「このかー、今日買い物行こうよ」
「いいけど。何買うの?」
「新しい水着買いたくて」
もうすぐサークルの夏合宿じゃん、と夏未。
フットサルサークルの恒例であるらしい夏合宿は、もう来週に迫っていた。今年は一泊二日で海に行くらしい。
「え、このかも買うでしょ?」
「わたしは別に・・・そんなにがっつり入る気ないしなあ。」
泳ぐのもそんなに得意じゃないし、
着替えたりするの面倒だし、なんて思ってしまう。
そんな私に夏未ははあ、とため息をついて。
「あのねえ、真木さんもいるんだよ?」
「っ!別にそこ関係なくない!?」
「あるわよ!ここで攻めなくてどうするの!
あんたスタイルいいんだから!」
変なことを急に夏未が言うから
自分の顔が赤くなってしまうのが分かる。
水着?
真木さんの前で?
いや無理無理無理。
「無理に決まってるじゃん。」
水着なんて水泳の授業でしか着たことないし、
部活で鍛えられた太ももとふくらはぎはたくましくて。いや、絶対無理。
無理を連呼する私に夏未はため息をついて。
いい?と私を見つめる。
「無理とかじゃないの。着るの。」
「いやだから・・」
「これ強制」
「そんなこと言ったって、」
「分かったよね?」
「・・・姐さんこわいっす・・・」
いいから行くよ!夏未はカバンを持ち上げて。
仕方なく私も立ち上がった。
「車酔いする人いる?大丈夫?」
「あっ、このかがします!」
え?と私が声を出す間もなく、夏未に前へと押し出される。
「そっか。じゃあ助手席はこのかちゃんにしよっか。」
真木さんは自然な素振りでドアを開けて、私を助手席に促してくれるから、私も頷いて乗り込む。
後ろを見れば夏未がグッと親指を立てていた。
グッジョブ夏未、出来すぎる友人よ。
合宿当日は快晴だった。
上級生が車を出してくれるようで、
数台に分けて海へと向かう事になっていた。
あみだくじで決めた車の班は、なんと運がいい事に真木さんと夏未とも一緒。それだけでうれしいのに夏未のアシストにより助手席に座れることになってしまった。
うう、心臓がバクバクだ。
「このかちゃんはよく海とか行くの?」
「そうですね。高校生くらいまでは毎年家族で行ってたかなあ。」
「へー、いいなあ。」
真木さんと他愛のない話をしながら、目的地までの距離は近づいていく。
後部座席はババ抜きで盛り上がっていて。
窓から入ってくる風が心地よくて、
皆の楽しそうな声が気持ちを盛り上げて、
運転する真木さんの横顔が素敵で。
・・・楽しい旅行になりそうだなあ、なんて。
数時間のドライブののち到着した砂浜は、
家族連れ、カップル、友人同士、多くの人賑わっていた。
空には雲一つなくて、絶好の海日和だ。
「このか!早く早く!」
数人は着くなりすぐに海へと飛び込んでいって、
私達も水着に着替えて海辺へと近づく。
「えいっ!」
「わっ、ちょっと!急に何するんですか!」
先輩に水をかけられて、負けじと私も水をかけ返す。気付けば数人で水かけ合戦になっていた。
海で本気で泳ぐ人、ビーチバレーを始める人、
パラソルの下でアイスを食べながら涼む人に、
砂に埋まっている人。皆それぞれに楽しんでいる。
あんなに恥ずかしかった水着姿が
気にならないくらい私も楽しくて。
「このかちゃんビーチバレー混ざろうよ!」
「混ざります!・・あ、でもその前に水分補給してこようかな。」
夢中になって遊んでいた私は、
自分がすごくのどが渇いている事に気がついた。
一度海から引き揚げて、
ビーチパラソルの下に向かう。
キンキンに冷えた炭酸を取り出して、
一気にのどに流し込む。
・・・ああ、なんて幸せ。
少し一息をついて海を見つめていれば、
先輩たちが浮き輪で遊んでいるのが見えて、
あっと胸が高鳴った。
その中にいる真木さんは楽しそうにはしゃいでいて、少し濡れている前髪がなんか色っぽくて。
「っ・・て何考えてんだ私。」
気付けばじーっと真木さんを見つめてしまっていて、やばいやばい、と首を振る。
けれど時間が経てばまた見てしまって。
・・・だってかっこいいんだもん。
なんてことを繰り返していたから、私の馬鹿。
「っ・・!」
バッチリと真木さんと目が合ってしまった。
反射的に逸らしてしまって更に後悔。
ああもう私の意気地なし、なんて思っていれば。
「おーい!!」
真木さんの声が聞こえて、
また反射的に顔を挙げる。
「おいでよ!」
なんてクシャッとした笑顔で言うから。
ああ、もう、罪な男だ!(なにそれ)
「楽しんでる?」
「はい!とっても!!」
よかった、と真木さんは笑う。
「泳ぐのは得意?」
「あんまり。・・というか全然。」
「そうなんだね。」
「泳いでるつもりなのに、溺れてるの?って何度聞かれた事か。」
私の話に真木さんが吹き出す。
「ほんとに苦手なんだね。」
「どうしてこんなに泳げないのか知りたいくらいです。」
「・・深い所行ってみる?」
「私の話聞いてました?」
私のツッコミにまた笑って、
他の先輩から浮き輪を奪い取ってそれを私に渡してくれる。
