ。
クラムは帰宅し、鍛冶の仕事でヘトヘトになって家の扉をあけた時のこと────。
「ただいま~……」
クタクタになったクラムは声にも張りがなく、いかにも疲れた声で帰宅を報告。
慣れない鍛冶の仕事は体力を消耗するから、致し方なし。
その日は仕事が早く終わったため、いつもより上がりが早く、まだ夕食というには随分と早い時間帯だった。
この時間帯なら、シャラは買い物でいないだろうが、内職をしているネリスはいると思う。
疲れ切った体をネリスに癒してもらおうと、つい早足になる。
美しく可愛い嫁さんと過ごす夕暮れを思い……意図せず顔が緩んだクラム。
早く、ネリスの顔が見たい。
彼女に頼んで、絞った果汁を冷えた井戸水で割ったフレーバージュースを作ってもらおう。
そいつを……グイっと呷るんだ。
……──なぁぁんて、考えていた。
いたんだ。
「────あれ? 誰もいないのかな」
小さな家のこと。
いくら疲れていたからと言って、クラムの「ただいま」が聞こえない者などいないはずだが……?
玄関をくぐり、リビングへ。しかし、予想通りシャラの姿はなく。
ミナとリズもまだ仕事のようだ。
ルゥナは……?
────いた。
だが、クラムを見ても目は虚ろ。
見たこともない恐怖の表情を浮かべている。
??
「ルゥナ?」
パッと顔をあげたルゥナが無言でクラムにしがみ付く。
「どうした? お母さんは?」
「あ、あかーたま…あぅあ」
ガタガタと震えるルゥナ。
小さな指で寝室を指さす。
クラム達のそれだ。
「え? ……寝てるのか? こんな時間に? まさか……病気か!?」
こんな時間に寝室にいるとは、ちょっと普通じゃない。
生活道具のほとんどはリビング周りに集約しているのだ。
それに……この、ルゥナの怯えよう。
まさか、
まさか、まさか───。
ネリスに何か!?
「ネリスッ!」
──ネリぃぃぃぃス!!
慌てて、寝室に走るクラム。
それを一瞬だけとは言え、ルゥナが引き留めようとしたが、クラムは手を振り払い。一足飛びに駆け抜ける。
さして、広くもない家。
短い廊下……!!
あっという間だ。
ダッダッダッダッダッダン!!!
──……ネリス!
ドアを…………開け──!
「おらぁああ! さっさと飲めよぉぉお!」
……人の声がした。
ネリスと──────。
「ネリス!」───バン!!!
勢いよくドアを開ける。
そこには……。
ベッドに横たわるネリスと───……。
え??
は?
半裸に剥かれたネリスを組み敷く男が一人──。
──ああ♡
と、声を上げるネリスを強引に組み敷いている。
……。
一瞬頭が真っ白になる。
…………な、何が起こっている?
は?
ネリスが、
は?
誰だコイツ?
は?
え? あ?
は?
はぁぁっぁ????
「ッ……誰だテメェ!!」
言うが早いが、一足飛びに躍りかかる。
「うおぉ!?」
驚きの表情を上げるも、その直前まで愉悦に浸っていたクソ野郎の──その顔………覚えた!!
そして、二度と必要ない──クソ情報だ!
そりゃあ、当然───……。
ぶっ殺す!!!!!
全力で、
容赦も、
情けもなく、
許しなど与える隙もなく、
思いッッッッッきり!
そのケツを………小汚いケツを蹴り上げてやった。
「死ねぇ! クソ野郎がぁぁァァ!!」
スッパーン!!
──とばかりに、思いっきりなッ!!
「うぎゃぁぁ!!」という男の声を聞くと、
「キャアァァ!」と、ネリスの悲鳴もそこに混じる。
ドロドロに汚されたネリス。
クラムの愛妻ッ!
ふっざけんなよ!!
なんだテメェ、
なんだテメェ!
ふざけんな!
フザケンナ!
ふっざけんじゃねぇぇぇ!
おぅら、
死ね死ね死ね死ね死ね!!!
一度、二度、三度……何度も何度も何度も───!!
蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る!
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!
ナンドモナンドモナンドモぉぉぉぉぉおおおお!
おぁぁぁぁっぁぁ!!!!
跨っていたネリスから転がり落ちるその男を足蹴にする。
まだだ、
このボケぇぇ!
腹ぁぁ、肩ぁぁ、腹ぁぁ、
腕、足、顔、頭、
おぁあああああ!!!!
