「少年、また来たの。」

お姉さんは今日も足をプラプラと泳がせて、僕に手を振る。

「うん」と頷いて石段へ腰かければ、
「今日は涼しいね〜」と笑った。

「毎日、ここへきて退屈じゃない?」
「全然。」
「そっか。放課後、友達と遊んだりしないの?」
「・・しない。」

退屈じゃないのは本当だった。
むしろ放課後行く場所が出来て、前よりも毎日が明るくなった気がする。

学校にいたって、家にいたって、
僕の毎日は薄暗くてつまらないのだ。

ふーん、とお姉さんは僕の目を見る。
なんとなく目が逸らせなくて、僕もお姉さんも見つめ返す。

「・・学校、楽しい?」

急にそう聞かれて言葉に詰まる。
簡単な質問なのに、すぐに答えられなかった。

「・・楽しいよ。」
「絶対嘘だ〜。」
「・・・嘘じゃないし。」

本当は嘘だ。学校を楽しいと思ったことなんて、1度もない。
友達と呼べる友達もいない。

・・・僕はいつだって嘘つきだ。

心の中はぐちゃぐちゃなのに、
思ってもない事がスラスラ出てくる。

小さい時、お母さんのお気に入りのマグカップを割ってしまった事がある。
その時お母さんは風邪をひいていて、寝込んでいるお母さんに飲み物を持って行ってあげようと思ったのだ。

椅子に立って食器棚に手を伸ばす。
背伸びをしても少し届かない。あともうちょっと、もうちょっと。

あ、届いた。そう思った瞬間、食器棚から滑り落ちたマグカップは派手な音を立てて割れた。
お母さんが急いで駆け寄ってきて、僕の心臓はもうバクバクで。

『お菓子をとろうとしたんでしょ!』

お母さんは、そう言って僕を怒った。
食器棚の奥にはお菓子が入っているカゴがあって、それは僕も知っていた。
知っていた、けれど。

『違うよ!僕は・・』
『言い訳しないの!』
『本当に違うんだよ!』

そうだ、あの時はちゃんと自分の言葉で話せた気がする。
思ったことがそのまま口に出せたんだ。

『聞いてよ、お母さん。僕はね・・』
「言い訳は聞きたくないわ!お母さんは嘘つきは嫌いよ!」

嘘つき、その言葉が胸にグサリ、と刺さった。

「お母さん具合悪いの知ってるでしょ!どうしてこういう事するの・・・」

お母さんははあ、とため息をついて、
フラフラしながらマグカップの破片を拾い集める。

違うんだよ、お母さん。
お菓子なんてとろうとしてないよ、マグカップをとろうとしたんだよ。
お母さんに、お茶を持って行ってあげようと思ったんだよ。

そんな言葉は、もう、僕の心の中で消えた。



結局、僕は嘘つきになってしまった。
昔から嘘つきだったのかもしれない、あの時だって、
本当はお菓子をとろうとしてたのかもしれない。もうよく覚えていない。

覚えていないけど、今僕が嘘つきなことは確かだ。

誰の前でもそうなのだ。
上手く自分の気持ちを話せない、本当の事が言えない。

だから、僕は僕が嫌いだ。

「・・本当に、嘘じゃないよ。」

違う、嘘だ。これも全部全部、嘘。

お姉さんは僕の瞳をじっと覗き込む。
その瞳があまりにも真っすぐで、息が詰まった。

しばらくの沈黙の後、
お姉さんは少し目を伏せて、ふわりと笑う。


「少年。」


「噓つきは泥棒の始まり、なんて、そんなの嘘だよ。」


頭の中を覗き込まれたようでドキッとする。
そんな僕に気づいているのかいないのか、お姉さんは言葉を続けて。

「つかなきゃいけない嘘だってあるし、人を助ける嘘もある。
別に嘘をつくことは悪い事じゃないんだよ。」

「嘘から泥棒に繋がるなんて、誰が考えたんだろうね。」

「でも、あえて言わせて。」



「少年。自分の気持ちに、嘘をついちゃいけません。」


小さな子供なだめるように、
叱り口調だけれど、でもとても優しい声で、やさしい顔で、お姉さんは笑う。


「・・なに、それ」

絞り出した言葉はそんな返事で。


お姉さんはまたふっと笑って、
「覚えときなよ」とひらひらと僕に手を振った。