第1話「豪雨の中で……」
ザァァァァァァァァァ……。
ザザァァァァァァァァ……───。
雨。
冷たい雨が降りしきる。
その雨の下に男はいた。
彼は傘をさすでもなく、また庇の下で雨を逃れるでもなく、ただただ雨に打たれていた。
容赦なく降りしきる雨は男の肌に突き刺さり、その体温を奪っていく。
だが、彼は微動だにせず、夜空を見上げ雨に打たれるに任せていた。
出で立ちは貧相な兵士のそれ。
しかし、見た目は敗残兵のようにくたびれており、装備もお世辞にもよいとは言えなかった。
薄汚れた皮鎧に、短い槍。……剣は佩いていない。
冷たい雨から頭部を守る兜すらなく、彼の白髪交じりの黒髪を守る物は何もなかった。
だが、装備のそれに反して、彼の容姿は比較的整っていた。
それもそのはず。
人間にしては尖った耳が、彼にエルフの血が僅かに混じっている事を示している。
その血によるものか──容姿は整っている。いるのだが……今はその見る影もない。
健康ならばともかく、今の彼のありさまと言えば……。
頬はこけ、無精髭だらけの顔はまるで精気を感じさせなかった。
クラム・エンバニア──それが彼の名だ。
兵士の出で立ちをしているが、生粋のソレではないことは立ち振る舞いでわかるというもの。
だが、この酷い土砂降りの中……まんじりともせず立ち続けられるのは中々の精神力だと言えよう。
冷たい雨に打たれながらも一言半句の文句も告げず。
黙々と任務をこなす、兵士の鑑────。
そう、任務。
彼の任務は夜間の警備。
────貴人の『寝所』の番だ。
……。
ま、そう纏めれば、まるで聞こえのいい言葉だが……。
実際はどうか────。
※
雨に打たれるままのクラムは、数回の瞬きの後、自嘲した。
貴人……そうだ。貴人、偉い人さ────。
(────少なくとも、一般的な人類にとってはな……)
瞼を濡らす雨をはらいのけ、淡く濁る視界の先を見通す。
その先にあったのは、一つの豪奢な天幕だ。
煌々と明かりのついた天幕は、実に温かそうで快適に見えた。実際、快適なのだろう。
肉が激しくぶつかり合う音に混じって響く嬌声。艶やかな声と爽やかなハスキーボイスが絡み合い全く別世界のようだ。
影絵のように浮かび上がった天幕の中。そこに照らし出されるのは、男女が激しく睦み合うそれ。
クラムはそれを見たくもないというのに、まるで見せつけるかのように明るい光源はその様子をまざまざと照らし出していた。
何度も何度も繋がる男女の影────。
微かに漂う酸えた臭い……。
激しい雨音にかき消されながらも、不意に響く甘い声。
「あぁン♡ ぁぁあ──♡♡」
バチュン♡、バチュン! と湿ったような、肉を打つ音がそこに混じり、それに合わせて揺れる二つの人影がどうしようもなくクラムの心を逆なでした。
「……ぁさん──」
クラムの口から洩れる呻き。
それを堪えようと、ギリリリと噛み締められた口からは、一筋の血が滲みだし……歯茎と唇が裂けていく。
さらに、バリッという音が不気味に鼓膜に響いた。
また奥歯にヒビが入ったのだろう……。
いつものことだ──。
だが、そのおかげで、怒りに燃え上がりそうな激情が冷えて、正気を保つことができた。
おまけに雨。
今も顔を絶え間なく叩きつけるそれは────。
今……!
今だけはありがたい……。
もし──。
ああ、もし──雨が降っていなければ、
もしも、この冷たい雨で、激情が冷めていなければ────。
もし……。
……この忌々しい足枷がなければ……──。
シャリィィン……と、無機質で寒々とした金属音が足元から響く。
無骨で、人の付け心地など何も考えていない鉄の輪っか…更に、そこから伸びる鎖と鉄球。
俺は────。
「はああぁぁぁぁん♡」
不意に、雨が弱くなり女の嬌声がこれでもかと漏れる。
艶やかで、湿った、生暖かい……ソレ。
それが薄っぺらい天幕の布で防げるはずもなく──……使用者も防ぐつもりはないのだから当然だ。
「ひゃははははッ、まだだ。まだまだだぞぉぉ!」
楽し気な男の声に続き、女の嬌声が艶やかに響く。
嫌がるソレではない。
むしろ積極的に貪り……男を求めている。
ああん♡♡、
ああぁー♡、
と────……耳を塞ぎたくなるような、
鬱陶しくも……悔しくも……腹立たしくも……!
けれども─────────!!
あん♡ ああ♡ ああーーー♡
激しく、激しく、激しく!!
絡み合う男女の声がぁぁあああ──────!!!
ザァァァァァァァァァァァァァァァ……。
ザァァァァァァァァァァァァァァァ……──。
ありがたい……。
雨よ………………感謝します。
天を仰ぎ、暗い夜空から降りしきる雨を顔に受ける。
誰にも見られていない。
……見たくもないだろう。
顔から流れるソレは、冷たい雨を受けただけのせいではない。
……。
そうだ、雨だけなものか────。
ギリリリリ……と────支給品の槍を握りしめる。
中古で安物のそれは……酷く冷え切っていた。
あぁぁぁぁ……雨よ感謝します。
雨がなければ……────俺はこれを、あの男の土手っ腹にぶち込んでいます。
そして、刺して、掻きまわして……臓物を抉っています──。
雨よ……。
感謝────。
そして、クソ食らえだ!!!
雨が降っていなければ────。
天幕の中で、艶やかな声をあげ、瑞々しい体を震わせる彼女を貫いている男に視線を向け──慟哭するッ!
あの『勇者』を刺し殺してやるのに!!!!!!
第2話「追憶」
ザアアァァァァァ……────。
降りしきる雨に打たれるクラム。
怒りと、悲しみと、もどかしさで熱に浮かされながらも、彼はここに立つしかできない。
いつしか、次第に朦朧とする意識。
その意識の底では、この腐った世界の景色ではなく……まるで──幻であったかのような、あの懐かしい日々を夢想させた。
曖昧な思考の中で響くのは、かつてあった……あの優しい家族の声──。
ッ──……。
クラム……?
クラム!
兄さん?
おとーたま……。
(あぁ……──皆……)
幻のような、
夢のような、
霞がかった意識の中で、彼女たちを思い出す────。
愛しい愛しい家族の姿を……。
だけど、思い出さない方がいい。
思い出すな……!
辛くなるだけだろッッ!?
やめろ。
やめておけ、クラム!!
だってそうだろ!?
……。
いまおかれた立場──。
まるでゴミのように這いずる様の日々は、あの宝石のような日々に比べて……あまりにも!
だから、
忘れろ───と……。
忘れろ、
忘れろ、
忘れろ!! と。
でも、
あの懐かしい家の、
あの温かい家族の、
あの幸せな日々の、
必死で思い出すまいとしていたあの日々の……。
扉が────……。
「お帰りなさい、クラム」
────開く、
……ッッ!
ああああああああ!!
忘れられるわけないだろ!
義母さん!!!
義母さん!
カアサン、カアサン、カアサン……。
か────……。
「どうしたの? クラム」
甘い声が耳をつく──。
幻聴であり、
それは、現実でもある……。
だって、あの天幕の先ではあの人が勇者に……!!
そんな醜悪な光景が──……。
朦朧とする意識のなか、
現実へ帳を降ろし……失われたあの日々の記憶へと沈んでいくクラム──。
もう、いいか……。
記憶の中くらい……いいだろ?