「浮き輪あれば大丈夫?」
「余裕です。」
「よし。じゃあちょっと置く行ってみよ・・って!うわ!」
バシャン、と私と真木さんに水がかかる。
何事かと驚けば、犯人は2先生の先輩だった。
「おい何いちゃついてんだよ~!これでもくらえ!!」
「わっ・・ちょっ!」
なんて言いながら今度は水鉄砲。
私も真木さんも応戦して、始まった水合戦。
気付けばまた髪の毛もびちょびちょで、
でもすごく楽しくて。
「そろそろバーベキューの準備するよ~」
気付けば時間が過ぎていて、青柳さんがみんなに集合をかける。
お腹すいた~、という声と共に砂浜に戻っていく人々。私も浮き輪を片手に砂浜へ歩き出せば、
少し後ろで真木さんが頭を傾けていた。
「どうしました?」
「・・・」
「・・・真木さん?」
「わあ!びっくりした!」
彼の顔を覗き込んでそう聞けば、私が近づいてきていることに気づいていなかったのか、予想外の驚き方をされた。そんなに私気配無かったですか?と悲しくなるくらいの驚き方だ。
少し困ったように彼がごめんごめん、と笑う。
「耳に、水入っちゃったみたいで」
トントン、と右耳を下にして真木さんが頭を叩く。
「大丈夫ですか?抜けそうですか?」
「うーん、どうだろう。」
しかめっ面をして真木さんは首を傾けて、
けれどバーベーキューの準備が始まった事に気づいて、一緒に浜辺へと戻っていった。
男の子たちが火や重たいものを準備している傍らで
私含む女子たちは食材の準備をする。
野菜を切りながら始まったのはやはり恋バナ。
誰々がかっこいいだの、誰と誰が付き合っているだの。いくつになっても楽しいものだ。
ひときしり話し終えて、野菜も切り終えて。
男子の方に目を向ければ、どうしても真木さんが視界に入ってきてしまう。
こらこら、と自分をあしらいつつも、無意識に視界にとらえてしまうのだ。
本能にあらがえずしばらく見ていれば(おい)、あれ?と感じた違和感。
砂浜で、真木さんはサークルの女の子たちに囲まれていた。いやその光景自体に違和感はないんだけど、まあそれも自分で言って悲しくなったけど。
楽しそうに話しかける女の子たちに、
少し困ったように曖昧に笑う真木さん。
さっき水が入ったという耳をしきりに触っているように見えた。首を傾げて、必死に声を聞き取ろうとしているように見えた。その姿が、自分の経験と不意に重なった。
「真木さん!」
気付いてしまったその瞬間、思い込みである可能性なんて考えないで真木さんの名前を呼ぶ。
「っ青柳さんが、呼んでます。」
驚いて振り返った真木先輩に少し大きめの声でそう言えば、真木さんは心なしかほっとしたようにうなずく。
そのまま青柳さんの方へと向かって行った真木さんと、残されたのは怖い顔の女の子たちと私。
・・・視線が痛いのでそそくさと退散しましょう、ええ。
繰り返し聞こえる波の音と、感じる磯の匂い。
生ぬるい風が髪の毛を揺らして、とても、心地がいい。
バーベキューも終わり皆で花火をして、
今晩泊まる海の家まで移動した私達。
散々お酒を飲んで騒いだ先輩達や一部の同級生は、
既に部屋の中で寝息を立てていて、
起きている人たちは恋愛話に花を咲かせていて。
少しだけ夜の海を見たかった私は夏未に声をかけて、海辺へと戻ってきていた。
・・・気持ちいいなあ。
「お姉さん、こんな夜遅くになにしてるんですか。」
急に聞こえてきた低い声と頬にあたる冷たい感触に思わず悲鳴を上げかけた私。
それが冷たい缶ジュースだと気づいた時には、
クスクスと笑ったその人は私の隣に腰かけていて。
「はい、あげる。」
「びっ・・・くりさせないで下さいよ!」
ごめんごめん、と笑った真木さんは、
そのまま私に缶ジュースを手渡す。
ありがたく受け取って缶を開けば、
プシュッ、という音さえ心地よく聞こえる。
一口飲めば思っていたよりも自分がのどが渇いていた事に気づいて、半分ほど一気に流し込んでしまった。
いい飲みっぷり、と真木さんがからかうように言うから、
少し恥ずかしくなって俯いてしまう。
「お肉はたくさん食べれた?」
「食べれました!すっごい美味しかったです!」
「おいしかったね~。やっぱりみんなで食べると美味しさ倍増だよね。」
でもたくさん食べれたならよかった。」
「・・・真木さん、妹います?」
「え、なんでわかったの?」
真木さんの4個下で、私と年が近いらしい。
だからか。もう私に話しかける口調が妹へのそれだ。
サークルの時にも節々から面倒見の良さを感じて、
下に弟妹がいるのかな、なんて勝手に思っていた。
まだ高校生なのに最近妹の化粧が濃くなっただの、
真木さんのお兄さんらしい心配話を聞いて、
私の家族の話もしたりして。
ひときしり盛り上がった後。
「バーベキューの前さ、」
少しの沈黙が訪れて、再び口を開いた真木さんの声色は、先ほどとは違っていて。
「青柳の所行ったら、お前の事なんてよんでねーよって。」
それだけじゃなくて早く女子の方にもどれホイホイが、なんていうんだよ?