止まない打撃に、その男が体を丸めてカメになる。
……そんなんで許すかよ、このガキィィィィ!!!
うがぁぁぁぁぁ!!
まだまだぁぁぁ!!
頭、背中、頭、背中、
頭、肩、肩、頭、頭ぁぁぁっぁぁ、
頭、頭、頭、顔、顔ぁぁぁあああああああああああああぁぁぁ背中、背中、背中、背中、背中、背中、背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中背中!!!
がぁぁぁぁぁ!!
叫ぶクラムと、耳を塞ぎシーツで体を隠しているネリス───!
そして、
「いってぇぇな……」
いててて、と──あれ程の打撃を加えたはずが、何でもないとばかりに男が────。
そして、
バン、ダダダッダダダダダ───!
「勇者殿!? 何事ですか!!」
豪奢な鎧を着こんだ大柄の兵が駆けこんでくる。
兜も、
鎧も、
剣も、
超一級品と一目でわかる。
──何だコイツ!?
どう見ても、その辺を警邏する衛士のものではない。
確か───。
「いって~~……おい、近衛兵ぉぉ…おっせぇんだよ!」
──おー痛ぇ……、と起き上がる男に対して、「すみません……」と謝る一方で──。
その兵は、なぜか──ガンッ! と、ばかりにクラムを取り押さえる。
──は?
「いた……! お、おい! 何をする、離せッ」
「黙れ下郎ッッ!」
………は? なんで俺が。
「お、おい! なんだお前ら! 人の家で──」
抗議の声を上げるクラムを完全無視。
「ったく、このノロマどもがぁ……」
体についた埃を払いつつ、近衛兵を口汚く罵る男。
「も、申し訳ありません。『勇者』殿が離れて居ろとおっしゃりましたので…」
な、に?
────なんて言った……コイツ?
「『勇者』の危機を守るのもテメェ等の仕事だろうが! あと、女抱くときは気を使えやボケェ!」
コィンといい音をさせて近衛兵の兜を小突く。
傍目にもかなり理不尽な言い草だ。
そして、一番理不尽を感じているのは──クラム。
ゆ、勇者?
え……?
あの勇者……?
最近話題になっていた…世界の救い手とかいう? あの伝説の───『勇者』??
こいつが!?
「それで、何がありました!?」
近衛兵はクラムのことなど一切取り合わずに、
「コイツがよぉぉ、俺が女としっぽり楽しんでる時に、暗殺しようとしやがった」
…………。
……。
は?
「あ、暗殺ですか……? その『勇者』殿を?」
「そうだよぉ。──見ろよ、これ……。傷だらけだぜぇ?」
下半身丸出しで、ちょこっと青くなった程度の肌を示す。
「そ、そうですか……『聖女』様を捜索中の『勇者』殿の隙を狙った犯行、と」
何故か、ジロリと見下ろされるクラム。
はぁ?
「あーうん。そんなとこでいいんじゃない?」
なんだよ! おい!?
いや、それより!
「ネリス!!」
……ネリス───!?
顔面蒼白のネリスと目が合う。
あられもない痴態を晒しながらもネリスは、ハッキリと告げる──。
「──ち、違います! クラムは何も!」
「売女が口を出すな!!」
「ひっ!」
近衛兵の一喝を受けて、ネリスは顔を青ざめさせて口を噤む。
余りに迫力に目が虚ろに……。
なんでそんなこと言われなきゃならない?!
ね、ネリスは被害者だぞ……!
「ったくよぉ……興が削がれたぜ……。おい、帰るぞ。『聖女』の下見は済んだ。もういい」
床に転がっているクラム等、気にも留めないで下だけ履き終えると、ノッシノッシと上着を肩に、口笛交じりに部屋を出ていく。
「おい、待て、てめぇぇ!!」
「黙れッ! 抵抗するな」
ガツンと、羽交い絞めされたまま後頭部に手痛い一撃を喰らう。
グワングワンと回る景色に、意識が朦朧とする───。
そして、
「現行犯逮捕だ。連行する!」
クラムは近衛兵に引きずられて何処かへと連行されていく。
「……ネ、」
───ネリス……。
遠のく意識の外で、ネリスがガタガタと震えている。
そして、引き摺られる廊下にはルゥナの姿も。
「おとーたま……?」
まずい……。
こ、
このまま連れて行かれたらとんでもないことに、……なる。
なぜか、二度と会えなくなるような……恐ろしい予感があった。
いやだ……!