思い出すくらいなら、さ────。
クラムは、思考への抵抗を諦める。
その瞬間、意識はあの日々へと遡っていった。
※
────お帰りなさい、クラム」
家の戸口に立つ美しい女性が柔らかく微笑んでいる。
夢の中でクラムはいつもと変わらぬ毎日を送っていた。
そして、帰宅するクラム出迎えてくれたのは、若々しく美しい女性──義母さんだ。
シャラ・エンバニア。美しきクラムの義母。
不思議な包容力と若々しい容姿を併せ持った女性。
彼女はいつも家庭的な香りを纏っている。
今も、フワリと漂う夕食のスープの香りとともに、花の蜜のようなシャラの肌から香る甘い匂いが鼻腔をついた。
「──ただいま、義母さん」
「はい、おかえりなさい。疲れたでしょう?」
ニッコリと微笑むその笑みは、まるで慈母だ。
美しい容姿──金色の髪と、白く美しい肌、出るところは出て女性らしい体つき。そしてどう見ても十代後半にしか見えないその人──……。
うーーーーーん、義母にしてこの美しさ。
嫁でないのが残念。
これでクラムより遥かに年上だというのだから、人は見た目じゃわからない。
そして、何よりも目立つのは、万人の目を引く特徴的なエルフの長い耳。
美貌と、若々しい容姿は、言葉通り人間離れしている。
そうとも、彼女こそ数百年を生きると言われるエルフのさらに高位の……ハイエルフだという。
「いつも通り。超クッタクタ」
「ふふふ……お疲れ様」
甘えるように手をとるクラム。いやな顔一つせずに、労わりの笑みを浮かべたシャラ。
マジで可愛いな。この人……。
その笑みは、まるで少女のような雰囲気すら感じさせる。
これで、ハイエルフ。
これが、遥か年上。
彼女は何年も前に亡くなったクラムの親父の後妻で──血の繋がりは全くないけれども、小さな頃から育ててくれた優しい義母だった。
そして、愛しい義母。
実を言うと、クラムは物心つく前に死んだ実の母のことは顔も覚えていない。
そのため、クラムにとってはシャラが母親同然の人だった。
しかし、ハイエルフが故。
歳をとることもなくいつまでも若々しいその姿は、いつの間にか少しばかり歳を重ねたクラムからすれば、母という言葉には違和感しかない。
実際、知らない人には妹や嫁に間違われるほどだ。
どっちでもクラムからすれば言われて嬉しいもの。
たしかに、綺麗だよな……と、その顔をマジマジと見てしまう。
本当に綺麗だ────。
………。
「こら! またオカンに見とれてるぅぅ! ぶー!!……嫁に飽きちゃった?」
そう言ってシャラの脇から顔を見せたのは、まだ少女のようなあどけなさの残る若い娘。
こちは嫁のネリスだ。
薄いピンクがかった髪と、健康的に日焼けした肌。……その肌は日に焼けてなお白く映えて見える。
体つきはシャラほどではないにしても、抜群のプロポーション。これで──年の頃は俺よりかなり下。
やや小柄なところは、先祖にホビット族の血が入ってるとかなんとか……?
シャラと同様、クラムの家族。かつては幼馴染、そして今は嫁だ。
近所に住んでいた彼女とは兄妹のように育ち、そして当然の様に互いを好きになり、結婚した──もう何年も前だ。
「はいはい……しょうもない言ってないで早く家ん中、入んなよー」
背後から現れ、キンキンと騒がしいのは俺の妹────ミナ。
仕事帰りらしく、工房の道具一式を担いで威勢のいい声。
背後に娘(…俺にとっては姪だな。)を伴い、邪魔邪魔!──とクラムを家に押し込んでくる。
グイグイ──。
オラオラ~退け退けッ! と、遠慮なしに押し込んでくる。
さらにはゲシゲシと蹴り込んでくる。
この野郎!
って、
「──ちょ、ミナ! うぉッッ!?」
おっとっと、タタラを踏み──前につんのめる。
ボヨン!
と受け止めたのは、豊満そのものの義母さんの胸ぇぇえ?!
うぉぉ、やばい。超いい匂い────。
「きゃぁ、ちょっとクラム!!」
「ぐむむ……! プハッ……。ご、ゴメン義母さん! ──ってミナぁぁあ! お前、やめろっつてんだろ!」
慌てて体を起こそうとして……。思わず「グワシ!」──アンッ♡ と、シャラの胸を掴んでしまった。
……──な、なんだ今の柔らかさは!?
しかも、アンっ♡──って……!
「あらまー、ラッキースケベで良かったじゃん」
いいからどきなさい、と更に押し込んでくる。
どうにも、先祖返りして……ミナの血には色濃くドワーフが出ているとか?
まぁ、言われても驚きはしない。同じ家族とは思えない程、力は物凄くあるのだ……!
いててててて!!
蹴り飛ばされ、地面に転がるクラム。
それを無造作に乗り越え家に入っていくミナを恨みがましく見送る。
すると、少し起こした体の前にバラ園が──。
少女の綺麗な太ももと、その奥に見える────ぱ、パンツ?!
「お、叔父ちゃん、ゴメンね」
ホントにすまなさそうに謝るのは姪っ子のリズ。
クラムの目の前で無防備にしゃがみこんで、強かに打った頭をナデリコナデリコとさすってくれている。
おっふ。
めっちゃいい子!
この子……──リズはミナの性格でいうところの「豪快で大雑把」という、やや残念な血は受け継がなかったらしい。
その様子をみるに、リズは「大人しく心優しい少女」と言った雰囲気。
その性格からも、流行り病で亡くなったミナの旦那さんに似ている。
「あ? 叔父ちゃん?!」
つぃ……。
やばいやばい。
パンツに目をくぎ付けにしていたことに気付かれそうになったぜ。
見つかる寸前に素早く目をそらすクラム。
誤魔化す様に、気遣う姪っ子の頭を撫でてやる。
いい子いい子ーと、頭をスリスリと撫でてやると、嬉し気に目を細めるリズ……うむ、かわええのー!
性格は全く似ていないがこの親子…、見た目はすごく似ている。
しかもだ、傍目には親子というより姉妹にしか見えない。
どちらも同じような赤毛で、小麦色の肌をして…少々貧相な体。それでも女性らしい曲線はちゃんとある。
リズはミナをそのまま、少~し小さくしただけにしか見えない。
チマチマと歩く姿はとても愛らしい。リズは確か──これで10才前半くらいだったはず……?
本当に似ている。母と子だ。
……My妹は力持ちだけど、体はチンマイし、なんか可愛いしね。
「おい……──変なこと考えてるでしょ?」
ヒョコっ家の中から顔を見せたミナ。
恐ろしい表情でギロリと睨まれる……うぉぉ、さすが兄妹……よ~~~く見てる。
「──ナンモ、カンガエテマセンヨー」
「あっそ」
あー疲れたー! と言い置いて、居間に引っ込むと、すぐさまお気に入りの席である暖炉近くのソファーに陣取った。
そして、クラムと同時に居間に戻ってきたリズを隣に座らせると、ナデリコナデリコと髪を弄り始める。
うむ……。我が妹とはいえ、可愛い。リズと並ぶと、なお可愛い。
うんうん──仲良きはいい事かな。
「は、早く入りなさいクラム……」
優し気に目を細めるシャラは、少し頬を染めている。さっき思いっきりオッパイを握りしめて以来だ。
うーむ。あの恥じらいが実にいい!
ホント……素晴らしいオパイです、義母さん。ごちそうさ────。
ゴンっ! いッッで!
「何ヤラシイ顔してるのよー!」
あ、そうだ。この人がいたわー。
ぶー……と子供っぽく頬を膨らませプリプリしているMy嫁……ネリス。
結構本気で殴られた。
「めっちゃ痛いんすけど……」
「天罰ぅ!」
あらら、
機嫌を損ねたようだ。
「機嫌治せよ~」
むーとキスをせがむと、途端に顔を赤くしてブンブンと拒否する。
「わひゃ……! こ、こんなとこでしないでよー……みんな見てるし!」
はわわわ、と小動物チックに慌てているネリス。……うん、愛おしい。
「キョーミなーし」
ミナはそうでしょうよ……でも、貴方の娘さん。……こっちをガン見してますよ。
で、ガン見してるリズちゃんや、なんで興味津々 & ちょっと怒ってるのよ? ただの嫁とのスキンシップでんがな……。
「叔父ちゃん……不潔」
……う、
ちょっとそれ地味に効いたわ。
ええやん……嫁さんとチューしたってさ。
さっきまで和やか & 友好ムードだったリズが今度は冷戦勃発と言わんばかりにそっぽを向く。
なんなのよ?