ひどくない?ひどいよね、なんて言って真木さんがおどけたように笑う。
言いそう。そう言う青柳さんだって十分ホイホイなんだけどなあ。無自覚なのか。
そのまま黙り込む先輩。また少し無言の時間が続いて、沈黙を破ったのは真木さん。
「俺、片耳あんまり良く聞こえなくて。」
その言葉に驚かない私を見て、
気付いて助けてくれたんだね、と真木さんは笑う。
気付いていた、というほどではない。
もしかしたらという憶測だけでさっきは動いてしまった。
耳に水が入ったと言った真木さんは、すごく不安げで。いつも飄々と笑っている真木さんのそんな顔は珍しかったから、すごく気になったのだ。
女の子たちと話す真木さんは、曖昧に笑って頷きながら、ずっと耳を触っていた。そして、しきりに俯いて首を振っていた。
「気づいてたってほどじゃなくて。本当にもしかしたらって感じて・・」
そう思ったのには、1つ明確な理由がある。
「私のおばあちゃん、耳がよく聞こえないんです。」
数年前に体調を崩し、入退院を繰り返している私のおばあちゃん。老化と病気で聴力が大分落ちてしまっていて、いまは補聴器を利用している。
聴力が落ち始めた時、まだ補聴器を利用していない時。上手く聞き取れず少し不安げな表情を浮かべるおばあちゃんの顔が、今でも頭の中に残っていて。
その表情が、真木さんとリンクしたのだ。顔を伏せて頭を振って、耳に神経を集中させるような動作も、おばあちゃんがよくやっていた。
「高校生の時さ。サッカーの試合中に、ボールぶつかっちゃって。」
完全に聞こえない訳ではないんだけどさ、聞こえづらくなっちゃったんだ。
少しの沈黙の後、真木さんはそうゆっくりと話し始めた。
強豪校でプレーしていて、本気でプロを目指していた事。けれど試合中に鼓膜を傷つけてしまったこと。
「バレたくないっていうか、なんか心配されたくなくて。」
そう言って少し困ったように笑う。
・・・ああ、この笑顔。真木さんがよく見せる笑顔。
「言いませんよ、誰にも。」
真木さんが何か言いだす前に口を開けば、
彼は少し驚いたようにこちらを見る。
「私が勝手にベラベラしゃべる事でもないですしね。あ、でも私は全然何も思わなかったけど。真木さんは真木さんだし、それで困っているのは本人だし、私が変わってあげられるわけでもないし。」
心配は時に重荷になる。
同情は時に足かせになる。
私は、それを知っている。
勝手に心配してその人の海に飛び込んだら、一緒におぼれてしまうのだ。
手を差し伸べて、待っているしかないのだ。
俯いて砂をいじりながらそう言えば、
真木さんから返事が返ってこなくて。
あれ、私今すごく失礼なこと言っちゃった・・・?
顔を挙げれば真木さんはポカン、と私を見つめていて。
「あ、いや、もちろん心配は普通にしますよ!?でもただなんていうか・・・」
焦って話し始めれば、不意に真木さんが吹き出して、波の音に真木さんの笑い声が混ざる。
いつもニコニコしている真木さんだけど、
こうやって大声で笑って居るのは珍しくて。
「・・・似てるなあ、なんか。」
「誰にですか?」
真木さんがポツンとつぶやいた言葉。
拾ってしまって反射でそう尋ねれば、真木さんは苦笑いをして。
「ああ、ごめん。幼馴染似てるんだよねこのかちゃん。」
「へー・・・。相当落ち着きのない人なんですね。」
「やめてよ否定も肯定も出来ない。」
「そこは否定してください。」
思わず突っ込んでしまった私にクスクスと笑う真木さん。
はあ、と小さく息をついた彼を見ていたら、
思わず言葉が口を次いで。
「大丈夫ですよ。」
何が大丈夫なのだろう。
自分でも分からないけど、急に真木さんが凄く不安定に見えた。
何かを思い出している真木さんは、
そのままどこかへ消えてしまいそうで。
「ありがとう。」
そう言って真木さんは立ち上がって、戻ろっか、とズボンに就いた砂を払う。
私も無言のまま頷いて、真木さんの後を追った。
「あら、このかちゃん。」
ガラガラ、と病室のドアを開ければ、
最初に声をかけてくれたのは山田さん。
「山田さん、こんにちは。」
挨拶をすれば、今日も暑いわねえ、なんて山田さんはうちわを使いながらため息をつく。
本当に、今日は暑い。
おばあちゃんが入院している病室は集団病室で、
他にも何人かの患者さんがいる。
山田さんもその一人で、年齢はおばあちゃんと同じか少し若いくらい。
いつも何かと私の事を気にかけてくれるのだ。
山田さんと少し話をして病室の奥に進めば、
ベットに座るのは、私の大好きな人。
「このか、今日も来てくれたの。」
おばあちゃんは私を見つけて、
シワシワの顔を更にシワシワにして笑う。昔から私の大好きな笑顔だ。
そこには先客がいた。
「あ!チヅさん!久しぶり!」
「このかちゃーん。久しぶりね!」
私を見つけ笑顔で手を握ってくれるその人は、車椅子に座っていて。