ああ……ルゥナ!──と、……手を伸ばすが、クラムのような一般人が現役兵士の加減なしの打撃を受けて……無事なはずがない。
カクンと抜けた力では、もう体に力がはいらず、全身の自由が利かない。
そして、外へ───。
「集合完了!!」
ガシャっ! と、整列した近衛兵の一個分隊が完全武装で立っていた。
「イッパ団長? その男は?」
イッパ団長───……?
だ、団長だ、と? こいつが?
勇者に小突かれていた男が───。
……王国最高峰の騎士団である、近衛兵団の団長。
勇者を除けば国内最強と名高い、イッパ・ナルグー!?
「──『勇者』殿を暗殺未遂の現行犯だ。連れていけ!」
乱暴に突き出されて、首根っこを掴まれたクラム。
「は、はぁ? ……りょ、了解です」
釈然としない顔をした近衛兵たち。
だが、命令は命令だ。
近衛兵たちの手で、まるで荷物のように積まれるも、なんとか抵抗しようともがいてみせる。
だが、数人に取り押さえられ──馬車の後部にある物入れに、ゴミか何かの如く、引き摺られて行く。
抵抗するクラムを相手に、近衛兵たちは面倒臭げにしつつも、荷物の如く乗せようと────、
「く……クラム!?」
「兄さん!」
「叔父ちゃん??」
3人の……。
家族の声が───!!
シャラ、ミナ……リズ。
「た、たすけ──」
「黙れッ!」
ガツン! と思いっきり殴られ、遂に意識を失うクラム。
うぅ……。
義母さん……。
義母さん……。
落ち行く意識の底で、シャラたちが抗議しているのが微かに聞こえたが………。
後は闇の中だ。
こうして、
クラム・エンバニアは『勇者』暴行の咎で拘束された───。
第8話「この世の理不尽」
クラム・エンバニアは…『勇者』暴行の咎で拘束された───。
※
そして、二日後。
王国、審問部───高等裁判長ブーダス・コーベンの開設する特設裁判所にて……。
バンバンバン!
───判決ッ!
「被告、クラム・エンバニアは有罪とするッ!!」
「はっ??」
この一言が俺の頭の浮かんだもの。
え? ……なに、なんなの??
いや……、「はぁ?!」ですよ……!!
「はっ? ではない!! 有罪。有罪だ! クラム・エンバニア。君の罪は審問官による正式な調査と証言、そして申告により………裁定は下った!」
バンバンバン! 木槌で判決を言い渡す。
聞く耳は持たないとばかりに、でっぷりと太った裁判長のブーダスは宣う。
クラムとしては、黙って聞くわけにはいかない話だ。
「よって、君は本日──たった今より罪人だ。そして王国におけるあらゆる権利を失うものとする!」
そして、あれよあれよと言う間に犯罪者。
先日、拘束されてから2日という異例の速度。
ロクに捜査も何もあった物じゃない。
尋問という名の拷問に近い口頭試問と、勇者テンガ・ダイスケの証言、近衛兵団長イッパ・ナルグーの証言の一致。
そして、勇者本人からの申告。
……被害者は、『勇者』のみ───。
は?
ネリスは!?
────俺は!?
「……おい!!!」
聞けよ、おぃ!!!
バンバンバン!!
裁判長のブーダスは、手に持つ木のハンマーを木台に叩きつけ、注目を促すと、
「判決…──────『勇者』暴行罪により、」
いや、
ちょっと待てって!
おい、おかしいだろ!!
なぁ!!!!
「───死刑!!!!」
ッッ!!
「……はぁぁぁぁ!?」
ば、
馬鹿な…!?
う、嘘だろ…?????
「──ま、待ってください!!」
屈強な衛士に挟まれて被告人席に無理やり座らされている俺の背後で、若い女性の声がする。
ネリス?!
「裁判長!! お願いです、待ってください!!」
他にも鈴を転がすような綺麗な声───義母さんの声も。
「おかしい! おかしいよ! なんで兄さんが有罪なの!?」
これは、ミナ?!
「叔父ちゃんは悪くないよ! ねぇ、そうでしょ!」
「おとーたん、悪くない……!」
姪っ子のリズ、
そして俺の子…まだまだ小さな子までが───。
当たり前だ! 俺が何をした??!!