……最近の姪っ子は時々こんな感じ。
叔父さんこういった反応には困るのよ。
なんだろね? 俺に対してだけツンケンするときがある。
……ふ~~む? 反抗期ってやつか?
いや、ミナとは上手くやってるしね……俺に対してだけ?
うーん……わからん。
「もう……子供の前で変なこと言わないでよ」
これまた可愛らしく頬を染めて髪の毛をクルクルとしながらネリスが照れている。
「わかったよ……じゃ、人のいないところで、な」
ボンっと顔を真っ赤にさせるネリス。
うーむ……我が嫁ながら可愛すぎる。
「も、もーー!! そういうこと言わないで!」
バンバンと背中を叩くネリス。
いててて……ネリスさんや、地味に痛いから止めて。
「ほ、ほら……ルゥナ! パパ帰って来たよ」
そう言って誤魔化す様に対象を変えるネリスが呼んだのは────娘……。
小さな小さな娘────俺のルゥナ。
この国の古い言葉でそのままの意味……天使だ。
ショボショボと目を擦っている所をみると、お眠だった様子。
多分、今のクラムは自分でもわかるほど顔をクシャクシャーと綻ばせているだろう。
「んー……おとーたま?」
パッチリと目を開けたルゥナは天使そのもの……。かわえぇ……!
父親譲りの黒い髪は灰色に近く、絹のような肌は母譲りで白い。
少し先祖帰りを起こしたのか、耳はややエルフ寄りだ。
ちなみにクラムの耳はちょこっと尖っている程度。
亡くなった父はハーフエルフ。そして、クラム実母は人間だったので、いわゆるクォーターだ。
でも、血の遺伝は不思議なもので、ルゥナにはシャラほどでないにしても、エルフの特徴が出ている。
どちらかと言えば父のそれに近い。
実際、エルフという種族に負けず劣らず──凄い美人さんだ。
俺の娘だという贔屓目を抜きにしても、ね。
だから、絶対嫁にはやらんッッッ!
「あふぅ……おとーたま、お帰りなさい」
「はい、ただいまールゥナぁぁあ!」
ナデリコ、ナデリコと、娘の頭を撫でるクラム。
その顔はデレデレ。親馬鹿のそれだった……。
「ふふふ……。皆、仲良しねー」
──義母さんちょっぴり寂しいわ。
と伴侶や、実の娘がいないシャラが寂しげに笑って見せる。
だが、その美しい笑顔をみればわかるけども、実はちっとも寂しがってはいない。
そして、言うのだ──。
「みんな、おかえりなさい」
そうだ……。
家族はここに────。
「じゃあ家族みんなが帰ってきたことだし……ご飯にしましょうか!」
そして、手を凝らした自慢の一品を披露していく。
コッテリスープに、
野菜サラダ、
ベーコンとキノコ和え、
手作りパンはホカホカで、
ラズベリー等の数種類のジャムが付く────。
フワァ……と漂う良い香りに、暖かい家の穏やかな空間。笑顔と笑い声の絶えない団欒は、幸せという言葉で評して誰も疑う者のないもの。
そうとも、そこには紛れもない本物の幸せがあった。
「はい、皆お疲れ様、じゃぁ……」
「「「「「いただきま~~~す!」」」」」
そう、あった────。
あったんだ……。
温かな追憶の底で……。
冷たい雨と、熱く濁るドス黒い心の情動を感じながら、クラムはその境を茫洋と彷徨っていた────。
「義母さん……シャラ────」
第3話「雨上がり」
「あら、いたの?」
ポタ……。
ポタン……。
あれ程降りしきっていた雨は止み。
周囲を彩るのは、天幕の端から雫が垂れる静かな音のみ。
すでに闇夜の静寂へと切り替わっていた。
そこに振り落ちてきたのは、鈴を転がすような綺麗な声。
天幕の入り口から、その人はゆっくりと科を作り、気だるげな雰囲気を纏って出て来た。
闇夜にも映える金髪。……薄い夜着を押し上げる豊かな胸部と綺麗な臀部。腰はくびれ……完璧な女性像そのもの。
容姿は美しく……十代後半に見える。
しかし、歳は彼女の場合関係ないのだろう。
なぜなら長命と名高いエルフの特徴である長い笹耳をした───そうだ、彼女はエルフ……追憶の中の彼女だ。
そして……──。
……。
「ソレ」は、クラムが激情に身を焦がしている間に終わっていたらしい。
行為に夢中で外の様子など気にもしていなかったらしい彼女は、天幕を出て初めてクラムの姿を目に留めたようだ。
いや、気にしていないはずもない。だってそれはいつものこと。彼女はクラムがここにいると知っていながら男と体を重ね、情事を貪っていたのだから。
「──いる、さ。俺の任務だから、な」
「酷い声……」
ジトっとした眼は、まるでゴミを見る目だ。
どうやら風邪をひいたらしいクラムの声に心配する気配も見せず、薄着のそれを恥ずかしげもなく曝したまま颯爽と歩き始めた。
シルクの夜着は透けており、彼女の綺麗な胸部の先端に乳首すら浮かび上がって見えた。
抜群のプロポーションが……クラムの劣情を催させる。
だが、
俺はそんな感情を抱いてはいけない。
抱くわけにはいかない……だから、一言だけ注意しよう。
「義母さん……他の兵もいるんだ。……上くらい羽織ってくれよ」
ピタリと足を止める義母さん。
ツイっと視線を俺に向けると────。
「義母さんなんて呼ばないで頂戴。……ゴミ屑の息子を持ったことはないわ」
そして、文字通りゴミを見る目で「俺」を見た。
あの義母さんが……だ。
キッと睨み付けると、ツカツカと歩みより────ペッと唾を掛けられる。
その際に、彼女の纏う空気がフワリと押し寄せた。
思い出の中でならあの家庭的な匂いをさせていた彼女の香り……。
だけど、今この瞬間の彼女の香りには心底、胸がむかついた──。
顔に掛かった唾液の生暖かさよりも……その匂い。
懐かしく、甘く……優しい───義母さんの匂いの中に────男女の行為のそれが混じった酸えた臭いがしたからだ。
本気で吐き戻しそうになる。
だけど、間違いなくシャラの香りもそこにある。彼女がいる。
そのことがたまらなくなり、つい────。
「か──」
……ッッッ!
義母さん──ッ!
思わず手を伸ばし、彼女を抱き留めたくなった────。
アイツと、
勇者と、
____と──!!
あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!
しかし、伸ばしかけた腕が止まる。
背後に、
「よぅ……。シャラぁぁああ───忘れもんだぜ」
ニヤニヤと笑う胸糞の悪い声をしたアイツ。
半裸で筋肉の浮き出た上半身を晒しながら──義母さんと同じ、酸えた臭いをさせている男。
「あーらやだぁ、テンガぁぁ」
その声を聞いた途端、突然猫なで声に替わり……顔つきも完全に女のソレになる。クラムの前とは大違い。百面相もいい所だ。
もはや俺のことなど目に入らぬとばかり。
これ見よがしに足を絡ませると、テンガこと、あの野郎……──勇者テンガに撓垂れかかるシャラ。
そして、長く長くキスをするんだ。……俺の目の前で。
「るぅ、ぷはぁ……♡」
ちゅぽん♡ と音を立て絡まった舌の間に白い糸を引く。
「ははっ、なんだよ? いきなりだな?」
「だって、寂しかったんですものー」
「おいおい、さっきまでずっと一緒だっただろ」
「そーだけどー……明日は別の娘を呼ぶんでしょー?」
「そりゃぁな。公平、公平。お……いっそ一緒にやるか?」
「えーーー……。うーん……考えとく」
クソ野郎め…………ゲロが出そうだ。
「で、何? 忘れ物?」
「これこれ……」
ヒラヒラと勇者が振るのは、布キレ……って、おいおい。
「うふふ……プレゼントよー。他の娘にばっかり気を取られちゃ困るもの」
「ははは……早々、お前を手放すものか……──なぁ、そうだろ?」
テンガの野郎が、クラムに向かって、ニチャぁ……と醜悪な顔で笑いかけくる。
目の前の女性がクラムの義母であると知っていて、だ。
(ふざけた野郎だ……!)