「今日がリハビリの日だったからってお菓子持ってきてくれたのよ~。」
おばあちゃんはそう言って嬉しそうに紙袋を掲げる。それは私もおばあちゃんも大好きな駅前の和菓子屋さんの紙袋だった。
「このかちゃんと千代子さんで食べてね。」
なんて言ってチヅさんは優しく笑う。
私より少し年上のチヅさんは、私の友達で、そしておばあちゃんの友達でもある。
最初にチヅさんと出会ったのは1年ほど前。
リハビリテーションにおばあちゃんを迎えに行ったとき、いつもは同い年くらいの人たちと一緒に話しているのに、その日は珍しく若い女の人と話をしていた。
なぜだか少し緊張しながらも声をかければ、彼女は効果音がつきそうな程綺麗に振り向いた。長いまつ毛を2.3度瞬かせて、ふわっと笑う。
『初めまして。千代子さんのお孫さん?』
その笑顔が柔らかくて、優しくて。その瞬間から私はチヅさんのファンである。
その後3人でお昼ご飯を食べて、色々な話をした。おばあちゃんが落としたハンカチをチヅさんが見つけて教えてくれたこと、そのまま今日のリハビリはずっと2人でお話をしていたこと、彼女は高校生の時に事故で足を悪くし、車椅子生活を送っていること。今はリハビリのために定期的に病院に通っているんだ、とチヅさんはなんでもないことの様に笑って話した。
その日からリハビリで会う度に話すようになり、気づけばチヅさんが病院に来る度におばあちゃんの病室に寄ってくれるようになったのだ。
「じゃあおばあちゃん。私そろそろ行くね。」
「あ、じゃあ私もそろそろ帰ろうかな。」
私の言葉と共に時計を見たチヅさんが、そういって車椅子のロックを外す。
「はいよ。ありがとね、勉強頑張ってね。チヅちゃんも、ありがとうね。」
また来るね、とおばあちゃんに手を振って、
チヅさんと共に病室を後にした。
病室を出る時にも山田さんは暑い暑い、とベッドにだれていて思わず笑ってしまえば、
「や~もう恥ずかしい。見ないで。」とおどけながら顔を隠した。何可愛い。
「暑いね~。」
「本当にです。」
病院の廊下を通りながら、チヅさんがパタパタと首元を仰ぐ。
山田さんからさっきもらったうちわをチヅさんに手渡して車椅子を後ろから押せば、彼女は少し申し訳なさそうにこちらを振り向く。
「ごめんね、ありがとう。」
「何がですか」
そう言えばチヅさんはもう、という様に笑った。
「大学はどう?忙しい?」
「全然です。暇すぎちゃうくらい。」
飲食が可能なスペースに移動して、イスに座ってカルピスを飲む。
・・・最高。暑い日のカルピスは至高。
同じくゴクゴク、と炭酸ジュースをのどに流し込むチヅさん。ぷは~、と2人で同時に息を吐きだす。
「このかちゃん、彼氏はいないんだっけ?」
「いないんです。」
そのまましばらくお互いの近況報告なんかをする。
こうやってチヅさんと話す事もお見舞いの後の恒例だ。
「じゃあ、気になってる人とかは?」
「いっ・・・ないです!」
「絶対いる言い方だねうん。」
急にチヅさんにそう聞かれて、
パッと頭に真木さんが思い浮かんでしまった。
一人で動揺してしまった、いけないいけない。
チヅさんはニヤニヤと笑って、私の袖をつつく。
「え~。どんな人なの~?」
「だからいないですって。」
「またまた~」
なんて言ってチヅさんがからかうから、
更に恥ずかしくなってしまって。
そんな私を見て彼女はカワイイ、と笑う。
「同級生?それとも先輩?」
「・・・っ、先輩、です。」
こういう時のチヅさんには勝てない。
観念して白状すれば、チヅさんはあら、と頬に手を当てる。
「先輩ってさ、もう存在がずるいよね。」
「本当にそれです。フィルターかかります。」
「うわー、分かるわあ。」
うんうん、と目をつぶって頷く。
先輩って本当にずるい、先輩マジックは絶対に存在すると声を大にして言いたい。
その後も他愛のない話を続けていれば、
気付けば大分時間が経ってしまっていた。
すっかりからっぽになった紙コップを捨てて、
カバンを手に立ち上がる。
「じゃあ、またね。」
そう言って手を振ってくれるチヅさんに私も手を振りかえす。
綺麗で、優しくて。けれどサバサバしている所もあって。
なんでも話すことができるチヅさんは、まるでお姉ちゃんのような存在なのだ。
「あれ。社長出勤?」
その日は午後からの講義で欠伸をしながら歩いていれば、後ろから誰かに声をかけられた。
振り向けばそこにいたのはシンプルな白いTシャツ、これまたシンプルな黒いジーンズに大きめのリュックを身にまとった真木さんだった。シンプルだからこそ真木さんのとんでもないスタイルが映える。ずるい、ずるいけどかっこいい。ずるい。
「真木さんこそ。講義は午後からですか?」
「いや、今日は講義は無いんだけど。ゼミの先生の所に行かなきゃで。」
そう言って真木さんはため息をつく。
3年生の夏。インターンシップに参加したり、ゼミの課題に取り組んだり。徐々に忙しくなっているようで、