「黙れ!! 傍聴人は静粛にしろ! 君らに発言を許可した覚えはない!」
顔を真っ赤にした裁判長のブーダスが、木のハンマーのようなもので「バンバンバン!」と机を叩いている。
抗議の声は尚も続く。
しかし、どれもこれも俺の近親者のみ。
義母さん、嫁、妹、姪、娘───。
おいおい……なんで、誰も何も言わないんだよ!?
おかしいだろ?
俺が悪いのか……? なぁ!?
振り返った俺の抗議の目に、誰もがそっぽを向く。
真っ向から見返してくる奴も中にはいるが……ニヤニヤと楽し気だ。
視線の先には、家族もいた。俺の味方で、愛すべき人々──。
美しい容姿の義母さん、
彼女は俺が悪くないと言い張ってくれている。
──当然だ!……俺は何も悪くない。
そして、ネリス。愛し、愛されている……最愛の人───ネリス。
当たり前の話だが、彼女もまた俺を擁護してくれている。
──至極当然。彼女は今回の一連の騒動の被害者でもある。
『勇者』に強姦されたのだ……!
むしろ、彼女が傍聴人席にいるのはどうかしている───。
キンキンと騒がしいのは俺の妹。──普段はぶっきらぼうだが、とても優しく家族思いのミナだ。
そして、妹とのその亡き夫の良い所を受け継いだ可愛い姪っ子───リズ。
ミナとリズは共に気勢を上げているが、少々チンマイため、子供がヤイのヤイのと声を上げているだけにも見える。
そして、リズに後ろから抱きしめられている小さな子。
俺の子、愛しい愛娘の───……ルゥナ。
小さな目に涙を溜めて、おとーたん、おとーたんと……。
けれども、愛しき女達の擁護の声も虚しくクラムの刑は確定した。
……。
し、死刑……───?!
死刑とか……嘘だろッ?
おいおい、おい!!
くそ、くそぉぉ!! おかしいだろうがぁぁ!!?
他にも傍聴人はいる。
近所の人も、
───なぁ!? おかしいだろ?
友人も、
───おい!? どう思うよ?
職場の人間や、
───ほら!? 何とか言えよ?
見知らぬ人も……、
───なぁ? どうなんだ……って、
あ、あああ───アイツ!!?? 『勇者』だ……!?
なんで、
なんで、
なんで『勇者』が───!! 『勇者テンガ』がここにいる!?
「あ、あああ、あーー!!」
あいつだ。
あいつを捕まえろよ!!
「ふざけるな! ネリスを強姦したのはあいつだろ! あそこにいる『勇者テンガ』だろうが!!」
「黙れ!! 被告人が……! いや、罪人が勝手に発言することは許可しておらん! 判決は下った。それは覆らん!」
バァン! と一際大きく机を叩く裁判長。
クソがぁ!
その太った脂肪に火を点けてやりてぇぜ!
ギリリと憎しみの籠った眼を、裁判長のブーダスと、『勇者』に交互に浴びせるが、どこ吹く風。
『勇者」に至っては、むしろ面白気にクラムを見ているくらいだ。
「ええい!……さっさと、しょっ引けぃ!!」
見苦しいわぁ! とブーダスが、クラムを囲んでいる衛士に言いつける。
命令を受けた衛士はガタガタ音を立てて立ち上がり、クラムの脇を掴み立ち上がらせた。
──くそ、ふざけんな!
「放せ! 離しやがれ!!」
ジタバタと暴れるが、訓練された屈強な衛士を振り解くことなどできるはずもなく、
「見苦しいぞ!! 刑が執行されるまで自分のやったことを反省したまえ!」
反省!?
反省だと!?
何を、反省する。
反省する中身を教えろよ!!
「うがぁぁぁ! 離せぇぇえええ!!」
俺が……。
俺が何をした!
「うがぁぁぁ!!! 離せ、離せぇぇぇ!!──ネリス、ネリぃぃぃぃス!」
ぎゃあああ、と暴れまくるクラム。
それを抑え込み無理矢理連行しようとする衛士たち。
暴れながらも、クラムの目はネリスを見つめて離れない。
「クラム! クラぁぁぁム!!」
近所の人に抱き留められているネリスがクラムへと手を伸ばす。
「クラム……!」
「兄さん!」
「叔父ちゃん!」
「おとーたま!」
義母さん、
ミナ、
リズ、
ルゥナ、
皆……!
みんなぁぁぁぁぁぁ!!
家族が、
俺の家族がぁぁぁ!!