──だが、これでも世界最強の勇者だとさ。
対魔王軍の切り札で、人類の希望……! ハッ!! うさんクセェ。
確かに、顔は整っているし、体格も筋肉質で中背。
東洋人系の顔付きだが、美男子の部類だろう。
初めて会った頃からさほど成長しているようには見えないので、年齢は定かではないが……多分、俺より年下だと思う。
「ちょっとぉ……こんなのに声かけないでよ」
あーやだやだ。と、義母さん──シャラは、顔を背ける。
「おいおい、こんなの呼ばわりは酷いだろう? 義理の息子じゃないか……ははは」
「知らないわよ……。──犯罪者の息子なんていないわ」
本気で嫌がるシャラ。
「おー怖ッ。女は恐いねー」
「そーよー、女は恐いわよー♡」
そう言って再び勇者の口を塞ぐシャラ。
わざわざ目の前で……。
ゆっくりと舌を絡めて、ねっとりとした醜悪なキス。
低い気温のなか、二人の息が上気し白く立ち昇る。
「チュプ……んふッ」
「れろ……んんー……」
ピチャピチャと立てられる水音。
二人してそっと目を閉じ、淫らな世界を作る……が、勇者が片目を開けて俺をチラリと見た。
……その顔!
どやぁ。───と、言っているのだろう。
……。
ブチッ……──!
多分、切れていたっぽい。
何も考えずに、槍を手に……命すら顧みずに、勇者の横っ面を──ああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!──テンガァァぁぁあああ゛あ゛あ゛!!
ッッ!!
「おいおいおいおい……。なんの真似だぁ?」
あ゛?
た、確かに……。
貫いた……──はず。
「懲りないやつだな? 雑魚と勇者でどれだけ力に差があると思ってる?」
(ば、バケモノめ……!)
勇者は体勢を変えずに、シャラを抱き留めたまま微動だにしないで……二本の指で槍の穂先をつまんでいた。
「ちょ……ちょっと!」
それを見て怒り狂っているのはシャラだった。
「ふざけるんじゃないわよ! あんた寝所番でしょ!」
パァン! と思いっきり頬を叩かれる、が……驚きが強く、もはや痛みすら感じない。
「シャぁぁぁラ……止めとけ。お前の手が汚れるだけだぜ? ッと、ほらよぉ!」
「ゴフッ……!」
ゴスッ!──……衝撃を感じたときには、喉が焼けるような痛みを伴う。
さらにゴキン! ガン! と、1撃……! 2撃……! と──目にもとまらぬ連撃。
「ご、ゴホ……。ゲホッ」
槍を指でつまんだまま奪い取り、
穂先の逆、「石突き」の部分で滅多打ちにしてくれたようだ。
……それでも、かなり手加減しているのだろう。
でなければ……──死んでいる。とっくに死んでいるともさ。
「グホッゴホ……! げぇぇ──」
びちゃ、びちゃびちゃ……。
吐き戻した胃液には何も入っていない。
そりゃロクに食べてないからな……。
「はー……物覚えの悪い奴だな? これで何回目だと思う? いい加減学習しろよ……。あー……──」
そこで勇者はフト思いついたように、
「────もう殺しちまうか?」
スッと温度が下がったような気がする。
殺気を感じ────、
「え、ちょ……」
シャラの驚いた声と同時に──。
クルっと回転した槍の穂先がこっちを向く。
「て、テンガ? あの」
それを戸惑った声で呼び止め、急にオドオドとしだしたのはシャラ。
「どうした? シャラ……他人なんだろ?」
「あ……う、うん」
バツが悪そうに眼を逸らす──……か、義母さん?
か、義母さん……──。
カアサン……。
か……。
ヨロヨロと伸ばす手……。
それがシャラへと伸び──、
「じゃぁなぁ! お前がいると、女が嫌がったり、照れたりで結構面白かったぜぇぇ」
それだけの理由で俺は、
「テンガ待って!!」
ギュっと勇者の首に抱き着くシャラ。
「んーーー??」
「や、やめましょ……ね?」
「なんでだ?」
「そ、その……」
そんなくだらない理由で俺は────!
「コイツがいないと、ほら……夜に燃えないじゃない?」
「あーうんうん、そういやそうだなー」
そんな理由で、
「ははは……! 冗談、冗談。冗談だって、……こぉんな面白いもの、そう簡単に捨てられるかよ」
そんな理由で、
──俺は、「勇者の寝所番」をさせられている。
第4話「復讐への糧」
ひゃはははは!
きゃー、あははは!
あれから、本日二回戦目に突入したらしいテンガとシャラ。
散々に打ちのめされたクラムはぐったりとし──濡れた地面に這いつくばり耳を塞いでいる。
それでも、聞こえるシャラの甘い声と、快楽に裏打ちされた嬌声。そして、生々しい肉を打つ音……。
湿っぽさが混じるソレは聞くに堪えない。
あの天幕の中で、大事な家族であった義母がテンガに貫かれているのだ。
アンアン♡ と激しく聞こえる喘ぎ声に耳を抉り出したくなる。
せめて少しでも嫌がっていたり、抵抗していれば慰めになったかもしれないというのに……シャラは肉の悦びに打ち震えている。
(もう……やめてくれよ!!)
それを耐えるために、気を逸らす……。
悲しいことに、こんな仕打ちをされても、さっきの煽情的なシャラの行為を間近に見て、そして今の彼女の喘ぎ声を聞いて、ナセルの男性が猛り狂っていた。
「くそぉぉお!」
余りのやるせなさに、頭に血が上り沸騰したような気持になる。
それを落ち着けようと、ギュッと握りしめるそれは、義母さんの匂いがした。
さっき、勇者達が寝所に戻る前────。
──「よぉ? 血が出てるぜ? 拭いときな」……そう言って、ポイっと投げてよこしたのは、シャラがわざと置いていったという……ソレだ。
……。
バカにしやがって……!
「ちくしょう! ちくしょう!!」
握りしめたそれごと地面を叩く。
キツク握りしめても、怒りが紛れるわけでもなく、微かに漂う香りに……淫らな匂いのするそれに……優しいシャラの顔を思い出しただけ。
もっとも、テンガからクラムに手渡された瞬間、シャラはシャラで、物凄く嫌そうな顔をしていたが……。
だが、取り戻すようなことはせず、自らが身に着けていたものであっても、それがクラムの上に落ち──彼の体についた汚れが、少しばかり滲みこんでしまったのを見て……一気に興味を失ったようだ。
まるで、ボロ雑巾でも見るかのような目────。
「シャ────……」
くそぉぉ!!!!
くそくそくそ!!!!!
ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!
バンバン! と……バシャバシャ! と濡れた水の溜まった地面を何度も叩く。
手の皮が破れて、
血が滲み、
骨にすらヒビが……!
それでも、やめない。
やめられない。
やめたくない。
なんで、
なんで、こんなことになったんだよ……。
なんで、
なんで!
なんでだぁぁ!!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
ガンガンガン!
バンバンバン!!
あああああああああああああ!!!!
義母さん、ミナ、ネリス、……そして、俺の子……──!
家族────!!
家族──!!
カゾク────!!
がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
それらがテンガの手元にある!
勇者の手元にある!
シャラだけじゃない!
ミナも!
ネリスも!!
俺の子────ルゥナも!!
みんな、アイツの下にある!
抱かれている!
奪われている!!
汚されている!!!
いやだ、いやだ、いやだ!
返せ!
返せ!
返せ!
俺の家族を返せぇぇぇぇえ!
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そんなクラムの絶叫さえ楽しんでいる二人。
クスクス、ゲラゲラと────。
テンガとシャラが笑っている。
シャラが笑っている!!
テンガが! テンガが! テンガがぁぁぁああ!
ぶ、
ぶ、
ブッ殺してやる!!
ブッ殺してやる!!
絶対、ブッ殺してやる!!