来年、再来年の事を想像して少し憂鬱になる。
嫌そうな顔をしてしまっていたのだろう、
不意に真木さんの指が私の眉間をなぞる。
「お姉さん、皴寄ってますけど。」
「・・・寄せてるんです。」
な訳あるか、と心の中で突っ込んで、
真木さんも何その言い訳、と笑う。
そのままキャンパスまで一緒に歩いて、講堂の前で別れた。
しばらく振り返らないまま歩いてから、
一度足を止めゆっくりと後ろを振り返る。
そこにはもう真木さんの姿は見えなくて、少し安心する反面なぜか残念な気持ちにもなって。
・・・なんだこれ。何この気持ち。
自分の眉間を自分の指でなぞって、なんとなく恥ずかしくなった。
・・・眠い、非常に眠い。
広い講堂での講義はもはや無法地帯だ。
真面目に聞いている人もいれば、スマホをいじったり、居眠りしたり、別の課題に追われたり。
集中していない事に気づいても教授は何も言わない。
ただ自分の言いたい事を話して、ツラツラと黒板に文字を書きこむ。
大学の授業なんてこんなものだ。騒ぎさえしなければ、期末レポートだけ提出すれば単位はくれる。
「このか、今日のサークル行く?」
「行く予定。夏未は?」
小声で聞いてくる夏未にそう答えれば、
彼女も片手でマルのサインを出す。
今日はサークルの日。私の週一の楽しみ。
授業を聞くのもそこそこに、今日のサークル活動へ思いをはせるのであった。
「このか、はい、あーん。」
夏未がグリーンピースをスプーンにためて、
私の口へと押し込んでくる。別に嫌いじゃないからいいんだけど、いいんだけどさ。
「っ・・・多い多い!」
さすがに量が多いんだって。
仕方なく咀嚼するけど、さすがに盛りだくさんのグリーンピースは美味しくない。
オレンジジュースで流し込む私を見て、先輩たちが笑う。
サークルの後、ご飯を食べようと数人でファミレスに来ていた。
アフターという形でご飯に行くのは珍しい事ではなく。
「夏未ちゃんグリーンピース駄目なんだね。」
「そうなんですよ。豆全般が苦手で。」
「あー、ちょっとわかる」
真木さんが目を瞑って頷く。
グットッパで別れたテーブルは、何と運のいい、真木さんと一緒だった。
他にも数人の先輩、同級生と盛り上がりながら注文したたらこスパゲッティを平らげていく。うん、おいしい。
気付けば時間は深夜0時に近づきつつあって、出てきてしまった欠伸を噛み殺す。
徐々に人が減っていった店内は、大分静かになっていた。
そろそろ帰るかあ、なんて先輩たちの言葉と共にテーブルを立ち上がった。
そのまま外に出て、車の中でまた少し会話に花が咲く。
・・・なんか、大学生っぽいなあ。
なんて思ったら少しにやにやしてしまって、
夏未に気持ち悪いと一蹴されてしまった。
サークルの話、バイトの話、大学の話。
家まで送ってくれるという先輩たちの好意に甘えて、
車に揺られながら会話を楽しむ。
心地よさに眠くなってしまったのか、
気付けば話しているのは眠ってしまっている人も多くて、私の意識も少しずつ夢の中に引きずられていた。
会話が少し途切れた後、心地よさに身を預けかけた私の耳に不意に真木さんの声が飛び込んでくる。
「・・・ねえ、19歳って、どんな気持ち?」
唐突な質問の意図を掴みかねて、夏未と二人で顔を見合わせた。
大学1年生の私と夏未は確かに現在19歳。19歳だけど、どんな気持ち、って。なにが?
意図を掴もうと真木さんの方を見れば、彼は前を向いたままだった。
表情を変えず、ただ前を真っすぐに見ていた。その視線は遠くて、一体何を見ているんだろう。
更に分からなくて、その戸惑いが顔に出てしまっていたのか。
真木さんは慌てたように笑って私達の方を振り向いた。
「ごめんごめん急に。気にしないで。」
そう言って笑った真木さんは私たちに眠るように促した。
真木さんの質問を考えながらも、既に夢の中に足を踏み入れていたわたしの意識はすぐに沈み始めてしまう。
・・・どんな気持ち、かあ。考えたこともなかったな。
19歳の私は今、どんな気持ちなんだろう。何を考えて生活しているんだろう。
昼前に起きて、講義を聞いたり聞かなかったり、たまにバイトをして、課題に追われて、
友達と話したり、お出かけしたり、お化粧に目覚めたり、自炊を頑張ってみたり。
将来は何になりたいんだろう、この先どうやって生きたいんだろう。あれ、これからの事なんて正直、全然決まってないなあ。
ふわふわとした思考の中でそんな結論に行きついてしまって、漠然とした不安を抱えながらも耐え切れず眠気に身を任せた。
「ばあちゃーん。これお土産。」
「あんたのばあちゃんじゃないから。」
「わ、このプリン美味しそう!食っていい?」
「何しに来たのよほんと。」
私のツッコミなんて聞こえていないのか、
ベッドの前の椅子に腰かけて快はプリンを食べ始める。
溜息をつく私とは対照的におばあちゃんは「快くんよく来たね~」なんて嬉しそうに笑っていた。