ああああ、ふざけんなよ!
──がああああああああ!!!
────あああああああああ!!
暴れる!
騒ぐ!
抗議する───
そして、クラムは気づく。……気付いてしまった。
ニヤニヤと、暴れまくる俺を見下すように見ている男───『勇者テンガ』の姿に。
視線は俺だけじゃない。
粘つくような目をネリスや───他の……俺の家族に向けている。
あの野郎ぉぉぉ、何を考えている───!
その目で、俺の家族を見るなぁぁ!!!!
ネリスの下へ……!
家族の下へ────全身全霊で暴れるクラムに向かってブーダスは冷ややかにい放つ。
「なんて男だ! 『勇者』に手を上げて置いて一分の反省も見せないとは! 刑死は過酷なものになるぞ! 覚悟したまえっ」
だ・か・ら……!
だから──何・の・反・省・だ・よ!!
俺は、
俺はァァ!!
ただ仕事から帰ってきたら、『勇者テンガ』が俺の家でぇぇ!!
ネリスを組み敷いていやがったから───その汚ねぇぇケツを、思いっきり蹴り飛ばしてやっただけだろうが!!
嫁が犯されているところを助けて、──なんで罪になるんだよ!
「勇者暴行罪」??
ゆぅーしゃーぼーこーざい、だぁぁぁ!!??
ふざけるな!
「──『勇者』だったら何をしてもいいのか!?」
そんな権利あるのか!
──あああああん!?
どうなんだよぉぉぉお!!
「そんなバカな話があるかぁぁぁ!!」
うぉぉぉと叫ぶクラムに、
「はっは~。馬鹿なやつだな? 知らないのか、いいんだよ…? 俺は『勇者』だからな。他人の家に入ってタンスやら壺を探したり、道具屋の裏から入って宝箱を開けたり、町娘や王女を宿屋に連れ込んでも───何をしてもいいのさ」
──知らないのか?
と、いつの間にか近づいてきた『勇者テンガ』が、俺を見下ろしそう宣う。
「いやー……! 痛かったぜぇぇえ──さすがにまだ鍛え方が足りないみたいだな。お前みたいな町人Aにダメージを受けるとは思わなかった」
て、
「テメぇぇ!!」
衛士を振り解いて掴みかかりたかったが、そうもいかない。屈強な衛士はクラムを押しつぶさんばかりに抑え込んでくる。
くそぉぉお!
せめてもの抵抗として、ジタバタと暴れるも、それは勇者をして笑わせるだけだ。
「お前ぇぇ、死刑になるのかー……。そりゃぁ、悪いことしたね、いやーはっはっは。それにしても、
──……良い女達だよなー。お前の家族……。
ニチャぁぁと顔を歪ませて笑う『勇者』。
その視線はクラムと、その嫁と……義母と妹……姪っこ達を交互に見ている。
こ、
コイツ…!! まさか…!?
おい……お、おいおいおい!!
じょ、
冗談じゃないぞ!?
お、
俺が拘束されている間……。
──誰が家族を守るんだ!?
……いや。
本当に死刑になったら、そのあとはどうなる……?
だれが、
だれが、
誰が家族を守るんだ!?
──ゾッとした悪寒がクラムを襲う。
なによりも……。コイツ──勇者テンガの目……。
ニヤァァ……と歪むその目は肉欲と征服欲に溺れている。
おいおいおい、本当に『勇者』なのかよ!
「なぁ、裁判長さんよー、コイツ死刑なのか?」
「むが?! さ、さいばんちょうさん?? な、なれなれしい……んぐぐ。───そ、そうです。『勇者暴行罪』など、『勇者』を害する行為は即刻、死刑になります」
「ふーん……そうだったっけ?」
こ、
この野郎ぉ…!
「ま、どーでもいいかぁ」
そして興味を失ったかのように、裁判所を悠々と歩いて出ていく。
入り口を守っている兵には最敬礼をされていやがる……───くそ!
「絶対に間違ってるわ……───」
「必ず救い出してあげるから、兄さん待ってて!」
ギリリと歯を噛みしめて勇者の後ろ姿を見送るクラムの家族。
その言葉と、力強い励ましにクラムは少しだけ落ち着くことができた。
義母さんの強い意志の籠った目と、ミナの力強い視線……!
誰も彼もが、クラムを責めているわけではない。
少なくとも俺の家族だけは、家族だけは……味方だ!