勇者テンガぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
叫びを掻き消すように、また雨が降りだす……。
その雨に打たれながら、
喉を枯らして叫びながら、
どうしてこうなってしまったのか……。
何が悪かったのかを思い出す。
決して忘れない様に、
決して慣れない様に、
決して諦めない様に、
それを糧に……。
必ず勇者を──────。
ザァァァァァァァァァ……。
ザザァァァァァァァァ……───。
雨。
冷たい雨が降りしきる。
その雨の下に男はいた。
彼は傘をさすでもなく、また庇の下で雨を逃れるでもなく、ただただ雨に打たれていた。
容赦なく降りしきる雨は男の肌に突き刺さり、その体温を奪っていく。
だが、彼は微動だにせず、夜空を見上げ雨に打たれるに任せていた。
出で立ちは貧相な兵士のそれ。
しかし、見た目は敗残兵のようにくたびれており、装備もお世辞にもよいとは言えなかった。
薄汚れた皮鎧に、短い槍。……剣は佩いていない。
冷たい雨から頭部を守る兜すらなく、彼の白髪交じりの黒髪を守る物は何もなかった。
だが、装備のそれに反して、彼の容姿は比較的整っていた。
それもそのはず。
人間にしては尖った耳が、彼にエルフの血が僅かに混じっている事を示している。
その血によるものか──容姿は整っている。いるのだが……今はその見る影もない。
健康ならばともかく、今の彼のありさまと言えば……。
頬はこけ、無精髭だらけの顔はまるで精気を感じさせなかった。
クラム・エンバニア──それが彼の名だ。
兵士の出で立ちをしているが、生粋のソレではないことは立ち振る舞いでわかるというもの。
だが、この酷い土砂降りの中……まんじりともせず立ち続けられるのは中々の精神力だと言えよう。
冷たい雨に打たれながらも一言半句の文句も告げず。
黙々と任務をこなす、兵士の鑑────。
そう、任務。
彼の任務は夜間の警備。
────貴人の『寝所』の番だ。
……。
ま、そう纏めれば、まるで聞こえのいい言葉だが……。
実際はどうか────。
※
雨に打たれるままのクラムは、数回の瞬きの後、自嘲した。
貴人……そうだ。貴人、偉い人さ────。
(────少なくとも、一般的な人類にとってはな……)
瞼を濡らす雨をはらいのけ、淡く濁る視界の先を見通す。
その先にあったのは、一つの豪奢な天幕だ。
煌々と明かりのついた天幕は、実に温かそうで快適に見えた。実際、快適なのだろう。
肉が激しくぶつかり合う音に混じって響く嬌声。艶やかな声と爽やかなハスキーボイスが絡み合い全く別世界のようだ。
影絵のように浮かび上がった天幕の中。そこに照らし出されるのは、男女が激しく睦み合うそれ。
クラムはそれを見たくもないというのに、まるで見せつけるかのように明るい光源はその様子をまざまざと照らし出していた。
何度も何度も繋がる男女の影────。
微かに漂う酸えた臭い……。
激しい雨音にかき消されながらも、不意に響く甘い声。
「あぁン♡ ぁぁあ──♡♡」
バチュン♡、バチュン! と湿ったような、肉を打つ音がそこに混じり、それに合わせて揺れる二つの人影がどうしようもなくクラムの心を逆なでした。
「……ぁさん──」
クラムの口から洩れる呻き。
それを堪えようと、ギリリリと噛み締められた口からは、一筋の血が滲みだし……歯茎と唇が裂けていく。
さらに、バリッという音が不気味に鼓膜に響いた。
また奥歯にヒビが入ったのだろう……。
いつものことだ──。
だが、そのおかげで、怒りに燃え上がりそうな激情が冷えて、正気を保つことができた。
おまけに雨。
今も顔を絶え間なく叩きつけるそれは────。
今……!
今だけはありがたい……。
もし──。
ああ、もし──雨が降っていなければ、
もしも、この冷たい雨で、激情が冷めていなければ────。
もし……。
……この忌々しい足枷がなければ……──。
シャリィィン……と、無機質で寒々とした金属音が足元から響く。
無骨で、人の付け心地など何も考えていない鉄の輪っか…更に、そこから伸びる鎖と鉄球。
俺は────。
「はああぁぁぁぁん♡」
不意に、雨が弱くなり女の嬌声がこれでもかと漏れる。
艶やかで、湿った、生暖かい……ソレ。
それが薄っぺらい天幕の布で防げるはずもなく──……使用者も防ぐつもりはないのだから当然だ。
「ひゃははははッ、まだだ。まだまだだぞぉぉ!」
楽し気な男の声に続き、女の嬌声が艶やかに響く。
嫌がるソレではない。
むしろ積極的に貪り……男を求めている。
ああん♡♡、
ああぁー♡、
と────……耳を塞ぎたくなるような、
鬱陶しくも……悔しくも……腹立たしくも……!
けれども─────────!!
あん♡ ああ♡ ああーーー♡
激しく、激しく、激しく!!
絡み合う男女の声がぁぁあああ──────!!!
ザァァァァァァァァァァァァァァァ……。
ザァァァァァァァァァァァァァァァ……──。
ありがたい……。
雨よ………………感謝します。
天を仰ぎ、暗い夜空から降りしきる雨を顔に受ける。
誰にも見られていない。
……見たくもないだろう。
顔から流れるソレは、冷たい雨を受けただけのせいではない。
……。
そうだ、雨だけなものか────。
ギリリリリ……と────支給品の槍を握りしめる。
中古で安物のそれは……酷く冷え切っていた。
あぁぁぁぁ……雨よ感謝します。
雨がなければ……────俺はこれを、あの男の土手っ腹にぶち込んでいます。
そして、刺して、掻きまわして……臓物を抉っています──。
雨よ……。
感謝────。
そして、クソ食らえだ!!!
雨が降っていなければ────。
天幕の中で、艶やかな声をあげ、瑞々しい体を震わせる彼女を貫いている男に視線を向け──慟哭するッ!
あの『勇者』を刺し殺してやるのに!!!!!!
第2話「追憶」
ザアアァァァァァ……────。
降りしきる雨に打たれるクラム。
怒りと、悲しみと、もどかしさで熱に浮かされながらも、彼はここに立つしかできない。
いつしか、次第に朦朧とする意識。
その意識の底では、この腐った世界の景色ではなく……まるで──幻であったかのような、あの懐かしい日々を夢想させた。
曖昧な思考の中で響くのは、かつてあった……あの優しい家族の声──。
ッ──……。
クラム……?
クラム!
兄さん?
おとーたま……。
(あぁ……──皆……)
幻のような、
夢のような、
霞がかった意識の中で、彼女たちを思い出す────。
愛しい愛しい家族の姿を……。
だけど、思い出さない方がいい。
思い出すな……!
辛くなるだけだろッッ!?
やめろ。
やめておけ、クラム!!
だってそうだろ!?
……。
いまおかれた立場──。
まるでゴミのように這いずる様の日々は、あの宝石のような日々に比べて……あまりにも!
だから、
忘れろ───と……。
忘れろ、
忘れろ、
忘れろ!! と。
でも、
あの懐かしい家の、
あの温かい家族の、
あの幸せな日々の、
必死で思い出すまいとしていたあの日々の……。
扉が────……。
「お帰りなさい、クラム」
────開く、
……ッッ!
ああああああああ!!
忘れられるわけないだろ!
義母さん!!!
義母さん!
カアサン、カアサン、カアサン……。
か────……。
「どうしたの? クラム」
甘い声が耳をつく──。
幻聴であり、
それは、現実でもある……。
だって、あの天幕の先ではあの人が勇者に……!!
そんな醜悪な光景が──……。
朦朧とする意識のなか、
現実へ帳を降ろし……失われたあの日々の記憶へと沈んでいくクラム──。
もう、いいか……。
記憶の中くらい……いいだろ?