高校生の時、本当にたまたま病院で快と遭遇したことがある。
私はお見舞いで彼は自分の怪我の治療だったのだが、その時におばあちゃんと快は顔見知りになって。
こうやって今でもお見舞いに来てくれることがあるのだ。
それまで普通に会話する程度のクラスメイトだった快と仲良くなったのは、
おばあちゃんの影響もあったりする。
「ばあちゃん体調はどう?」
「いい感じよ~。この前は病院の夏祭りにも参加しちゃった。」
「へー!何があったの?」
「なんだっけね、たくさんあったけど久しぶりにヨーヨーすくいなんかしちゃった。何十年ぶりだったかねえ。」
なんて楽しそうに話をする2人。
いやさ、いいんだよ、いいんだけどさ別に。
「なんだよこのか。そうやってすぐ拗ねるなよ。」
「拗ねてないし別に。」
「ヤキモチやくなって。」
「やいてない!」
口をとがらせる私に気づいたのだろう。快はニヤニヤとからかってくる。
威嚇をすれば、おばあちゃんが私にもプリンを手渡した。
「ほらこのか。一緒に食べよう。」
「・・・食べる。」
大好きなおばあちゃんに言われたらそりゃ食べるに決まってる。
大人しく快の隣に腰かければ、犬かよ、と彼は笑った。
「本当にこのかはばあちゃんの事好きだよな。」
「当たり前じゃん。」
「まあ俺も好きだけど。」
「なんでそこで張り合ってくんのよ。ていうかあんたのばあちゃんじゃない!」
ギャーギャーと言い争う私たちを、
おばあちゃんはニコニコと見つめていた。
おばあちゃんの病室を出て、これから予定があるという快と別れて廊下を歩いていれば見慣れたうしろ姿を見つけた。
あ、と思った時には駆けだしてしまった。いや病院の廊下は走っちゃいけないから正しくは早歩きなんだけど。
「わっ!!」
ソッと近づいて肩に手を置けば、少しだけ色の抜けた髪の毛が揺れる。
驚いて振り返った彼女は、
私を確認してもう、と頬を膨らませる。
「びっくりしたじゃない!」
「びっくりさせたかったんだもん。」
「変な声出ちゃった~はずかしい~~」
なんて言って髪を触りながら恥ずかしそうにチヅさんは笑う。
その仕草は女子の私から見ても可愛くて、
この人は今まで何人の男の人を虜にしてきたのだろうか。
「驚かせちゃったお詫びに今日は私がジュースをおごりましょう。」
「許して進ぜよう。今日は炭酸の気分。」
「いいですねえ。私もそんな気分!」
なんて話しながらチヅさんの車椅子を押す。
「今日はリハビリ終わりですか?」
「そう。めっっちゃくちゃしごかれた。」
「あちゃー・・・。」
なんて言いながらチヅさんは笑うけど、
その顔には隠せない疲労があった。
リハビリの大変さ、厳しさは分かっているつもりだ。
おばあちゃんを見ていてもそうだし、
私自身も中学生の頃に足を怪我して、リハビリに取り組んだことがある。
身体的負担もそうだし、今までは自分の思い通りに動かせていたものが動かせなくなって、
自分の体なのに思うようにいかなくて、悔しくて、苦しくて。
片足だけでもくるしかったのに、チヅさんの苦労は計り知れない。
「花火大会は行くの?」
「まだ何も考えてなかったです。」
いつもの場所でジュースを飲みながら、
話題は来月の花火大会へ。
私達が住んでいる街にはお盆のころに割と大きめの花火大会があって、
去年は部活の仲いい子と行ったっけな。
毎年欠かさずに行っている花火大会だけど、
その目的はその雰囲気を味わいたいだけな気がする。
沢山の人と、屋台と、夏の匂いと。そんな雰囲気が好きだなけで、
花火自体はあんまりなあ。
「花火って、なんか切なくなる。」
ポツリ、と呟いた言葉に
チヅさんが少し驚いたように顔を挙げた。
「すごい、時が過ぎるっていうのを感じさせられるんです。あれだけ大きくて、明るくて、でも終わってしまったら何も残らなくて。」
見ている間は感動するのに、
終わった後に何とも言えない気持ちを感じるのだ。
どうかしましたか、と問えばチヅさんは表情を緩めて。
「いやなんか。・・・前から少し思ってたけど、私とこのかちゃん似てるのかもね。」
「・・・私チヅさんみたいに綺麗じゃない。」
「いや外見じゃなくて。ていうか私綺麗じゃないし。ていうかこのかちゃん可愛いし!!!」
何言ってるのよ!と私の言葉にチヅさんは怒ったように頬を膨らます。
このかちゃんは本当にかわいい、そうチヅさんはもう一度繰り返してくれて、
なんかすごく照れてしまった
「私も、花火は悲しくなっちゃうんだよねえ。」
理由はちょっと違うんだけど、と言ってチヅさんは微笑む。
「彼氏さんと別れちゃった場所とか?」
「私彼氏いたことないのよ。」
「え!?嘘だ!こんなにきれいで優しいのに!」
「どうもありがとう。でも本当なの。」
ペロッとチヅさんはおどけて舌を出す。
世の中の男の人は何をしているんだろう。
いや逆にハイスペックすぎて声をかけれないのか?