クラムを信じ、今も信頼してくれている。
だから、俺はまだ……──────。
「ええい、目障りだ! 早く連れて行け!」
バンバンバン!!
ブーダスの野郎が、クラムを追い払うように、衛士に命じる。
……覚えていろこの野郎。
こんな裁判不当だ!!
弁護人もいない。
証言も適当。
オマケに知っているぞ俺は!!
お前が賄賂を受け取っていることくらいなぁぁああ!!
だが、体制はクラムに味方しない。
勇者第一主義を掲げる王国では、クラムのような庶民の処遇など笑い話で決められることもある。
そして、
クラムは反体制ということらしい。
なにせ、強姦野郎を現行犯で捕まえようとしたら───逆に『勇者暴行罪』として死刑を宣告されたのだから。
それが、王国が決めたこと。
勇者に取り入り、操るために庶民に無理を強いる……。
体制と反体制。
クラムは、反体制だったのだ……。
第9話「蜘蛛の糸」
この世は理不尽。
控え目にみても、世界はクソだ──。
俺は……。
俺こと、クラム・エンバニアは、嫁を犯していた強姦野郎を誅し、現行犯で捕まえようとしたら───逆に『勇者暴行罪』として逮捕。
……死刑を宣告された。
なんだそりゃ……?
『死刑』だとさ。
死刑……。
シケイ───。
その言葉を脳内で何度も反芻しつつ、暗い天井を眺める。
(ここにきて……何日たった? 何ヶ月? ……それとも──)
ピチョン……。
──ピチョン……。
無精ひげだらけになったクラムの顔に水滴がぶつかる。
冷たく、暗い牢獄だ。
不衛生な牢屋の中では、ろくに日も差さず──……時間の感覚が狂っていく。
ただ、マンジリと時が過ぎ、飯とクソをするだけの存在に成り果てる。
思考は鈍く、
希望は薄く、
怒りは渦巻く、
どす黒い感情とともに───。
復讐……。
復讐してやる……!
こんな境遇に陥れた連中に死を望むのは、ごく自然な感情だろう。
それができるかどうかはともかくとして、何もやることもなくただただ死刑執行を待つだけのクラムには妄想の中で復讐する瞬間を夢想するくらいしかできなかった。
クラムを害した連中すべてを……!
もちろん、
一番殺してやりたいのは勇者。
アイツをギッタギタにして、無残に殺してやる……。
次に、無実の俺を死刑にした裁判長。
脂肪だらけの腹を掻っ捌いて、牢獄に叩き落としてやるッ。
そして、理不尽に俺を捕まえた挙句不利な証言をしやがった近衛騎士団長。
あの野郎は首根っこ引っこ抜いて犬の食わせてやらないと気が済まない!
あとは、王国そのものだ……!
俺を拘束した衛士、助けてくれない近所の人々。連行される俺を見て嘲笑った奴ら全員!
俺が何をした?
何もしていない!!
だけど、俺に死ねという国……。
だったら、
だったら、……こんな国────滅びちまえッ。
「皆、死ねばいいんだ……」
そんなことを来る日も来る日も考え続けているクラム。
目を窪み、頬はこけ、土気色をした顔色……。
すっかり見た目の変わった自分を見て、時の過ぎ去った重さを実感する。
そうだ……。
あれから、──あれからどれくらいの日が?
冷たい牢獄で、刑の執行を待つ日々………。
時折───面会は許されたが、再審の話もなく、助命の嘆願も虚《むな》しく、それを、聞くたびに……俺の顔は絶望に染まり───。
家族の悲痛な顔も、また……見られたものではない。
暗い顔、
悲痛、
憤り、
温かだったあの日々は残り香すら感じられず……。
家族は泣き、
家族はやつれ、
家族は寡黙に……
そして、面会の数も減って行き───。
ある日、義母さんが会いに来たのを最後に、……遂にはそれも途絶えた。
ピチョン……。
ピチョン……。
ピ……チョン───。
ポタリと、体を打つ水滴。
それは天井を伝う地下水ではなく、なぜか温かかった。
(あぁ……俺は悲しいんだな──)
久し振りに流れる涙に気づいたのは、いつ以来だろうか───何を泣いているのも自分ですらわからない。
……どうしてだ?
どうしてこうなった?
ただの、なんてことない日々だった。
なのに、クラムは今ここにいる。
幸せから絶望の果てへと……。
(もう、いっそ早く殺してくれよ……!)