思い出すくらいなら、さ────。
クラムは、思考への抵抗を諦める。
その瞬間、意識はあの日々へと遡っていった。
※
────お帰りなさい、クラム」
家の戸口に立つ美しい女性が柔らかく微笑んでいる。
夢の中でクラムはいつもと変わらぬ毎日を送っていた。
そして、帰宅するクラム出迎えてくれたのは、若々しく美しい女性──義母さんだ。
シャラ・エンバニア。美しきクラムの義母。
不思議な包容力と若々しい容姿を併せ持った女性。
彼女はいつも家庭的な香りを纏っている。
今も、フワリと漂う夕食のスープの香りとともに、花の蜜のようなシャラの肌から香る甘い匂いが鼻腔をついた。
「──ただいま、義母さん」
「はい、おかえりなさい。疲れたでしょう?」
ニッコリと微笑むその笑みは、まるで慈母だ。
美しい容姿──金色の髪と、白く美しい肌、出るところは出て女性らしい体つき。そしてどう見ても十代後半にしか見えないその人──……。
うーーーーーん、義母にしてこの美しさ。
嫁でないのが残念。
これでクラムより遥かに年上だというのだから、人は見た目じゃわからない。
そして、何よりも目立つのは、万人の目を引く特徴的なエルフの長い耳。
美貌と、若々しい容姿は、言葉通り人間離れしている。
そうとも、彼女こそ数百年を生きると言われるエルフのさらに高位の……ハイエルフだという。
「いつも通り。超クッタクタ」
「ふふふ……お疲れ様」
甘えるように手をとるクラム。いやな顔一つせずに、労わりの笑みを浮かべたシャラ。
マジで可愛いな。この人……。
その笑みは、まるで少女のような雰囲気すら感じさせる。
これで、ハイエルフ。
これが、遥か年上。
彼女は何年も前に亡くなったクラムの親父の後妻で──血の繋がりは全くないけれども、小さな頃から育ててくれた優しい義母だった。
そして、愛しい義母。
実を言うと、クラムは物心つく前に死んだ実の母のことは顔も覚えていない。
そのため、クラムにとってはシャラが母親同然の人だった。
しかし、ハイエルフが故。
歳をとることもなくいつまでも若々しいその姿は、いつの間にか少しばかり歳を重ねたクラムからすれば、母という言葉には違和感しかない。
実際、知らない人には妹や嫁に間違われるほどだ。
どっちでもクラムからすれば言われて嬉しいもの。
たしかに、綺麗だよな……と、その顔をマジマジと見てしまう。
本当に綺麗だ────。
………。
「こら! またオカンに見とれてるぅぅ! ぶー!!……嫁に飽きちゃった?」
そう言ってシャラの脇から顔を見せたのは、まだ少女のようなあどけなさの残る若い娘。
こちは嫁のネリスだ。
薄いピンクがかった髪と、健康的に日焼けした肌。……その肌は日に焼けてなお白く映えて見える。
体つきはシャラほどではないにしても、抜群のプロポーション。これで──年の頃は俺よりかなり下。
やや小柄なところは、先祖にホビット族の血が入ってるとかなんとか……?
シャラと同様、クラムの家族。かつては幼馴染、そして今は嫁だ。
近所に住んでいた彼女とは兄妹のように育ち、そして当然の様に互いを好きになり、結婚した──もう何年も前だ。
「はいはい……しょうもない言ってないで早く家ん中、入んなよー」
背後から現れ、キンキンと騒がしいのは俺の妹────ミナ。
仕事帰りらしく、工房の道具一式を担いで威勢のいい声。
背後に娘(…俺にとっては姪だな。)を伴い、邪魔邪魔!──とクラムを家に押し込んでくる。
グイグイ──。
オラオラ~退け退けッ! と、遠慮なしに押し込んでくる。
さらにはゲシゲシと蹴り込んでくる。
この野郎!
って、
「──ちょ、ミナ! うぉッッ!?」
おっとっと、タタラを踏み──前につんのめる。
ボヨン!
と受け止めたのは、豊満そのものの義母さんの胸ぇぇえ?!
うぉぉ、やばい。超いい匂い────。
「きゃぁ、ちょっとクラム!!」
「ぐむむ……! プハッ……。ご、ゴメン義母さん! ──ってミナぁぁあ! お前、やめろっつてんだろ!」
慌てて体を起こそうとして……。思わず「グワシ!」──アンッ♡ と、シャラの胸を掴んでしまった。
……──な、なんだ今の柔らかさは!?
しかも、アンっ♡──って……!
「あらまー、ラッキースケベで良かったじゃん」
いいからどきなさい、と更に押し込んでくる。
どうにも、先祖返りして……ミナの血には色濃くドワーフが出ているとか?
まぁ、言われても驚きはしない。同じ家族とは思えない程、力は物凄くあるのだ……!
いててててて!!
蹴り飛ばされ、地面に転がるクラム。
それを無造作に乗り越え家に入っていくミナを恨みがましく見送る。
すると、少し起こした体の前にバラ園が──。
少女の綺麗な太ももと、その奥に見える────ぱ、パンツ?!
「お、叔父ちゃん、ゴメンね」
ホントにすまなさそうに謝るのは姪っ子のリズ。
クラムの目の前で無防備にしゃがみこんで、強かに打った頭をナデリコナデリコとさすってくれている。
おっふ。
めっちゃいい子!
この子……──リズはミナの性格でいうところの「豪快で大雑把」という、やや残念な血は受け継がなかったらしい。
その様子をみるに、リズは「大人しく心優しい少女」と言った雰囲気。
その性格からも、流行り病で亡くなったミナの旦那さんに似ている。
「あ? 叔父ちゃん?!」
つぃ……。
やばいやばい。
パンツに目をくぎ付けにしていたことに気付かれそうになったぜ。
見つかる寸前に素早く目をそらすクラム。
誤魔化す様に、気遣う姪っ子の頭を撫でてやる。
いい子いい子ーと、頭をスリスリと撫でてやると、嬉し気に目を細めるリズ……うむ、かわええのー!
性格は全く似ていないがこの親子…、見た目はすごく似ている。
しかもだ、傍目には親子というより姉妹にしか見えない。
どちらも同じような赤毛で、小麦色の肌をして…少々貧相な体。それでも女性らしい曲線はちゃんとある。
リズはミナをそのまま、少~し小さくしただけにしか見えない。
チマチマと歩く姿はとても愛らしい。リズは確か──これで10才前半くらいだったはず……?
本当に似ている。母と子だ。
……My妹は力持ちだけど、体はチンマイし、なんか可愛いしね。
「おい……──変なこと考えてるでしょ?」
ヒョコっ家の中から顔を見せたミナ。
恐ろしい表情でギロリと睨まれる……うぉぉ、さすが兄妹……よ~~~く見てる。
「──ナンモ、カンガエテマセンヨー」
「あっそ」
あー疲れたー! と言い置いて、居間に引っ込むと、すぐさまお気に入りの席である暖炉近くのソファーに陣取った。
そして、クラムと同時に居間に戻ってきたリズを隣に座らせると、ナデリコナデリコと髪を弄り始める。
うむ……。我が妹とはいえ、可愛い。リズと並ぶと、なお可愛い。
うんうん──仲良きはいい事かな。
「は、早く入りなさいクラム……」
優し気に目を細めるシャラは、少し頬を染めている。さっき思いっきりオッパイを握りしめて以来だ。
うーむ。あの恥じらいが実にいい!
ホント……素晴らしいオパイです、義母さん。ごちそうさ────。
ゴンっ! いッッで!
「何ヤラシイ顔してるのよー!」
あ、そうだ。この人がいたわー。
ぶー……と子供っぽく頬を膨らませプリプリしているMy嫁……ネリス。
結構本気で殴られた。
「めっちゃ痛いんすけど……」
「天罰ぅ!」
あらら、
機嫌を損ねたようだ。
「機嫌治せよ~」
むーとキスをせがむと、途端に顔を赤くしてブンブンと拒否する。
「わひゃ……! こ、こんなとこでしないでよー……みんな見てるし!」
はわわわ、と小動物チックに慌てているネリス。……うん、愛おしい。
「キョーミなーし」
ミナはそうでしょうよ……でも、貴方の娘さん。……こっちをガン見してますよ。
で、ガン見してるリズちゃんや、なんで興味津々 & ちょっと怒ってるのよ? ただの嫁とのスキンシップでんがな……。
「叔父ちゃん……不潔」
……う、
ちょっとそれ地味に効いたわ。
ええやん……嫁さんとチューしたってさ。
さっきまで和やか & 友好ムードだったリズが今度は冷戦勃発と言わんばかりにそっぽを向く。
なんなのよ?