「じゃあ、好きな人は?」
いつか聞かれた質問を今度は聞き返せば、
チヅさんが一瞬、苦しそうに顔をゆがめた、気がした。
「そうねえ。」
次の瞬間はいつもの穏やかな笑みを浮かべたチヅさん。
けどその瞳には、何かが映っているように思えた。
「すごく大切な人は、いたかなあ。」
いたかなあ。なんて、過去形。
何も言えずに頷けば、チヅさんは微笑んで。
「花火のね、広がってから光が消えていく瞬間がすごく切なくなるの。」
その言葉に去年見た花火を思い出す。
火種が上がって、広がって、バラバラになって、そして消えていく。
「消えた瞬間にまた次の花火が上がって、みんな喜んで、でもまたバラバラになって消えて。また新しい花火が出てきて、消えちゃったものなんてすぐ忘れちゃって。なんか、すごく・・・、当たり前の事なのにね。変だよね。」
少し上を見上げながらそう口ごもるチヅさんに、大きく首を振る。
分かる。上手くは説明できないけど、でもその切なさが、分かる。
でもそれってきっと。私達が感じる切なさはきっと。
「忘れたくないからですよね。」
「え?」
「忘れたくないから、きっと切なくなるんです。その時間が大切だから、愛しいから、
消えて欲しくないから。」
人間は絶対に忘れてしまう。時が解決してくれるなんてよく言うけど、それは本当だ。
どんなに辛い事も、どんなにうれしい事も、
ずっとずっと鮮明に覚えている事は出来ないのだ。
でもそれはきっと、悪いことじゃ無い。
「忘れてしまうから今を大切にしたいと思うし、写真を撮るし、日記を書く。忘れた方が、言いことだってある。」
辛い記憶をずっと抱えて生きていくなんて辛すぎる。
忘れてしまう事にはいい事も悪い事もあって、でもきっと、それが人間の生きる術だ。
「全部抱えてなんて、生きていけないです。」
そして、なによりも。
覚えておきたい、
忘れたくない。
その気持ち自体がとても愛しい。
なんとなく2人とも口を開かず、しばらくの間夕日に照らされる町を見つめた。
「そろそろ帰りましょうか。」
「そうね。」
お互いそう言って私が椅子から立ち上がれば、
チヅさんは私の裾を引っ張る。
「このかちゃんはすごいなあ。」
「何がですか。」
「全部がさ。」
「私からしたらチヅさんの方がすごいです。ハイスペックすぎて目が潰れます。」
「なにそれ。」
私の言葉に彼女がふわっと笑う。
少しだけ色の抜けた彼女の髪は、夕日に照らされるととても綺麗だ。
今日だけで何度同じ言葉を復唱した事だろう。
通学中、講義中、お昼休み、トイレの中。
そして、サークル前の今の時間。
「あんたもう、重症だわ。」
呆れたように隣で呟く夏未。
重症なのは私が一番わかってますって、ええ。
夏休みも近づいた7月後半。
大学のめちゃくちゃ長い休みを目前に、本日の私の目標は一つ。
「真木さん、花火大会、一緒に行きませんか。」
今日だけで数十回目の復唱。
ついに夏未はスマホ片手に何も反応してくれなくなった。仕方ない。
自分から異性を何かに誘うという事は人生初めてで、
私にとっては本当に勇気のいる事なのだ。しかも先輩。しかも、真木さん。
夏未相手にはすんなり言えるのになあ、なんてこぼせば当たり前だろ、とはたかれた。痛い。でもその通り。
「どうしよう夏未~、私いえるかな~」
「いえる言えないじゃない、言うの。」
「ええええええ。」
「えええじゃない!ああもううるさい!」
いつもは夏未に私がうるさいと文句を言っているのに、今日は立場が逆転。
サークルまでの時間ドキドキしすぎて、講義なんて全く耳に入らないのであった。
「よっしゃ飯行こうぜ~」
青柳さんの言葉でわーっと歓声が上がる。
焼肉、お寿司、ラーメン、様々な声が上がる中で、
真木さんは肩をすくめて。
「俺ちょっと課題があるから今日はやめとこっかな。」
「おー。りょうかーい。」
青柳さんにそう言って、
真木さんはシューズを脱ぎ始める。
わ、どうしよう。
ご飯の後にでも言おうと思ってたのに、これはピンチ。
こういう日に限って真木さんはスタスタと体育館を出ていく。
うんうん、これは仕方ないよね。ちゃんと言おうと思ってたけど、でもここで追いかけるのも変だしね。
なんて自分に言い訳をして、正直少し安心してしまう。
・・・が、すぐに鋭い視線を感じた。彼女がこんな私を見逃してくれるわけもなく。
「なにやってんのよ!ほら!」
「ちょっ・・・無理だってええ・・・」
情けない声を出した私なんてお構いなしに夏未は私にリュックを背負わせる。
そしてグイッと私の背中を押して。
「ほら!行ってきな!」
「夏未い・・・」
「今帰ってきたら絶交!あ!いや絶交は私がいや!取り消す!」
「なんだよもう可愛いな・・・」
夏未に押されるがまま体育館の外に出た。
日中よりも少しだけ冷たくなった風を頬に受けながら、ゆっくり深呼吸をして。
勇気を出して、後ろから声をかける。
「お、お疲れ様です!」
「あれ、このかちゃん。ご飯は?」
「わっ・・・私も課題があって。」
私の言葉に特に疑問を持った様子もなく、
そっか、と真木さんは歩みを進める。
