その日、僕は初めて橋の下以外でお姉さんを見た。

お母さんと一緒に向かったスーパー。
その途中の交差点に、お姉さんは立っていた。

普通に歩いているところを見て、お姉さんが本当に存在している事に少し安心してしまった。
お姉さんはひとりじゃなかった。派手な服を着た茶色い髪の女の人と、お姉さんより少し背の高い、黒髪の女の人。
3人で一緒に歩いていて、その顔はよく似ていた。

そういえばお姉さん、兄弟がいるって言ってたなあ。
話しかけるなんて勇気は僕にはなかったけど、なんとなく目で追いかけてしまう。

そのうち、あれ?と思った。

お姉さんは、笑っていなかった。笑っていないどころか、ずーっと俯いていてほとんど表情が見えない。
楽しそうに話す2人の少し後をついて歩くお姉さんは、なんだかすごく小さく見える。

心臓がどくっと嫌な音を立てた。

2人は時々後ろを振り返って、なんだか嫌な顔をしてお姉さんに何か言う。嫌な笑い方をする。
何を話しているかなんて全く聞こえないけど、それがいい言葉じゃないのは遠くからでも分かった。

寂しそうなお姉さんの横顔を思い出した。
あの笑っているのに泣き出しそうな、不思議な笑顔を思い出した。

胸がきゅっとなんてしまった僕はそれ以上何も感じたくなくて、
お姉さんから目をそらしてスーパーへの道を急いだ。




「お姉さん」
「なーに?」

次の日、僕はまた橋の下にいた。

どう話せばいいか分からなくて、
浮かんできた言葉をそのまま口に出した。

「昨日、お姉さんを見たんだ。」

僕のその言葉に、空気が変わったのが分かる。

「・・お姉さんによく似た女の人たちと、一緒に信号待ちしてた。」

しばらく返事は来なかった。
お姉さんはふっと息を吐いて、と自分を馬鹿にするように笑う。

「私、仲間外れだったでしょ。」
「っ・・」
「・・私のお姉ちゃん、すごく頭がいいんだよね。
だからいつもお母さんに褒められてて。」

でもお姉さんはあまり勉強が得意じゃなくて、
小さい頃お母さんに叱られてばっかりだったらしい。

「私は手を動かすよりも体を動かす方が好きでさ。
姉妹で正反対だね、なんてたくさん言われた。」

でもね、そう言ってお姉さんは微笑む。

「小さい頃にね、一回だけお母さんに褒めてもらったことがあるの。」

元々勉強は苦手で、特に嫌いなのは算数。
でもお母さんに褒めて欲しくて、笑いかけて欲しくて。

たくさん勉強をして、小学生の時算数のテストで
クラスで一番の点数を取ったことがあるらしい。

「その時お母さん、珍しく褒めてくれて。
ああ私でも褒めてもらえるんだ、なんて思って。」

元々勉強は苦手だけど、じっと座っている事すら辛かったけど、
友達と遊ぶ時間を減らしてお小遣いで参考書を買って。

頑張って頑張って、
でも、でも。

「結局お姉ちゃんには勝てなかった。」

ふう、とお姉さんは息を吐く。

「どれだけ頑張ってもやっぱり全然褒めてもらえなかったの。
・・・結局出来が違うんだよねえ。」

そう言ってお姉さんは笑う。
自分を馬鹿にするように笑う、から。

僕はなんだか悔しくなって。

「なんでそんなこと言うの?」

お姉さんは驚いたように僕を見つめる。

「お姉さんは頑張ったんでしょ?
なのにどうして自分の事バカにするの?」

何が悔しいのか分からないけど、
何に腹が立っているのか分からないけど。
お姉さんの事をバカにされたくないと思った。
たとえ、お姉さん自身にも。

「お母さんに褒めてもらえないなら僕が褒めてあげる。」

「100点だって花丸だってあげるよ。だから・・」

だから、なんなのだろう。
その続きは分からなくて、でもなぜか必死で。
このままだとお姉さんが消えてしまうような気がしたんだ。

僕の言葉にお姉さんは少しだけ俯いて、ゆっくりと顔を挙げる。
その顔は、ああ、またあの顔だ。どうしてそんな顔で笑うんだろう。

「少年。」
「・・なに?」
「ありがとう。」
「・・・・」
「・・あ、また耳真っ赤になってる。」
「うるさいよ!」

いつもの調子で僕をからかったお姉さんは、息をついてから空を見上げた。

広く晴れた空、髪の毛を揺らす心地よい風。
緑色の葉っぱが視界を鮮やかにして。
この時間がもずっと続けばいいのに、なんて思った。