絶望から、死を望むまでに至るクラム。
光の刺さない牢獄では、外の様子が分からない。
時間の曖昧な中、精神だけが徐々に毒されていく。
随分と季節が流れていったように感じるが……実際はどれだけの日が過ぎたのか、絶望に身を浸していたクラムには感じることができなかった。
刻一刻と、迫る「死刑執行」のその一声。
まだか……。
いつだ?
今日か?
いやだ──。
だが、クラムとて人間。
死を望みこそすれ、本音では助かりたい。
この手に家族を抱きしめたい。
……元の生活に戻りたい────。
いやだ。
いやだ、いやだ!
いやだ!!!
死にたくない、
死にたくない、
死にたくない、
──死にたくない!!
家族に、
家族に会いたい、家族に……。
ネリス、義母さん、ミナ、リズ、ルゥナ……。
「会いたいよ───……」
一目。
……一目でもいいから。
うぅ、
「うぅぅぅー……!」
会いたいんだ……。
だけど、もう──……もう一生会えないのだろうか?
二度とこの手に抱くことは叶わないのか?
そんなの嫌だ!
いやだ、いやだ!
俺が何をした?!
全部アイツが悪いんじゃないかッッ!
ゆ、
『勇者』……。
そうとも……『勇者テンガ』ぁぁぁ!
あ、ァ、アイツのせいで───!
悔しい……。
悔しい、
悔しい、
悔しい、
悔しい!!
「うぐ……」
う、
うぅ、
「ううううううう……」
──ううううううううううううう……。
ボロボロと涙を零すクラム。
拘束されて幾日かは、暴れ回ったものだが、最近では、すすり泣く位しか元気を残していなかった。
もはや絶望の淵──。
いっそ早く殺してくれとさえ……。
もう、
もう二度と家族と会えないくらいなら──。
もう早く終わりにしてくれ、と……。
暗い感情に意識が塗りつぶされていく中。
機会は巡る。
──クソのように苦く、苦しいものだが───……機会《チャンス》が、巡ってきた。
細い……小さな針の目を通すような機会が……!
それは、本当に唐突な出来事であった。
絶望に心を染めていたクラム。拘束されて、数年(!?)の月日が過ぎようとしていたある日のこと。
クラムに巡ってきた機会は、人類と魔王との戦争に密接の関連していたらしい。
彼が牢獄の中で一人慟哭していたその間……。
魔王軍との戦争は激化し、人類は「北伐」で壊滅した戦力の回復に努めていた。
訓練、
再編成、
徴兵、
募集、
兵器製造、
兵站整備、
そして、要《かなめ》───。
ようやく、
そう、ようやく『勇者』の訓練が終了したのだ。
それと時を同じくして、軍の再編成がなんとか……軌道に乗り始める。
壊滅した戦力の回復……それに数年の月日を費やしたのだ。
満を持《じ》して、人類は遂に反攻作戦、第二次「北伐」を開始。
──魔王軍を人類の文化圏から追い出す戦いの始まりだった。
その先兵は当然『勇者テンガ』──遠征軍を編成し、一挙に戦いを決めるらしい。
そして、戦争は金と物資と軍人を戦場へ流し込み……。
その流れは巡り巡り巡って───。
審問大臣の長い……長い長い、決裁の果てにある死刑の許可。
………その刑の執行を待つ俺の元へと、神は一本の細い糸を垂らしてくれた───……。
細い、
細い、
か細い蜘蛛の糸───。
第10話「溺れるものは……」
「特赦……?」
げっそりとやせ細り、頬がこけ……垢と髭だらけになったクラム。
眼は落ちくぼんで──以前の面影はない。
「──そうだ、特赦だ。どうにも、連合軍の上層部では、遠征軍を編成したものの、兵が足りず困っているらしい。第一次「北伐」は酷い有様だったからな」
そう言ってメシを差し込んでくる看守。
鉄扉の足元に僅かに開いた食事の挿入口。そこから飾り気のないトレイが差し込まれる。
木のトレイには、カチカチの黒パンに薄いスープ、そして…濁った一杯の水のみ。
「──それで、罪人からも兵を募っているらしい。むろん死刑囚もな」
それって、
「どうだ、クラム。お前……志願兵になってみないか?」
そう言って看守はそれっきり黙ってしまう。
だが、メシを入れる挿入口から漏れる光は遮られており、まだそこに人がいることを示していた。
死刑囚相手には、ほとん会話らしい会話もしない看守だが、最近では勇者絡みの死刑囚が多いらしく牢屋内では同情の声が徐々に大きくなり始めていた。