しかしその速度が私に合わせてゆっくりになったことが分かって、
ああ、だめだ。こんなことにもときめいてしまう。
「真木さん、おうちこっち方面何ですか?」
「そうだよ。駅のすぐ近く。このかちゃんもその辺だっけ?」
「あ、そうです。なんで・・・って、あ。」
そうだ。私が真木さんと出会ったきっかけの日。歓迎会の日。
お家の近くのコンビニまで送ってもらったんだった。
そう言えばこうやって2人で一緒に歩くのは、
あの日以降初めてだ。
ドキドキしているのを隠しながら、真木さんの隣を歩く。
横顔を見上げるのにも勇気が必要で、ああ、もう、なんか。
「このかちゃんってさ、」
「へっ!?」
「そんな驚かなくても」
「す、すいません・・・。」
変な返事、と真木さんがくすくす笑う。
私の頭の上に、触れないように手のひらをかざして。
「小さいよね、結構。」
「・・・一応154㎝はあります。」
「うん、ちっちゃいね。」
「!!コンプレックスなんです。」
からかう真木さんを睨みつければ、
少し頬を緩めて、私から目をそらして。
「えー。可愛いと思うけどな。」
なんて言ってクシャッと笑うから。
ああ馬鹿、私舞い上がるな。
なんて気持ちと同時に、勝手に言葉が溢れてきてしまった。
「あのっ・・・」
立ち止まって、自分の服の裾を握り締める。
今日何十回と復唱した言葉を。
一文字一文字、勇気を出して。
真木さんの不思議そうな視線を感じる。
小さく息を吐いて勢いよく顔を挙げた。
「今度の花火大会!一緒に!・・・一緒に、いき、ま、せんか・・」
最後が消えかかってしまったけれど、でも、言えた。
小さく真木さんが息をのんだのが分かった。
言ったと同時にスッキリして、でもその後すぐに襲ってくる後悔。
心臓がドキドキして、バクバクして、なんだか泣きそうだ。
真木さんの顔が見れなくて俯いたままの私。
しばらく流れた沈黙の後、はは、っと真木さんは笑った。
「いいよ。誰が一緒なの?夏未ちゃんとか?」
「えっいや」
「青柳とか暇そうだなあ。あ、他の先輩あんまり話したことないもんね?」
誰がいいかなあ、なんて言って真木さんは笑う。
さっきと同じトーンで話し続けるけどその笑顔は乾いていた。私でも分かってしまうくらい。
私の方を見ることはしないで、少し俯いたまま。彼の顔には作り笑顔が張り付いていた。
心臓がぎゅっと縮んで、
自分がすごくちっぽけな存在に思えてしまった。
「皆で行った方が楽しいもんね。」
真木さんはそうやって笑って、
でもその瞳は私をとらえてくれない。
分かってしまった。いや、分かっていたのだ。
彼は避けている。私の意図を分かって、分かった上で。牽制している。
「・・あー・・・そうです、夏未も一緒です!」
必死で絞り出した自分の声は自分の物じゃないみたい。
「快の事も誘ってみたんですけど、3人も変だな~って思って!」
スラスラと口から嘘がこぼれる。
俯いたまま早口で話す。私も真木さんの顔を見ない。大丈夫、私は泣かない。絶対泣かない。
「人数多い方が、楽しいですもんね。」
「ね、だよね。」
絞り出した私の言葉を聞いてから、真木さんはやっと顔を挙げる。
私の方を見て安心したように笑うのだ。だから私も、笑うしかなかった。
「で、ヘコんでるのねヘタレちゃん。」
「返す言葉もございません。」
講堂の長机に教材を広げながら夏未ははあ、とため息をつく。
「いやでもその雰囲気は仕方ないかもね。私でも多分言えないもん。」
なんて言って夏未はよしよし、と私の頭を撫でる。
全くアメとムチがお上手で。
「花火大会は彼氏さんと約束しちゃってる?」
「あー。いや、してない。」
私の質問に夏未は少し口ごもって。
あれ、これはまさか。
「・・・別れちゃった?」
「・・・えへ。」
束縛酷くてさ~、なんて言って夏未はケタケタと笑う。
その言葉に今度は私がため息をつく番だった。
恋多き女の夏未。付き合っても長続きしない事が多い。
お互い上手くいかないねえ、なんてため息が出てしまう。
講堂を出て、夏未と共に食堂へ向かう。お昼休み。食堂は生徒であふれていた。
いたる所で集団がご飯を食べながら談笑している中、
少し先、視界に入ってきてしまったのは見覚えのある男子集団。
サークルの先輩たちだ。その中には真木さんもいて。
その集団は男子だけではなくて、女の人たちも混ざっていた。
先輩たちはとても大人っぽい。
2歳しか違わないのに、なあ。
覚えたてのメイクに、顔の横しか巻けていない髪の毛。まだ慣れないヒールの靴。
急に自分がすごく子供に感じてしまった。大人の真似っこをしているような。ああなんか、もう。
「っ・・・なっ・・・」
「はい、お裾分け。」
急に口にものを入れられて思考が中断される。驚きつつもとりあえず噛めば、
甘酸っぱさが口全体に広がった。見れば夏未はイチゴのロールケーキを食べていて、
どうやらそれを詰め込まれたらしい。
「・・・おいしい。」
なんてこぼした私に、夏未ははは、と笑って。
「あんたはそう言う顔の方が似合ってるよ。」
あんま難しい顔しないの、なんて言って私のコメカミをつつく。
胸がじんわりと温かくなって、もう、人たらしめ。