「少し前まであったかかったのにね~恐ろしい。」
「本当にです。」

待合室のベンチでチヅさんと一緒に自販機を眺める。
いつのまにかHOTの文字が増えて、季節の移り変わりを感じる。

「チヅさん。」
「ん?」
「一つだけ、聞いてもいいですか。」

私の方を見ないまま、いいよ、と彼女は答える。

「どうして。」
「・・・。」
「どうして、19歳だったんですか?」

私の質問が想像していたもののと違ったのだろう。
少しだけ、チヅさんが意外そうに目を開いたのが分かった。

少しの沈黙の後、チヅさんはゆっくりと息を吐く。

「それは、初めて聞かれたなあ。
・・・うーん。」

手に持っているカルピスが冷たくて、痛い。

「・・・19歳だったから。」

夕日に照らされたチヅさんの横顔は美しい。
美しくて、少しだけ怖い。

「それだけだよ。私がこれから先生きていくには、どうしても必要なことだったの。」

それ以外に理由はないよ。そうだけ言ってチヅさんは黙ってしまった。
チヅさんの言葉に嘘は感じなかった。何かを隠している様子もなくて。

もうこれ以上話すつもりはないのだろう。
私も何も質問せずに黙ってカルピスを啜った。

いつもより、酸味が強い気がした。



気付けば今年もあと少しになって、
少し前に終わったと思っていたテスト勉強に追われる日々。

勉強をして、レポートを書いて、次に来る冬休みを目指す。
・・・大学って以上に冬休みだけ短いのは何故?解せぬ。

テスト期間はサークルも活動していなくて、
夏未や快くん、同級生以外の人たちにはあまり会わない日々が続いていた。

ただ青柳さんや真木さんら3年生がとても忙しいというのは耳に挟んでいた。
就活準備であったり、大学院入試の勉強であったり。
やだなあ、一生大学1年生でいたい。

「留年すれば?」
「・・・泣くよ?」

なんて口にすれば夏未に軽くあしらわれてしまったので、
もう言わない事にした。涙出る。




コンコン、と白い扉をノックする。

ドアを開けばベッドが一つだけ埋まっていて、
近くには見慣れた黒いリュックサックが見える。

「・・・このかちゃん?」
「です。体調、大丈夫ですか?」

薄い仕切りの奥から弱弱しい声が聞こえてきて、
シャッという小さな音と共にカーテンが開く。
大学の保健室のベッドに、真木さんは横たわっていた。

真木さんが倒れた、と教えてくれたのは夏未だ。
講義中に倒れてしまった彼が保健室にいると、サークルの先輩からたまたま聞いたらしい。

「最近あんまり寝れてなくて。」

そう言う真木さんの顔色はまだあまりよくなくて、目の下には深いクマが見える。
大学院には進学しない予定だと前話していたから、就職活動に忙しいのだろう。

「何か飲み物要りますか?」
「お願いしてもいい?」
「もちろんです。ちょっと待っててくださいね。」

寝起きでかすれた声。すぐ近くの自販機で水を購入して真木さんに手渡す。

「あのさ。」
「・・・。」
「出かける約束、日にち変えてもいいかな?」

もちろんです、すぐにそう答えるつもりだった。
そう言われることは分かっていたし、当然だし、仕方のない事だ。
体調悪いのに無理することじゃない、忙しいのだ、分かっている。分かっているのに。
言葉がつっかえてしまったまま出なかった。苦しい。心臓が痛い。

水を飲みながら少しボーッとしている真木さんは、
いつか見たことのある暗い瞳をしていた。
何も映っていないように見えて誰かが映っていて、
その誰かを、私はもう知ってしまっている。

「・・・真木さん。」
「ん?」
「会いたいんですか?」

私の質問に一瞬真木さんの目が泳いだ。

「別に、会いたくないよ。」

無理して口角を挙げているのが分かった。
真木さんがこの話をしたくない事は分かっている。
分かっているけど、私の口は勝手に動く。

「・・・誰に?とは聞かないんですね。」

意地が悪い事を言っているのは分かっている。
真木さんも少し眉をひそめた。

だって、だって真木さんはずるい。
私に誰かを重ねて、私自身を映してはくれない。
近づいてくるくせに、私が近づくと逃げる。
一人で舞い上がって、落ち込んで、心の底から感情を動かしているのは、全部でぶつかっているのは、きっと私だけだ。

「会いたいなら会いたいって言えばいいのに。」
「だから別に会いたくないって。」
「きちんと一回話してみればいいんじゃないですか?」
「話すって。別にそんなの・・・」
「上辺だけを続けてても、きっと辛いだけ、」
「だから!!!」

真木さんが出した大きい声に、ビクッと体が縮まった。

真木さんも予想以上に大きい声が出てしまったのだろう。
私の方を気にして、でもその声は震えていた。

「・・・真木さんは、真木さんはずるいです。」

自分の声も震えているのが分かった。

真木さんは何かを言いかけて、そして口をつぐむ。
顔を挙げたその顔に浮かべたのは自嘲的な笑みで。

「・・・このかちゃんに、俺の何が分かるの?」

重たい溜息と共に、そう吐き出す。
心臓がわしづかみにされたように痛い。

絶対に真木さんの前では泣きたくなくて、
涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる。

勢いよく立ち上がって、カバンをもってベッドから離れた。
こんなこと言うつもりは無かったのだろう、
我に返ったように私の事を呼び止めるけど、振り返らずにそのまま保健室を出る。

俯いたまま大学の廊下を早足で歩く。
ポロポロと涙がこぼれてくる。冷たくて、頬が痛い。

ずるい、真木さんはずるい。
・・・けれど、私もずるい。分かってる。

こんな自分、すごく嫌いだ。