そのため、良識ある看守が任につくことが多くなり、こうして言葉をかけて来る者もたまにはいるのだ。
だからと言って刑が軽くなるわけでもないし、クラムも話をするのが億劫だったのでほとんど相手をしていなかったのだが……。
しかし、看守の入れ替えなどのおかげでこうして耳よりな話も手にすることができた。
一見当たり前の話にも思えたが、本当に極悪人を相手にするなら、看守はこういった話をすることはない──と、後々知ることになる。
そりゃ、極悪人を間近に見ていたらそう簡単に開放したくもないだろう。下手に釈放して御礼参りされちゃ敵わんということ。
──看守なんてのは恨みも買うからな。
だが、クラムが模範囚だったこともあり、こうして話が舞い込んできたという事らしい。……多分ね。
「──でも、俺は……ただの鍛冶屋見習いですよ」
多分聞いているだろうと思い、長い長い熟考の末───言葉を発した。
「関係ないさ」
思った通りすぐに反応がある。
「兵士なんてのは生まれつきになるもんじゃない。ちゃんと訓練をした末になるものだ」
とは言え───。
「ただ、今回は急遽の募兵だ。それなりに経験のある者が優先される」
……だよな。
「ただ、」
看守は言葉を一度切り、
「口添えくらいはしてやれるぞ」
え?
「お前……エルフなんだろ?」
はぁ?
いや、多少は血が混じってるけど……。
「人間に近いけど、その耳──」
耳と言われて、クラムはそっと自分の耳に触れる。
……少し長く尖っているが───。
「人間ですよ」
「ハーフエルフってやつか?」
やけに食い下がる看守だな。
「いえ、クォーターです」
クラムの親父がハーフエルフだ。
そして、お袋は人間だったと聞いている。つまりクラムはクォーターということになる。
別にどうでもいい事だが、血が薄まっているせいでクラムにはエルフのような長命のソレはないようだ。
見ての通り、普通に歳を取っているからな。
親父もハーフゆえか、老化がちょっと遅いくらいで普通に歳をとっていた。
後妻の義母さんは、まんま純血種なので全然見た目は変わらなかったけどね。
あー。シャラ────……義母さん、元気かな。
「あーなるほどな。……まぁいい、エルフってことにしとけば募兵に名前を乗せやすい」
え、
な!?
「い、いいんですか!? こ、ここを出られるんですか!」
う、嘘じゃないよな?
おい……。
おいおいおいおいおい……!
嘘じゃないよな!?
「あー任せとけ。囚人兵とは言え、働き次第で減刑、上手くすりゃ無罪放免もあり得る」
む、
無罪……。
無罪放免!?
ほんとか…!?
ほ、ほんとうなら────。
えぇ!
ええ!
ええ、えー、えーえーえー……ともさ!!
働きますとも。
何でもしますとも!!
「で、でもどうしてこんな。……いい話を?」
そうだ。そこだけが気に掛かる。
………………。
看守は長い熟考のすえ、
「──『勇者テンガ』な…………」
ポツリと漏らした言葉には、明らかに声のトーンが変わった気がする。
「……───控え目に言っても……あれは屑だな」
憎々し気に話される言葉に、急速に親近感がわく。
「か、看守さんも、何か……?」
──何かされたのか!
そう聞こうとして、──パタンと、食料の挿入口が閉じられる。
そしてコツコツと足音が遠ざかっていく。
だが、それは関係ない。
クラムは掴むことができた。
細い……細い、か細い糸を掴むことができたようだ。
本当に、か細い糸……。
触れただけでも切れそうな糸だが……───。
掴んだ。
掴むことができた。
千載一遇の機会。
ありがたい。
……ココを出ることができる。
家に帰れる。
戦争を生き延びれば───…また家族に会える!
会えるんだ。
会えるんだ。
会える……!
みんなに会える……!
その喜びで、その日は心が温かくなり、
久しぶりによく眠れた。
「ん?」
そう言えば……。
あの看守の声───初めて聞いたな?
(新人か……? でも、新人があんな話をするわけがないよな……)
いや、関係ない。
誰であっても、俺にとっては福音を運んだ聖人だ──。
「ありがとう────」
閉じられた扉の先に言葉を投げるクラム。
特赦の話に感謝を……。
それが……。
まだ、本当の絶望の入り口だと知るのは……──まだまだ先のこと。