「今日は食堂行くの?」
 昼休み、ノートに明日の時間割を書きつけていた翔太に凛が話しかけた。「行くよ」と彼が返すと「私も」と嬉しそうに言う。
 二人は随分とよく話すようになった。ほとんどが凛の声掛けによるものだったが、翔太もだいぶ警戒を解いていた。仲の良い「友だち」程度にはなっていた。

 その日の午後七時半。相変わらず騒がしい食堂の隅で、二人は先日の期末テストの結果について話していた。季節は初夏の七月。翌週には担任教師との進路面談が控えている。
 翔太の成績は中程度。三年生二百人中、九十番台あたりをさ迷っていた。対する凛は上の下ほどで、五十番台に位置している。
「ねえ、一緒の高校行こうよ」
 唐突にそんなことを言い出す彼女に、翔太は眉間に皺を寄せる。
「いや?」
 不安そうな凛に、親子丼の米を飲み込みながら首を横に振った。
「俺、進学しないよ」
「高校行かないの?」意外な表情で、彼女は目を瞬かせた。「どうして」
「どうしてって……」
「……もしかして、伯母さんに言われてるの?」
「いや、言われてはないけど……」
 そもそもそんな話をしたことがない。だが、いつも辛うじて三百円をもらっているのだ。美沙子が高校に行く金を出してくれるとは微塵も思わない。それなら自分がアルバイトをして授業料を賄う手もあるが、それも許されるとは想像し難かった。バイトをするぐらいならまともに働けと怒鳴られるに違いない。それぐらい予想できる。
 凛もこの頃にはいくらか察していた。雨宮翔太は金をかけてもらっていない。貰いものの制服や体操服は彼の体型より少し大きめだったし、文房具も靴も随分傷んでいた。痩せているのにやたら給食をおかわりし、それをクラスメイトはからかった。だが彼らが彼を憐れむのではなく「またかよ」と笑いながらその後ろに並ぶのに、いいクラスだと思ったのだ。
「翔太くんは、どうなの」凛は翔太に尋ねる。
「どうって」
「翔太くん自身は、高校、行きたいって思う」
「俺は……」
 そして口ごもった。元々無理だと思っていたから、そもそも自分がどうしたいかなど考えたことがなかった。勉強は好きでも嫌いでもない。理科は好きだが英語は嫌い。けれど、それが理由になるほど嫌いではない。
「じゃあ、一緒に見学行こうよ!」いいことを思いついた。そんな顔をして彼女が提案する。「夏休み。青南(せいなん)高校の見学があるんだけど、一緒に行こう。その方がきっと実感湧くよ」
 彼女の言葉は随分と合理的で正しい気がした。
「でもそこ、偏差値高かった気がするけど。俺、行きたくなってもそんなに頭よくないよ」
「大丈夫。その時は一緒に勉強したらいいだけだもん。一緒に教え合ったらきっと上手くいくよ」
「一緒ばっかりだなあ」
 まるで「一緒」なら全てが上手くいくとでも言いたげだ。だが呆れながらも、それならばと翔太は思った。
「榎本さんは、他に行く誰かはいないの」
「青南高校って、ちょっと遠いでしょ? だから私の周りにはいないかな」
 頷きながら、翔太は頭の中で電車賃を計算する。貯金といえるほどの額はないが、食堂で時折まけてもらった時の金をこっそりとっていてよかった。いくら金がないといっても、女の子にそこまで頼るのは情けない。