……最近の姪っ子は時々こんな感じ。
叔父さんこういった反応には困るのよ。
なんだろね? 俺に対してだけツンケンするときがある。
……ふ~~む? 反抗期ってやつか?
いや、ミナとは上手くやってるしね……俺に対してだけ?
うーん……わからん。
「もう……子供の前で変なこと言わないでよ」
これまた可愛らしく頬を染めて髪の毛をクルクルとしながらネリスが照れている。
「わかったよ……じゃ、人のいないところで、な」
ボンっと顔を真っ赤にさせるネリス。
うーむ……我が嫁ながら可愛すぎる。
「も、もーー!! そういうこと言わないで!」
バンバンと背中を叩くネリス。
いててて……ネリスさんや、地味に痛いから止めて。
「ほ、ほら……ルゥナ! パパ帰って来たよ」
そう言って誤魔化す様に対象を変えるネリスが呼んだのは────娘……。
小さな小さな娘────俺のルゥナ。
この国の古い言葉でそのままの意味……天使だ。
ショボショボと目を擦っている所をみると、お眠だった様子。
多分、今のクラムは自分でもわかるほど顔をクシャクシャーと綻ばせているだろう。
「んー……おとーたま?」
パッチリと目を開けたルゥナは天使そのもの……。かわえぇ……!
父親譲りの黒い髪は灰色に近く、絹のような肌は母譲りで白い。
少し先祖帰りを起こしたのか、耳はややエルフ寄りだ。
ちなみにクラムの耳はちょこっと尖っている程度。
亡くなった父はハーフエルフ。そして、クラム実母は人間だったので、いわゆるクォーターだ。
でも、血の遺伝は不思議なもので、ルゥナにはシャラほどでないにしても、エルフの特徴が出ている。
どちらかと言えば父のそれに近い。
実際、エルフという種族に負けず劣らず──凄い美人さんだ。
俺の娘だという贔屓目を抜きにしても、ね。
だから、絶対嫁にはやらんッッッ!
「あふぅ……おとーたま、お帰りなさい」
「はい、ただいまールゥナぁぁあ!」
ナデリコ、ナデリコと、娘の頭を撫でるクラム。
その顔はデレデレ。親馬鹿のそれだった……。
「ふふふ……。皆、仲良しねー」
──義母さんちょっぴり寂しいわ。
と伴侶や、実の娘がいないシャラが寂しげに笑って見せる。
だが、その美しい笑顔をみればわかるけども、実はちっとも寂しがってはいない。
そして、言うのだ──。
「みんな、おかえりなさい」
そうだ……。
家族はここに────。
「じゃあ家族みんなが帰ってきたことだし……ご飯にしましょうか!」
そして、手を凝らした自慢の一品を披露していく。
コッテリスープに、
野菜サラダ、
ベーコンとキノコ和え、
手作りパンはホカホカで、
ラズベリー等の数種類のジャムが付く────。
フワァ……と漂う良い香りに、暖かい家の穏やかな空間。笑顔と笑い声の絶えない団欒は、幸せという言葉で評して誰も疑う者のないもの。
そうとも、そこには紛れもない本物の幸せがあった。
「はい、皆お疲れ様、じゃぁ……」
「「「「「いただきま~~~す!」」」」」
そう、あった────。
あったんだ……。
温かな追憶の底で……。
冷たい雨と、熱く濁るドス黒い心の情動を感じながら、クラムはその境を茫洋と彷徨っていた────。
「義母さん……シャラ────」
第3話「雨上がり」
「あら、いたの?」
ポタ……。
ポタン……。
あれ程降りしきっていた雨は止み。
周囲を彩るのは、天幕の端から雫が垂れる静かな音のみ。
すでに闇夜の静寂へと切り替わっていた。
そこに振り落ちてきたのは、鈴を転がすような綺麗な声。
天幕の入り口から、その人はゆっくりと科を作り、気だるげな雰囲気を纏って出て来た。
闇夜にも映える金髪。……薄い夜着を押し上げる豊かな胸部と綺麗な臀部。腰はくびれ……完璧な女性像そのもの。
容姿は美しく……十代後半に見える。
しかし、歳は彼女の場合関係ないのだろう。
なぜなら長命と名高いエルフの特徴である長い笹耳をした───そうだ、彼女はエルフ……追憶の中の彼女だ。
そして……──。
……。
「ソレ」は、クラムが激情に身を焦がしている間に終わっていたらしい。
行為に夢中で外の様子など気にもしていなかったらしい彼女は、天幕を出て初めてクラムの姿を目に留めたようだ。
いや、気にしていないはずもない。だってそれはいつものこと。彼女はクラムがここにいると知っていながら男と体を重ね、情事を貪っていたのだから。
「──いる、さ。俺の任務だから、な」
「酷い声……」
ジトっとした眼は、まるでゴミを見る目だ。
どうやら風邪をひいたらしいクラムの声に心配する気配も見せず、薄着のそれを恥ずかしげもなく曝したまま颯爽と歩き始めた。
シルクの夜着は透けており、彼女の綺麗な胸部の先端に乳首すら浮かび上がって見えた。
抜群のプロポーションが……クラムの劣情を催させる。
だが、
俺はそんな感情を抱いてはいけない。
抱くわけにはいかない……だから、一言だけ注意しよう。
「義母さん……他の兵もいるんだ。……上くらい羽織ってくれよ」
ピタリと足を止める義母さん。
ツイっと視線を俺に向けると────。
「義母さんなんて呼ばないで頂戴。……ゴミ屑の息子を持ったことはないわ」
そして、文字通りゴミを見る目で「俺」を見た。
あの義母さんが……だ。
キッと睨み付けると、ツカツカと歩みより────ペッと唾を掛けられる。
その際に、彼女の纏う空気がフワリと押し寄せた。
思い出の中でならあの家庭的な匂いをさせていた彼女の香り……。
だけど、今この瞬間の彼女の香りには心底、胸がむかついた──。
顔に掛かった唾液の生暖かさよりも……その匂い。
懐かしく、甘く……優しい───義母さんの匂いの中に────男女の行為のそれが混じった酸えた臭いがしたからだ。
本気で吐き戻しそうになる。
だけど、間違いなくシャラの香りもそこにある。彼女がいる。
そのことがたまらなくなり、つい────。
「か──」
……ッッッ!
義母さん──ッ!
思わず手を伸ばし、彼女を抱き留めたくなった────。
アイツと、
勇者と、
____と──!!
あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!
しかし、伸ばしかけた腕が止まる。
背後に、
「よぅ……。シャラぁぁああ───忘れもんだぜ」
ニヤニヤと笑う胸糞の悪い声をしたアイツ。
半裸で筋肉の浮き出た上半身を晒しながら──義母さんと同じ、酸えた臭いをさせている男。
「あーらやだぁ、テンガぁぁ」
その声を聞いた途端、突然猫なで声に替わり……顔つきも完全に女のソレになる。クラムの前とは大違い。百面相もいい所だ。
もはや俺のことなど目に入らぬとばかり。
これ見よがしに足を絡ませると、テンガこと、あの野郎……──勇者テンガに撓垂れかかるシャラ。
そして、長く長くキスをするんだ。……俺の目の前で。
「るぅ、ぷはぁ……♡」
ちゅぽん♡ と音を立て絡まった舌の間に白い糸を引く。
「ははっ、なんだよ? いきなりだな?」
「だって、寂しかったんですものー」
「おいおい、さっきまでずっと一緒だっただろ」
「そーだけどー……明日は別の娘を呼ぶんでしょー?」
「そりゃぁな。公平、公平。お……いっそ一緒にやるか?」
「えーーー……。うーん……考えとく」
クソ野郎め…………ゲロが出そうだ。
「で、何? 忘れ物?」
「これこれ……」
ヒラヒラと勇者が振るのは、布キレ……って、おいおい。
「うふふ……プレゼントよー。他の娘にばっかり気を取られちゃ困るもの」
「ははは……早々、お前を手放すものか……──なぁ、そうだろ?」
テンガの野郎が、クラムに向かって、ニチャぁ……と醜悪な顔で笑いかけくる。
目の前の女性がクラムの義母であると知っていて、だ。
(ふざけた野郎だ……!)
──だが、これでも世界最強の勇者だとさ。
対魔王軍の切り札で、人類の希望……! ハッ!! うさんクセェ。
確かに、顔は整っているし、体格も筋肉質で中背。
東洋人系の顔付きだが、美男子の部類だろう。
初めて会った頃からさほど成長しているようには見えないので、年齢は定かではないが……多分、俺より年下だと思う。
「ちょっとぉ……こんなのに声かけないでよ」
あーやだやだ。と、義母さん──シャラは、顔を背ける。
「おいおい、こんなの呼ばわりは酷いだろう? 義理の息子じゃないか……ははは」
「知らないわよ……。──犯罪者の息子なんていないわ」
本気で嫌がるシャラ。
「おー怖ッ。女は恐いねー」
「そーよー、女は恐いわよー♡」
そう言って再び勇者の口を塞ぐシャラ。
わざわざ目の前で……。
ゆっくりと舌を絡めて、ねっとりとした醜悪なキス。
低い気温のなか、二人の息が上気し白く立ち昇る。
「チュプ……んふッ」
「れろ……んんー……」
ピチャピチャと立てられる水音。
二人してそっと目を閉じ、淫らな世界を作る……が、勇者が片目を開けて俺をチラリと見た。
……その顔!
どやぁ。───と、言っているのだろう。
……。
ブチッ……──!
多分、切れていたっぽい。
何も考えずに、槍を手に……命すら顧みずに、勇者の横っ面を──ああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!──テンガァァぁぁあああ゛あ゛あ゛!!
ッッ!!
「おいおいおいおい……。なんの真似だぁ?」
あ゛?
た、確かに……。
貫いた……──はず。
「懲りないやつだな? 雑魚と勇者でどれだけ力に差があると思ってる?」
(ば、バケモノめ……!)
勇者は体勢を変えずに、シャラを抱き留めたまま微動だにしないで……二本の指で槍の穂先をつまんでいた。
「ちょ……ちょっと!」
それを見て怒り狂っているのはシャラだった。
「ふざけるんじゃないわよ! あんた寝所番でしょ!」
パァン! と思いっきり頬を叩かれる、が……驚きが強く、もはや痛みすら感じない。
「シャぁぁぁラ……止めとけ。お前の手が汚れるだけだぜ? ッと、ほらよぉ!」
「ゴフッ……!」
ゴスッ!──……衝撃を感じたときには、喉が焼けるような痛みを伴う。
さらにゴキン! ガン! と、1撃……! 2撃……! と──目にもとまらぬ連撃。
「ご、ゴホ……。ゲホッ」
槍を指でつまんだまま奪い取り、
穂先の逆、「石突き」の部分で滅多打ちにしてくれたようだ。
……それでも、かなり手加減しているのだろう。
でなければ……──死んでいる。とっくに死んでいるともさ。
「グホッゴホ……! げぇぇ──」
びちゃ、びちゃびちゃ……。
吐き戻した胃液には何も入っていない。
そりゃロクに食べてないからな……。
「はー……物覚えの悪い奴だな? これで何回目だと思う? いい加減学習しろよ……。あー……──」
そこで勇者はフト思いついたように、
「────もう殺しちまうか?」
スッと温度が下がったような気がする。
殺気を感じ────、
「え、ちょ……」
シャラの驚いた声と同時に──。
クルっと回転した槍の穂先がこっちを向く。
「て、テンガ? あの」
それを戸惑った声で呼び止め、急にオドオドとしだしたのはシャラ。
「どうした? シャラ……他人なんだろ?」
「あ……う、うん」
バツが悪そうに眼を逸らす──……か、義母さん?
か、義母さん……──。
カアサン……。
か……。
ヨロヨロと伸ばす手……。
それがシャラへと伸び──、
「じゃぁなぁ! お前がいると、女が嫌がったり、照れたりで結構面白かったぜぇぇ」
それだけの理由で俺は、
「テンガ待って!!」
ギュっと勇者の首に抱き着くシャラ。
「んーーー??」
「や、やめましょ……ね?」
「なんでだ?」
「そ、その……」
そんなくだらない理由で俺は────!
「コイツがいないと、ほら……夜に燃えないじゃない?」
「あーうんうん、そういやそうだなー」
そんな理由で、
「ははは……! 冗談、冗談。冗談だって、……こぉんな面白いもの、そう簡単に捨てられるかよ」
そんな理由で、
──俺は、「勇者の寝所番」をさせられている。
第4話「復讐への糧」
ひゃはははは!
きゃー、あははは!
あれから、本日二回戦目に突入したらしいテンガとシャラ。
散々に打ちのめされたクラムはぐったりとし──濡れた地面に這いつくばり耳を塞いでいる。
それでも、聞こえるシャラの甘い声と、快楽に裏打ちされた嬌声。そして、生々しい肉を打つ音……。
湿っぽさが混じるソレは聞くに堪えない。
あの天幕の中で、大事な家族であった義母がテンガに貫かれているのだ。
アンアン♡ と激しく聞こえる喘ぎ声に耳を抉り出したくなる。
せめて少しでも嫌がっていたり、抵抗していれば慰めになったかもしれないというのに……シャラは肉の悦びに打ち震えている。
(もう……やめてくれよ!!)
それを耐えるために、気を逸らす……。
悲しいことに、こんな仕打ちをされても、さっきの煽情的なシャラの行為を間近に見て、そして今の彼女の喘ぎ声を聞いて、ナセルの男性が猛り狂っていた。
「くそぉぉお!」
余りのやるせなさに、頭に血が上り沸騰したような気持になる。
それを落ち着けようと、ギュッと握りしめるそれは、義母さんの匂いがした。
さっき、勇者達が寝所に戻る前────。
──「よぉ? 血が出てるぜ? 拭いときな」……そう言って、ポイっと投げてよこしたのは、シャラがわざと置いていったという……ソレだ。
……。
バカにしやがって……!
「ちくしょう! ちくしょう!!」
握りしめたそれごと地面を叩く。
キツク握りしめても、怒りが紛れるわけでもなく、微かに漂う香りに……淫らな匂いのするそれに……優しいシャラの顔を思い出しただけ。
もっとも、テンガからクラムに手渡された瞬間、シャラはシャラで、物凄く嫌そうな顔をしていたが……。
だが、取り戻すようなことはせず、自らが身に着けていたものであっても、それがクラムの上に落ち──彼の体についた汚れが、少しばかり滲みこんでしまったのを見て……一気に興味を失ったようだ。
まるで、ボロ雑巾でも見るかのような目────。
「シャ────……」
くそぉぉ!!!!
くそくそくそ!!!!!
ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!
バンバン! と……バシャバシャ! と濡れた水の溜まった地面を何度も叩く。
手の皮が破れて、
血が滲み、
骨にすらヒビが……!
それでも、やめない。
やめられない。
やめたくない。
なんで、
なんで、こんなことになったんだよ……。
なんで、
なんで!
なんでだぁぁ!!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
ガンガンガン!
バンバンバン!!
あああああああああああああ!!!!
義母さん、ミナ、ネリス、……そして、俺の子……──!
家族────!!
家族──!!
カゾク────!!
がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
それらがテンガの手元にある!
勇者の手元にある!
シャラだけじゃない!
ミナも!
ネリスも!!
俺の子────ルゥナも!!
みんな、アイツの下にある!
抱かれている!
奪われている!!
汚されている!!!
いやだ、いやだ、いやだ!
返せ!
返せ!
返せ!
俺の家族を返せぇぇぇぇえ!
「はぁ、はぁ、はぁ……」
そんなクラムの絶叫さえ楽しんでいる二人。
クスクス、ゲラゲラと────。
テンガとシャラが笑っている。
シャラが笑っている!!
テンガが! テンガが! テンガがぁぁぁああ!
ぶ、
ぶ、
ブッ殺してやる!!
ブッ殺してやる!!
絶対、ブッ殺してやる!!
勇者テンガぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
叫びを掻き消すように、また雨が降りだす……。
その雨に打たれながら、
喉を枯らして叫びながら、
どうしてこうなってしまったのか……。
何が悪かったのかを思い出す。
決して忘れない様に、
決して慣れない様に、
決して諦めない様に、
それを糧に……。
必ず勇者を──────。